コシマキには次のような記載があります。
 「若き野戦指揮官と800名の部下の激闘。本土決戦のために捨て駒とされた戦場・沖縄での無謀とされた総攻撃。そのなかで任務を達成し、終戦の日まで闘い続けた唯一の部隊「歩兵第三十二聯隊第一大隊」の軌跡。沖縄戦の真実を描いた本格的ノンフィクション。」
 「太平洋戦争を通じ、米軍陣地を突破して目標に到達できた唯一の戦例、“棚原の戦い”。指揮を執るのは、幼いころから軍人を志した伊東孝一という青年であった。彼は士官学校在学中から軍の教育に疑問を持ち、苦悩しながらも、自ら考え、学び、戦場に立った。圧倒的戦力を持つ米軍を前にしてなお、旧来の戦術に固執する自軍の中で、彼はどのような判断を下し、いかにして部隊を率いて任務を全うしたのか―。気鋭の著者が、ロング・インタビューと手記をもとに描く本格的ノンフィクション。」

 「歩兵第三十二聯隊」は、霞城連隊と呼ばれた山形の連隊。おらがくにの連隊ということもあって、沖縄戦史に触れるたびに注視していて、糸満の「やまがたの塔」近くにある「歩兵第三十二聯隊終焉の地」の碑も見に行ったことがありました。
 そしてその大隊長・伊東孝一は、沖縄第32軍高級参謀八原大佐から 「日本軍で最も優秀な大隊長」 と称され、日本のみならず米国・英国などでもその戦闘は高い評価を得ている人物です。
 いったい彼はどういう人物なのだろうかと、興味を持って読みました。

 「恥ずべきことは、私が生き延びたことです」
 と、伊東は言った。卒寿をこえてもなお、多くの戦友や部下の死を背負ったまま、彼は生きているのだった。
 “大東亜戦争”は、やむにやまれぬ戦争だったと言う者もいる。
 しかし、この戦争は不毛だった。
 大隊長として米軍と直接に矛を交えた伊東は、そう確信している。
 しかし一方、この戦いこそ戦術家を志し、戦いに全身全霊を捧げた伊東の、青春時代の貴重な足跡なのだった。(「はじめに」から)

 著者は、1974年生まれの気鋭のジャーナリスト。太平洋各地の戦場だった地域を多数訪問して、日本の近現代史をテーマに執筆活動をしているとのこと。あまり好きではないゴーマン・グループのよう。
 著作には当書のほか「女ひとり玉砕の島を行く」(文藝春秋、2007)があり、これもストックしているところです。



 奄美大島観光物産協会が中心になり、奄美大島の各自治体と連携してまとめられた観光情報誌。
 「あまみっけ。」という奄美大島の観光情報サイトがあり、それがベースになっている模様。東洋のガラパゴスとも言われる奄美大島の美しさ、自然の偉大さ、豊かさ、そして唄い継がれている島唄を紹介するガイドブックになっています。

 「島唄と奄美大島」の記事が冒頭に置かれ、続いて、知れば知るほど好きになる奄美大島の魅力を8つのセクションに分けて紹介しています。それらは、美しい海、時を忘れるサンセット、手つかずの大自然、ここでしか会えない動植物、鶏飯をはじめとする郷土料理と食文化、大島紬などの特産品、様々なアクティビティ。第3章は、エリア別の観光スポットを紹介しています。
 最後のほうには、中孝介と元ちとせのインタビューと、それぞれのお勧めの場所や食べ物が載っています。

 魅惑的な写真と記事が満載なのに、公的機関が宣伝のために作っているので、555円+税と格安で手に入るのもうれしいです。
 読んでいてまた鶏飯が食べたくなりました。ヤンゴで飲むのもいいなあ。



 島旅ライターの第一人者による、「後世に残したい自然・文化を抱く40島」。
 以下、ウェブ書店の「内容紹介」を引用。

 海を越えてたどり着く「島」という環境は、まさに古き良き時代のものの宝庫。
 日本各地の有人島をほぼすべて踏破している著者が、日本の島々に息づく文化や自然の素晴らしさを見つめ、面白いもの、注目しておきたいもの、そして後世に残していきたいものを“島遺産”として選定しました。
 秘境中の秘境ともいわれるトカラ列島・悪石島の仮面神ボゼや、美しいフクギ並木のたたずまいを残す渡名喜島、そして世界遺産・屋久島の太古の森など、島という隔絶された世界であるからこそ守られてきたもの、そして時代の流れとともに変わりつつあるもの……、長年にわたって島を訪ねてきた著者ならではの視点で、その実情を見つめています。
 また、太平洋戦争で激戦地となった硫黄島をはじめ、軍艦島のかつての廃墟群、瀬戸内海にある四阪島など、一般には上陸できない島を訪ねた時の貴重な体験記も収録。
 原始的な祭りから、その島にしか咲かない花、島の恵みが与えてくれる“お宝”の数々など、「こんな日本がまだあったのか!」と、島国・ニッポンの奥深さを再認識できる1冊です。

 掲載されている島々のうち琉球弧関連は、登場順に以下の12島でした。
 黒島のプーリィ(豊年祭)、奄美大島の平瀬マンカイ/油井の豊年踊り、悪石島のボゼ、パナリ(下地島)の暮らしの痕、渡名喜島のフクギ集落、徳之島の石垣集落、北大東島の燐鉱石、西表島の森に響く音、諏訪之瀬島のサンゴ礁、屋久島の太古の森、竹島のデメタケ。

 写真もきれい。たちえば黒島のプーリィの写真は海岸の陽射しが八重山そのもので、すごく感じが出ています。
 こうして見ると、日本の民俗も捨てたものではなく、まだまだ見るべきものが多いと思ったところです。



 著者は、1944年東風平生まれで若くして上京、神奈川県で高校の教師を務め、2003年に退職。
 「沖縄戦で父を失い、更に兄もなくして、17才でふるさとを後に、住み込み店員として上京した筆者にとって、本土での43年間は、ただひたすらに「思郷」の一念ではなかったでしょうか。」と、作家・早乙女勝元は述べています。
 詩作、文芸、写真、平和活動、登山などに造詣が深い方で、2010年に逝去した模様です。

 2005年発刊の本。著者直筆のサイン入りの古書を11年後に1円+送料で入手しました。表紙の琉装の踊り手が印象的で、沖縄の書店では何度も手に取ったことがあり、この価格なら買わない手はないだろうと考えてのものです。
 沖縄へ里帰りするたびに著者には新たな発見や出会いがあり、それらを自らの詩と写真で読者と共感したいとの想いで、おそらくは自費出版でつくったものと思われます。

 詩の行間から想いを読み取るという作業は苦手なので、テキスト部分はあまり読まず、ぱらぱらとめくりながら主に写真部分を眺めてさらりと読み終えました。
 心を込めて読む気にならなかったというのが正直なところですが、その理由は古書の体裁があまりにもよくなかったからです。
 カラー写真を掲載する上質紙仕様の各ページが水分を吸って歪み、くっついてしまっているのです。それを丁寧に剥がすと、紙の表面には一面カビが……。こんなにひどい古書が送られてきたのは後にも先にも初めてのことです。
 各ページをティッシュで拭いて読みました。それでもカビ臭さは残り、ごわごわ。伝票の添え書きには「あとがきや奥付けに若干シミがあり、書籍に少しゆがみひずみがありますが、それでもよければ」……と。おふざけを言ってはいけません。出店者名を公表したいところですが、それは我慢しましょう。
 沖縄本は基本蔵書としていますが、これに限っては廃棄となるでしょう。

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 2月の8日から12日にかけて、沖縄本のまとめ買いをしました。
 それらは次の12冊です。

1 多良間島幻視行  波多野直樹 連合出版 201802 1944
2 神様の棲む診療所(2)  竹村優希 双葉文庫 201712 619
3 一九四五年 チムグリサ沖縄  大城貞俊 秋田魁新報社 201712 864
4 Happy islandの本8  FM沖縄、多喜ひろみ ボーダーインク 200808 古301
5 ほんとうの琉球の歴史 神人が聞いた真実の声  渡久地十美子 角川フォレスタ 201110 古1173
6 尚円王妃宇喜也嘉の謎―ほんとうの琉球の歴史2  渡久地十美子 ボーダーインク 201303 古970
7 ツタよ、ツタ  大島真寿美 実業之日本社 201610 古351
8 アンマーとぼくら  有川浩 講談社 201607 古322
9 緑の風景 わたしの挿話たち100  大城立裕 沖縄タイムス社 200706 1680
10 走れ思徳 続「琉球王女百十踏揚」  与並岳生 琉球新報社 201712 1836
11 本日の栄町市場と、旅する小書店  宮里綾羽 ボーダーインク 201711 1728
12 キジムナーkids  上原正三 現代書館 201706 1836

 1、2、11、12の4冊は楽天ブックスから。
 3~8の6冊はAmazonからで、そのうち3だけは新品。
 9と10の2冊は那覇のジュンク堂書店で購入したもの。

 5以降の8冊については、2月9~12日に沖縄に行ったときに那覇のジュンク堂書店で沖縄本をチェックして、欲しいと思ったもの。それらをいったんネットで調べ、ネット上で売っていない2冊は現地で買い、それ以外は古書と新品にてネット通販で買ったものとなります。

 わずか5日の間にずいぶんがっつり買ったなぁという印象。
 当分は読むものがなくなる心配がなくて精神衛生上とてもいいのですが、書棚の一角が未読本の山となっており、とうとうその一角に収まりきれなくなってしまいました。
 未読本は何冊溜まっているのか数えてみると、ざっと75冊ほど。つまり、自分にとっては約1年分のストックがあるということになります。

 それではまず、書棚を整理して収納スペースをつくることにしましょう。
 そして、読まなければ。

 一時八重山民謡の中心的存在だった「ウムザ」こと山里勇吉が逝去した、との報に触れた。
 2月9日から那覇に行っていて、沖縄タイムスを読んで知ったのだった。

 マイクを使っているのだろうと思って聴いていたら、それが地声だったというぐらいの圧倒的な声量には驚愕したものだ。
 NHKの番組で観た石垣島白保の豊年祭で、行列の先頭に立って唄い歩く山里はふつうのオジサンなのになぜかCOOLだった。
 桜沢有理のプロデュースで、晩年の嘉手苅林昌と二人で本島と八重山の同名異曲を収録したCD「うたあわせ」(1999年)は実に白眉だった。
 映画「ナビィの恋」(1999年)でアブジャーマー男となった山里は、“トゥバラーマ”、“月ぬ美しゃ”、“ロンドンデリーの歌”とともに空手の型まで披露した。
 NHKテレビ「ちゅらさん2」(2003年)では古波蔵恵里の祖母ハナ(平良とみ)の婚約者・大浜豊を好演した。

 その山里も、享年92歳だったという。
 また一人、沖縄民謡界の巨星が堕ちた。残念でならない。
 この世にはもう、嘉手苅林昌も、照屋林助も、登川誠仁も、いない。時代は、このようにして少しずつ変わっていく。



 以下に2月10日付の琉球新報電子版を引用しておきます。

・山里勇吉さん死去 八重山民謡の大御所、92歳
 八重山民謡の歌手山里勇吉さんが(2018年2月)9日午前4時28分、肺がんのため宜野湾市内の病院で死去した。92歳。
 山里さんは1925年石垣市白保生まれ。16歳のころから三線を始め、57年に開かれた八重山全島とぅばらーま大会で優勝を機に、本格的に八重山民謡を学ぶ。声量、声の高さ、美しい節回しで、多くの人を魅了した。
 大工哲弘さんなど多くの後継者育成にも励んだ。八重山音楽安室流保存会師範、琉球民謡最高師範。99年県無形文化財「八重山古典民謡」保持者。長年県社会福祉協議会資金づくり芸能チャリティー公演の実行委員代表として企画、運営に関わり、2005年度の県功労者として表彰された。
 告別式は11日午後3時から4時、浦添市伊奈武瀬1の7の1、いなんせ会館。喪主は八重山音楽安室流室山会理事長の名幸諄子さん。

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