毎年秋、恒例となっている「琉球フェスティバル東京」を観てきました。
 東京開催は今年で22回目。開催概要は、次のとおり。
  10月1日(日)東京・日比谷野外大音楽堂  開演16:00 ※雨天決行
  出演:古謝美佐子/我如古より子/パーシャクラブ/よなは徹バンド/桑江知子
     THE SAKISHIMA meeting(新良幸人×下地イサム)
     琉球オールスターズ(徳原清文・よなは徹・仲宗根創・大湾三瑠・浜川恵子)
  司会:ガレッジセール



 前日から東京に泊まり、夜、そして当日の朝にも居酒屋をはしごして、日中埼玉県の川越まで足をのばして「小江戸」の風情を眺め、15時半前に会場へ。7,500円の当日券を買って入場です。
 客の入りは、ほぼ満員ですが、後ろのほうには空席があり、毎回後方で全体を俯瞰する格好で見ていますが、今年は周りがスタンディングになっても座ったままで前が見える程度です。

 主催者のM&Iカンパニーによれば、今回のキーワードは「組み合わせの妙」と「女流」の2つだというのですが、はたしてどんな感じなのでしょうか。
 15時40分、いつものように東京沖縄県人会のエイサーでスタートし、15時55分にガレッジセールの二人とテレ朝の久保田直子アナが登場。5分余りしゃべって、定刻16時、いよいよ開幕です。

misako_201710100636444b7.jpg

 トップバッターは、ザ・砂かけババア(ゴリ談)こと、古謝美佐子。
 ハデハデの胴衣(どぅじん)、裙子(かかん)風の姿で登場。脇を固めるのは夫でもある佐原一哉、そして「琉神」のエイサー太鼓です。
 披露した曲は「アメイジング・グレイス」、「国頭サバクイ」、「童神」、「ナークニー~カイサレー」の4曲。
 美佐子独特のハリのある声が相変わらず冴えわたります。「国頭サバクイ」などは迫力さえ感じるぐらい。しかし63歳ともなると、やや息継ぎの一瞬あたりに微妙な衰えを感じないわけにはいきません。
 また、佐原の奏でるシンセサイザーの音が割れ気味で、金属音のような音が耳に響いたのがやや残念でした。
 美佐子はガレッジらと砂かけ合戦をしながら楽屋へ。おもしろいおばさんです。

sakishima-meeting.jpg

 2番手は、新良幸人と下地イサムによるTHE SAKISHIMA meeting。
 まずは、ミャークフツが入るテンポの速い曲。なんていう曲? 下地のギター掻き鳴らしと新良のスタッカートの入った三線がいい。歌詞に「ニヌファーマイ」とか入っていたようだけど、不明。
 続いて、幸人が「二人で書いたマグロの歌を聴いてくれ!」とアピールして歌い始めたものも、沖縄民謡という感じではないような曲だけど、不明。最近聴き込んでいないからなあ。
 3曲目は「Jingo~夏至南風(カーチバイ)」。77の口説調の歌詞と、♪ササッ、ササッ、舞い遊ば ササッ、ササッ、世ばなうれ・・・の愛の手のキレがいい。
 最後は名曲「ダニーボーイ」を二人で。幸人の声が特にすばらしい。ハモりの部分も絶妙で、ざわりと来るぐらいでした。



 一風変わったタイトルの2010年発行の沖縄関係小説を、古書市場から安く買ってみました。著者も知りません。
 ヒントは、販売サイトの解説に書かれていた次のような文章のみ。
 「昭和初期、世界恐慌時に一時不振に陥った日本の石炭産業は、満州事変以降、戦争への傾斜を強める帝国日本の国策下、軍需の拡大から再び活況を取り戻す。
 日本の最南端の採掘場として西表島のジャングルに埋もれる炭鉱も、坑夫1,200名を擁する規模に発展した。
 そこで坑夫として働いていた中には詐欺同然に連れてこられた者も少なくない。南洋の緑の楽園と信じてやってきた者を待ち受けていたのは、果てしない強制労働とマラリア、奴隷のような生活だった。戦時には小学四、五年生が採掘に従事した記録さえある。
 そうした歴史を踏まえて書かれたこの物語は、無間地獄の底から命懸けで脱出をはかる少年たちの冒険譚である。
 西表では逃走者・脱走者のことを「ピンギヌム」と呼んだ。悲劇の運命にあらがい、生きる道を探った少年たちの決死の脱出は成功するのか!?」
 また、
 「地獄の採掘現場、密林のジャングル、マラリアの死窟で、少年たちは―。
 西表島―東西30キロ、南北20キロの八重山諸島最大の島に、この物語の主人公の家族が渡ってきたのは太平洋戦争への傾斜が深まった昭和14年の春のこと。近代国家をめざす帝国政府が第一の国策事業として推進した炭鉱開発の真っ只中であった。主人公の少年たちは死と絶望だけの闇が広がる無間の底へと落とされた…。」

 ははあ、つまりは、西表島にかつてあったという炭鉱を舞台にした冒険・アクション小説だな。だったら面白そうじゃん。――ということで。(笑)

 それにしても、これを書いた人物は1950年東京生まれといいますから、西表島の炭鉱とは関係がなさそうだし、年齢的にも当事者にはなりえません。いったいどのような経緯があって、このような内容の書をものしようと考えたのでしょうか。
 その著者は、巻末の略歴を見ると、歌手、画家、馬券師などを経て、1986年から小説を書き始め、95年に作家デビューを果たしたという変わり種のよう。
 近隣に西表炭鉱経験者の子孫がいたりするのかもしれません。多くの参考文献を読み、歴史的にも破綻なくまとめられているようです。



 第40回(2014年度)新沖縄文学賞受賞作。
 中沢けい、又吉栄喜、山里勝己が審査員となり、3人がこの作品をもめることなく一致して受賞作に選んだそうです。
 沖縄文学賞とは、沖縄タイムス社が1975年に創設した賞で、これまでの受賞者には又吉栄喜、崎山多美、目取真俊、照井裕、水無月慧子なども名を連ねています。

 著者は、1969年埼玉県生まれ。北海道大学農学部を卒業後、十勝毎日新聞、八重山毎日新聞を経て、2016年からフリー。石垣島をはじめとする沖縄と台湾の関係を中心に取材を続けて、著書に「八重山の台湾人」、「与那国台湾往来記」などがあります。ああ、フリーになったのですね。島旅メーリングリストのメンバーでしたよね。

 ビル管理会社でエレベーターを監視するケイは、ひょんなことからマンションの住人の「おばちゃん」と親しくなり、ルームメイトのユミとともに「神様のところ」へ向かい・・・という、いかにも沖縄っぽいストーリー。
 那覇市内を舞台に、現代風の若い女性二人と都市の集合住宅に孤独に生きる台湾出身の老女が織りなす複雑な多文化世界を描いています。

 台湾の巻き尺の「魯班尺(ろはんじゃく)」がストーリーのキーアイテム。それには数字の列と平行して二字熟語が書かれており、赤い文字はおめでたい言葉、黒い文字は恐ろしい言葉になっているもののよう。
 「おばあちゃんの部屋のドアには、内側に巻尺のようなものが張ってあり、玄関の靴脱ぎのところに立つと身長が測れるようになっていた。おばあちゃんは私の身長を確かめて、部屋に入ってよしと判断したわけだ。・・・」(本文から)

 会話も今風で軽妙、沖縄おばぁのマイペースも健在。さあ、物語はどう展開していくのか?! この続きはぜひ本を買って読んでみてください。
 新書版120ページほどの薄い本。沖縄タイムス社が新沖縄文学賞受賞作を多くの人に読んでもらうために創設したのであろう、「タイムス文芸叢書」の700円。全国の書店では手に入りにくいのが玉に瑕でしょうか。



 南の島の絶景に触れてしまうと、これらを知らないで暮らしていたそれまでのモノトーンの人生はいったい何だったのだろうと思ってしまう心境――、というのはすごくよくわかります。南の島で人生を変えたい、人生をやり直したいと、自分も思ったものです。

 で、この本。
 いったいどこからが「日本の南の島」なのか?
 それは北緯29度付近にある「渡瀬線」(奄美群島の北部付近)より南だと考え、その「見えない不思議な壁」を突破し、かつての琉球王朝の歴史に触れていきます。
 取り上げられる島々は、著者自らが仕事に私事に300回以上足を運んだ中から、選びに選んだ26島で構成されています。
 それらは登場順(=五十音順)に、阿嘉島、粟国島、奄美大島、波照間島、伊江島、伊平屋島、伊良部島、西表島、石垣島、伊是名島、加計呂麻島、喜界島、久米島、黒島、水納島(多良間村)、水納島(本部町)、宮古島、沖縄島、下地島、竹富島、多良間島、渡嘉敷島、渡名喜島、与那国島、与論島、座間味島。
 おおっ、大部分は自分も渡島していますね。これらのうちまだ行っていないのは喜界島、水納島(多良間村)、多良間島の3島だけです。喜界島は宿まで取ってあったのに荒天のために飛行機が飛ばず行けなかったことがあり、多良間周辺は未踏なのです。行かんとなあ、これらにも。

 ページを開くと、南国特有のまばゆいばかりの写真がたっぷり。それらだけでも心がとろけていくようで、こうなると文字はいりませんね。(笑)
 その200点以上の写真は、すべて著者の撮りおろしなのだそう。ドローンで撮影した島全体のショットが満載なのも特徴です。
 各島について、リード文と地図イラスト、短めの本文、島の基本情報があり、あとは写真がバーン! 飽かず眺めてしまいます。

 本シリーズはほかにもヨーロッパ編、アジア編があり、シリーズのキャッチコピーは「人生に必要なのは、iPhoneと勇気とサムマネー!」。
 近年、沖縄でプチリタイア生活をする人も増えているようです。人によってはこの本が、人生を変えるキッカケになってしまうこともあるかもしれませんから、読むに当たってはドウゾお気をつけて。(笑)



 「日本一の長寿バンド「白百合クラブ」の半世紀」と副題の付く、2003年発刊の本です。
 映画「ナビィの恋」や「ホテル・ハイビスカス」の監督・中江裕司がはじめての書き下ろしたノンフィクションです。

 終戦直後の石垣島白保で、若者たちが集まって結成された楽団「白百合クラブ」。手には、ひょうたんで作ったマンドリンに、桑の木をくりぬいたバイオリン。ラジオも電気もない時代、彼らが奏でるあたらしい音楽と、可憐な舞踊に、島の人々は熱狂した。……それから57年、なんと、平均年齢70歳の白百合クラブはいまも活動を続けている!
 彼らにすっかり心を奪われ、ドキュメンタリー映画を撮った著者が、語りつくせぬ彼らの魅力と、知られざる57年の足跡を書き下ろし。メンバーインタビューや、2002年のTHE BOOMとの東京公演の模様などの写真も多数収録。宮沢和史(THE BOOM)による、白百合クラブに捧げる詩も初掲載。
 ――という内容。

 映画を撮るほうが先でしたが、それでは彼らの魅力を語り尽くせないとばかりに書かれたもので、2002年10月、鶯谷の「東京キネマ倶楽部」で行われた東京公演の様子とその写真、映画完成後に新たに取材したメンバーインタビューなどにより構成されています。
 歌われるのは、クラブのテーマソングである「ぼくらのクラブ」に始まって、「港横浜花売娘」、「満州娘」、「ロンドンの街角で」、「白保の十九の春」、「さよなら港」、「桑港のチャイナタウン」「長崎のザボン売り」、「さらばラバウル」、「ミルク節~ヤーラーヨー」など。踊りも入って、すごいものです。
 映画「白百合クラブ東京へ行く」のDVDも一緒に買って観ましたが、本と合わせて観ることによって、白百合クラブメンバーの人生をしみじみ味わうことができてなかなかよかったです。

 底抜けの笑顔はなぜだろう。
 沖縄の戦後は、混乱のなか、辛いことの連続であった。
 しかし、沖縄の人たちは、辛ければ辛いほど、明るく楽しそうにしているように見えた。
 写真で見た白百合クラブの人達の笑顔に、沖縄の戦後が集約された姿を見た。
 白百合クラブだって、楽しいことばかりじゃなかったはずだ。なのにあの底抜けの笑顔はなぜだ。
 この謎を解くためにも、私は白百合クラブに出演を依頼した。(本文より)

 メンバーのうち、会長の西玉得浩は石垣市内でスーパーを営む。(現在は閉店) 大島勇は最年少メンバー(1942年生まれ)。屋号がヒバリ、つまりは大島保克の父ということ。白百合クラブの最盛期に入団したものの病気で活動を休止していた新良幸永は、新良幸人の父です。
 白保というところは音楽の血が脈々と受け継がれている不思議な地なのですね。
 映画が撮られてからすでに14年が過ぎましたが、あの元気でにこやかなメンバーたちはその後どうしているのだろうなぁ。



 1975年といえば、今から40年以上も前ということになりますが、その時代の沖縄のことが旅行者の目を通してどのように記述されているのだろうかとすごく気になって、ウェブ古書店からわずか18円(送料込みで275円)で、2016年5月に入手したものです。
 100ページに満たない、文字も大きめの、手に取りやすい1冊です。

 著者は、千葉県八街市でこどもクリニックを経営している、1963年生まれの医師。その人が1975年当時、つまり小学6年時に書いた作文を忠実に再現したものとなっています。ああ、そういうことね。小学生の感想文なのですね。

 列車で鹿児島へ、そして鹿児島から船で那覇港へと向かっています。
 立ち寄った観光地は、旧海軍司令部壕、ひめゆりの塔、摩文仁の丘、知念海洋レジャーセンター、守礼の門、嘉手納空軍基地、幸地腹門中墓、ハブセンター(多幸山)、万座毛、玉泉洞、嵐山、東南植物楽園など。そしてメインは、沖縄国際海洋博覧会でした。
 ナナサンマル(1978年)前なので、車は右側通行だったようです。

 ホテルでの夜の過ごし方や、めいっぱいお土産を買い集めている様子なども逐一記載されており、当時の家族による観光旅行ってこんな感じだったよなぁと、懐かしく思えたところです。
 子供の目線ということもあり、期待していたものとは異なりましたが、それなりに楽しく読ませてもらいました。