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2008.04.13
空白の沖縄社会史 〜石原昌家
年度が替わったら本業が忙しくなって、軸足を移したはずのこちら側、「沖縄探求」がついついおろそかになってしまっているけふこのごろ。ナントカならんですかな、コレ。
さて、久々のブログもまたまたオキナワ本。「空白の沖縄社会史」です。
なんだかんだ言っても、沖縄本だけは少しずつではあるが読み進めているのダ! エラいだろ。
いや、バッカだろ、おれって。
・・・くそ。

著者は、1941年台湾生まれ、沖縄国際大学の社会学のセンセイです。
著者は、父親が台湾に出稼ぎに行き、勤務先で現地召集され、同行した家族は終戦翌年に沖縄に引き揚げてきたという過去を持っており、当書をしたためる契機の一つはこのあたりにあったのかもしれません。
戦後、与那国島を中心とした八重山と、台湾との間で行われたという密貿易について、実際に密貿易に関わった多くの人々から証言を集め、その実態を仔細に解き明かしています。いやはや、関係者の証言は、生々しくも痛快ですな。
話は、八重山・沖縄での密貿易のみならず、トカラ列島の口之島をルートとして行われた日本本土との密貿易や、沖縄本島で盛んに行われたという米軍物資のかっぱらい行為(これを「戦果を上げる」という)についても言及されていますから、戦後沖縄の混乱期の様子を詳しく知りたいという方はぜひ一読することをお勧めします。
沖縄人は、ともするとお人好し、のんびりという気質で語られることが多いですが、戦果と密貿易の時代に生きた沖縄人は、才知に長け、機敏で勇敢そのもの。ウチナーンチュのしたたかさがいかんなく発揮された時代だったようです。
ウミンチュとしての経験のない人までが、ボロ船に身を託し、一攫千金を夢見て盛り上がったこの時代は、苦難する中ではあっても、ウチナーンチュが最も生き生きとして輝いていた時代だったのかもしれません。
挿入されている写真もまた、注目度高し。当時の糸満ロータリー付近の写真や、赤ん坊を背負い頭上に配給物資を載せて家路を急ぐ女性たちの写真など。とりわけ後者は、身なりはきれいでなくとも表情がいい。
与那国島の密貿易時代を知るための必読書、という位置づけ。
密貿易に関してはこのほかに、「美麗島まで」(与那原恵)、「密貿易島」(大浦太郎)、「与那国沖死の漂流」(伊良皆高吉)、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(奥野修司)などがあります。ずいぶん読んだんだなあ、密貿易関連本。
さて、久々のブログもまたまたオキナワ本。「空白の沖縄社会史」です。
なんだかんだ言っても、沖縄本だけは少しずつではあるが読み進めているのダ! エラいだろ。
いや、バッカだろ、おれって。
・・・くそ。

著者は、1941年台湾生まれ、沖縄国際大学の社会学のセンセイです。
著者は、父親が台湾に出稼ぎに行き、勤務先で現地召集され、同行した家族は終戦翌年に沖縄に引き揚げてきたという過去を持っており、当書をしたためる契機の一つはこのあたりにあったのかもしれません。
戦後、与那国島を中心とした八重山と、台湾との間で行われたという密貿易について、実際に密貿易に関わった多くの人々から証言を集め、その実態を仔細に解き明かしています。いやはや、関係者の証言は、生々しくも痛快ですな。
話は、八重山・沖縄での密貿易のみならず、トカラ列島の口之島をルートとして行われた日本本土との密貿易や、沖縄本島で盛んに行われたという米軍物資のかっぱらい行為(これを「戦果を上げる」という)についても言及されていますから、戦後沖縄の混乱期の様子を詳しく知りたいという方はぜひ一読することをお勧めします。
沖縄人は、ともするとお人好し、のんびりという気質で語られることが多いですが、戦果と密貿易の時代に生きた沖縄人は、才知に長け、機敏で勇敢そのもの。ウチナーンチュのしたたかさがいかんなく発揮された時代だったようです。
ウミンチュとしての経験のない人までが、ボロ船に身を託し、一攫千金を夢見て盛り上がったこの時代は、苦難する中ではあっても、ウチナーンチュが最も生き生きとして輝いていた時代だったのかもしれません。
挿入されている写真もまた、注目度高し。当時の糸満ロータリー付近の写真や、赤ん坊を背負い頭上に配給物資を載せて家路を急ぐ女性たちの写真など。とりわけ後者は、身なりはきれいでなくとも表情がいい。
与那国島の密貿易時代を知るための必読書、という位置づけ。
密貿易に関してはこのほかに、「美麗島まで」(与那原恵)、「密貿易島」(大浦太郎)、「与那国沖死の漂流」(伊良皆高吉)、「ナツコ 沖縄密貿易の女王」(奥野修司)などがあります。ずいぶん読んだんだなあ、密貿易関連本。
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