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2008.03.02
「十九の春」を探して 〜川井龍介

沖縄音楽に興味を持つ者にとっては非常に興味深いテーマを扱った1冊。
琉球弧の各地に広がる歌々は、歌詞や曲調、うたの名前などが違っていても、そのルーツを同じくするものが少なくなく、このようなうたの変遷がどういう経緯によって生じたのかを読み解いていくことも、島唄を聴くうえでの楽しみのひとつになっています。
当書は、沖縄でうたわれる「十九の春」について、そのルーツを考察し、うたに刻まれた戦後史を追いかけていくというつくりのもので、それが単にうたを追うだけではない、著者の壮大な「心の旅」になっている――というところが読む者の感動を誘います。
奄美の唄者朝崎郁恵がうたう「嘉義丸のうた」を出発点として、昭和初期に本土でうたわれた添田唖蝉坊の「ラッパ節」を知り、それが与論島の「与論小唄」と関連があることを与論島民から聴き取り、これが八重山の悲恋歌やコザの「ジュリグヮー小唄」へとつながっていった――というストーリーで綴られています。
私は以前より、唖蝉坊「ラッパ節」が、九州の炭鉱に出稼ぎに出ていた与論島民によって与論島に持ち込まれてうたわれた「与論ラッパ節」となり、それが本島で「十九の春」としてうたわれるようになった――という仲宗根幸市氏の説が妥当であると考えていますが、これと、加計呂麻島で朝崎の父がうたっていたという「嘉義丸のうた」とどうつながっていくのかが、いまひとつ理解できていませんでした。
この本は、そのことについても明らかにしてくれるのかと期待して読んだのですが、その点については残念ながら明確な答えは出されていませんでした。
うたはしかし、「AからBへとうたい継がれる」というような一つだけの流れや広がりでは語れません。幾人もの名もなき人々によって、それぞれの思いが込められて、うたい継がれていくものなのでしょうから、数理的に解を求めるようにはいかないのでしょう。
歌詞などはもう、それこそ千差万別なはずです。むしろ答えなどないほうが、うたにロマンが感じられていいのかもしれませんね。
行間に、沖縄の民謡に関するエピソードが数多く織り込まれており、沖縄音楽ファンにとっては読みどころ豊富。いずれ再読してみたいと思わせるに十分な1冊です。
ということで、最後に蛇足になりますが、添田唖蝉坊の「ラッパ節」って、聴いたことがありますか? 私には、この曲が「十九の春」へと変貌していくなんて信じられないような、似ても似つかぬものに聴こえるのですが・・・。
しかし、♪ ここはお国を何百里 離れて遠き満州の・・・ というあの暗〜い曲調の軍歌「戦友」が、嘉手苅林昌の手にかかれば、まったく転調してしまい長調の曲となってうたわれるくらいに劇的に変化するわけですから、ウチナーンチュのもつうたごころというのは、なんちゅうか、奥が深すぎるというか、すごいのだなあと思いマス。
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