2008.02.28 浦添市内散策
 ここまで来てしまうと、もう公共交通機関を利用しての移動はちょっとむずかしい。
 歩くと時として足が痺れることもある持病の腰痛は、幸いにして疼いてくることはない。ん。引き続き歩いて行こう。

 次の目的地は、浦添市の史跡「当山の石畳道」だ。
 来た道をそのまま浦添城跡方面へとしばらく進んで行くと、「← 当山石畳道 90m」の標識が。その標識どおり小道を右に折れていくと、それはあった。
 三叉路の右手には、離島でよく見られるような土に雑草が薄く生えた緑色の道が切通しに沿ってある。それはかつての宿道がそのまま手つかずで残っているような印象だ。そして、左手のほうには、牧港川へと下っていく石畳のくねくね道が続いていた。
 おお〜、これは見事! 首里金城町の石畳とまではいかないかもしれないが、なかなか風情のある道構えだ。すぐ脇ではおじさんが畑仕事をしていたりして、観光地然としていないたたずまいがまたなかなかいい。



 浦添市の教育委員会が道の入り口に掲げている看板には、次のように書かれていた。
『この道は、首里城から浦添間切番所を通って宜野湾間切番所に至る「普天間街道」で、牧港川の谷間に長さ約200メートルの石畳が残っています。馬が転ぶほどの急坂で「馬ドゥケーラシ」と呼ばれていました。この道を通って国王は普天間宮に参詣し、また各間切の年貢が首里城に運ばれました。宜野湾間切が新設された17世紀後半に整備されたと考えられ、橋は大正時代に改築されました。』(一部省略)
 この道のかつての様子を想像してみる。

 その後、浦添大公園沿いを通って伊祖へと出て、そこからパイプライン通りをずい〜〜っと歩く。占領時代の名称がそのまま残っていて、この道の成り立ちがわかるというのも、なかなかいいではないか。
 これがまたけっこう長い。しかし、ひとつの通りを徒歩にこだわって制覇するというのも、意味がまったくないわけではないだろう。
 その後、少し寄り道して「内間の大赤木」を見てから古島へと出て、ゆいレールに乗っておもろまちへと戻ったのだった。

uchima.jpg  ←内間の大赤木

 朝から歩くこと、3時間半以上。15キロくらいは歩いたのではないか。
 確かに疲れはするが、歩くことによって、バイクや車では見ることのできない何かが見えてくる。それは、歩きながらいろいろと考えるからなのだと思うが、どうだろう。
 いずれにしても、これもまた好きでなければやってられないことなのかもしれないなあ・・・。おれはやっぱり好きなのだろうナ、こうやって意味もなく彷徨うことが。

 所要時間はほぼ予想どおり。フライト時刻にぴったり間に合う勘定だ。沖縄の地図を見れば縮尺がわからずとも大体の所要時間がわかるようになってしまった――ということに気づき、沖縄遍歴の長くなったことに思いをいたす。
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