8時半過ぎには芸能公演が終わり、劇場を出ようとすると、外は小雨。風もある。
 とうとう降ってきたかと舌打ちをしつつ、デイパックからハーフコートを取り出して着込み、折りたたみ傘をさして寄宮の島唄カフェ「いーやーぐゎー」へと向かう。
 夜のハーバービュー通りを初めて一気通貫で歩き、壷屋の十字路をさらに進んで店へ。

 2階にある店に入ってみると、島唄解説人で店のマスターの小浜司氏とママさん以外、客は1人もいない。ほほう、これはある意味、ラッキーかも。
 そう。雨の中ここまではるばる歩いてきたのは、コテコテの島唄をBGMにゆっくりとオリオンビールや泡盛を呑みたいからだけではなく、小浜氏と島唄談義をして、彼から島唄に関するいろいろなことを教えてもらいたかったからなのだ。

 さっそくカウンターに陣取り、民謡を聴きながら呑みたいと思ってやってきた旨を小浜氏に告げると、彼はそうかとばかりに少し相好を崩し、1969年のRBC民謡紅白歌合戦のDVDを取り出して見せてくれた。
 すごーい。沖縄が本土に復帰する前の貴重かつ垂涎の映像。年代を感じさせる多少画質のよくない白黒の映像からは、「動く」糸満ヤカラーズや、初めて見る喜屋武繁雄、まだ頭髪の残る玉城安定、現在のそれからはちょっと想像できない山里ゆきの表情、少年のような大工哲弘を従えてうたう若々しい山里勇吉、逆に今とほとんど変わらないように見える国吉源次など、びっくりするような映像が次から次へと飛び出し、ただただ感動。
 紅白両チームのトリは、嘉手苅林昌と瀬良垣苗子であった。この2人がトリを務める時代はこの後10年以上は続いたはずだ。

 山形では島唄の話ができる相手が身近にいないので、このときとばかりに小浜氏と話す。
 八重山の「弥勒節」と本島の「赤田首里殿内」の関係、本島の「スーリー東」と八重山の「パピル節」の関係、沖縄の女性たちに人気の田場盛信と神谷幸一のそれぞれのキャラクターの違いについての考察など。
 また小浜氏は、今年ビセカツ氏とともに島唄の歴史やエピソードなどについて綴った本を出版する計画であることや、ある専門学校で沖縄民謡に関する講座を持っていること、昨年の琉フェス大阪終了後に行われた「裏琉フェス」と呼ばれる打ち上げの様子などについて気さくに話してくれた。

 そして、明後日に「小浜司と行く歌碑めぐりツアー」という50人限定のバスツアーをやるのだが、1人キャンセルが出たので行かないかと誘ってくれた。これは願ってもない話なので、参加させてもらうことを即決。
 明後日は浦添市内を徒歩で散策し、午後から国立劇場おきなわで組踊公演を観る計画だったが、それはまたの機会にということにする。

 いやはや、山形にいてはとてもできない会話ができ、いろいろな話が聞けて大満足。すっかり泡盛にやられてしまい、タクシーでおもろまちへと戻り、たまたまやっていた屋台でオヤジとバカ話をしながらラーメンをすすり、日が変わった頃に宿へとたどり着いたのでした。

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(左:店の外観 右:店内の様子)
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