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 奄美のシマウタを聴いていると、奉公に出ていた気立てのいい娘が主家の旦那に思いを寄せられ、それに嫉妬した夫人がその娘をテッテー的にいじめ抜き、娘は非業の死を遂げる・・・といった哀しい内容のものがときどきある。コレはいったいナニなのかと。
 そんな娘の置かれていた境遇は、かつて奄美に存在した「ヤンチュ(家人)」という債務奴隷だったというのです。
 この本は、そんなヤンチュについて徹底解剖したものです。

 幕末期の奄美では、ヤンチュは人口の2~3割、集落によっては5割を占めていたというのですからオドロキです。
 奄美の負の歴史には誰も触れたがらないし、ヤンチュ制度の研究者も見当たらない。それならば、素人ではあるけれどもワタクシが、現段階でわかっていることだけでも書き残してやろうじゃないのということで立ち上がったのが、宇検村生勝(うけんそんいけがち)生まれで、南日本新聞社の記者をリタイアしたばかりの著者。いや~、立派! その気概に拍手を送りたい。

 ヤンチュのルーツや日常、豊かな衆達(しゅうた)層の状況、島民の抵抗の状況、ヤンチュにまつわるさまざまなエピソード、そして苦難の解放運動などについて、きちんと章立てして懇切丁寧に記述しています。

 結論として言えることは、藩政時代に薩摩藩が奄美で実施した植民地政策がヤンチュ大量発生の根本原因ということ。薩摩藩の台所は奄美の黒糖収奪で赤字財政から見事に立ち直り、余禄の一部は西南戦争の軍資金などに充てられ、明治維新へとつながっていく。

 いつも呻吟するのだが、薩摩はこうやって奄美や琉球を食い物にして歴史の表舞台へと雄飛していったにもかかわらず、その後の鹿児島県の離島政策をみても、いつも根底に「島差別」があるように思える。
 2009年は薩摩藩の奄美侵攻400年にあたる。奄美をはじめとした離島振興政策を本気になって考えてもらいたいものだ。
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