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 大城貞俊の作品を買い集めて読んでいて、今回は2008年の著作を10年後に読んでみたところ。
 あらすじはこんな感じ。

 沖縄戦も終わりに近い頃、米軍は沖縄本島北部のG村に野戦病院を設営した。
 ここには、重傷の患者が集められたが、多くはテントの中で次々と死んでいった…。
 戦後60余年、あの戦争は、どのように人々に刻まれているのだろうか。
 G米軍野戦病院跡辺りを背景に、今なお戦争に翻弄されて生きる島人の姿を描く。

 表題作のほか、「ヌジファ」、「サナカ・カサナ・サカナ」、「K共同墓地死亡者名簿」の4篇を所収。
 著者はあとがきにかえて、沖縄から書くことの意義を記しています。抜粋して次に移記しておきます。

 沖縄の地は、去る大戦で地上戦が行われ、兵士だけでなく、県民の三分の一ほどが犠牲になった。戦後も、米軍政府の統治下に置かれ、様々な辛酸を嘗めてきた。戦争という体験は、土地の精霊をも巻き込み、今日までも、人々の生き方を規制している大きな要因の一つになっている。
 沖縄の現在を考えれば考えるほど、この戦争体験を抜きにすることは出来ない。沖縄の人々の生き方を凝視すればするほど、死者を忘れない土地の特質に出会う。虐げられ、苦しめられ、悲しみの極致にいてもなお、死者との再生とも喩えるべき優しさを有している。私は私が生まれ育ったこの土地に、畏敬の念を感じると同時に大きな魅力を感じている。
 考えてみると、このことは、私が、生き続けることの要因の一つにもなっている。私は団塊の世代と呼ばれ、全共闘世代とも呼ばれ、学園民主化闘争と、政治闘争を、二十歳前後に体験した。さらに沖縄の地であるがゆえに、復帰・反復帰闘争や、反安保闘争のラジカルな洗礼を受け、生きることの意味を鋭く問いつめられた。
 私は、そんな中で、目の前に露見した状況に戸惑うばかりで、詩の表現を免罪符のように獲得して悩んでいた。自らの卑小な存在に、生き続けることさえ疑うようになっていた。「ぼくは二十歳だった。それが人の一生で一番美しい年齢だなどとだれにも言わせない…」と、ポール・ニザンの「アデン・アラビア」の一節を口ずさみながら。……
 私は、沖縄の地で生まれ、沖縄の地で育ったことを、表現者としては僥倖のように思っている。死者をいたわるように優しく葬送する一連の法事や、また沖縄戦をも含めて、死者を忘れない共同体の祭事やユイマール(相互扶助)の精神に守られて、私もまた、生かされているように思う。
 もちろん、それゆえに、抑圧的な権力や戦争に無頓着ではいられない。それは過去だけでなく、現在や未来にまでも繋がっていく視点だ。
 私は今、沖縄の地で生きる時間と空間の偶然性を宿命のように感じている。この地にまつわる矛盾や課題は、それぞれの方法で担う以外にない。この地で生きる人々の苦悩や喜びは、普遍的な苦悩や喜びである。戦争を描くこともまた、人類の普遍的な課題である。  平成二十年 春

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