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 「太平洋戦争中、地上戦で20万人以上の犠牲者を出した沖縄。本土復帰しても広大な基地は残され、米軍の起こす事故は後を絶たない。この連綿と続く構造的沖縄差別のルーツを解き明かし、本土の視線にひそむ欺瞞を仮借なく暴くことで、この国の歴史と現在を照らし出す。」
 「基地問題の根底に横たわるこの国の欺瞞を、闘う二人の作家が告発する!
  だれも傍観者、忘却者であってはならぬ――。
  沖縄問題は、ヤマトゥが糊塗した欺瞞そのものである。
  本質を射貫く眼差しと仮借ない言葉でこの国の歴史と現在を照らし出す徹底討論!」

 ほとんどケンカ腰の目取真俊がすごい。すご過ぎて、対談とは言いながら目取真が一方的にしゃべって空回りしているところがあります。沖縄の現実に理解を示そうとしながら話しかける辺見庸に対して、「現場に来てやってみろ」と目を合わせずに語る目取真――という構図です。

 共同通信社の企画により、2017年3月13日、共同通信社が本社にて行われた対談をまとめたもの。
 「はじめに」を目取真が、「おわりに」を辺見がそれぞれ記し、その間に「沖縄から照射されるヤマトゥ」「沖縄における基地問題」「沖縄戦と天皇制」「国家という暴力装置への対抗」の4つの章が挟み込まれています。

 この書のひとつの捉え方として、2018年1月7日の沖縄タイムスに掲載された白井聡・京都精華大専任講師の書評を以下に引用しておきます。

 先日、ある論壇誌の編集者と会話した際に、こんな嘆きを聞いた。「もっと沖縄の特集をやりたいのだが、沖縄特集と銘打つと売り上げ部数が如実に伸び悩む」。
 私もこの現状は皮膚感覚でわかる。沖縄の基地問題は、日本全体の問題であり、日米関係の矛盾の濃縮したかたちでの表れなのだ、という認識が本土ではいまだに広まっていない。
 だから政府は、「反抗的な」翁長県政を懲らしめるために、来年度の沖縄振興予算の削減を平気で行える。
 しかし、東京の政府が認識の広まりまで禁圧できるわけではない。茫漠たる無関心が、メディア関係者や知識人といった世論形成者をも「自然に」覆っているのである。辺野古や高江で基地建設反対運動の先頭に立ってきた山城博治氏が、不当な長期拘束からようやく解放されたとき、山城氏の主張をどの在京メディアよりもしっかりと取り上げたのは、あろうことか「星条旗新聞」であったことを知ったとき、本土の政府だけでなく市民社会も、現状では沖縄基地問題に対処する能力を持っていないことを私は確信した。
 辺見庸氏はこのような本土を、「思考力と記憶力と反抗心」を失った「愚民」の住む「クソみたいなところ」と容赦なく形容し、目取真俊氏の批判は日本政府はもちろんのこと、本土の沖縄問題への共感者にも向かう。自己満足を目的とした共感など有害無益だと。
 私が両氏と認識を共有するのは、本土の現状には何の希望も見いだせない、という点においてである。北朝鮮からの核ミサイルに備えると称して、頭を抱える訓練をしている人々の姿を見るがよい。社会的無関心と無知から生じた政治的幼児性は救いがたい水準に達しており、その姿に映し出されているのは社会の崩壊である。
 そして、沖縄問題への対応(正確には、対応能力の欠如)にこそ、この劣化が最も明瞭に表れている。本土の読者たる私は、このような腐敗物と沖縄はやがて手を切るだろうことを予測させる「警告」として、本書を受け取った。
 沖縄の読者に、本書は何を与えるだろうか。それは、ある種の覚悟や決意であるかもしれない。

 もうひとつ、日本経済新聞の簡潔な書評。

 ともに組織や集団を背負わない「単独者」として書き、発言してきた作家2人による対談だ。
 辺野古の海でカヌーをこぎ、基地建設への抗議を続ける目取真の現実に肉薄する言葉。目取真の小説が提起する「暴力」を高く評価し、身に引き受けようとする辺見の思考。国の名の下に行われる差別と暴力の構造、歴史を可視化する。

 辺見庸のプロフィールを記しておく。
 1944年宮城県生まれ。早大卒。70~96年共同通信社でハノイ支局長や編集委員。91年「自動起床装置」で芥川賞。94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞、2011年「生首」で中原中也賞、12年「眼の海」で高見順賞、16年「増補版1★9★3★7」で城山三郎賞を受賞。

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