沖宮から公園内を、クルマを停めているゆいレール奥武山公園駅方向に歩いてきたところ、「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と刻された碑を発見。ほほう、兵庫?と思って近寄ってよく見ると、それには「島田叡氏を縁とする深い絆」とも記されていました。

 そうか、終戦時に沖縄県知事だった島田叡ね。島田知事は、前任者の泉守紀知事が沖縄が戦地になることを予想して本土へ長期出張ばかりするなどまったくの逃げ腰だったのとは違い、沖縄県民のために決然として指揮に当たり、摩文仁の土となった人物で、今でも県民の絶大な人気を保っています。その島田は兵庫県の出身なので、このような形となって結実したということなのでしょう。
 碑の礎石には次のような説明書きがありました。

 沖縄がまさに激戦地になること必至の状況下の1945年1月、沖縄県最後の官選知事として、島田叡(あきら)は死を覚悟で決然と沖縄に赴いた。戦禍の中において県民を守るため、死を賭して尽力し、「沖縄の島守」として慕われる。最後は県民と運命をともにする。享年43歳(兵庫県神戸市須磨区出身)
 その島田叡知事の縁によりもたらされた至誠と信頼。そして尊敬を礎とする兵庫・沖縄の交流の歴史は、1972年「復帰の年」に締結された「兵庫・沖縄友愛提携」を機に一層深まり、数々の交流事業が展開された。
 かつてこの地には、兵庫県民から贈られた「兵庫・沖縄友愛スポーツセンター」があり、多くの若者・県民がスポーツやレクレーションを楽しんだ。
 このグラウンドは、スポーツをこよなく愛した島田叡知事が青少年の嬉戯する姿を思い描き、将来にわたって、なお一層の両県の「絆」が発展することを祈念して「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と呼称するとともに、両県の「友愛の証」とする。
  2015年6月吉日  島田叡氏事跡顕彰期成会

 島田を縁として、沖縄の本土復帰の年に「兵庫・沖縄友愛提携」がなされ、この地に兵庫県民から「兵庫・沖縄友愛スポーツセンター」が贈られた経緯があり、その側にあった多目的広場を「兵庫・沖縄友愛グラウンド」と改名した――ということのようです。碑の後ろにあるグラウンドがそれですね。
 1年半ほど前につくられた碑で、まだ新品です。

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 また、近くには「沖縄・兵庫友愛スポーツセンター跡地」の碑がありました。文章のほかに、在りし日の建物の写真とレリーフが添えられていました。その記載内容は次のとおり。

 沖縄・兵庫友愛スポーツセンターは、日本復帰後の昭和50年(1975年)6月、兵庫県民から「友愛の証」として沖縄県に贈られた。
 そして、スポーツやレクリエーション活動の拠点として、沖縄県のスポーツの振興に寄与するとともに、兵庫県との友愛の象徴として中心的な役割を果たした。
 沖縄・兵庫両県の友愛の絆が、より深く恒常的なものとなることを祈念し、ここに記念碑を建立する。
  平成21年3月  沖縄県教育委員会

 沖縄・兵庫友愛スポーツセンターは、建設から32年が経過して施設の老朽化が著しいことから、利用者の安全面を考慮して平成19年に閉鎖、21年2月に解体が終了しました。


 あわせて、この碑が建てられたことを報じる2015年6月28日付けの琉球新報の記事を、以下に付記しておきます。

奥武山公園に「友愛」の広場 島田氏顕彰事業
 沖縄戦当時に県知事を務めた島田叡氏の出身地である兵庫県との「友愛の証し」として、奥武山公園の多目的広場が「兵庫・沖縄友愛グラウンド」に改名された。広場横には記念碑が立ち、バックネットに看板が設置されている。改名は島田氏の顕彰事業の一環。
 改名を記念し、県還暦軟式野球協議会は27日、同グラウンドで70歳以上の選手ら45人による「古希野球大会」を初開催。3チームが参加しリーグ戦を行った。協議会の嘉納勝会長は「島田さんも喜ぶと思う。野球を通して恩返しをしたい。将来は80歳の米寿野球大会を開きたい」と話した。

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