沖宮は正直言ってイマイチだったかなぁという感想を抱きつつ、正式にはこちらが表参道だったと思われる石段を下りて園内道路へとたどり着くと、おやまあ、すんげえ立派な碑群があるではないか。
 これもまたノーマークでしたが、それは「船越義珍顕彰碑」。前日嘉手納で見た「チャンミーグヮーの碑」に続く空手系の碑の連続めぐり遭いはちょっとうれしいサプライズです。

 船越義珍については「義珍の拳」(今野敏著、集英社文庫、2009)を読んでおり、若かりし頃は来る日も来る日もナイファンチという基本の型を練り続け、後に「近代空手の父」と呼ばれるようになった経緯を知っていたので、思わずじっくりと見入ったところです。

 正面には「空手道松涛館流祖船越義珍先生の諭 空手に先手なし 沙門崇源 書」と刻された主碑がどどーんと。カッコいいなあ。そしてそのすぐ右隣りには次のように書かれた副碑が建っていました。

 空手道松涛館流祖、船越義珍先生は、明治元年10月10日沖縄県那覇市首里に生まれ、雅号を松涛と称した。唐手を安里安恒・糸洲安恒両師に学び、30有余年教壇に立ちながら沖縄唐手有志と広く交わり、沖縄尚武会を開き、沖縄唐手研究会に参じ、首里城で昭和天皇御前演武を指揮するなど、唐手の普及と統一に力を尽くした。
 大正11年体育展覧会で本土に初めて唐手を紹介、以来本土にあって請われて師範となり指導を行う傍ら教書を著し、唐手を空手に、後に空手道と改める。空は般若心経に依り、道は修業を意とする。
 昭和32年4月26日、88歳にして終わるまで、誘掖して倦まず。後に人びとは先生を「近代空手道の父」と称した。これは空手道を世界に布衍せしめたことのみをいうのではない。先生の道に対する人となりに依るのである。
 先生の50回忌にあたって国内外から有志が集まり、先生の遺徳を偲び功を彰かにして、ここに「船越義珍顕彰碑」を建立する。
  平成19年4月20日  沖縄船越義珍顕彰会

 おお、そうかそうか、2007年の建立ですか。こんなに立派な碑をつくった後進に、先生はきっと感謝していることでしょう。ということは、今年2017年は60回忌の年に当たるのですね。また、師は1868年生まれだから、来年は生誕150年ですか。

 主碑・副碑のうしろには、まるで摩文仁にある「平和の礎」のような沢山の名前が刻された4枚の石板が。これらには、碑の建立に賛同した空手道関係者などの名前が刻されていました。

 そして碑群のいちばん左側にもうひとつ、「松涛二十訓」が記されていたので、これも移記。空手の道の極意がここに凝縮されているということのよう。空手はかなりメンタルな武道だということがわかります。

 一 空手は礼に始まり礼に終わることを忘るな
 二 空手に先手なし
 三 空手は義のたすけ
 四 先づ自己を知れ 面して他を知れ
 五 技術より心術
 六 心は放たんことを要す
 七 禍は懈怠に生ず
 八 道場のみを空手と思うな
 九 空手の修行は一生である
 十 凡ゆるものを空手化せよ そこに妙味あり
十一 空手は湯の如し 絶えず熱を与えざれば元の水に還る
十二 勝つ考えは持つな 負けぬ考えは必要
十三 敵に因って転化せよ
十四 戦いは虚実の操縦如何にあり
十五 人の手足を剣と思え
十六 男子門を出づれば百万の敵あり
十七 構えは初心者に あとは自然体
十八 形は正しく 実戦は別もの
十九 力の強弱 身体の伸縮 技の緩急を忘るな
二十 常に思念工夫せよ
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