護国神社を離れて、隣接する「沖宮(おきのぐう)」に寄ってみました。名前はよく聞きますが、お参りするのは初めてのことになります。ずっと「おきぐう」と読むのだろうと思っていましたが、違っていました。

 道案内の立て看板に従って園内道路から左手にそれるスロープ状の道を進んで沖宮へ。こちらの道は裏参道にあたっていたようです。
 沖宮本殿はそう大きなものではなく、木造、琉球瓦葺の建物で、この時期だからなのかどうか、その手前の広場には野外ステージの雨除けのようなものが設えられていて、著しく景観を阻害しています。酉年生まれの人の厄払い祈願などが行われているようです。
 説明板によれば、沖宮は次のとおり。

沖宮御祭神
 天受久女龍宮王御神(てんじゅくめりゅうぐうおうおんかみ、天照大御神)
 天龍大御神(てんりゅうおおおんかみ)
 天久臣乙女王御神(あめくしんおとめおうおんかみ)
 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
 速玉男尊(はやたまおのみこと)
 事解男尊(ことさかおのみこと) 熊野三神

 末社(境内地内)住吉神社・弁財天宮・八坂神社・権現堂・祖霊舎

 琉球八社の一つ・沖宮の創立は詳らかでないが、源為朝公時代と琉球史料書にある。
 国家安穏・五穀豊穣・陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された。
 明治41年、那覇港築港の為、字安里に遷座。昭和10年、国宝に指定されるも、第二次大戦で焼失。戦後、沖宮創始の御祭神即ち霊水の根は奥武山天燈山御嶽と神示を受け、御神慮により昭和36年に通堂町に仮遷座、昭和50年8月現在地に御遷座。

 たくさんの神様が祀られている、いわば何でもアリのお宮様のよう。
 つまり沖宮は、創建当時は那覇港にあり、明治41年に琉球八社の一つ安里八幡宮の境内地隣域に遷座し、大戦で焼失したあとは通堂町へ仮遷座、昭和50年に奥武山公園内へ遷座し現在に至るということで、なんだか転勤族のような神様です。(笑)
 安里時代の古式ゆかしい本殿は伊東忠太の推挙により国宝に指定された経過があり、旅の無事を祈る琉球舞踊「上り口説」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ 親兄弟 連リティ別ユル…」とある「沖」は沖宮のことなのだそうです。
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