境内内には武骨とも思える「悲歌」を刻んだ碑もありました。これはどんな意図で誰がつくったものなのだろう。
 主碑の表面に粛然として刻ませていた「悲歌」は、次のとおり。

  遺骨だに まだ見ぬ人に たのまれて 泣き泣きひろう 沖縄の石

 その礎石には多くの人の名前が刻されており、協賛者には当時の内閣総理大臣佐藤栄作をはじめ各閣僚、石垣島出身で早稲田大学総長となった大浜信泉なども名を連ねています。
 後ろに回ってみて、建立者が日本民主同志会(中央執行委員長松本明重)で、昭和41年4月に建立されたものであることを確認。

 主碑の左奥には半円形の副碑様のものがあり、それには次のように記されていました。これはあとで建てられたもののようです。

献辞
 昭和23年(西暦1948年)秋以来平成元年(西暦1989年)までの間に、国民運動団体・日本民主同志会が90回にわたって沖縄参拝団を編成実施した慰霊渡行を継承し、沖縄を「日本の霊地」と定め、慰霊の心を平成大和の礎と確信し、創始者松本明重の悲願・沖縄慰霊渡行百回を達成すべく、毎年の秋に「沖縄の旅」を重ねて来た我等は、奇しくも戦乱の20世紀終焉の年に満願成就の時を迎えた。
 謹んで日本と日本民族の真の安寧と繁栄に基づく世界の大和を切願し、茲に赤誠を献じ奉り、我等が微衷を刻するものである。
  平成12年10月5日
   亜細亜スピリチュアル民族会議
   会長 多田容幸 識

 わかったことは、「日本民主同志会」が1948年から40年以上かけて90回に及ぶ沖縄への慰霊渡行をやってきたが、その後は「亜細亜スピリチュアル民族会議」その活動を継承し、2000年に100回の渡行を達成したと、こういうことですな。

 日本民主同志会は、右翼団体の位置づけのようで、松本明重は1914年生まれで、90年に死亡。松本の死去をうけて日本民主同志会は解散となり、同師の精神を伝える目的のもとに師の門下生だった多田容幸が設立したのが、「亜細亜スピリチュアル民族会議」のようです。

 護国神社には実にさまざまな碑があり、一面楽しめる部分がありますが、それらは戦争などによる死者・魂・負傷者に関わるものが多く、精神的には少し重いものがあります。

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