展示物を1時間弱眺めて外に出ると、おお、ほとんど雨が上がっている! よっしゃあ!ってな感じです。
 館長さん(?)から「外の奄美の民家も見ていってください」と言われたので、奄美文化センター前の一角にあるそれを眺めてみます。加計呂麻の管鈍(くだどん。行きましたね)の民家を移設したものなのだそう。
 見ていると、その奥、センターの建物寄りに銅像が立っています。今の自分はそちらのほうに好奇心が向いているので、早々にそちらを見に行ったところ。

 それは「大津鐡治氏之像」というものでした。
 礎石の側面にある銅板の刻された文章を移しておきます。

 大津鐡治氏(1914~1989)は、父・大津定吉、母・モトチヨの長男として名瀬市に生まれ、大島中学校、第七高等学校を経て、昭和15年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年旧満州国に奉職、昭和19年3月兵役。
 戦後はシベリアでの抑留生活の後、昭和25年6月復員。同年7月末、米軍政下の臨時北部南西諸島政庁に勤務され、奄美群島政府副知事をはじめとする数々の要職を勤め、奄美の祖国復帰にも尽力された。
 特に、昭和33年に43歳の若さで名瀬市長に当選、爾来7期28年間にわたり復帰後の荒廃した郷土名瀬市はもとより、奄美群島にも不朽の足跡を残された。
 これらの功績により、昭和62年4月勲三等旭日中授章(地方自治功労)の栄誉に叙されたのをはじめ、数々の表彰を受けられ、名瀬市においては平成2年3月、名誉市民に推戴された。
 ここに全国有志相はかり、大津鐡治氏の誠実、重厚な人格と深い郷土愛に基づく偉大なる業績をたたえ、氏が市長在任中心血を注いで建設された奄美文化センターの構内に銅像を建立する。
  平成4年5月14日
  大津鐡治氏銅像建立委員会
    会長 名瀬市長 成田廣男
    題字 山下為吉 書

 名瀬市長を7期もやった名誉市民なのですね。奄美の偉人はいずれも祖国復帰運動に尽力しています。
 ちなみに、奄美文化センターは、昭和62年(1987)3月竣工。上記の記述からすれば大津氏の市長在任期間は1958~1986年ですから、退任直後に完成したということになります。
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