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 「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」でメインシナリオライターを務めたウチナーンチュ、金城哲夫の生涯を、高校で一期先輩だった著者が書いたノンフィクションです。

 1992年に朝日新聞社から「ウルトラマン昇天-M78星雲は沖縄の彼方-」として刊行されたものを改題し、文庫として97年に発行されたのがこれ。
 そもそもこれを中古市場で買おうと思ったのは、「森口豁の沖縄日記」というブログを読んでのこと。
 沖縄に関わる諸問題を追求し続けている森口は、玉川学園高等部在学中に一学年後輩の金城哲夫と知り合い、それ以降、本土との間にある政治的・精神的分断に衝撃を受け、沖縄問題に深く関わっていくことになります。
 本書ではそのあたりの状況についても一定のページを割いて記述されています。

 金城哲夫は、1938年生まれの南風原町出身。那覇高校の受験に失敗して上京し、玉川学園高等部、玉川大学文学部教育学科を卒業。玉川時代に恩師・上原輝男の影響を受けて脚本に興味を持ち始め、一度帰郷した際には映画『吉屋チルー物語』を製作しています。
 1963年に円谷プロダクションへ入社、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』など、黎明期の円谷プロが製作した特撮テレビ映画の企画立案と脚本を手掛けました。
 順風満帆かと思われましたが、その後の『マイティジャック』、『怪奇大作戦』が低迷し、69年に円谷プロを退社。
 沖縄県に帰郷してからは、ラジオパーソナリティーや沖縄芝居の脚本・演出、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍しましたが、円谷プロ時代のような才能の輝きを見せるまでには至らず、アルコール中毒に。
 そして76年2月、泥酔した状態で自宅2階から転落、治療の甲斐なく、脳挫傷のため37歳の若さで死去しています。

 ウルトラセブンにはチブル星人なんていう頭でっかちの異星人が登場していましたが、名前の由来は沖縄の方言のチブル(頭)。こういうのも金城ならではのネーミングだったのですね。
 また、2012年末の沖縄ツアーの際に、国立劇場おきなわで観る予定にしていた琉球史劇「虎!北へ走る」は、金城が1974年に書いた芝居だったのですね。

 日本の高度成長期を光速のように走り抜けていった男。当時の状況を踏まえれば、彼はウチナーンチュという、本土では一種の異星人であったかもしれません。しかし、そうであったればこそ、本土の人間が成しえないさまざまなものの考え方や経験、行動様式などが、彼には備わっていたのではないでしょうか。
 そして、その彼を支えるよき理解者たちがいた、ということも大きかったでしょう。
 それにつけても、祖国復帰後に開催された沖縄海洋博という化け物は、沖縄の人間一人一人にも甚大な影響を及ぼしたものだったのですね。その功罪は十分に検証しておく必要があるのではないかと思います。
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