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 著者は、1944年東風平生まれで若くして上京、神奈川県で高校の教師を務め、2003年に退職。
 「沖縄戦で父を失い、更に兄もなくして、17才でふるさとを後に、住み込み店員として上京した筆者にとって、本土での43年間は、ただひたすらに「思郷」の一念ではなかったでしょうか。」と、作家・早乙女勝元は述べています。
 詩作、文芸、写真、平和活動、登山などに造詣が深い方で、2010年に逝去した模様です。

 2005年発刊の本。著者直筆のサイン入りの古書を11年後に1円+送料で入手しました。表紙の琉装の踊り手が印象的で、沖縄の書店では何度も手に取ったことがあり、この価格なら買わない手はないだろうと考えてのものです。
 沖縄へ里帰りするたびに著者には新たな発見や出会いがあり、それらを自らの詩と写真で読者と共感したいとの想いで、おそらくは自費出版でつくったものと思われます。

 詩の行間から想いを読み取るという作業は苦手なので、テキスト部分はあまり読まず、ぱらぱらとめくりながら主に写真部分を眺めてさらりと読み終えました。
 心を込めて読む気にならなかったというのが正直なところですが、その理由は古書の体裁があまりにもよくなかったからです。
 カラー写真を掲載する上質紙仕様の各ページが水分を吸って歪み、くっついてしまっているのです。それを丁寧に剥がすと、紙の表面には一面カビが……。こんなにひどい古書が送られてきたのは後にも先にも初めてのことです。
 各ページをティッシュで拭いて読みました。それでもカビ臭さは残り、ごわごわ。伝票の添え書きには「あとがきや奥付けに若干シミがあり、書籍に少しゆがみひずみがありますが、それでもよければ」……と。おふざけを言ってはいけません。出店者名を公表したいところですが、それは我慢しましょう。
 沖縄本は基本蔵書としていますが、これに限っては廃棄となるでしょう。

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 島旅ライターの第一人者による、「後世に残したい自然・文化を抱く40島」。
 以下、ウェブ書店の「内容紹介」を引用。

 海を越えてたどり着く「島」という環境は、まさに古き良き時代のものの宝庫。
 日本各地の有人島をほぼすべて踏破している著者が、日本の島々に息づく文化や自然の素晴らしさを見つめ、面白いもの、注目しておきたいもの、そして後世に残していきたいものを“島遺産”として選定しました。
 秘境中の秘境ともいわれるトカラ列島・悪石島の仮面神ボゼや、美しいフクギ並木のたたずまいを残す渡名喜島、そして世界遺産・屋久島の太古の森など、島という隔絶された世界であるからこそ守られてきたもの、そして時代の流れとともに変わりつつあるもの……、長年にわたって島を訪ねてきた著者ならではの視点で、その実情を見つめています。
 また、太平洋戦争で激戦地となった硫黄島をはじめ、軍艦島のかつての廃墟群、瀬戸内海にある四阪島など、一般には上陸できない島を訪ねた時の貴重な体験記も収録。
 原始的な祭りから、その島にしか咲かない花、島の恵みが与えてくれる“お宝”の数々など、「こんな日本がまだあったのか!」と、島国・ニッポンの奥深さを再認識できる1冊です。

 掲載されている島々のうち琉球弧関連は、登場順に以下の12島でした。
 黒島のプーリィ(豊年祭)、奄美大島の平瀬マンカイ/油井の豊年踊り、悪石島のボゼ、パナリ(下地島)の暮らしの痕、渡名喜島のフクギ集落、徳之島の石垣集落、北大東島の燐鉱石、西表島の森に響く音、諏訪之瀬島のサンゴ礁、屋久島の太古の森、竹島のデメタケ。

 写真もきれい。たちえば黒島のプーリィの写真は海岸の陽射しが八重山そのもので、すごく感じが出ています。
 こうして見ると、日本の民俗も捨てたものではなく、まだまだ見るべきものが多いと思ったところです。



 奄美大島観光物産協会が中心になり、奄美大島の各自治体と連携してまとめられた観光情報誌。
 「あまみっけ。」という奄美大島の観光情報サイトがあり、それがベースになっている模様。東洋のガラパゴスとも言われる奄美大島の美しさ、自然の偉大さ、豊かさ、そして唄い継がれている島唄を紹介するガイドブックになっています。

 「島唄と奄美大島」の記事が冒頭に置かれ、続いて、知れば知るほど好きになる奄美大島の魅力を8つのセクションに分けて紹介しています。それらは、美しい海、時を忘れるサンセット、手つかずの大自然、ここでしか会えない動植物、鶏飯をはじめとする郷土料理と食文化、大島紬などの特産品、様々なアクティビティ。第3章は、エリア別の観光スポットを紹介しています。
 最後のほうには、中孝介と元ちとせのインタビューと、それぞれのお勧めの場所や食べ物が載っています。

 魅惑的な写真と記事が満載なのに、公的機関が宣伝のために作っているので、555円+税と格安で手に入るのもうれしいです。
 読んでいてまた鶏飯が食べたくなりました。ヤンゴで飲むのもいいなあ。



 コシマキには次のような記載があります。
 「若き野戦指揮官と800名の部下の激闘。本土決戦のために捨て駒とされた戦場・沖縄での無謀とされた総攻撃。そのなかで任務を達成し、終戦の日まで闘い続けた唯一の部隊「歩兵第三十二聯隊第一大隊」の軌跡。沖縄戦の真実を描いた本格的ノンフィクション。」
 「太平洋戦争を通じ、米軍陣地を突破して目標に到達できた唯一の戦例、“棚原の戦い”。指揮を執るのは、幼いころから軍人を志した伊東孝一という青年であった。彼は士官学校在学中から軍の教育に疑問を持ち、苦悩しながらも、自ら考え、学び、戦場に立った。圧倒的戦力を持つ米軍を前にしてなお、旧来の戦術に固執する自軍の中で、彼はどのような判断を下し、いかにして部隊を率いて任務を全うしたのか―。気鋭の著者が、ロング・インタビューと手記をもとに描く本格的ノンフィクション。」

 「歩兵第三十二聯隊」は、霞城連隊と呼ばれた山形の連隊。おらがくにの連隊ということもあって、沖縄戦史に触れるたびに注視していて、糸満の「やまがたの塔」近くにある「歩兵第三十二聯隊終焉の地」の碑も見に行ったことがありました。
 そしてその大隊長・伊東孝一は、沖縄第32軍高級参謀八原大佐から 「日本軍で最も優秀な大隊長」 と称され、日本のみならず米国・英国などでもその戦闘は高い評価を得ている人物です。
 いったい彼はどういう人物なのだろうかと、興味を持って読みました。

 「恥ずべきことは、私が生き延びたことです」
 と、伊東は言った。卒寿をこえてもなお、多くの戦友や部下の死を背負ったまま、彼は生きているのだった。
 “大東亜戦争”は、やむにやまれぬ戦争だったと言う者もいる。
 しかし、この戦争は不毛だった。
 大隊長として米軍と直接に矛を交えた伊東は、そう確信している。
 しかし一方、この戦いこそ戦術家を志し、戦いに全身全霊を捧げた伊東の、青春時代の貴重な足跡なのだった。(「はじめに」から)

 著者は、1974年生まれの気鋭のジャーナリスト。太平洋各地の戦場だった地域を多数訪問して、日本の近現代史をテーマに執筆活動をしているとのこと。あまり好きではないゴーマン・グループのよう。
 著作には当書のほか「女ひとり玉砕の島を行く」(文藝春秋、2007)があり、これもストックしているところです。



 沖縄県の最高学府である琉球大学の独創的な知の蓄積を本に――。
 太平洋域、東南アジア、中国、そして日本も含めた経路に位置し、大きな流れを形成してきた沖縄の学と思想や、沖縄からの視点である「南からのやわらかいしなやかな智」を、現代社会に示したいとの観点から、平易にわかりやすく示したものとなっています。

 第1部は、南から読む歴史・文化・思想。「沖縄の「法」の見方」、「世界につながる沖縄の自治と未来」、「沖縄近代史を考える」、「移動する沖縄の人々」、「アジアにおける国際物流と那覇空港」、「沖縄の多言語社会を考える」、「漕ぎだそう、うちなあじあの海原へ」、「東アジア漢字文化圏と琉球」、「越境する沖縄の大衆音楽」、「宮古上布物語」。
 第2部は、南から見る地球・自然・人間をテーマとして、「ウルトラマンがいっぱい」、「亜熱帯沖縄の冬の寒さと動物たち」、「GPSで見た琉球弧のプレート運動」、「沖縄の空気」、「科学の力は若者に夢と希望を与える」、「地域の素材を加工する」、「南の島のインターネット」、「ニワトリいろいろ」、「沖縄の肉用牛」、「沖縄のヤギ」、「豆腐ようの歴史とサイエンス」、「遺伝子側からヒトと病気をみる」、「宿主と寄生虫の相互関係にみる共存の妙」、「南の腫瘍放射線医学」、「やわらかい国際島嶼保健」。

 自分の興味の赴くところに任せて本を選んでいるので、日頃ほとんど触れることのない自然科学系の読み物がむしろ新鮮。執筆者たちはものすごく気を遣って書いているようで、中学生でもわかるぐらいの言葉遣いですから、自分もそれなりに理解できます。
 このうち「豆腐ようの歴史とサイエンス」には触発されてしまい、訪沖時に豆腐ようを買ってきて、酒の友にしているところです。

 「やわらかい南の学と思想」シリーズはその後も続刊が発売され、現段階で「4」までいっているようです。



 「NPO現代の理論・社会フォーラム」の古川純という人物の編集によるもの。このNPOは、「一般市民を対象に、現代の理論状況の打開に向けて、機関誌の編集・発刊やウェッブ上でのマガジン発行などを行い、新たな理論構築と社会への提言、その普及に関する事業を行い、人々が文化的な生活をすることが出来る社会の実現に寄与することを目的と」しているのだそう。大仰な感じがしないでもありません。
 八重山出版界の雄「南山舎」のやいま文庫のNo.16です。やいま文庫シリーズはこれまでに何冊読んでいるのだろう。
 「「八重山の今」を考えるヒントがこの一冊には凝縮されている。尖閣問題、教科書問題、与那国と自衛隊、新空港の未来など、岐路に立つ八重山の現が、島の歴史や暮らし、祭祀芸能、台湾との関係などを背景に浮かびあがる。「沖縄」とひとくくりにできない「八重山」の特性が見えてくる。」――というもの。

 具体的には、島の歴史、台湾と八重山、島に生きる、祭祀行事と芸能、八重山の現在に分けられ、現在における「八重山の社会と文化」を考える内容になっています。
 「「オヤケアカハチ」の乱とはなにか」、「八重山の人頭税時代」、「明和大津波の痕跡を探る」、「竹富島の「うつぐみ」と祭り」、「波照間島の苦悩と誇り」、「尖閣列島をめぐること」、「八重山教科書問題の問題点」、「「夕凪の島」の著者大田静男の予言」、「新空港と八重山の未来」など、全25編。
 執筆者は、古川純のほか、島袋綾野、松田良孝、飯田泰彦、森永用朗、山根頼子、はいの晄、砂川哲雄、大田静男。
 現代の八重山を考える上でのひとつの基本の書と言っていいでしょう。



 1995年発刊の、ラジオ番組派生本。
 琉球放送ラジオで、平昼の時間から放送された人気番組「ふれ愛パレット」に寄せられたFAXや手紙をなどで構成されている本。ホントにいろんなものがごちゃまぜになって掲載されており、それぞれに脈絡がないので、めまぐるしいぐらいの内容になっています。

 20数年前の本をなぜ買ったかというと、いまや代議士としてよくテレビに出てくる玉城デニーのタレント時代を知りたかったから。
 与那城村(現うるま市)生まれで、父は沖縄の米軍基地の駐留兵士。ケースワーカー、ミュージシャン、営業マン、内装職人、PA会社社員、バンドマネージャーなどを経験して、1990年頃から放送業界へ。その後「ふれ愛パレット」のパーソナリティでブレークし、2002年9月、沖縄市議会議員選挙に無所属で出馬してトップ当選。05年9月の衆院選に沖縄3区から民主党公認で出馬して落選。09年8月の衆院選に再出馬して初当選。

 あるウェブページの対談で、ラジオDJをしていた頃から政治を考えていたのか?との問いに、「考えるわけないよ!毎日ロックンロール(笑) タレントとしてデビューしたのは30代くらいです。30代後半になって、将来自分が何をやりたいかと考えたときに、いろんな人たちに会って勉強をしたかった。そこでいろんなことを学んだ。本当はNPOを立ち上げて下支えをしたかったが、一度はタレントとして表に立ったのだから、最終的に表に立って政治家をやろうと思った。「二足のわらじだ」とボロクソ言われたり、「議員になって苦労しなくてもいいさ~」とも言われた。議員になってほしくないという人もいっぱいいたが、なにか世のため人のためにできるならと思って議員になった。」と答えています。
 沖縄県内に駐留するアメリカ軍基地の県外移設・撤去を求める一方で、アメリカ軍に代わる自衛隊による沖縄の防衛の必要性を主張している政治家です。

 なお、沖縄都市モノレール「ゆいレール」で流れる車内アナウンスは、日本語・英語共に富原志乃によるものなのだそうです。



 沖縄屈指の作家である著者が生まれ育ったのは、大宜味村大兼久。戦前は漁業の町で、南洋諸島のパラオやペリリューで戦死した人々が多くいる土地柄なのだそうです。
 団塊の世代に生まれた著者は、戦後70年を過ぎて、やっと戦争と向き合える時間を手にすることができたといいます。定年退職を迎え、父や兄が死亡した年齢を過ぎると、父が召集されたパラオのことが気になり、生まれ育った大兼久の戦死者のことが気になり始めたと、プロローグに書いています。

 「戦死者たちにとって、織り成されるはずであった人生の物語はどのようなものであったのだろうか。個々人にとってかけがえのない一つきりのその物語が奪われたのだ。(略) 戦後70年間、郷里のこの土地は、無念の思いで斃れていった人々の血と物語を吸い込んで、空を見上げ、雨に打たれ、風に曝されてきたのだ。運命と呼ぶにはあまりにも悲しいこの想定内の愕然とした事実が、私にこの本を書かせる動機になったと言っていい。」
 大兼久の戦死者一人ひとりに関することについて、著者は上記のような思いで丹念に聞き書きをしています。

 「沖縄タイムス」のページから、2016年8月に書かれた南風原文化センター学芸員の平良次子氏の書評を以下に引用しておきます。

 最近、戦災調査についていろいろ考えることがあった。体験者が話さずにはいられない、あるいは話したくない心境は、聞いている私の人生に大きな影響を及ぼすような気がしてきた。非体験者の私たちがその体験を知るか知らないかで、記憶や記録に残るか否かということだからである。本書を手にして、なんだか胸騒ぎがした。

 この本は沖縄に生きる私たちにとっての沖縄戦という歴史が、「あってほしい未来」に託す大切な人とのつながりや人と地域の歴史物語から教わることの重要さを刻んでいる。
 これまで私がとらえていた沖縄戦の記録や記憶の継承などというカテゴリーを超えていた。戦死者や戦死者とともに生きてきた人たちの記録であるとともに、その「戦争体験者」と現在を生きてきた戦後生まれの人たちを重ね合わせた「物語」であるのだ。
 また著者が地元の戦争体験記録を「私をも変革してくれた」と記されたように、あらためて親しい人たちの戦争の記憶に向き合った日記のようでもあった。

 私がこれまで読んだ戦争体験証言や記録と明らかに違うのは、語り手の言葉がカギかっこで書かれていること。それに聞き書きをする自分自身の感情、同行した人たちの様子をも含めて文章化されている点だ。それは戦争体験者の話をどのように受け入れているか、という記録でもある。
 戦争犠牲者(あえて本書はそう書かれている)の話を非体験者がどんな気持ちで受け入れたのかは、これまで読んできた戦争体験記録からはなかなか見えない事であった。主人公が体験者そのものだからだ。なるほど、聞き手、書き手の様子も同時に記録表現する、そういうやり方もあるのかと新鮮であった。体験者の声を常に聞き取る自分の生き方に反映させることを意識している、と思った。
 また沖縄国際大の田場裕規先生の解説は今後の沖縄戦の記録や伝える作業で意識したい重要なことを示唆してくれた。