1月7日から3泊4日で那覇に行ってきますが、そのスケジュールが概ね固まりました。
 琉球弧への旅はこれが通算49回目。このところ1年に1回しか行けない状況が続いており、沖縄は2015年5月に伊平屋島などを巡って以来(2016年は奄美・加計呂麻に赴いた)と、少し間が開きました。したがって、変貌していく那覇の街を確かめることも、今回の楽しみのひとつです。

 宿泊は3泊とも那覇。中の2日はレンタカーで本島を巡ります。
 初日は、おもろまちとその周辺。
 2日目は、高速で許田まで進み、ヒヤミカチ節歌碑(今帰仁村謝名)、豊年口説歌碑(今帰仁村今泊)、具志堅小唄歌碑(本部町具志堅)、我部平松之址の碑(名護市我部)、奥間東鍛冶屋跡・国頭間切番所跡(国頭村奥間)、大兼久節歌碑(名護市大中)、赤犬子宮(読谷村楚辺)、道の駅喜名番所(読谷村喜名)、天川の池の碑・野國總管像・喜屋武朝徳(チャンミーグヮー)顕彰碑(嘉手納町嘉手納)、野國總管の像(米軍施設カデナマリーナ入口と道の駅嘉手納の2所)、インディアン・オーク号漂着記念モニュメント(ハンビー公園)を見て回る考え。
 3日目は、天皇皇后両陛下の歌碑(那覇市沖縄県護国神社)、瀬長島ウミカジテラス(豊見城市)、「サワフジの詩」歌碑(西原町与那城)、てぃんさぐぬ花歌碑(沖縄市比屋根)、山内盛彬生誕120年記念「ひやみかち節」歌碑(沖縄市胡屋)、銀天街と照屋黒人街(沖縄市コザ)、真栄原新町(宜野湾市)などをレンタカーで駆け抜け、夕方は那覇のおもろまち~安里~牧志~桜坂~壺屋~農連市場~開南本通り~浮島通りあたりを歩いてみようかと。
 4日目は、いにしえの那覇に思いを馳せながら「旧那覇散策」。それらは、那覇四町といわれたあたりの薩摩藩在番奉行所跡、親見世跡、天使館跡、伊波普猷生家跡、東恩納寛惇生家跡、那覇市跡、円山号跡、仲毛芝居跡、松田橋跡など。

 食事も楽しむぞ。昼食で狙っているのは、本部きしもと食堂の沖縄そば、豊見城市海洋食堂の豆腐ンブサー、首里あやぐ食堂のたくさんのメニューからのチョイス。
 夜の飲みも、いくつかリストアップしていて、その日の気分によって決めようかと考えています。

 うーむ、日程はカンペキだ。
 心配なのは天気。寒波で飛行機が飛ばないなんてことはないよな。
 あとは仕事。旅に行けなくなるような突発事件や事故が起こらないことを祈るばかりです。

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(瀬長島ウミカジテラス)
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 2017年1月7日から3泊4日で那覇に行ってきました。
 琉球弧への旅はこれが通算49回目。このところ1年に1回しか行けない状況が続いていて、沖縄は2015年5月に伊平屋島などを巡って以来(2016年は奄美大島・加計呂麻島に赴いた)と、少し間が空きました。したがって、変貌していく那覇の街を確かめることも、今回の楽しみのひとつとなりました。

 事前日程としては、宿泊は3泊とも那覇。中の2日はレンタカーで本島を巡り、主として碑や像を見て回ります。
 初日は、夕方は那覇のおもろまち~安里~牧志~桜坂~壺屋~農連市場~開南本通り~浮島通りあたりを歩いてみようかと。

 2日目は、高速で許田まで進み、ヒヤミカチ節歌碑(今帰仁村謝名)、豊年口説歌碑(今帰仁村今泊)、具志堅小唄歌碑(本部町具志堅)、我部平松之址の碑(名護市我部)、奥間東鍛冶屋跡・国頭間切番所跡(国頭村奥間)、大兼久節歌碑(名護市大中)、赤犬子宮(読谷村楚辺)、道の駅喜名番所(読谷村喜名)、天川の池の碑・野國總管像・喜屋武朝徳(チャンミーグヮー)顕彰碑(嘉手納町嘉手納)、野國總管の像(米軍施設カデナマリーナ入口と道の駅嘉手納の2所)、インディアン・オーク号漂着記念モニュメント(ハンビー公園)を見て回り、夜は美栄橋あたりの居酒屋で南国の酒に浸る考えです。


(今帰仁村謝名)

 3日目は、天皇皇后両陛下の歌碑(那覇市沖縄県護国神社)、瀬長島ウミカジテラス(豊見城市)、「サワフジの詩」歌碑(西原町与那城)、てぃんさぐぬ花歌碑(沖縄市比屋根)、山内盛彬生誕120年記念「ひやみかち節」歌碑(沖縄市胡屋)、銀天街と照屋黒人街(沖縄市コザ)、真栄原新町(宜野湾市)などをレンタカーで駆け抜け、体力が続けば夜は再び沖縄のうまいもので酒を。

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(沖縄市照屋)

 4日目は、いにしえの那覇に思いを馳せながら「旧那覇散策」をしてみようか。それらは、那覇四町といわれたあたりの薩摩藩在番奉行所跡、親見世跡、天使館跡、伊波普猷生家跡、東恩納寛惇生家跡、那覇市跡、円山号跡、仲毛芝居跡、松田橋跡など。
 最後に、久々に波ノ上宮に詣でて、その後ろの公園にある各種の石碑をまとめ見するのもいいかもしれない。

 食事も楽しむぞ。昼食で狙っているのは、本部きしもと食堂の沖縄そば、豊見城市海洋食堂の豆腐ンブサー、首里あやぐ食堂のたくさんのメニューからのチョイス。
 夜の飲みも、いくつかリストアップしていて、その日の気分によって決めようかと考えています。

 どうです、かなりマニアックでしょ。これだけ何度も行っていると、巨視的だった観光目線がだんだんと地を這う蟻の日常目線に変わってくるものなのですよ。
 さて、日程はカンペキだ。

 1月7日(土)、冬の天気と、突発的な仕事が心配だったけど、それぞれ問題はなく、庄内から仙台空港まで2時間半のロングドライブをし、予定どおり那覇行きの直行便に乗り込んだのでした。
 それでは、旅の顛末についてドキュメントしていきます。
 那覇の1泊目はおもろまち。いつも利用する美栄橋駅至近のホテルが取れなかったための次善策です。
 那覇空港駅では沖縄県初の交通系ICカードとして登場した「OKICA(オキカ)」を3千円で手に入れて、ゆいレールでおもろまちへと直行し、ホテルにチェックイン。そしてただちに外出です。
 16時を過ぎているけど、さすが沖縄、真冬のこの時間でもまだまだ陽の光りは残っています。そして暖かい。もちろん外套はホテルに置いてきたけど、着ていたトレーナーは即脱ぎ。そして長袖シャツは肘上までまくりますが、それでも暑いぐらいです。那覇空港の気温は24度だと機内放送していたから、東北地方とは20度ほどの温度差があるわけです。

 まずは歩いて、那覇を体感しようという考え。
 おもろまち駅の東側に渡って、かつて「ハーフムーン」と呼ばれた戦略上の高地があったところを歩きます。丘はすっかり削られて、立派な車道ができています。那覇中環状線というらしい。その北側にはかつてハーフムーンがあったことを証する切通しがあり、その切通しに付けられた階段を上っていくと古くからの住宅地がありました。つまりは、階段の長さの分だけ掘り下げて、平らな道路を造成したことがわかります。
 ずいぶんと掘ったものだよな。でも、那覇ってこういうところがいっぱい。沖映通りの南面にあるナイクブ古墓群(というらしい)だって、いずれ削られてしまいそうな勢いだものな。


(沖縄ホテルの入口の門)

 その後は、松川の田崎病院前を通り、守礼の門のような門がある「沖縄ホテル」、坂下琉生病院、メディカルプラザ大道中央(旧大道中央病院)を過ぎて、沖縄そばの「真昼御麺」が健在であることを確認し、まだ夕方なのに飲んでいる人が大勢いる栄町市場内をうろついて、ゆいレール安里駅前からダイワロイネットホテルのある安里川親水庭園へ。
 そこから国際通りをドンキホーテ国際通り店前まで歩き、その裏に広がるスージグヮーへと迷い込みます。このあたりは初めて来たところ。「にぎわい広場」と名のつくちょっとした遊び場様のところがあったりして、そこからは「浮島通り」に出ました。

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(安里川親水公園。大開発済みの場所です。)


 那覇の通りの多くは“縦走”しているのだけど、なぜか浮島通りはまだだったので、ちんたら歩いてみることにしました。一方通行の道を車の流れとは逆方向に進みます。
 「浮島通り」は、戦後すぐから営んできた古い商店に加えて、流行に敏感な新しいショップが仲間入りして、新旧入り交じったチャンプルーな通りになっていました。
 かつての浮島通りは、ここに来ればどんな用事も済ませられるような地元民の生活を支える通りだったといいます。また、刃物店、塗料店、金物店などもあって、大工御用達の道具がそろう通りとしても有名だったのだそう。
 以前あった「浮島ホテル」が通りの名称の由来。平成になり「平成通り」に名称変更しようという機運もありましたが、馴染んだ通り名は変えられることはなかったそうです。それはよかったよねえ。

 ところで、浮島通りにはインプレッシヴな建物がいっぱい。そのうちの2つの写真を載せておきましょう。



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 その後は壺屋やちむん通りを流し、開南の旧仏壇通りが区画整理でほぼ絶滅したのを見届け、人気のなくなった農連市場をうろつき、市場本通りを通って牧志公設市場前を経由して、国際通りへ。
 あとは牧志からゆいレールに乗っておもろまちへと帰着しました。

 このぐらい歩けば、旅の初日としてはまあまあでしょう。結局のところこのまちまーいで歩いたことが靴擦れとなって後に禍根を残すことになるのだけれど。


 適度に暗くなってきて、そろそろ飲み方を開始したい。でもその前に、少し腹も減っている。飲む前に沖縄らしいものをちょっぴり食べておきたい。では、あれだね。
 ということで、タコスを食べに行こう。

 少し距離があるけれども、おもろまち駅の北方面、興南高校があるほうへと進んで、「Tacos-ya新都心店」へ。
 はじめにまっすぐ奥のカウンターへと進んで注文を入れ、支払いを済ませる仕組み。空いている席で待っていると、ほどなくして品々が運ばれてきます。

 ここはタコスを1個売りしてくれるのがいい。
 タコス2個とオリオンビール、180×2+400=760円。
 タコスは、上の1個は口が開いちゃっているけど、中身はこういうつくりになっていますということがわかる点では都合がいいです。キャベツの下にはたっぷりの肉が入っていますねぇ。
 チューブに入った卓上のチリソースをこれにぶちゅっとかけて食べれば至福。トルティーヤと具のバランスも適度で、手で持って食べても中から具が溢れてくることはありませんでした。

 オリオンビールは334ml入りの小瓶。このサイズって、初めてだな。
 ああ、おいしかった。まずはこの程度でちょうどいい。旅の立ち上がりに食べるものとしては上々ではないかな。

 そして、今夜の飲み処として考えていたのが、「吉崎食堂おもろまち店」。居酒屋なのに「食堂」を名乗るコンセプトがマイハートにぴぴっと来たところ。
 それなりに沖縄らしいものをつまみながら、多少の喧噪のなかに身を置いて、一人でゆっくりと飲みたい。そんな願望を叶えてくれそうです。

 おもろまちのメインストリートと言っていい、真ん中に散策スペースを持ち幅100mはありそうな都会の盛り場風。沖縄にもこういうところがあるのだなあ。
 その道沿いにある店を容易に発見し、ただちにトツゲキです。

 紳士淑女が集っているいい雰囲気の店。カウンター席に通されて、店のおにーさんと注文品を相談します。ハーフにもできますというので、島豆腐の厚揚げとラフテーをそれぞれハーブでお願いし、これに泡盛残波の1合を合わせてみたところ。



 揚げ物は基本時間がかかるものなので、はじめにサーヴされたのはラフテー。白髪ネギと辛子が添えられ盛り付けがおいしそう。ラフテーのつゆでつくった煮卵もこってりした味がついていて、とろりとしておいしい。カラカラには菊の露と書いてあるけど中身は残波ですとおにーさん。

 少し遅れて登場した厚揚げはご覧のとおり。薬味が豆腐の間にねじ込まれているあたりがユニーク。添えられた茶色の丸いものがおろし大根と醤油。たっぷりなのがウレシイ。
 生絞り法でつくられたと思われる、沖縄らしいしっかりした豆腐でした。
 なお、左上の小鉢は、カウンターで料理をつくっていたおにーさんがつっと出してくれたサービスの紅白タコなます。爽やかな酸味が箸休めに絶妙でした。

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 ああ満足。このぐらいで止めておくと後々楽になるだろうて。
 満足度からして会計は2,500円ぐらいかなと思ったけど、1,820円で済んでしまう。こりゃ、安いよな。

 さて、旅の第1日目はこの程度にとどめることにしようか。
 それにしても沖縄は暖かくてシアワセだ。そして、歩いている人たちは本土の地方都市よりもかなり若い。平均年齢にすれば20歳ぐらいは差があるのではないか。そうなのだ、ここは沖縄なのだよなあ。沖縄、サイコーだ。
 1月8日。今日も天気が暖かい。ホテルのサービス朝食ではコーヒーを飲むにとどめて、レンタカーカウンターの開店時間である9時前には、Tギャラリアへと歩いて向かいます。
 ここではもう10回ぐらいは借りているので誰よりも手際よくレンタカーをゲット。500円のガソリンクーポン付き、2日間で5,500円ならまあまあでしょ。
 ナビに「今帰仁村謝名」と行き先を入力して出発。西原から高速を使って軽快に進みました。

 今帰仁村謝名の「ヒヤミカチ節歌碑」が最初の目的地。
 概ね1時間半後には目的地周辺に着き、謝名売店のところから国道505号線を北側に曲がって農道を300mほど進むと、右側に発見! あたり一面畑や荒れ地となっているところにゲートボールができる程度の広い砂地の空き地があり、そこに歌碑と銅像があります。なぜこんなところに?
 農道沿いには「平良新助翁生誕地」の看板が出ていたので、ここがズバリ、生誕地なのではないかな。



 下調べによれば、歌碑と銅像は平成27年11月建立。
 「ヒヤミカチ節」は1953年、今帰仁村出身の平良新助がロスアンゼルスから帰郷した際、故里沖縄の惨状を目の当たりにし、人々に希望と誇りを取り戻そうと歌詞を書き、その志に共鳴した山内盛彬が作曲したものなのだそう。
 その平良新助なる人物は、1876~1970年。初期移民の実践者で今帰仁村謝名生まれ。一時、当山久三らと自由民権運動に参画するが挫折。1901年ハワイへ渡航。カリフォルニアで農業やホテル経営で成功したという人物です。

 平良新助にまつわるエピソードとして2つ。
 金武町では、大正13年に沖縄初の鉄筋コンクリート造の学校、金武小学校が完成した。この総工費の20%は海外同胞の基金によるものであり、平良新助が中心となって集めたものだった。
 昭和6年、当山久三銅像建立と、その裏手に立つ記念会館建設の費用となる北米からの寄付金集めに尽力したのも新助だったという。

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 まずは「ヒヤミカチ節」の碑。

 ひやみかち節
 七転びくるで ひやみかち起きて わしたこの沖縄 世界に知らさ
 作詞 平良新助
 作曲 山内盛彬

 次に、「平良新助翁之像」。小柄で愛嬌のある体つきをしています。それに丸眼鏡ですから、シルクハットをかぶって気取ってみたところでそのかわいらしさは消えません。
 台座の左側面には、琉球新報社の賞状。
「賞状 平良新助殿
 あなたははやくより沖縄の社会経済の状態から海外移民の必要性を説き、率先ハワイに移民され、先駆者として辛苦によくたえて沖縄海外移民の基盤をきづき、移民県としての郷土沖縄の名声を高められました。その功績は大なるものがあります。
 茲に文化の日にあたり琉球新報社賞を贈りその功を賞します。
 1965年11月3日 琉球新報社」
 また、左側には、叙勲状。
「日本国天皇は、平良新助を君六等に叙し、瑞宝章を授与する。
 昭和45年4月29日、皇居に置いて璽をおさせる
 (大日本国璽の印)
 昭和45年4月29日 内閣総理大臣 佐藤榮作
            総理府賞勲局長 宮﨑清文
 第1845592号」

 ヒヤミカチ節は今や沖縄を代表する民謡のひとつになりました。登川誠仁がうたうヒヤミカチ節なんかは、渋かったよなあ。
 ♪ 我んや虎でむぬ 羽根付きてぃたぼれ 波路パシヒック 渡てぃなびら
 だものなあ。
 このうたのサビのところを「ヒヤー、ヒヤー・・・」としまりなく歌ってはいけないと語っていたのは照屋林助。「ヒヤッ!ヒヤッ!」とうたうのが正しいのだそうです。
 「ひやみかす」というウチナーグチで思い出すのは、沖縄闘牛の勢子が牛にかける「ディーヒャー!!」という煽り声。あれは闘牛をがんがんヒヤみかしているのだろうな。点けていたカーラジオでは勢子の誰々さんの掛け声のモノマネというのをやっていて、これが沖縄らしくてすんごく面白かったぞ。
 ヒヤミカチ節については後にもうひとつ、沖縄市にある「ひやみかち節」歌碑を見に行くことにしていますので、乞うご期待。


 「具志堅小唄歌碑」が具志堅区事務所前にあるというので、行ってみたところ。
 具志堅は、国道505号を今帰仁村側から進んで本部町に入った最初の集落。具志堅区事務所は建物入口に「具志堅地区公民館」と記されています。
 歌碑はその前庭に、誰かの亀甲墓ででもあるかのように基礎をコンクリートで固められて鎮座していました。

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 「具志堅小唄」ってどんな唄なのか詳しく知らないのだけど、この地、具志堅を誉める唄には違いないでしょう。
 碑に刻まれた琉歌は、次のとおり。

 志堅く 具えたる村名 昔名ぬ朽たん 一致すらな

 仲里甚次郎の詠によるもので、「具志堅」を織り込んだ名歌になっています。仲里甚次郎サンの詳細は不明。
 下部の副碑文は、具志堅小唄の歌詞が刻まれていました。作詞・上間清英、作曲・亀谷朝仁とあります。

 幾世重ねてん 具志堅ぬ村やヨ 変ることねさみ 人ぬ情
  (囃子)サー村ぬ情き 思い深さヨ
 村ぬ氏神や 御城に崇みヨ 御万人の栄い 祈る嬉りさ
 肝持ちぬゆたさ 乙女色清らさヨ 水ぬ花咲ちゅる 大川でむぬ
 だんじゅ豊まりる 具志堅ぬ田圃ヨ 黄金色稲や 畔(あぶし)枕
 しんぶとに登て 我した島見りばヨ 昔偲ばすさ 住賀までん
 大島新島と 佐賀屋三部落ヨ 互に手ゆ取やい 栄て行かな

 美しい詩ですね。こんなところがあるのならば住んでみたい、と思う。
 今帰仁、本部は本当に歴史のあるところで、古くから有能な人材を輩出してきた土地柄。このあたりを掘り下げれば興味深いことがたくさん出てきそうな気がします。

 2000年5月に、具志堅之碑建設委員会によって建立されたもののようです。
 次は「豊年口説」の歌碑。
 今帰仁村今泊の今泊公民館前にあるようで、これは遭遇するのにそう難易度は高くないのではないか。
 行ってみると、今泊集落はメインストリートの国道505号に面していず、そこよりも1本北にある集落内道路が中心のようでした。
 その道、一目見てわかったけど、これはかつてマーウイ(馬追い)と呼ばれた馬場跡に違いありません。200mほどが直線になっていてそこだけ道幅がだだっぴろいのです。そしてその中ほどに、神アシャギと立派なコバテイシの木を備えた公民館が。絵に描いたような集落の中心地です。

 でもって、たまたま公民館前の広場でやっていたのが「第11回 山いもスーブ」。つまりは山芋栽培者たちがつくった大きな山芋を持ち寄って、誰のつくったものがいちばん立派かを「勝負」する大会だったようです。作業服を着た大勢の関係者で賑わっていました。



 でかい公民館だし、正面の木もでかい。その木の下に、豊年口説の歌碑がありました。

豊年口説抜粋
 今帰仁城に 上て見ちゃりば 誠昔ぬ 御ひざ元さみ
 松の枝々 栄え茂りて 何時んときわぬ 緑さしすい
 流す小枝に 鷺と烏ぬ 巣ゆ替え
 小枝を枕に 月ゆ眺むる 四方の原々 作い数々
 村んうぬじと 栄え繁昌 富貴長命 あぬ家んくぬ家ん
 乗馬立てとて 遊びかじぐと 馬場乗い立て 遊び楽しむ
 誠昔ぬ 盛なる御世の 巡り逢うたさ 芽出たや芽出たや

 これの意味はというと、大意、北山城(今帰仁城)の御ひざ元のめでたい所、そこは常盤なる松の木が緑を湛え、鷺と烏が巣を作っている。そして四方の畑には一杯作物が実っている。人も鳥も大らかに暮らしている――といったところ。
 口説なので七五調。なので、ヤマトめいたキレとリズムがあります。

 この碑、昭和48年8月18日の竣工で、少々古くなっています。

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 今泊(地元ではエードメーと言うらしい)公民館周辺の状況をもう少し。
 公民館前には案内板があって、「今泊集落の概要」が記されていましたので、以下に移記しておきます。

 今帰仁と親泊が合併し今泊となる。そのため二つの神ハサギが統合されることなくある。今帰仁グスク(国指定)を抱えた字である。親泊は立派な港に由来する名称であろう。
 今帰仁グスクは世界遺産に登録され、沖縄の歴史の北山・中山・南山が鼎立した時代の北山王の居城である。麓の今泊の集落は福木に囲まれ、落ち着きを見せている。集落のほぼ中央部を東西に走るぷみちー(大道)は馬場跡である。その中央部にコバテイシ(県指定)の大木があり、付近は豊年祭の会場となる。
 麓に今帰仁ノロ殿内があり、かつては今帰仁村・志慶間村の祭祀を掌っていた。

 コバテイシの大木は、写真のとおり。
 「天然記念物 今泊のコバテイシ 昭和31年10月19日県指定」の石製説明板があり、次のとおり記されていました。

 コバテイシは、シクンシ科に属する熱帯性の高木で、葉は半落葉性で、小枝の先につき、20~30cmで大きい。果実は3~6cmで、緑色または赤味を帯び海水に浮かんで漂流します。
 今泊のコバテイシは、樹高約18m、胸高周囲4.5mで推定樹齢は300~400年で、地元では「フパルシ」と称えています。
 本種は、幹が大きく成長し輪生している枝は水平に拡がり、樹形が美しく部落の集合場や墓地などに植えられています。特にこの地のものは、古来名木として
  親泊のくふぁでさや 枝持ちの美らしさや わやくみの妻の 身持ち美らしさや
と歌われ、以前はこの樹の下で豊年踊りや競馬が行われ、また、区民の集合の場になっていました。

 エードメーの古き良き時代が偲ばれますね。「フパルシ」とは、クワディーサ(コバテイシ(古葉手樹))の今帰仁言葉だそうで、クワディーサは人の泣き声を聞いて成長するともいわれているとのことです。

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 ちなみに、神アシャギはこんな感じ。前にある石が、「今泊集落の概要」を記した案内板です。
 しかし、神アシャギを駐輪場代わりにする不届きなヤツがいるのだな。
 山芋スーブに来ていたオジサンから声をかけられ、ひとしきり話しました。普段は今帰仁グスクでボランティアガイドをしているとのことでした。


 時間は11時20分。おっと、そろそろ昼メシだ。今日は朝メシを食べていないからな。
 朝を抜いて食べようとしたのは、「きしもと食堂」の沖縄そば! この地に来たならわざわざ遠回りしたって寄りたい店なんだもんね。

 きしもと食堂はもともと本部町の町内にあり、そこが有名でしたが、町からはなれた伊野波地区に新店をオープンさせ、こちらのほうが広いし無休なので、観光客の皆さんなどにとってはこちらがメインになっている模様です。
 町内の店で沖縄そばを食べたことがありますが、それはまさにホンモノ。そのときは、つゆを一口飲んで、相席になった見ず知らずのカップルに向かって思わず微笑んでしまったことがあります。微笑まれたほうはさぞ気持ち悪かったことでしょうが、ホントは「んまぁ~い!!」と言ってしまいそうなのを必死に堪えていたわけです。

 で、こちらの伊野波の店は今回初訪問となります。
 岸本そば小、500円。
 ダシから漂ってくるかつお風味がたまりません。小さい器ですが、量はわりとある感じ。
 このすばらしいダシにコーレーグースを入れてしまうのはいかにも惜しいので、それは使わないことにしました。
 やんばる地方のものらしい太い麺。ホンモノの沖縄そばは噛んで食べるものだとの思いを強くします。首里そばなんか、よく噛まなきゃ飲みこめないぐらいだものね。
 トッピングの沖縄かまぼこと三枚肉は、本部町内のきしもと食堂と同じもの使っていると思われ、いずれも懐かしウマイ。
 醤油味が微妙に強いかなと感じましたが、こちらの支店でも伝統の美味さは健在で、大満足でした。

 あ、じゅーしー(250円)も頼めばよかったかなー。それだってゼッタイうまいはず。
 でも、ここでたくさん食べてしまうと後が続かなくなるので、まあよしとしましょう。