ちくま文庫の233ページもの。
 初出は1981年といいますから、今から35年前に筑摩書房から発刊され、その5年後の1986年に文庫化されたものを、このたび古書市場から入手したものとなります。

 戦後36年、基地と観光の島と化してしまった沖縄で、女であるがゆえに負わなければならなかった過去に口を固く閉ざし、沖縄戦の深い傷痕をかかえて生きてきた女たちが、ひとりひとりの命こそが宝である世の中を願って、いまその胸のうちを語る。――といった内容のもの。
 これは読まなければならないでしょう。

 著者の真尾悦子(ましおえつこ)は、1919年東京生まれ。主な著書に「たった二人の工場から」「土と女」「地底の青春」「海恋い」「沖縄祝い唄」など。夫の倍弘は詩人。90を過ぎ、眼が見えなくなって介護老人ホームに入っていたようですが、2013年に亡くなられたようです。

 『3年余のあいだ、私は沖縄戦に遭った女の人をしつこく訪ねて、つらい体験を思い出させてしまった。いっそ、狂ってしまいたかった、と述懐した人もあった。いまでも、当時の恐怖から抜けられないでいる人たちなのである。
 何という罪ぶかい所業か、と己れを責める一方で、私はどうしても聞きたいという心の昂りを抑えられなかった。人間が殺し合う、愚かな戦争を、二度としてはならぬ、と痛いほど歯を噛み合わせてあるいた。
 沖縄の人は口が重い。しかし、何べんも会っているうちに、まるで門中の一人ででもあるかのように、家庭料理を振るまい、打ちとけてくれるのであった。』(「あとがき」より引用。)

 戦争体験をした一人の女性は語ります。
 「いまごろになって、ヤマトの人に戦争の話をしてみても仕方ない、と思って、ずいぶん考えたんですけどねえ。・・・これはもう、実際に遭った者でないと無理なんです。わたしが、戦争の夢を見てよくうなされるもんですからね、主人が、キミ、いつになったら忘れられるのかって可哀そうがりますけどね。生きているかぎり、あの恐ろしさはどこへも消えません。死ぬまで、わたしにとっての戦争は終らないんだ、とそう思っています。」(本文より)

 ヤマトンチュに戦争の話をしても仕方ないと思うのは、距離が離れていて理解できないということではなく、ほかならぬ「加害者」に対して話すことになるからであり、そういう思いは沖縄戦を体験した大多数のウチナーンチュが抱いていたのではないでしょうか。
 戦争の犠牲者になるのは、いつも弱い立場にある人たちなのです。
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 自民党一筋で来た男・翁長雄志(現沖縄県知事)はなぜ、ここに来て自民党政権と激しく対立するようになったのか。彼を突き動かすものは何か。
 思えば翁長ほど顔つきが変わった男もいないのではないだろうか。
 私たち本土の人間は、カチャーシーを沖縄の人々と同じように踊ることはできない。しかし両手を左右に揺らして舞う人々の姿から、目を離さないでいることはできるはずだ。 (まえがきより)

 翁長知事の父・祖父と沖縄戦の関わりを中心に、本土・沖縄・米軍それぞれの肉声に深く迫りながら、問題を浮き彫りにし、未来を探る。――という、翁長一族と沖縄の物語です。
 祖父は息子の眼前で戦死。苛烈な沖縄戦を生き抜いた父は、遺骨収集に奔走し、米軍政府と対峙しました。翁長知事を突き動かす苛立ちの根はどこにあるのか。一方で、米兵たちはいまの沖縄をどう見ているのか。
 このあたりが論点となります。

 著者は、1960年生まれ。84年にTBSに入社し、2014年「フェンス~分断される島・沖縄」で第40回放送文化基金賞テレビドキュメンタリー番組優秀賞している方です。15年から「週刊報道LIFE」のメインキャスターを務めているとのこと。

 沖縄タイムスの書評(一部)を以下に引用。

 沖縄で起きている問題の本質を「本土」に伝えるのは容易ではない。在京メディアの一線で長年、悪戦苦闘してきた著者であればなおさら、そのハードルの高さを身に浸してきたはずだ。
 「本土」の空気も、大手メディアの組織の論理も熟知している著者は、「定型化している沖縄報道を何とかできないものか」という、「自分も含めた本土メディアへの強烈な不満」を抱いていた。
 翁長雄志知事が本書の主人公だ。
 「辺野古」を巡って政府と対峙する翁長知事は、著者にも容赦ない言葉を浴びせる。「あなたたち本土の人間は」。インタビューの折に触れて翁長からこう言われ、その都度、著者はたじろぐ。
 「翁長と話していると、自分が本土の人間であることを否応なく思い知らされる」。著者は内面を率直に吐露しながら、翁長の言葉の裏や内奥に何があるのか自問自答を繰り返す。そして、こんな心域に達する。
 「私を含め、本土の人間に、沖縄県民の心の襞がわかるとは思われない。しかしわかろうとすることなしに、どうして基地問題を解決することができるだろうか」

 本書は、翁長知事を生んだ翁長家三代の軌跡を追いつつ、沖縄の戦後を浮き彫りにしていく。筆圧の強さを感じるのは沖縄戦に関する記述だ。現在に連なる基地問題と沖縄の人々の精神性を考える上で、「沖縄戦」は避けて通れない。そう確信した著者はこう記す。
 「翁長家三代の歩みは、まさに沖縄の戦後そのものと言ってもいいだろう。そしてその戦後はまだ終わってはいない」

 強く印象に残った一文がある。
 「本土の人間はいつまで沈黙を続けるのか」
 本土の人間でありながら本土の人間の「醜さ」「狡(ずる)さ」に辟易する。評者が沖縄にいた17年間、そして東京で暮らす今も感じ続けている、己と周囲へのいら立ちを、本書の著者とならば共有できそうな気がしている。
(渡辺豪・元沖縄タイムス記者)

 これを読んで、翁長知事の過激とも映る様々な行動に秘められた核心部分がようやくつかめたような気がしました。


 榕樹書林がじゅまるブックスの1冊。がじゅまるブックスはこれまでに10冊発行されており、このうち自分が読んだものは、「歴史のはざまを読む―薩摩と琉球」、「琉球王権の源流」、「琉球の花街 辻とジュリの物語」、「沖縄のジュゴン―民族考古学からの視座」で、これが5冊目になります。

 宜野湾市は戦後、中央に普天間基地が整備され、その基地を取り囲むようにドーナツ状に形成された都市。かつて基地内にあった集落は外に押し出され、基地によって国道58号線沿いと330号線沿いに街が分断されてしまいました。
 そのような中で、戦後の地域の再生の一環として青年達によるエイサーが自主的に組織され、地域づくりの大きな力になってきたといいます。
 本書には、宜野湾市内の各エイサーが、どのような経緯でつくられ演じられるようになったのかが各区ごとに詳細に記録され、昔の様子から現代に至るまでの多数の写真とともに、エイサーにかけた青年達の想いが綴られています。

 2007年時、宜野湾市では18の行政区でエイサーが行われていましたが、2015年現在では20の行政区のうち15区でエイサーが行われているとのこと。それらのほか、すでに消滅、合体などによって今はないものも含め29のエイサーが、この本では紹介されています。
 それらは、野嵩、野嵩一区、野嵩三区、普天間一区、普天間二区、普天間三区、新城区、安仁屋、喜友名区、伊佐区(伊佐)、伊佐浜、大山区、宇地泊区(宇地泊)、大謝名区、大謝名団地、嘉数区、佐真下、真栄原、真栄原区、我如古区(我如古)、長田区、宜野湾区(宜野湾)、愛知、神山、愛知区、赤道、中原、上原、中原区。

 過去を振り返ると、沖縄市のエイサーを詳細にまとめた「エイサー360度」(沖縄市企画部平和文化振興課編、那覇出版社、1998)という、エイサーを語る上では欠かせない秀逸な書籍がありましたが、本書はこの体裁に近いものがあります。いわば、本場沖縄市の「エイサー360度」の宜野湾市版と言っていいと思います。
 こういうものをたとえばうるま市や北谷町などもつくって、エイサーの全貌が明らかになれば楽しいのではないでしょうか。

 読んでいて感じたのは、2000年の初頭頃に燃え盛ったエイサー熱は、今も健在とは言いながらも、地域靭帯の希薄化や、沖縄とはいえ少子化も進んだことにより、勢いとしては少し下がり気味なのではないかと感じたこと。そのあたり多少心配なのですが、実際はどうなのでしょうか。
 少なくとも本土側から見て言えることは、エイサーほどカッコいい民俗芸能はそうあるものではありません。大太鼓の低音や締め太鼓の躍動感、ネーネーたちのたおやかな手踊り、旗ムチャーの力強さ、チョンダラーのひょうきんさなど、どれをとっても若者感がびしびしと伝わってきます。それに、練習もハンパではないのでしょう、内地のそんじょそこらの伝統芸能のレベルとは熟練度がてんで比較になりませんからね。

 というわけで、読んでいて面白いし、未来へとつなぐ記録書としても価値のあるものになっていると思います。

 ところで、沖縄の旧盆には久しくお邪魔をしていませんが、エイサーの道ジュネーやオーラセー、ガーエーを見たくなったなぁ。与勝半島方面のエイサーの遊び庭での演舞や、まとめ見ができる沖縄全島エイサーまつりもいいんだよなあ。
 よーしぃよーしぃ、今は我慢だが、リタイアしたら沖縄に長逗留するなどして、必ず見に行くことにしよう。


 2016年に読んだ沖縄関連本の49冊目。

 『那覇市街。観光客で賑わう繁華街の裏路地に、あやしいおっさんの影が三つ。これを「路地裏の三バカ男」と呼ぶ。三バカたちは観光地化した沖縄の風景に飽き足らず、よりディープな沖縄の姿を求めて今日も街を彷徨い歩いていた。観光客でごった返す大通りを尻目に、三人が見つめるのは、路地裏に広がる戦後の風景だった。
 いつも見慣れた景色も、知っているはずの街角も、少し視点をずらしてみれば、あっというまに姿を変える。沖縄の古層と戦後の歩みが幾重にも折り重なった、ディープ沖縄ツーリズムにようこそ。』

 『沖縄の本当の歩き方、教えます。
 文化遺産からB級穴場スポットまで。基地問題から歓楽街まで。沖縄そばの隠れた名店から美味しい地元食材の市場まで……。沖縄本島を味わい尽くすにはこの一冊!
 決定版ディープ沖縄エッセイ&ガイドブック!
 巻末に社会見学マップと紹介スポットのリストを収録!』

 ――などと紹介されている本です。
 かつての沖縄は、本土から見るとエキゾチックな面があると思ってよく観察すると、どうもそれは日本の原風景のような感じがし始めて、不思議な土地柄だったものです。しかしこのごろは日本としての社会的画一化が進み、沖縄らしいところがどんどん失われています。
 そんな世情を憂い、沖縄らしいところを根掘り葉掘り探し始めたのが、実は彼らなのではないか。そして、そうでもしなければ沖縄の神髄は見えなくなってしまったということなのではないか。

 それにしても、好きこそナントカと言うけれども、よくそこまで入り込んで調べたもの。
 那覇の路地裏、ディープスポットを彷徨って幻想の古都を追いかけ、ほかにも普天間、コザ、金武・辺野古、首里をめぐります。
 彼らの興味は、旧特飲街、沖縄そばやチーイリチーなどの飲食店や古びたスナック、スージクヮーと呼ばれる細い路地、かつてあちこちにあった映画館、古の街並み、ディープな沖縄を紹介した書物など各般に及びます。それらは、自分が探求したいと思っている沖縄像と重なる部分が多く、すごく参考になります。

 2017年1月に久々に沖縄本島を旅することになりますが、この本からインスパイアされて訪問することにした場所もいくつかあり、それらをめぐることで一層興味深い旅となりそうです。
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 2016年12月に買った本は、次の11冊です。

1 My Bloom 第5弾  プランニングゆうむ 2016.11 1000
2 あの人と、「酒都」放浪―日本一ぜいたくな酒場めぐり  小坂剛 中公新書 2013.9 古262
3 サラリーマン居酒屋放浪記  藤枝暁生 朝日新書 2016.2 古307
4 酒場詩人の流儀  吉田類 中公新書 2014.10 古347
5 娼婦たちから見た日本 黄金町、渡鹿野島、沖縄、秋葉原、タイ、チリ  八木澤高明 角川文庫 2016.5 古512
6 花もひらかぬ一八のまま 沖縄戦で散った少年飛行兵の日誌  平野治和 合同フォレスト 2016.7 古775
7 うんじゅが、ナサキ  崎山多美 花書院 2016.11 1296
8 可愛いあの娘は島育ち  太田和彦 集英社文庫 2016.11 648
9 沖縄を語る(1)  沖縄タイムス社 沖縄タイムス社 2016.9 1728
10 太田和彦の居酒屋歳時記 上  太田和彦 小学館文庫 2016.11 680
11 太田和彦の居酒屋歳時記 下  太田和彦 小学館文庫 2016.11 680

 うーむ、年末年始を迎えてか、居酒屋関係が多すぎる。
 2、3、4は、送料を除けば5~90円でAmazonの古書店から、また、8、10、11の太田和彦モノはいずれも新刊で、それぞれゲットしたもので、11冊中実に6冊が居酒屋関連だと。
 こんなことでいいのか、おれ。

 沖縄関連は、5、6、7、9。
 5は、沖縄というよりも、娼婦の視点から日本を見るというユニークさに惹かれての古書。
 7は、芥川賞候補になったこともある西表島出身の女性作家の新作で、彼女の作品はマニアが多いのか発行部数が少ないのかいつもすぐに売り切れるし、古書になるとド高い。なので、見つけ次第即買いしたもの。ヨカッタヨカッタ。
 9は、これまた本土ではすぐに買えなくなる沖縄タイムス社発行の新刊。タイムスの本はすでに何冊か、欲しいのに買えないものが出ています。

 1は、地元の書店で図書カードを使って買ったランチパスポート的なもので、さっそく活用中。

 さて、買うだけではなく、きちんと読まなきゃね。未読のストック本は60冊ほどになっているからねぇ。
 ・・・むっ。
 自分が1年間に読む本の量はせいぜい70~80冊がいいところだろうか。ということは、60冊というのは約1年分?! そうか、そんなにあるのか、ストックは。
 じゃあ、ぐいぐいと読まなきゃなぁ。