♪ うんじゅん 我んにん  いゃーん 我んにん  艦砲ぬ喰ぇー残さー ・・・
 貴方も私も、私たちはみんな艦砲の喰い残し…。

 沖縄では、「鉄の暴風」と言われる激しい戦火から生き残った人間を、艦砲射撃が喰い残したもの、と表現します。
 その強い言葉を沖縄民謡のタイトルとして歌い継がれてきた「艦砲ぬ喰ぇー残さー」。父・比嘉恒敏が作詞作曲した唄を、四人姉妹の「でいご娘」がうたい続けてきました。

 でいご娘の「艦砲ぬ喰ぇー残さー」がレコーディングされたのは1975年。
 歌詞も歌い方も当時と変わっていませんが、父の形見のこの曲を歌い継いできたでいご娘にとっても、沖縄の人々がこの歌から受けるメッセージも、時代とともに変わってきていると、感じている。 なぜ「艦砲ぬ喰ぇー残さー」が今なお人々の心を揺さぶるのか。――というのが、本書のテーマ。

 沖縄の戦後をものの見事に言い当てたこの歌には、比嘉恒敏の壮絶な半生が込められています。その生きざまを通して、沖縄のある家族の歴史、さらに沖縄の戦後を浮き彫りにするといった手法。
 戦後70年。そんな昭和の名曲を中心に据えた感動のドキュメンタリー秘話です。

 今、読谷村楚辺の海岸には「艦砲ぬ喰ぇー残さーの碑」が建っています。2013年6月に建立されたもので、自分も2014年8月にその現場に立ってきたところ。

 楚辺で生まれた恒敏の人生は、出稼ぎ、戦争、両親や先妻とその子どもの戦死、戦後の故郷・楚辺の軍用地接収による立ち退きなど、戦前戦後の「沖縄」を体現したものでした。
 そうした苦しい生活の中でも、3男4女の子宝に恵まれ、4人娘に三線や踊りの手ほどきをしたのが評判となり、1964年に「でいご娘」としてデビュー。「艦砲の歌」ができたのは、60年代後半でした。恒敏は青年時代に、大阪で普久原朝喜の新作民謡の感化を受けています。
 70年代に入り、「でいご娘」は絶頂期に入ります。ところが73年10月10日夜、公演帰りの車が、飲酒運転の米兵の車に正面衝突され、妻のシゲが即死、重体の恒敏も4日後に死亡。56歳の、あまりにも短い生涯でした。
 事故後、活動を休止していた「でいご娘」が、75年、父の遺志を継いで作曲家・普久原恒勇のプロデュースによる「艦砲ぬ喰ぇぬくさー」で活動を再開します。
 著者は言います。「単なる反戦歌ではない。親子、家族の絆をうたって希望をつなぐ歌ではないのか」と。 (琉球新報の三木健の書評を参照)

 著者の仲松昌次は、1944年、本部町瀬底島出身。琉球大学史学科を経てNHKにディレクターとして入局。主に文化教養系番組を制作し、2005年に退職。現在、帰郷してフリーディレクターという人物です。
スポンサーサイト


 「NO」しか言わない沖縄(=NOKINAWA)のままでいいのか?!
 著者は、政治的思惑と感情論ばかりが支配する空気に抗い、20年にわたって情熱を傾け、事実に基づいた日・米・沖のあるべき姿を探求し続けてきました。
 歴史研究者として、また海兵隊の政治顧問としての立場から、誤解だらけの基地問題、政権交代とトモダチ作戦の裏側、偏向するメディア――といった沖縄問題の虚実を解き明かしていきます。

 沖縄の人々も日米両政府も米軍も、傾聴すべき直言が満載の刺激的な論考である――ということなのでしょう。
 論調は冷静であり、一見彼の主張はすべて正しいように思えるかもしれません。しかし、憲法第9条の条文と、日本や自衛隊の現実とが乖離していることをもって、そのことが世界の信用を失うことにつながるから現実に合わせて改正したほうがよいとの単純な結論を導き出しています。そんなに簡単なことなら、あまりお利巧とは言えない日本の国会だってそうしています。
 また、基地が存在したからこそ今の沖縄は復興が速く進んだと言いますが、そこには沖縄を立ち直れないほどに戦闘で破壊し尽してきた自国に対する反省は微塵もありません。
 そんなことなので、個人的には沖縄が「NOKINAWA」になっているとの著者の論調には素直に同意することはできません。

 著者の一方的な論理が巧みな表現等によって押し付けられる構図が新書などにはよく見られますが、この本もその類の一つのような気がします。
 その証左として、彼は私のような日本人の多くからおそらく理解が得られないうえに、ある意味唯我独尊的な考え方からか、米軍側からもはじき出されてしまっています。
 仮に彼の考え方が後になってみれば正しかったのだなとわかったとしましょう。しかし、政治や社会問題は、その問題に関わる人々の世論やその時代の時代性によって大きく結論が変わるものであり、正しい答えは1つだけではないはずです。
 つまり著者は、正しい答えなどない物事に対して自分の主張を強く出し過ぎたために、外からも内からも相手にされなくなったと考えればわかりやすい構図のように思えるのですが、いかがなものでしょうか。いや、こういう人って、ある程度大きい組織の中にはたいていいるものなんですよね。

 それでは沖縄問題について、オマエは自分なりの考えがあるのかとツッコミを入れられれば、それはかなり困った事態に陥ってしまいます。玉石混交の広い砂漠の中から宝石だけを拾ってこいと言われても、それは無理な話。沖縄問題はそれほどにこんがらがっていて、一介の沖縄フリーク風情が簡単に論破するようなマターではない、というのが結論です。

 皮肉を言うつもりは全くありませんが、ここまで書いていて思い出したのは、新日本プロレスの内藤哲也が言う「トランキーロ!」というセリフ。
 著者には、物事の解決や今後の身の振り方なども含めて、「トランキーロ」(焦るな、落ち着いて)の言葉を捧げたいと思います。


 1年前、ぼくは殺された――。幽霊となった小学5年生の森下均は、自分を殺した連続殺人犯を追って沖縄へと赴きます。
 一方、京都市役所心霊相談課(通称GPS)を依願退職し、恋人とともに沖縄で新居探しをする凜花は、その彼と結婚をすべきかどうか決断しきれずにいます。そんな中、前作「GPS:鎌倉市役所 消えた大仏」で出会っていた鬼を見ることができる少女・暁奈々を見かけた凜花は、心霊相談課での元同僚の大吉を呼び出します。
 さらに、沖縄には、鎌倉での事件の黒幕である笛吹玄心も来ていることがわかり・・・。
 ――というGPSシリーズの第3弾の、文庫書き下ろしです。

 シリーズの1、2作を読んでいないので、全体の脈絡がよくつかめません。
 市役所にはフツー、心霊相談課なんていうセクションは有りうべくもなく、突飛な舞台設定と言わざるをえません。
 読み進めると、章ごとに表現の深浅があり過ぎ、全体のバランスがよくありません。

 自分はすでに人生の夢見る時期を過ぎてしまっており、幽霊が登場したり、超能力を持つ新興宗教の教祖が登場したり、行政公務員や警察官を含む社会人のものの考え方や行動があまりにも現実離れしていていたり、プロットが幼稚であったりするのを読まされるとかなり辛い、というのが正直なところです。

 小説は本来、人から読んでもらうものだと思うのですが、読んでいて時として、書き手の自己陶酔の押し付けになっているなあと感じる場合があります。
 それは書く側の自由であって、読みたくないならば読まなければいいだけのことではないか、との考えもありましょう。しかしそれは傲慢というもの。読み手は、大いに期待して本を買うのです。
 したがって、読みたくなければ読まなければよいという論理を正しいものとするためには、押し付けられたと感じた人に対しては購入代金を返却することをもって完結させる必要があります。

 この本が必ずしもそうだったとは言いませんが、残念ながらその傾向はうっすらと感じてしまったところ。
 いや。正直なところを書いてしまえば、自分は沖縄に関するものが読みたくてこの本を買い求めているわけなのだけど、ストーリー的にこの本、沖縄で展開される必然性がないというか、沖縄だからこそ成り立つ筋書きではまったくないのですな。沖縄は、単なるどこにでもあるひとつの場所でしかない。
 沖縄フリークとしてはそれが悲しい。だから、カネ返せとも言いたくなるのです。


 沖縄地方では「夕凪」を「ゆうどぅり」といい、特に離島に住む人々は、日が暮れる前に風が止まる静かなひとときに深い愛着を持っているように思います。また同時に、このもう少し後に訪れるたそがれどきを「逢魔(おうま)が時」といって畏れるなど、昔から独特の時間の感じ方を持っているようです。
 それらは、たとえば八重山の御嶽(オン、うたき)あたりに佇んで島時間に身を委ねて実際に体験してみれば、なるほどなと実感できるもの。とても心地よいのですよ、八重山は。ああ、行きたいなぁ。

 そんな感覚を本でも味わいたくて、古書にて購入。2013年の発売当時は3,600円+税の高価格に躊躇して買えなかったものを、15年の秋に送料込み1,636円で手に入れることができ、一人ご満悦状態です。

 『八重山を「日本」や「沖縄」と安易に一体視はできない。凪(平和)が危機の今、本土中心の日本史に収まらない時空世界を独創的発想と緻密な研究で掘り起こす。』(コシマキから)――といった内容のものです。

 著者は、石垣島きっての文化人のよう。1948年石垣島生まれ。地元紙記者等を経て、石垣市立図書館開館準備室で郷土資料を担当。石垣市立八重山博物館勤務ののち石垣市教育委員会文化課長。(2008年退職)
 八重山諸島の戦史・戦後史・芸能史・ハンセン病史を調べ、『八重山の芸能』(ひるぎ社)で沖縄タイムス出版文化賞、『八重山の戦争』(南山舎)で同賞と日本地名研究所風土研究賞を受賞し、2012年、八重山毎日新聞社の八重山毎日文化賞を受賞。
 石垣市文化財審議委員、とぅばらーま大会作詞の部審査委員、「沖縄県立図書館八重山分館廃止に反対し、存続を求める会」共同代表。1992年の創刊以来、月刊誌『やいま』(南山舎)で「壺中天地」を連載中。

 本書は、その「壺中天地」に連載したものを中心に加筆し、数編を書き下ろしたもので構成されています。
 論調は、たとえば「まえがき」の一部を引用すれば、次のとおり。
 『私たちは北に向かうと、なぜか心が寒くなる。支配者、暴虐者のイメージしかない。逆に、南へ向かうと世果報(五穀豊穣、幸いなる世)がもたらされ、柔和で悠久に身をゆだねる南東人を見ると心が安らぐのである。
 事が起きれば、母なるニライカナイと侵略者ヤマトの相違が心の中で鎌首のように持ち上げてくるのである。これは沖縄人にとってどうしようもない心境であろう。
 海風を浴び、神々と生きた時代に戻ることはできない。しかし掌の平和を日本国家によって壊されることには抵抗する以外にない。ひとりの人間として。』
 どうです。穏やかな表現の中にもしっかりとした思想がありますよね。



 「ポタリング」というジャンルがあるのだそうである。「だらだら歩く」という意味のpotterから作られた和製英語で、散歩をするようにのんびりと自転車で走ることをそう呼ぶのだそうです。
 自転車でちんたら走り景色や風情などを楽しむという手法は、まさに自分がレンタサイクルや徒歩で島をめぐるときの方法と軌を一にするもので興味津々。「ぼくの沖縄〈復帰後〉史」(2014)以来の出版となったボーダーインク編集者・新城和博の著書は、ポタリングで那覇のまちを放浪し、いにしえの那覇まちに思いを馳せるという趣向のものです。

 「時をかけてご近所を旅してみたら、懐かしくて新しい風景が見えてきた。古い地図と記憶を片手に、ほろほろ歩いた那覇のまちエッセイ」(コシマキから)
 自分も沖縄を訪れたときには、那覇の古地図と現在を照らし合わせて散策するのを常としており、古い那覇の片鱗を見つけて悦に入っている著者の行動は、なんだかそのまま自分の姿を見ているようで、笑えてしまいます。

 「すーじ小をたどって歩いてみる。古い地図、古い本を思い浮かべながら、古の那覇の痕跡を妄想して自転車を漕いで行く。
 すると生まれ育ったまちなのに、どこか遠くの知らないまちへ、ほろほろと放浪の旅をしている気分になるからおもしろい。
 この数年ずっと、歩きながら、漕ぎながら、そんなまちの歴史を追体験してきた。それは、まるで時をこえた旅をしたようだった。
 自分のまちをそんな風に楽しめるとは思ってもみなかったことだ。――」

 「開南のバス停から街に出かけたころ」、「むつみ橋通りの空き地」、「与儀に隠れていた小さな川の名前」、「市場に本屋があった頃」、「橋の怪「仲西ヘーイ」」、「落平樋川でつかまえて」、「雪の岬に立つ」、「三重グスクの先にあるもの」、「那覇市役所も遊び場だった」、「マージナルな天久の崖」、「壺屋のダンスホール」など、那覇まちをめぐる50のショートストーリー。

 初出は「沖縄スタイル」に連載された「幻想の那覇・街角紀聞 すーじ小を曲がって」(2007~09年)と、「新報リビングニュース週刊かふう」に連載された「沖縄点描」(2011~14年)で、これを加筆修正したもの、とのことです。


 ひょんなきっかけで、「僕」は一匹の捨て猫と出会った。出生地、那覇市桜坂社交街。性別メス、容姿端麗――。
 「向田さん」と名付けて暮らし始めたその猫と一緒に、那覇の町に出た。デイパックに向田さんを入れて、気ままに昼の路地裏をぶらついてみる。日が暮れると酔客が行き交う街路で、見過ごしていた風景に出くわした。路傍を彩る原色の花々、光るような海風、季節が立つ気配、そして、向田さんの血族とおぼしき野良猫たち……。
 吹き上げる緑も、古径に乱舞する蛍も、これまで以上に新鮮に映った――。

 という、表題どおり猫とともに暮らす那覇めぐり本といったところ。
 仲村清司は好きで、彼の著作はだいぶ読んできていますが、今回は自分の範疇外の「猫」本ということで2013年の発売当時は買い求めませんでしたが、その後2年以上が経過して古書市場に送料込み1,128円で出ていたので買ってみたものです。

 仲村清司の「沖縄愛」に満ちた独特の筆致と、その文章に登場する那覇のまちの描写とそこから感じ取ることができる那覇の色や匂いが見事。そしてまた、その中に時として顔を出す筆者のナイーヴな思いや精神状態が効果的なスパイスとなって綴られていきます。
 近時劇的な変貌を遂げつつある桜坂界隈のほか、自分にとっても愛着の深いニューパラダイス通りや壺屋界隈とてんぷら坂などが舞台。ほかにも崇元寺通りの一本北となる泊地区や、栄町市場、首里の綾門大道などが登場するので、那覇・首里タウンウォーカーにとってはかなり興味深い内容になっています。

 久々に前へ、次へと読み進めることができた沖縄本。
 自分の場合、猫に対する格別の思いは持ち合わせていませんが、スージぐゎーでひっそりと生きている野良猫たちの様子を知ることができたのも一興でした。
SC-PMX70-S 201611

 単身赴任生活をしていて、常々足りないものがあると考えていました。インターネットやBSを受信する環境が整っていてあとは何が足りないのかという向きもありましょうが、それは、音楽を聴く環境なのです。
 ノートパソコンの音やイヤホンなどではとても聴く気になれず、どうしたものかと思い病みしていましたが、本日、CDコンポを買ってきました!

 パナソニックのSC-PMX70-S(シルバー)で、店頭価格税抜き32,800円で出ていたものを税込み3万円にしてもらってゲット。帰ってから「価格.com」で調べてみたけど、まあ、安めの妥当な価格だと思う。
 合わせて、ニトリでキャスター付きの3段ラックを1,490円で調達してきて、これにセットを乗せてハイ、できあがり。ついでに写真をパチリ。

 こんなに安く環境が整えられるのならもっと早くやっておくべきであったと反省。
 自分のホームページに「唯我独尊的島唄解説」というコーナーを設けて、これまでに140タイトルの沖縄音楽CDについて好き勝手なことを書いているのですが、最近はちっとも更新が進んでいませんでした。
 環境が整ったので、今度は書き始めようかと思っているところ。

 家からインプレッションを書いていない沖縄音楽CD17枚を持ち込んでおり、まずはこのあたりから聴いていこうか。買ってから1年以上経ってもまだ聴いてすらいないCDもあるからね。
 また、最近出ている沖縄音楽CDも買って聴きたい。比嘉真優子もソロでアルバムを発表しているというし、沖縄では新しい島唄のムーブメントが起きていそうだから。

 さ、これでますますアパートでの生活が充実した確かなものになるぞ。これからは寒くなるし、仕事が済んだらすぐさまアパートに帰って、部屋を暖かくして趣味的生活に浸ることになるかも。週末などには自宅に戻るのもますます億劫になってしまうかもなぁ。


 著者は、1949年岡山県生まれ。慶応大学大学院修士課程を修了し、日本原子力研究所研究員を経てカリフォルニア大学に留学した経験を持つ技術系。そうでありながら、94年に第1回小説現代推理新人賞、99年には第16回サントリーミステリー大賞・読者賞を受賞したといういわゆる文・理両刀遣いのヒトです。まったくの文系人間である自分から見れば、尊敬すべき万能人です。

 2015年2月から10月にかけて「Web集英社文庫」で配信されたものを大幅に加筆修正したもの。今どきウェブルートで文庫化されるものがあるのですね。

 あらすじについては、関口苑生の「解説」が簡潔かつ詳細なので、これを以下に引用します。
 『・・・沖縄を舞台に花形部署である捜査一課の刑事が活躍する本格警察小説だ。
 主人公は反町雄太、28歳、巡査部長。沖縄県警刑事部捜査一課の刑事である。生まれも育ちも東京だが、大学1年生の夏、初めて旅行で沖縄に来て感激し、就職先は沖縄と決めた熱血漢だ。実際に大学卒業と同時に沖縄へ移住、サトウキビ畑での季節労働者、土産物店の店員、食堂の皿洗いなどのアルバイトを続けながら、翌年、沖縄県警の採用試験に合格したのだった。
 事件は那覇市内のホテルで、無理心中と思われる男女の死体が発見されたことから始まる。男は東京の不動産屋社長、女は地元のクラブホステスだった。反町はコンビを組む先輩の具志堅正治、57歳、沖縄生まれの沖縄育ちで、警察官になって35年のたたき上げ刑事とともに捜査に当たる。
 ・・・だが、男が何の目的で沖縄を訪れたのかを探るうち、次第に他の地域では見られない沖縄の特殊性が浮き彫りになっていく。それと同時に、刑事たちの前に大きな壁が立ちふさがり、彼らの悩みと混迷の度合いもますます深くなっていく。
 死んだ男は、どうやら土地の購入を目論んでいたようだった。しかし沖縄の場合は、土地絡みのことになるとちょっと面倒になる。正確に言えば一部の土地についてだが、そこは持っているだけで毎年決まった金が入ってくる超優良な金融商品なのだ。
 基地の土地、軍用地である。
 ・・・かくして、当初は単純な無理心中と思われた事件が、途方もない深い闇と謎に包まれたものだとわかってくる。』

 反町の同期で刑事部刑事企画課・国際犯罪対策室の天久ノエル、反町よりひとつ若いが準キャリアで警部の赤堀寛徳、反町の下宿の一風変わった大家などが織りなす人間関係も、読みどころの一つでしょうか。

 さあ、あとは読んでのお楽しみとしましょうね。


 「物質文明や金融資本主義社会はもう限界です」と副題がつくワニブックスの新書。どうやらココがこの本のミソだったようで。
 著者は、伊奈製陶(現LIXIL)の取締役CTOなどを経て東北大学大学院教授となり、辞職後「消滅可能都市」の離島・沖永良部島に移住した人物。
 沖永良部島で島人たちに農業や漁を教えてもらい「自立型のライフスタイル」を実践し、その過程で得た知見と、10年間にわたって書きとどめてきたブログ「地球村研究室」をもとに、これからの時代を環境に配慮しながら心豊かに暮らすための考え方と具体的な方法論をまとめたのが、この本になっている、ということのようです。

 しかしなんですなぁ、表題を見れば、沖永良部島での生活とか人との交わりとか自然との格闘とか、そういうことが書いてあるのだろうなと思うじゃないですか。ところがこの本、そうじゃないんですよねー。
 第6章まである著述なのですが、それらは「物質文明・金融資本主義社会はもう限界」、「バックキャスト思考で描こう、未来のライフスタイル」、「「意気」な技術、「ネイチャー・テクノロジー」」、「自立型ライフスタイルを推進する「間抜けの研究」」、「2040年に“光輝く島”を目指して」、「〈座談会〉地球と共生する未来型の暮らしへ」。
 ほーらね、これを見てもどこが沖永良部島なのよ、って感じでしょ。
 環境問題などについてただただ持論を述べているところが多く、沖永良部島に関してはコラムの部分と5番目の章に少し載っているだけです。正直言って、唐突にバックキャスト思考とか言われても、自分にとってはピンと来ずちんぷんかんぷんです。
 こうなると、内容なんかよくわからなくてもさっさと読み終えてしまおうという気持ちにしかなれず、ぱぱーっと読んでもっと興味深い次の本へ。

 本の題名をどうつけようとも、それは著者及び出版元並びにカラスの勝手でしょと言われれば、そうかもしれません。けれども、この表題を見れば誰しもが「沖永良部島」関連の著作だろうと思いますよね。
 沖永良部島に関する本を手にするなんて実に久しぶりだなあ、読む前からワクワクするよねぇ、島に住んでみたらどのような「光輝く」ものが見つかったのだろうなあ――なんて、期待感でいっぱいになって購入し、手に取り、読み始めた私のような人間に対しては、アナタ(著者・出版元・カラス)はどのように申し開きをするつもりですか。

 ・・・。よく確かめないで買ったオマエが悪いんだろうと言われて終わるのですかね。
 でも、かつては書店で実際にページをめくってから買っていた書籍も、ネット通販では解説部分ぐらいしか内容を推し測る手段がありません。そういう事情を逆手にとって、これなら受ける、売れるだろうと、中身からはほど遠い表題やコピーをつけて出版するのは、第一、出版社そのものの品格に欠けるし、誠実信義の原則違反であり反則行為だと思います。
 株式会社ワニブックスさん、ご留意のほどをお願いします。


 ひめゆりの塔の前で関係者から話を聴く皇太子及び同妃(現天皇・皇后両陛下)のすぐ手前で、右手に持った火炎瓶を今にも投げ出そうとしているヘルメット姿の男――。
 表紙を飾るモノクロ写真はショッキングなものです。

 ひめゆりの塔事件とは、1975年7月17日、沖縄復帰後に開催された沖縄国際海洋博覧会に際して皇太子・同妃が皇族としては戦後初めて沖縄県を訪問し、その際皇太子・同妃に、新左翼党派・沖縄解放同盟準備会(沖解同)と共産主義者同盟(西田戦旗派)の各メンバー2人が、潜伏していたひめゆりの壕内や白銀病院から火炎瓶やガラス瓶、スパナ、石を投げつけたテロ事件のこと。
 幸いにして皇太子および同妃や関係者に大きな怪我はありませんでしたが、復帰後の沖縄をめぐる事件として極めてインパクトが大きい事件だったと思っています。

 この本は、そのときに現地の警備側で指揮を執っていた佐々淳行が著したものです。
 『今上天皇が皇太子時代の「昭和50年」に、沖縄と三重で遭遇した二つのテロ事件。危機一髪ならぬ「危機一発」の双方の現場で、警備責任者だったミスター「危機管理」はいかに行動したのか。当時の過激派が総括しないまま一部が「体制化」した今、「沈黙の掟」を破って書き遺す昭和の「大逆事件」との戦い』――と、背表紙の紹介文。

 その当時のぴりぴりとした現場状況がよくわかり、その一方では、一枚岩ではない警察内部の状況や手厳しい首脳批判、そして著者の自己顕示欲の強さまでしっかりと感じ取ることができる、読んでいて面白い、興味深い内容でした。

 「ひめゆりの塔事件」に関しては、第3章『聖域としての「ひめゆりの塔」 「沖縄返還」阻止闘争」は民族独立運動だった』と、第4章『「ひめゆりの塔」火炎ビン事件の“真相” 見事な「ノーブレス・オブリージ」』に詳述されています。
 沖縄県警内には南国特有ののんびりとした雰囲気があり、事前視察に行けば本務ほったらかしの観光案内がなされ、職務中にすばやく出前で食事を済まそうとするとそのようなシステムがなく外食だより、昼には昼寝、夜は速やかに帰る慣行が定着していて、それらに悪気がないことを知りつつも指揮官の著者は苦悩します。

 驚いたのは、ひめゆりの塔が沖縄県民にとって不可侵な聖域だというので、事前に壕内部の踏査、確認をしないまま式典本番に臨んでいたこと。過激派が数日前からその中に隠れていたこともすごいですが、目の前の壕をノーチェックで式典を始めたというのもちょっと信じられません。
 また、ひめゆりの塔の事件の前に、糸満市の白銀病院の前で車列に向かって十数本の火炎ビンが投下される事件があったことは、この本を読んで初めて認識をしたところです。


 いまの沖縄は、あまりにおかしい。このままでは、日本の民主主義は沖縄から破壊されかねない。こんなに酷い、無責任なメディア、不透明な県政、説明責任を果たしていない不透明な県政、革新系がつくった偏った教育、狭小な言論空間などといった環境のもとに置かれている沖縄県民こそが本当に“かわいそう”な存在だ。
 そしてこの奇妙な構造の背後には中国の影が―。
 神戸大学大学院で博士号を取得し、大阪大学准教授を経て、在沖米海兵隊の政務外交部次長を務めた著者が、日本を愛するアメリカ人として沖縄と日本の危機を鋭く告発。民主主義、メディア、基地問題、日米関係などについて、「沖縄問題」という切り口を通して問題提起する。
 ・・・という視点から書かれたもの。

 近時、沖縄のメディアは偏重しており、沖縄問題がいつまでも解決しないのは彼らこそが諸悪の根源だからだ――的な論調をよく見聞きするのだけど、それは本当なのでしょうか。
 現代においては、マスコミが全体的な世論形成の主導権を握っており、時としてその論調が偏重していると感じることはよくあることです。しかし、そんな中でとりわけ沖縄のマスコミが世論を大きくミスリードしているとは思えないのですが、どうでしょう。
 一般的に物の考え方というのは、考える人や、場合によっては法人や団体などが、これまでに経験してきた事実やそれらに基づく思いが積み重なって発露されるものだと思います。つまりは、その人なり組織体がどういう経験をし、どういう思いでこれまでの時代を生きてきたかをしっかり慮らないと、考え方を理解することはできません。

 そのような立場に立てば、沖縄のリーダーやマスコミが、第三者にとって耳の痛いことを繰り返し、場合によっては執拗と思えるほどに強烈な発言をすることがあるかもしれません。
 ですが、それらをひとつひとつ上げ足を取るように、今の発言はおかしい、偏重していると決めつけるのはいかがなものなのでしょうか。

 筆者は「はじめに」で、『沖縄県知事が国際社会に向かって、「沖縄の人びとは自己決定権(=民族自決権)をないがしろにされていて、日本は自国民の自由、平等、人権、民主主義を守っていない」と声高に叫んでいると知ったら、あなたはどう思うだろうか。』と問いかけています。
 しかし、これを読んだ自分は、べつに異常とも不思議とも感じず、沖縄の思いとしては極めてまっとうではないか、というのが本音です。

 沖縄は、17世紀初頭から王国を否定され、明治の琉球処分を経験し、先の戦争で島全体を焦土にされ、ようやく母国と感じることができるようになった日本へと復帰しようとしていたのにサンフランシスコ講和条約で裏切られ、今もなお多くの米軍施設を背負わされて不自由な思いをしているのです。そのような苦渋の歴史の一部始終について、著者の考えを読めば読むほど、深く理解しているとは思えないのです。

 また、この引用がはじめから胡散臭いのは、著者が「自己決定権」を勝手に「民族自決権」と読み替えていることです。ここでいう自己決定権は、憲法上何人にも保障された基本的人権の一部や、地方自治法上の地方自治体としての権能についてそう表現していると捉えるのが素直であり、前時代的な植民地的支配はやめてほしいということを言いたいのであって、沖縄の独立とか「沖縄民族」の高揚を表現したものではないことは一目瞭然だと思うのです。

 そう思わせられていること自体が、おかしな沖縄からだまされているのだと著者は言うでしょう。でもそれって、つまるところ意見の衝突なだけであり、単なる水かけ論なのではないか。
 私としては、沖縄側の主張をもっと真摯な気持ちで受け止める度量を持ったらどうですかとしか言いようがありません。
 賛成の人、静かに拍手をお願いします。


 旅をしていると出くわす人々にはさまざまなヒトがいて、あまりの身勝手さ、傍若無人さにナンダコイツハと呆れてしまうことがままあります。きっと彼らは日常から離れて自由を感じ、「旅の恥は掻き捨て」という概念を大きく履き違えて、自分勝手な行動に出てしまうのでしょう。
 でも、フツーの人がそうなるぐらいならまだ我慢できるかもしれません。タチの悪いのは、日頃から傍若無人なヤツが旅に出るとどうなるか、なのです。ああ、想像しただけでもオソロシイ。

 「ここ私たちの席よ! 図々しいわね!」ババア、「沖縄のことなら俺に聞けよ」オヤジ、大人レストランで暴れる幼女とその母、アジア放浪帰りの迷惑カップル・・・。
 あーもう頭にくる! 旅は楽しい? 癒される? 冗談じゃない!
 ・・・と、著者は怒っています。
 まことにムカつくあるある話が50連発でブチかまされ、読んでいるこちらまでがまったくよぉと怒ったり笑ったり。

 沖縄得意の著者だけに、沖縄関係もしくは南の島の話題もたくさん登場します。それらは、「映画スタッフおやじ、八重山そばを語る」、「南の島の「先輩」たち、ブイブイいわす!」、「八重山のことなら俺に聞けオヤジ」、「女イントラ、島の民宿でドンペリ宴会!」、「アジアン丸出しカップルは今日もマイペース!」、「元祖タコライス屋に入れない男たち!」、「アメリカンパイを語る男!」、「人気バンド「S」のへっぽこスタイリスト!」、「島のテーマソングを歌う若者たち!」、「そして母になる」、「赤瓦民宿どっちらけ1泊2日!」、「なんちゃって沖縄料理屋のへっぽこ流し!」など。
 この中には自分も同じ場所で同様の経験しているところがあり、そうなんだよなと思いながら読んだところ。

 著者自身が描いた意味不明のイラストがたくさん載っていて、これもまた面白い。
 特定の人やスポットを傷つけないよう仮名を使うなどして苦労していますが、あああそこねと、わかる人にはワカルあたり、共感を呼ぶ効果もありますね。

 著者は「あとがき」で、
 「書いちまった! 「なんちゅー本出してんだオメーは!?」って叱られそうだけど書いちまったよ! だって旅に出るとさ、マジでムカつくこと多いんだもん。」
 「まーこんな本ばかり書いてると出版界から追放されちゃうからさ、次はマトモな本書くから見捨てないでねオイラのこと。」
――と本音と反省を述べていました。


 鹿児島でFM放送のDJをしていた呉田日南子のもとに、ある日、“みつけたよ”の一言だけの無気味な手紙が届く。それ以降周りで奇妙な事柄が続き、思いあまった彼女は婚約者の家に逃げ込んだ。
 それから3ヶ月、2通目の手紙が届いた。“ぼくたちの旅がはじまるよ”……それが合図であったかのように、南のトカラ列島の宝島で殺人事件が発生、続いてとなりの小宝島でも旅行者が殺されているのが見つかった。
 そして事件が起きるたびに日南子のもとには謎の手紙が。“もうすぐ帰るよ”……。日南子には5年前に逃げるように別れてきた恋人がいた。その彼と行った唯一の場所がトカラ列島だった。
 はたして犯人は別れた恋人なのか? そして連続殺人の真の目的は?

 ――という内容のミステリー。
 実業之日本社が発行する新書版のシリーズジョイ・ノベルスで、2段組244ページ。
 浅黄斑(アサギマダラ)という著者名が胡散臭く、ゴーストライターか何かかと思いましたが、1946年神戸市生まれの理系人間のようで、現役世代時はきちんとした企業人。1992年に「雨中の客」で第14回小説推理新人賞を受賞してデビューしたというれっきとしたミステリー作家なのでした。
 はじめのうちは殺人事件などのミステリーを扱っていましたが、近年になって時代小説を手がけているようです。北方謙三も、志水辰夫も、同様の道を歩んでいるよね。

 筆致については確かなものがあり、構成に不自然さを感じるところもなく、読んでいて大きな不満はありません。
 トカラ列島が舞台になっている小説はきわめて少ないので、そういう意味では貴重だと言えるでしょう。ですが、もっとトカラ色を出してほしかったなという思いがあります。


 中公新書。カバーの袖に記された概要は次のとおり。
 『太平洋戦争中、地上戦で20万人強の犠牲者を出した沖縄。敗戦後、米国統治下に置かれ、1972年に本土復帰を果たすが、広大な基地は残された。
 復帰後の沖縄は保革が争いながら政治を担い、「基地依存経済」の脱却を図る。だが95年の米兵少女暴行事件を契機に、2010年代には普天間基地移転・歴史認識を巡り、保革を超えた「オール沖縄」による要求が国に行われる。
 本書は、政治・経済・文化と、多面的に戦後沖縄の軌跡を描く。』

 全8章。1~4章では本土復帰前における米国の統治政策を、5~8章では本土復帰後における県政の保守と革新の交代によって、それぞれ時期区分・章立てがされています。
 これは、著者が言うには、復帰前には米国の方針転換が、また、復帰後には県民による知事選択が、それぞれ政治的な変化を示しているからなのだそう。

 ナルホド、読んでみると復帰後などは知事選挙や県議会議員選挙の結果等が詳細に語られ、それに合わせて時代的な出来事を整理していくというつくりになっています。誰々が知事だった時はこういう状況だったということを理解したいのであれば、ある意味わかりやすい書かもしれません。

 琉球新報は2015年12月20日付けの紙面に、この本についての琉球大教授・我部政明の書評を載せています。しかし彼はこの本を、次のように消極的に評価しています。
 『20世紀に沖縄に生まれた者、20世紀から沖縄に関心を持った人には、新鮮さは少ないと思う。「そうだったのか」という疑問氷解よりも、「そうだったよな」との懐古の感情を呼び起こす。』
 『沖縄内部のみに焦点を当てるよりも、環境との相互作用から、沖縄の社会における政治的、経済的、文化的影響がどうように展開したのかを描くことが重要だろう。米軍基地にみる日本政府の沖縄への介入の結果、生じてきた現象が身近にあるからだ。閉じた沖縄の現状を描く本書は、より開かれた沖縄の現代史への跳躍台となっている。』

 一方では、文章の書き方に問題があるのか、何度も読み直さなければならない場面が多くありました。
 ふつうに書いたものをぎゅっと要約したような文章になっており、不必要な記載が一切なく、時によってはずっと前に出た主語を省略したりしているため、誰が、何を、どうした――という基本的なところが不鮮明になったりするのです。
 まあ、文章は人によって合う、合わないがあるでしょうけれど。

 第7章(1990~)あたりからは、自分が沖縄に興味を持って現実に直視してきた時代なので、とくに興味深く読むことができました。大田~稲嶺~仲井真~翁長と続く各時代が概括されていてよかったと思います。


 沖縄戦で傷ついたウチナーンチュたちの心を癒したのが、芝居や映画などの芸能文化でした。役者たちによる芝居公演は行く先々で熱烈な歓迎を受け、収容所を巡回して行われたフィルム上映もまた、苦しい捕虜生活を送る人々にひとときの娯楽を提供しました。
 やがて、芝居や映画のための露天劇場がつくられ、それがたちまちテント屋根、瓦葺き、木造の館となり、沖縄は映画の黄金期に向かって走り出します。
 宮城嗣吉・高良一・国場幸太郎・宜保俊夫ら、希代の映画人たちの活躍もあり、1960年のピーク時には館数が120に至ったということです。
 本書はそうした沖縄の映画興行史がよくわかる「通史」から始まります。
 続く本編では、映画館の跡地をめぐる旅や現存する映画館の取材、関係者への聞き取りによって書かれたルポルタージュが50編。これらが当時の様子がわかる数多くの貴重な写真とともに掲載されています。
 さらにコラムとして、映画史を語るうえで欠くことのできない〈沖縄映画人〉らの逸話も収録されています。

 読んでいて、感慨深いものがあります。
 1950年代に乱立した映画館が、テレビの普及などで60年代後半までにはその大部分が閉館。振り返れば映画の隆盛期は一時的なのものだったということなのでしょうが、そのもとで時代を共有して生きてきた人々にとって、映画はしっかりと記憶の中に残っているものなのだということに、まずは感動。
 そして、当時建てられてまだいくつか残っていた建物たちは、鉄筋コンクリート造とは言っても築後60年以上が経過し、今まさにほぼすべてがなくなろうとしていることにも、深い喪失感を覚えます。

 もっとも印象的だったのは、那覇をはじめとした戦後のまちは、映画館がつくられることによって形づくられていったと言っても過言ではないのだなということ。
 それは、館のある周辺が繁華街として賑わい、「国際通り」「沖映通り」などのように映画館の名前が通りの名称となっていることが多いのをみてもわかろうというもの。
 ほかにも、那覇の「平和通り」は一般公募で通り名が決まった経過がありますが、そこには「平和館」があり、以前「平和館通り」とも呼ばれていたようだし、現在の「グランドオリオン通り」もそうです。
 また、現在の「桜坂劇場」の前身が沖縄芝居の「珊瑚座」であったこと、2006年に取り壊されてしまったコザのディスコ「スフィンクス」の前身が「ピカデリー国映館」だったことなどを知ることができました。

 著者・平良竜次は本書でたびたび映画の師匠格にあたる山里将人について言及しています。残念ながらこの本の出版を前にした2014年に亡くなられたそうですが、山里将人の「アンヤタサ!―戦後・沖縄の映画1945‐1955」(ニライ社、2001)を読みたくなって、読後すぐに古書の注文をしたところです。


 沖縄本島随一の観光スポットになっている「沖縄美ら海水族館」。自分の場合ここには、国営沖縄海洋博覧会記念公園といわれた時代、初めての沖縄訪問(1993年)の際に訪れ、その後家族を連れて再び見に行ったことがあります。しかし、「美ら海」になってからは、前の道路を通ったことはあっても、入ったことはないのかもしれません。当時からやっていたイルカのオキちゃんショーは今でもやっているようです。

 この本の著者は、1981年から2011年まで、一貫してこの水族館の館長していた人。だからこそ「美ら海水族館」への想いと愛着は強い内容になっています。
 「世界一」や「世界初」にこだわり、水族館の魅力の大きさをアピールしながら、美ら海水族館が日本の動物園・水族館の中で入場者数トップを走り続けてきたことから、第1章が始まります。
 そして、それを実現するために、「もっと面白いことをやりたい」、「今まで誰もやっていないことにトライしたい」といった、現場の人間の気持ちを大事に育んでいくことが重要だということを、著者の経験を含めて綴っています。

 第2章以下は、「水族館と動物園は何が違うのか」、「水族館の舞台裏―水族館を支える人間たち」、次いで著者の水族館遍歴を記した「“飼育屋”修業時代」、「試行錯誤の日々」、動物を飼育することについての思い入れを綴った「水族館も動物園も“悪行”」。

 その道一筋に人生を歩んできた人の功績や想い、人となりなどに触れることはとても興味深いし、なかなか楽しいものです。


 沖縄を占領した米軍は、サンフランシスコ講和条約が締結され「戦時」から「平時」体制へと移行したため、民地を軍用地として使用するためには何らかの法的処置が必要になりました。また、これまで占有していなかった土地についても大規模な土地収用を開始して軍用地を拡張していったため、地主を中心に反対運動が激化していきました。
 沖縄民政府側はこれらに強く抗議。しかしアメリカ側は「プライス勧告」を発し、タダ同然かつ十数年分を一括払いで支払う提案を押し付けようとしたため、保革の枠を越えた全住民を巻き込んだ「島ぐるみ闘争」と呼ばれる反対運動が起き、沖縄各地で「四原則貫徹」を求める集会やデモが行われました。
 この「島ぐるみ闘争」がどのような形で準備されていったかを明らかにしようというのがこの本のテーマです。

 3部構成となっており、第1部は編者が当時の歴史的諸相を概観し、第2部では国場幸太郎に着眼し、国場の自分史的な構成をとりながら時代を描写、第3部では沖縄史の論客たちが同時代の群像の交流の記憶などを記録しています。

 とりわけ第2部は印象的。当時共産党員だった国場幸太郎が生前書き残した遺稿を編者たちが読みやすく手を加えたもので、米CIC本部で受けた不当な手ひどい拷問の様子を記した部分は圧巻です。
 また、第3部では、50年代と現代の落差を結ぶ心情の中に国場を位置付けて記述がなされますが、その試みは当時の精神と論理を現代から未来へと橋渡しする効果がありそうです。

 はじめのうちは展開が今一つ難解でなかなか読み進められずにいましたが、後半になるにしたがって円滑にかつ興味深く読むことができるようになりました。


 30代半ばを過ぎてイベント企画会社をしている藤村紀子と、その隣室に住む50歳の主婦吉永香織、26歳の広未(ひろみ)凌子は、年代も性格も違うけれど気の合う仲間。凌子の仕事で沖縄への取材旅行に便乗した紀子でしたが、同じ頃、東京で連続して二人の女性が殺されます。
 日比谷で香織が遭遇した現場の被害者は、紀子の仕事を手伝っていた沖縄出身の仲田琉美子で、死体には星の砂が付いていた――。

 そんな展開ですが、登場人物のネーミングが安易過ぎ。藤村紀子は藤原紀香、吉永香織は吉永小百合、広未凌子は広末涼子からの連想だよねきっと。
 石垣島出身の仲田琉美子はさしずめ沖縄の民謡歌手で芝居シーの仲田まさえあたりがモチーフでしょうか。沖縄らしい名字を使ったということでしょうが、仲田姓は沖縄の北部には多いけど、石垣島にはそうそうある名字ではない、というのが実態ですね。
 ほかにも、石垣島で乗った観光バスガイドの新垣恵理はNHK朝ドラ「ちゅらさん」の主人公・古波蔵恵里(国仲涼子)だし、深名恭子は深田恭子、国島太一は国分太一などなど。
 東京蒲田にある沖縄料理店「ゆがふ」なんて、朝ドラそのまんまの店名じゃん。

 竹富島の種子取祭を中心に物語が展開していくので、とりわけ八重山民俗芸能ファンにとってはたまりません。しかし、文中にはエイサーソングの「唐船ドーイ」が「唐人ドーイ」と紹介されていたり、竹富島の世持御嶽に「よもちみたけ」とルビがふってある(御嶽は、沖縄本島では「うたき」、八重山では「おん」)など、ちぐはぐなところも随所に。なんだかなあという気がしないでもありませんが、そんな変なところを見つけて一人ツッコミを入れる、という楽しみ方もこの本にはあるかもしれません。


 全国津々浦々、47都道府県すべての居酒屋をまわった太田和彦だからこそ書ける、渾身の日本文化論。
 居酒屋には風土、歴史、産物のすべてが反映し、酒の飲み方には大いに土地の気質が表れる。たとえば、無口にながく飲む東北人、粋を気取る東京人、女も盛大に酒を飲む高知人、すぐ友達になるが翌日は忘れている博多人。
 居酒屋では誰もが心が裸になる。本音も出れば、土地の噂も。ここは、うまし国ニッポン。さて次は、どこへ行こう。のれんをくぐれば、お国柄が見える。
 ――という、居酒屋の第一人者30年の集大成なのだそう。

 「太田和彦 いい人いい酒いい肴」という番組をずっと見てきているので、この本に登場するいくつかの居酒屋も映像的に頭に浮かんできて、読んでいてとても楽しい。
 北海道から順に南へと下りていき、最後は沖縄で終わります。
 ちなみに、わが山形県は、内陸はいい居酒屋が少ないと一刀両断にしておいて、一方の庄内地方は『海山の幸にたいへん恵まれ、春の筍の孟宗汁、夏の民田茄子、岩がき、口細カレイ、だだちゃ豆、秋の温海かぶ、冬のはたはた、まこがれい、どんがら汁など、その時期に食べねばならぬ旬が「二週間おきにある」豊かな食の地だ』と絶賛しています。
 紹介された居酒屋は、鶴岡の「いな舟」、酒田の「久村の酒場」「まる膳」。

 最後の沖縄県は、「30歳頃に初めて沖縄の土を踏んだときの感動は今もなお、より一層私を魅了してやまない」としたうえで、『牧志公設市場の原色鮮やかな魚たち。二階の大食堂で食べるゴーヤー、島ラッキョー、ナーベラ、ウンチェーバー、テビチ、ラフテー、スクガラス、ジーマミー豆腐、チャンプルー、ソーキ、沖縄そば、イラブー、コーレーグス、サーターアンダーギー・・・。医食同源の流れを汲む食べ物は都会の居酒屋でちょこまかつまむ肴にはない、食べることでどんどん健康になってゆく実感がある』と述べています。(「ナーベラ」など、各食材のカタカナ単語の伸ばし方が少し気になりますが。)
 そして、泡盛古酒の豊かな世界とウチナーンチュの限りない優しさを絶賛しています。

 具体の居酒屋の紹介は、那覇の「うりずん」と「ゆうなんぎい」と「小桜」、宮古島の「ぽうちゃ たつや」の4件。いずれもメジャーな人気店ですね。

 こういう本を読んでいると、無性に居酒屋に行って酒を飲みたくなるので、困ります。


 相変わらず奔放な「又吉ワールド」が繰り広げられています。
 舞台は沖縄の島「仲里島」の夏。主人公の小学5年生の寛は夏休みを迎えており、浜で会った隣りの組の鈴子と、宿題の標本にするチョウセンサザエを獲るために珊瑚礁へと分け入っていくところから始まります。

 その後の展開は又吉にしか書けない奔放さ。寛は中学3年生の誠太郎の率いる理不尽な上下関係に疑問を感じつつも、無理強いされる仲間同士の決闘や、罰としての逆モヒカン刈りの「インディアン刈り」、向かいにある半島の子どもたちとの抗争、半島で高く売れるというマングースの捕獲などを体験していきます。
 その一方で、島の大人たちは、島の長老が私的な禁酒令を出し、その実現のために女性や青年たちが「監視隊」を結成して取り締まりにあたります。という具合に、なんだかもう、わけわからずの展開になっていきます。

 それらとは別に、恋の予感ともとれる鈴子に対する少年のざわざわとした感情や、年老いていくエミばあちゃんへの想い、エミばあちゃんのもとにやってくる宗教関係の人などがからんで、混沌さを増していきます。

 そして、又吉作品にいつものように登場する動物。今作は「巨牛」で、島の闘牛大会で圧倒的に強かった闘牛が人知れず海を渡って仲里島にやってきたという設定です。島民が総出で探すものの誰からも発見されず、その後寛たち少年5人だけがそれを発見し、洞窟の穴の中で衰弱して死んだ巨牛を彼らだけの秘密にし、穴を「巨牛の顔」と名付けて彼らの聖域にします。

 このようなさまざまな夏休みの体験を通して、少年たちは半島側の少年たちとの抗争に興味を失い、年上の悪ガキの支配から脱して、大人になる道を少しずつ歩んでいくという筋立てになっています。
 それにしても、純文学にしてはあまりにも自由闊達過ぎるストーリー。次の展開が全く読めない奇抜さがあり、それを馬鹿馬鹿しいと思ってしまえば、又吉作品は読めないでしょう。逆に、次はどんな脈絡不明の展開がやってくるのかと期待して読めるようになれば、彼の世界に浸ることができるのでしょう。
 一気に読んだ自分は、ここにきてようやく後者の仲間入りができたのではないかと思っています。