仕事の関係で時間が取れないかもしれず、行こうか行くまいか迷っていた今年の琉球フェスティバル(東京)でしたが、何とかなりそうなので、行きます!

 今年の琉フェス東京は10月2日(日)の開催。夕方から夜にかけての公演を見ようとすると、山形から行った場合東京で1泊しなければならず、そうすると翌月曜日の午前中は仕事を休まなければなりません。ところがそこに、どうしてもはずせない重要な用務が入ってしまい、困ったなぁと思っていたのでした。仕事の性質上、こちらから期日を変えてくれとは言えないものなのです。
 しかし、数日前、その用務が先方の都合で同日の夕方にずれ込んだのです。え・・・それはホントなの!?
 それって、神の配剤によって生じた天啓のようなものではないか。

 その時点からは琉フェス参加に大きく舵を切り替え、大慌てでフライトとホテルの確保に邁進です。
 幸いにしてどちらも首尾よくいき、諸条件が整いました。
 明日、10月2日の朝にこちらを発ち、東京の某酒場で一晩だけ沈没し、翌3日の昼頃までには戻ってきます。

 ちなみに今年の琉フェス東京の開催概要は、次のとおりです。

出演:うないぐみ(古謝美佐子・宮里奈美子・比屋根幸乃・島袋恵美子)/
   大工哲弘 with 大工苗子/パーシャクラブ/しゃかり/下地イサム/よなは徹/
   園田エイサー
司会:ガレッジセール
日時:2016年10月2日(日) 15:15開場/16:00開演
会場:東京・日比谷野外大音楽堂(雨天決行)
料金:前売¥7,000/当日¥7,500(全席指定/税込)

 メンバーとしては、新鮮味という点では今一つで、むしろヘリテージ感すら漂ってくるような気がしないでもないですが、言い方を変えれば安定感が抜群とも言えるでしょう。10年ぐらい前であれば垂涎のメンバーだったかもしれませんね。
 ま、夜の飲みも含めて、バッチリ楽しんでこようではありませんか。

《琉球フェスティバル大阪のポスターです》
 2014年を最後に開催が途絶えている大阪開催の、過去のポスター図案の一部を掲載します。
 1999年時から2002年時までの4パターンです。
 いやぁ、メンバーが、すごいよね。

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 前作「ガイドブックには載っていない 沖縄 裏の歩き方」で、夜遊び情報からアングラ事情、マル秘スポットまで、県民だけが知っているディープな沖縄を紹介して見せた著者が、あれから2年ぶりに発表した作品です。

 青い海に白い砂浜…多くの人が思い描く沖縄のイメージはリゾート地のそれだろう。
 しかし、独特の文化発展を遂げ、本土とは違う歴史を経験してきた沖縄は明るく楽しいだけではなく、「怖い」一面も持ち合わせている。
 米軍基地問題の利権でうごめく面々、危険な米兵との交流、地元の人が行きたがらない心霊スポット、沖縄の民間信仰ユタ、ハジチという刺青文化など沖縄の意外な姿にページをめくる手がとまらない。
 読了後、あらたな沖縄の魅力に気付かされる1冊。
 ――と、紹介されています。

 第1章は「観光客が行かない裏名所」。沖縄の霊域、辻遊郭の歴史、闘牛とギャンブル、第1級の廃墟である中城高原ホテルの紹介、米軍基地の中、尖閣諸島問題などを取り上げています。
 第2章は「本当は怖い沖縄の文化と歴史」。沖縄の刺青文化、ユタとノロ、琉球王国の深部、沖縄で生まれた空手、体をこわす宮古島のオトーリ、ボリビアにある沖縄の移民村などを紹介。
 第3章は「沖縄とアメリカの危険な関係」。日米地位協定とYナンバー、米兵の素顔、普天間基地とオスプレイ、ビジネス化した反基地運動など。
 第4章は「本当は怖い沖縄の生活」。凄まじい台風、長寿県でなくなりつつある沖縄の食文化、他県と違う地元新聞、優遇される沖縄の補助金、制空権、荒れる成人式、揉める沖縄の遺産相続など。

 第1作は、徹底して沖縄のアンダーグラウンドを追求し、闇の部分を外に向かって暴露したという強いインパクトがあったものでしたが、今作は一般的な沖縄の社会問題や独特なところを多少斜に構えて「こんななんだよぉ」、「スゴ怖いだろぉ~」と大げさに語っているような印象でした。

 そのような印象を受けたわけは、「おわりに」で裏付けられることになります。
 著者は、「本書は県外の方だけではなく、沖縄県民も楽しく読めるようにとの思いを込めて執筆した」、そして、「私自身知らない事実がたくさんあり、執筆をしたり取材をする中でより地元沖縄が好きになっていった・・・」と述べています。
 つまりそういう思いで書かれたこの本は、怖さを味わい楽しむというよりも、沖縄を知る上で有用な知識書的なものとして位置づけられる書であるような気がします。
 まあ、そうは言っても、取り扱う事項は巷間普通に語られていることばかりで、著者が言う「知らなかった事実」的なものはそう多くなかったと思うのですが、どうでしょう。
ryufes-tky-rogo 2016

 10月2日(日)、日比谷野外音楽堂で開かれた「琉球フェスティバル2016東京」に行ってきました。その状況について、何回かに分けてまとめておきます。

 東京開催は昨年に続いての参加。参加回数は何回になったのだろうか。2015年からは大阪開催がなくなってしまった(「休止」なのだそうだが)ので、本土にいながらにして沖縄音楽を堪能できる機会として、東京開催は今となってはとても貴重なのだ。
 当日は、10月としては暑い日で、曇りの予報だったものの、晴れ。雨男の下地イサムが出場するので不安だったのだけれど、予想外。(笑)
 その代わり?、沖縄に台風が接近しているため、早々と翌日の沖縄便の欠航が決まったよう。出番前から飲んでいる出場者たちは、これで今夜はとことん飲めると「バンザーイ!」を連呼していた模様です。

 出演者は、うないぐみ(古謝美佐子・宮里奈美子・比屋根幸乃・島袋恵美子)、大工哲弘 with 大工苗子、パーシャクラブ、しゃかり、下地イサム、よなは徹、園田エイサー。
 民謡の重鎮が姿を消し、奄美からの参加者が不在であるなど、参加者の層が薄くなっています。園田エイサーが出るのがうれしいが、どのような編成なのかが気になるところ。
 司会はいつもどおりガレッジセール。

 琉フェス東京の場合たいてい当日券で見るのだけど、今回初めて、券売所で空いている席のうちどこがいいかを訊かれた。それではと、去年見たときとまったく同じの、ステージから見て左側のずっと後ろの席にしてもらった。左側は午後の時間帯には順光となり、後ろのほうは全体を俯瞰するのに最適だからだ。
 入場してすぐにオリオンビールと缶チューハイをゲットして、着席後直ちに飲み始める。入場直前まであちこちを歩いて、すっかり喉が渇いてしまったので。

 16時の開演予定時刻の20分前になって、東京沖縄県人会のエイサー隊がステージと場内に散開して、エイサー演舞が始まります。曲目は、仲順流り~久高まんじゅう主~安里屋ユンタ~スーリー東~いちゅび小~ヒヤミカチ節~唐船ドーイ。
 15時54分にはガレッジセールの二人が躍り出てきて開会です。かつては沖縄タイムで遅れて始まるのが普通だったけど、この頃は違うねえ。
 ゴリは、毎年恒例の集団飲み会の日がやってきた!、今日は東京が沖縄になる日だ!と叫んで、いつもと同じ場の雰囲気を作り出します。
 毎度のことで、まずは「嘉例(カリー)!!」の掛け声で缶ビールを高々と掲げてぐびりと。
yonaha 201610

 一番手は、14回目出場のよなは徹。今回もバックバンド付きのヘヴィロック風のステージングだ。
 前奏の後、1曲目のスリリングな曲は、CD「子の方(にぬふぁ)~Polaris~」収録の「御祝さびら」か。
 続く「新エイサー節」は創作のエイサーソングだが、同様のモチーフで創作したものがすでにパーシャクラブの作品に何曲かあるため、意図としては新鮮味に欠ける。だがそうは言っても、エイサーのグルービーな雰囲気がギンギン伝わってくることには変わりはない。

 3曲目は、よなはオリジナルのほうの「花ぬ風車」。そして続くのは三線早弾きの「クラハ山田」風のもので、これは「まく弾ち・さんしん」というものか。これがそのまま「唐船ドーイ」へと歌い継がれ、場内ここでようやく踊り出す人が数人。
 早くも「アンコール!」の声がかかり、最後はしっとりと「満月の夕」をうたいあげ、恒例により三線セットをケースごと観客へと投げ入れて、締めとなった。

 うたわれた曲の多くは2015年2月に発売されたアルバム「子の方」からのもの。このCD、買わなきゃな。
 また、よなはは今年、伝統的舞踊曲などを大成した「Roots~琉楽継承」を2枚リリースしており、これも要チェックだろう。

 ここでふと気付くが、過去を思い起こせば琉フェスの風景はずいぶん様変わりした。かつてはディアマンテスのフラッグをなびかせる大勢の若い観客がいて、大工哲弘を「オマエは共産党員!」と罵るシリアス路線の者も混じり、りんけんバンドやネーネーズのコテコテ沖縄路線に酔いしれる沖縄フリークのナイチャーがいて、ベテランたちの民謡にしみじみと聴き入る内地生活の長いウチナーンチュがいたものだ。
 しかし今は、ゴリが言ったように集団宴会を楽しむために来ている者が多いように感じられ、全体の年齢層もかなり高くなったように感じる。
 無論、その良し悪しは軽々に論じられるものではないが、20年近くにわたって琉フェスを見続けてきた自分にとっては昔が懐かしく、感慨深いものがある。
shimoji 201610

 さて、2番手は下地イサム。
 今回はバイプレーヤーを置かず、一人、アコギ1本での参加だ。上下を黒のタイトな服装でピシッと決めている。

 まずは名曲「我達が生まり島(バンタガンマリズマ)」。何度聴いてもいいよな、これ。国民年金のことが歌詞に出てくるあたりで観客たちがふっと和む様子が感じられるのも、なかなかいい。
 続いては、♪ 明日浜辺を彷徨えば・・・の「浜辺の歌」をミャークフツ・バージョンで。そう来たかという感じだが、アコギの力ってすごいんだね。聴かせてくれるよ、これも。
 3曲目は、こういうことをうたった曲だと解説をして、「狭道小からぴらす舟(イバンツガマカラピラスフニ)」。

 最後は新良幸人を呼び入れて、SAKISHIMA meetingのノリで「ダニー・ボーイ」を。
 彼らのハーモニーはすごく音階が合っていて、ちょっぴり感動。つまりは彼らの音感が同じだということなのだろう。この曲は、我如古より子もうたったことがあり、ウチナーンチュの心の琴線に触れる曲なのかもしれない。

 今回は、下地のうたう全ての曲名がわかったが、ふだんは全曲ワカルなんてことはなかなかないものなのだ。彼は曲名を紹介するようなことはしないし、早口のミャークフツは耳をそばだててもそう易々と理解することはできないからね。
chiaki 201610

 3番手はしゃかり。琉フェスには10年ぶりの出場になるのだそう。
 しゃかりは御存じのとおりボーカルのチアキとパーカッションのカンナリのコンビ。民謡マニアの自分としては正直言って彼らを沖縄のポップスユニットだという認識をしており、これまでほぼノーマークのグループだ。
 二人のコンビとはいっても、フィーチャーされるのはもっぱら女性のチアキ。44歳? かわいいじゃん。ちょっと太めに感じられるあたりが大人の女らしくてステキだ。やさしい声がとても魅力的で、歌う姿もアピール力があって好感度高し。
 そんな彼女は酒を飲むとすごいらしく、酔った彼女のあられもない姿を目の当たりにした夫のカンナリが「そんな妻が残念だ」と発言した逸話をゴリが面白おかしく披露した。

 1曲目は三線が入らず、琉装の踊り手が二人登場する中でワタシの知らない歌をうたう。「笑って」という曲?
 琉フェスというこのステージで三線が入らず、琉球音階でもない歌。そんな曲を聴いていると、コレハ琉フェスではなくただの歌謡ショーじゃないかという疑問も感じたり。

 2曲目は、今度は雑踊りの男女に扮した踊り手が登場し、♪ 琉フェスむさむさ ディアングヮソイソイ・・・の合いの手を観衆に要求して、独自にアレンジした「谷茶前」を。原曲とはずいぶん雰囲気が異なる形にアレンジされている。これに合わせて踊る舞踊家も大変なのではないか。ドラムはカンナリで、上地正昭もベースギターで参加している。

 3曲目では今度は女性バイオリニストのARIAという人を呼び入れてうたい、最後にもう1曲、「命のお祝い」を。
 ♪ めくるめく光の島 今ここにある奇跡の全ては 命のお祝いしましょ・・・ 云々という歌詞のものをうたって締め。この曲、まさひろ酒造のCMソングになっているらしい。

 チアキのなかなかいい歌声を聴かせてもらったけれど、琉フェスにはどうなのかな。沖縄音楽シーンに携わるある人が言っていたのだが、三線を使うアーティストじゃなければ琉フェスには出られないのだそうだ。それってある意味正しい判断かもしれない、と思う。
sonda 201610

 陽が傾いて、そろそろステージを照らすライトがいかんなく力を発揮する時間帯になってきた。
 そんな中、4番手として登場したのは園田青年会。言わずと知れた、沖縄エイサー界に君臨する実力ナンバーワンの青年会です。

 まずは地謡がじっくりと「しゅうら節」をうたって聴かせ、こちら側がその奥深く渋い声にう~むと唸っているうちに、大太鼓、締太鼓の音がどどんと鳴り始める。よーし、エイサーだ!!
 いつものように南嶽節から始まって、途中だいぶ省略があったように聴こえたが、仲順流り~久高まんじゅう主~シュンサーミー~トゥータンカーニー~海ヤカラー~テンヨー節~いちゅび小~固み節~花ぬカジマヤー~唐船ドーイと流れるように。

 気になっていた編成は、大太鼓3、締太鼓6、旗持チャー1の全10人。エイサーとしてはいかにも小編成で、手踊りの女性軍・男性軍、チョンダラーなどが不在だし、ステージ上だけでの演舞にとどまっている。そんなわけで、これが園田エイサーだと思われては困るぞという物足りなさを感じてしまった。ホントはもっとすげえんだかんなっ、園田青年会は。
 きっと10人というオファーの中で精一杯の対応をしたということなのだろうと思うけどね。

 でも、彼らの足の上げ方などの所作の徹底ぶりや、乱れのない隊列維持、くるくると回すように叩く太鼓の撥さばきなどは、ただただ惚れ惚れするばかり。このレベルって単なる青年会の出し物の域をチョー大きく超えていると思う。
 旧盆の時期のコザで、道じゅねーやガーエーを見たくなってしまったなあ。
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 9月に買った本は、買った順に次の14冊です。

1 干潟のピンギムヌ  石月正広 実業之日本社 2010.3 古548
2 沖縄おじぃおばぁの極楽音楽人生―日本一の長寿バンド「白百合クラブ」の半世紀  中江裕司 実業之日本社 2003.8 古263
3 琉球王国衰亡史  嶋 津与志 岩波書店 1992.9 古367
4 ちゅらおばぁのなんくるないさ―あなたが忘れてしまった無理しない生き方  平良とみ 祥伝社 2002.5 古258
5 唄者の肖像  高桑常寿 河出書房新社 2011.4 古952
6 復帰二十五年の回想  宮里松正 沖縄タイムス社 1998.4 古258
7 島影 慶良間や見いゆしが―大城貞俊作品集〈上〉 大城貞俊 人文書館 2013.12 古1454
8 人生を変える南の島々。(日本編)  高城剛 星雲社 2016.4 2138
9 日本の居酒屋 その県民性  太田和彦 朝日新書 2016.4 820
10 旅芸人のいた風景  沖浦和光 河出文庫 2016.6 799
11 沖縄の新聞は本当に「偏向」しているのか  安田浩一 朝日新聞出版 2016.6 1512
12 琉球怪談作家、マジムン・パラダイスを行く  小原猛 ボーダーインク 2016.8 1080
13 くじらとくっかるの島めぐり あまみの甘み あまみの香り 奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島と黒糖焼酎をつくる全25蔵の話 鯨本あつこ 西日本出版社 2016.9 1512
14 〈オキナワ〉人の移動、文学、ディアスポラ(琉球大学人の移動と21世紀のグローバル社会)  山里勝己 彩流社 2013.1 古1657

 1~7と14の8冊は古書。
 このうち5は、上原知子が表紙を飾る大判の写真集で、ずっと前から欲しかったもの。定価3,800円が出せなくて5年待ち、このたび送料込み952円でゲット! 新品同様なのがすごい。
 7は、大城貞俊作品集の上巻。下巻のほうも欲しいのだけど、今のところ品数が薄く価格も高いため、今回は見送った。
 2、4、6などは、この価格ならばとりあえず買っておくべきだろうということで。
 一方、7や14は古書なのに高い。14は定価2,200円なので買い得感はないけれども、これを逃すと入手困難になることもあろうかと考えて。

 8~13の6冊は新刊書。
 新刊で買うのはよほど欲しいもの以外は2千円前後までという自主規制が働いていて、今回も概ねその範囲にとどまっているところ。

 14冊中12冊が沖縄関連で、9は居酒屋ものだけど沖縄県も載っているもの。
 今回買ったもののうちもっとも興味深いのは、NON沖縄の10。かつて日本中で見られた「旅芸人」を追ったものだというではないか。沖縄のチョンダラーなんかも登場するかもと期待したが、残念ながら記載はない模様だ。

 1か月のうちに14冊も買っちゃった。うふっ、書棚にたくさん未読の本があるって、少し前ならプレッシャーだったけど、今はなんだか安心したりうれしかったり。
 そして、これだけ買っても1万円台の下のほうだというのがうれしいじゃないか。読書ってお安い趣味なんだよねぇ。
daiku 201610

 5番手は、大工哲弘 with 大工苗子。
 演奏前のMCでゴリは、かつて大工がステージ上で苗子夫人に「もっと前へ出て踊れ」と命じていたのを見て、大工を亭主関白だと言ってからかい、笑いをとる。そのすぐ後ろに出てきていた苗子夫人が極めて冷静なのが面白い。

 最初のうたは「月ぬ美しゃ」。苗子は琴、ほかに笛と太鼓が入って、雰囲気はぐっと八重山モードだ。あたりはすっかり暗くなり、ここにぽっかり月でも見えたなら完璧なのにな。
 2曲目は「安里屋節」。さらに「いやり節」、「とぅばらーま」と続いて、ここまでは民謡シフト。

 大工は鳩間島音楽祭に参加したという話をして、次は「鳩間の港」を。
 ♪ 船は出ていく 鳩間の港・・・ さよならさよなら 手を振れば 船は行く行く 鳩間の港・・・
 この曲を聴いて思い出すのは、2007年の琉フェス大阪。加治工勇がうたったこの曲に合わせておそろいの黄色いTシャツを着たスタッフ数十人が、手に手にティサージを持って踊りながらステージに登場し、第13回琉フェス大阪の名場面として語り草になったのだった。

 そして、それまで静かに演奏を見ていた数列前の女性が、突然手にタオルを持ち、そのときの踊りを見事な手さばきで再現したのだった。
 これには鳥肌が出るほどに感動。美しいなあ(後ろ姿しかわからないけど)。もしかしたら彼女は10年ほどの過去となってしまったあの時、ステージの側にいた人なのかもしれない。

 大工は興が乗ったと見えて、もう1曲「さよなら港」をうたう。これも鳩間島関連。苗子がステージ前に躍り出て、雑踊りか、石垣島のガーリーか、はたまた優香のばか姫かというようなはっちゃけた踊りを披露。最後は懐から数本の紙テープを取り出して、船を送るかのように会場に向かって投げ込んで見せたのだった。
 これにより、大工のステージはなんだか苗子夫人が総取りしていったような印象で、ゴリの話していたこととは真逆の結果になったようだ。
unaigumi 201610

 6番手は、うないぐみ。
 佐原一哉がプロデュースする、古謝美佐子、比屋根幸乃、宮里奈美子の初代ネーネーズの3人に島袋恵美子を加えたオバサンユニットなのだけど、ネーネーズが大活躍していた沖縄音楽全盛時代を知る者にとっては懐かしさのあまり、彼女たちがステージに立つだけである種の感動を覚えるものなのだ。
 まあ、あれから10数年、年齢も体型も変わったけど(笑)、歌声を聴けば当時の輝きはボクたちにはしっかりと蘇ってくるものがある。

 1曲目は、曲名がわからないのだけど、2年前の琉フェス東京でも彼女たちが2曲目にうたっていたもの。勉強が足りませんナ。単なるユニゾンなのだが、沖縄の島唄の心地よさが伝わってくるいい曲。
 2曲目は、「みなとーま」。八重山民謡のこの曲も、佐原のシンセサイザーによってこういう仕上がりになるのか。♪ マタカイショリヨー スーリ・・・
 続くは、初代ネーネーズのメドレーということで場内大喝采。ラインナップは「DAY~O!(バナナボート)」、「テーゲー」、「黄金の花」。そうそう、このゆるゆるとした感じから一転シリアスというのがネーネーズの持ち味だったよなあ。

 そして締めは、名曲「童神」。♪イラヨーホイ・・・のサビ部分ははじめのうちは幸乃が、後半は美佐子が。
 美佐子の発声法は独特で、こういう歌い方はほかの人は真似ができないだろうな。また、幸乃の高音は相変わらず冴えている。今の4代目?のネーネーズは若くてソツがないが、ステージ上の彼女たちのような個性があるかというとまだ疑問である。
parsha 201610

 最後に登場したのは、パーシャクラブ。
 このところの琉フェスは、すっかりパーシャクラブが幅を利かせている。彼らはそれだけの力量を十分に備えているので格別の不満というものはないのだが、どちらかと言えば民謡系から沖縄音楽に触れ始めた自分としては、琉フェスで彼らが主役だというのはどうもストンと落ちないでいるところだ。
 かつては嘉手苅林昌、登川誠仁、知名定男、大城美佐子、大工哲弘など、民謡の重鎮たちがトリをとったものだ。

 今回も幸人は誰かに変装して登場。「ゆきちぇるで~す!」というのだけど、それって誰?! オジサンは知らない。
 あとで調べてみると、「りゅうちぇる」という沖縄県読谷村出身のタレントがいるのだそうだ。幸人はその彼を真似ていたようなのだが、困ったことに真似をされてもそれが似ているのかどうか、こちらはまったくわからないのだった。(笑)

 でもって、演奏内容はいつもとあまり変わらず、「海の彼方」、「五穀豊穣」、「東バンタ」、「満天の星」のラインナップ。上地正昭のギターが冴えわたり、サンデーの掛け声が間奏に響く。

 トピックとしては、「五穀豊穣」で動きのぎこちない女性ダンサーが数名ひょこひょこと出てきたと思ったら、それはうないぐみのメンバーだったこと、「東バンタ」にチアキが三板で参加したこと。
 パーシャのノリは、正直言っていつもよりもテンションが低めだっただろうか。曲のテンポ自体が微妙に遅かったし、幸人の歌い方が慎重というか、たどたどしかったというか。つまりは、だいぶ酔っていたということか?!
ryufes-tky 2016

 そしていよいよフィナーレへ。
 出演者全員がステージに勢ぞろいして、すっかり酔っ払って呂律が怪しいゴリの「何をうたうんですか」の問いに大工が「安里屋ユンタ」と答えて、まずはそれを。観客もそろってサーユイユイと。正調、星克作詞の本土普及歌詞、ネーネーズグループの歌詞と3種類でうたわれる。
 さらに何曲かいくのかと思っていたら、次はもう「唐船ドーイ」。よなは徹や幸人などがうたい、園田エイサーの旗頭が揺れてそれなりの雰囲気が出たものの、これがうたわれるということはもう次はないわけで、ここで打ち止めに。
 終了時刻は19時45分頃だった。

 全体としての感想。
 琉フェスの伝統として、琉フェスでしか見られないアーティストたちのコラボがあったものだが、今回はそれが極めて少なかったことは残念。かつての名場面としては、喜納昌吉とその父昌永のコラボ、何十年ぶりかでのオキナワ・チャンズ(古謝美佐子・我如古より子・玉城一美)の復活などがあったものだが、そういうシーンはすっかり影を潜めてしまった。また、様々なプレイヤーのステージングに参加していたよなは徹は今回は自分の出番以外登場しなかったことも少々残念。

 また、「琉球」フェスティバルを名乗るなら奄美のウタシャははずせないと思うのだが、今回は皆無だったのは寂しい。琉球弧全体をカバーできていないこのような形が続くとするならば、イベントの名称を「沖縄フェスティバル」に改称しなければならないのではないか。

 ついでに言えば、竹中労が1974年に始めた頃の琉フェスが民謡中心だったことを思えば、もっと民謡を復権させてもいいのではないかと思う。
 民謡主流の血脈は、実はこれまでは大阪開催が引き継いできていたのだが、それが昨年以降途絶えてしまった。このことは、竹中労以来の琉フェスの潮流を知る者にとっては、琉フェスの正統性の喪失と写るのだ。

 さらには、ずっと琉フェスを育て、支え続けてきた男、知名定男は何をしているのか。琉フェスを20年やってすっかり満足してしまったようだが、知名は再度立ち上がるべきだ。まだ70ちょっとになったばかりじゃないか。
 さもなくば、シージャ(先輩)方から知名が引き継いできた沖縄民謡の「血統」を、自らしっかりと誰かに引き継がなければならないはずだ。知名はそれをしてきただろうか。

 ほかにもいろいろと思いはあるが、愚痴っぽくなるのでやめよう。
 だが、主催してもらえる人々にお願いを申し上げたい。ここに、そして日本の至るところにも、かつて竹中が感動しながら紹介し続けてきた沖縄らしい音楽の神髄を聴きたくて待ちわびている人々がたくさんいることに思いを致してほしい。
 とりわけ、大阪開催は復活ならないものだろうか。あれはよかったのだけどなあ。
koutakuji0-1 201610

 2016年10月のある日、羽黒町手向にある庄内三十三観音札所の首番、羽黒山荒澤寺に行きました。
 庄内三十三観音はこれにて首番、番外を含む35か所すべてを巡り終えたことになります。
 昨年から巡り始め、拝んできたわけでもなく、信心深いわけでもなく、三十三観音のある寺を巡らなければおそらくは一生行かないであろう所在地のたたずまいを眺めるための巡礼でしたが、それなりにおもしろかったし、庄内地方とはどういうところであるかを知るひとつのよすがにはなったと思います。

 さて、番外の荒澤寺。
 羽黒山の有料道路に入るT字路の少し手前、登っていった側から右手の奥にありました。ここ、羽黒山の神社からは少し離れているけど、どういう経過でここに建てられたものなのか。

 観音堂の脇にあった年代表によれば、次のとおり。
 『推古14年(606)、崇峻天皇の皇子であり、聖徳太子の従兄にあたる蜂子皇子の草創と伝える。皇子は能除仙(のうじょせん)と称され、月山・湯殿山をお開きになった。登山に際し、荒澤にて修業し、下山の砌荒澤にて別火修業し、湯殿山・大日如来の荒魂(あらみたま)を「不動明王」、和魂(にぎみたま)を「地蔵菩薩」として祀り、常火堂を建立して湯殿行の根本をお定めになった。』
 うーむ・・・、なんのこっちゃ。よくわからん。書いた側が自分の文章に酔っているという感じ。

 ウェブ上にあった別の記載は次のとおり。
 『創立は今を去る1350前、推古天皇時代で羽黒山最古の寺院である。開山蜂子皇子の別修業の跡に足長(最高位の人)弘俊が一宇を建立し、開祖の恩沢を記念して広沢山荒沢寺と称し、羽黒山八大伽藍の随一となる。後に弘法大師などもこの地で修行せられたので、開山大士が湯殿山大日如来の和魂(ニギタマ)を地蔵尊とし、荒魂(アラタマ)を不動明王としして祀り、湯殿山御宝前鎮火大権現ともいわれ、特別の崇敬を受けた霊地となり、羽黒山奥の院として女人禁制の聖地となったのである。』――とのこと。こちらも少しはわかるけど正直よくわからん。

koutakuji0-2 201610

 山中の寺で、日常的に近くで寺を管理する住職的な人はいないようで、山門などは比較的粗末なものですが、観音堂はわりと新しく、境内内には多くの石碑などが立ち並び、由緒ある寺であることがわかります。

 これでひとつの目的を達成。さて、今後はどういう形で庄内を見ていこうかと思案中です。


 瀬長島をご存知の方は多いと思いますが、那覇空港のすぐ南側にある小さな島。戦前までは現在の野球場一帯に集落があり、アマミキヨの子、南海大神加那志(なんかいうふがみかなし)が最初にこの島に住み、そこから豊見城の世立てが始まったという伝説が残っています。また、島内にはかつて瀬長グスクがあり、瀬長按司が居住していたと伝えられています。
 18世紀初頭に来琉した中国の冊封副使・徐葆光も、瀬長島について、美しい砂浜の静けさと大勢の人が雨宿り出来るほどの巨石奇岩の様子などの変化に富んだ景観を讃えているのだそうです。
 しかし戦時色が濃くなった1944年、住民たちに島外退去が出され、戦後も島全体が米軍基地として接収。基地建設工事で島の景観は激しく変貌した上、長らく米海軍の弾薬貯蔵基地として使用され、1977年にようやく返還されています。

 そんな瀬長島が、このところずいぶんきれいに整備されつつあります。新しくできた公園の「子宝岩」の碑や、野球場に付随した公園内にある「手水の縁の碑」などを見てきたのは2014年の夏でした。

 その島の一角に開業したのが「ウミカジテラス」。南国では珍しい天然温泉とホテルが併設されたリゾートで、つくった会社の中心人物はホワイト・ベアーファミリーの代表取締役の著者。30億もの借金をしながら、何度も立ちはだかるしがらみや規制を突破し、沖縄にまったく新しいリゾートを作りました。
 その破天荒な男が「地方の時代」を体当たりで実現させた執念の物語となっています。

 メインバンクから「貸せない」と言われ、地元からは口を揃えて「無理だ」と言われ、行政からは何から何まで「許可できない」と言われたものの、「もうダメだ」から奇跡は始まると信じてリゾート施設を完成させた執念がスゴイ!
 正直言って自分も、この地にリゾートホテルというのはどうかなと思いましたよ。

 試しにgoogleマップで現地の様子を見ると、ギリシャの地中海を思わせる白壁が階段状に並んでいて、一度は行ってみたいなという気にさせます。そうか、ここにできたのか。2014年夏の段階ではまだできていなかったけどな。その周辺も含めてあっという間に様変わりしていますね。瀬長島は変わったな、やたらとモダンに。
 ノンフィクションとしても、ビジネス書としても、楽しめる1冊ではないでしょうか。


 2004年発行のものを古書市場から購入し、2016年に読みました。
 「沖縄の時間はゆったりと流れる。沖縄の食文化に詳しい著者が、せかせか生きる現代人に、沖縄流のスローライフを提案する。」という趣旨の、ゆるゆる、テーゲーな雰囲気たっぷりのやわらかいエッセーです。「人生の深呼吸、しよう」か。

 著者は、1923年生まれの食生活ジャーナリスト。ということは、この本が出版された時にはすでに81歳?!
 フジテレビ系「料理の鉄人」に審査委員として出演し、「おいしゅうございます」の言葉が話題となった人、と言えば思い出す人もいるでしょうか。

 「はじめに」で、作品の意図を次のように記しています。
 『21世紀は「心の時代」だといわれます。・・・これまでの忙しい暮らしを、ほんの少しスローダウンしてみませんか。「あれをしなければならない」「これもするべき」とがんばり過ぎるのをやめてみませんか。
 のんびりと、ゆったりと。「沖縄時間」で生きてみると、これまで忙しさに紛れて気づかなかった、本当に自分がやりたかったことと出会えるかもしれません。
 がんばり過ぎたり、人と比較したりしなくても「今の自分が好き」と誇れる人になれるかもしれません。
 この本では、私が大好きな沖縄の人々の暮らしぶりを、独特の食文化や沖縄人気質、元気で長生きしているお年寄りが多い秘密など、様々な角度からご紹介していきたいと思っております。
 皆さんにとって、今よりもっと自分らしく人間らしい、新しい生き方を探すヒントとなれば幸いです。』

 年齢のわりには洒脱な文章を書く人だなという印象。(失礼)
 文中には、たとえばこんな逸話なども紹介されています。
 『あるオジィが病に倒れ、いよいよもう危ないということになりました。家族や親戚が枕元に集まる中、オジィは最後の力をふりしぼって息子に封筒を手渡しました。
 「この手紙は、おまえが仕事に失敗してにっちもさっちもいかなくなった時に開けなさい」
 オジィはそれだけいうと、安心したようにそのまま静かに息を引き取りました。
 数年後、息子は本当に仕事に行き詰ってしまいます。そして、思い悩んだ挙げ句にオジィの手紙を開いてみることにしたのです
 白い便せんをそっと開いてみると、そこには一言こう書かれてありました。
 「ナンクルナイサァ」』
 ――サイコー! 沖縄らしいよねぇ。

 序章から第5章までの章立ては、次のとおりです。
 「東京生まれの東京育ち。でも故郷は沖縄です」「ゆるゆる沖縄―南の島の時間はゆっくり流れるのです」「テーゲー主義でいこう!―沖縄人はみんな楽天家なのです」「ごはん食べてくさぁ―沖縄のスローフードを訪ねる」「理想のスローエイジング―沖縄じゃ、オジィオバァが一番元気」「岸流「ナンクル暮らし」―わたくしのとっておき健康法」。
haraidanomatsu 201610

 余目方面に出かけて戻るときに、道路からすぐのところに見えるのでいつも気になっていた「払田の地蔵の松」。このたび初めてその木の前に行って佇んでみました。

 立派な松。松くい虫があちこちのマツを食い荒らしていますが、管理が行き届いているのかこの老木はその影響がないようで、青々としています。
 以下に、立て看板を引用。

山形県指定天然記念物  昭和33年7月25日指定
払田の地蔵の松
  樹種 くろまつ  根まわり 4.3m  目通り幹囲 3.4m  樹高 10.8m
  枝張り 東に8m 西に12m 南に10m 北に9m  樹齢 推定370年

この松の言い伝え
 備前の国の池田侯の一族といわれる人々が、鳥海山のふもとに来て、その地を開拓したが、山崩れにあったため、本町(註:旧余目町)福原付近に移住したところ、今度は、洪水にあい田畑を失なった。そこで三たび移りこの地を「払田」と名付けた。この松はそのころ植えられたといわれる。
 後に庄内藩主酒井侯のもとめにより藩邸に移植されたが、夜な夜な女の泣き声を発するので気味が悪くなり、六面地蔵を添えて植えもどした。それからこの松を地蔵の松というようになった。


 地蔵のマツの敷地内には、古い「耕地整理記念碑」も立っています。
 碑の裏に刻まれた文字を読むと、常万・八栄里土地改良区の払田工区にかかるもので、1949年11月に起工し、50年12月に完了、57ha強を300万円近くの工費をかけて完成したものだとわかります。そして、そこに名を連ねている人の多くが「池田」姓でした。


 著者のよっしー&くっにーさんは、福岡県在住の御夫婦。娘さんが研修医として沖縄で勤務することになったので、食事をつくってあげようと福岡から沖縄へ毎月1回通ったのだそうです。そのときに三線を習い始めたりして、すっかり沖縄病に罹ってしまったようです。
 その後彼らは精力的に島を回り、沖縄県の有人島をすべて訪れました。そうするうちに沖縄での沢山の想い出ができ、それらをまとめてこの本を自費出版するに至ったということのようです。
 どうやら、福岡市中央区の琉球料理店「がちまやぁ」が彼らの沖縄との交流の窓口になっているようです。
 この本の出版元の「櫂歌書房(とうかしょぼう)」は、福岡で自費出版も手掛けているところのようです。

 でもまあ、有人島は全部行ったとは言っても、そのうちのいくつかは日帰り、駆け足の感がないでもなく、「沖縄・石垣島8島めぐり3泊4日」などのパッケージツアーを連想してしまったところも。つまりは、一般的な観光ツアーの域を出ていない記述になっているところもままあるということです。
 しかし、それは裏を返せば、さまざまな沖縄観光のシーズに素直に喜び感動しているということでもあり、沖縄初心者にはたいへんやさしいし、沖縄フリークにとっても自分もそんな時期があったなと懐かしく思わせる内容になっています。したがって、さらりと読むには肩が凝らず、すいすい読めてしまいます。

 文章表現もそれなりに整っており、自費出版にしてはいいセン行っている1冊ではないでしょうか。自分もあらかた島々を回っているので、書かれている内容は目に浮かんでくるようなところ多し。
 全266ページ。写真は一応カラーだけど、自分たちで撮影してきたJPEGをそのまま載せましたという感じ。
 いきなり始まっていきなり終わるという、自費出版にありがちな構成だったのは残念。やはり書物には「はじめに」と「おわりに」が必要だし、著者の紹介や、内容の概要の記載などもどこかにあってほしかったと思います。
 自分が自費出版するときは、そういう点に気をつけろということなのでしょうね。ま、自費出版するなどという機会はわが身には訪れることはないだろうけど。


 私は戦争体験はないが、よくある「悲惨な戦場」を書くのは他に任せて、自分は違う戦争を書こう、と考えた。
 このたび基地「普天間」を書いたら、これこそがまさに、沖縄の戦争そのもの、なのだった。
 沖縄の宿命というものか。
 ――と、大城立裕の思いがコシマキに記されています。

 『在日米軍基地の約75%が集中する沖縄。轟音のなかで暮らす祖母、父、娘の三世代それぞれの「普天間」。「沖縄の魂」を織り込んで問う、日本の未来。「沖縄と戦争」をあぶりだす7篇。』
 こちらはショッピングサイトでの、この本の紹介文です。
 その7篇は、「夏草」「幻影のゆくえ」「あれが久米大通りか」「窓」「荒磯」「首里城下町線」「普天間よ」。

 勝方=稲福恵子・早稲田大学教授は2011年7月31日付けの琉球新報の書評で、「島が耐える現実を凝縮」と題して次のように述べています。

 物語の力に突き動かされて、那覇空港からモノレールに乗り継ぎ、終点の首里駅から「首里城下町線」のバスに乗った。このバス路線の名前がそのまま作品の題名になって、この短編集『普天間よ』に収められている。かつて戦場だった丘陵の淵を巡る路線。語り手が車窓から手繰り寄せる情景を、私も巡礼のようになぞってみたくなったのだ。

 語り手の小橋川英介は、少年兵として徴集された戦場でのおぼろげな記憶を、62年後の今、訳あって東江清昌に確認しなければならない。しかし戦友はすでに恍惚の人となり、記憶を共有するすべは失われた。それでも、清昌の傍らで控えめな応答をする「奥さん」の存在が、取り返しようもなく失われた記憶の淵を照らしてくれる。「戦争の記憶」は、「東江のなかで立派に凍結されているのを見届ける思いがした」。会いに来たことは無駄ではなかった。
 「…彼の脳裏に戦争の記憶がすべて消え去ったもののように見えながら、真実はむしろ、この機会により確実に定着したのに違いないと思った。もう滅びまい。ただそれが表白されないだけだ。生きている者が認識できるかできないかは、それはごく些細(ささい)なことではないか」
 物語の時代設定も、作者が実際に執筆したのも、2007年。「集団自決」の軍関与問題をめぐって「記憶・証言」の有無が問われ、沖縄中が哀しみをこらえて忘却の蓋を外し始めた時だった。

 およそ作家というものは、リアルタイムな出来事をモチーフにしようとはしないもの。とりわけ政治的に過ぎる2007年や、「普天間」の現実は、小説にせよといわれても、そう簡単に書けるものではない。作品化するためには、事件の背後にある現実の襞を幾重にも掘り下げてテーマを発酵・醸成させるだけの時間が要るからだ。
 しかし文学の常識をひょいと超えて、この作品は、この小さな島が耐えている現実の重みを、崇高なまでに凝縮して見せている。この夏は、この一冊を携えて、普天間から中城への巡礼に立とうと思う。


 さらに、大城立裕は、あるインタビューに答えて次のように述べています。

 「短編集を出そうとなったとき、出版社から普天間をテーマに書いてくれと頼まれました。びっくりしましてね、あんな大きな問題をと。一瞬思案したものの、逃げてはいけない、受けて立とうと考えた」
 「私は小説に政治問題を取り入れるのは好きではありません。政治的に描くのではなく、沖縄人のアイデンティティを奪還できるかどうかというテーマで象徴的に描けないかと考えた。基地問題の本質は、奪われた土地を取り戻したいという沖縄人のアイデンティティです。基地にされた土地には、もともと人間がいた。人が生き、生活を営み、歴史を紡いできた。土地にはその記憶が染みついている。我々沖縄人はそこに生きているというアイデンティティを奪還するのだ、という思いを書いたつもりです」
 「琉球舞踊は沖縄の代表的な文化、いわば魂です。ヘリの爆音に伴奏の音曲はかき消されてしまうが、それでも主人公は踊り続ける。そしてヘリが飛び去り、再び音曲が聞こえてくると、踊りはぴったりと音曲に合って終わる。基地の重圧に琉球文化は負けない、との思いを込めました。沖縄人の基地への抵抗、闘いは粘り強く続く、との希望の表明でもあります」

 このような小説集ですが、自分はそこまで内容を理解して読めたのかどうか、はなはだ疑問です。
 改めてもう一度読んでみる必要がありそうです。


 チャンミーグヮーは「喜屋武・眼小」。喜屋武朝徳という目が小さい男の物語です。その喜屋武朝徳は、琉球空手を現代に伝える上で重要な存在でした。
 いわゆる琉球処分によって廃藩置県となった琉球では、多くの士族が職と禄を失う中、旧来の身分・王制を維持していこうとする「頑固党」と、新しい体制を求める「開化党」の対立が深まっていました。高級士族・喜屋武家で育った朝徳は、父から現代空手のルーツである“手”の指導を受けていました。最初は義務感しか抱いていなかった彼でしたが、次第にその魅力に取りつかれていきます。
 名家に生まれ、体が小さかった少年は、なぜ一生を“手”に捧げ、その道で怖れられるまでの存在になったのでしょう。そして、勃興する東京でも暮らし、いわれなき誹謗中傷にも晒された漢(おとこ)が、沖縄に戻り、修行を続けるうちに辿り着いた境地とは。
 ――というストーリーです。

 著者の今野敏は、警察小説を得意とする小説家である一方で空手の有段者でもあり、道場「空手道今野塾」を主宰しているのだそう。主人公は来る日も来る日も空手の動きの基礎型のナイファンチを練習し、徐々に悟りの境地を開いていきますが、その様子が見事に表現されています。その筆致は文武両道の著者であればこそなのでしょう。

 琉球新報の2013年2月~9月の紙面に199回にわたって連載されたものを単行化。
 空手家・富名腰義珍の生涯を描いた今野敏のもうひとつの空手小説「義珍の拳」に次ぐ空手フィクションです。


 『1999年8月20日。私は、宮古・八重山の島々をめざして、福岡空港から「沖縄巡礼の旅」へと、飛び立った。』――で始まる、164ページの薄い本。
 著者は、1931年島根県生まれ。大学卒業後、北九州市、筑豊地区で24年間小・中学校で働き、その後16年間福岡県教育庁で同和教育などに携わった方。
 その間、人権侵害を受けてきた被差別部落の人々の生活や生き方に触れ、彼らが「人間としての誇り」を矜持し、生産の力と心根の豊かさを持ち、人間と自然に向けた心優しさを持っているとの事実を見つけたといいます。
 著者はこれらから3つの旅路の示唆を受けます。そのひとつが「沖縄巡礼の旅路」で、琉球列島の離島に生きる人々の被差別の実態と、その島々に生きてきた人々の生活と生涯と文化の豊潤さを見つめるものだったのだそうです。(他の2つは、社会主義体制の中で生きてきたソビエト社会のロシア人やウクライナ人の生活と、北前船の寄港路となった「裏日本」に生きてきた人々の生涯、、文化、地域づくりの豊潤さ、だそうです。)

 ずいぶんと哲学的な旅へのアプローチですが、そのわりには中身はきわめてふつうの旅日記です。
 宮古島の「古謝本店」でガンズゥそばを食べたり、「ホテル・アトール・エメラルド」で海を見ながらディナーを楽しんだりしています。
 また、与那国島では「ホテル入船」に泊まり、「国境(はて)」でビールを飲んだりしています。これらの宿泊先・食事処はまったくのスタンダードで、あまりのベタさに笑ってしまいますが、実は私自身も全部行ったことがある場所なのでそういうことが言えるというワケです。(笑)
 このほか行く先々ほぼすべてがスタンダードなので、思わず崇高な旅の目的はどうなったんだとツッコミを入れたくなります。
 この人、司馬遼太郎の「街道をゆく-先島への道」を読んで感化されてしまったのだろうな。与那国島なんて、ほぼ司馬がたどったところをトレースしているんだもん。
 ま、行ったことがあるところばかりなのでイメージがしやすくて、それなりに面白かったですけどね。