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 この2カ月に入手した本は、次の14冊です。
 順に、書名、著者、出版元、発売年月、購入価格を記しています。
 「古」は古書購入で、購入価格プラス送料(大概257円)で手に入れています。

1 G米軍野戦病院跡辺り  大城貞俊 人文書館 2008.4 古241
2 アトムたちの空  大城貞俊 講談社 2005.10 古1
3 八重山の社会と文化  古川純 南山舎 2015.5 1944
4 よみがえるドゥナン 写真が語る与那国の歴史  米城惠 南山舎 2015.2 2052
5 トカラ北上殺人前線  浅黄 斑 有楽出版社  2001.12 古1
6 笑う!うちなーぐちFAX小全〈2〉  ラジオ沖縄「前田すえこのいいことありそうウィークエンド」沖縄探検隊 ボーダーインク 1997.09 古350
7 暗殺の年輪  藤沢周平 文春文庫 2009.12 古80
8 又蔵の火  藤沢周平 文春文庫 2006.4 古1
9 闇の梯子  藤沢周平 文春文庫 2011.5 古249
10 雲奔る 小説・雲井龍雄  藤沢周平 中公文庫 2012.5 古1
11 GPS:沖縄県庁 幽霊の告白  木下半太 PHP文芸文庫 2016.1 648
12 しまくとぅばの課外授業 琉球語の歴史を眺める  石崎博志 ボーダーインク 2015.8 1728
13 三匹のかいじゅう  椎名誠 集英社文庫 2016.1 561
14 宜野湾市のエイサー増訂 継承の歴史  宜野湾市青年エイサー歴史調査会 榕樹書林 2015.9 1620

 沖縄関連の古書が1、2、5、6。大城貞俊の小説2冊と、個人的リバイバルを2つ。古書っていいよな。少し体裁が古いだけで、中身は何ら変わらないのに、値段がずいぶん安いのだもの。
 藤沢周平の文庫本を発表順に読んでいこうと考えていて、その走りとなるのが7、8、9、10。
 沖縄本新刊が3、4、11、12、14。このうち4冊は沖縄の地方出版社がものしたもので、沖縄というところは文化の水準が高いと認識させられます。
 あとはシーナの文庫本が13。

 このように、好きな本を容易に手に入れて、好きな時に好きなだけ読むような生活ができることって、ある意味理想的な日々なのではないか。
 おれはホントにシアワセだ。本があれば、いろんなことを疑似体験して、いろんなことを知ることができるものな。
 そんなことに喜びを見出すことができる人間に育ててくれた親や学校の先生たちに感謝しなければならないよね。


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 1992年4月、メキシコでWBA世界ジュニアウェルター級のタイトルマッチに臨み、怒涛の連打で王者を圧倒した平仲明信は第1ラウンドわずか92秒で王座奪取を果たしました。自分はこのシーンをその時代に見ており、日本人としては重いウエイトのカテゴリーにもどえらい強い人間がいたものだと感嘆したのを覚えています。
 パンチパーマをかけたような頭髪と濃い顎鬚といった風貌。それでいてどこかに愛嬌を秘めたような優しい眼。印象深い男の姿でした。
 しかし同年9月、日本武道館での初防衛戦で、それまで優勢に進めていた11ラウンド、挑戦者の左ストレートをカウンターでまともに浴び、TKO負け。試合後の検査で脳内出血が確認され、引退を余儀なくされてしまいます。

 その平仲明信という人物は、1963年、沖縄県島尻郡具志頭村(現八重瀬町)生まれ。南部農林高校2年生の終わりにボクシングを始め、数か月後にインターハイで優勝。日本大学農獣医学部時代の1984年にはロサンゼルス五輪ボクシングウェルター級に出場し、翌年、特例のA級としてプロデビューしています。
 この本を読んで知ったのですが、平仲はテレビや大手ジムなどの背景がない個人の力で世界戦の交渉を行い、リングの上と下とで汗を流した結果、世界挑戦実現にこぎつけたという珍しいタイプのボクサーだったようです。
 そんな彼の「沖縄の魂」、そして興行界の赤裸々な内幕を活写したスポーツ・ノンフィクションなのがこの本です。

 著者の山岡淳一郎は、1959年愛媛県生まれのノンフィクション作家。雑誌編集者を経て、ライター集団「S&Bプランニング」で政治、社会、経済、スポーツなどについて執筆。

 1990~95年に「Sports Graphic Number」と「週刊プレイボーイ」に掲載されたものに大幅加筆して99年に単行化されたもの。これを古書店で買い求め、2015年に読みました。
 闘う一人の男を一流のライターが追いかけると、こういうすばらしいノンフィクションができる、という見本のような作品と言っていいでしょう。


 謙信の流れをくみ、鷹山を中興の祖と仰ぐ名門、米沢藩上杉家。
 最後の藩主・茂憲(もちのり)は明治14年、琉球処分から日が浅い沖縄に県令として赴きます。
 沖縄本島をくまなく巡り、宮古・石垣両島まで及んだ視察で目撃したのは、困窮にあえぐ庶民の姿でした。
 再三の改革意見は政府から黙殺され、志半ばで解任される茂憲。しかし、情熱を傾けた「人材育成」は、後年になって実を結びます。今日もなお沖縄で敬愛される上杉茂憲の2年にわたる奮闘の記録です。

 数年前、沖縄陸軍病院南風原壕を訪れたときに、そこでガイドボランティアをしている方が、どこから来たのか訊いてきたので山形県だと答えると、「ああ、上杉県令の出身地ですねえ」と嬉しそうに言うのでした。そしてその後は、上杉県令の布いた善政についてひとしきり説明を受けたのでした。山形県人としてちょっぴり嬉しかったかな。
 そのぐらいに沖縄県民に愛されている県令のようです。戦中の県令だった泉守紀などとは大違いです。
 その奮闘の記録は、新書で手軽な本なので買って読んでいただくとして、当時の沖縄本島の様子がよくわかるので、以下に引用して記しておきます。

 「王城のあった首里、古来の商業都市の那覇を別格として、地方の各間切、離島の生活は、わずかな数の間切役人以外の住居は、細い丸木を柱とし、茅草で屋根を葺き、かろうじて雨風をしのいでいる。衣服は夏冬をわかたず一枚の粗悪な芭蕉布をまとい、食は甘薯、蘇鉄にとどまる。年中男は農耕、女は織りものに追いまくられているが、産出する米、粟、豆はすべて貢租にあてても足らず、貢糖のほかに私的に売る砂糖は、貢租の不足分の補填にあててしまい、なお余るものがあれば間切町村内の公費にあてる。「一粒の米粟自ら食するあたわず、一尺の反布自ら衣(き)るあたわず、これを要するに、一県の黎庶37万余人のうち僅々たる数百人を除くのほか、人間社会中些少の快楽あることも了解せざるものとす」――」
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 カレンダーを見て、ゴールデンウィークまであと1カ月余りとなっていることに気がつきました。
 そうか。
 平成28年度もおそらくなかなかまとまった日数の休みは取れない。4日以上の休暇が取れそうなのはGW、夏休み、年末年始ぐらいだろうか。ここをうまく使わない手はないだろう。
 それにしても、早めに自分としての日程を決めないとどんどんオフィシャルな日程が入ってくる。なので先手を打って、具体的にどうしようかを2~3日前から考えていたのでした。

 熟考の末、今回は奄美諸島方面を攻めることにしたい。
 ANAの株主優待券を使って仙台から沖縄本島に1本のフライトで飛ぶのとはわけが違い、庄内から羽田、鹿児島を経由し、鹿児島からJAL系列のフライトを使う。つまりは往路4便、復復3便を使い、一部JAL系の定価のチケットを使って行くことになる。
 沖縄からフェリーでの名瀬入りも考えたが、わずか5日程度の日程でまわるには時間がかかり過ぎる。交通費はフェリー利用よりも4万円近く高くなってしまうけど、時は金なり、やむをえまい。交通費だけで11万円を超える大散財だ。
 そんなわけで、昨晩にはすべてのフライトを押さえることに成功しました。

 奄美大島と加計呂麻島は、2001年の晩秋に訪れて以来なんと15年ぶりの再訪となる。かなり様変わりしているのだろうな。
 また今回は、喜界島にも初上陸する。ずっと前から渡ってみたい島だったが、やっと念願がかなう。

 日程は、5月3日の早朝にこちらを発ち、その日の午後には喜界島へ。
 4日の午前中まで喜界島をバイクで巡り、午後のフライトで奄美大島へと飛び、空港からはレンタカーで島の北部を巡って、名瀬泊まり。
 5日は、大島の南部をゆっくりと周遊し、瀬戸内町のターミナルとなっている古仁屋泊。
 6日は、加計呂麻島に渡って各集落のたたずまいをたっぷりと味わって、夜までには名瀬へと戻って、最後となるヤンゴ(屋仁川)の夜を堪能したい。
 最終日の7日は、午後まで名瀬市内や大島内の見落としどころを拾い、羽田発の最終便で戻ってくる。
 ――こんな感じだろうか。

 見る場所、行く場所についてはこれからじっくりとリサーチして決めることにしましょうね。

(画像は、加計呂麻島かな?)