DAT3576SL 201512

 強風の庄内地方の冬をしのぐためには、傘やコート、防寒ブーツなどでは到底耐えられないとの話を聞いていたので、早めに準備を始めて、長靴や手袋などを買ってスタンバイ。しかし、外套はどうしようかとしばらく考えていました。
 そんな中、数日前、横殴りの風雨の中を歩いていて、フード付きの丈の長いものが必要であると確信し、ここはやはりベンチコートのようなものを買うべきなのかなとの結論に。

 そんなことで、スポーツショップを眺めてロングダウンコートというものを買うことに決めて、店頭価格をもとにウェブで情報収集。
 その結果これだと判断したのが、デサントの2015~16モデルのウォームアップスーパーロングダウンコート(DAT-3576SL)のXOサイズ。カラーはエボニーネイビーにしてみました。

 税・送料込みで19,289円。
 定価は19,800円+税(8%)だったでしょうか。1年前のモデルなら1万1千円台で買える。また、ニューモデルでもブラックなら1万7千円台で買える。でも、この色が欲しい。それのXOサイズでの最安の店となるとこの値段でした。
 ケチって年式を落としたり色を変更したりすることなく、欲しいものを買う、というのが、永く使うものを買うときの鉄則だと思っているところ。

 かつてダウンジャケットというものが世を席巻し始めた時、それは今から30年以上も前のことですが、当時買ったジャケットはたしか4万9千円ぐらいだったと記憶しています。学生の身分でよくぞ買ったものです。今回求めるものはそれよりはモノがいいし、ずっと安いではないか。

 昨日、届いた。
 これで安心して冬を迎えられます。
スポンサーサイト
taira 20151206

 平良とみが亡くなったという。以下、12月6日の沖縄タイムスを引用。

 沖縄芝居役者の平良とみさん(87)が6日午前4時27分、那覇市内の病院で死去した。
 平良さんは1928年那覇市生まれ。「ときわ座」などを経て、82年に夫の平良進さんと劇団綾船を結成した。沖縄芝居の舞台などで幅広く活躍する一方、2001年に出演したNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」で演じた「おばぁ」役などで全国的な人気を得た。

 また、デイリースポーツは次のように報じています。

 NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」のおばぁ役として知られる俳優の平良とみ(本名トミ子)さんが6日午前4時27分、敗血症による呼吸不全のため那覇市の病院で死去した。87歳だった。
 那覇市出身。葬儀・告別式は8日午後2時から那覇市銘苅3の22、サンレー那覇北紫雲閣で。喪主は夫進氏。
 13歳で沖縄芝居の世界に入り、ゆっくりと話す様子や小柄な容姿、親しみやすい笑顔で人気を博した。「ちゅらさん」ではヒロイン古波蔵恵里の祖母で、「おばぁ」と呼ばれる沖縄のおばあさんを演じ、全国的な知名度となった。そのほか、映画「マリリンに逢いたい」、「ナビィの恋」など多数出演した。2014年に旭日双光章を受章した。


 また一人、沖縄ブームを牽引した大御所が逝ってしまった。沖縄のおばぁは元気なので、100歳ぐらいまでは平気で生きるのだろうと思っていたので、87歳とはいえまだまだ早い逝去だ。
 琉球新報に載った2014年4月に撮影された写真を見ると、活躍していた頃のふくよかさは影を潜めて、ただでさえ小柄な身体が横幅まで小さくなってしまっていたようだ。

 「ちゅらさん」のヒロイン古波蔵恵里を演じた国仲涼子もショックに思っている事だろう。母役の田中好子に続いて祖母役の平良が逝ってしまったのだから。
 夫の平良進は元気でいるのだろうか。元気ならばもっとショックは大きいだろう。

 「命どぅ宝」を身をもって表現していた役者だっただけに、その命が失われたことは、残された我々には極めて重い事実だと思う。
 おばぁ、お疲れさまでした。そして、ありがとう。「ナビィの恋」、名演でしたよ。御冥福をお祈りします。

tairatomi 201512
shinzanjinja 201512

 12月のある土曜日、久々に晴れ上がったので、庄内めぐりを再開しました。
 旧平田町の山手のほうを車で走っていて、古くからあったと思われる神社を発見したので一時停止。酒田市楢橋字新山にある「新山(にいやま)神社」です。御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とのこと。

 道路脇の用水路に立派な太鼓橋が架けられており、それをよっこらしょといった感じで渡っていくと、「新山神社」と大書された標柱と赤い鳥居があります。標柱は、大正10年(1921)に建立されたもので、当時の山形県知事の森本泉の謹書でした。
 その先にものすごく急な、長い石段が続いていました。これだけ長く急なものを見せつけられるともう、登る意欲は完全に削がれますね。(笑)

 というわけでそれより先には行きませんでしたが、由緒書きにあった概略は次のとおり。

 社殿に天平11年(皇紀1378年、管理人注:天平11年は西暦739年、皇紀1378年は西暦718年で、不突合)、泉州大鳥神社より勧請する所なりと云う。両部習合の説により本地仏毘沙門天に□□不動尊吉祥天を安置し、新山大権現と称す。
 往時は境内8町を占め、社殿10間4面なりしと云う。爾来両度の災禍に遭い、元禄4年(皇紀2344年)社殿(7間に8間)を改築し、慶長17年(皇紀2239年)最上出羽守義光、社領24石7斗7升1合を寄進せられ、元和8年(皇紀2267年)酒井宮内輔忠勝庄内を領するに至りても旧に依りこれを寄附し、後代その領主の崇敬極めて厚かりき。
 明治維新、神仏分離となりて、新山神社と改称す。
 明治9年村社に列し、昭和4年2月郷社に昇格し、神殿幣□科供進社に指定せらる。昭和38年8月2日、火災の為社殿焼失する。昭和39年11月22日、社殿再建竣工す。御神体並に御遺物等災禍よりまぬかれたことは幸の至りなり。


 ところでこの地には、「新山延年舞」というものが伝えられているのだそう。各地に残る延年の中でも、演目数が豊富で新山でしか見られない演目があるとのことです。
 そのことに関する看板が道路のほうを向いて建っていたので、引用しておきます。

山形県指定無形民俗文化財 新山延年の舞
 延年の舞は、平安時代末期から延命長寿を願って寺院等で舞ったものです。
 新山では俗に「デッコデン」舞と言い、昔この地にあった新光山最勝寺で舞い継がれてきました。現在残っている青銅製の羅陵王仮面、木彫の龍頭、狛犬等によっておよそ750年、前鎌倉時代だと言われています。
 新山延年の舞は9舞曲があり、毎年8月19日、新山神社例祭に奉舞されます。
 昭和39年、山形県民俗文化財第1回公演に出演の際、丹野正先生から「新山延年の舞」と命名されました。
 昭和59年、山形県の指定を受け、文化庁から記録作成を要する民俗文化財に選ばれました。
  昭和59年8月吉日
    新山延年の舞保存会  酒田市教育委員会
soukouji12 201512

 三十三観音めぐりの21カ所めは、松山町の總光寺。だいぶ前のことになるけれども、この上にある「眺海の森」を造成していた頃に何度か通った場所なので、キノコスギが並ぶ参道などはよく目にしていました。しかし、寺の敷地内に入ったのは今回が初めてかもしれません。

 まずは庭園。看板を引用。

国指定名勝 總光寺庭園
   作庭年代  江戸時代後期
   指定年月日 平成8年3月29日
   指定面積  176,442平米
 總光寺は、14世紀後半創建の禅宗寺院で、庄内松山藩酒井家の城下町であった松山町の東山麓にある。庭園は、江戸時代に流布した築山泉水庭の作庭法に基づいており、寺の歴史の変遷から推定すれば、江戸時代後期の作庭と考えられる。
 本堂、庫裏書院から鑑賞する庭であり、自然の景観を構成する山、渓、海などの要素を築山、滝、流れ、池などに代えて立体的に表現したもので、優れた庭景を成している。借景として山間に「中の薬師堂」、山頂に「峰の薬師堂」を置き、拝石より遥拝する形をとっている。
 鳥海山、月山、最上川、庄内平野、日本海の恵まれた景勝地にあり、自然との調和を特色とする日本庭園の好例として価値が高く貴重なものである。
  平成8年10月  松山町教育委員会


 次は寺院。
 寺の入口には寺名を記したでかい看板があって、ここの場合その先にある山門がいちばん立派だったでしょうか。
 この山門、文化8年(1811)に、3年の歳月を要して落慶したものだそう。扁額の「洞瀧山」は第5代松山藩主・酒井忠禮公の揮毫です。

 寺院のほうはすっかり冬支度といった感じで、格別見るべきものはなし、といった感じだったかな。
houzouji13 201512

 旧松山町内の山寺地区にある「東林山宝藏寺」。
 道路沿いの駐車場に車を停めて、まっすぐの石段を登っていったところにあります。
 石段は歩く人が少ないようで、落ちてきた杉の葉にこんもりと覆われています。
 石段の中ほどにある山門は、先に見た總光寺のそれとは違って大きさがだいぶ小さく、形といい色といい、ずいぶん簡素なつくりのものです。
 寺社仏閣は特に、建物の色づかいはあまり派手にしないほうが重厚な印象があっていいと思うのですが、ここは建物が全般的に赤っぽくて貫禄がないなという感じ。

 階段を登り詰めると、正面の位牌堂も、その向かって右手にある本堂も、建物がすっぽりと雪囲いの筵で覆われていて、写真を撮ってもちっともサマになりません。こうなってしまうと、この宝藏寺の項の使用写真は、入り口から見た長い石段としょぼい山門のスナップになっちゃうな。
 これから雪が降ってくるわけで、今シーズンの庄内三十三観音の寺めぐりはここまでなのだろうなと思った次第デス。
2015.12.18 阿部次郎の碑
abejiro 201512

 東林山宝藏寺への訪問はあまり冴えないものになってしまいましたが、境内に「阿部次郎の碑」があったので、チェック、撮影してきました。
 碑の周辺には銀杏の熟した実が山ほど落ちていて、それを踏んづけるたびに足元にむにゅっとした感覚があり、あのかぐわしい匂いが立ちこめ、ブーツの底の溝に匂いのついた実が食い込んでいくのでした。
 それと、栗のイガもずいぶん落ちていたな。墓は多くあるようだけど、この季節この寺は無人なのだろうか。

 阿部次郎の碑の表面には、

  天なるや 星の瞬き しづまらず 木枯吹けど やまぬ瀬の音  次郎

と刻まれていました。詠んだときのシチュエーションが知りたい。
 その向かって右手にあるもう一つの石に刻まれていた内容は、次のとおりです。

 阿部次郎は、明治16年8月27日、山寺に生まれる。
 父富太郎、母お雪、祖父母の七郎右エ門、わかのの手で育てられ、山寺小学校、松嶺小学校高等科で学ぶ。後、東北帝国大学教授美学担任、日本文化に深く心を注がれた。
 「三太郎の日記」「人格主義」「北郊雑記」「秋窓記」など著書多数。
 昭和34年10月20日、仙台で死去される。
 この度松山町教育委員会ほか有志の方々によりこの歌碑が建てられた。明記して感謝の意を表し上げたい。
  昭和46年秋  阿部 襄


 ははあ、本県の偉人阿部次郎はこの地の出身だったのですね。
 荘内日報社HPの「郷土の先人・先覚」で紹介されている阿部次郎の人物像は次のとおり。

 東京帝大に在学中から齋藤茂吉らと深く関わり、小山内薫らの「帝国文学」の発行に参画し、編集委員を務めた。また明治42年に夏目漱石の門下生となって朝日文芸などに多くの文芸、哲学の評論を書き、読売新聞の客員(同44年)にもなった。
 よく知られている「三太郎の日記」を発表したのは大正3年。雑誌「思潮」も主宰し、同11年には文部省の海外研究員となって渡欧している。
 東北帝大教授として仙台に移った後、帝国学士院会員に推され、万葉集など日本文学の研究にも励んだ。

 なお、阿部襄(のぼる)は、生物生態学者で、阿部次郎の甥にあたるのだそう。昭和55年没。
 は、次のとおりです。

1 アゴの竹輪とドイツビール  太田和彦 集英社文庫 2015.7 古435
2 宇和島の鯛めしは生卵入りだった ニッポンぶらり旅  太田和彦 集英社文庫 2015.4 古519
3 夕凪の島―八重山歴史文化誌  大田静男 みすず書房 2013.8 古1636
4 女ひとり玉砕の島を行く  笹 幸恵 文藝春秋社 2007.5 古417
5 さらば新宿赤マント  椎名 誠 文春文庫 2015.9 古659
6 レールの向こう  大城立裕 新潮社 2015.8 1728
7 今宵もウイスキー  太田和彦 新潮文庫 2015.2 594
8 沖縄現代史 米国統治、本土復帰から「オール沖縄」まで  櫻澤誠 中公新書 2015.10 993
9 「艦砲ぬ喰ぇー残さー」物語 「でいご娘」と父・比嘉恒敏が歩んだ沖縄 仲松昌次 ボーダーインク 2015.10 1728

  railno.gif  kanpounu.gif

 このうち沖縄本は3、4、6、8、9の5冊。
 3は、発売当時から欲しかったもので、多少値がこなれてきたので中古でゲット。ついでに4も中古でゲットだぜ。
 6は、ずっと追いかけている大城立裕の新しく出た短編集。9は、でいご娘にまつわるもの。読谷につくられた艦砲ぬ喰ぇー残さーの碑も見てきているので、読むほうも興味深い。

 1、2、7は「ふらり旅いい酒いい肴」の太田和彦の居酒屋エッセーの文庫本3冊。
 5はシーナの文庫新刊。

 いずれもAmazonや楽天ブックスで買ったもの。
 読む本のストックがけっこう増えており、これらについては12月なった今も手つかずの状態。少しペースを上げていかなければならんな。


   aishunoB.gif   bokunonaha.gif

 続いて、この11月と12月に購入した本は、次の13冊です。

1 木登り豚  又吉栄喜 カルチュア出版 1996.7 古450
2 哀愁のB級ホテル  宮城 悟 燦葉出版社 2014.9 古1064
3 My Bloom 第3弾  プランニングゆうむ 2015.11 1000
4 ここだけの話  椎名誠 PHP文芸文庫 2015.11 691
5 寝ころび読書の旅に出た  椎名誠 筑摩書房 2015.11 864
6 ぼくの〈那覇まち〉放浪記  新城和博 ボーダーインク 2015.5 1728
7 されど時は過ぎ行く  北方謙三 角川文庫 2015.4 691
8 島猫と歩く那覇スージぐゎー  仲村清司 双葉社 2013.9 古871
9 沖縄まぼろし映画館  平良竜次 ボーダーインク 2014.11 1944
10 光り輝く未来が、沖永良部島にあった!  石田秀輝 ワニブックス 2015.12 972
11 銀座の酒場を歩く  太田和彦 筑摩書房 2015.12 885
12 ぼくがいま、死について思うこと  椎名誠 新潮文庫 2015.12 496
13 25億の借金をしても沖縄・瀬長島につくりたかったもの 近藤康生 ダイヤモンド社 2015.11 1620

 1、2、6、8、9、10、13の7冊が沖縄本。
 1は、1996年のもので、又吉栄喜が「豚の報い」で芥川賞を受賞する2年前に書いたとされるもの。
 2は、愛してやまないコザのデイゴホテルのオーナーが書いたエッセー。発売時は見逃していたのだろうな。知っていればすぐに買っていたはずの本。
 6は、しばらく単行が途絶えていた新城和博の待望のエッセー。
 8は、仲村清司はいいのだけど、猫を扱ったものというところに難があり躊躇していたのを、今になって中古でゲット。
 9の著者が書いた文章はこれまでいろいろなところで読んでいるけど、一人で出したものは稀有かも。
 10は沖永良部島モノ、13は瀬長島モノ。

 ほかには、文庫本ならばすべて読むことにしているシーナ本が4、5、12。
 7は、北方謙三のハードボイルドもので、北方の歴史ものは別としてハードボイルドも、文庫化されたものはすべて読むことにしているところ。
 11は、太田和彦の文庫の買い残しを埋めたもの。
 3は、地元食堂などで使えるパスポートブックで、これは地元の書店で買ったものです。

 自分にとってなかなかいいチョイスになっていると思う。
nenga 2016

 12月29日の午後、勤務地から自宅に戻って、新春の年賀状を作成。
 例年、沖縄の文物や風景をモチーフにデザインしたものをつくっていたのだけど、今年はその余裕もなく、ウェブ上に転がっていた無料素材を使ってみました。

 大急ぎでデザインして、印刷して、宛名を書いて、一言書いて、という手順。
 印刷は90枚。差し出し枚数は60枚ぐらいかな。17時前には作業を終えて、帰ってくる倅を駅に迎えに行くという連れ合いに投函をお願いしました。

 残った30枚相当は、自分宛てに出してくれた人のために取っておく。多いときは150枚ぐらい書いていたけど、このごろは自分から新しい人に出すことはせず、意識的に減らしているところ。
 ブログやメールで新年のあいさつをして済ませることも一般化してきているし、知り合って住所を聞く、住所録をつくる、といったこともあまり大っぴらにやらなくなってきているしな。

 というわけで、ブログで皆さんにごあいさつ。
 2015年、いろいろとお世話になりありがとうございました。一足早く年賀状をお届けします。
 新年が皆様にとって平穏でよい年となるよう、願っています。