2015年の5連休のシルバーウィークに琉球フェスティバルを見るために上京しましたが、その際に読んだもの。
 1990年に単行化され、それが1996年に文庫化されたものを、2015年に古書で買ったもの。

 名前ばかりデラックスな貧乏探偵・宝山豪華(たからやまたけはな)と、一見美少女風の元女房のあたりが、豪華客船内で行われるある殺人事件の謎解きクルーズに招待されて参加します。
 ところが、その船内でまたもや殺人事件が・・・。
 3カ月前に東京で起きた事件の関係者が一同に会する船の中で、貧乏探偵は快刀乱麻の名推理によって、あたりとのよりを戻せるだろうか!?
 ――という軽い感じのミステリー推理小説。

 豪華船というのは一般的に言って、乗組員数百名、利用客数百名、ものによっては千名超の大きなものをいうのかと思って読み始めましたが、この小説に登場する客船の招待客等は15名程度で、乗組員も微々たるもの。それなのにプールあり、船医ありと、いっぱしのクルーズ船のような設えで始まっており、どうにも不思議な設定と言わざるを得ません。

 内容については絵に描いたようなでき過ぎの推理小説なので、特段の論評は必要ないと思います。
 自分の場合、サブタイトルに「沖縄」が入っているので、なにか沖縄についての記述が出てきたり、沖縄ならではの事情等が謎解きに絡んでくるのかもしれないと、期待して読んだところ。
 しかしそういうこともなく、沖縄については本部港、海洋博記念公園、渡久地港ぐらいの記述にとどまっていました。
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 「ガマ」とは、このページにお越しの方はよくわかっていると思いますが、沖縄の方言で、自然にできた洞窟のこと。沖縄本島に約2千か所あると言われ、主に南部に密集しています
 沖縄戦では、そのガマに隠れていた多くの住民や兵士がその中で亡くなりましたが、ガマのほとんどがジャングルの茂みの中にあり、また地盤が緩んで危険な状態になっていたりしたために、遺骨や遺品が手つかずの状態で放置されてきているところが多数あります。

 あの戦争から70年。この本に掲げられた3つの話は、ガマから掘り出された遺品たちとその持ち主、そして家族にまつわる人生の物語です。

 第1章は「哲也の硯」。
 国民学校の卒業祝いに母から新品の硯をもらった哲也でしたが、その日の夜から長期間にわたるガマでの避難生活が始まりました。米軍に囲まれ、住民たちは投稿を考えましたが…。
 第2章は「新太の目覚まし時計」。
 遺骨のそばにあった、開けられた缶詰と使われていない手榴弾、そして目覚まし時計。遺品から、最期まで人間らしくあろうとした少年兵の姿が浮かび上がってきました。
 第3章は「夏子のアルバム」。
 60年前に民家から略奪したアルバムを返したいと、元米兵が沖縄を訪れます。写真に写った美しい女性の妹は、避難先の密林で命がけで娘を産んだ姉の最期を語り始めます。

 登場人物の一人ひとりに実在するモデルがいるわけで、読んでいて、命の尊さを思い、気が遠くなるような感覚さえ覚えます。
 あの戦争から70年という長い歳月が経ちましたが、それでもまだ、ガマのなかから声が聞こえてくるような気がします。沖縄戦は、まだ終わっていないのです。


 1944年8月、沖縄から本土に向かった学童疎開船・対馬丸は、アメリカ潜水艦・ポーフィン号の魚雷を受け、夜の海に沈みました。
 乗船者1,661名、このうち学童は800余名。生き残った学童はわずか50余名だったそうです。
 戦争完遂という大義名分のもとに実施された疎開事業における最大の悲劇がどうして起きたのか、また、生き残った学童たちは数日間の漂流をどのようにして生き残ったのかを伝える内容となっています。

 無邪気な沖縄の学童たちは、本土に行けば雪が見られる、鉄道に乗れるなどと、なかば修学旅行気分で沖縄を発ったことでしょう。
 そして、彼らを送り出して離ればなれになってしまう親たちの心情はいかばかりだったでしょうか。
 さらには、無垢な子供たちを危険な水域に敢えて送り出そうとする教育者たちの葛藤は…。

 著者は、元沖縄県立博物館長で、沖縄芝居の脚本なども手掛ける沖縄文化人の第一人者、大城立裕ですから、ノンフィクションに作家らしい脚色を施しており、読みやすいものになっています。

 対馬丸の遭難については、当時は箝口令が敷かれ、社会も混乱していたので、知る人は少なかったようです。著者本人も、戦後ながく対馬丸の遭難のことは知らなかったそうで、1960年に遭難学童遺族会から執筆依頼を受けたのを契機に取材を始めたのが事件を知るきっかけとなったようです。

 事件発生から71年、沖縄戦の終結から70年が経過し、当時の事実を語ることができる人々が少なくなっています。
 戦争を知らない世代ばかりになった現代においてこそ、我々はこういう文献をとおして、戦争という悲しい出来事の実態をしっかりと受け止める必要があるのではないでしょうか。


 沖縄の戦後史を駆け抜けた、政治家・中根章の半生を描いたノンフィクション作品。沖縄戦からアメリカ統治下、琉球政府時代、復帰後の沖縄県政時代と、昭和ヒトケタ激動の世代が語る、おきなわの熱き日々。笑いと闘いの沖縄現代史。
 ――という内容の、ノンフィクション風の一代記。
 この本を読んで初めて中根章という人物を知ったのですが、なんかとっても面白い人のようですよ。

 1932年越来村(現・沖縄市)の胡屋生まれ。13歳の時に沖縄戦を経験。米軍上陸当日の45年4月1日に本島北部へ避難を開始。5日間かけて名護市源河までを家族と共に逃げ惑う。首里で日本軍が勝利したとの報を聞き、今度は南を目指して移動を始めるも、ブート岳で潜んでいたところを米軍に保護される。
 戦後は、嘉手納基地内にある将校クラブで従業員を務めながら、ウイスキーや食料を米軍から盗む「戦果アギヤー」を体験。大山朝常の選挙活動に関わり、地元胡屋の青年会長を経て、コザ市議、県議を務める。
 そして、「比謝川をそ生させる会」、普久原恒勇作曲の「響(とよむ)」の沖縄市での再演、「毛あしびーコンサート」、「普久原朝喜顕彰碑」の建立、沖縄市民小劇場あしびなーでの藤木勇人との「しまくとぅばで対談」などに関わり、琉球新報の「南風」欄で半年間のコラム執筆などにも携わっています。

 著者は「プロローグ」で次のように書いています。
 中根章の話は、ウチナーグチ、ヤマトグチ、ブロークン英語を交えつつ語られ、いつ聞いても面白い。夜ごと、自宅を開放した中頭郡青年団OB事務所で語られる、そんな問わず語りの話をもとに、題して「コザから吹く風」、中根章の奔流の軌跡を辿っていこう。

 長くなるけど、内容は次のとおり。

プロローグ コザから吹く風
第一章 戦場を生きて
 勉強嫌い~父親の精徳~野生児時代~戦火の足音~子どもの綱引き~幻の小学校卒業式~アメリカ軍上陸~ヤンバルへ逃げる~精徳の人徳~不穏な空気~生きながらえるための知恵~投降を決意する
第二章 収容所での生活
 石川の収容所~収容所の暮らし~石川高校での運動会~石川収容所での出会い~安慶田収容所へ移る~脱柵と芋掘り~コザ高校時代~
第三章 軍作業時代
 理不尽な世界~「戦果」を挙げる~親子の共鳴~精徳の教え~捨てる神あれば、拾う神あり~運転免許を取る~ストーキーパーの地位~「戦果」がもたらすもの~処世術のツボ~人種差別と転職~クラブ「スナッペイ」での「フリービール」~初めてのスト
第四章 大衆運動への目覚め
 産休補充の代用教員になる~若き日の乱読時代~伊佐浜土地闘争~胡屋青年会長時代の功績~初めての選挙活動~越来村青年会長時代~仲宗根悟氏に引き抜かれる
第五章 ヤマトで沖縄問題を訴える
 青年団の役割~沖縄県青年連合会の常任理事になる~中頭郡青年団協議会発足~「由美子ちゃん事件」を訴える~日青協の幹部研修会で引き止められる~比嘉春潮氏との対談と各県回り~沖縄での幹部研修会~党派を超えた付き合い
第六章 平和運動の始まり
 原水爆禁止沖縄県協議会結成~中頭郡青年団と琉大学生会~CICの下請けに誘われる~本島縦断駅伝大会~反対運動ばかりでなく~中の町青年会と文化活動
第七章 政治家になる
 落選の憂き目に遭う~市会議員となる~宴会に溶け込む~断固とした態度~解放同盟の人達と~沖縄の水行政~選挙の醍醐味~党派を超えた人間模様~県議選に初当選
第八章 「比謝川をそ生させる会」
 土木委員となる~比謝川との出会い~「比謝川をそ生させる会」の後押し~科学の知識を学ぶ~「沖縄こどもの国」の池を浚う~「水と緑の広場」の完成~総務委員としての質問~毛遊びーコンサート~どこへ行っても「こどもの国」~雰囲気を読む
第九章 落選から、再び県議会へ
 「ヌージュン」へ~「響」に感動~「中根と有銘」のコンビ~民間の道を地下に潜らす?~中根を支えた人達~第一回目の嘉手納基地包囲網成功~保革を超えた人情~「比謝川をそ生させる会」十五周年記念シンポジウム~思わぬ収穫~「ナギグィー」と「アグー豚」~大国林道開発に反対~「慰霊の日」が無くなる?~ウチナーンチュの心~郷に入れば郷に従え
第十章 奔走の日々は続く
 還暦の祝いと「うすく会」~普久原朝喜顕彰碑~「コアラを育てる会」会長になる~資金の調達に奔走する~ユーカリの確保に奔走する~ゾウガメの話に乗る~後輩に引き継ぐ~ラジオ番組「中根章の甘口辛口問答」~コラム「南風」~中根のきょうだい達
エピローグ 中頭郡青年団OB会
中根章 年表
あとがき


 時は明治。琉球の下級士族の家に生まれた富名腰義珍は、生来の病弱を克服するために、門外不出の秘伝とされていた唐手を学び始めます。
 ナイファンチという基本の型を数年かけて練り続ける日々の中で、義珍の心身は強靱になり、修行にのめり込んでいきます。
 そして時は移り、教育者となった義珍は、唐手を青少年の育成に役立て、古伝の精神を本土に普及させることを決意します。
 その理想はたゆまぬ努力によって実現するのですが、戦争を挟んで空手をめぐる時代の趨勢は型中心から自由組み手や試合形式へと移ろいゆき、自分が考えていた空手の本質から遠のいていくことに苦悩します。
 空手人生をひたすらに歩み、88歳で大往生。琉球秘伝の「唐手」を極め、本土に「空手」を伝えた男の生涯がドラマチックに描かれています。

 富名腰義珍は、後年「船越」と改正していますが、その人物について、ウィキペディアには次のようなことが記載されています。

 1868-1957年。沖縄県出身の空手家。初めて空手(当時は唐手)を本土に紹介した一人で、松濤館流の事実上の開祖。本土での空手普及に功績があった。経歴や実力については不明な部分もある。
 船越は泊士族の家系だが、16歳の時に、泊手ではなく那覇手の大家・湖城大禎師事したとされる。
 首里手の大家・安里安恒に本格的に師事するのは24歳以降のこと。(小説では子供時代からのように書かれている。)鎌倉の円覚寺境内に建てられた石碑の碑文(大浜信泉書)には「11歳の頃より唐手術を安里安恒、糸洲安恒の両師に学び…」とあるが、信憑性に乏しい――のだそうです。

 著者の今野敏は、1955年北海道生まれ。上智大在学中に「怪物が街にやってくる」で問題小説新人賞、2006年「隠蔽捜査」で吉川英治文学新人賞。SF、伝奇アクション、ミステリなど幅広い分野で活躍。そして、空手道「今野塾」を主宰する武道家でもあるのだそうです。


 主人公の女性の名は伊波まじむ。変な名前。「マジムン」が由来? いやいや、ウチナー口でいう「真心」のことなのだそうです。だったら、沖縄の真心は「真肝」なので「マチム」が正しいような気がするのだけど。
 通信会社琉球アイコムの派遣社員として働く28歳。自分が何をすべきかわからず漠然と日々を送っていたのですが、社内ベンチャー募集の告知が彼女の運命を突然にして変えてしまいます。まじむは郷土沖縄のさとうきびでラム酒を造るという事業を提案します。周囲の正社員たちは、成功は無理だろうと高を括っています。さて、果たしてまじむの夢は実現するのでしょうか?
 ――といった内容の小説です。

 南大東島の特産品として、島でつくられたサトウキビを材料にしたラム酒をつくる話。これって、実際にあった話で、㈱グレイスラムの金城祐子さんと彼女のつくった「コルコル」がモデルになっています。
 なんでも2004年、著者が働く女性のインタビューに携わり金城さんを取材した際に、5年経って「コルコル」が多くの人に飲まれ、著者が物書きになっていたなら、「沖縄のラム酒を造った女性」の小説を書くことを提案していたのだそうです。
 それが2010年に単行本として発売。2014年に文庫化されたというものです。

 自分も、2009年に南大東島を訪れたときにはそのラムを買ってきたものでした。
 南大東島の中心部の「在所」にある名物店「大東そば」や地元商工会などが登場し、懐かしい思いで読むことができました。

 いろいろな人が登場しますが、やはりここでも沖縄の「オバア」がいいスパイスになっています。

 ところで著者の原田マハは、美術史専攻で、美術館勤務経験が豊富な人。2005年に「カフーを待ちわびて」(既読)で日本ラブストーリー大賞を受賞し、その後も波に乗っている人気作家です。


 かなり長い歳月をかけて読破した1冊。ウチナーグチを文法的にじっくりと勉強させてもらいました。
 沖縄の標準語的な位置づけにあった首里語を、沖縄復帰後40年、先祖から受け継いだ独自の言語文化を我々が今、守らなければ子孫に何を伝えることができようか、という熱い思いを抱いて監修されたものです。
 これまでいくつかのウチナーグチに関する本を読んできましたが、これが自分にいちばんしっくりきた感じがします。

 すごいんです。まず、沖縄語を正確に発音するために、沖縄「文字」まで創り出しています。そしてそれを用いて、46の節を設けて、文例を提示した上で言葉の使い方、発音の仕方などを学び、練習問題で確認していくという流れで進められていきます。
 徐々に文例が高度になり、それに丁寧語、尊敬語を加えていき、最後のほうになるとかなりテクニカルになって、練習問題の解答を考えるのに相当程度頭をひねらなければならないようになります。
 たとえばこんなふう。

 「泊大橋ぬ首尾成とーくとぅ、海側から車っし通らりやびーん」
 = 泊大橋が完成したので、海に沿って車で通れます。
 「首里ねー 戦前や 城ぬあいびーてぃ」
 = 首里には戦前は城がありましたか。
 「瀬長島んかいウィンドサーフィンしーが行かに」
 = 瀬長島にウィンドサーフィンをしに行かないか。

 練習問題 これを丁寧語で言いなさい。
 答  瀬長島んかいウィンドサーフィンしーが行ちゃびらに

 うー、難しい。
 でも、そうやってひとつひとつ考えながら学ぶことによって、しゃべれはしなくても聞き取ることは少しぐらいならできるようになったような気がします。
 とは言ってもなあ。もうこのレベルの沖縄語を喋れる人は沖縄でも少なくなっているのだろうな。


 1973年に刊行された古い本。これを古書店から2012年6月に入手し、2015年の秋にようやく読みました。
 40年以上も前に書かれたもので、その当時は沖縄が日本に復帰したての頃、ということになります。

 琉球の島々を「リュウキュウネシア」と呼び、著者がかつて訪れたことのあるポリネシアの島々と比較しながら、やふぁやふぁとした感じのエッセーに仕立てています。
 珊瑚礁の海はいつも懶(ものう)い風と光の中にあり、その雰囲気を、タヒチやサモアや沖縄の人々の柔和な目の中にも見ることができた――と著者はいいます。

 著者の辰濃和男は、1930年東京生まれ。東京商科大学(一橋大学)卒業。大学では新聞部に所属。卒業後朝日新聞社入社し、浦和支局、社会部、ニューヨーク特派員、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間1975年から88年まで「天声人語」を担当。退社後は、朝日カルチャーセンター社長、日本エッセイスト・クラブ理事長も務めました。

 「リュウキュウネシアの島々の中に、ぼくは海のすばらしさを見、懶(らん)の思想を見、「てえげえ」の神々を見、反文明の世界のゆたかさを見、「戦さよりも恋を」と考える非暴力主義を見、自然と神にとけこんだ生活を見、ともにうたい、踊る人々の歓びを見、手づくりや「分身」の美しさを見、祖国を拒む人々を見、そして愚直なまでにきびしい自己への問いかけの姿勢を見てきました。
 そしてその多くは、かつてポリネシアの島々を旅した時に感じ得たものと、びっくりするほどよく似ていました。
 ぼくが見た、と思ったものの中には、あるいは幻想にすぎぬものもあるでしょうし、日々、変りゆく沖縄の島々では、明日はもう崩れさって、近代に吸収されていくはかない幻影もあるかもしれない。しかし沖縄に吹く異化の風がエネルギーをたくわえつつ熱帯低気圧のように成長してゆく限り、数多くのリュウキュウネシア的な神話はさらに生き続け、人間らしさとはなにかをたえずぼくたちに問いかけてくれるに違いない。」

 「ごくおおざっぱに本土と沖縄とを図式的に対峙させれば「競争社会」対「共同社会」ということになるでしょう。そして沖縄の共同社会の中に、ぼくは懶のさまざまな姿を見つけることができる。その中には老子のいう「無為」の哲学も含まれていますし、ソローの「瞑想」の精神も含まれている、と思います。
 競争社会の中にあるのは、根性・効率・スピード・学歴尊重・大量生産・成功・管理・豊かさ・流行・力・早いもの勝ち・点数主義・コンピューター・合理性・人間疎外。
 懶の社会の中で、その一つ一つに対峙するものはなにか。それぞれ次のようなものを考えたい。
 瞑想・てえげえ・漫歩・仲間・手づくり・創造・無為・はだし・やさしさ・ものぐさ・愛情・自然・神秘・人間らしさ。」

 競争社会のキーワードには、昭和40年代の高度経済成長のイケイケ時代を思い出させるものもあって思わず苦笑してしまいますが、沖縄の真髄をとてもよく捉えている内容だし、それらの多くは40年後の現在にもあてはまるなあと思いつつ、読みました。


 2000年に株式会社アスキーから発行された沖縄ガイド本。
 表紙の絵がエキゾチックでしょ。でこれ、金色や銀色などのラメ色で描かれており、発行当時は書店の棚でかなり目立っていたものでした。
 それでも当時それを買わなかったのは、外見とは違って中身があまりにも基本に忠実なガイドブックだったからなのでした。
 でもまあ、古書ならば49円で買えるというので、2015年1月に購入したもの。15年前の沖縄ってどうだったのだろうという好奇心もあって。

 読んでみればやはりというか、隔世の感があります。国際通りにはまだOPAがあり、当然ゆいレールはできていず、沖縄空港はようやく新空港に移転しています。紹介されている飲食店なども、かつての名店が載っていて、あったよなあその店!といったものも。
 当時は沖縄音楽が隆盛を極めていて、りんけんバンド、ネーネーズ、チャンプルーズなどの沖縄ポップに加えて、ノリに乗っていたパーシャクラブ、そしてモンパチやしゃかりが元気がよかったようです。よなは徹はまだ無名扱いですね。

 那覇、本島南部、同中部、北部などに分け、多くのページを割いて案内する「初心者のための沖縄観光名所案内」は、今と大きく変わり映えせず退屈。また、釣り場・釣具店・釣り船ガイドや沖縄本島ダイビング指南、ダイビングサービス案内などは自分の専門外なのでこれも退屈。
 反面、機内で覚える「ウチナーグチ」重要語句100、移動時に役立つ沖縄県内全地名読み方一覧などのデータベースは珍しいし、てるりんの沖縄チャンプラリズム漫談とかOkinawan Music All Guideなどの記事群は当時の沖縄音楽の勢いを追体験できてちょっぴりうれしい。
 沖縄宿泊施設全データも、施設の栄枯盛衰が垣間見られて興味深い一面もありました。

 かれこれ15年前の情報でしたが、沖縄はこの15年でずいぶん変わってしまったことが実感として確認できました。


 1998年初出のもので、2006年に文庫化、それを2015年10月に読みました。

 沖縄県八重山諸島。石垣島の東南方向、ニライカナイ信仰の島といわれ、今では米軍の爆撃演習場となっている赤見島は、祭祀のために年に2日間だけ上陸を許されています。
 その島を訪れた新聞記者の田島は、島の奥で5体の白骨を発見します。
 そのうち1体の骨の一部を持ち出し、大学時代の友人である十津川警部に調査を依頼したところ、死後1年から1年半たっており、他殺の疑いがあることが判明します。

 田島は、この真相を究明するために沖縄支局長の丹羽に調査を依頼していたのですが、この丹羽がなぜか遠く離れた東京多摩川の河川敷で死体となって発見されてしまいます。
 捜査に当たった十津川が 直面する事態は・・・といった長編旅情ミステリーです。

 日本国内で米兵が起こした事件については日米地位協定があるためにうやむやになるケースが多く、この事件についてもそれが大きく影響して、推理小説の殺人事件にしてはめずらしく、ホンボシが挙がらないまま結末を迎えます。また、お得意の列車は一度も出てきません。

 嘉手納ラプコンのことや、名勝川平湾、豊見城城址公園、西表島・由布島の様子などが出てきて、沖縄ファンにも訴えるところ多し。
 田島がある問題のある何日間かの記憶が欠落するという都合のいい設定があったりして、なんだかなあと思う部分もありましたが、それなりに楽しく読んだところです。

 全6章。「ニライカナイの海」、「ホテルK」、「ヤマネコの島」、「四ツ葉のクローバー」、「夏の海」、「海の挽歌」。


 こじれにこじれる沖縄の基地問題の本質はどこにあるのか。
 見据えるべきは「カネと権利」の構造である。巨額の振興予算を巡り、繰り返される日本政府と県の茶番劇。この構図が変わらない限り、問題は解決できない。
 公務員が君臨する階級社会、全国ワーストの暮らしに喘ぐ人々、異論を封じ込める言論空間等々、隠された現実を炙り出す。党派を問わず、沖縄問題の「解」を考えていく上で必読の書。
 ――とは、カバーのそでに書かれた紹介文です。

 沖縄は離婚率、待機児童比率、DV発生比率、非正規雇用率などが全国一、学力水準、1人当たり納税額、国民年金納付率は全国最低です。
 本書では、このような状況下で人々は極端な格差社会にあえいでいる、という捉え方をしており、「沖縄の革新政党には「沖縄を差別するな」という「反日思想」はあっても、シングルマザーや失業者の暮らしを楽にさせる弱者救済の左翼思想がない」と訴え、憂いています。
 また、地元にはマスコミや学識者、労組などが一体化した支配構造が存在し、それを支えているのが振興予算による利権であると訴えています。

 そのあたりを端的に表す文章が「序章」にあるので、引用。
 「沖縄のナショナリズムと、そのナショナリズムの発信元である、保革同舟の支配階層の存在を明らかにすることこそ、実は本書の最大のテーマとなっています。私たちは沖縄をある種の身分制社会と捉え、基地問題そのものよりも、沖縄のこうした現実を自覚し、そこから脱却する道を探ることこそ、沖縄の未来を、ひいては日本全体の未来を、明るく照らし出すことになると考えています。基地問題は沖縄の抱える問題を象徴はしていますが、問題の根っ子はそこにありません。」
 まあ、ある意味真実を衝いていて、同意できるところが多数ある一方で、それは深読みし過ぎだろうと思われる部分もあり、センセーショナルとも言えるのでしょうが、きっと社会全体にはより強い賛否両論があるのだろうな。

 章立ては9つで、「普天間問題の何が問題なのか」、「高まる基地への依存」、「「基地がなくなれば豊かになる」という神話」、「広がる格差、深まる分断」、「「公」による「民」の支配」、「本土がつくったオキナワイメージ」、「「沖縄平和運動」の実態と本質」、「異論を封殺する沖縄のジャーナリズム」、「「構造的沖縄差別論」の危うさ」。

 共著者の一人の大久保潤は、日本経済新聞の那覇支局長として沖縄等向き合ってきた人物で、1、2、4、6章を執筆しています。
 そしてそれ以外の5つの章を、大学研究者・評論家として沖縄に関わってきた篠原章が執筆しています。篠原氏はかつて「熱烈!沖縄ガイド」や「沖縄ナンクル読本」などの沖縄紹介本に本土側から携わってきた過去がありますが、そのスタンスは真逆と言ってもいいぐらいの位置取りへと変容してきているようです。


 背表紙にある当書の紹介は、次のとおり。
 戦後70年の沈黙を破って、孤児たちが“あの夏”の辛く哀しい記憶を語り始めた。
 だが、オスプレイ、米軍基地、集団レイプ…沖縄の現状はあの頃と変わっていない。沖縄の叫びはなぜ本土に届かないのか。
 「僕の島は戦場だった」を改題し、米軍普天間基地の辺野古移設問題が争点だった2014年県知事選挙の原稿を加え、今なお続く“沖縄戦”に迫る。現代日本の歪みを暴く渾身のルポルタージュ。

 佐野眞一の文庫本が出たというので喜び勇んで即買いしましたが、上述にあるとおり、既読の「僕の島は戦場だった」の改題、文庫版再発モノだったのですね。
 でもまあ、1年数か月ぶりに再読してみてもなお心を揺り動かすものがある優れた作品。話があちこちに脱線して拡大、収束をくりかえすような絵巻物的な表現手法ですが、それがまた、沖縄のジグソーパズルのピースが少しずつはまっていくような趣があって、たいへんに面白い。
 前回読んで感動した部分が、再読したときも感動するものだ、ということに改めて気づくと同時に、再読時は前回の記憶があるためか、読むスピードが数段早くなるということにも気がつきました。

 文庫版発行時に追加された第6章「沖縄の民意はなぜ日本に届かないのか」では、元沖縄県知事・大田昌秀の取材などを織り交ぜて、仲井眞県政の8年が裏切りと不毛の時代だったと断じるとともに、翁長新県知事の当選を画期的なことと捉えつつ、今後の困難性にも言及しています。

 テーマにまつわる関係者たちへのインタビューを繰り返して真実を明確にする著者の手法は、文字どおり卓越したプロの業。しかもその場所や期日なども微細に記述しているので、いやが上にも読む者の理解が深まります。
 佐野渾身の名著、と言ってもいいのではないでしょうか。


 1981年に発行された、又吉栄喜の初期作品集。
 「ジョージが射殺した猪」(「文学界」1978)、「窓に黒い虫が」(「文学界」1978)、「ギンネム屋敷」(「すばる」1980)の3編が収録されています。(カッコ内は初出誌とその年)
 又吉は、1978年に「ジョージが射殺した猪」で第8回九州芸術祭文学賞を受賞。また、1980年に「ギンネム屋敷」で第4回すばる文学賞を受賞しています。
 「豚の報い」で第114回芥川賞を受賞したのは1996年なので、その10数年前の作品群です。

 「ギンネム屋敷」は、沖縄戦から8年後の、米軍占領期の浦添市が舞台です。ギンネムの生い茂る屋敷に住む米軍エンジニアの朝鮮人男性に女性暴行の疑いが持ち上がり、沖縄の男たちが慰謝料を要求しに屋敷へ乗り込んでいくところから物語は始まります。
 その朝鮮人男性は、沖縄戦直前に飛行場建設のため徴用されてきた人物で、建設当時の過去が語られる後半からは、現実と幻想の境界が徐々に曖昧になっていき、沖縄人の朝鮮人に対する加害と差別、人身や社会を狂わせた戦争の暴力性などが、文章の合間から浮かび上がってきます。

 浦添市城間で生まれ育った著者によれば、この作品は家から半径2キロの世界の体験を基に物語を構築したもので、ギンネム屋敷は著者の少年期の原風景なのだとか。
 「今の浦添工業の辺りだと思うが、谷底の道が曲がった辺りにギンネムに囲まれた屋敷が実際にあった。外国人が暮らしているとの噂で、僕らは幽霊屋敷として扱っていた」と振り返っています。
 著者の少年時代、キャンプ・キンザーの門前町だった屋富祖・城間一帯では、Aサインバーや映画館、食堂などの基地従業員相手の店が並び、商売をしに沖縄中から人が集まり糸満や宮古の言葉が飛び交っていたといいます。
 「当時はフィリピンや台湾、朝鮮などの外国人が近所にいてインターナショナルなところがあった。人骨や不発弾もごろごろしていて、スクラップ拾いで小遣いを稼ぎ、Aサインバーで米兵が暴れる。沖縄を象徴するいろいろなものが半径2キロに集積していた」と創作の原点を語っています。
(「琉球新報」のHPを一部引用させていただいています。)


 自分が読んだ限りではありますが、こちらの3作品のほうが、先に読んだ「漁師と歌姫」(2009年)よりも数段文章に力があり、魂がこもっているように思えました。
 たまりにたまっていた沖縄本の感想書きを概ね書き終えてあらかたアップし、9月20日に観た「琉球フェスティバル2015東京」のインプレ書きはほぼ諦め、また、庄内に来てから巡っていた寺社仏閣等も、土日の天候不順や休日出勤が続いてやや途切れ気味になっています。
 そんなわけで、このブログ「カカテヤポ」に書くことがなくなったので、こんな近況報告を書いてみたところ。

 自分の日記的なブログの「TOBI的日乗」は、わけあって閉鎖中。けれども日記自体はWORD形式でずっと書いている。ブログで公表していたときよりも制約なく書くことができ、事実に沿って飾ることなく、より具体的に記している。
 日記はやはり、気兼ねのないこういう形で書くのがいいのだろうと思っているところで、中身についても批判や不満などのマイナス思考の記述はぐっと少なくなって、淡々と言った感じになっている。これからもコツコツ書いていくことにしたい。

 一方、B級グルメブログの「パロプンテ」では、月に20本ほどの外食インプレを書いている。単身赴任してから外食の機会はやや増えたが、思ったほど回数は多くない。
 アパート暮らしを始めてからは、パン1枚にちょっとしたものをプラスする程度の軽い朝食をとることにしており、それ以外の食事回数が月60回とすれば、外食、自炊、総菜などの中食がそれぞれ3分の1ずつぐらいだろうか。だからインプレはだいたい月20本になるわけだ。

 読書のほうは、沖縄関係書籍を年間50冊は読む、ということを自分に課している。9月頃までの状況は悲惨で、年間の4分の3近くを終えてまだ20冊台だったように記憶している。で、9月、10月とスパートをかけて、10月末現在でなんとか42冊というところまでペースを戻したのだった。
 やればできるではないか。あと2カ月で8冊読めば目標達成となる。

tanqueray 201503

 アパートでは、テレビの録画機能を使い、見たい番組は録画しておき、夜の飲酒タイムにぼーっとしながらそれを見る、という日々が続いている。
 単なる飲酒のアテとしての録画だったはずなのだが、いつの間にか録画のストックが溜まってしまい、それを見切るために四苦八苦するという本末転倒の状況が現出している。
 わがテレビにはどのくらいの記憶容量があるのか確認していないが、メモリの残量が10時間近くになると、赤色の警告サインが出る仕組みになっている。これが点灯し始めると、「見なければ」との強迫観念が芽生え、必要以上に録画鑑賞に時間をとられてしまうことになるのだった。
 この季節になるとNFLが佳境を迎え、その冗長なゲームを見ることに長い時間をとられてしまう。これを見なければ、別のことができていい、ということはわかってはいるのだけどね。

 飲酒については、ほぼ欠かさず飲んでいるだろうか。仕事で飲む酒、職場の同僚たちと飲む酒もそれなりに楽しくおいしいが、近時は一日のノルマを終え、アパートで一人好きなものをつまみ、居酒屋番組などを見ながら飲むのが一番のお気に入りになっている。
 缶チューハイのストロング系を1本飲めばだいたい出来上がりとなる。22時前後から飲み始めることもあり、そうなると翌朝は尿意で目が醒めることになる。アルコール摂取量は多くないので、二日酔いはないと思っているのだが、どうなのだろう。少なくとも翌朝に酒臭いなどの指弾を受けたことはないので、大丈夫なのではないか。

 さて、肝心のオキナワライフはどうか。
 今の仕事は土日に出勤しなければならない用件が多く、まとまった休みが取れない。したがって、沖縄に赴くことがなかなかできないでいる。今年はゴールデンウィークに一度行ったきりだ。
 それでは沖縄に行って何をしたいのかと問われると、おれはいったい何をしたいのだったかと考え込んでしまう。見るべきところはあらかた行ったような気がするし、離島もずいぶん歩いた。夜の沖縄音楽スポットめぐりも、かつてはどこかで何かのライブがあったものだが、このごろはそうでもなくなっている。何よりも、かつて存在していた「沖縄らしさ」が着実に減っていき、日本のどこででも見られるようなのっぺりとした街並みが広がってきつつあるのが残念だ。そうそう、ウチナーグチもあまり聞けなくなったな。
 そんなわけで、沖縄に関しては、あとはもう「そこで暮らしてみる」ということぐらいしか残っていないのではないか――と感じている。それは仕事を持っている身では叶わないことなので、今はじっと我慢しているしかない。

 ざっとまあ、現状はこんな感じでしょうか。
 さあ、風呂が沸いたので、入ろう。湯上りには缶チューハイ。今日のつまみはミニ豆腐の冷奴とホウレン草のおひたし、それで足りなければチーズあられでも齧ろうか。
 では、また。
sembei 201511

 新潟方面へ1泊2日でドライブに行ってきました。
 三条、加茂、新津、新潟、新発田、村上の町の様子をダイジェストで見てきたという感じでしょうか。見較べると、自治体によってまちづくりはずいぶん変わってくるものだということに気づきます。

 自分にとって初めての新潟の夜は、古町周辺ではしご酒をしてゴキゲンに。2軒行ったけど、いずれも安くて納得のいく内容でした。
 また、三条のカレーラーメンや新発田のシンガポール由来の麺などの名物B級グルメを味わって、納得でした。

 ところで、お土産はこれ。
 「新潟せんべい王国」で買ったもので、お徳用の割れせんべい。なんと、300gほど入ったものが3袋で300円なのだというのだ。ほぼ1kgで300円。ここまで安いせんべいにはお目にかかったことはないぞ。これ、買い決定! 当分楽しめちゃうよな。

 いやぁ、面白かったな、一人ドライブ。帰ろうとか、つまらないとか、文句を言う者がいず、自分の気の赴くままやりたいようにやれるのがいい。旅ってものはこのようにわがままでなければナラヌ。
 こんどは秋田で飲みたいものだな。