沖縄はしばしば中国寄りと言われ、時には「沖縄は中国の手先だ」と批判される。そんな人々に問いたい。「あなたは沖縄を、本当に日本だと思っていますか?」
 本土と沖縄の対立をもたらしたのは、中国でもアメリカでもなく日本人自身なのだ。
 今、本土と沖縄の距離を縮めるために、私たちに何ができるのか。
 保守政治家として唯一人「普天間基地の県外移設」を訴え続ける著者の、渾身の提言だ!
 ――とは、古賀誠センセイがこの本の発刊に寄せた推薦文です。

 一方、代議士である著者は「はじめに」で、次のように書いています。
 沖縄の尊厳と日本の国益の狭間で悩み苦しみ、挫折と失敗ばかりの私自身の半生をさらすことにより、沖縄と本土の相互理解に資することにならないか。そんな使命めいたものを感じながら、本書を書きました。

 うむ、カッコイイよなあ。「使命」などと感じて自分に酔っている、政治家らしい言葉だよなと思ったり。

 著者は、自由民主党の衆院議員。父方の大叔父は元衆議院議員の國場幸昌、祖父は國場組創業者の國場幸太郎、義父は元沖縄県議会議員の西田健次郎というサラブレッドです。ちなみに國場組といえば、沖縄では知らない人はいない県下最大のゼネコンで、父はその「國場組」の元代表取締役社長です。
 高卒後1浪して日大文理学部哲学科に入学するも、古代ギリシャ語で挫折し中退。その後、早大雄弁会に憧れ、夜間の社会科学部に入学。比較政治学を専攻し、雄弁会では幹事長を務める。
 卒業後は米コロンビア大に語学留学し、帰国後、沖縄県知事稲嶺惠一の秘書。2000年には沖縄県議選に那覇市選挙区から出馬しトップ当選。20代での同議会議員誕生は史上初。当選後、自民党に入党。
 03年、県議を辞して衆院選挙に出馬するも落選。04年の県議選では自民党の公認を受けられず、無所属での出馬となったが、再びトップ当選。
 その後紆余曲折を経て、12年の衆院選に再出馬し、「沖縄復帰日の5月15日を主権回復記念日にする」「日米地位協定の改定」「米軍普天間基地の県外移設」等を公約に掲げ、国民新党の下地幹郎を破り当選。
 15年には、戦後70年の日本の歩みを検証する勉強会「過去を学び“分厚い保守政治”を目指す若手議員の会」の立ち上げに参加し、共同代表世話人の一人となる。

 当書では、「普天間基地を県外へ」、「沖縄で、保守であること」、「「復帰っ子」として生まれて」、「強大化する中国にどう立ち向かうか」、「李登輝総統の教え」、「沖縄と本土の距離を縮めるために」など、著者の政治的スタンスや基本思考を明らかにする内容の章立てが続き、最期にインタビュー形式の「「慰霊の日」に沖縄を問い直す」のインタビューが付録的についています。

 政治家の記す本というのはいつもその後ろに集票的な背景がちらつき、ノンポリティークな者にとっては多少胡散臭くて、読んでいて少々辛くなることがあるものです。
 この本もそういう一面がないとは言えませんが、高邁なことを書こうとせず、また、国会議員の中ではまだ一兵卒だという低姿勢が感じられるので、途中で打ち捨てることなく最後まで読めた次第です。

 こんな感想しか持てなくて相済みませんが、自分は沖縄のブルジョアを代表する國場組の御曹司がこれからどう生きていくのかを見ていく上で、彼のよって立つところを今のうちに押さえておいたほうがいいのかなあという考えでこの本を手にしたところですので、悪しからず。
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 沖縄県の地理や地名、地図に隠された、意外な歴史のエピソードを紹介する――という、沖縄県民も驚くような雑学ネタが満載の本です。

 監修者の安里進は、首里生まれの琉大法文学部史学科卒、専攻は考古学・琉球史といった人物で、浦添市文化部長、沖縄県立芸術大学教授などを経て、おもろまちにある沖縄県立博物館・美術館長をしている人。
 なので、大衆向けの装丁で雑学を標榜していますが、バックグラウンドは確かで案外堅実な中身になっています。

 5つの章立てになっており、それらは「王国を支えた中心都市 首里城と首里の街」、「今も昔も移住者にやさしい活気ある街 那覇今昔物語」、「石器時代から現代まで続く知られざる沖縄本島」、「最西端から最南端まで 個性あふれる島々」、「なぜここまで違うのか? 地名の由来」。
 それらの具体的な内容(一部)は次のとおりです。

 聖なる道なのに歪んで作られている首里城正殿前の「浮道」の謎、平城京・平安京などは南向きなのになぜ首里城正殿は西向きなのか、龍潭に隠された治水技術、首里城へと続くメインストリート綾門大道、かつて首里には泡盛特区が存在していた?!、沖縄に仏教寺院が意外に多いワケ、王国時代の那覇港と泊港の使い分け、上之屋にあったスケートリンクのこと、御成橋と沖縄県庁の関係、世界初の工法で造られた那覇うみそらトンネル、「オキナワ」はいつから沖縄になったのか?、県内各地で見つかった謎の刻字石が高度な測量技術を裏付けた、沖縄に1,500m級の山がありスギが生えていた、沖縄本島と宮古・八重山には1時間の時差があった、沖縄の島名に「間」がつくのはなぜか、保栄茂の読みが「びん」になるのはなぜか、変わった地名の横綱はオーシッタイとガンガラー・・・などなどです。

 沖縄県民愛がぐーんと深まる知的ガイドブック。専門知識不要。誰にでも読みやすいようにつくられたものですので、この本あたりから徐々に沖縄の深みにはまっていくのもまたよしでしょう。


 洒落た表題。この本に関してはだいぶ前から読みたいと思い、ネットで探しても沖縄の書店で探しても見つからずに困っていたのでした。
 そして去年(2014年)の8月、那覇市沖映通りのジュンク堂でビニールに入って売られているのを見つけ、ヨロコビ勇んで即買いしたものです。

 崎山多美は1954年西表島生まれ。「崎山」姓は西表のものなので当然本名かと思ったら、違うのですね。本名は平良邦子です。
 琉球大学法文学部卒で、1979年「街の日に」で新沖縄文学賞佳作、88年「水上往還」で九州芸術祭文学賞受賞、89年「水上往還」で芥川賞候補、90年も「シマ籠る」で同賞候補に。この頃がいちばん勢いのあった頃だったでしょうか。

 書き下ろしの「月や、あらん」と、2001年「群像」で発表された「水上揺籃」の2作が収録されています。

 「月や、あらん」は、伝説の出版社のカリスマ編集者・高見沢了子が、突然に行方をくらましてしまいます。そんな女友達(イナグドゥシ)の残した仕事を引き継いだ「わたし」が、さ迷いの果てに出会ったマブイたちの、風の中に渦巻く声とは―― といった内容。

 筆致は独特で軽快。適度にウチナーグチが紛れ込んでいて、描かれる雰囲気はカンペキに「沖縄」です。それは次のようなもの。こういう自然体の文章って、好きだな。

 ひどい乾きに襲われ、ぐらっと立ち上がった。
 そこここに、ケ散らされヤマ散らかされた物々を、爪先で蹴りあげ踏みつけ、潰し、台所へ移動した。流し台横手の冷蔵庫を大開きにし、チブルごと突っ込んだ。
 つめてー。冷蔵庫なんだからそれはあたりまえ。目玉の動きだけで中を見渡す。千切られた明太子のパック、ゆでスパ麺の残り、卵2個しか食糧らしきものは見当たらない二段仕切りに、それだけ豪勢に買い置きされたオリオンビールの缶が10本、ぎゅぎゅっと押し込まれ、ひえひえの空洞を充たしている。3缶掴み取った。その場で開け、一気飲み。ぐびぐびぐびび……ふっふへぇー。息をつくや目の中がカァーッと火の海になる。酔いが急回転するもよう。アルコールの吸収が早すぎ。そういえば今日は朝からロクなものを口にしていない。よせばいいのに、いきなりのぼせあがったチブルをやみくもに振りかぶった。ますます、くららららぁー。その状態のまま、ほんの5、6歩あゆめば辿り着くヤマ散らかし放題の六畳の間に戻った。―――

 「水上揺籃」は、かつて演劇の場に身を置いた女性が、そのときの恋人に呼び寄せられ、あるシマへと赴く物語です。

 崎山多美の作品をもっと読みたくなって、ほかの作品を古書市場で探すのですが、発行部数が少ないのか、人気がありすぎるのか、どの作品も品薄で高価なので、なかなか手にすることができないでいます。


 沖縄に何度か足を運んだことがある人でも、「なんで食堂のカレーは黄色いの?」、「そもそも御嶽って何?」、「フリムンってなんですか?」などの疑問を持ったことがあるでしょう。これら日常の些細なことから根源的なことまで、知れば知るほどに「ハ・テ・ナ」が増えていくところが沖縄の面白いところです。
 このような文化・社会・日常生活などへの疑問や不思議に的確に答えながら、沖縄の「今」を伝えるべく、ウチナーンチュと沖縄移住者によって結成された「沖縄ナンデモ調査隊」が果敢に挑みます。

 双葉文庫のこのシリーズはこれまで、「沖縄のナ・ン・ダ!?」(2001)、「沖縄美味のナ・ン・ダ!?」(2002)、「沖縄・離島のナ・ン・ダ!?」(2006)がありますね。

 ところで「沖縄ナンデモ調査隊」ですが、そのメンバーは、仲村清司、長嶺哲成、嘉手川学、真喜屋力、伊藤麻由子、平良竜次、長嶺陽子、たまきすずこといった、沖縄のフシギを解明するのに欠かせない精鋭たちです。思えば彼らの綴る沖縄おもしろ紹介本を、自分は何冊読んでいるのだろうか。

 中身の一端を紹介しましょうね。
 「オバァ」と呼ぶのはOKなのか?、「~しましょうね」の連用形、肝で感じる「チムグリサ」の心、フリムンとアホとバカはどう違うのか、那覇はどうしてナハと呼ぶのか、日本一難読な地名をひもとく、沖縄食堂は絶滅危惧種に指定されるか、沖縄食堂進化論、コーグヮーシの今後の展望を考える、那覇に「夜市」が出現している!?、生ける伝説「平良とみ」メガ進化論、「首里劇場」から見る沖縄映画興行史、ウチナーンチュはなぜ柔軟剤ダウニーを好むのか?、沖縄タクシー事情、ウチナータイムの現在、那覇「てんぷら坂」今昔、コザはどこまでがコザなのか?、ジャーマンケーキってどんなケーキ?、お墓や仏壇セールの時期「ユンヂチ」って何?、ゆいレールは「県民の足」になったのか――などなど。
 ナンセンスがあれば、なかなかに学術的なものもあって、玉石混交。しかし、なんだかおもしろい。

 2015年のゴールデンウィーク、沖縄旅に連れて行った本で、伊平屋島の松金ホテルにて読了しました。


 2013年の夏に、大城立裕の本を古書市場からまとめ買いしたもののひとつ。2000年に発行されたもので、それを2015年の5月に読み、9月になった今、その読後インプレを書いています。

 沖縄の宮古島を舞台に、乳ガンに侵されたカンカカリヤの素質を持つ女性カメラマン「千寿」と、海洋学者でトライアスリートの夫「鳴海」をめぐる、濃密な生と死のエネルギーと流転を描ききる書き下ろし長篇小説です。
 巨大珊瑚礁、トライアスロン、競い合う巫女たち…などが登場して宮古島の風情、風景等が描かれていますが、それは観光名所紹介といった感じもないではありません。

 〈私といっしょに消えて……〉
 ついに思う。あなたは十分に走り、生ききったのだから、もう私といっしょに消えてもいいのではない? それから、生きなおそう。私はもう、それに賭けるほかはない。あなたも一緒……。海だっていま干潮に向かっているのよ。あらためて満潮を迎えるために……。
 八重干瀬では確実に干潮に近づきつつあって、珊瑚礁が大潮にふさわしく広大に浮き上がってくる。それを千寿は、自分と夫の命として見はるかし、あのなかへ二人で溶けこんでいけばよい、と願った。(本文より)

 うむ。こうしてコシマキあたりに書かれているキャッチを引用しているのはほかでもありません。数カ月前に読んだ内容をうっすらとは思い出せても、もはやポイントを押さえて記述することができなくなっているのですな。
 とりわけ単行本の小説ってのは「まえがき」や「あとがき」、「解説」といったものがないことが多いので、過去の記憶を手繰り寄せる端緒となるものが足りないのです。
 というわけで、こんな感想でゴメンナサイ。


 沖縄でアイス売りのアルバイトを始めたばかりの浪人生の美咲が主人公。
 都会に憧れ、都会に進学しようと考えている美咲には、彼女のおじさんの学生時代の先輩でホームレスをしている元さんという一風変わった友人がいます。
 美咲はその元さんから、幻の飛行機で「誰も行ったことのない、この島とは別の世界」へ行こうと誘われます。
 「何よそれ。TVの観すぎなんじゃない?」と答えてはみたものの、深夜の空港に幻の飛行機がやってくることには興味津々の美咲。
 いろいろとあって、やってきた飛行機は!?

 表題の「アイスバー・ガール」は、沖縄タイムス社が主催する第30回(2004年度)新沖縄文学賞受賞作です。
 何よりも軽妙な筆致がユニーク。それに巧みな構成が加わって、選考委員からはその力量を絶賛されたそうで、その時著者は30歳でした。
 若い世代が台頭してきた2000年代の沖縄文学界を象徴した作品デアルということです。

 表題作のほか、これも20代のときに書いたという「テレビシンドローム」も収録されています。

 1975年から行われている新沖縄文学賞。応募資格は沖縄県内在住者または県出身者に限られ、これまでの受賞者の中には、又吉栄喜(佳作1975年)、勝連繁男(佳作1975年)、崎山多美(佳作1979年)、目取真俊(佳作1985年、入賞1986年)、照井裕(入賞1987年)、水無月慧子(佳作1988年)、松田良孝(受賞2014年)などの顔ぶれも。

 著者の赤星十四三は1974年沖縄市生まれ。当然ペンネームでしょうが、その後の著作活動や人となりなどについては、ウェブで調べてみるけどよくわかりまへん。


 沖縄に感心を抱くフリーカメラマン木村敦は、沖縄の公共事業に貢献し藍綬褒章を受章した故・緒方秀郎の記事を見つけ、「陸軍中野学校」出身であることに興味を持ちます。
 緒方と縁のある慶良間諸島のM島に向かった木村は、緒方について取材しますが、住民の口は一様に重く、思うように真相にたどり着くことができません。
 しかし、その後木村は、アイヌの血を引く仙波千恵と出会ったことでヒントを得て、調べていくうちに、沖縄戦の前に陸軍中野学校の卒業生42名が沖縄に入っていたことを知ります。
 卒業生たちの緒方との関わりは? 時を経て明かされる沖縄戦への大本営の巧妙な意図とは?

 ――といった、十津川警部シリーズとは一味違った推理小説で、表題からは想像できないような中身になっていますね。
 しかしそれにしても、木村が考えついた、沖縄戦に陸軍中野学校の卒業生が派遣された理由については、かなり突飛で、史実を踏まえればそんなのあり得るわけないじゃんとしか言いようのないもの。それをさもありそうなことであったかのように読まされるのは少々辛いものがありました。

 どれぐらい突飛なのかは、読んで確認してみてください。
 緒方秀郎は、山形市内にある緒方建設という会社の経営者とい設定で、山形のグランドホテルで受章祝賀会をやる、なんていうシーンも登場するので、山形在住者にとっては興味深いものがあります。


 サトウキビが島の風景をつくり、毒蛇ハブが人々を脅かす沖縄・奄美の島々に、もう一歩深く踏み込めば、いつしか島の空気に体が溶け出し、島に酔う快感を覚えることができるのではないか。
 そんな思いをもって、中年おじさんが常夏の島を旅する様子が描かれています。

 1999年発行の本で、発刊当時に何度か買おうとして食指が動いたのですが、2,800円もする本なので、名も知らぬ作者の旅行記にそこまで出すものかと自問自答してずっと思いとどまっていた本なのでした。
 それが古書市場で53円(!)で出ていたので、2015年1月にゲットしたものです。

 内容は、第1章「中年オジさん二人組 旅に行く」では、「沖縄本島団体ツアー客ウォッチング旅」と「奄美大島サタヤめぐりフムフム旅」。
 第2章「南の島の風土を語る黒糖とハブ」では、「砂糖がつくる南の島の風景」と、「ハブが語る南の島の風土」。
 第3章「私の旅は人との出逢い旅」では、「旅のはじめに―事前調査で楽しむ南の島の旅」と「旅と酒―酒は人間修行の場である」と「私の旅の記録」。

 ていねいなつくりなのだけど、第1章あたりはまったくフツーのツアー旅について書いており、パックツアーの選び方から始まって観光メッカを歩くという具合で、これって個人のホームページに載っている旅行記?と思わせるようなもの。
 そうかと思うと第2章は、著者は糖業、黒糖、製糖などについてかなり詳しく書かれていたりして、ギャップが大きかったり。
 第3章はまた戻って、自分の旅の仕方についていろいろ書いており、これも個人のウェブページレベルでしょうか。
 そんなことで、期待が大きかっただけに、残念。原価で買わなかったのは正解だったかな。

 ところで、著者の鹿子狂之介(かのこきょうのすけ)という人物については、たぶんペンネームなのだろうけど、謎。「はじめに」には「日頃仕事がら、取材原稿書きとか商品の広告宣伝文書きがもっぱら」とあり、どうやら編集者のようです。また、著作はこの1冊のみのようです。
 それから、「えあ社」という出版社はウェブ上には見当たらず、おそらく鹿子さんが個人的にやっているもののようだし、表題には「南へ①」とあるのに②はまだ出ていないのかも。


 「こんな日本人がいた! 命がけで人を守り、戦いぬいた男。
 島田叡という人物をご存知だろうか――? 1945年1月太平洋戦争の最中、米軍が迫る沖縄に戦中最後の知事として赴任。5カ月の間だが、県民保護の立場を貫き通し、沖縄県民と最後まで行動をともにした。玉砕が叫ばれる中で「生きろ」と言い続けた島田の生き方を通して、沖縄戦とはどのようなものだったかを伝え、命の重みを問う。」 ――という新書。
 島田叡の足跡をまとめた名著として、「沖縄の島守 内務官僚かく戦えり」(田村洋三著、中央公論新社、2003)がありますが、それ以来のしっかりとした島田モノでしょうか。

 TBSテレビ報道局の30代から50代の記者やディレクター6人で構成する取材チームによるもので、彼らは岩城浩幸、藤原康延、黒岩亜純、佐古忠彦、片山薫、岩波孝祥。
 全6章。赴任直後から決戦が迫ってきた沖縄での島田の行動をまとめた第1章「赴任直後に県政を再生」、首里から島尻へと進んだ逃避行の様子がわかる第2章「移動を続ける県庁を指揮」、野球選手として活躍した学生時代の島田を追った第3章「島田という人間をつくったもの」、中央勤務経験のない異色の官僚時代を記した第4章「名選手から異色の官僚へ」、最期の秋を迎えた第5章「今をもって県庁を解散する」、戦後に島田の歩いた道をたどる第6章「島田叡の目指した道」。

 この取材班の成果は、「報道ドラマ「生きろ」~戦場に残した伝言~10万人の命を救った沖縄県知事・島田叡」という2時間超の特番として、2013年8月7日に地上波TBS系で放映されました。
 自分は、2015年の終戦記念の日の8月15日にBS-TBSで再放送されたものを録画保存しています。


 沖縄南方の海上で貨物船第一内外丸が遭難沈没します。
 沈没船は、鉄合金ワイヤ2000トンを積んでタイのバンコクに向かっていましたが、浮遊機雷に触れ爆発したと推定されていました。
 そして、積荷の鉄合金ワイヤには、協信海上火災を保険者として、4億5千万円の保険金がかけられていました。
 協信海上火災の海損部調査課に勤める草野周作は、酒も煙草もやらない社交性に乏しい生き方をしており、同僚たちから敬遠され、会社で孤立しているようなタイプの男。そんな男の実弟が、偶然にも第一内外丸に機関長として乗り組んでいたのです。このあたり、ちょっとでき過ぎか。

 草野は荷主の早すぎる反応に疑問を抱き、自ら調査を買って出ます。そして、新入社員の神保幸四郎と調査をすることになったのですが、調査に出向いた神戸で相棒の神保を殺されてしまいます。
 草野は、沖縄から届けられた弟の写真を手掛かりとして、復帰前の沖縄へ飛びます。

 沖縄返還デーに向かって祖国復帰運動で盛り上がる沖縄で草野を迎えたのは、沖縄海賊の残党たちでした。
 第一内外丸は沈没していず、その男たちによって西表島で温存されていました。そして、祖国のない沖縄がいかに悲惨であるかを示す膨大な資料を乗せたまま、北緯27度線付近で男たちとともに海に「帰って」いく――。

 ・・・という内容の古い文庫本です。
 1981年発行のものを、2015年の盆休みに読みました。34年前の本とあって、紙は茶色になり、表紙の絵も時代を感じさせますが、なんてったって1円で買ったものですから文句は言えまへん。

 ハードな物語の常として女性がいい花を添えており、草野が沖縄を離れるにあたり、沖縄女性「美花」が囁く「ワンネエ、ウンジュ、イッペエ、ウムトービーン」がとてもよかったです。


 中江裕司が製作した映画「ナビィの恋」が公開されたのは1999年12月。登川誠仁や嘉手苅林昌、大城美佐子、山里勇吉といった沖縄民謡の大御所が登場し、音楽と笑いを基調にしたミュージカル的な作品に仕上げられており、沖縄県を中心に爆発的ブームを引き起こしたものでした。
 60年前の恋に身をゆだねるナビィ(平良とみ)と、それを知りつつ送り出す年下の夫の恵達(登川)が実にいい味を出していたのが印象的。この映画、映画館、DVD、テレビ放映などで何回観たかな。

 この本は、その映画「ナビィの恋」をきっかけに作られたものではあるのですが、単に映画のストーリーをなぞるのではなく、映画が描いた沖縄という独自の歴史を持つ魅力的な風土が、なぜ人の心を解き放ち、どのようにして心の傷を和らげるのか――といった「沖縄の秘密」を探す旅に船出するかのような趣向でまとめられているのです。

 その内容はまず、ロケの際に撮られた粟国の風景やキャストたちの表情などのきれいなグラビアで雰囲気をかたちづくります。
 そして、藤田正をはじめとした多様な書き手が沖縄を特徴づけるさまざまなジャンルのことについて書いており、それらは全体として、カーチーベー(夏至南風)のように心の中を通り過ぎていきます。

 書き物の例をいくつか挙げておきましょう。カッコ内は書き手です。
 「沖縄は女が支える わがグレート・マザー、平良とみ」(嶋津与志)、
 「歌の女神、上原知子に感謝して 対談・沖縄ポップ随一のオシドリ夫婦の寄り添い方」(照屋林賢、上原知子)、
 「沖縄という故郷 風を感じた少年」(名嘉睦稔)、
 「沖縄という伝統 歌とオジイと登川さん」(藤田正)、
 「ナビィの生き方が羨ましい 沖縄の「平和な風景」の下に佇むもの」(兼嶋麗子)、
 「アムロちゃんの、アガー!が聞きたい これからは沖縄・新時代の時代なのだ」(津波信一)、
 「島の歌は神代の時代から 名手、知名定男と知り合ってからの私」(宗像みか)、
 「「男」が、おばぁの映画をつくった理由 「ナビィの恋」制作ノート」(中江裕司)、
 「なべさん式 まるごと一世紀を生き抜く方法」(玉城満) ・・・

 「ナビィの恋」は、これらに書かれているような沖縄の風土なくしては生まれなかったのだろうなぁと、改めて思ったところです。


 1993年の上半期に、NHKの大河ドラマで「琉球の風 DRAGON SPIRIT」が放送されましたが、その原作本がこれ。沢田研二が尚寧王役で出ていたことなどが話題だったように記憶しています。
 自分が初めて沖縄を訪れたのは1993年2月で、その際に、撮影に使われた読谷村のオープンセット「南海王国 琉球の風」(現・「琉球体験王国 むら咲むら」)を見たことを覚えています。
 また、1996年3月に与那国島を訪れた時も、サンニヌ台に「琉球の風」のロケ地だったことを示す立派な石碑があったことも思い出しました。

 文庫は3巻に分かれており、第1巻は「怒濤の巻」。
 背表紙には、次のように記されています。
 「中国・明からの冊封使を迎えて琉球はわきかえっていた。時は紀元17世紀初頭、明では万暦34年、日本では慶長11年のことである。
 一見華やかな冊封の儀式だが、実はその裏で、琉球は大和と明との間で苦しい立場に置かれていたのである。
 沖縄、江戸、京都、薩摩、北京に展開する歴史ロマン。」

 実際に読んでみると、陳舜臣の筆致ってこういうものなのかどうか、けっこう硬い感じがしてなかなかスムーズに読み進めることができませんでした。したがって、こうだったという明確なインプレッションはありません。
 歴史ものってわりとぐいぐいと読めるものだろうと考えていたので、ちょっぴり面食らった感じです。

 というわけで、なんとか第1巻は読み終えましたが、2、3巻は手元にあるのですがまだ読もうという気になれないでいます。
 続きを読み始めるまで少し時間がかかりそうです。


 自分にとって4冊目となる小原猛の沖縄怪談本で、「弐」とあるように、TOブックスからは2冊目のものとなります。

 著者によれば、沖縄は不思議な話の宝庫で、それは学術的には認められなくても、現代の民間伝承としての価値は十分あると考えてよいようです。
 そして、本土出身の著者から見ると、いったん沖縄で暮らしてみれば、いかに本土での生活というものが伝統や文化などと切り離され、元々存在していたシャーマン的な異界文化とも隔絶されているかがよくわかるといいます。

 沖縄にはいまだにユタやノロといった超常的な世界を垣間見ることのできる文化が残っているので、話の材料には事欠かないし、一方でそういった世界を金もうけのために利用する者もいるようで、その方面からの逸話も多いとのこと。
 沖縄で怪談を書く、ということは、「世間のあちこちにある話を集める」というノリの作業であって、それはつまりは怪談の中に自分の身を浸すということでもあると、著者はいいます。

 「壱」と同様黒く縁取られたページに、53の話が並びます。その中で、沖縄在住の渡慶次さん、離島住まいの伊礼さん、糸満の小橋川さんなどたくさんの人が不思議な体験をしています。
 コシマキでは「神々の住む場所を壊すと、呪いが下る」、「沖縄には、決して触れてはいけない場所がある」、「凍てつくほど美しい恐怖……沖縄に潜む静寂な怪談が今、語られる……」などとセンセーショナルな表現で煽っていますが、現世と神々との距離が近い沖縄の話はなぜかそんなに怖くなく、隣人のことを語っているようにすら思えるので、不思議です。


 著者は、1938年に首里に生まれ、4歳のときに本土に移住。ベトナム従軍カメラマンとしてサイゴン政府軍の同行取材を経験。ベトナム戦争に関わって沖縄の米軍基地を取材したのをきっかけに、自らのルーツとも向き合いながら沖縄について考え、写真を撮り続けてきました。
 これらをもとに、戦後70年の沖縄の歴史を、戦争と基地を軸にして、カラーを含む多数の写真を使ってまとめたのがこの新書になります。

 皇民化教育、本土防衛の捨て石にされた沖縄戦、日本独立のため沖縄を切り捨てたサンフランシスコ条約調印、本土復帰後の安保条約と米軍基地の押しつけ・・・そして最近もウチナーンチュの民意を無視したオスプレイの強行配備、辺野古新基地建設と東村・高江のヘリパッド基地建設。このような沖縄の歴史や現実に対して、著者は怒っています。
 そして著者は、「はじめに」で「琉球人・沖縄人の先祖たち、今生きる人々の怒りと共鳴しながら、私はこの本を、「在日沖縄人」として書き綴った」としています。

 全7章。
 第1章「沖縄に生まれて」は、「ミンタマーでガッパヤーでハナダヤー」だったという著者の少年時代の石川ファミリーの話。
 第2章「沖縄戦の記憶」では、10名余の生き残った人々の証言を取材当時のスナップ写真とともに掲載し、天皇制と皇民化教育が4分の1の沖縄人を死亡させた事実を突きつけます。
 第3章「南洋群島の沖縄人―海のむこうの戦争体験」では、南洋群島の沖縄人を取材。54年目のサイパンでの慰霊祭に参加した女性が著者に、「妹と弟は母の手によって死にました」と初めて語ります。
 第4章「ベトナム戦争と沖縄」、第5章「本土復帰」、第6章「米軍基地 1972~2015」、第7章「故郷を思う」と続き、「あとがき」では、選挙時に辺野古新基地反対を公約し土壇場になって辺野古埋立てを承認した仲井眞知事を“沖縄史上最低の知事”と切って捨て、もし新基地が建設されたら「私はそれを「安倍・仲井真基地」と呼ぶ」と嘆いています。

 それにしても、写真の訴求力は強いですね。「百聞は一見に如かず」に類似していて、「文字で読むより写真を一目見てワカル」といったところでしょうか。


 「ギンネム屋敷」(1981)、「パラシュ-ト兵のプレゼント 短篇小説集」(1988)、芥川賞受賞作の「豚の報い」(1996)、「木登り豚」(1996)、「果報は海から」(1998)、「波の上のマリア」(1998)、「海の微睡み」(2000)、「陸蟹たちの行進」(2000)、「人骨展示館」(2002)、「鯨岩」(2002)、「巡査の首」(2003)、「夏休みの狩り」(2007)、「呼び寄せる島」(2008)などに続いて、2009年に発刊された単行本です。
 「パラシュートの…」と「木登り豚」以外はすでに入手しており、このうち「豚の報い」、「海の微睡み」、「鯨岩」は読み終えています。

 小説の舞台は、昭和36年の沖縄本島の最北端にあるK村の諸見集落。20歳の漁師である正雄は、一人小舟に乗って漁をし、収穫物を隣の集落に卸しており、高校の後輩で、共同売店で働いている和子に思いを寄せています。
 和子がひょんなことから集落の世話役に選ばれたことによって、物語は進んでいきます。
 正雄を慕って弟子のように寄り添う五郎や、隣の集落から勝手に正雄に惚れこんで押しかけてくる行商の娘などのエピソードがからみあって進んでいきますが、最後には、漁師であることに誇りを持ち、生まれた集落に愛着を持つ正雄が、和子に翻弄されながらも、自分のアイデンティティをたしかめるために旅に出ていくという成長物語でしょうか。

 「じゃあ、これから詩を詠むわね」
 「俺はどうしたら?」
 「このまま座っていて」
 和子は波打ち際に進み、東の方角を見つめ、麦藁帽子をとり、背筋を伸ばした。
 しばらくじっとしていたが、タイミングをはかり、口を開いた。朗々と古謡のような詩を詠んだ。妙な節回しがある上、細く高い声は海風に飛ばされ、よく聞き取れなかった。俺がこの夫婦岩に存在していないかのように和子は没入していると正雄は思った。
(本文より)

 「俺は、どこに行くのだろうか。一体、どんな力が俺の中に眠っているのだろうか―。
 鮮やかな自然と濃密な人間模様の中で流れるゆったりとした時間が、若者たちを大人へと誘う。」
とは、コシマキのフレーズです。