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 6~8月の3か月間に買った本は、買った順に次の16冊です。

1 「よっしーくっにーの沖縄・離島見聞録」  よっしー&くっにー 櫂歌書房 1620
2 「雑誌とその時代 沖縄の声戦前・戦中期編」  仲程昌徳 ボーダーインク 2160
3 「南濤遺抄」  与並岳生 新星出版 1620
4 「沖縄戦546日を歩く」  カベルナリア吉田 彩流社 2160
5 「十津川警部「オキナワ」」  西村京太郎 文春文庫 561
6 「奄美の奇跡 「祖国復帰」若者たちの無血革命」  永田浩三 WAVE出版 1836
7 「おれたちを笑うな! わしらは怪しい雑魚釣り隊」  椎名誠 小学館文庫 723
8 「気持ちが伝わる!沖縄語リアルフレーズBOOK」  比嘉光龍 研究社 1512
9 「沖縄高校野球あるある」  山里將樹 TOブックス 1,080
10 「沖縄の心 戦争小説集」  内藤凛 文藝春秋社 1512
11 「ガイドブックには載っていない本当は怖い沖縄の話」  神里純平 彩図社 1296
12 「奇食珍食 糞便録」  椎名誠 集英社 820
13 「うれしくて今夜は眠れない ナマコのからえばり」  椎名誠 集英社文庫 561
14 「居酒屋ぼったくり」  秋川滝美 アルファポリス 2014.5 古686
15 「居酒屋ぼったくり(2)」  秋川滝美 アルファポリス 2014.10 古869
16 「居酒屋ぼったくり(3)」  秋川滝美 アルファポリス 2015.2 古989

 このうち1、2、3、4、5、6、8、9、10、11の10冊は沖縄関係。
 7、12、13の3冊は、シーナの文庫。
 14、15、16の3冊は、前から買おうと思っていた居酒屋もの。「古」は古書店からの購入で、値段は送料込みの額です。新品を買うよりも安いのでこちらから。

 これらの届け先は自宅にしているため、自宅に置きっぱなしのまま。それよりも先に買ったものがたくさんあるので、まずはそれらを読み進める必要があります。
 そういえば、しばらくブログに沖縄本の読後インプレを載せていないな。読む量も減っているし、書いていないものな。
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 勝浦集落内をさらに進んでいくと、「総本山智積院圓福院」と書かれた大きな表札を掲げた立派な屋根のお寺がありました。
 洒落た外観、山門なし、公民館的な雰囲気も。
 とりたてて説明書きなどがあるわけではなかったので、どういう寺なのかわからずじまいでしたが、帰ってから見たあるウェブページによれば、ここは次のような寺のようです。

 所在地は酒田市飛島字勝浦甲65。
 開基は、酒田龍厳寺の報告書には、寛永3年(1626)、亮珍法印の開基とあり、当時の檀家は67軒。また、当山の過去帳によると、天文12年(1543)、亮珍法印の開基で、享和3年(1803)の秋に火災にあい、文政3年(1820)4月、及学法印の代に再建されたとある。
 飛島は北東の浜に法木、南東の浜に勝浦・中村の三つの集落がある。勝浦・中村は船着場として栄え、法木は他の2村よりも先に出来たところと言われ、古い風習が残っている。
 古来飛島は、日本海における航路の中継港・避難港として重視され、また北海道通いの帆船の寄港地であった――。

 ふーん、法木は古い集落なのですね。
 職場にいる法木出身の人も、同じことを話していましたから、間違いないのでしょう。また彼が言うには、飛島の寺は勝浦と法木の2か所にあり、格は法木の寺のほうが上で、両寺とも檀家は3地区の家が入り乱れているのだと語っていました。興味深いですね。
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 勝浦には民宿が多くあります。
 かつてそのうちのひとつの「沢口旅館」に泊まったことがありますが、あれは平成4年のことでしたから、23年前。でもその「沢口旅館」は今もあって、別館もありました。島で一番大きな宿のようです。
 当時の記憶としては、舞台付きの大広間があって、そこで食べた朝食は烏賊ソーメンがメインだったこと、夜中に上がっていった屋上の物干し場で見た星空がギンギラギンで天の川がくっきりと見えたこと、などがあります。

 そんな民宿の一つ「飛嶋旅館」の格調高い門構えを撮影してみました。
 「山新観光指定」「山形県庁職員指定」「秋田中央観光社」などの看板が誇らしげです。
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 勝浦集落を過ぎて、中村集落へと向かいます。その途中、「盤の磯」と呼ばれる岩場の道路を挟んで山側に碑が二つ、建っていました。
 まずはそのうちの手前にあった「鹿児島壽蔵歌碑」をチェック。
 碑には短歌が一句、刻まれていました。隣りの説明板には次のように書かれていました。

鹿児島壽蔵歌碑
 鹿児島壽蔵先生(1898年~1982年)
 紙塑人形の製作に独自の技法を確立し、わが国人間国宝の第1号に指定された。
 また、アララギ派の歌人、書家としても高名で歌詞「潮汐(ちょうせき)」を主宰、宮中歌会始の選者もつとめた。
 ここに刻まれた歌は、大正13年夏飛島にあそばれた際、その自然美をたたえて詠まれたもので、歌集「潮汐」に発表されたものです。

    鳥海山(ちょうかい)の 山すそかすむ 海のうへ
    かぎりも知らに 秀波(ほなみ)たちみゆ

  平成8年6月建立  酒田市・酒田観光物産協会


 鹿児島壽蔵という人物については知りませんでした。ウィキペディアによれば、「1898-1982年。人形作家、歌人。福岡市生まれ。有岡米次郎に博多人形製作を学ぶ。1932年紙塑人形を創始、1933年日本紙塑藝術研究所を開き、1934年人形美術団体甲戌会を結成。1936年帝展入選。アララギ派の歌人でもあり、島木赤彦・土屋文明に師事。1945年短歌雑誌『潮汐』を創刊。1961年紙塑人形の人間国宝となる。1968年、『故郷の灯』他で第2回迢空賞受賞。勲三等瑞宝章。門下に三国玲子など。」――とのことです。

 歌集「潮汐」の発表は1941年とのことですから、飛島に遊んだ17年後に発表されたという計算になります。
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 「鹿児島壽蔵歌碑」のとなりに並んで建っていたのは、「婦人大防組発祥之島の碑」です。
 こちらはぐっと時代が新しくなって、1986年に建てられたもの。
 碑の表には「婦人大防組発祥之島の碑」と大書され、「山形県知事 板垣清一郎 書」との添え書きがありました。この字は、板垣氏が知事だった当時の揮毫をよく見てきた自分には見慣れた、懐かしい字体です。

 碑の裏には、次のように刻まれていました。実際はカタカナ交じりの文ですが、ここで普通のひらがなの文体で書き写しておきます。

由来
 明治43年4月、本島は漁村のため男子は出漁不在がちにつき、婦人消防組が設立され、以来77年となり日本最初の婦人消防である。
 昭和61年8月建立
 酒田市長 相馬大作 ・・・

 相馬大作ねぇ。
 ちなみに、板垣清一郎山形県知事の在任期間は1973年10月から1993年2月。1915年生れなので、77歳まで知事をやっていたのですね。
 また相馬大作酒田市長の在任期間は、1971年5月から1991年5月。ほとんど県知事の在任期間とかぶっています。
 あの頃はひとつの時代が冗長だったのでしょう。今となっては20年も首長として君臨するのはかなり難しくなっていますから。
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 「婦人大防組発祥之島の碑」のすぐ先にあった、崖下の空き家。自然に侵略され始めていて、あと数年もすれば崩れ去ってしまうだろうと推測します。なにかのオブジェのように見えないこともありません。

 人口減少が加速化しており、都市部への人口集中と地方の過疎化核家族化に拍車がかかり、日本全国で「空き家」が社会問題化していますが、飛島ではそれが一足早く現実のものになっているようです。

 仕事で関係するある人が言うには、飛島の勝浦の集落内の空き家を買いたいという人がいるのだけど、相続関係で弁護士を立てなければならないと。しかし、その土地の売買価格は30万円程度なのに、弁護士費用がそれの何倍もかかるため、結局空き家の有効活用はなっていないそうです。

 島を歩いていて、その後も空き家はあちこちで見かけました。
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 空き家のすぐ隣りには、コンクリートで補強されたトンネルの入り口のようなところがありました。
 酒田のフェリーターミナルでゲットしてきた手元のパンフレットによると、これは「テキ穴」と呼ばれるもののよう。離島ではこういう小さな洞窟でもトップクラスの観光資源になるのだ。

 洞窟前には案内板が立っていて、洞窟内の模式図などとともに「陸洞、謎のテキ穴。昭和39年に合計22体の平安時代の人骨や須恵器が発見されています。全長約50m、中ほどから左手に高さ5m、幅4m、奥行10数mの岩室があります。」とのコメントが記されてありました。

 2、3歩中に入ってみましたが、真っ暗なのでそれ以上進入できず。かなり進んでいけそうな気配がありましたが、懐中電灯がなければちょっと厳しいようでした。

 テキ穴をめぐっては、その後のエピソードがあります。
 自分が行ったちょうど一週間後、このテキ穴の、自分が立って中を眺めたあたりに大きな岩が上から落ちてきて、地元新聞紙上をにぎわせたのです。
 参考までに、とびしま未来協議会のフェイスブックの記事からその状況を引用しておきましょう。

【注意】 テキ穴前で落石がありました。(8月)18日の夜間に落ちたものだと思われます。道路の通行は出来ますが、周辺は立ち入り禁止になっております。撤去作業については、近日中に行われるとは思いますが、日程については未定です。この落石による人への被害はありません。(8月20日)
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 テキ穴のあったところからさらに進んで中村の集落を突っ切ると、そこからしばらくは海と海沿いの道だけになります。
 たらたらと歩いて、その先に見える「飛島小中学校」を目指します。

 テキ穴からゆ~っくり歩いて20分弱で学校前に到着し、門前に建つ「希望の像」をパチリ。
 像の礎石には、「昭和63年度 健康優良学校受賞記念 小学校 全日本優秀校・山形県最優秀校 中学校 山形県優秀校  建立 平成元年3月3日」と刻んだプレートが埋め込まれていました。

 学校のすぐ隣りには「酒田市とびしま総合センター」の建物があり、その先からは法木集落まで山間の一本道になります。
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 とびしま総合センターを過ぎて車もたまにしか通らない山中の道路を歩いていると、「巨木の森」の入口を示す県が立てた看板がありました。
 その内容は次のとおり。

飛島 自然環境保全林  鼻戸崎地区(巨木の森、鼻戸崎展望台)
 「鼻戸崎」は飛島の最東端に位置し、展望台からは遠く鳥海山、月山、そして島の東海岸を一望できます。
 飛島の植生は、対馬暖流の影響で温暖なため、タブノキを主とする常緑広葉樹の原生林が分布するのが特徴です。
 また、島に多く見られるマツ林は、防風林として明治40年代以降に植林されたクロマツがほとんどですが、当地区の「巨木の森」では樹齢2~3百年にも達する天然のクロマツやアカマツの大木とタブノキの見事な混淆林の景観を見る事ができます。
 当地区では、次のような植物が見られます。
(高木)アカマツ、クロマツ、タブノキ
(低中木)アオキ、ヒサカキ、ヤブツバキ
(草木等)ムベ、キヅタ、トビシマカンゾウ、ヤダケ、オオイタドリ等
  平成6年12月 山形県林業課


 巨木の森に入ってしまうと長くなるし疲れそうだったので、そのまま舗装道を進んでいきましたが、その道沿いにも極めて立派な松が並んでいました。
 写っている木々のすべてが巨木なのでそのスケールの大きさが写真からはわかりづらいですが、右下に写っているガードレールがとても小さく見えるので、それと比べてみてください。
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 法木に向かう道沿いにあった緊急ヘリポート。
 翌週に職場のトップがこのヘリポートを使って飛島入りすることになっているのを思い出し、そうか、ここに降りるのかと。

 でも、ものすごくシンプルなヘリポートですな。
 台地状の平地に正方形にコンクリートを敷き詰めて、そこに「H」と黄色で記しただけの場所です。ほかに目立った構造物らしきものはありません。

 島人にとってはこれがあることですごく安心できるのでしょうね。
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 道はヘリポートのところで二股に分かれていて、右に行けば法木の集落へと下りていくことになるのですが、ここは敢えて左に進んで、「高森神社」を目指します。

 高森山の山懐にひっそりと建つ高森神社。鬱蒼とした木々の間にある細い道をクモの巣を払ったりしながら進んでいくと、ありました、お社が。
 参道はあれども枯葉がいっぱいで、お社自体も古くて格別のものもなく、やや放置状態です。説明板なども存在しません。

 この神社の社叢は、大きなタブノキに囲まれており、その神秘的な雰囲気もあってか、酒田市の天然記念物となっているのだそうです。

 まあ、ここは、来た、見た、済んだ――という感じでしたでしょうか。
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 2015年の琉球フェスティバルの東京の開催日である9月20日が迫ってきました。
 みなさんは行かれますか?
 私は、その日の天候を勘案し、天気が良ければ当日券で参加しようと思っています。
 東京へは当日向かい、22日まで遊んで帰ってこようと考えています。

 さて、一方の大阪開催はどうなっているのでしょう?
 大阪は去年20回目の開催を達成し、仕掛人の知名定男がずっと言い続けてきた「最低20回はやる!」ことを実現したわけですが、21回目となる今年の開催情報が一向に入ってこないのですよ。

 というわけで、例年筆頭主催者となっているFM OSAKAのホームページを調べると、次のような記事を見つけました。

☆今年の「琉球フェスティバル」について
 昨年2014年も大阪城音楽堂で開催しました「琉球フェスティバル」ですが、
 今年2015年のイベントの開催をお休みさせていただくことになりました。
 これまでにお問合せなどいただいたファンの皆様にはご迷惑をおかけしましたが、
 何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
 FM OSAKAではこれからも琉球音楽のアーティストの皆さんのご活躍を
 紹介・応援してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
   2015年6月22日 FM OSAKA


 あっちゃあ、そうだったのか。
 1995年以来毎年欠かすことなく20回という回数を重ねてきたのですが、とうとう・・・という感じですかねぇ。

 「お休み」ということなので、来年度以降の開催をも否定しているわけではないので、多少の安堵感はないではありません。
 しかしどうなのでしょうね。いったん切れた糸を再び紡ぐのはそう簡単なことではないのではないか。
 すごーく残念です。


 さて、去年、20回記念となる大阪開催のことになりますが、10月5日は仕事の関係でどうしても参加できず、居住地で切歯扼腕していました。
 その時のセットリストが同じFM OSAKAのホームページに載っていたので、ここに引用させていただき、記録しておこうと思います。



スタート~京都琉球ゆう遊会

パーシャクラブ
  海の彼方
  七月エイサー
  東バンタ
  五穀豊穣

上間綾乃  サポート:澤近泰輔(Key)
  はじめての海
  童神
  花言葉

大島保克  サポート:近藤研二(Gt)、サンデー(Per)
  から岳
  赤ゆら
  流星
  イラヨイ月夜浜

下地 勇
  我達が生まり島
  ジャズィーミャーク(with新良幸人)
  Danny Boy(SAKISHIMA meeting(下地・新良))

エイサー~京都琉球ゆう遊会

徳原清文・大城美佐子・知名定男
  舞海シンボラー(徳原)
  白雲節(徳原+大城)
  てぃんさぐぬ花(徳原+大城+上間綾乃)
  ヒンスージュリ小(徳原+大城+知名)
  金細工(徳原+大城+知名)

ネーネーズ  サポート:三好ひろあき(Gt)
  ウムカジ
  Day-O!(知名定男+コーラス:徳原・新良・大島)
  黄金の花(with知名定男)

里 朋樹・歩寿
  かんつめ
  今ぬ風雲
  (イトゥ)
  ワイド節

大工哲弘with大工苗子  サポート:サンデー
  鷲の鳥
  マルマブンサン
  殿様節
  八重山育ち
  まみとーま

りんけんBAND
  なんくる節
  浦風
  七月エイサー待ちかんてぃ
  ふなやれ
  乾杯さびら~ありがとう
  嘉手久~唐船どーい
  黄金三星(知名定男+照屋林賢・知子)

フィナーレ
  六調     里朋樹・歩寿
  嘉手久    知名定男+徳原清文
  唐船どーい  出演者全員
  とぅばらーま 大島保克+新良幸人+大工哲弘


 うーむ・・・。今思えば、20回目が最後になる予感が、実はないわけではなかったのですがねぇ。
 セットリストを見ると、各出演者のラインナップは定番のものばかりと言ってよく、裏を返せばマンネリとの謗りもあるかもしれません。
 しかしそれにしても、豪華な顔ぶれではないか。
 これを見逃したのは、返す返すも残念でなりまへんなぁ。
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 高森神社の近くに、「源氏盛・平家盛に至る」との案内標識がありました。
 そこから階段のあるコンクリートでできた通路を進んでいくと、木々に囲まれたあわいに二つのこんもりとした古墳のようなものが現れました。
 ふたつのもっこりした部分はうっすらと雑草が生えているものの、その周辺には杭とロープで柵が設えられており、説明書きもあり、手入れがされている形跡があります。

 人の手が入った何かがある、ぐらいにしか思えませんが、説明書きを読んでそのありがたさを認識したところ。
 それは次のように書かれていました。

源氏盛・平家盛
 屋島・壇の浦の戦いに敗れた平家の武者たちは、海上に活路を求め、軍船で伯耆を船出しました。
 北へ北へと押し流され、さらにいくどかの強風にもあって破船し、この飛島に漂着しました。
 陸に上がった武者たちは、追手から逃れるため、弓矢、具足を捨てて土着し、漁の道に入りました。
 この饅頭塚のひとつは、落ちのびる船中で最期をとげた武者たちを葬り、いまひとつは、漁具に持ち替えた刀剣、甲冑を埋めたものと伝えられています。
  酒田市


 なるほどなあ。これって単なる作り話ではなく、本当のことなのだろうな。
 集落名の「法木」は、おそらくは「伯耆(現・鳥取県)」から来ているのであろうし、法木の集落にいくつか見受けられる「佐貫」という苗字は島根の出雲地方に多い苗字ということもある。
 法木の人々にとってこの場所は大切なところなのかもしれませんね。
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 源氏盛・平家盛のあったところから、徒歩でしか通れない散策路を使って、法木の集落へと降りてきました。

 ちょうど昼どきで、漁港や通りには人影はありませんでしたが、狭い集落道の両脇の人家からは人々、とりわけ高齢者のしゃべる声が、昼のニュースを告げるテレビのアナウンサーの声と混じってそこここから聞こえてきました。
 また、集落の中心になっているであろう「多宝寺」では、男衆数人が集まって寛いでいる様子も見かけました。

 こんなに静かで穏やかな生活をしているところにお邪魔してゴメンナサイという心境。
 人家の表札を見ながら進みましたが、圧倒的に「斎藤」姓が多く、中には「佐貫」なども。
 そして、空き家になっている建物がとても多いなという印象。窓や戸板が壊れているような長期間空き家になっているような建物も。これらについても集落の人々がみんなで見守っていかなければならないのでしょう。

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 県道勝浦法木線は法木集落で途切れ、道はそこまで。それより北には八幡崎があり、そこには八幡神社があります。
 法木からそこに行くには、道のない海岸線を400mほど歩いてかなければなりません。
 でもまあ、地図で見ると、八幡神社からは西海岸に抜けられる散策道があるようなので、行ってみよう。

 貝殻でできた歩きづらい浜、ゴロタ石が踏ん張りを阻害する「オボゲの浜」を歩いて、どうにか参道と思しき山道へ。そしてその参道も、草木が繁茂していてまったくスムーズに歩けません。

 その途中にあった赤い鳥居をくぐり、ヒーコラ息を上げて神社にたどり着けば、ここもまあなんだかといった感じの、お堂以外何もないところ。かつては格式の高い場所であったであろうことはよくわかるのですがね。

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 ここも足跡を残したぞ、ということで、さて、八幡崎の展望台へと抜ける散策道は・・・。
 藪の中を行きつ戻りつして探すのですが、その道らしきものはどう探しても見つかりません。
 チッ、地図にやられたな。ないじゃんか、そんな道。

 そんなわけで、歩きづらい浜の道をとってかえして、いったん法木まで戻ることになってしまいました。

 そして、さらに・・・。
 これも地図に載っている、県道の終点地点から山手に伸びている散策道というか津波避難道を登っていけば八幡崎に行けるようなので、またまたヒーコラ登っていくと、道の上から若い女性4人組がキャーキャー言いながら降りてきます。まあ、キャーキャーしなければならないほどアクロバティックな道なのだが。
 彼女たちにあとどのくらい先なのか訊いてみると、途中で道がなくなっていますとのこと。なにを冗談を言っているのかと信じずさらに登っていくと、あとわずかで尾根に出ると思われるところでまったく唐突に道がなくなっているではないか!
 オーマイガッ! これはどういうことなのだ。一度ならず二度までも、天は我を愚弄するのですか。

 まあ、ぐずぐず言っても突然道が開けるわけではなく、失意のうちに急坂を手摺を頼りに降りることに。
 いやはや、ずいぶん無駄な時間を費やしてしまった。

 4人組は諦めて県道を進んでいき、自分は先ほど通った多宝寺の裏山にもショートカットの避難道があるので三度目の正直とばかりに半ば自棄になって挑戦。
 幸いにして今度は西側に抜けることができました。

 おかげで法木周辺の道はやたらと詳しくなりましたが、それが自分にとって役に立つことなのかは甚だ疑問です。
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 東海岸側からいわば3度目のアタックでやっとこさ、西海岸側へ向かう尾根沿いの道に出てきました。
 八幡崎地区の自然環境保全林遊歩道の入口はちょっとした広場になっていて、立派なトイレが建てられていました。このトイレ、県が設置したものです。
 島に足を踏み入れてから3時間近く経っていて、ここらで用を足して、っと。まだ新しいトイレだし、水洗だし、快適でした。

 ここからは西海岸の遊歩道を進んでいくことにします。
 入り口には次のような看板がありましたので、引用しておきます。

飛島 自然環境保全林  八幡崎地区(北風の森、八幡崎展望台)
 「八幡崎」は飛島の最北端に位置する岬で、展望台からは御積島や、晴れた日には遠く男鹿半島を望むことができます。
 豊かな自然に恵まれた飛島は、全島の7割が森林に覆われ、この森林は防風林や水源かん養林として島の生活を支える貴重な財産となっています。
 当地区の「北風の森」は、かつて防風林として植林されたクロマツ林の中を、潮風に吹かれながら散策し、また、展望スポットからは西海岸の景観を一望することができます。
  平成8年7月  山形県林業課
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 まずは、遊歩道を少し海側に降りて行ったところに「渚の鐘」というのがあるというので、道しるべを頼りに行ってみたところ。
 そこには写真のような鐘が設えられていました。
 なかなかいい眺めです。

 看板がありましたので、移記しておきます。

日本の渚・百選「荒崎」
 7月20日が国民の休日「海の日」とされたことを記念して、「海」の持つ役割について国民に広く認識してもらうことを目的に、平成8年7月10日、自然的、社会的条件の優れた全国100ケ所の渚が「日本の渚・百選」として選定され、「荒崎」もその1つに選ばれました。
 「荒崎」には、海流に乗って数多くの植物の種が流れ着き、その周辺には寒暖両方の植物が繁茂しています。また酒田市の花であるトビシマカンゾウの群生地でもあり、初夏には鮮やかなオレンジ色の花を咲かせます。
 周囲には人工的に作られたものもなく、美しい自然海岸が広がっており、水平線の向こうに沈む夕日の眺めは絶景です。


 夕日の時刻に見たならさぞかし見事なのでしょうね。
 しかし、そうするには島に泊まらなければなりません。
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 「渚の鐘」から遊歩道に戻って、右に行けば港のある勝浦の方向ですが、ここは進路を左にとってぜひ八幡崎の展望台に寄っていきましょう。
 地図に載っているわずか200mほどの遊歩道が現存していれば、八幡神社からあっという間に着いたであろうこの展望台には行かなければなるまいて。

 単なる意地で、1時間20分ほど余計に時間をかけてたどり着いた展望台からの眺めは、何にも代えがたい景色で――というわけでもなく。
 でもまあ、ここが島の北端的な位置づけになっている場所に到達したわけなので、まあ満足しなければならないのでしょうな。
 展望台のたたずまいとそこから見える海は、こんな感じでした。以上。
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 島の北部には時間をかけ過ぎたので、そろそろスピードアップして西海岸の遊歩道を南方面に進みます。
 しばらくは松林の疎林の中を歩き、貯水のための四谷(よだに)ダムを経由して、島の高地部を南北に走る農道に出て、県の産地研究室が手掛ける最北端のスダチ栽培地や酒田市がやっている飛島産「ゴドイモ」の畑などを通って、西南部の海岸ソデの浜に出ました。

 海際のほうに進んでいくと高い石垣に囲まれた社のようなものがあったので、行ってみます。
 それは「明神の社」というところのよう。

 鳥居があり、石垣が立派。石垣の中には社が前後に2つ配されていて、ある種の遺跡のようにも見え、格式ある場所のようです。しかし、どうしてこんな人里から離れたところにあるのだろうか。

 不思議に思いながら写真を撮ってきましたが、家に戻ってネットで調べてみると、次のような事情があるようです。

 飛島の港に着いてすぐのところに「遠賀美神社」がありましたが、そもそもその神社の本殿は、飛島の西沖にある「御積島(おしゃくじま)」の洞窟だったのだそうです。
 ちなみにその内部は、光り輝く龍の鱗が連なるような形状の岩壁となっていることから、「白龍」または「倶梨伽羅不動」などと呼ばれる龍神を祀っていたとのこと。かつての御積島は女人禁制で、龍神は人工物を嫌い、石灯籠等を設置してもすぐに流されてしまうといわれていました。
 こうしたことから、「御積島」と向かい合う飛島の西海岸にその遥拝殿として、「遠賀美神社」が建てられました。これが、現在も残る通称「明神の社」なのだそうです。
 へぇ~、ナルホド。
 そして、遥拝殿として建てられたその場所も、海岸の遊歩道を徒歩で通うしか交通手段がないため不便であり、「遠賀美神社」は現在の港近くに建立したのだそうです。

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 神明の社のすぐ前の海岸に屹立していたのが「ロウソク岩」。
 社の側から見ると、やや西に傾きかけた陽の光が逆光になって、むこうを向いて楚々として立っている和服姿の中年女性に見えなくもありません。どれどれ、では反対側から見るとどう見えるのだろう。

 ということで、少し南のほうに立ち位置を変えて撮ったのがこの写真。
 ほう、こちら側から見てもやはり女性の姿に見えるのう。しかもなんとなく、頭にかぶり物を付けて踊りを舞う巫女のようにも見えます。

 こういう岩ってけっこうあちこちの海の岩場で見受けますが、どこにあっても奇岩は神々しいものとして扱われますよね。沖縄や奄美ならば立神岩とか言われるものなのだろうな。