前項の「ハンタ毛節」の碑で、碑のうしろに「ハンタ毛節」の2番から6番までが記されていたので、それも書き残しておきます。

二、具志川渡(と)ん与根ん 朝凪と夕凪
  傳馬機械かきて 思みなしば一足(ちゅひさ)
  いもり互(たげ)に語たら
三、ウフマ井戸ゆ通ゆて 水汲(く)だし昔
  今やタンク水し 朝お茶や花の香(こう)
  じんとぅ香(にぅ)いのかばさ
四、新道ん出来て 原(はる)の行ち戻い
  青年(にせ)た乙女(あんぐゎ)たや うち笑い笑い
  志情ん深さ
五、陸稲花咲かち 黄金(くがに)波立てて
  満作ゆすらば ミルク世や何時(いち)ん
  互に暮らす嬉りさ
六、風力発電の風車(かじまや)の美らさ
  電灯明かあかと 文化世やあきて
  じんとぅ昼のぐとさ

 近代のご時世への讃歌になっていますね。


 ハンタ毛の前には野甫の漁港があり、そこまで下りて行けば海を隔てて伊是名島が一望できました。その方向に向かって「下の墓」という標識が出ていたのですが、見つけられず、それがどういうものなのか、結局わかりませんでした。

 さて、野甫集落をさらに進んでこの島のほぼ最南端に到達したあたりに「御産土井戸(ウフマーガー)」がありました。
 島には川が無く、井戸は塩分濃度が濃いため飲料水などには使えず、昔から水不足 に悩まされていたそうです。その名残のひとつがここのよう。
 のぞき込むと、かなりの深さがあるようです。

 井戸の奥には次のように記された石碑がありました。

 贈
 御産土井戸(ウフマーガー)ノ起源  西暦326年丙戊冬11月
 一 尚福王景泰3年壬申 西暦1452年 井戸命名
 二 助成金デ整備    西暦1949年 己丑
 ウタ  ウフマーガーユカユテ、ミジクダシムカシ。

 ・・・わからん。ナンダコレハ。箇条書きしているようですが各項が系統だっていず、極めつけは最後の「ウタ」だ。カタカナなんかで書くからまったく意味がわからないではないか。
 昔は御産土井戸に通って水を汲んだものだ――とでもいうような意味でしょうかね。
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 野甫島を一周する一本道のいちばん西側に差し掛かったあたりで、「大天納(Ufuamanna)」と記された案内標識を発見。緑色の標識なのでこれも観光スポットなのでしょう。
 ということで、舗装された道を外れて砂利道を海側に進んでいくと、これがとんでもない悪路。バイクだからなんとかかんとか進めるものの、轍は雨に削られて深々としているし、勾配はすごく急だし、車だったら脱出不能になっていたことでしょう。

 で、その先に現れたのは、めちゃくちゃきれいで静かな浜でした。
 ここのロケーションは最高でした。白い砂浜に黒い岩。岩には緑の木々が王冠のように載っており、沖にある島との間の浅瀬では涼やかな波が海流をなして緩やかに流れています。
 天気もバッチリだし、もう何も文句はないなあ。こんなところにまで来れたおれは天下広しといえども三国一の幸せ者だ。

 ずっとここに佇んでいたい気持ちになりましたが、今日は間もなく伊平屋・野甫から離れなければならないわけで。
 浜の小さな赤と白の貝殻を2個だけ拾って旅の土産にすることにして、再び悪路をモトクロス的に登り、島一周を終えて野甫の集落へと戻ります。
 あ、ところで、「大天納」って何を指していたのだろう。謎だな。

 さあ、伊平屋島に戻ろう。
 本土~沖縄島~伊平屋島~野甫島という具合に、云わば「離島の離島の離島」へやってきたわけですが、これから「離島の離島」である伊平屋島に取って返します。


 野甫大橋を通って伊平屋島へと戻り、島の大動脈(!?)の県道179号線を使って島の南に位置する島尻集落へとバイクを進めます。
 県道沿い、伊平屋漁港の入り口付近に道路を挟んで島尻スーパーという売店があり、その前に島尻集落の案内地図があったので、バイクを停めてチェック。
 ここもまた古くからある集落のようで、殿内、神アシアゲ、島尻神社、田名祝女の馬乗り岩、観音堂、伊平屋小学校発祥の地などなど、チェックポイントが多いです。

 まずはスーパーの隣りにある「観音堂」へ。
 観音堂と言えば、このあたりではウミンチュの航海安全を祈願する場所。芝が張られて集落の人々の憩いの場所になっていると思しき広場の一角に、赤瓦のお堂が海に面してブロック塀付きで鎮座していました。

 お堂の脇には改修工事の碑があり、次のように記されていました。

島尻区観音堂改修工事
 ふるさと創生資金事業
 有限会社  世樹建設
 代表取締役 仲川佳樹
 平成13年12月吉日

 うーむ、つまりは売名行為ということか。


 県道179号線沿いの観音堂のそばにバイクを停め、徒歩で島尻の集落内に分け入ることにして、てくてくと向かったのは県指定有形民俗文化財の「島尻の神アサギ」です。
 島尻集落の中心に位置し、前に見た我喜屋のアサギが4本柱なのに対してこちらは8本柱なのが特徴となっています。ノロ殿内の広場もあり、これはなかなかよかった。

 次は「田名祝女の馬乗り岩」。昔、祝女(ノロ)が馬に乗るときの台座にしたと伝えられる岩だそうなのだが・・・。
 島尻スーパー近くの案内地図から察してこれしか考えられないという小さな岩の前に佇み、しばし悩んでしまう。
 この岩はあまりにも小さく、道端にあるただの大きめの石にしか見えないのですな。それに、あたりを見渡してもこれがそれだということを示すなんらの標識もありません。
 これ以上考えたところで、考えるヒントがなければそれも無駄というもの。まあいいやと次に進みます。

 次はそのすぐ近くの「シヌグ毛」。シヌグという沖縄独特の祭りがこの場所で行われたのであろうと思料しますが、これもただの空き地だったのでスルー。

 うーむ、島尻集落。ちょっとがっかりだな。


 いったん県道179号の島尻スーパー近くの案内地図前まで戻り、集落内の見どころの場所などについて再確認。でも格別新しい情報は得られなかったので、再びバイクにまたがり、集落の手前の県道沿いで見かけた碑の内容を確認に戻ります。碑であればなんでも喰らいつくという感じになっています。(笑)

 それは「伊平屋小学校発祥之地」の碑。県道沿いの遊歩道の奥にひっそりと建っています。
 現在の伊平屋小学校は、島尻ではなく、昨晩泊まった「ホテル松金」のある我喜屋集落の山手側にあります。
 詳しいことはわかりませんが、伊平屋小学校のホームページによると、伊平屋小学校の前身は、明治14年(1881)に開校した「島尻簡易小学校」で、ここ字島尻に仮小屋で建てられたものだったそうです。初代校長(訓導)は石井清吉、児童数5、6人での船出でした。
 翌年、同じ島尻の西側に藁葺き校舎を建築して移転。1894年に校名を「島尻尋常小学校」と改名、1901年には校舎を現敷地の我喜屋集落に建築・移転し、校名を「伊平屋尋常小学校」と改めたということです。

 碑から見れば、順に歩道、並木、県道があり、その先が海のロケーション。離島ではあるけれど、こんな環境の下でゆったりと暮らすのも悪くないのではないか。そんなふうに思わせる風景ですが、ここにも住まわれてきた人々の歴史が深く刻まれているわけなのでしょう。


 次は「島尻区神社」。
 再び集落に入って山手のほうへと進み、なんなく見つけます。
 石鳥居の奥には赤い社があり、鳥居の左脇には次のような説明書きが。
 なんだかこの説明書きばかりがやたらと立派ではないか。

島尻区神社
 明治の初 平屋葺
 昭和15年旧8月19日建設 建築面積21.2㎡
 昭和56年 葺替え
 平成11年11月 葺替
  葺替工事 太名嘉組
  代表取締役 名嘉 謙
 平成11年12月吉日
  記念

 これもまたとりとめのない記述で、前例同様売名行為でしょうか。

 売店前の地図に載っていたので来てみたけれど、ここはイマイチだったかな。事前情報なかったし、帰ってからのウェブ情報もほとんどないので、書くこともない。でもせっかくだから、写真ぐらいはここに載せておきましょうね。

 さあ、そろそろ島尻集落を離れてフェリーターミナルのほうへと向かおうか。


 伊平屋島での最後のチェックポイントは「屋蔵墓」。
 沖縄の第一尚氏王統・尚巴志の先祖に当たる屋蔵大主(やぐらうふぬし)が祭られているという由緒ある墓陵です。
 我喜屋集落の南方約1キロにある屋蔵海岸の洞窟を利用してつくられた石積みの墓陵で、簡素ながら古代の雰囲気をよく残しています。

 屋蔵大主は今から約600年前、現在の我喜屋集落の上里に住んでいたと伝えられ、その王統の子孫が30年ほど前まで沖縄本島南部の知念村・玉城村・佐敷町に在住し、代々この墓の管理をしていた栽喜屋集落の西銘屋(にしめや=屋号)という家に、祭りに必要な線香その他が届けられていたのだそうです。県指定文化財。

 ここで、屋蔵大主の逸話についてご紹介します。

 昔、伊平屋島の我喜屋に屋蔵大主というよく働く若者が住んでおり、役人になった彼は、飢饉に備えて島の倉に米の籾を蓄えていた。
 ある大旱魃の年、屋蔵大主は「倉に米は沢山あるが、自由に食わしたら後は食物が底をつき島人は飢え死にしてしまう」と考え、島人たちに少しずつ配ることにした。
 しかし島の若い連中は、腹いっぱい食べられなかったので悪いことを企んだ。
 「倉に米は沢山あるのになぜ分けてくれないのか。あいつがいるうちは少ししか食えないから、あいつを殺して米を分けて食おう」
 屋蔵大主が夜眠っていると、白髪の神が現れ、「お前はこの島に住んでいたら命が危い。私の用意した舟でこの島を立ち去りなさい」と言う夢を見た。
 不思議に思いつつ浜に行ってみると、そこには夢のお告げのとおり舟が用意してあった。
 その舟に乗ると、何日かかかって今帰仁に着いた。
 そこにしばらく住んでいると、また命を狙われるようになった。
 すると、また夢に神が現れ、「お前はここにいたら生命が危うくなる。舟で西崎、残波崎、那覇の崎、糸満の崎、喜屋武崎と岬を巡って行きなさい。5つの岬を巡って着いたところがお前の暮らせる国だ」と言った。
 お告げのとおり、屋蔵大主は5つの岬を巡って行くと、佐敷に着いた。そこで毎日魚を捕りそれを売って暮らすことにした。

 そのころ佐敷の按司には娘が一人おり、娘の婿を探そうと三世相(さんじんそう)に占ってもらうと、「某日の朝6時頃に家門の前を通る者を婿に選びなさい」と言われた。その日は6時前から按司の家来たちが門前で通る人を待っていると、毎日魚を売って歩く屋蔵大主が、ちょうどその時間に門の前を通った。
 家来たちはさっそく屋蔵大主を佐敷按司の前に連れて行った。
 按司は彼が貧乏漁師なので気が進まなかったが、三世相が言ったことを信じ、「お前が娘の婿になりなさい」と言った。
 屋蔵大主は驚いて、「私は下層の身分ですから、あなた様の婿になることはできません」と断った。
 按司のほうも貧乏漁師を婿にはしたくなかったので、この男を娘婿にするのはやめようと思った。
 すると、按司の娘が出てきて、「この人を私のお婿さんにしてください」と強く望んだので、按司も屋蔵大主を娘の婿にした。
 この屋蔵大主と佐敷按司の娘から生まれた子が、後に琉球の三山統一を果たす尚巴志の父親である佐銘川大主だった。


 これにて伊平屋島めぐりは終了。
 前泊港まで戻り、バイクを返却し、13時発のフェリーいへやⅢで本島の運天港へと戻りました。
 伊平屋島よサヨウナラ。また来ることはあるのだろうか。なかなかおもしろく、いい島であったわい。

 フェリーはべた凪の海を滑るように走って、運天港には14時20分着。
 預けていたレンタカーに乗り換えて、名護方面へと戻ります。

 名護の中心部に入って、時間は午後3時すぎ。どーれ、かなり遅いが昼メシとしよう。
 昼食処は決めており、それは名護十字路に新しくできた市営市場の2階にある「さくら食堂」なのだ。
 建物の南隣にある市場駐車場に車を停め、時間帯のせいかあまり人気のない建物の中を歩いて店の前へ。入口には15時から17時まで休憩時間と書いてあったので少々焦りましたが、中の人に声をかけてみると大丈夫とのこと。
 さらに、15時までのはずのランチタイムサービスのメニューも食べられるんだって。うふふ、テーゲーだよなあ、ナイスだよなあ、沖縄って。

 ランチタイムメニューの三枚肉丼セット550円。
 三枚肉丼と沖縄そば、それにサラダ、ぜんざい、ワカメ・ハム・ミズナのごま和えがついていました。
 サラダ用のドレッシングが2種類、お好みでたっぷりどうぞとボトルで運ばれてくるあたり、アメリカンな沖縄ならではでしょうか。

 三枚肉は、ラーメン店の小どんぶりほどの量ですが、つくりがていねい。ごはんに刻み海苔、レタス、大葉、万能ねぎ、三枚肉がのっけられてそれにタレがかけられています。三枚肉は味が染みて柔らかく美味。
 沖縄そばは、鰹だしが効いたシンプルなスープ。名護の平打ち麺ではなく細めのものでした。
 ぜんざいは麦入りで、甘さが抑えられておりいいデザートとなりました。
 量は少なめですが、午後3時に食べる昼メシとしては適量。これでたったの550円というのですからかなりジョートーだと思います。


 ああ、美味かった~♪
 店から出て2階の北東向きのバルコニーに立てば、写真のような形で名護十字路が一望できます。
 この交差点に来たのは何度目だろうか。写真の右奥にあった名護十字路バス停でバス待ちをしながらオバァと話し込んだこともあったし、右手前、ヒンプンガジュマルへと続く道から入ったところにあった宿に泊まり、新山食堂で名護そばを啜ったこともあった。
 そして、この市場の建物が立つ前は、ちょうど下に見える樹木のあるあたりにケーキとパンを売る店があって、アルバイトのかわいいお嬢さんから朝食代わりのパンを買うのが楽しみだったこともあった。
 かつてのような猥雑感はすっかり失せて、人通りもかなり少なくなってしまい、佇まいはずいぶんと変わってしまったものだ。

 国道58号名護バイパスが全線開通したのは1986年のことで、それ以降、名護十字路を通過していた車の大半はバイパスに移ったため、交通量が激減してしまったのだそうです。

 腹の虫も収まったし、これから今日の宿泊地のコザまではのんびりドライブといこう。
 許田からは高速は使わず、東海岸に出てクルージング。
 宿に入る前に胡屋のサンエーでキャンベルスープを2缶、お土産代わりに購入しました。


 本日の宿は、愛してやまないコザのB級ホテル「デイゴホテル」です。
 タラタラ走ってきたので、ホテル到着はいつの間にか18時近く。でもいいんだ、今夜はもう外には出ず、このホテルの1階にある「レストランうりずん」で飲むんだもん。

 このレストランはいかにもコザらしいゆるゆる、まったりな空気が流れているところで、フロントから丸見えではあるけれど、誰に遠慮することもなくここでビールや泡盛を飲みながらだらっとして徐々に酔っていくのが好きなのです。

 デイゴホテルをコザの定宿にしているのですが、コザではだいたいエイサーを始めとした夜のイベントに出向くので、帰還は深夜ということが多く、なかなかここで飲めないというジレンマがあったわけです。しかし今回はうりずんで飲むことのほうを優先させたので、大丈夫。

 まずは、何かつまむものを注文して生ビールだな。そして適度に酔ったなら締めに、あの不世出の唄者嘉手苅林昌がここで食べていたというスパゲッティをさっと食べて部屋に戻ろう。
 そう考えて、生ビールとともに春巻500円を注文。

 しかしですな、ここは沖縄だったのですよね。運ばれてきた春巻はご覧のとおり。
 値段から言って、小皿に細いのが2~3本と思い込んで注文した自分が浅薄でした。超ぶっとくて重厚なヤツがなんと5本も。もう、嗤うしかありません。

 とろりとした感じの甘酢だれが添えられており1、それをつけて食せばパリパリとして旨し。
 味わいは、一般的な春巻とは別物で、野菜の繊維質が強く、角切りにしたポークランチョンミートまで入っています。

 ゆるゆるの女性店員さんが注文したわけでもないのに「おいしいから食べて」と島らっきょうを持ってきてくれるし、これでビール2杯を空けた段階でできあがってしまいました。スパゲッティはいつか「食事」として食べなければいけませんな。

 というわけで、沖縄はいつもいい意味でこちらの予想や企てを裏切ってくれます。
 全部で1,540円でした。


 旅の最終日の5月7日。
 この日は朝から雨模様。最後にやられた感じですが、降りかたは強くないし、今日はずっと車で移動なので、大きな問題ではありません。

 朝食はパスして8時半にはホテルをチェックアウトし、車で胡屋のセンター公園付近を偵察します。しかし、駐車できるスペースがなく、雨だし、あまり手入れされていない様子でもあるので降りることなく通過。

 その後は、ライカム交差点付近に新しくできた「イオンモール沖縄ライカム店」を見に行きました。
 4月25日にグランドオープンしたばかりで、5月10日までは9時開店となっています。ものすごく渋滞し、混雑するというので、9時過ぎに行ってみたところです。

 さすがに9時の開店直後だと、まだ混雑していず、歩くにも余裕があります。
 それにしてもデカい。今住んでいるアパートの近くにはイオン三川店、自宅の近くにイオンモール山形南店がありますが、それらもけっこう大きいと思っていたけれど、こちらライカム店は体感的には売り場面積でそれらの5~6倍ぐらいはありそうな感じです。
 売り場が1階から4階まであり、たくさん店が入ったフードコートが3階と4階にありました。とりわけ3階のそれにはタイ料理、韓国料理、カリフォルニア寿司バー、オリエンタルスイーツ、フレンチフライなどなど、多彩さもあって面白そう。

 各フロアをひと通り歩いただけなのに1時間もかかってしまいました。
 いやはや、イオンができてライカムあたりもすっかり変わりましたね。近くのプラザハウスの経営にはどう影響するのだろうか。

 さあて、そろそろ那覇へと戻ろう。
 そうだ、ここからならアップルパイの「なつのや」は遠くない。お土産に買って帰れたらいいな。
 ということで、高原のなつのやへ。
 実はこれまで何回も行っていたのだけど、売り切れや臨時休業などでお目当ての品を買えたことがありませんでした。しかし今回はタイミングがバッチリ。膝の上に乗せると熱さが伝わってくるほど熱々のものを買うことができました。
 なつのやのアップルパイ、このボリュームで650円。
 やったねっ。4度目(?)の正直かな。


 旅の最後の食事は、フィニッシュフードとしてすっかり恒例になりつつある首里の「あやぐ食堂」で食べることにします。
 沖縄においしいB級料理店は数々あれど、味、量、価格いずれをとってもココが最高だと思っていますから。

 今回は、事前段階から狙いをつけていた(笑)「チキンケチャップ煮」600円をオーダー。消費増税の影響で、570円だったものがさすがに少し上がっていますね。
 一口サイズを大きく逸脱した、いわば2~3口サイズの鶏のから揚げ6個をケチャップ和えしてウインナーを添えたものがメインディッシュです。
 サイドディッシュというのかどうか、サザンドレッシングのサラダにポテトサラダ、玉子焼きの3種盛りがもう一皿。
 はっきりした味がしてボリュームも満点で、たまりまへんなあ。
 いつもながら充実の一食。しかし、近時の自分にはこのボリュームはややきつくなってきつつあるかな。


 これにて今回の沖縄旅は終わりです。
 レンタカーを那覇空港近くの営業所に返却し、送迎車で空港へ。
 今回はお土産のアップルパイが立派な1個の荷物になっているので、キャリーバッグは預けてしまおうと手荷物チェックの列に並びます。しかし、列が長くて一向に進む気配がないので、思い直して機内持ち込みにして、早めに出発ロビーに入って本を読んで時間をつぶしました。

 那覇空港発14時15分のフライトで仙台空港着16時50分。あとは車で、山形の自宅には寄らずにまっすぐ庄内へ。鶴岡で食事をしてアパートに着いたのは20時前でした。

 そっとそっとと持ってきたアップルパイは、アパートの鍵を開ける段階で落としてしまい、ここまで来てぐしゃり! くっそー、なんてこったい。ちっ、まあいいけどな、味は変わらないのだから。

 というわけで、画像は自分のために買ってきたお土産を撮影したもの。
 なつのやのアップルパイ。
 それと、キャンベルのスープはクラムチャウダーとチキンクリームスープです。

 アップルパイは、型崩れしたところをスープの缶で隠しています。
 格別大きいものではないので、何回かに分けて一人で食べきりました。

 スープは、重い思いをして持ってきたのですが、その後地元のスーパーで売っていたのを発見してちょっとがっかり。多少割高だけど、こちらでも買えるんだなあ。(で、こちらでも買った。(笑))
 味のほうは、クラムチャウダーは牛乳を同量加えて倍の量にしていただくもので、固形の貝が入っていておいしい。若干缶の匂いがありますが、粉末のスープよりも上でしょう。

 ああ、でも、こうしてインプレを書きながら旅を反芻してみると、今回もなかなかに楽しかったなあ。楽しいことをしていると6泊7日なんてあっという間だよね。
 でも、それを「書く」となると、中身が濃い旅だっただけに、けっこう大変でした。
 これまで何回か、旅のインプレを途中でやめてしまっていましたが、今回の旅はこうして最後まで書けたぞ。2か月以上かかったけど、よくがんばった。自分を褒めよう。

 また、最後まで目を通してくださった方がいらっしゃいましたら、そんなあなたにも大きな感謝を伝えたいです。

 また行きたいな、沖縄。
 次に行くのはいつになるのかな。

 (「沖縄旅2015年GW」 完)