慶留間大橋を渡って外地島から慶留間島に戻ってきたものの、雨は降り続く。まいったなあ、また休憩かなあ。
 ということで、慶留間集落のメイン交差点、とは言っても小さな十字路で歩く人は全くないところに、バス停の待合所をさらにワンランク下げたようなつくりの屋根付きの休憩所のようなところがありました。きっとここは、集落の人たちが寄り集まってゆんたくなどをする場所なのだろうな。
 そこにバイクごと乗り入れて、濡れた身体を濡れたタオルで拭く。うえぇ、冴えない。

 やることもないのでウロウロしながらその周辺を見回していると、おりょっ、すぐ後ろのほうに何かの碑があるではないか。
 おお、見てみるとそれは「伊江村民収容地跡記念碑」というものであった。
 立派な巨石。その下に書いてあった文章を以下に引用します。

 第2次世界大戦末期の昭和20年4月16日、米軍は伊江島に上陸、同年4月21日に占領され奇跡的に生き残った村民約2,100人は捕虜となりナガラ原に仮収容される。
 同年5月に米軍が占領後の戦場整理と称して座間味村へ約400名、渡嘉敷村へ約1,700名が移されそれぞれの地に収容される。
 以来昭和21年7月まで伊江村民が座間味村民にご迷惑をかけながら耐えがたい日々を共に生きてきた苦難の歴史の地である。
 戦後50周年を記念しこの碑を建立する。
  平成7年12月6日
  沖縄県 伊江村

 むむう、慶留間島や渡嘉敷島にはそういう歴史もあったのか。知らなかったなあ。

 なお、写真の右側に写っているのが、休憩したボロい屋根付きの建物です。
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 雨をしのいでいる小屋のある集落内、歩いてすぐのところには「高良家」があります。しばらく休んでいるうちに小降りになってきたので、バイクを小屋に放置して、スージグヮーに足を踏み入れてみました。

 高良家住宅は、琉球王府時代末期に公用船の船頭職を務めた仲村渠雲上が建築したといわれる建物で、赤瓦が美しく、国の重要文化財に指定されています。
 少し調べてみると高良家住宅は、19世紀後半に建築されたといわれていて、建築当初は茅葺きだったものが、大正年間に赤瓦葺きに改築されたのだそう。沖縄離島の民家としては建築年代が比較的古く、屋敷周囲の石灰岩の石垣や母屋前面のヒンプン(家の目隠し)などの様式がよく残っている建物です。よく戦火を逃れられたものだと感心します。

 ところが、たどり着いてみると、入り口の木戸は閉ざされており、「ただ今、お昼休み 食事に行ってきます 「高良家住宅」管理人 (12時~13時)」とのプレートが。
 そうかそうか、そういう時間か。
 ――と、あっさり諦めて、石垣の外でカメラを高く掲げて内部を撮影。この写真の右下に閉ざされた木戸があります。建物もしっかり雨戸が閉められていますが、これも雨のせいなのかな。

 残念でしたと引き揚げようとすると、集落のスピーカーから13時になったことを示す「椰子の実」の大音響が流れます。
 13時を過ぎれば管理人が戻ってくるのでしょうが、おそらくはそれもすぐにではなさそうな雰囲気と静けさと。
 まあいいや、時間もあまりないし、次、行っちゃおうっと。


 外地島、慶留間島はこの程度にとどめ、阿嘉島の港に戻って「シロの像」を見ます。
 1988年に公開された映画「マリリンに逢いたい」は、阿嘉島の民宿で飼われていた雄犬シロが、対岸の座間味島にいる雌犬マリリンに逢うために海を泳いで渡ったという実話をもとに製作されたもの。
 で、港の緑地帯のいちばん目立つところに堂々と建つのが、そのシロの像なわけです。

 阿嘉島と座間味島の距離って、最短でも3kmぐらいはあるよなあ。そこをワン公が泳いだわけですか。
 映画では、シロ役は本物のシロが演じ、マリリンのほうは撮影当時本物がすでに事故で他界していたため別の犬を用いたとのことです。
 座間味島にはマリリンの像もあります。2006年に座間味島に渡ったときに見てきましたが、阿嘉島のほうをしっかりと見据えて建っていました。

 像の台座には、次のようなことが書かれていました。
 『恋人マリリンに逢うため、阿嘉島から座間味島までの3キロの海峡を、泳いで渡った雄犬シロの恋物語は、多くの人々の心に愛と感動を与え、1988年、映画「マリリンに逢いたい」を通して座間味村の海と自然を全国に広めました。2000年11月26日、17歳(人間だと80歳以上)で亡くなったシロの死を悼み、その功績を永遠に残すために、全国から募金を募りこの記念碑を建立いたしました。
 平成13年11月26日 シロ記念碑建立実行委員会 』

 お、やっぱり3km! 正解じゃん♪


 シロの像を見て港を立ち去ろうとすると、奥のほうに別の立派な碑があるのが見えました。あれは何? このごろは碑を見かけるとつい近づいてしまう習性が身についてしまったようで。(苦笑)

 碑の石には「平和の火 採火記念碑 採火年月日 平成三年六月二十日」とのみ記されていて、何を記念したのかよくわかりませんが、その下の2枚の石版に書かれた文章を読んで、ことの次第を多少は理解したところ。

 『平成3年6月20日、沖縄県戦没者慰霊追悼式を挙行するにあたり、この地において平和の火を採火した。
 この地は、第二次世界大戦における米軍上陸第一歩の地で、昭和20年3月26日午前8時4分、すさまじい砲撃とともに米軍が上陸し、二十万余の尊い人命を奪った悲惨な沖縄戦が開始された場所である。
 ここに戦没者のご冥福と世界の恒久平和を祈念し、この碑を建立する。
  平成10年3月26日 座間味村長 』

 う~む・・・。この碑の意味は2つあって、ひとつはこの地が沖縄戦の火蓋が切って落とされたところだというのはわかるのですが、2つめの平成3年の平和の火の採火についてははっきりしません。平成3年のことをなぜ7年後に碑にしなければならないのか――。
 まあ、この碑の言わんとするところは、ひとつめのことなのでしょう。

 阿嘉大橋をバックにして、堂々としたものです。


 ここからは阿嘉の集落をあとにして、阿嘉島のあちこちにある展望台やビーチを巡ります。アップダウンが多く、距離もたっぷりあり、これらを自転車で周るなどというのはゼッタイに無理だったでしょう。バイク、大正解!

 まずは、集落のすぐ目の前に広がる前浜(まえはま)を左に眺めながら通過して、島の南に位置する天城(あまぐすく)展望台へ。
 一般道の途切れるところまで行き、そこでバイクを降りて、またもや長めの道のりを展望台目指して歩きます。

 着いたところは島の西、南、東の方角が見渡せる小高い丘といった位置取り。東に阿嘉集落や阿嘉大橋が眺められ、南には写真のようなサクバルの奇岩群が連なります。

 ほほう、これはここでしか見らることのできない奇観。
 雨は上がり、陽も差してきて、いい感じ。


 簡易舗装のような一本道を進んで次に訪れたのは、天城展望台の北に位置するヒズシビーチ。
 道路脇に油断すると見逃してしまいそうな小さな標識があったので、路肩にバイクを停めて、細々とした急な山道を、標高差にしておそらく百メートル近くは下っていくと・・・。それなりに広いのに誰もいないステキなビーチにたどり着きました。

 静かなビーチ。西向きなので、夕方になるとサンセットを見に人が集まり出すのかもしれません。
 それにしても、贅沢なシチュエーションではありませんか。アダン葉の陰にビーチチェアでも持ち出していつまでもゆっくりと佇んでいたい衝動に駆られます。

 こういう浜として思い出すのは鳩間島西岸の屋良浜。あそこも人がいず、海が池のように穏やかで、遠浅で、流木に腰掛けてずっとずっと佇んでいたくなったものです。
 当時は鳩間島を訪れるには週3便のフェリーしかありませんでしたが、今は高速船も就航し、あの浜にも多くの人が訪れるようになっているのかもしれません。

 このたび旅立つにあたって南の島に行くと母に告げたところ、それならばどこかの浜で石を拾ってきてほしいと言っていたのを思い出し、砂浜の石と貝殻をいくつか拾ってみる。
 拾い上げてみれば、砂粒には有孔虫の形をした粒も。なるほど、こういうものがいい土産になるのだろうな。

 気がつけば空は青色。南の島の天候はこのようにコロッと変わるものなのだね。


 次に向かったのは中岳展望台。阿嘉島のほぼ中央に位置し、おそらくは島の最高峰付近。
 道路沿いに立つ「中岳展望台 ⇒」の看板前でバイクを降り展望台まで歩くも、なかなかたどり着かないのですな、これが。長い山道、長い石段。草木の生い茂る林の中をずいぶん歩いたぞ。

 もういい加減諦めようかと思う頃にようやく到着。展望台が見えたときにはホッとしたものです。
 展望台自体は高床式になっていて視界が広く、隣の慶留間島から遠くは渡嘉敷島、座間味島まで、ケラマ諸島が一望できました。

 展望台の大黒柱の下のほうには「贈 元通信隊 柴田收二 平成12年3月26日 岡山県成羽町吹屋417」とあり、この展望台がかつての日本兵による寄贈物であることが示されていました。この島の碑などには「3月26日」が実に多く見られます。

 柴田収二さんについて調べてみると――。

 氏は2013年現在、90才で存命。
 『1944年9月、阿嘉島守備部隊に通信隊長として配属され、米軍に備えて陣地構築に当たった。
 沖縄戦の悲劇を伝えようと、大手商社を退職後、故郷の岡山県成羽町(現高梁市)で蔵を買い取り、「平和祈念館」を約15年前に開設。当時の軍服、砲弾の破片、写真などを希望者に公開している。
 45年3月26日朝、激しい艦砲射撃と攻撃機の機銃掃射とともに米軍が上陸。柴田さんは沖縄本島の司令官に玉砕の覚悟を示す電報を打電した。機関銃などで応戦したが、圧倒的な物量の前に、部隊は島中央部の山に後退。米軍は約1週間で島の掃討作戦を終え、本島攻撃に向かった。
 それからは飢餓との闘いが始まった。山にたてこもったのは日本兵約300人、住民約450人のほか徴集された朝鮮人労働者。備蓄食糧はすぐに尽きた。
 桑の葉やツワブキなどを食べしのぐ毎日。軍は、草木でも許可なく採れば処刑すると厳命。わずかな食糧を盗んだとして兵士や朝鮮人労働者十数人が見せしめに銃殺された。「ほんの数粒のもみがポケットから見つかり殺された兵士もいた」。一方で、大量の食糧を隠し持っていることが発覚した将校には何の処罰もなし。「軍隊の理不尽さを感じた」。
 日増しに体力が衰える中、終戦後の8月23日に投降した。栄養失調のため多くが担架に乗って山を下りた。
 「阿嘉島では集団自決はなかったが、衰弱死する人が出た。沖縄戦は兵士より多くの住民が亡くなり、気の毒だった。戦争は二度と繰り返してはいけない」。柴田さんは、そう静かに話した。 』
 9月28日に日比谷野外音楽堂で開催された「琉球フェスティバル2014東京」のインプレッションを10回にわたって緊急掲載します。
 それでは、ドウゾ~♪



 2014年の琉フェス東京は、9月28日の日曜日に日比谷野外大音楽堂で開催。
 仕事の関係で翌日の朝にはどうしても戻っていなければならず、見に行くかどうか悩みましたが、10月5日に開かれる琉フェス大阪も事情は同じで、なおかつ大阪では翌朝までに戻ることは不可能。ならば、東京だけは参加しようという方向に傾きました。
 次に心配なのは天候。東京開催では過去に2008年、昨年の13年と2度、濡れ鼠になった経験があるので、台風などの影響があれば行くのをやめようと考えていました。ところが、前日の予報ではピーカンの秋晴れ。これはもう、行くしかありません。決定です。

 この琉フェス、1974年に日比谷野音で初めて開催され、1995年に大阪で、96年には東京で復活開催されているもの。なので、2014年の今年は、東京では19回目、大阪では20回目の開催を迎えることになります。
 そういう意味でも、20回記念の大阪はぜひとも参加したかったのだがなあ。(愚痴)

 今回の東京開催の参加者は、初参加のうないぐみ、常連組からは、大工哲弘、パーシャクラブ、よなは徹、大島保克、下地勇。若手からはやなわらばー。司会は今年もガレッジセールの二人です。
 東京開催のメンバーとしては新規性が薄く、ややマンネリ化していると感じざるを得ませんが、実力派がそろっているとも言え、安心して楽しめるラインナップでしょう。奄美のウタシャが入っていないのは少々残念なところ。
 付け加えておくと、主催はテレビ朝日、ぴあ、文化放送、Inter FM。協賛には、瑞泉酒造、オリオンビール、沖縄ツーリスト、リトル沖縄が名を連ねています。

 翌29日はダメでも、開催前日の27日は大丈夫。なので、27日(土)に上京し、同日夕刻から吉田類よろしく十条の有名大衆酒場「田や」と「斉藤酒場」をはしごして、翌28日は朝から琉フェスの開場時刻まで谷中、根津、千駄木の「谷根千」めぐりを楽しみました。いや~、歩いた歩いた。

 15時頃に日比谷公園に到着。今回は参加するかどうか直前まで迷っていたので、前売り券は買っていません。なのでまず当日券を求めに会場入り口の当日券売り場に歩を進めると、見知らぬおじさんが寄ってきて「急に一人来れなくなったので、チケットを1枚、いくらでもいいから買ってもらえませんか」と。そんな我々の不審な動向に気づいた係員からしっしっ!と追い払われながら、前売り7千円、当日7千5百円のチケットを5千円でゲットしました! これはラッキー♪

 手に入れたチケットの番号の席にははなから着くつもりはなく、一番後ろのほうの余裕のある席に陣取って、会場全体を俯瞰しようと考えていました。なので、入場者の長い列が途切れ、すでに東京沖縄県人会青年部によるエイサー演舞が始まっている頃にゆっくり入場。思ったとおりステージから見て左翼の最後方は数列ほど席が空いていたので、そのあたりに座ります。

 エイサーは、ステージ上でクバ笠、ダークグレーの着流しに裸足といった渋い出で立ちの地謡3人がうたい、観客席に散開した手踊り隊は赤い襟のついたクリーム色の着物に紫色の帯を締め、こちらはカラフルに踊ります。

 16時を過ぎて、ステージに司会のガレッジセールとテレビ朝日の久保田直子が登場。去年は大雨でも客がまったく帰らなかったことや、今回もすでに男性楽屋は居酒屋状態であることなどを話し、恒例となっている客席からの差し入れ泡盛をこの段階から一気飲み。これを見ると、ああ、今年も琉フェスがやってきたのだなあと思う。(笑)
 さあ、ここから4時間、ぶっ続けでの沖縄音楽の祭典が始まります。
yanawaraba 201410

 トップバッターは予想どおり、やなわらばー。
 石垣島で生まれ育った幼なじみの女性ユニットです。二人とも白基調の衣裳で、三線の石垣優(いしがき・ゆう)はスカートで、ギターの東里梨生(あいざと・りお)はスラックス。
 まずは、♪花は流れてどこどこゆくの・・・というあの名曲「花」をきれいな声でハモってみせ、続けてメジャーデビュー曲の「青い空」を。石垣島を離れた寂しさから初めて二人で作った曲なのだそう。それからもう10年も経つのですね。
 ♪ 青い空 青い海 青い風がある あの場所に また行きたい また戻りたい・・・
 うたい終えて優がMC。その話し方、アクセント、どっぷりウチナーグチだねぇ、最高!

 続いては、「空をこえて海をこえて」。
 ♪ 小さい頃よく通った 青い海に続く道 自転車でよく走った 大きな木のトンネル・・・
 故郷を離れて一人都会で生活していても自分を見失わないでいこう、という応援歌。

 そして、観客に「一緒に歌っていただけますか!」と依頼して、THE BLUE HEARTSがオリジナルの「TRAIN-TRAIN」。
 ♪ 栄光に向かって走る あの列車に乗って行こう 裸足のままで飛び出して あの列車に乗って行こう・・・
 レゲエ風にアレンジされた「TRAIN-TRAIN」はなかなかよく、会場からも掛け声が入ります。うたっている優も調子が上がり、履いていたハイヒールを脱ぎ捨ててうたいます。
 彼女たちは2013年に「涙唄(なだうた)」というカバーアルバムをリリースしていて、元ちとせの「ワダツミの木」や中島美嘉の「雪の華」などが一味加えられて収められているとのことです。

 元気にうたい過ぎたか、続く「拝啓○○さん」では息が少々上がっていたようでしたが、無事にうたい終えてやなわらばーのステージは終了。♪ あなたに ありがとう
 琉フェスに出場するというので緊張のため前夜は1時間しか眠れなかったという優。お疲れ様でした。
 「やなわらばー」の意味について、ガレッジの二人が久保田アナウンサーに質問していましたが、その中での「ちゅらかーぎー」は「きれいなおじさん」か?という会話には思わず吹き出してしまいました。
 「やなわらばー」とは、「悪ガキ」「いたずらっ子」とでもいうような意味です。
yonaha 201410

 ガレッジたちがまた泡盛を飲まされているうちに、次の出番としてスタンバっていたのは、よなは徹でした。
 若くして、琉球古典音楽野村流師範であり、国指定重要無形文化財「組踊」伝承者、そして全島ナークニー大会優秀歌唱賞受賞者。若い民謡アーティストのプロデュ-ス、ジャンルを超えたアーティストとのコラボレーションなどを手掛け、新しい島うたの世界を切り開く沖縄民謡の次代のホープとして注目されている人物です。
 また、7月には自身初のベストアルバムとなる「とぅなか~よなは徹ベストアルバム(2001~2014)」を発表しています。

 茶色のつば付き帽子にあずき色のシャツ、そして黒のパンツという姿で登場。うたう前から三線のピックなのかそれともチル(絃)なのか、コマモノを観客席に投げ入れています。
 今回はバックにベース・上地正昭、パーカッション・かんなり(上地一成)、アコギ・長嶺良明、島太鼓・與儀朋恵を従えてのへヴィロック調のステージです。
 となれば、スターティングは「花ぬ風車~スンサーミー」だよな。
 ♪ 花ぬ風車や 風ちりてぃ廻る 久葉ぬ若久葉や 重にてぃん美らさ ・・・
 おれ、よなはのこの曲、好きなんだよなあ。

 2曲目は、曲名は不明ですが、持ち歌の「誇らさよ」にも似ている曲調の賑やかなもので、シターリヨー・・・、今日はお祝いだ!みたいな内容。
 よっ、観客席の一部ではモーイ(舞い)をする者が出始めましたね。

 よなはの三線と與儀の島太鼓とで掛け合う場面があって、3曲目は、おお、早くも「唐船ドーイ」だ!
 こうなってしまうと、観客の皆さんはもう我慢できません。場内総立ちです。そんな中で声を張って歌うよなはの表情は、オペラグラスでよく見るととても嬉しそう。そうだろうなあ、地謡のヨロコビというのはその一点に尽きるワケで。

 カチャーシーソングの代表曲で大いに盛り上げておいて、最後にうたうのは新曲の「ありがくとぅ」。11月26日にシングルとして発売される予定のもので、オキナワン・バラードの味わい深いものでした。

 演奏が終わった後は、恒例のよなはグッズの観客席への投げ入れ。今回も今しがたまで使っていた三線をケースに収納し、それをケースごと放り投げます。
 直後に出てきたゴリは「おかしいよ!」を連発。観客たちの姿は、戦後ギブミーと言いながら米兵にたかる子供たちのようだと揶揄します。そうするうちにも観客からは泡盛が差し入れられ、はい、3杯目。(笑)
ohshima 201410

 ステージ上、続くは大島保克。
 大島は、沖縄に伝わる島唄を丹念に掘り下げうたい継ぐ“伝統島唄の新しい継承者”としての一面と、積極的にオリジナル楽曲をうたい様々なアーティストに楽曲を提供する“新たな島唄の作り手”としての一面とを、同時に有しています。
 そして、自分の原点であるうたと三線による独りでの演奏スタイルをずっと維持しているのがすばらしいと思う。

 白のシャツに黒のパンツと、潔さを感じるシンプルな出で立ちで、いつものように椅子に腰掛けてのパフォーマンスです。
 1曲目は、「カラ岳」。
 ♪ 川(カラ)ぬ下に続く道  昔人(んかしぴとぅ)ぬ通た道
    変わてぃゆく 水ぬ流り  哀りなさや ・・・
 「川ぬ下」とは、カラ岳の近くを流れる轟川の河口。カラ岳は、石垣島白保集落の北にある小さな山で、テッポウユリが咲く、大島が最も好きな景色なのだそうです。
 これをアコギの近藤研二を従えてしみじみとうたえば、先ほどまで大騒ぎだった観客たちもしみじみと聴き入ります。
 いやあ、いい声だ。まさにヒバリ。トップライトを浴びて、大島の頭が光る。

 2曲目は、サンデーが島太鼓でアシストして、「真砂の道」という曲だったでしょうか。
 たしか、真砂の道は、島の童たちが駆け抜けていく・・・といった歌詞だったような気がします。
 こういったスローなうたをうたう時の彼の歌声は、寄せては返す波のたゆたいのようにも聴こえてくるから不思議です。

 大島はここで「ハイサイ」と一言発しただけで、あとはチンダミに余念がありません。
 そして3曲目からはお定まりのラインナップ。まずは「流星」です。
 何度聴いてもこの曲にはいつも心を揺すられます。嘉手苅林昌が亡くなったとき、その嘉手苅おとうにインスパイアされて大島がつくったこの曲は3拍子。
 ♪ 巡る世ぬくぬ沖縄 あまんくまとぅ旅の果て 志情けぬ果てはなし 唄に声かきてぃ・・・
 俯きながらうたう大島の孤高の表情は、嘉手苅林昌の面影に似てきつつある。

 4曲目は、観客に手拍子を求めて「赤ゆら」を。
 ♪ 潮ん満ち里戻り 海ん山ん見渡しば 春ん花ん春ん花ん しかとぅ咲き ・・・
 サンデーの「サァサァ!」の掛け声はいいが、ギターは少々はずし気味。どうしたのだ?

 今年の琉フェスは東京が19回、大阪が20回だが、始まったときは自分が最年少だったと話して、拍手を浴びます。
 そして最後は、「イラヨイ月夜浜」。観客からは、名人芸に待ってましたと大拍手。もう解説はいらないですね。

 うたい終えて、ガレッジの二人とハイタッチして楽屋へ。
 ガレッジによれば、楽屋では酔った幸人が大島と下地を前にして、「オマエ禿げてる人、オマエ禿げてない人」とやっていたそう。あんまりなのでゴリが、あなたはどうなんですかと幸人に尋ねたところ、彼は「オレは生えたい人」だと発言していたそう。さすが芸人、笑いを誘うのが上手だなあ。
shimoji 201410

 ガレッジたちがこんどは泡盛のミルク割りの洗礼を受けている間に、下地勇が登場。
 おお、カッチョイイ(この言い回し、かなり古い?)、ジャケット、シャツ、パンツに靴、ぜんぶ白づくめです。こういう格好って、下地のようなハンサムで、長身で、スリムな人でなければまず似合わないよね。
 あとでガレッジたちが報告していたけど、ステージ袖では下地を見た幸人が嫉妬して「死ねばいいのに」と言っていたそう。(笑)

 スターティングは、下地を世に送った名曲「我達が生まり島」。
 これを今回はよりゆっくりと、丁寧にうたっているような印象がありました。ベースの低音が効いていて全体として深みがあり、不思議な印象。陽が傾いてきて照明のライトが眩しく感じられる時間帯になってきたから、ということも影響しているのでしょうか。

 自分の弾くアコギのほかはベースとドラムスという構成にて、2曲目は「開拓者」。
 彼のうたううたはいずれもミャークフツ(宮古方言)でうたわれるので、なにをうたっているのかよくわかりません。なので、歌詞をメモっておくことができないので、うたわれた曲を記憶にとどめておくためには音階とリズムを覚えておくしかないことになります。
 そういう意味からは、この曲はリズムに特徴があるし、印象深い合いの手が入るので、しばらくたってからでも曲調を思い出すことができます。
 ちなみにその歌詞の一端を書くと、
 ♪ んきゃーん ぼうりーたー いさみにぬぶどぅい んなまかぎ花 咲かせっでぃうー
   雨ん風ん にんなーりみばかり んなまかぎ花 咲かせっでぃうー ・・・
といった具合。ようわからん。

 また彼は、「今のは○○という曲でした」というようなことはいっさい言いませんから、聴いているほうはホント、チンプンカンプンなのです。
 ということで、3曲目の歌名は不明。スローバラード風の曲調で、導入部は音階のないつぶやきから入り、途中アッカッカッカ・・・などというセリフがありました。わかるのはその程度。(笑)

 うたい終えて下地は大きな声で「オリオンビール、飲んでますかぁ!」と発言。ここだけは標準語なのでわかりましたが、それから二言三言ミャークフツで何かしゃべって、「グスーヨー、カリー!!」と、こんどはウチナーグチで乾杯です。

 で、「オリオンビールのCMソングをうたいます」ということで、最後は「希望を注げ」を。
 作詞・作曲、下地勇。しかしこれ、標準語の歌詞です。ほっとするなあ、というのが正直なところでしょうか。
 ♪ もうすぐ日が暮れるころだ ひと息ついたら乾杯しよう
   滴り落ちる汗を拭いたら 最後のヤマを片付けようぜ ・・・
   イラヨーイ シュラヨーイ 明日もまた イラヨーイ ほろ酔い いい日にしよう ・・・
 歌詞は説明口調で素人っぽいところがあるが、ビールが美味いなあ!と思えるような気分はよく出ている。
 下地勇は声こそいいとは思えないが、聴く者の心を揺さぶる何かを持っている。

 だいぶ暗くなってきて、野帳にメモっている文字が自分で読めなくなってきました。
daiku 201410

 続いては大工哲弘。ご夫人の苗子サンとともに登場です。
 大工哲弘は、今や八重山民謡の第一人者。1999年には沖縄県無形文化財(八重山古典民謡)保持者の指定を受け、2011年には琉球民謡音楽協会会長に就任しています。
 この日の大工先生は、黒いつば付き帽子に空色のシャツ、首には薄青のネッカチーフを付けて黒いスラックス姿。苗子夫人は琉球カラジを結い、膝下までの紅型模様の入った白い着物姿で琴を前にして座ります。彼女はすでに裸足なので、これは後半は鎌を持って踊ることになりますね。(笑)

 よなは徹が篠笛でアシストして、1曲目は「鷲ぬ鳥節」から。ナルホド、八重山合衆国の国歌からきましたか。
 うたい終わって大工は、自分のことを“沖縄民謡界のレジェンド”と紹介し、老いてなお盛んと言われるが私は若い時から「大工」ですとギャグを飛ばして笑いを取ります。
 そしていつものように「県知事になり代わって皆さんにお礼を申し上げ」、自分のうたううたはみなさんにわかるようなものは1曲もない、でもそれらは本物ですから、などと言いながら2曲目へ。

 2曲目は「まるまぶんさん」。
 ♪ ヨーホー 丸島盆山 夕な夕な見いば 風ぬ根を知ち 居ちゅる白鷺 エンヤラヤンザ ・・・
 西表島の古集落、祖納にある小さな島の眺めを愛でたうた。
 続けて、曲名は「殿様節」かな。よくわかりませんでしたが、舟浮あたりのことをうたっているような、石垣島のアンガマのミチジュネーなどで耳にするような曲調のものを。

 うたい終えて、大工のMCは絶好調。1974年に初めて開かれた琉フェスの話をし、40年前のその場にいたメンバーで残っているのは自分一人になったと発言。ナルホド、そうなんですね。みんないなくなってしまったな。知名定男が残っているけど、彼は歌うのをやめたし。あとは大城美佐子かな。
 それと、このたび沖縄の三越が閉店したのをネタに、東京銀座で三越を見つけた嘉手苅林昌が、沖縄の三越も東京に支店を出しているとはたいしたものだと言ったという有名な逸話を披露。
 さらに、つけているネッカチーフは家内がその三越で見繕ってくれたもので、コーディネートはこーでないととダジャレを飛ばします。なんだかな、でありますな。

 で、4曲目は、故郷に誇りを持ってうたうとかなんとか言いながら、「八重山育ち」を。
 八重山のいいトコ数え歌のようになっていて、間に「与那国ションカネ」「とぅばらーま」「小浜節」がスポット的にうたわれています。1曲で何曲も聴ける、うたえるといったものでした。

 そして最後は、予想どおり苗子サンが立ち上がって「マミドーマ」です。
 さっきまでおしとやかに琴を奏でていた苗子サンが急に表情を大きくしてサッサイ、サッサイと踊り出したのには、おかしくなって笑ってしまいました。
 いつものマミドーマですが、かつて大工サンがうたっていたそれは音階的なメリハリがきちんとあったものでしたが、今回聴くものは半音程度、あがり切らなかったり下がり切らなかったりの部分がありました。
 八重山の音楽って、もしかしたらこういうもののほうが正しいのかもしれません。八重山民謡の大御所と言われた玉代勢長伝のうたなどを聴くと、この人音痴なんじゃないかと思うぐらいそういうところがあったので。
parsha 201410

 さて、お次はパーシャクラブ。いつものベースの効いたイントロが流れ出すと、まだステージ上は暗いというのに観客は総立ち状態。観客の大部分は実はパーシャクラブを聴きに来ているのではないのか?!

 メンバーが配置について、あとはボーカル、三線担当の新良幸人が登場すればいいわけですが、出てきたのはナント、スケスケの水色のドレスに金髪風のカツラとキラキラのティアラ、顔にはギンギラというかド派手な化粧を施した、裸足のオカマ! 誰だ?美輪明宏かっ?!
 いやいや、これが新良幸人。♪う~みのかなたぁ~・・・とうたい出したその姿は、どうにも気色悪い。でもまあ、エンターティナーだよなあ、幸人って。普通の人はそこまでやらないものな。歌手というよりも、芸人に近いよな。
 その姿で妖精のような格好で跳ね回りながら幸人は「海の彼方」をうたい続けます。リーダー上地正昭のギターが泣いていますね~。
 そして幸人は、最後の♪う~みのかなたぁ~で、ドレスを脱いで上半身裸に。くーっ。かつては二枚目シンガーとして名を上げ、映画にまで出演したキミが、そこまでやっていいのかっ!

 幸人が試みたのはどうやら「アナと雪の女王」のエルサだったようで、「アラと雪の女王」とか言って悦に入っていましたが、あれはどう見ても美輪明宏。うーむ、ショッキングではあったな。

 で、2曲目からは多少は落ち着きを取り戻し、うたうは2013年のオリオンビールCMソング、「七月エイサー」。
 ♪ 七月エイサー サーサ 臣下ぬチャー エイサーエイサー イヤサーサ 嘉例付きやびら ・・・

 そして3曲目は、「月ぬかいしゃ~五穀豊穣」。
 これもいつものラインナップだけど、あのどぎついコスプレを見せつけられた後だと、不思議といきり立ち、盛り上がるものがあるから不思議です。サンデーのイーヤーサーサー!の迫力ある掛け声も健在でした。

 そして極め付けの最後は「じんじん」。
 沖縄民謡を題材にアレンジしたものですが、仕上がりは完璧にスカ。情感に訴えてくるこのリズムは尋常ではなく、場内がひとつになって麻薬のようなメロディに浸っています。ステージ上から観客席へと照射する逆光のライティングも効果バッチリ。

 いやはや、大盛り上がり。それにしても、何度見てもパーシャのライブはすごいです。まちがいなく彼らは沖縄最高のLIVEバンドでしょう。
 昨年は、結成20年。5年ぶりとなる新譜「kana gana」が発売されました。
unaigumi 201410

 パーシャの興奮が冷めやらない中、沖縄出身のお笑いコンビキャン×キャンのユッキーこと長浜之人が来ていて、彼がマニアックすぎるモノマネを披露。
 そして、ガレッジから今回のトリを務めるうないぐみが紹介され、そのリーダー格の古謝美佐子の長い髪について、孫から砂かけババアと言われたという笑えて悲しい話も合わせて伝えられます。

 さあ、プロデューサー佐原一哉のやさしいシンセサイザーの音に乗って4人が登場です。
 うないぐみは、古謝美佐子、宮里奈美子、比屋根幸乃、島袋恵美子の4名からなる沖縄民謡女性グループ。初代ネーネーズに在籍した古謝、宮里、比屋根に加え、かねてから親交のあった島袋が参加し、今年から活動を始めました。1990年代のネーネーズを知る者にとっては垂涎のグループですね。

 まずは「島々美しゃ」から。
 向かって左から、島袋、幸乃、美佐子、奈美子の順。右肩が紫色、左肩が紅型模様のドゥジンに白のカカン、頭には虹色のスカーフが乗っています。
 旧ネーネーズがうたったときに知名定男がやったように、「サーカイシャヌ」という返しを佐原が入れます。これがまた、懐かしかったり。

 うないぐみとして活動を始めてから日が浅いので、ウェブ上の情報もまだ乏しく、最近の曲はよくわかりません。
 2曲目についてはまさしくそれで、♪ ゆいやさ、ゆいやさ・・・といった、ウチナーグチでつづられたやさしい感じの曲を、4人がユニゾンでうたいます。一部ソロでうたうところがあり、4番まであるその部分を幸乃、恵美子、奈美子、美佐子の順でうたいました。
 幸乃の澄んだ通る声、奈美子のたおやかなうたい方、美佐子のスピリチュアルな独特の節回しなどは、ただただなつかしく、嬉しさが込み上げてきます。

 3曲目は、佐原が「4人で「童神」うたいまーす」と彼女たちの口真似をしてスタート。1番を美佐子がうたえば、会場内の皆さんも静かに合唱。2番は幸乃が。ウチナーグチバージョンの歌詞でしたが、みんなそれでうたっていたようです。

 次は、4人が三線を弾きながら、「みなとーま」を。沖縄本島では「新港節」と言われるときもあります。
 ♪ マタカイシュリヨー スーリ・・・ という合いの手が入る賑やかなもので、明るく。佐原のシンセもいいですねえ。

 最後は、美佐子と佐原一哉が作詞して佐原が作曲した「ウナイ島」を。
 ♪ あの顔この顔と ユイヤサ ユイヤサ 思いだすウチナー ユイヤサ ユイヤサ
   面影を抱いてヨー チュラサ チュラサ 海ん山んヨー チュラサ チュラサ
   いつもこの肝(チム)に ウチナーの島ヨー ・・・
 ああ、深みのある、なんていいうたなのか。しみじみ感がたまらないですな。これを奈美子がうたえば、情け唄の情念がからみつきベストマッチでした。
 で、袖に下がる前に4人が頭の虹色のスカーフを取って、観客に投げ入れました! なんだか琉フェスではアーティストが何かを観客に投げ込むというのが定番になってきた感じですね。
ara 201409

 これですべての出演者がうたい終えて、時間は19時35分。フィナーレに向けてガレッジの二人が間をつなぎますが、観客が川田に着ているTシャツを投げ入れろと催促し、川田が脱ぎます。
 すると、ゴリも脱いじゃえとゴリ・コールが沸き起こり、「このシャツ好きだったのに」とぼやきながらゴリも脱ぎました。
 上半身裸になったゴリは「ここはトリニダードトバゴなのかっ!!」と叫び、笑いを誘います。

 で、いよいよフィナーレ。
 出演者全員がステージに集い、まずは「とぅばらーま」をみんなでうたいます。
 よなはの奏でる笛に合わせて、まずはレジェンド・大工哲弘が鼻をふくらませてうたえば、返しはうないぐみの面々が担当。
 赤いシャツに着替えた新良幸人が2番目にリードをとり、3人目は大島保克。いずれも八重山をルーツにもつ歌い手がうたったことになりますが、こうしてみると今回の出演者の多くはやなわらばーも加えて八重山なのだということに気づきます。

 「みんなでうたおう!」とよなはが観客を煽って、次は本土にもおなじみの「安里屋ユンタ」。
 やなわらばーの優がはじめにうたい、続いて下地勇がうたいます。
 テンポが少し上がって、次はうないぐみがネーネーズバージョンの歌詞でうたえば、その脇でカラジをほどいた大工苗子が踊り出します。

 そして最後は「唐船ドーイ」。満を持していたよなはがうたい出すと、東京沖縄県人会青年部のエイサー隊もステージに躍り出てきて、観客と渾然一体となっての大乱舞が始まりました。おお、これぞ琉フェス!
 大工もうたい、ひととおり盛り上がったところで幸人がステージ中央に躍り出て、〆の合図をする素振りを見せるもなかなか締めずにおどけてみせます。この役回りは琉フェス全盛期にはゴトウゆうぞうがやっていたのだったなあ。
 さんざん引っぱった挙句に予定どおり幸人が締めて、今年の琉フェス東京は19時56分、終演と相成ったのでした。

 いやあ、よかったなあ、今年の琉フェス東京。楽しめました。
 それからただちに地下鉄丸ノ内線で東京駅に向かい、20時44分の最終の山形新幹線に乗って無事その日のうちに山形に戻ったのでありました。

(画像は、“アラと雪の女王”の幸人。)
 今年の琉フェス東京は、新鮮味という点では少々見劣りしましたが、大工、パーシャ、大島、下地、よなはといった実力派の面々がずらりとそろっていたのでステディ感はバッチリ。それに加えて全盛期のネーネーズのメンバーが3人もそろううないぐみが参加することによって、旧来からの琉フェスファンにとっては厚みすら感じる布陣となったのではないかと思います。

 しかし、少々残念なこともあり、それは2つ。
 1つは、参加したアーティストたちのコラボレートが少なかったこと。それぞれが淡々とステージをこなして次へと移って行ったような印象があります。
 琉フェスでしか味わえないコラボレーションがもっとあってよかったのではないでしょうか。

 2つめは、奄美のウタシャがいないこと。これは「琉球」を名乗る以上どうしても必要なことではないかと思いますが、どうでしょう。
 個人的には中孝介、中村瑞希、貴島康男あたりが欲しいところです。

 ガレッジセールの二人は今年も大健闘。彼らのトークが東京開催には不可欠になってきているようです。飲んだ泡盛の量は今年は少なめでしたが、無理して飲むのはそろそろやめたほうがいい年頃になってきたし、それでいいと思う。

 来年は東京開催も20回の記念大会。きっと今年よりも充実した形で開かれるだろうから、期待して待つことにしましょう。

 ところで、大阪開催のほうは今年が20回記念。残念ながら参加できませんでしたが、開催当日10月5日の大阪は台風18号の直撃を受けて、野外の大阪城音楽堂はとんだことになったのではないか。
 大城美佐子、大工哲弘、りんけんバンド、徳原清文、パーシャクラブ、大島保克、下地勇、ネーネーズ、上間綾乃、里朋樹・歩寿、それに特別出演の知名定男、エイサーの京都琉球ゆう遊会が加わるという、東京よりも豪華かつ民謡に振れた顔ぶれなのだけど、どうだったのかなあ。

 ・・・と心配しましたが、大過なく決行されたようです。
 以下、琉球新報の記事を引用させていただいて、締めくくりたいと思います。

☆大阪で琉球フェスティバル 1600人熱狂  琉球新報 10月6日(月)
 沖縄音楽の祭典「琉球フェスティバル2014」(FM OSAKA主催)が5日、大阪市の大阪城音楽堂で開催された。1995年から始まり、20回の節目となったフェスティバルに11組が出演した。時折雨も降る中、約1,600人(主催者発表)が熱狂し、大阪に沖縄の音楽が鳴り響いた。
 京都を中心に活動するエイサー団体「京都琉球ゆう遊会」の勇壮な演舞で幕を開けた。下地勇は新良幸人と共演し力強い歌声を披露。第1回からフェスティバルを支えてきた知名定男、大城美佐子、徳原清文の共演も会場を沸かせた。
 その後もネーネーズやりんけんバンドの歌声や歌三線、太鼓などもフェスティバルを盛り上げた。フィナーレでは「唐船ドーイ」に合わせ、出演者と会場が一体でカチャーシーを踊り、幕を閉じた。

(了)





 いやあ、歩く。それもアップダウンの山道ばっか。
 で、次に目指したのは、島の北西方向にあるクシバルビーチ。そのちょいと手前に赤瓦の建物を伴って道幅が広くなっているところがあり、「後原(くしばる)展望台」の看板があったので、またもや登ってみました。ここまでくると、展望台に至るまでは多少歩くものだと達観しています。(笑)

 で、てくてく登っていくと、きれいな芝地の広場があり、そこに展望台がありました。
 う~む。芝はきれいだが景色はさほどでもないねえ。展望台に上がっても周りを覆う木々が邪魔をして、それほど海が見渡せるというわけでもありません。

 ちょっと残念。少しは写真を撮って行こうと、北と思しき方角の景色を写したものの絵にならず。なので今回は、まもなく登り切るというあたりから見た展望台の画像を選んでみました。展望台は立派なのですけどねえ・・・。


 で、クシバルビーチ。バイクでたどってきた阿嘉集落からの一本道もここでおわりです。気づいたけど、集落からここまで来る間にすれちがったのは軽トラック1台と乗用車1台のみ。バイクや自転車とも会わなかった気がする。道も狭いし、よほど奇特な人間しかやって来ない道なのかもしれないな。

 そのビーチは、ここもまた極楽のようなところ。だだっ広い白砂の海岸には人はいず、沖合でなにかを捕っていると思われる親子連れが1組、小さく見えるだけです。
 島の最西端に位置する人里離れた静かなビーチ。ほとんど人の手が入っていないようで、遠浅の海にはそこで生活する生き物がたくさん。水の透明度も高いようです。

 画像は、道の終点からビーチに下りていく小道で、下りて行った先の左右には白浜が広がっています。その端から端まで歩こうとするとけっこう時間がかかるはず。なので自分は右手のほうを攻めることにして、浜をゆらゆらと歩きます。
 いつの間にか太陽がじりじりと輝きだし、青い空、緑の山、水色の海のそれぞれの色が際立ち始めます。踏みしめる足音は、ビードロ細工がはらはらと砕けていくようなやさしい音。きっと薄くて小さな貝殻だらけの浜なのでしょう。

 いやあ、離れ難い。やはりこの島は泊りがけで来るべきだったのだろうな。でもまあ、ここに来れただけでも幸せなんだはず。そのことを神に感謝しようではないか。

 そんなことを思いながらビーチをあとにし、来た道をいったん阿嘉の集落に引き返します。


 集落にとって返し、集落の中央にあって島の神事を司る神聖な場所となっている「ヌルドゥンチの御宮」を眺め、次に向かったのは「ニシ浜」。
 阿嘉島を代表するビーチで、自分もこのビーチのさまを写真などで見たことで、ぜひ阿嘉島に渡ってみたいと思ったのでした。

 ケラマ諸島に数あるビーチの中でも、そのサンゴ礁の豊富さ、色とりどりの熱帯魚などで、沖縄ファンを魅了し続けている美しいビーチであると紹介されており、それはビーチを目の当たりにしてつくづく本当だなと思わせます。まさに「たまげたビーチ」。美しすぎます。

 この程度の天候でこうなのですから、かっきり晴れたときのこの浜のグラデーションは恐ろしいぐらいに美しいのではないでしょうか。
 浜からすぐに水深が深くなるため海は深く濃い青色をしており、浜が北向きなので太陽が背中側から照らすために光が反射せず、色の深みを損なわせることがないのでしょう。ははあ、それって波照間島のニシ浜にも言えるかもしれないな。
 とにかく驚き。阿嘉島に数あるビーチの中でこれを最後に見ることにしたのは、いろいろな意味で正解でした。

 ニシ浜のすぐ後ろの丘にはご覧のように展望台が設えられており、この佇まいも格別な風景に一役買っているようです。
 さすがにここは人が大勢いましたが、それにしてもその密度はたいしたことはありません。50人ぐらいかなあ。100人は確実にいないね。座間味島だってこうはいかないでしょう。
 この真夏に、大都会の那覇からほんのわずかの時間でこんなビーチにたどり着けるなんて、沖縄の人はすごぉくシアワセだと思うぞ。

 ここも立ち去り難かったものの、またもや空模様があやしい。戻って集落の様子を眺めるほうがよさそうだ。
 やはりココが、阿嘉・慶留間・外地3島めぐりのメーンイベントだったかなあ。