ryufes-osk 201011

 5月の後半に発表されていたようです。
 今年は第20回記念!
 概要は次のとおり。

日時:2014年10月5日(日) 13:45開場/14:30開演
会場:大阪城音楽堂
出演:大城美佐子、大工哲弘、りんけんバンド、徳原清文、パーシャクラブ、大島保克、下地 勇
   <特別出演>知名定男 <エイサー>琉ゆう会  …and more!
主催:FM OSAKA
後援:琉球新報社、沖縄タイムス社、大阪沖縄県人会連合会、沖縄県人会兵庫県本部、大阪市大正区
協賛:沖縄県観光コンベンションビューロー他
チケット:指定席¥6,000 芝生自由席¥5,500(税込み、価格据えおき)
     一般発売日:6月28日(土)

 徳原清文ってのがいいなぁ。りんけんバンドも楽しみだ。常連組もしっかりだし。
 できればもう一枚、出演者の厚みがほしいところ。これについては「and more!」に期待しましょう。

 前週の9月28日は東京で琉フェスが開催されるので、2週連続の琉フェス。
 東京の出演者は、うないぐみ、大工哲弘 パーシャクラブ、大島保克、下地勇、やなわらばーなどとなっており、大阪開催はそれよりもずっと民謡にシフトして渋さが増しています。
 できれば両方、どちらか一つといえば、断然大阪なのだろうな。

 来る秋が今から楽しみです。

(画像:2010年の琉フェス大阪のフィナーレ)
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 ♪ 月が出たでた 月がでた あよいよい 三池炭鉱の上にでた ・・・
 福岡県大牟田最大の祭り“大蛇山”で行われる「炭坑節一万人総踊り」。
 福岡と熊本にまたがる地域に広がっていた三池炭鉱は、多い時には日本の石炭の2割を掘り出す日本最大の炭鉱でした。
 総踊りに参加しているのは、職場の団体や高校の同窓会、自治体など様々ですが、このなかにひときわ目を引くカラフルな法被を着た一団がありました。身頃は黄色、袖はブルー、襟元は赤。頭をハイビスカスの花環で飾った人も、首からレイをかけている人も。総勢50人ほどのその団体は、「大牟田・荒尾地区与論会」。

 「炭坑節」に出てくる「高い煙突」は、近代化に突き進む日本であり、「煙たがるお月さん」は、近代化の陰で犠牲になった人たちではないか・・・。
 そして、それらの人々は、三池炭鉱に集められた囚人労働者であり、その後に入ってきた中国人、朝鮮人、与論島の人びとではなかったか・・・。
 当書は、このような観点に立って三井三池炭鉱108年の歴史をまとめています。
 とりわけ、与論の人々については、足掛け5年という入念な取材活動をもとにしっかりと著されています。
 ヨーロンと呼ばれて差別されても、労働がきつくても、白い歯を見せて笑顔で働いている女性の写真には胸を打たれました。

 著者は、熊本放送のディレクター。民間放送教育協会が企画募集し、熊本放送が制作し、「月が出たでた――お月さんたちの炭坑節」として2009年2月にテレビ放映したドキュメンタリーの取材がベースになっています。
 こういうドキュメンタリーがある、ということが、実にすばらしい。多くの人に読んでもらいたい1冊です。


 金城芳子に関係する本は、「なはをんな一代記」に次いで2作目。
 「なはをんな・・・」のインプレに記した内容を再掲すると、金城芳子は、沖縄県出身の昭和時代の社会事業家。沖縄高女在学中から伊波普猷に思想的影響を受け、1925年に上京し方言学者の金城朝永と結婚、東京都養育院の保母長などを務め、「東京おきなわふるさとの家」を主宰するとともに、沖縄協会評議員、「沖縄青少年相談相手」として、本土で働く沖縄青少年のよき相談相手役を努めるなど精力的に活動した人物。旧姓は知念。

 石垣島生まれの元ジャーナリストで文筆家の三木健が編者となって、1988年に発行されたもので、88歳の芳子おばぁが幾人かと対談している様子をまとめたものです。
 それらに登場する話はというと、1920~30年代頃の話題が多く、多少古さを感じないわけではありませんが、沖縄の近代女性の生きざまが生き生きと再現されており、戦前の沖縄に興味のある向きには非常に興味深いものになっています。

 対談の内容と相手は、次のとおりです。
 「伊波普猷とその周辺」(元沖縄文化協会長・外間守善)、
 「思い出の芝居・役者たち」(評論家・古波藏保好)、
 「チージの社会と女たち」(女性史研究家・外間米子)、
 「むかし那覇おんな気質」(元沖縄国際婦人会長・新嘉喜貴美)、
 「沖縄料理の歴史と神髄」(沖縄調理師専門学校長・新島正子)、
 「社会福祉に生きる」(元沖縄県母子寡婦福祉連合会長・伊波圭子)、
 「女の自立を考える」(元沖縄婦人有権者同盟会長・徳田きよ)、
 「21世紀の若者たちへ」(元琉球大学長・東江康治)。

 登場者の大部分はすでに鬼籍に入っています。
 しかし、書物というものは、生命が失われても、このように反復してその先の世代に読み継がれていくわけです。すばらしいことではありませんか。


 (「沖縄を語る 金城芳子対談集」(ニライ社刊)から)

金城芳子  今、ふともう一度思い出したのは、多嘉良朝成さんのことね。役者の人気投票で最高になった人。さっきはこの役者について、あんまり話も出なかったけど、あの人はおもしろい役者だったよ。
古波蔵保好 そうでしたね。あの人のような、何でもできる役者はもういないみたいで……。非常に歌のうまい人でした。何かの催しで、多嘉良朝成さん夫婦が歌の共演をして、お二人ともたいへんな美声だと感じたことがあります。曲目は、たしか「根間の主(ニーマヌシュウ)」だったような、いやたしかに「根間の主」でした。あれ以来、これはすばらしい歌だ、とわたしは「根間の主」という曲が大好きになったのですから。
芳子  そのとおりよ。「根間の主」と「トバルマー」は得意の芸だったね。
古波蔵 奥さんのほうは、いわばソプラノの澄みきった、まるみのある声で、夫の朝成さんも澄んだ美声でした。二人の三線もイキがあっていて、男女の合奏としては今までに聞いたなかで最高だったと思いますよ。
芳子  役者としては、王にもなれるし、剽軽な男も演れて、そのうえ踊りがうまい。
古波蔵 柄は大きくなかったですがね。これまた何の催しだったか、うろ覚えになってしまいまし
たが、たぶん義捐金募集の芸能大会ではなかったでしょうか。それで思いだすと、夫婦合奏で「根間の主」などを歌ったのも同じ催しでだったかもしれない。とにかく多嘉良さんが「高平良万歳(タカデーラマンザイ)」を踊ったのですよ。柄は小さいのに、踊りだすと魅力がありましてね。きまるところがきびきびときまって、さわやかな印象を受けたのが、つよく記憶に残っています。
芳子  あのころの役者は踊りもうまかったよね。渡嘉敷(守良)さんがそうだったし、伊良波(尹吉)さんの「チク踊イ」は類がなかった。その伊良波さんの「鳩間節」がすてきで――。
古波蔵 真境名由康さんは、舞踊劇を仕組むのに熱心でしたね。代表的なのは人盗人(チュヌスビトゥ)」でしょうか。組踊を舞踊劇にした「人盗人」がはじめて上演されたのは、珊瑚座が旭劇場を常打ちにしていたころだったと覚えています。わたしも、組踊の長々とつづくせりふには退屈するような、まだ組踊になじめない年ごろだったので、舞踊劇になった「人盗人」をおもしろく見たものです。まあ、組踊を大衆的にしたといえばいいでしょうか。戦後は国立劇場でも、舞踊劇になった「人盗人」を真境名さん自身がお演りになりましたね。要するに組踊そのものには退屈するヤマトンチュ向きだともいえるでしょう。
芳子  多嘉良さんの芝居といえば、「忠臣蔵」が上演されてね、内匠頭(たくみのかみ)を伊良波さん、大石を多嘉良さんが演ったよ。
古波蔵 「忠臣蔵」なら、私もずっとのちに珊瑚座が上演したのを見ました。義太夫ぬきの仮名手本忠臣蔵でしたね。東京の歌舞伎座あたりで義太夫ぬきの「忠臣蔵」など、気のぬけた舞台になるはずですが、当時の沖縄で義太夫を語れるのは、奥武山公園の入り口、渡地(ワタンジ)から北明治橋を渡ったところの小高い城壁の上に建てられていた沖縄では格式の一番高かった日本料亭「風月樓」の芸者くらいではなかったでしょうか。「風月樓」には歌舞伎の演れる芸者が揃っていましたね。
 一年に一度、稲荷様の祭りには、大正劇場で「稲荷芝居」を催して、歌舞伎を演る。東京から沖縄に帰り、新聞記者になってから歌舞伎を見る機会のなくなった私にとっては、一つの楽しみでした。「義経千本櫻」を見たし、“おもちゃ”という中年芸者が「太閤記十段目」を熱演するといったぐあいに、なかなかの見ものでしたよ。
 私の母は好奇心の強い女だったので、一度つれていったら、ヤマトゥグチの、しかも歌舞伎のせりふまわしがわかったのか、ひきつけられるようにして見ていました。その“おもちゃ”さんも、あのころのいい役者に加えていいのではないでしょうか。そういうわけで、「風月樓」には義太夫語りの芸者もいたけれど、沖縄芝居に出るわけもなく、だから、珊瑚座の「仮名手本忠臣蔵」が義太夫ぬきでも、当たり前のような気持で見たのですよ。
芳子  せりふはヤマトゥグチ?
古波蔵 そうです、歌舞伎風に――。
芳子  大石を演ったのは?
古波蔵 まるで覚えていないのです。柄からいって、真境名さんだったかもしれません。はっきり覚えているのは七段目、茶屋遊びの大石――歌舞伎では大星由良助ですが、この大星がうたた寝をすると、平右衛門がそっと近寄り、ふとんをかける時の仕草が、東京で見た歌舞伎の型そっくりでしたから、一応は歌舞伎の「忠臣蔵」を知っている人に教えられたのでしょうね。平右衛門を演ったのが比嘉正義さんでした。
芳子  あっ、フィジャーね。
古波蔵 チャンバラも得意な役者でしたよ。東京、大阪でさかんだった剣劇の影響なんでしょうね。金城さんは東京に住んでいらっしゃるので、ごらんにならなかったかもしれませんが、侠客物の飜案らしいのをよく演っていました。侠客は、よく「男をみがく」などというでしょう。ところが沖縄には「男をみがく」なんていうヤマトゥグチに相当する言葉がない。この言葉をウチナーグチになおせなくて、比嘉さんは、「ウィキガミガチュン」などといって、見栄を切っていましたね。楽しく笑わせてもらいました。
 昭和9年ごろでしたか、「琉球新報」が山里永吉さんの小説を連載して人気があるのに対抗して「沖縄日報」は、日活映画のシナリオを書いていた石川文一さんが帰郷したので、小説の連載を頼んだことがあります。「弓張月」を現代語にうつしたのがおもしろくて、これを珊瑚座が芝居にしました。すると源為朝に敵対する悪役を比嘉さんが演ったら、声は大きいし、ふてぶてしい演技がとてもいい。線の太い悪人像ができたのにはおどろきました。比嘉さんは、これで役者として急成長したように思いましたね。
 のちに「黒金座主(クルガニザーシュ)」が得意中の得意芸になって、まことにふてぶてしいエロ僧ぶりで、それは久しぶりに連鎖劇でした。「座主」は忍術使いですから、ドロンドロンという場面を映画で見せる趣向でね。沖縄芝居はすべて大衆娯楽といっていいが、比嘉さんが演るのはその大衆娯楽に輪をかけたような大衆娯楽で……。
芳子  ユニークな役者がいたわけよね。
古波蔵 ええ、雑踊りがうまくて、とくに「カナーヨー」の軽妙さときたら、まねができない。国立劇場に、はじめて沖縄歌劇が行ったときに踊ったのでごらんになったでしょう?
芳子  総じて昔の役者は、踊りにも独自のよさがあったよね。
古波蔵 また多嘉良さんのことになりますが、一度だけ、多嘉良さんが組踊「忠孝婦人」の「間の者」を演ったときに見まして、剽軽なおしゃべりが聞きものでした。あれだけおかしく、しかも調子よく「間の者」のおしゃべりを聞かせた役者は珍しいと思いますよ。役者の中には、悲劇を演ってお客を泣かせるのは得意だが、笑わせるのはだめという人がいますね。だが、大悲劇を演じて客席を感動させる反面、大ふざけにふざけて、しかも下品にならない舞台をつくれるのが、ほんとのいい役者で……。
芳子  そうよね。泣く演技より、うまく笑うのがむずかしいといわれるほどだから。
 それでは時間もたったし、また会いましょう。今日は楽しかった。いい時代を思いだして……。私は辻で生まれ、芝居をみて育ったためか、芸能が好きで好きで、だからあなたと会うのがうれしかった。戦後はアイデンティティに目覚めて、いい踊手、役者が育ってくるようで、これからが楽しみさ。長生きして保存と創造を全うした芸能をあの世へのお土産にしましょう。


 コシマキのキャッチコピーには、「ウチナーンチュ140万人必読! 歴史や風土、言葉はもちろんカルチャーや人間像まで、沖縄県民なら誰もが頷く「あるあるネタ」が一冊に! 県民が、自らの沖縄愛を再確認するために。沖縄初心者が、そのディープな世界を知るきっかけとして。本土の人(ナイチャー)が、沖縄を知るツールとして。」とあります。

 この本を作るにあたって、ウチナーあるある研究会のお二人は、「ナイチャーにはわかんないけどねー」的な、ウチナーンチュであれば共感する、もしくはウチナーンチュの中でも知る人ぞ知る、というようなネタを集めるよう心掛けたそうです。

 ウチナーンチュにとっての「あるある」に「だーる、だーる(そう、そう)」と大きく頷いてもらったり、局地的な「あるある」で、「へーそーなんだ」と新しい沖縄を発見してもらったり、また、ナイチャーと一緒に読みながら、楽しく沖縄を紹介してほしい、という意図をもっているようです。

 かつて沖縄カルチャーものとして一世を風靡した「事典版 おきなわキーワードコラムブック」(まぶい組編、1989年)や「あららがまパラダイス読本 読めば宮古」(さいが族著、2002年)などと比べるともう一息の感がありますが、久々に世に問われたオキナワン・カルチャーものとして、意義ある一冊だと言えるでしょう。

 あるあるネタは全部で240。
 それらは、石敢當を10個触ると幸せになれるという噂が立つ、学生時代通知表をもらうたび仏壇に供えてきた、焼肉屋「明洞」の歌は国歌よりも歌える、お葬式には遺体がない、「正座、これから3校時の授業を始めます」?!、エアコン室外機にはやもりガード!、パインを食べすぎたら舌がピリピリする、10年前の甲子園の話でも盛り上がれる――などなと。
 でも、これら以外の大部分はある程度知れわたっていることが多く、ドゥマンギ感はそれほど高くないかもしれません。


 著者は、1925年生まれ。商業学校卒業後、特攻隊員として沖縄戦に参加し、アメリカ軍の捕虜になります。その苛酷な経験を、一人の兵士の目線で戦争体験記としてまとめています。

 18歳で軍人を志願して陸軍船舶兵特別幹部候補生となり、「海上挺身隊」に組み込まれて慶良間列島の阿嘉島に駐屯、アメリカ軍の上陸を受けて逃げ惑い、飢えと闘ったのちにはPW(戦争捕虜)になって、座間味収容所、屋嘉収容所で生活します。そして1946年11月に復員。その2年7カ月の物語です。

 渡嘉敷島や座間味島の集団自決について書かれたものはあるが、米軍が最初に上陸した阿嘉島については、そこで戦闘があったことを知っている者はいたって少ないと、著者は嘆いています。
 そして、第一期船舶兵特幹候生1,890名中1,815名が戦病死したと言われており、生き残った者が船舶特攻を語り伝えていく義務があるような気がしてならない――と述べています。
 まさに、苛烈な戦場に斃れた海上挺身隊員たちを悼むレクイエムと言えるでしょう。

 沖縄へと向かう輸送船内の状況や、朝鮮から連れてこられた慰安婦たちの様子、何回かの切り込み、休戦協定の締結場面、収容所内での巧みなサボタージュの様子など、体験者しか書けないさまざまなことが描写されていて、興味深く読みました。

 阿嘉島の戦闘の詳細についてはこの本で初めて触れることができましたが、奇遇なものでその1か月ほど後に、これとは別の「沖縄・阿嘉島の戦闘 沖縄戦で最初に米軍が上陸した島の戦記」(中村仁勇著、元就出版社刊、2013年)を入手して読むこととなり、さらに理解を深めることができました。


 2008年に朝日新聞社から刊行された「サンゴ・レンジャー 南の島をまもる愛の物語」を改題、加筆・修正して朝日文庫から発行されたもの。
 「サンゴ礁を破壊する大規模架橋計画が浮上中の石垣島に、環境庁の熱血自然保護官、矢島が赴任する。美しいサンゴを守るべく仲間と問題解決に立ち向かうが、やがて島じゅうを巻き込む大騒動となることに。“レンジャー”たちが熱く奔走する、痛快青春エンターテインメント!」――という触れ込みです。

 また、「さかいたまき」というのは特定の人ではなく、環境問題を考える物語づくりのために結成された創作ユニットで、そのメンバーは、小説家の鬼塚忠と脚本・演出家の足立拓也という二人の人なのだそうです。

 なんだか、できすぎたストーリーはまるで映画のよう。さわやかで、勧善懲悪っぽくて、エンディングはすっきり。
 うーむ・・・それらは穢れを知らない若い人たちには感動的でいいかもしれないけれど、いろいろと世の中の仕組みを知ってしまった者にとっては、そんなにうまくいかねえよ的な思いも。こういう類のものは齢を重ねてから読むものではないのかもしれません。

 実際映画化されたようで、佐々木希、青柳翔、田中圭などの出演で2013年に全国ロードショーをやったとのことです。