4月22日に、琉球フェスティバル東京を主催するM&Iカンパニーからメールが届き、今年の琉フェス東京の開催が決定し、2014年9月28日(日)に日比谷野外大音楽堂で行われることを知りました。

 そして5月2日、チケットぴあから、その出演者等の関連情報を次のとおりメールで告知されました。

 琉球フェスティバル2014
  出演:うないぐみ 大工哲弘 パーシャクラブ 大島保克 下地勇 やなわらばー
  司会:ガレッジセール
  チケットは6月13日(金)より一般発売

 出演者の厚みという点では、琉フェスにしてはどうなのだろうか。もう2~3組欲しいところ。
 「うないぐみ」というのは、初出場の若手女性グループなのかと思えばさにあらず、元初代ネーネーズの古謝美佐子、宮里奈美子、比屋根幸乃の3人に実力派の島袋恵美子が加わって誕生した新グループだというではないか。
 大工、パーシャ、大島、下地は常連組で、良く言えば安心、充実、これぞ琉フェス!と言えるだろうけど、逆から言えば新鮮さが薄い。ここを埋めるのが、おそらく佐原一哉もセットで参加することになる「うないぐみ」なのだろうな。
 そして「うないぐみ」の参加によって、男女混淆による多様な沖縄民謡のセッションが展開されることが期待できる。

 こうなると、急に参加したくなる。
 だが、9月後半から10月初旬にかけては仕事上休めない日々が続くことが予想され、どうしようか悩むところだ。
 まだ時間はたっぷりあるので、大阪開催の状況なども踏まえながら、楽しみながら考えていこうと思う。


(2012年の琉フェス東京のフィナーレ。在りし日の誠グヮーです。)
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 アメリカに27年間もの間占領統治され、1972年に日本への復帰が実現して40余年が経過した現在も、沖縄はその後遺症に苦しんでいるように見えます。
 終戦後、「ニミッツ布告」によって日本帝国政府の行政権・司法権か停止され、沖縄も宙ぶらりんの状態になっていましたが、中国における共産主義の台頭と朝鮮戦争という2つの事象によって、沖縄の基地は太平洋地域におけるアメリカの最大関心事となっていきます。沖縄はここから、苦難の歴史が始まったといえます。

 本書の視点は大きく3つ。
 ひとつは、アメリカが沖縄に恒久的な軍事基地を建設し、極東戦略のキーストーンとするべく、米軍が土地を強制的に接収しようとしたこと。2つには、占領下の27年の間に、沖縄の人たちは5度にわたる通貨交換を経験し、そのめまぐるしさにあえいだこと。3つ目は、1969年7月に米軍基地内で致死性の毒ガス漏れ事故が発生し、住民が「見えない恐怖」と戦わざるを得なかったこと。
 これらの3点に焦点を絞り、異民族支配の下にあっても必死に生き抜いた沖縄の人たちの姿を捉えようとしています。

 大きく5つの章立てとなっており、まず「アイスバーグ作戦と沖縄戦」と「朝鮮戦争・スクラップ・沖縄」で“戦後”のスタート時の沖縄の状況を概括し、その後に「強制軍用地接収と住民」、「類をみない度重なる通貨交換」、「毒ガス貯蔵発覚からレッドハット作戦へ」で3つの主題を掘り下げます。

 アメリカの沖縄支配の構造は、日本の思惑なども絡んで極めて複雑で、その全体像を捉えることは困難を伴いますが、このように焦点を絞り、その観点から掘り下げてみようとするアプローチには共感を持つものです。しかし反面、そうすることでものの見方が単眼的になるというジレンマはどうしても残ることになり、どこかで改めて全体を俯瞰することが必要になってきます。
 支配構造を腑分けするためには、ミクロからとマクロからの把握の繰り返しが必要だということなのでしょう。


 表紙は、タルケンこと垂水健吾撮影のシーサー。表情がワジワジーしていますねぇ。(笑)
 著者は、TBS報道局の記者で、かつて「筑紫哲也NEWS23」のデスクだった人。沖縄と関わって35年、ワシントン支局長やアメリカ総局長なども歴任し、「沖縄からは日本がよく見える」と言い、日本にワジワジーしながら書いています。

 「僕が考えていたことは、このイライラ、ムラムラする気持ちをどう伝えたらいいのか、ということだった。そんな折に久しぶりに訪れた那覇の酒場で、長年の畏友が、「金平さんはいつも、ワジワジーしてるねえ」と笑いながら言ったのを耳にして、そうか今の気持ちは「ワジワジーするさあ~」だなあ、と実感した。」――

 主として、2011年1月から12年12月まで沖縄タイムスで連載された「沖縄ワジワジ通信」がベースになっています。
 「〈3.11〉があったにもかかわらず、「わが国の経済が立ち行かなくなる」などと言って原発の再稼働を求めるあれらの人々、国産の原発をベトナムなど海外に輸出するのは、ほら、これは前から決まっていたことだからさ、と輸出促進を進めているあれらの人々、そして極め付きは、沖縄の普天間基地移設の日米合意は、ほら、これは〈3.11〉のはるか昔に日米間で辺野古で合意していたことだからさ、約束は守らなきゃと、あれら外務省の、防衛省の、内閣府の、与野党の、沖縄県の、沖縄経済界の、安全保障で飯を食っているあれらの御用学者たちの、振興策のカネに群がるあれらの人々の、そう、すぐ僕らの周りにもいるあの具体的な顔をもつ人々を見よ――。」
 このように痛烈な形での、〈3.11〉を忘却しようとする態度は沖縄問題にも通底するとの主張には、大いに共感を覚えました。

 巻末には、大熊ワタル(ミュージシャン)、知念ウシ(沖縄のムヌカチャー(物書き))、大田昌秀(元沖縄県知事)の各氏と著者との対談も掲載されています。


 レギュラーって知らなかったけど、1998年結成のお笑いコンビ。宮古島で約1年間民宿を運営したということで、その時の体験談を本にして出版したという、ある意味一つのネタでとことん利益につなげようとの魂胆が見える商業本、と言えましょうか。

 「2010年3月から一年間、僕らは沖縄の離島・宮古島に、島興しのために移住し民宿を運営した。自分たちで物件探しから始め、汗をかいて畑をつくり、野菜を育てた。鶏を飼い、卵を取り、牧場を作り、魚を釣ってその成果で食事をだす。宮古島の人たちはとっても温かく、いろんなことを教えてくれて、助けてくれた。僕らが「住んでみたらこうだった」を通じて、島を好きになってもらえると嬉しい。なにかに疲れた人は一度宮古島に行ってみるといいよ。この本は僕らが学んだ畑の作り方や郷土料理、現地独特のルールを実録した「レギュラー流宮古島移住入門書」です!!」――とのこと。

 全8章。「さあ、宮古島に行こう!」「畑を耕し、海では漁をする」「畑作り、畑作り、畑作り」「民宿で出す献立を考えよう」「民宿をリフォームしたり、お手本民宿を訪ねたり」「民宿、ついにオープン!」「宮古島おもしろ体験記」「さようなら、ありがとう宮古島」。

 しかし、1年やそこらの期限付きで民宿をやろうなどという腰の定まらない酔狂な考えは、一般人なら持たないですよね。このあたりに商業主義の匂いを感じてしまうのですが、いかがなものでしょうか。あ、言い方がきつかったらゴメンナサイ。


 芥川賞受賞作家の大城立裕によるオキナワン・エッセー。
 1968年から1993年まで、主に80年代に沖縄の新聞や各種出版物などに掲載された文作をまとめて、1994年9月に発行されたものです。

 著者は「あとがき」で、「まとめてみたら、戦後の思いを総括したような気配をも帯びているようです。あるいは沖縄近代史への思いのすべてをも。」と書いています。
 そして、「スポーツの球技にハーフタイムというものがあります。一応の区切りをつけ、採点を得ながら、まだ先がある、ということです。沖縄の現段階のことを、文化史のハーフタイムのようなものではないか、と解釈してみたのが、題名の由来です。」とも述べています。

 筆の及ぶ先は沖縄の歴史、芸能、人、暮らしなど広範囲にわたっており、興味深いものが豊富。それらは、「沖縄方言論争」を総括する、伊波普猷が生きていたら、「琉球の風」雑感、沖縄県民と芸能、創作舞踊管見、笑築過激団、金城哲夫の帰郷、比嘉康雄の世界、東恩納寛惇と中国語、琉球士族の名前、「クラシン」連想、二足草鞋の40年・・・などなど。

 1925年生まれの大城がもっとも脂ののってきた頃の著作であり、透徹した眼差しで跡づけられた沖縄の精神史論にもなっていると思います。


 コシマキには、「中央から遠く離れた九州・熊本に、多くの有名ミュージシャンが駆けつけ、観客を魅了してやまない島唄野外イベントがあることを知っていますか? これは、無名の居酒屋店主が病と闘いながら始めた「琉球の風」のヒューマン・ドキュメントです。」――と書かれています。

 その居酒屋店主とは、東濱弘憲。2008年から彼によって後先を顧みず始められたこのイベントは、商業主義を排し、採算度外視で毎年進められたのだそうです。
 そして、彼が志半ばにして2012年4月に逝った一周忌に際して、これまでの「琉球の風」の歩みを記録したものとして発行されたのがこの本なのです。

 東濱その人の生き様も非常に興味深いものがありましたが、自分の場合、東濱に共感して集った沖縄ミュージシャンの写真や語りの部分に強く惹かれました。

 5つの章により構成されており、第1章から順に「東濱弘憲、その生い立ちと沖縄への想い」、「「琉球の風」開始の決意と軌跡」、「知名定男との出会い」、「賛同し、結集するミュージシャンたち」、「沖縄-熊本を結ぶ絆 日本最大級の島唄イベントに成長した「琉球の風」」。

 第4章に登場するミュージシャンは、宮沢和史、宇崎竜堂、島袋優(BEGIN)、鳩間可奈子、藤木勇人、大島保克、内田勘太郎、新良幸人、下地勇、よなは徹、ボブ石原、ネーネーズ。

 2008年から12年までの5回の「琉球の風」に参加したミュージシャンは、上記のほかに、知名定男、大工哲弘、大城美佐子、サンデー、吉田康子、内里美香、大城クラウディア、玉城満、金城恵子、RIKKI、知名定人、川畑さおり、南こうせつ、上原知子などなど。これらのミュージシャンは巻頭のカラー写真にたっぷり載っています。

 沖縄音楽の祭典は、東京、大阪で開かれる「琉球フェスティバル」だけではなかったのですね。
 とてもいい本でした。


 沖縄県は、先の大戦で激しい地上戦が展開され、それから27年間もの間、米国の施政権下に置かれました。このことについて一般的な日本国民は慈悲のまなざしで同情の念をもっていますが、著者が言うには、実は沖縄の近代化はむしろ米国によって初めて達成されたのであって、米国統治が長かったことは沖縄にとってけっしてマイナスではなかったというのです。
 それは一理あるでしょう。しかしだからといって、沖縄はアメリカに統治されていてとてもよかったですね、とはならないはずです。この右寄りの著者はさまざまなロジックを用いてそういうことを言おうとしているように思えるので、注意が必要です。

 戦前の沖縄は亜熱帯特有の感染症が蔓延し、寿命も47歳と短命であったが、米国政府によるプライマリーケアの定着が奏功して、沖縄返還時には感染症は撲滅され、日本最長寿県の87歳を達成した。ところが現在は、沖縄の青壮年の死亡率は全国ワーストワンであり、これは戦後世代が米国統治時代を忘却した結果ではないか。
 ―――これが著者の考えのようですが、この一文だけでも極端なものの見方だということがよくわかると思いますが、いかがでしょう?

 「沖縄を長寿の島にしたワニタ・ワーターワース女史」、「世界最高峰の看護制度があった沖縄」、「沖縄の教育を育てたハンナ米海軍少佐」、「沖縄産業の父・オグレスビー氏」、「沖縄の金融改革を進めた弁務官P・W・キャラウェイ」などの内容で、沖縄におけるアメリカ人指導者を礼賛しています。
 彼らの功績を否定するつもりは全くありませんが、アメリカ人の彼らがいなければ今の沖縄はなかったと言いたげな一方的な論調には同調できず、むしろだからなんなのサと思いたくなります。

 最終章では「沖縄県民ゆすり」発言報道で物議を醸しだしたケビン・メアと著者の対談となっています。自虐史観がお好きな方はどうぞ。


 1995年の作品。著者自らが「戦争と文化」の三部作と名づけている「日の果てから」、「かがやける荒野」、「恋を売る家」の真ん中に位置するもので、著者は当書の「あとがき」で次のように記しています。

 『敗戦直後の民衆のバイタリティを描き出してみたいと、かねてから考えていました。・・・沖縄の戦争については私なりの解釈があって、それはたんに物理的な破壊にとどまらず、社会の体制のすべてを滅ぼしたのだ、ということです。ただ、文化を滅ぼすことはできず、それが蘇りのエネルギーになったと思われます。これらのことを「日の果てから」で書きましたが、その先を見ることが、この作品に課されました。』

 そして、過去の既成の形が戦によっていったんカオスに戻ったとき、そこで蘇るものはどういう形をとるのか、蘇る、あるいは生きなおすとはどういうことなのか、それは選択が可能なのか――などについて、米軍に見合うように生み出されたコザの町を物語の舞台にして表現していきます。

 コシマキのキャッチは次のようなもので、なかなかに味があり、全体をうまく表現していると思われます。
 『捨てられない記憶がある。見えない記憶がある…。敗戦から2年。沖縄の“荒野”で、人々はそれぞれに“蘇り”を試みる。戦場で記憶を喪った少女を中心に、占領下の基地の町で繰り広げられる叙事詩的長編小説。』


 懐かしい写真を手掛かりに、日本復帰前の沖縄散歩に出かける――といった趣向の、写真と短い解説文で構成される130数ページの本。
 取り上げられているのは、当時を生きたウチナーンチュにとっては身近なことばかりで、街中のどこの給油所にもかかっていた「カルテックス」の看板や、商店の店先に貼ってあった「ベストソーダ」のポスターなど。
 写真の多くは、昭和33年創刊の月刊ニュース詩「オキナワグラフ」の誌面や「沖縄県公文書館」に保存されているものが使われており、本書はそれらを2006年から2年半にわたって月刊のフリーペーパーに連載したものを1冊にまとめたもののようです。

 復帰前、那覇市内のマンモス校の様子、資材置き場で遊ぶ子供たち、龍潭での魚釣り、パイン缶詰工場で働く女性たち、国際通りの山形屋、波之上の水上店舗、国場川に架かったパイプライン橋、ワシミルクの広告、1号線沿いの外人住宅、昭和41年の那覇バスターミナル、屋慶名と平安座島を結んだ海上トラックバス・・・。
 我々の年代には昭和の懐かしさも感じられ、見ていてまったく飽きませんでした。


 シーナが、自身の原点となった様々な“街”を再び見るために、日本各地を巡ります。
 その“心の旅”は、これまでの人生に堆積してきた記憶の断層を掘るかのようで、なつかしい風景に心震わせ感無量となることもあれば、思いがけず困惑し落胆することもあったようです。
 浦安、銀座、熱海、武蔵野、中野、神保町、浅草、四万十川、銚子……。作家の原点となった街やいまだ昭和の空気をまとう町など、現在の風景を入り口に記憶をたどりますが、その中には沖縄も2か所登場します。

 石垣島の白保は、1991年に映画「うみ・そら・さんごのいいつたえ」を撮影した、珊瑚礁の海が広がる思い出の場所。空港で南方写真師の垂水健吾と偶然に出会ったり、当時利用していた食堂のおばさんと再会したりしています。

 西表島の舟浮では、30年前、「ニィニィ、写真とっちょくりい。チンチン出すから写真とっちょくりい。」と話しかけてきた可愛い丸坊主の男の子、「チンチン少年」を撮った場所を探す旅。それはどうやらイダの浜だったよう。
 表紙の犬は、その舟浮で出会ったという黒い“水泳犬”です。


 著者は、1950年、群馬県生まれで、2011年から那覇市で暮らしている模様。その著者が初めて沖縄の「今」を題材にして書下ろした長編小説です。

 小説の舞台は那覇市。大道の栄町の一角は今でも一見怪しげな場所ですが、その中に存在する売春宿の息子である男子高校生が主人公です。
 彼は幼なじみの女の子から「野良犬」だと言われ、そんな自覚を持って育ってきた様子。しかし、野良犬だからこそ、見えるものがあるのだ――ということが、物語の底流で重低音を奏でているようなつくりになっています。
 でもまあ、主人公の持つ雰囲気はクールかつ草食的で野性味を感じさせるものではなく、ものの考え方やメンタルなある部分で人間的な何かを切り捨ててしまうような気配がある、というほどのもの。なので、剣呑な感じやぎすぎすしたところはこの本にはなく、ソフトな読みごたえがあります。

 栄町界隈で2つの殺人事件が起き、その渦中、彼の家とバイト先のゲストハウス兼食堂を中心にして個性的な人物たちが登場し、自分にとっては摩訶不思議と思える人間ドラマが繰り広げられていきます。

 いかにも今風の、くずれたウチナー・ヤマトグチが随所に出てきて、その都度、骨抜き感を味わうような、ウエットな亜熱帯のまったり感が漂います。
 主人公は、高校3年の男子にしてはあまりにも落ち着いており、非現実を感じていかにも小説なんだよなと思うところもありました。
 しかし自分の場合、読んでいて「沖縄」の風情が感じられればそれでかなり満足できるので、楽しく読ませてもらいました。