○きいやま商店
 さてさて、トップバッターは、東京のときと同様にきいやま商店です。大阪は初参加。まだ落ち着きのある場内を一気に掻き回すにはぴったりの三人組です。
 出だしがユニークで、なぜか大工哲弘のうたう「月ぬかいしゃ」が流れはじめ、一節終わったところでロック調の曲に変わり、3人がステージに飛び出してきて奇妙な振り付けの踊りというかパフォーマンスを展開します。
 その姿は写真とほぼ同じような恰好で、モノトーンの帽子、ネクタイ、半袖、短パン。それとは裏腹にカラフルなビーサンがキュート。しかし、この恰好ではさすがに寒いのではないかと思わせます。

 まずは「カチャーシ☆ブギ」から。その名のとおり曲調はブギ。早くも観客の一部はきいやま商店のタオルを回してスタンディング。おぉ、いいぞいいぞ。
 彼ら3人の関係は兄弟だったり従弟だったり。86歳になる3人のおばあちゃんが石垣島で開いているその名も「きいやま商店」では、Tシャツをつくって2千円で売り始めたという話を披露して、次は新しい曲「ダックァーセ!」を。“くっつけろ!”という意味だそう。ダックァーシェダックァーシェ・・・と連呼して、間奏では三板ならぬカスタネットを使うなど一風変わったステージングでした。

 最後は「沖縄ロックンロール」。
 ♪ ガキの頃から身体に染みつくこのリズムはいったい何だろう・・・
 ♪ 青い空と海だけじゃない・・・
 スカっぽいリズムに会場内ではタオルがぐるぐる。メンバーの一人のマストもマイクスタンドをぐるぐる回しはじめ、これが見事に回るので場内大受けです。

 持ち時間が短いなと感じさせるほど、とても楽しいステージでした。
 うたい終わった後の司会のインタビューでは、「今いちばん欲しいのは、靴下です!」と発言して笑いを取っていました。ビーサンだものなぁ。
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○サンサナー
 2番手はサンサナー。
 サンサナーも東京で観て以来。沖縄の真結は結わずに大きな花をあしらい、小さなマイクが付いたヘッドセット。ラメの入った白っぽい長めのドゥジン(胴衣)に赤いカカン(下袴)に赤い足袋。手指には房指輪を着けるという琉装が鮮やかです。

 1曲目は、「夏太陽」という曲なのかなあ、東京でもこれからスタートしたような記憶だが、ちがうかな。琉舞のようなものを舞いながらの歌ですが、これがアップテンポなために琉舞本来のたおやかさは感じられず、失礼ながら娘のお遊戯のよう。メンバーのうちユリエは琉球音楽協会(三線の部)の最高賞受賞者らしいのですが、こういうスタイルでやらせるにはもったいないのでは?
 また、メンバーのアーサは沖縄県立芸術大学に進んだ大阪出身者で、「ただいま、大阪!」とあいさつしていました。

 2曲目は、これも東京で聴いた「ちびらーさん」。ちびらーさんとはウチナーグチで「すばらしい」的な意味合いの言葉。ちびらーさんの繰り返しがすごく、全曲中に76回連呼されるつくりのうたです。踊りがかわいらしく、前の席の女性(おばさん)は振付けを覚えようとがんばっていました。
 だけどやっぱり、自分にとってはチャラい。声の出し方も幼く、声量がないのだなあ。

 3曲目は「ヒヤミカチ節」。前2曲は振付けが忙しくオケだったようですが、これはしっかり歌三線。
 “ヒヤ、ヒヤ、ヒヤヒヤヒヤ!”の部分を会場の皆さんでドウゾということで、テンポアップをして催促するも、聴衆のノリはまだまだの様子。

 最後は、これも東京で聴いた「MOLE MOLE」。
 ♪ 唐船ドーイ舞うらな 今日ぬ吉かる日に
   かりゆしぬ遊び イチャリバチョーデー
    うやき繁盛 まさる繁盛 我した島ぬ誇らしゃ
    歌やびら 踊やびら 三線太鼓 華ぇかせ・・・
 琉球音階が強調され、これもまた舞うれ舞うれが繰り返される曲でした。

 ここで幕間に知名定男がパナマ帽に派手な柄のシャツ、下はダボッとしたスラックス姿で登場し、森裕子と話します。
 来年は20回ですねと振られて、おかげで琉球ヘスチバルも19回、あと1回はやりたい(笑)、今日は客の数は減っているが、大阪最高、東京は“せかしい”などと語ります。
 歌うほうをやめてからは熊本の琉球の風のプロデュースなどで忙しくなっているのだそうです。


○Lucy(長嶺ルーシー)
 続いては、初出場のLucyです。
 ペルー生まれ、ペルー育ちの沖縄三世で、5才の頃から祖母の弾く三線に乗せて沖縄民謡を歌い始め、その後も言葉もわからない中、テープの音で、自分の耳だけを頼りに曲を習得。1993年、全日本カラオケ審査協会の大会で優勝。翌年来沖し、琉球古典音楽、琉球民謡、八重山古典音楽を学び始め、全てのコンクールで最高賞受賞。2002年に「とぅばらーま大会」で優勝、地謡を勤めるなど、かなりの実力派の様子。

 海を連想させるエメラルドカラーのひらひらの衣装をまとい、アコギの女性を伴って登場したLucyですが、長い髪からのぞく大きな目はタレ目がちで愛嬌があり、なんだかかわいい。

 1曲目は、知名定男がつくってネーネーズがうたった「ウムカジ」。生ギターが効いて、いいですなぁ! うたい方はネーネーズよりもずっと民謡調です。
 続いては、「てぃんさぐぬ花」をウチナーグチ、スペイン語、標準語でうたいます。趣向はなかなかおもしろいけど、やはりサンパチロクの歌詞でうたってこそ「てぃんさぐぬ花」なのだということがよくわかります。

 ここでMC。沖縄に来て「とぅばらーま」を聴いて感銘を受けたということを、ゆっくりとした丁寧な語り口で話します。それは日本人の日本語よりずっときれいで、古風な感じさえします。

 そして「月ぬかいしゃ」を。八重山民謡らしい節回しは最高です。この静かなうたを会場内の全員が魅了され、ざわつくことなく聴き入っているのがすごい。三世とはいえ、やはり沖縄人の「血」が彼女にこのようにうたわせているのだろうなぁ。
 続けて「とぅばらーま」を。うーむ、カンペキだ。石垣島のナカドウミツィの情景が目に浮かんできそうなくらいです。

 最後は、これでミーウタ大賞をとったのよ、的な紹介をして「恋のヨイスラ節」を。
 ♪ サー 恋のアカバナーが ヨイスラ ヨイスラ・・・
 サンサナーのアーサが太鼓でアシスト。そうだ、今回は頻繁に他者のバックをサポートよなは徹が参加していないのだったな。

 「あこがれの舞台で歌えてとても嬉しかったです」との感想を述べ、インタビューでは祖父母が那覇の小禄出身で、自身も今小禄に住んでいると語っていました。
 爽やかであり、いいところを持っていったなぁという印象です。


 新潮文庫から出版された自書「ニッポン居酒屋放浪記」の立志篇(2000年)、疾風篇(2001年)、望郷篇(2001年)の3冊35篇から、著者自身が選んだ16篇が収められた文庫。書かれたのは1993~98年です。

 居酒屋の本質は、心がほっとする場所である――という著者の考えには同感。
 「ミシュランガイド」などが選ぶ店とは根本的に違い、これが最上ですと誰かが決めた料理をかしこまって味わうのではなく、あくまでも主役は自分。自分が癒しの場として居酒屋を選ぶ、味や料理よりも大切なものがある、という認識です。
 たとえば、人間関係や家庭が癒しの場でなくなる時だってありますが、そういう時にミシュラン三つ星店に行く人は少ないでしょう。閉塞した時代や個人の、胃袋や舌の満足だけではない、「心の満足」への欲求を、居酒屋は満たしてくれるのではないでしょうか。
 とりわけ、知らない地方の知らない居酒屋で独り呑むというシチュエーションは、いい。なぜならば、周りの誰一人として自分のことを知らないわけで、社会的地位とか評価とか家族構成などといったいっさいのしがらみから解放されて「素」の自分になれるからだ、と思う。

 本書で扱っている場所は、松本、鳥取、釧路、金沢、高知、長崎、横浜、徳島、鹿児島、東京下町、大分、富山、那覇、仙台、札幌、神戸。

 ここに載せたのは那覇が入っているから。
 那覇では、嘉手川学を案内人として、初日は牧志公設市場の「きらく」で島ラッキョウを肴にオリオンビールを飲み、美栄橋の「りょう次」、国際通りの「古酒バー」、「Q'sバー」でクースを飲み、民謡スナック「三原」で踊り、深夜の「ステーキ牛屋」でTボーンステーキで締めています。

 2日目は、沖縄第一ホテルの医食同源の朝食に始まり、「御殿山」で沖縄そばの昼食をとり、平和通りの「きよちゃん食堂」でイカスミ汁定食を食べてゴロ寝に突入しています。たまりまへんな。


○大島保克
 次は、大島保克。グレーの長袖ワイシャツに黒のパンツというカジュアルな服装で、中央にセットされた椅子にどっかと座ったところからスタートです。
 サンデーの太鼓と迎里計(むかいざと けい)の一五一会がバックについて、まずは「来夏世(くなつゆ)」から。
 ♪ 来夏世ぬ世や巡てぃ 巡てぃ来る 島ぬ世ぬあるまでぃん あるまでぃん・・・
 右手の人差し指に古典音楽で使うような大きめの爪を付けてひと弾きひと弾き確実に弾いていく奏法は大島独特で、好感が持てます。

 2曲目は「旅路」。これもいい。
 ♪ 夜走らす舟に乗り 風のまま西東 定めない鳥の 翼のあとになり
     ゆられ浮世の旅まくら シトゥリトゥリトゥ リトゥリトゥテン・・・
 これはきっと大島の心情が素直に表現されているのではないかと思量。曲調、音階などはまったく沖縄音楽らしくないのだけれど、大島がうたえば八重山民謡に聴こえてくるから不思議です。

 3曲目は、琉フェスではほぼ毎回うたう「流星」。嘉手苅林昌が空の星になったときに大島保克がつくった三拍子の曲で、これは名曲だと思っています。
 思えば沖縄民謡の巨星嘉手苅林昌が逝去したのは1999年10月8日。もう14年になるのですね。おそらく大島も、あの飄々としたおとうのことを思い出しながら歌っているのでしょう。歌い手と同じ心境でそのうたを聴けるのだと思うと、感動はひとしおです。

 ここでMC。第1回目の琉フェスでは大島が最年少出場で、2回目に幸人が参加したが、今回は幸人が出場者の中で最年長になったと話し、笑いを誘います。
 そして最後は、名人芸の「イラヨイ月夜浜」。何度聴いても大島のこのうたにはシビレさせられます。
○かりゆし会
 次に登場するのがバンド系になるらしく、長めのステージの模様替えの間、再びかりゆし会が出てきてエイサーを披露します。
 地謡のパンチパーマおじさんが「2回目です、いくぞ~♪」と声をかけて演舞開始です。

 演目は、安波節のイントロから始まって、南嶽節?~瀧落とし。ここまではオープニングとちょっと違うけど、この後は仲順流り~久高万寿主~トゥタンカーニーと同じ曲が並び、以降、スーリ東~固み節~いちゅび小~安里屋ユンタ~豊年音頭とレパートリーが広いところを披露。でもこれ、去年の琉フェス大阪の演目とほぼ同じ。いやいや、同じ演目をきっちりこなすことが大事なのですけどね。

 かりゆし会の演舞が終わった後は、ミス沖縄スカイブルーの又吉芽生(またよし めい)さんがステージに上がって沖縄の観光についてアピール。
 21歳だそうですが、舌足らずながらもしっかり話せる、お話し好きそうな方でした。
 ミス沖縄はこのほかにコバルトブルーとクリーングリーングレイシャスがいるって知ってましたか? 彼女たちは2013年のミスで、この11月1日には14年のミス3人が選出されたそうです。

miss-okinawa matayoshi


 「日本と米国、沖縄とアメリカ、大和と琉球。幾重にもからまった桎梏の中で、司法の独立を守る使命を負わされた琉球検事は、戦後日本が抱えざるを得なかった矛盾の一断面をかたどる存在である。本書は、これまでほとんど表に出ることがなかった琉球検事たちの証言をもとに、激動の戦後沖縄史に新たな光を当てる。」――という本です。

 100歳近い年齢になった元琉球検事たちから引き出した証言は貴重です。沖縄社会の底流には本土とは異なる歴史と記憶が刻み込まれているのだという事実を改めて認識した次第。

 1970年12月のコザ暴動について、騒乱罪を適用すべきかどうかについて苦悩する様子も取り上げられています。
 様々な文献上、あの暴動は自然発生的に惹起したものだという捉え方が今では一般的ですが、当時検事たちは、誰かが後ろで糸を引く計画的なものだったのではないかと考えて動いています。そしてその思想的な首魁を、沖縄人民党の瀬長亀次郎と琉球新報社社長の池宮城秀意であるとして内偵しています。
 コザ暴動を別の角度から考える書としても意義のあるものになっていると思います。


 沖縄怪談の短編集です。
 著者は1973年生まれ。デビュー前に沖縄に移住し、在住歴は10年超。2005年「夜市」で日本ホラー小説大賞を受賞してデビューしています。

 掲載作品は、「弥勒節」「クームン」「ニョラ穴」「夜のパーラー」「幻灯電車」「月夜の夢の、帰り道」、そして表題作の「私はフーイー」。
 いずれも沖縄や八重山あたりの離島を舞台にしたもので、湿気を含んだ沖縄地方特有の空気感や生活感がよく出ているなぁと感じられるものになっています。

 文章表現は淡々としており、押しつけがましく恐怖感を煽ったりするところはありません。しかしむしろそれが、後でジワリと効いてくるゾクゾク感があり、ホラー小説としてはいい出来になっているのではないかと思います。

 その先はどうなるのかとぐいぐい読ませる文章力があり、全250ページ余をあっという間に読んでしまいました。
 読む前から期待していましたが、その期待以上の読後感がありました。著者には沖縄を題材にした作品をこれからも発表してほしいと思います。
kariyushi58-1 2013

○かりゆし58
 ステージの準備が整って、次はかりゆし58です。
 かりゆし58を初めて見たのは2007年の琉フェス大阪。彼らはその時が琉フェス初出場で、代表曲の「アンマー」を引っ下げての元気なステージに心を動かされた記憶が甦ります。

 緑のパーカーにジーンズ姿の前川真悟が最初の曲からパワー爆発といった感じでうたいます。
 ♪ 真っ向からどストレートだ もう一歩も引けない時には
     何もかも全部を 自分の真っ直ぐに懸けろ ・・・
 「まっとーばー」という曲で、歌詞に込められたストーリーがじんとくる。歌詞に登場するおっちゃんの生き様がいいのだなぁ。

 元気な中にも少しウェットなところもあったうたのあとは、前川がMC。
 ボクらは三線も島くとぅばも琉球音階も使っていないが、島うたの先輩方を尊敬して歌っている、先輩たちからは、伝統は俺たちが守るから、お前たちは新しいことをやれと言われている――ということを披露。
 そして、自分たちはお金を取ってステージに立っているが、誰よりも楽しませてもらうぞと発言。
 うん、若いというのはいいことだ。

 2曲目は、「アンマー」。
 やはりじんとくる歌詞だ。琉フェスというイベントは様々な年齢層が聴きにやって来ますが、とりわけ母となった女性たちにはこのうたはものすごく効くようで、40代前半と思われる後ろの席の女性は「感動して泣いちゃったぁ」と話していました。

 3曲目は「ゆい」。
 ♪ ゆいや、ゆいや  ゆいや、ゆいや・・・
    信じよう 君となら 打ち明けよう 君になら 愛は言葉より もっと自由・・・
 途中に ♪ マタハーリヌツィンダラ カヌシャマユー と「安里屋ユンタ」の一節が入ります。

 最後にもう1曲付き合ってもらっていいですか――と会場に煽りを入れて、最後は「オワリはじまり」を。
 ♪ もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
     かけがえのない時間を 胸に刻み込んだかい ・・・

 歌い終えてのインタビューでは、琉フェス参加は4年ぶりであることや、楽屋では先輩たちのほうが酒を飲んで楽しんでいることなどを話します。
 そして司会が「琉フェス初めてではないという人は!」と会場内に問い、それに対して手を挙げた観客の割合は異常。目算で7割ぐらいはいたと思う。
 ここで時間は17時。まだ明るいが、少しずつ日が下がってきています。


○下地勇
 お次は下地勇。
 赤いシャツに白いチョッキを羽織り、下は細身のスラックスとウェスタン風。今回はバックミュージシャンを伴わず、アコギ1本で勝負です。

 1曲目は、名曲「我達が生まり島(バンタガンマリズマ)」。
 下地勇のうたを初めて聴いたのは思い起こせば2003年。この年は琉フェスが仙台でも行われましたが、その時、スターティングにうたったのがこの曲でした。自分はそれを聴いて、ああ、この人はすごく生まれ島のことを思ってこのうたをつくり、うたっているのだなぁと思ったものでした。

 手元にその歌詞があるので一部を書くと、
 ♪ ふが・松原ぬ区長や公民館ぬスピーカーから やぐいばし国民年金うさみふぃーる
     ういがどぅばんたがんまりずま かなすんまりずま 野崎ぬかじや あ~あ
       んなまかぁらだな すだすきなり吹きうーなぁ
         ぱなりずまぬ いずんかいばし またてぃだぬすずみぃぴす゜・・・
 これを翻訳すると、
 久貝と松原の区長さんは、公民館のスピーカーから大声で「国民年金納めて下さい!」と叫んでいる。これが私たちの生まれ島、愛しいふるさと野崎の風は、あぁ、今も変わらなく涼しそうに吹いているだろうか。離れ小島の西へと今日も日が沈んでいく・・・ということになります。

 こういうありさまなので、なかなか曲の解説は難しい。
 続いて「魚売りの少年」をうたった後で下地は、フッとニヒルな笑い方をして、べつにでたらめをうたっているわけではないと語って笑いを取ります。くくっ、そりゃぁそうだろうね。

 3曲目は、“だから言ったでしょ”という意味だと説明して「アンターマナ」という曲を。
 アンターマナのフレーズを繰り返すアンニュイな感じのブルース。
 途中からパープルのシャツに濃いサングラス姿の新良幸人が三線で加勢に入り、やんやの拍手。こういう即興の掛け合いがすっとできるあたり、先島ミーティングとして頻繁にセッションしているからなのでしょう。途中から曲調が早くなっていくにつれて合わせづらそうなところもありましたけどね。

 終わって、幸人が「先島ミーティングでーす!」とあいさつして最後は、この二人ならぜひ聴きたいと思った「テネシーワルツ」をやってくれました。
 ギターと三線とのコラボ。ウチナーグチの歌詞あり、ハモりありで、なかなかよかったでした。
nenes 2013 1

○ネーネーズ
 下地のステージが終わるとなぜだか大島保克が呼ばれてインタビューを受けます。
 琉フェスの1回目に25歳で出場し、自分が今回の最多出場であることを述べて、この夕暮れの時間帯がもっとも琉フェスらしいこと、90年代に活躍した嘉手苅林昌、登川誠仁、照屋林助などは星になったが、その息吹は今も根付いていること、楽屋では「アナタが注ぐんやでぇ!」などの声が飛び交いみんな飲んでいること、中でもパーシャクラブというバンドの面々は特にひどいこと(笑)などについて話します。

 ステージにはマイクが4本準備され、司会に「ということは・・・」と振られた大島は、フォーシスターズかな、それとも乙女椿ですかね、などと冗談を飛ばしてフェードアウト。
 違うってば。ネーネーズですよ。

 今回のネーネーズの衣裳は白バージョン。白地に紫の襟と裏地の紅型のドゥジン、赤色のカカン姿で登場です。サンサナーと違い、こちらは髪がウチナーカラジの真結で、沖縄らしさたっぷり。
 いつものように左から輝美、ナーギー、真優子、理恵の順で並び、まずはナーギー、真優子の三線と輝美の三板、そして加勢に入ったサンデーの島太鼓に乗せて、沖永良部民謡の「サイサイ節」からスタートです。
 ♪ サイサイサーイ サイモチコー ヌディアシバー ・・・

 歌い終えてMCをとったのは理恵。歌意が「酒だ酒だ、酒を持ってこい」という内容だと説明して、今回ネーネーズはいろんな人とコラボしたいと発言。
 んー、ナルホド。琉フェスでのネーネーズはバックにチナサダオ・バンドが入ったウチナーポップ調というのが自分にとっての理想形なのですが、今回は民謡形式でいくことになるのだろうと推測します。

 その予想どおり、2曲目の「黄金の花」も彼女たちの三線2本のみでの唄三線。落ち着いた感じがいい、カラオケがバックでないのがいい、とも言えるでしょうが、どうもこの歌の持つ劇的な感動が伝わってこないジレンマがありました。
 でもまあ、ナーギーがサビのソロパート部分をしっかり歌い込んだので、オッケーかな。

 続いては、サンサナーの3人を招き入れて、「島々かいしゃ」をコラボレート。サンサナーたちは今度は山吹色のドゥジンに着替えて登場です。
 女の子7人が並べばなかなか壮観。みんな若いが、ネーネーズの平均年齢のほうが2歳ほど高いのだとか。
 真優子とユリエの三線をリードにして、お、アーサがクーチョウ(二胡)を弾いているではないか! やるなぁ。
 そしてさらにオドロキだったのは、返しの部分の歌声が知名定男だったこと、思わずおおーっと声をあげてしまい、隣のお兄さんからジロリと見られてしまいました。
 何回かある返し部分のうち、声はすれども姿は見えず状態でたった2回だけでしたが、知名ファンにはたまらないサービスだったと思います。

 そして最後は、先島ミーティングの新良、下地とのコラボにより「SAKISHIMAのテーマ」を。
 ♪ 先島ぬヨー 夕まんぎ 風ぬ涼(しだ)さ  ああ ああ 先島幾代までぃん ・・・
 二人はネーネーズから、爽やかなイケメンと渋いイケメンなどといじられていました。(笑)


○知名定男
 ここで知名定男が再登場。サンサナーがうたい終わった後の登場と今しがたの「島々かいしゃ」の返しまでかと思っていたので、この再登場はウレシイ。

 昨年の3月25日にうたうことを引退した知名ですが、彼は、師匠の登川誠仁について、生きているうちから「今は亡き」などと冗談を言っていたものだが、とうとう逝ってしまった(2013年3月19日)、自分も落ち込んだと語り、「みんなにお願いしたい、誠グヮーのために黙祷を頼む!」と観客に要請。でも寒いから10秒だけねとおちゃらけて見せて、全員で黙祷を。
 去年の琉フェス東京では元気な姿を見せていた誠グヮーでしたが、逝ってしまったのだなぁとしみじみ。
 そう言えば、今年の琉フェス東京では誠グヮーの話題は全く出なかったことに思い当たり、それはないのではないかと一人不満を覚えたり。

 そして知名は、ぬゎんと、「誠グヮーに鎮魂歌を捧げたい、1曲歌っていいか」と観衆に問います。いいに決まっているではないかと、大きな拍手が巻き起こったことは言うまでもありません。
 彼も引退を宣言している身。なので、「でも内緒にしといてや」と言い、ここでも笑いを取ります。エンターティナーだねぇ。

 この日の参加ミュージシャンが全員ステージに出てきて、うたうは「油断しるな」。この曲は、やんちゃで無頼で酒と女好きの男(誠グヮー)がつくった教訓歌であると紹介し、大島保克が三線、ナーギーが島太鼓で加勢してスタートです。
 ♪ 明日(あちゃ)ぬあんとぅ思てぃ 油断しるな
     サー 心合わちょてぃ うみはまら 働かな ・・・
 う~、知名の声だ。ちゃんと声が出るじゃないか。でもうたい方は師匠の誠グヮーを真似ているようにも聴こえます。三線のキレは知名ならではだし。なんだかジンときてしまったなぁ。

 歌い終えて、観客からはアンコール!の声がそこここから。
 それに対して知名は、「そのうちなんとかしまっせ」と、復活を予告するような発言をします。
 加えて、「私は引退しますが、この日を機会により精進してがんばります」と発言したという、30年ほど前の大城美佐子の引退公演時の逸話を披露していました。


 沖縄は本土の捨て石なのか! 日本軍の10万と米軍18万の激戦、そして逃げ場のない沖縄県民!
 日本にとって、これほど悲惨な戦いが、ほかのどこであったであろうか。同時にまた、圧倒的な敵をモノともせず、これほど将兵が勇戦敢闘し、軍人としての誇りを立てつらぬいた戦いも、他に類例がなかったのではないか。相共存する悲惨と勇武――太平洋戦争最後の大規模な立体戦、しかも最初の「国内戦」である。
 ――というもの。
 「鉄の暴風が打ちのめした90日間の死闘」とのサブタイトルが付いています。

 著者は、1909年生まれ。海軍兵学校第59期で、米内光政、嶋田繁太郎らの副官を務め、1943年より大本営海軍参謀で勤務した人物です。
 この本は、1969年に書かれ1985年に単行化されたものを2013年に文庫化したものとなっています。

 日本軍は勇敢に戦い、優れた知識と技術と好判断をもって、圧倒的な米軍の戦力に対抗し、最後の一兵に至るまで全力をふるって戦いました。しかしひとたび戦局が不利になると、一部の将兵が一転して酷薄無残なエゴイストに豹変します。
 こうした矛盾が沖縄戦の中に介在し、軍と民、軍司令部と麾下兵団、下級司令部と上級司令部、沖縄軍と大本営、陸軍と海軍などの間で対立し、相互矛盾にまで拡大していく様子を鋭くえぐっている点が、本書の特徴といえるようです。

 光人社NF文庫には多くの戦記ものがあり、沖縄戦関係だけでもマクロからミクロまでかなりの数があります。戦から学ぶものは多いですよ。


 著者は、与那国島の民宿「おもろ」の名物女将。そのナマビー(童名)が綴るエッセー集といったつくりのものです。

 本を書くことのきっかけ、おもろに集う人々それぞれの旅の様子、民宿で供する食、民宿経営に対する思い、自身の結婚生活、旅人から寄せられたメッセージなどが掲載されています。

 自費出版的な小規模出版を手掛ける文芸社からの発売ですが、ウェブから本を購入する際、文芸社の本はけっこう数が多く、その一方で内容がピンキリという面があるので、ある意味注意が必要です。
 この本も申し訳ありませんがどちらかというとそのキリのほう。文章は拙く、読んでいて気になります。気持ちが入りすぎている面があり、その気持ち自体はわかるのですが、周辺の状況や登場する人物の概要などが不足していて、読者にはうまく伝わってこないところがあります。

 自分の思いを書きたいのか、それとも民宿に集う愛すべき人たちのことを書きたいのか、このあたりがごっちゃになって闇鍋状態になっているうらみがありました。

 写真もいくつか載っており、与那国島の今を垣間見るという点ではとても有用ですが、正直言って1,800円は少々高かったなぁというところ。
 文芸社。気をつけましょうね。


 2010年1月から11年3月まで、琉球新報文化面に掲載された連載「山田實が見た戦後沖縄」(35回)を1冊にまとめたもの。

 山田實は1918年生まれの写真家。戦前の政治経済・文化の中心としてにぎわっていた那覇・東町で育ち、15年戦争に進む暗い時代に東京で学生生活を送り、就職先の満州で招集され、敗戦直後にはシベリアに抑留されて辛酸をなめます。
 絶望の淵から生還した後は、もののない戦後復興期を過ごした子供たちや市井の人々にレンズを向け続けました。
 そんな人生は、沖縄の現代史そのままであると言ってもいいのではないでしょうか。

 わんぱくだった少年時代、写真や絵画に夢中だった県立二中時代、新聞部活動に力を入れた明治大学時代があり、徴兵、開戦。関東軍での厳しい訓練と敗戦、その後のシベリア抑留と記述は進みます。
 帰国してからは一転、写真機店を開業し、沖縄写真界の黎明期を築き、多くの本土の写真家と接したときの様子などを綴ります。
 最終節の「未来へ 海邦国体の演技に涙」は圧巻。選手団とともに登場した沖縄の子供たちの演舞をファインダーごしに見ながら、これからの沖縄、日本はこの子たちがつくっていくのだと感動し、ひたすらシャッターを切ったくだりには、読む側の自分も感動を覚えました。

 山田實の写真のモチーフは、この子供たち。巻頭の40ページほどにわたってその写真集がモノクロで掲載されています。
 なかなかの良書。著者はこの本が発行された2012年現在もお元気であるとのことです。


 リゾート開発、ドラマ人気、米軍基地、尖閣列島……揺れ動き、大きく変動しているのは沖縄本島だけではない。瀬底、多良間、鳩間等の小さな島から奄美までを歩き回り、現地の人と触れあうことによって、島の「いま」を伝える。変わりゆく島の姿は日本全体の縮図なのかもしれない……。
 「癒し」と「美ら海」だけではない南の島の素顔を明らかにするカベちゃんのおそらく書き下ろしの新書です。

 登場する島は、本島周辺の瀬底、伊是名、伊平屋、野甫、屋我地、平安座、浜比嘉、宮城、伊計、津堅、慶留間、外地、奥武(旧玉城村)、渡名喜、粟国の各島。宮古・八重山方面は池間、下地、多良間、黒、鳩間。奄美は加計呂麻、請、与路。
 琉球弧の離島愛好者の自分にとってはたまらない1冊です。

 かつては離島中の離島と言われた鳩間島への船便が、黒島よりも多くなっているなどという信じられない事実があったり、島のあちこちに移住者がカフェをつくってはつぶれている実態があったり、また、黒島の東筋の白砂の道も舗装されたりと、島々は確実に変わってしまっているのですね。

 それでも、島々はそれぞれのオリジナリティをもって今もしっかり存在していることを知るのが嬉しい。
 読んでいると、しばらくご無沙汰している八重山や、再訪を期していながらなかなか実現しない奄美の島々にまた行きたくなってしまいます。
 白雲のように見えるあの島に飛び渡ってみたい。背中に羽根があれば。南の島の佇まいとともに、嘉手苅林昌のうたう「白雲節」が浮かんできます。
○坪山豊&里朋樹・里歩寿
 知名は、次に登場する坪山豊を、奄美の音階を確立し育てたロマン派であると紹介して、ステージを譲ります。
 しかし登場したのは、まずは里朋樹と里歩寿。二人とも紺系の和装。大島紬なのか?
 朋樹が「寒くないですかー、だったら踊ります?」と空ぶかしを入れますが、1曲目は正調奄美民謡の「嘉徳なべ加那節」を。兄の弾く三線で歩寿(ありす)がうたいます。
 歩寿のうたはなかなかうまい。中村瑞希のような力強さがあり、これはカサン(笠利)系でしょうか。



 ここで紹介しておくと、二人は瀬戸内町古仁屋生まれ。兄・朋樹7歳、妹・歩寿4歳よりシマウタを始め、幼少期から全国各地のイベントに参加し、現在は関西の大学に通いながら歌っています。
 朋樹は島で初めて小学生のウタシャとして12歳にしてCD「大樹のうた」をリリース。歩寿は2010年奄美民謡大賞を16歳で受賞、元ちとせの最年少記録を塗り替えました。12年にはCD「アリス」をリリースしています。

sato-arisu.jpg

 朋樹は、妹が一昨日二十歳を迎えたこと、そして自分は晴れて大学5年生になったことを明かし、今年は奄美が本土復帰して60年だが、その復帰したいという気持ちが歌詞の一部になっているということを紹介して、次は朋樹が「くるだんど節」をうたいました。
 きれいというものではありませんが、これまた野太くていい声です。

tsuboyama.jpg

 ここでようやく渋いベージュの着物姿で坪山豊が登場。朋樹と並ぶと子供のように見えます。(笑)
 うたうは「あやはぶら」。奄美の若者を蝶にたとえ、故郷をふりかえり、帰って来てほしいとの思いを込めてうたいます。
 しかしなぁ。声にはかつての迫力はなく、すっかり衰えてしまったなぁという印象。
 歌い終えて坪山は、にふぇーでーびる、徳之島ではおほらだれん、奄美ではアリガッサマリョータ・・・と感謝の意を方言で述べ、続けて「まんこい節」を披露。3通りある歌い口のうち今回は瀬戸内のものでうたってくれました。

 時間が押しているからあまりしゃべらぬようにと言われているのだと言いながらも坪山はけっこうしゃべり、最後は、さあ踊ってくだされ、坪山といえばコレ!と、「ワイド節」を。
 おおっ、観客総立ち! 坪ちゃん、さすが! ようやく琉フェスらしくなってきたなぁ。


○パーシャクラブ
 「ワイド節」が終わると、会場準備のためしばらく休憩。MCも何もない時間が数分間。長らく琉フェスを見てきているけど、こういうインターバルは初めてのことです。
 でも会場の人々はちゃんと心得ていてじっと我慢しています。だって次は大トリ、パーシャクラブなのだから。準備もかかろうというものよ、てなもんでしょうか。

 いつものパーシャのテーマソングが流れてくれば、もう場内は騒然。のっけからハイテンションです。
 そこに登場したのは猫耳、尻尾、コウモリの羽根のようなものを着けた幸人。「飴ちゃん食べる?」と関西ならではのギャグを飛ばして、1発目は「海の彼方」から。

 終わって、猫耳と羽根を観客に投げ捨て、「寒いのに、酒も飲まずによう盛り上がってるな!」と煽っておいて、自分はビールでくはーっと乾杯! 今回の琉フェスはアルコールの販売がなく、またガレッジセールが出ていないので、ここまではこういう場面がなかったのですね。

 11月にアルバムが出るぞと宣伝して、次はその中から2013オリオンビールのCMソングになった「七月エイサー」を披露。
 ♪ 七月エイサー サーサー サーサ シンカヌチャ
   エイサーエイサー イヤサーサ 嘉例付きやびら
     七月エイサー サーサー サーサ 大月(ウフチチ)や
     エイサーエイサー イヤサーサ 真昼間(まぴろーま)ぬ美らさ ・・・
 歌詞は前作の「七月節」とよく似ていますが、曲調は「七月節」のへヴィさはなく、むしろ軽快な感じがします。

 続いては「ファムレウタ」。ぐっとスローバラード調になりますが、幸人の伸びのあるいい声が活きてすごくいい。
 4曲目は、観客に手拍子を求めて「東バンタ」を。
 そして締めは、「五穀豊穣」。
 このあたりはいつものラインナップなので解説は不要でしょう。上地正昭のギターが泣いていましたねぇ。

 ところで、琉フェス大阪の最多出場者は大島保克の16回、次は知名定男の14回(特別出演を含む)ですが、その次は誰でしょう? それは新良幸人。新良幸人withサンデーで5回、パーシャクラブで7回出ています。
 ちなみにその次は、大工哲弘とネーネーズの11回です。