1978年、新婚旅行で沖縄を訪れた知恵は、平和通りで夫が見間違えてしまうほど自分に似た女性とめぐり会います。
 そして、あの人は誰なのか、本当に自分と瓜二つだったのだろうか、なんとしてでももう一度沖縄に行ってあの女性を探したい――という気になります。
 知恵は沖縄を再訪し、偶然入った公設市場近くの美容室にその女性がやってくることをつきとめて・・・。
 その一方で、子どもの頃の写真を一度も見たことがなかった知恵は、この出会いをきっかけに、以前から抱いていた自分の出生について調べ始めることになります。そして、その疑念を追ううちに本当の家族の絆を見つける、という筋立ての小説です。

 石垣島出身の著者は、1937年というからすでに70歳を超えた方で、裁判所の書記官を退官後に執筆活動に専念し始めたという人。おそらくミステリーが得意なのでしょう。
 文章は丁寧で、国語的に破綻は全くありませんが、小説としての表現形式やプロットなどにやや不足する点が感じられ、主人公の連れ合いの男性についても一般的、優等生的な描写で、文章のコクというか深みがあまり感じられません。もっとウチナーグチを多用するとか、沖縄独特の部分を強調するとかすればいいのに。
 そんなことで、エンターテインメント的にはどうなのかなといった印象。読み進めるうちになんとなく先が見えてきてしまうという面もありました。

 でもまぁ、題材が沖縄だけに、楽しめます。たとえば国際通り周辺の様子とか、58号線の陸橋から眺めた1978年のナナサンマル(車の通行が右から左へと一斉変更された日)の様子、さらには琉球舞踊公演に出かけた時の記述などにはずいぶん楽しませてもらいました。

 自費出版? 表紙をはじめとした装丁よし。
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 2012年末の沖縄旅行のお供になった本。沖縄で、沖縄関連の本を読む、というのも悪くありません。

 沖縄の祭祀と芸能に日本の原風景を確認した名著、いまここに甦る!! 伊波普猷・折口信夫の「沖縄学」の原点と本質が明らかに。沖縄芸能文化論、必読の書。
 ――というので、これは自分にぴったりデアルと、大きな夢と期待をもって読ませてもらいました。少々難しいところもあったけれど、期待に違わぬ内容でした。

 1972年というから沖縄が本土復帰した年の12月、第三文明社というところから文庫として刊行された「原日本おきなわ」に、若干の訂正を施して前篇とし、その年以降現在に至るまでの沖縄の伝統芸能の動向を追った記述を後篇として、まとめられたものです。

 著者がこの本を刊行するにあたって2011年に書いた「あとがき」で言うには、1958年に初めて沖縄の土を踏み、基地化し、変質し、リトル・アメリカのような沖縄の姿を見て慨嘆したものの、それはとんだ早とちりであったと。翌日からの旅では、基地化ぐらいでもとの文化を失くすほど沖縄はヤワではなかったことを痛感したようです。
 国頭の村々では、婦人たちが芭蕉布を丹念に紡ぎ、古謡をうたい、絣の着流しに白鉢巻でエイサーを踊っているのを見、ウンジャミで白衣を着た神女たちがアシャギに集まって神酒を人々に授け歌舞に興じていた様子を見て、いたく感動した――と書いています。

 そして、何ゆえ、かくも沖縄人は、郷土の旧文化に執着するのか? また、何ゆえ、かくも遠い昔からの文化が沖縄人たちの心を燃え立たせるのか? その因をたずねたい!・・・と。
 そういう想いで、本書は書かれたようです。スバラシイではありませんか。

 前篇は、「民俗から芸能・舞台芸術へ」のサブタイトルで、古代社会と民俗~古代の芸能~琉球王朝の芸能~民衆の歌と踊り~舞台芸術の明治・大正・昭和――といった流れで解説。
 後篇は、本土復帰の後に興った組踊の再生、沖縄演劇の復興、舞踊・音楽の興隆の陰にある課題、琉球芸能の他地域への広がりなどについて記述しています。

 全体として、古代から現在に至るまでよく研究し、長い間見守っているという印象。
 好ましいのは、文章全体に沖縄の民俗・芸能を慈しむようなやさしい眼差しが感じ取れること。ああ、この人は本当に沖縄の民俗・芸能を愛し、行く末を案じているのだなあと、実感できます。

 新書としては高価な1,600円(税込)。でも、その価値はあったと思います。
・「原日本・沖縄の民俗と芸能史」(三隅治雄著、沖縄タイムス社刊)から



 わたしが、初めて沖縄の土を踏んだのは昭和33年(1958)7月であった。折口信夫先生の導きで、沖縄の民俗と芸能の伝承を学んだわたしは、まだ見ぬ南海の島々への憧憬を深めながら、昭和32年に奄美の島々を訪ね、翌年、琉球政府文化財保護委員会からの招聘状を得て、念願を果たした。
 当時、沖縄では、俗にB円とよばれた軍票が通貨として使われ、それが翌年からドルに替わるという変動期であった。奇跡の1マイルとよばれた国際通りの商店街は、貴金属・衣類・飲料・菓子・煙草・雑貨等々外国製品であふれ、北部へ向かう車窓からは、横文字の看板と、鉄条網に囲まれた軍用地、丘上に広がる米軍兵舎が次々に望まれた。夜間訪ねたコザの街のネオンサインが、ど派手にぎらぎら輝いて、まさにリトル・アメリカの感じであった。
 これが基地化した沖縄の変質の姿かと慨嘆したが、しかし、それはとんだ早とちりであった。基地化くらいで、本(もと)の文化を失くすほど弱(やわ)な沖縄でないことを、翌日からの旅で知った。
 初めに訪ねた北部国頭の村々では、何と、婦人たちが、芭蕉布を丹念に紡ぎ、織り、また、古謡をうたい、あるいは絣の着流しに白鉢巻で、エイサーを踊っているではないか。そして、大宜味村の塩屋では、折からウンジャミ(ウンガミとも)の祭で、白衣を着た神女たちがアシャギに集まり、静かに神詞を唱え、神酒を人々に授け、弓を手にしての歌舞(あそび)に興じていた。
 案内してくれた故老は、それらはみな、戦前と少しも変わらぬ情景だといった。また、ウンジャミで、神女の前に大の男がかしこまって、盃を頂戴しているのは、神女を神と仰いで、そのセジ(霊魂)をいただく儀礼だと説明した。
 沖縄の巫女信仰については、かねて折口先生から詳しくまなび、また、それが南島の民間信仰の基層であることを沖縄研究の先達伊波普猷氏の諸論文などからも知識していたが、その伝承がいまも消えず、生き生きと行われていることに、深く感銘した。しかも、その後、歩いた本部地方や南部の知念・玉城の村々、さらに、久高島や遠く八重山の島々でも、戦前からの祭事と芸能が、生活の中にゆるぎなく溶け込んで、忠実に伝承されているのを見聞した。
 表にはアメリカンカラーに染まったかと見えながら、心身は、泰然と沖縄人を主張している。そのことを、那覇にもどってからもつよく感じた。街を歩くと、琉球舞踊や箏・三線の研究所・教授所の看板をかかげた家をあちこちで見かけた。聞けば、戦前にはこれほどの風景は見られなかったが、戦後、何もかも失くした廃墟の中から、おれたちには歌があるぞ、踊りがあるぞと立ち上がって、こうなったという。
 若者たちが、いま、われもわれもと踊りや歌・三線に打ち込んでいるという。米軍に占領されても、負けてたまるか、「ウチナーはウチナーさー」と、かえって燃えて、カレンダーは旧暦を守り、火の神を拝み、先祖供養を絶やさぬ…といった先祖から受け継いだ生活文化を身体に括りつけて、アメリカ世の侵入に立ち向かっている。
 凄いな、と思った。われわれ東京あたりの人間は、思い返すと、敗戦のあと、すぐに、旧文化への不信に陥って、氏神の祭礼も、邦楽も、郷土芸能も放り出し、ダンスだジャズだと昨日までの敵国文化に飛びついた。が、片や、米軍政府の統治下に組み込まれたはずの沖縄人が、逆に旧文化にどっしり腰を据えて、それをテコに立ち直ろうとしている。
 何ゆえ、かくも沖縄人は、郷土の旧文化に執着するのか? また、何ゆえ、かくも遠い苦からの文化が沖縄人たちの心を燃え立たせるのか? その因をたずねたいと思った。
 以来、わたしは、沖縄の民俗と芸能の様態とその足跡を、そして、それを伝承する沖縄人の心の働きを知りたくて、沖縄の島々の旅を繰り返した。


 現代人が失った豊かさをいまだに秘めながら力強く存在している沖縄。その地で食の伝統を支える人々や、新しい「沖縄産」に取り組む篤農家、そして南国ならではの味覚の数々を、沖縄に移住した作家池澤夏樹(といっても、今は離れてしまいましたが)と南方写真師垂水健吾がタッグを組んで10年の歳月をかけて訪ね歩きました。その食の現場を、全35景にまとめた文庫本です。

 日本トランスオーシャン航空の機内誌「Coralway」に連載され、2003年に単行化されたものを2006年に文庫化したもの。
 基本、1題につき4ページで、そこには必ずタルケンのきれいな写真が添えられているといったつくり。南国らしい色鮮やかな写真が唾液腺と南国風情を刺激し、沖縄を知悉している池澤の落ち着いた文章が格調高い沖縄の味わいの数々を引き立てます。

 匂い立つ豆腐(本部町)、グルクンの大変身(かまぼこ、那覇市)、共に食べる(浜下り、座間味島)、最も贅沢な果物(マンゴー、豊見城市)、凝縮されたうまさの素(鰹節、池間島)、田んぼで育つうまい芋(田芋、宜野湾市)、「アイスクリン」美女伝説(アイスクリーム、名護市)、正直一途の味噌(久米島)、きっぱんの上品な味(橘餅、那覇市)、赤い小さなアセローラの実(本部町)、キリストの受難という名の果物(パッションフルーツ、石垣島)、止まらないシマラッキョウ(伊江島)、デザートはパイナップル(東村)など。

 沖縄はまだまだ大丈夫。紹介されている食材の多くは今も健在で、品質にも翳りがありません。
 そういう土地があることを知っているというのは、生きていく上でとても心強いことであり、勇気が湧きます。


 2011年1月に発売された前作の「琉球怪談 現代実話集 闇と癒しの百物語」が好評だったようで、ちょうど1年後にその第2弾として発売されたのがこれ。
 あの橋のむこうにさらなる沖縄の怪異が潜んでいる。肝のそこから響く! 実話怪談百話の饗宴!――というキャッチがコシマキに誇らしげに記載されています。

 七つ橋とは、久高島の秘祭「イザイホー」に登場する、白砂に埋め込まれた仮の橋。神女となる運命にある島の女たちは、エーファイ、エーファイの掛け声を唱えながら、7回その橋を渡ります。そして、渡る者にもし隠している罪や不貞などがある場合には、気絶したり、卒倒したり、あるいは血を吐いて即死すると言われた儀式があったのです。
 七つ橋とはつまり、あの世とこの世を結ぶ架け橋、死者と生者の間を繋ぐシンボルだというわけです。

 記述内容は、たとえば次のようになっています。
 ――麻美さんが19歳の頃、久しぶりに中城の実家に帰った。実家には誰もいなかった。麻美さんは仏壇の扉を開け、線香に火をつけ、目をつぶって手を合わせた。ぼんやりと位牌の方を眺めていたら、そこに、何かが、いたのだという。
 仏壇から、人間のものとは思えない長さの腕が2本、にょっきりと突き出されていたのだ。あまりのことに麻美さんが驚く間もなく、その腕は凄まじい力で彼女の首を掴み、ぎりぎりと絞め始めた。得体のしれない2つの腕を振り解こうとしたが、その腕の握力は相当なもので、いくら引き剥がそうとしても、鋼鉄のようにがっきと首を掴んで放そうとしない。ちょっとずつ、その腕は確実に麻美さんを仏壇の中に引きずり込もうとしていた。
 助けて! その時、仏壇の中から新たな腕が現れて・・・。

 100の話はその多くが知人から聞いた話として語られていきますが、その登場人物の名前がユニーク。赤嶺さんからはじまって、石嶺、上江洲、栄野比、大城、上運天、宮里、金城、久高、源河、佐久川、新城、瑞慶覧、楚南、玉城、知花、津嘉山、安里、手登根、渡嘉敷、根路銘、仲間、花城、福地、仲里、外間、牧港、屋富祖、真境名、室川、目取真、漢那、諸見里、屋比久、与儀、和宇慶、兼城、小橋川、崎浜、伊舎堂、砂川、大見謝、嘉手川、伊波、喜舎場、具志・・・などの沖縄苗字のオンパレード。苗字だけ見ていてもおもしろい。
 また、ところどころに出てくるウチナーグチでの会話の部分も、身体がほぐれていくようでよい。
 そんな調子なので、サブタイトルどおり、恐怖というよりも癒しの効果が高い仕上がりのような印象を受けました。
 ま、自分の場合、見えないからね。だから気楽に読めるのかも。

 さて、ここまでが2012年中に読了した分です。
 2012年は、目標の年間50冊はどうにかこうにか達成できた模様です。


 社会問題を考える総合雑誌として発行されている季刊「アジェンダ 未来への課題」というものがあるらしく、この本はその別冊として発売されたもの。

 これを発行するアジェンダ・プロジェクトのホームページによると、『グローバル化する現代資本主義が抱えている様々な社会問題を解決していくために、その実像を深く掘り下げ、解明し、私たちが何を展望できるかを「未来への課題」として提示していきたいと考えています。
 新しい世紀は、どのような〈時〉を刻もうとしているのでしょうか。米国や、グローバル化した巨大な資本という新たな「帝国」が支配し、戦争がくり返される時代ではなく、これに抵抗する主体がつくりだす平和への道を、私たちは求めます。』とのこと。

 アジェンダ・プロジェクトは、ウィキペディアによれば、1981年に京都大学で結成された政治系サークル「京都大学政治経済研究会」がベースにあるとのこと。
 政治的にはいろいろあるのでしょうが、興味深い本であれば思想信条の違いはあまり気にせず、なんでも読んでみようと。

 2010年夏から12年の春にかけて「アジェンダ」に連載されてきた連続インタビュー「沖縄の風」に、新たに4人へのインタビューも加えて発行されたもの。
 2012年の5月15日で沖縄の「日本復帰」から40年、4月28日でサンフランシスコ講和条約からは60年が経った今でも、沖縄をめぐる課題は本質的な点で解決が先送りされたままであり、現在でも「沖縄差別」が残る現状を重く受け止めて発行されたようです。

 インタビューの相手は11人。それらは、元沖縄県知事・大田昌秀、ヌチドゥタカラの家館長・謝花悦子、ひめゆり平和祈念資料館館長・島袋淑子、普天間爆音訴訟団団長・島田善次、京都沖縄県人会会長・大湾宗則、関西地区読谷郷友会会長・平安名常徳、ヘリ基地反対協議会・安次富浩、佐喜眞美術館館長・佐喜眞道夫、参議院議員・糸数慶子、元読谷村議会議員・知花昌一、参議院議員・山内徳信。錚々たるメンバーです。

 個人的には、一人のバスガイドから県議を経て国会議員になった糸数慶子、沖縄国体での日の丸焼き捨て事件や像の檻闘争で有名になった知花昌一、読谷村の村長として反基地の村づくり闘争を展開し、周りの人たちからの信頼が厚い山内徳信あたりが特に興味深かったです。
2013.01.12 18歳の父


 一昨年の10月に亡くなった父は、若かりし頃、舞鶴の旧海軍機関学校で学んだ。
 海軍兵学校の74期生で、昭和17年12月1日入校(325名)、昭和20年3月31日卒業(317名)した者の一人。

 彼ら同窓生は「たんご55」というホームページを持っており、そのページには父の逝去の報も掲載されていた。
 また、「卒業写真集」には、第5分隊の一員としての、18歳の父が写っていた。
 軍隊時代の父の写真を見るのは初めてだったが、思わず苦笑。大勢いる中でどれが自分の父かが一目瞭然。なぜならば、自分の当時の写真を見ているのではないかと思えるほどにそっくりだから。

 老いて死んでいった父にも、青雲の志を抱いていた青年時代があったのだ。
amaminomori 201301

 黒糖焼酎「奄美の杜」をもらった。こういうの、うれしいなぁ。
 龍郷町の町田酒造産。奄美にある18蔵の中で最も新しい蔵元ですが、主力の「里の曙」やこの「奄美の杜」などによって、今では黒糖焼酎の販売量第1位となり、また、奄美大島で最初に減圧蒸留を導入した、奄美を代表する蔵元なのだそう。

 「奄美の杜」は、素朴にして甘味な味わい。黒糖焼酎本来の旨みを引き出すため3年以上長期貯蔵し、まろやかな口当たり、通人をも唸らす本物の味わいに仕上げたとのこと。
 その味を、これからじっくりと味わいたいと思います。

 25度、720ml。
 田中一村の「ビロウとアカショウビン」のラベルが奄美情緒を醸し出していて素晴しい。


 琉球新報に、2007年1月から09年9月までの間掲載された「瀬長亀次郎日記」の書籍版。
 第1部が獄中にいる2年間、第2部が那覇市長時代の1年間の日記だったので、はて、このシリーズは全部で何冊になるのだろうかと危惧しながら読んでいたものですが、この第3部であっけなく完結となります。

 この第3部は、那覇市長追放後の1958年から、沖縄が日本に復帰した72年までの15年分の日記。しかし、亀次郎の日記は全部で200冊ほどあるといい、掲載された分はほんの一部なのかもしれません。

 日記自体は、速記録のような状態だったらしく、また、日記の性格上、他人に見せることを想定していないので、これを新たにワープロで起こし、当時の事象と照らし合わせながら、主要な部分をピックアップする作業はさぞかし大変なものだっただろうと思量します。
 そういう困難な作業があったからこそ我々は容易に読めるわけで、感謝しながら読まなければならないでしょう。

 とはいえ、日記の字面ばかりを読んでいくのは辛いもの。
 そこをうまく埋めているのが、「解説」のページ。鳥山淳(沖縄国際大学准教授)、仲本和彦(沖縄県文化振興会公文書主任専門員)、内村千尋(瀬長亀次郎の次女)、宮城修(琉球新報社文化部長)による適切な解説が施されており、当時の状況や、亀次郎の置かれていた状況などが、これらによって把握できるようになっています。

 また、「開封」として、USCAR文書や国会議事録などの一次資料が挿入されており、瀬長が活躍していた時代のいわば裏情報が、併せて読めるようになっており、興味深いものがありました。

 章立ては、「民連ブーム」「饅頭屋稼業」「那覇市長選」「機関紙「人民」裁判」「久場川闘争」「米国への怒り」「主席指名阻止闘争」「再び「失格」宣言」「主席公選」「2・4ゼネスト」「全軍労24時間スト」「国政参加選挙」「コザ騒動」「沖縄国会」「未完の復帰」。

 全500ページ近い厚い本ですが、面白いのでわりとすいすい読んでしまいました。
 しかし、カメジローという人はつくづく偉大です。純粋で潔白、まっすぐな、稀代の大政治家だったと言えるでしょう。


 沖縄に存する古道についてあちこち探索をしているところであり、この本を読んで、さらにまだ見ぬ古道の名残りを体験しようという魂胆で購入。
 で、読んでみて、自分の興味にドンピシャ!であることが判明。

 現代の我々が毎日のように使う「道」。何気ないその風景には歴史が地層のように積み重ねられている。その成り立ちはどのようなものであったのだろう。(「はじめに」から)

 上記のようなものの捉え方には強い共感を覚えます。とりわけ「何気ないその風景には歴史が地層のように積み重ねられている」というあたりにヴィヴィッドに反応してしまうし、その成り立ちについて思いが行ってしまうあたり、自分も同じなのだ。

 全4章は、「琉球神話と巡礼の道」「海上の道と古琉球」「すべての道は王宮へ通ず」「沖縄県の誕生と近代の道」。
 「琉球古道」という言葉は、歴史的に使われている用語ではなく、琉球王府によって築かれた「宿道」(すくみち)、明治以降の鉄道、さらには「海上の道」なども範疇に含めた造語だということです。

 記述されているもののうち、すでに体験済みなのは、東御廻りの聖地群、受水走水、首里城周辺、運天港周辺、長虹堤跡、綾門大道、真珠道、経塚、安波茶橋、当山の石畳、フェーレー岩、喜納番所、玉城グスク、戻る道、パイプラインなど。

 反面、未体験は、辺戸の御水取りの道、那覇の末吉宮参詣道、今帰仁のハンタ道、浦添城下の仲間集落、ペリーの旗立て岩、恩納村仲泊から真栄田にかけての国頭方西街道の遺構、新しくなった嘉手納ロータリー、平安名のワイトゥイ、うるま市の旧天願橋など。

 「道」に対しては、まだまだ興味は尽きません。現場に立って考えてみる。これが大事。
 この本を契機に、行ってみたいところがまた増えました。


 かつて花村萬月が、「沖縄を撃つ!」という沖縄論を上梓しました(2007年)が、こんどは「沖縄から撃つ!」である。
 著者の岡留安則は、反権力スキャンダルを売りとする月刊誌「噂の眞相」を創刊した人物で、2004年に「噂の眞相」を休刊して沖縄に移住している。

 東京から遠く離れた亜熱帯の島で、毎日海を見て、マリンスポーツや釣り、ゴルフを楽しもうと思ってやってきた。沖縄は、癒しの島だけではなく、戦後一貫して極東一の米軍基地が日夜爆音を発している準戦時下の島であることをはっきり認識させられた。
 書くことを生業にしてきた筆者にできることは、こうした沖縄の実態を全国に発信し、沖縄に75%の基地を押し付けて平然としてきた霞ヶ関の外務省や防衛省の米国一辺倒のいびつな構造とそれに無批判に乗っかってきた大手メディアの虚妄性を撃つことだった。(「はじめに」より)

 2009年6月から11年7月までに、自身のWEBサイト「東京-沖縄-アジア 幻視行日記」などに掲載したものを加筆、再構成したもの。
 当時は、国政の政権交代前夜から始まって、民主党の政権が鳩山から菅へと移行し、東日本大震災と福島の原発事故が発生します。そのような中で著者は、有権者に対する政治家の確信的な裏切りと無為無策の実態を暴いていきます。

 その時に著者が考えていたことは、一見かなり過激で先鋭的なことばかりのように見えますが、これを読んでいる2013年1月現在で、それらがある程度当たっていることに気がつきます。
 筆者の分析する政治家たちの離合集散や、それに乗じて静かに政治の中枢に地歩を固めていこうとする官僚たちの動きが、今現在の政治を見ると、ナルホドそうだったのかと。

 いずれにせよ、沖縄に住んでみれば、日本の政治や官僚主義の矛盾がますますよく見えてくるということのようです。

 全7章。「政権交代前夜の沖縄で急速に高まった期待度」、「普天間移設で鳩山政権の紆余曲折と辺野古回帰で挫折!」、「鳩山・小沢のダブル辞任で菅総理が登場し、深まる混迷度」、「政権交代の立役者・小沢一郎追放で菅-仙谷の右旋回開始」、「前代未聞の東日本大震災で政治も原発政策も根底から崩壊へ」、「福島第一原発事故と沖縄米軍基地の相関関係を衝く!」、「米軍基地と福島原発大事故に見る官僚制国家の悲劇」。
maki 201301

 ぬゎんと! 仲本真紀が、ネーネーズを卒業するそうです。
 ネーネーズのブログ「ネーネーズだより」の1月16日付の記事などで発表されました。

 それによれば、
『突然のお知らせではありますが、私、仲本真紀は、2013年3月31日を最後に、ネーネーズを卒業します。
 理恵が加入したばかりで「今からこのメンバーで!!」という時ではありますが、結婚、そして新しい道へ進んでいきたいという気持ちで決断しました。
 4年間…短い間ではありましたが、今まで応援してくださり支えてくれた皆様、本当にありがとうございました。
 あと残り2ヶ月半…、歌手として、ネーネーズとしての生活、1日1日を大事に、ステージで一生懸命、歌を歌いたいと思います。
 ありがとうございました。』 とのこと。

 結婚するのですね。4年も頑張ったんだね。
 沖縄から遠く離れた地で応援している者にとって、ネーネーズのメンバー変更はいつも突然のことであり、驚くやら、がっかりするやら。
 ついこの前の12月には「島唄」で久々に会って、写真を撮らせてもらったりしていたのに。(下画像)
 CD「贈りもの」では、彼女のお父さんの仲本政國がジャズピアニストとして大活躍していたのになぁ。

 残念でなりません。

mayu maki 201212
 2012年12月20日から同月25日まで、1年ぶりに沖縄本島の那覇界隈を巡ってきました。
 旅の目的は、その直前の十数日間にわたって仕事のピークがあり、それで疲弊した精神状態を大好きな沖縄に行って癒すこと。
 まあ、自分の場合は、さまざまな沖縄の芸能に触れ、まとまった読書時間をとり、うまいものを食べ、好きな酒を飲んで、一人の自由な時間をゆるゆると堪能することが、何よりの癒しなわけなのです。

 ということで、その主だったものについて、備忘のために整理しておきます。

shima 200808


 沖縄に到着したのは20日夕刻。山形で朝食をとって以降食べていないので、まずは沖縄そばを食べたい。
 美栄橋にあるホテルを出て沖映通りをそば屋を探して歩き出そうとすると、おぉ、なんと、目の前に我部祖河食堂があるではないか!
 「我部祖河食堂美栄橋駅前店」というのだそうで、この8月にオープンしたばかりだったことを、家に戻ってから知る。

 我部祖河(がぶそか)食堂は、名護に本拠を有するソーキそばの元祖といわれる名店。最近はチェーン展開で沖縄県内各地に支店があるようで、ここにも店ができているとは知らなかった。

 我部祖河そば600円を。
 麺は自家工場で作られたものらしく、やや細めの平麺。その上に盛り付けられたソーキはさすが名物、軟骨ソーキと硬いソーキがたいへんに美味で、さらに三枚肉も。スープは豚骨と鰹節で取られており、比較的、というかかなり脂っぽく濃厚な味がした。

 居抜きで借りたと思われる店舗は格別新しくはなく、南国らしいまったりした空気が流れているような店。店のおばちゃんたちも淡々と仕事をしているといった風情であり、一人でふらりと入って、まずはビールでも飲んで、それからそばを、というシチュエーションが似合っていると思うが、どうだろう。


 初日の夜は、国立劇場おきなわの小劇場で、沖縄県伝統芸能公演を観る。玉城琉翔節会による琉球舞踊だ。

 開場時刻のかなり前に着いてしまい、ようやく受付テーブルがセットされようとしている頃に当日券をゲット。受付のお姉さんがたいへんにやさしい人で、設営準備もそこそこに券を売ってくれたし、公演終了後にも目が合い、「あ、どうでしたか?」とばかりににっこりと笑顔を向けてくれた。これだから、沖縄は好きだ。

 玉城流翔節会は、毎年この時期に県の芸能公演活動に協力しているようで、すでに何度か観させてもらっている。
 家元は、国指定重要無形文化財の玉城節子。1960年に道場を開設し、今では会員総数250人を擁する実力派団体として琉球舞踊界に君臨しています。

 今回の公演内容は、祝儀舞踊の「かぎやで風」に始まって、二才踊りの「上り口節」と「下り口節」、打ち組み踊りの「打組日傘」、玉城節子が振付した雑踊り「クバ傘の鳩間節」、アングヮーモーイの代表作「加那ヨー」、橇(ぜい)を手に威勢よく踊る「若衆ゼイ」、祝儀舞踊の「四ツ竹」、舞踊劇のの一幕から「金細工」ときて、創作舞踊「いちゅび小」、神山穂紫乃の一人舞の「南洋浜千鳥」、醜男・醜女が登場する喜歌劇「馬山川」でクライマックス。

 今回登場した面々の中では、神山穂紫乃、金城貴子、大城美由紀、松原和美あたりが師範クラス。家元の節子オバサンは登場せず。
 地謡がちゃんとついて、こうやって90分間たっぷり琉球舞踊が堪能できる環境というのは、ステキだ。本土にいてはなかなか体験できないものが、2千円もあれば頻繁に体験できるわけだからね。

 今回思ったのは、集団演舞の時に、誰がどの位置で踊っているのかを観客にわかりやすくしてもらえればもっと楽しめるのではないか、ということ。
 やはり、踊り手によって踊りは微妙に違ってくるわけで、そのあたりを追究するには、観る側は「誰が」踊っているかをよく知らなければならない。いわば、自分は誰それのファンである、ワタシは誰それよっ!という構図をたくさんつくることによって、琉球舞踊はもっと多くのファンや理解者を取り込めるのではないだろうか。


 今回の沖縄旅で食べるものは、必ずしも沖縄モノでなくともよいことにしてみました。言うなれば、那覇で味わえる好きなものを、と。
 2日目の昼は、陳麻家泉崎一丁目店にしてみました。四川料理のフランチャイズ店らしいです。
 
 陳麻飯(ちんまーはん)という麻婆豆腐ライスと坦々麺(半)のセット、850円。
 
 まずは坦々麺。芝麻醤が効いていて、あの名店赤坂四川飯店のそれと比べても全く遜色のない上出来なもの。麺も四川飯店とそっくりで、この価格であの味が楽しめるのであれば不満は微塵もありません。
 
 この種の麺は伸びる心配がありますが、陳麻飯のほうはそういうことはないので坦々麺のあとに食べましたが、これがまた美味。はじめのうちはそう感じないものの、しばらくしてからじんわりと来る辛さ。そして極みは、四川花山椒。ジンジン来る舌先への刺激。それはけっして嫌味ではなく、ああ、今おれは四川料理を食べているのだなぁという至福感高し。眼窩の下にじんわりと汗が出てくるような、山椒独特の辛さでした。
 
 いいものを食べさせてもらっちゃったなぁ。
 那覇で泊まる機会にはまた立ち寄ることにしようっと。
 
 店は、那覇市役所や那覇バスターミナルから至近の、表通りから一本中に入ったようなロケーション。ガバガバと客が入るようなところではなく、自分が訪問した正午前の時間帯はお一人様客がチラリホラリ入ってくるといった按配でした。


 その後はちょっとだけ、小禄のジャスコに行って買い物。
 別に沖縄らしいものを買うわけではなく、日常で使うものを少々。ここずっと、買い物もできなかったからね。

 というのは実は一種の時間調整で、午後2時からの、芸術選賞歴代受賞者公演が始まるまでのつなぎなのだった。
 久茂地に沖縄タイムスの新社屋が完成、その3階にタイムスホールができた記念に、こけら落としとしてさまざまな公演が立て続けに行われるのですが、これがその皮切りのイベント。

 タイムスホールについて述べておくと、座席数358で可動式座席、舞台は間口13m×奥行き6m、琉球古典芸能や組踊、洋楽、演劇などのほか、講演会やシンポジウム、映画上映、パーティーなど利用できるとのこと。

 開演15分ほど前に会場入りすると、ほぼ満席。前もって電話でチケットを予約しておいて正解だったな。
 実は今回の旅では、この会場で、この日を入れて3つの公演を観ることにしているのです。3公演分、1万円を払ってチケットをゲット。

 公演内容については、翌日の沖縄タイムス紙にその記事が掲載されていたので、引用します。

・タイムスホール 船出彩る  こけら落とし公演スタート
 「タイムスホール」こけら落とし公演が22日、那覇市久茂地の沖縄タイムス社新社屋で始まった。沖縄の伝統芸能復興の先頭に立ってきた沖縄タイムス芸術選賞の大賞受賞者ら約250人が出演し、格調高く新生ホールの船出を彩った。
 「芸術選賞歴代受賞者公演」は祝儀舞踊「かぎやで風」で幕開け。人間国宝の城間徳太郎さん、野村流古典音楽保存会の勝連繁雄会長、沖縄芸能協会の喜舎場盛勝会長らの地謡に乗せ、伝統組踊保存会の島袋光晴会長や重要無形文化財「琉球舞踊」保持者の宮城幸子さん、大城政子さん、眞境名直子さん、喜納幸子さん、佐藤太圭子さんが伝統の技と心を伝える舞を披露した。古典音楽斉唱や古典舞踊、雑踊もあった。
 古典音楽「秘伝仲風」を独唱した琉球古典音楽野村流松村統絃会の宮城嗣幸名誉会長は「タイムスの舞台は、やはり安心して歌える」と話した。
 来年3月まで、伝統芸能やクラシック、ジャズなど多彩な公演が予定されている。

 上記記事と一部重複しますが、演目は、祝儀舞踊「かぎやで風」、古典音楽独唱「秘伝仲風」「本調子述懐節」、舞踊「稲まづん」「松竹梅鶴亀」「加那よー天川」、古典音楽斉唱「本田名(もとだな)節」「真福地のはいちやう節」「揚高祢久節」、器楽演奏「若衆揚口説」、舞踊「本貫花」「汀間当」「高平良万歳」「新加那よ」。

 このうち、「稲まづん」では大城一乃の舞が、ふるまいが大きくガマクの入りがしっかりしていてよかったし、「松竹梅鶴亀」では気鋭赤嶺光子の所作にキレと優雅な流れを感じました。
 御年83歳という大御所、大城政子が一人で舞う「汀間当」は、それだけで驚きに値しますが、さすがに後ろへの足運びなどは少々危うさがありました。貴重なものを見せてもらったな。

 登場人物は誠に錚々たるメンバー。
 パンフレットの巻末にある歴代受賞者の一覧表は、資料として貴重です。
 島唄へは、前年12月以来、1年ぶりの訪問となります。この間、上原渚が卒業し、新たに本村理恵が加入、ナーギー健在時代の最後を飾る東京・青山の「月見ル君想フ」でのライブDVD「ネーネーズ Live in Tokyo~月に歌う」が発売されたりしましたが、基本的には元気な4人のステージングには大きな変更はなかった模様。

 いつものように泡盛(二合)を水割りで飲り、スヌイの酢の物と豆腐チャンプルーをつまみながら3ステージの全てを見、聴く。
 思えば初代のネーネーズは自ら演奏なしのうたのみ、それもほぼユニゾン専門のような形のものでしたが、今の4人はずいぶん進化しており、三線、太鼓の生演奏もやってのけるし、踊りやヤグイもノリがいい。

 一週間のうち5日、しかも3ステージずつこなすという過密スケジュールでありながら、客たちに精一杯アピールしようと明るく振舞っている4人のホスピタリティにはただ敬服するばかり。毎日うたうためか、会話する声がハスキーになっているのが気になるところです。

mayu maki 201212

 1回目のステージが終わったところでいつものように客席にやってきた真優子とマーキーをつかまえて写真を。
 デジカメのディスプレイで写り具合を確認して、「私だけ黒く写ってる~!」と嘆くマーキー。(笑)
 1年もの間足を運ばなかったのに、「お久しぶり~♪」と言ってくれる真優子がうれしい。

 この日歌ったうたは次のとおり。
・1stステージ 「翼を休めに来ませんか」、「初恋」、「ヨーアフィ小」、「君が思い出になる前に」(スピッツのカバー)、「パラダイスうるま島」、「豊年音頭」
・2ndステージ 「バイバイ沖縄」、「安里屋ユンタ」、「黒島口説」、「てぃんさぐぬ花」、
「真夜中のドライバー」、「贈りもの」、「黄金の花」
・3rdステージ 「アメリカ通り」、「ワジワジワルツ」、「十九の春」、「ジントヨーワルツ」、「赤花」、「赤田首里殿内」

 これでステージチャージ含みで4,980円というのだからスバラシイ。
 彼女たちのがんばりを支えるためにも、沖縄に行ったら島唄にはぜひとも寄らなければなりませんね。

 そうそう、島唄といえば知名定男ですが、知名は2012年3月に開いた自らの芸能生活55周年記念リサイタルで、歌手生活からの引退を発表しています。
 このリサイタルは将来きっと語り草になるのだろうなぁと考え、観に行けなかったことを悔やんでいたのですが、なんと、島唄のカウンターにはその時の74ページに及ぶプログラムが積まれており、「ご自由にどうぞ」と。
 これには思わず垂涎。ありがたく一部頂戴してきました。その表紙がコレです。

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 ということで、気分よく酔ったまではよかったのですが、ホテルまでの帰り道で携帯電話を落としてしまい、電池とその外ぶたが側溝に落ち、使い物にならなくなりました。


 朝、ホテルで新聞を読んでいたところ、前日の12月22日、那覇市役所新庁舎の落成式が行われたという記事を発見。その記事を読んで、この23日から、新庁舎の市民見学会があることを知り、市民ではないけど、午前中に行ってみることに決定。

 外観はご覧のとおり。地上12階、地下2階、延床面積38,586㎡。総事業費89億円。今どき市庁舎を建てるなどというと市民から矢のような反対の声が上がりそうなものですが、ここ沖縄では人口も増加傾向だし好景気でもあると見えて、こんな立派な建物が一等地にドンと建ってしまうのだな。

 那覇市役所といえば、自分の中では瀬長亀次郎人民党委員長が市民の圧倒的な支持を得て市長に当選し、USCARやその息がかかった銀行などから嫌がらせを受けながらも市政に取り組んだという、いわば闘いの歴史がしみこんだ場所との認識があります。
 そんな思いを胸に秘め(笑)、市民を装いながら我、潜入せり。

 まだ机やキャビネットなどの執務室の設えができていない広々とした1階ホールから、エスカレーターを使って3回へと上がり、議場の様子、そしてその上の階の市長室、同応接室などを見る。
 仕事柄、議場のつくりが気になる。議場は対面式ではなく、議員席と理事者席が一体感のあるオーバル状になっているユニークなつくり。議場の説明者は、このたび議会基本条例を制定し、議員間討議にも対応できるように設計したと胸を張っていました。
 議場は、上階の市長室フロアからガラス張りの廊下越しによく見えるようになっており、なかなか斬新かつ先進的だなぁと思いました。

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 本格派の北海道ラーメンを出す店、というので事前チェックしていた店。ここで昼メシをとろうか。
 一銀通りから、統合問題が浮上している久茂地小学校脇を南西に折れたところにあります。
 沖縄のラーメン店はその地理的条件からか、博多系ラーメンを供する店が多く、せいぜいあっても東京ラーメンなので、やや沖縄のラーメンに辟易していたところ。しかし、このような本格的な北国のラーメンが食べられるとなると、ちょっとウレシイ。



 白味噌ラーメンと、ネギチャーシュー丼+餃子3個のセットで、都合980円。
 前日の昼に引き続き、これまたむむむ・・・と唸るほどの旨いラーメン! やや細めではあるものの黄色みを帯びた縮れ玉子麺は北海道を名乗るにふさわしく、ややとろみのあるスープも白味噌の甘みが感じられ、熱々でよろしい。
 チャーシューは重厚。モヤシは西日本ではメジャーな細いタイプのものだったのは、まぁ、やむを得ないでしょう。

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 ネギチャーシュー丼は、角切りのチャーシューと味付けされた生ネギのぶつ切りの上にラジウム卵がドン! 3種揃い踏みで美味しくないわけなし。

 これならば、ラーメンがなければ食生活に支障の出る自分としても、那覇に長期滞在することができるというものです。