ドライブマップではありません。
 右か左か、すべての軍事力に反対か、それとも戦争がしたいのか、「おまえはどっちの立場なんだ」ということを問われずに、自由に自分の意見を言い、議論し合って、お互いが学び合える――そんな沖縄になってほしい。
 そんなことを願いつつ書かれた沖縄論、というよりも、ものの考え方の指南書のような趣きのある新書です。

 議論は何のためにするのか? それは相手を打ち負かすためではなく、自分の考えの欠点や浅さを指摘してもらい、より緻密でレベルの高い思考へともっていくための手段であると、著者は言います。
 それはわかります。でも、書いてあることは、沖縄のマスコミの偏重性とか、沖縄の排他性は日本の各地でも見受けられることだとか、必ずしもニュートラルなポジションで論じられてはいないような印象があり、首をかしげることも。
 そして、読者からそのような批判がなされても大丈夫なようにと、自由な物言いや議論は大事だとか、事前に無用な予防線を張っているような匂いがして、自分としてはすんなりと受け入れることができない部分がありました。

 そう感じてしまうのは、多少角度を変えこそすれ、この誌上で似たような論理展開を何度も繰り返して述べ過ぎているからなのではないでしょうか。
 それは、これまで書いてきたそう多くない論考を単純に1冊の本にして安易に出版してしまったからだ、と思うのですが、どうでしょう。

 内容は、雑誌でボツになった原稿とか、沖縄の新聞に投稿して「ただの感想文ですよね」と言われたものとか、自分の日記からの抜粋したものなどで構成されています。著者自らが「おわりに」でそう書いています。
 ですが、そういうものたちを著者の都合でオムニバスのようにして出版したところで、読者は納得しないのです。
 本は、著者の都合ではなく、読者にどう受け入れられるかが最重要な判断材料となって出版されるべきものだと思います。

 内容及び構成に難あり。
 厳しいかもしれませんが、これがこの本に対する自分の読後感です。
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 今年8月以降、これまでに買った沖縄本は、次の8冊。

 八月十五夜の茶屋         ヴァーン・スナイダー  彩流社         2310
 琉球王権の源流           谷川健一・折口信夫  榕樹書林         945
 虹の鳥                目取真俊         影書房         1890
 沖縄占領下を生き抜く       川平成雄         吉川弘文館      1785
 沖縄幻視行             波田野直樹       連合出版        2310
 琉球検事               七尾和晃         東洋経済新報社   1575
 世界の沖縄学            ヨゼフ・クライナー    芙蓉書房出版     1890
 私はフーイー 沖縄怪談短篇集  恒川光太郎       メディアファクトリー  1575

 これらには中古本は含んでいません。
 今年に入ってから買った沖縄本の数を数えてみると、古書も含めて53冊ぐらい。
 今年の読破数はだいたい50冊超となる見込みなので、この1年、数だけをみれば、読む量と買う量のバランスが概ねとれていたということになります。
 しかし、未読本のストックの山はますます高くなっているような気がする。
 なので、よく眺めてみると、確かにボリュームのある本が多いんだな。むしろ、薄い本が少ないと言おうか。

 近時を振り返ってみると、ずっと欠かすことのなかった就寝前の読書が、睡魔のために遂行できない日が多くなった。それも、このところはほぼ連日だ。
 寝床でメガネをはずせば字が霞むし、重い本は腕が疲れるし、眠気のために重い本が顔に落ちてきたら危ないし・・・。
 あ、そうか。だからボリュームのある本が未読になって残るのか。・・・ナルホドなぁ。

 なんて、ツマラヌことに感心してどうする。

 最近買った本のリストを眺めていて思うのは、お固い本が多いということ。沖縄関係の出版物のこのごろの傾向として、基地とか沖縄戦とか沖縄特有の政治問題を扱ったものが多い。かつては癒しや沖縄の緩いイメージ、ユニークな文化・風俗などを取り上げたものが多かったものなのだけれど。
 なので、リスト中の「虹の鳥」「私はフーイー」などの文学、ミステリーなどにどうしても興味がいってしまい、分厚くて固いものは残っていってしまうということなのだろうな。


 2004年に発行されたものを古書店から入手。
 当時は沖縄おばぁ本が流行っており、そんなおばぁ本なんて何冊も買うまでもないだろうと考えてスルーしていたのですが、当時から10年近く経ってみるとそんな時代のことも懐かしくなってくるもので。

 何よりも、執筆陣がいいです。沖縄の「今」に関する自由記述をさせるならこの連中がベストと思わせる人々は、統率者である下川裕治、仲村清司の二人のほか、嘉手川学、飯塚未登利、桑原花子、おりべえりあ、島袋直子、嶺井直美、中嶋栄子、長嶺哲成ら。
 ら、と言っても、彼らの大部分については詳しくは知らないのだけど、双葉社やボーダーインクなどが発行する沖縄脱力系おもしろ本にはよく登場する面々なので、名前とその文章にだけは頻繁にお目にかかっているのです。

 さてこの本。沖縄では、おばぁの言うことには口答えできないという「おばぁ本位制」が敷かれ、いまやおばぁは身勝手の権化ともいわれる神の領域にまで昇り詰めつつあるといいます。そんなおばぁがいる36店に恐れつつも入店し、頼んだ注文をおばぁの都合で変えられてもつい「うまい!」といって食べてくるようなことを繰り返したつくりになっています。

 登場する名店は、牧志第一公設市場周辺の肉屋、食品店などから始まって、謝花きっぱん店、金城天ぷら屋、山城まんじゅう、石垣島離島桟橋脇のおみやげの店瀬戸など。
 大衆食堂・そば屋のジャンルでは、噂に名高い名店がわさわさで、コザ食堂、金壷食堂、ゲート通りの南京食堂、イラブー料理のカナ、宮古島のよしこ食堂、石垣島の来夏世、名護のブラジル食堂、やかんそばつゆの名護の八重食堂など。中にはすでに閉店してしまった店も出てきていますね。
 その後も、店側と客の双方が年金生活者で成り立っていると噂のおばぁスナックや、マイペースのおばぁ民宿の紹介が続きます。

 読後感はゆるゆるで脱力感が漂いますが、ある意味、人間が長い間生きていくというのはこういうことなのかもしれず、そういう人生を周りの人たちが尊敬の念を抱きつつやさしく見守るというのが古来、日本人としての流儀だったのではないかと思い当たります。
 沖縄にはそういう、本土の人々が失いつつある生活の流儀がまだまだ色濃く残っている、とも言えるのでしょう。

 基地問題とか政治とか、沖縄をめぐっては近年小難しい出版が多くなっていますが、おもしろい沖縄をアピールするこの類の本はもっと多く世に出されればきっと受けるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。