1971年下半期の芥川賞受賞作品。沖縄関係者の受賞は大城立裕の「カクテル・パーティー」(67年上半期)に次いで2作目となります。その後、又吉栄喜の「豚の報い」、目取真俊の「水滴」が続くこととなりますね。
 又吉、目取真の受賞作は読んでいるのですが、東のものは手に入らず、今日まで読むことができませんでした。しかしこのたび、古書市場から送料込み550円で入手し、やっと読むことができました。
 なお、大城立裕の「カクテル・パーティー」はこのたび文庫版で復刻再発売されており、これも入手済みなので、近いうちに読むことができるようになりました。

 その「オキナワの少年」。戦後の日本から取り残され、病める部分を集約して担わされた沖縄の地の現実を、無垢な少年の眼で捉える、といった趣向の文章です。
 正直言えば、文章表現などはそううまいとは思えないのですが、そのなかで語られる現実には瞠目せざるを得ない部分もあって、すごみというか、迫力があります。

 また、文章にはウチナーグチによる会話の部分が多くあり、これらをどう読み取るか、味わうかで、全体の評価が大きく左右されることになるのかもしれないなと思いながら読みました。
 個人的には、ウチナーグチが漢字で書かれることによって、その意味が初めて理解できたものがいくつかありました。たとえば、「呆っ気さめよ!(あきさみよ)」とか、「真沸膏(まふっか)」とか。

 表題作のほか、「島でのさようなら」、「ちゅらかあぎ」を収録。

 その後の東峰夫の作品ってあまり見ないよなぁ、と思って調べてみると、寡作だし、その後はいろいろあったようで、2012年2月現在、「生活保護を受け、東京都多摩地区にある6畳1間の家賃月額35,000円の木造アパートに独居し、100円ショップのパンと缶詰を食べて暮らしていることが報じられた」とのこと。
 う~む…。大城立裕センセイのその後と比べると、ずいぶんと大きな違いができてしまったものだな。
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 日本全国にある、思わず「ありゃまあ!」と言いたくなる“ちょっとヘン”なお祭りを、シーナが観に行く、という趣向のこの本。すでに春夏編は文庫化されており、今回の秋冬編で完結。
 その秋冬編の全13話のトップに登場するのが、宮古島・島尻の「パーントゥ」だったので、沖縄関連書籍として取り上げておきます。

 昔々、宮古島の北の集落でのこと、村を挙げてのお祭りの日に、海岸に気味の悪いお面が流れ着きました。
 その異様な形相に恐れおののく村人たちに、神女たちが言ったお告げは、「これは来訪神であり、豊作の印である」と――。
 村はやがて、その仮面をかぶった若者が全身に蔓草と泥をまとい、来訪神「パーントゥ」に扮して、厄除けや吉例をもたらすようになった、というのがこのお祭りなのだそう。

 集落にある、かつて聖なる井戸だったところの汚泥をたっぷりと体にまとったパーントゥが村中を走り回り、その泥をなすりつけられぬよう、人々は逃げ回ります。
 怖い! 汚い! 臭い! とれない!
 臨場感あふれる数々の写真。そして、どの人も泥にまみれながらもにっこり。

 パーントゥのほかにも、石川県能登町の「あえのこと」、茨城県笠間市の「悪態祭り」、鹿児島県いちき串木野市の「ガウンガウン祭り」、福井県勝山市の「勝山左義長」など。
 読んで写真を見ているだけでも、それぞれのまつりのありゃまあ!が、よ~く伝わってきます。


 古書市場からチョイスしてみたものですが、なかなかいい本があったものです。

 1970年12月に発生したコザ暴動を扱ったものです。
 1981年に発行されたノンフィクション「炎上」を改題した新版で、96年6月に発売された文庫本。
 96年といえば、その前年は沖縄にとって重要な1年でした。米兵による婦女暴行事件を端緒に、沖縄県民の憤りが頂点に達したことが鮮明に蘇ってきます。おそらくはそれが背景にあって、再発されたものと思われます。
 1945年の沖縄戦、70年のコザ暴動、95年の盛り上がりと、どうやら沖縄の怒りは四半世紀ごとに訪れるようですね。

 そのコザ暴動、前日には、美里小学校で1万人を集めて毒ガス即時完全撤去を要求する抗議大会が開催されており、一方で、米兵による糸満の老婦人轢殺事件や具志川の女子高生殺傷事件などがウチナーンチュの不満を増長させていた、という状況があっての騒擾だったようです。

 これを、多くの目撃者を捜し出して証言を求め、念入りに事実を積み重ねてノンフィクション化したところがこの作品の特徴。
 その白眉は第一部の「目撃」の部分で、巧みに過去の歴史に触れながら、見事に当夜の出来事を再現しています。

 あの胡屋十字路から島袋三叉路にかけての国道58号線の現在と、ここに記されている出来事を重ね合わせ、イメージを膨らませながら戦慄しつつ読ませてもらいました。
 この連休は、遠出をせず、沖縄にも行かず、静かに過ごしました。
 沖縄に行こうかとも考えてはみたのですが、ここ数年、だんだんと沖縄で行われるイベントが減ってきており、まぁ、行くまでもないのかなと。
 この連休の目玉である那覇ハーリーも何回か見ているし、その会場で行われるライブからも大人の民謡ショーが影を潜めているようだし、国立劇場おきなわの催事もない。夜の民謡ライブもコレハといったものがない。

 では、というので、今回は読書最低5冊を目標にして、夜な夜な酒を飲みつつ、「積ん読」の中から比較的読みやすいゆるい物をピックアップしてみました。
 それらは・・・。

1 玉ねぎフライパン作戦               椎名誠    角川文庫
2 沖縄の怒り コザ事件・米兵少女暴行事件  伊佐千尋  文春文庫
3 ひとつ目女                      椎名誠    文春文庫
4 ニッポンありゃまあお祭り紀行 秋冬編     椎名誠    講談社文庫
5 本音で語る沖縄史                 仲村清司  新潮社
6 宮本常一とあるいた昭和の日本1 奄美沖縄         農文協

 結果、6冊を読了。
 ゆるいとなると、シーナの本が3冊も登場するわけですな。(笑)
 沖縄関連は、2、5、6のほか4にも宮古島のパーントゥが登場。

 こういう休みの使い方も贅沢というものなのかも。
 就職と進学で息子たち二人がこの4月から親元を離れ、我が家は我々夫婦のみとなり、静かでのんびり。好きな時に食べて、好きな時に眠り、現在の状況からどこかに逃避するまでもなく、ここがそのままリゾート地のようだなと思えなくもない。

 そんな時間も束の間のこと。また日常が始まったなぁ。





 沖縄のあれこれをおもしろおかしく紹介してきた仲村清司が、こんどは大真面目で沖縄の歴史に挑戦です。いつのまにか、沖縄大学で非常勤講師なんかもやっちゃってるんですね~。

 かなり関連する書物を読み漁ったとみえて、スグレモノと言うべき力作になっています。
 沖縄の先史時代から始まって、三山対立時代、第一尚氏の三山統一、尚円金丸や尚真王にまつわる話から、アカハチやサンアイ・イソバなどの活躍の舞台となった八重山の状況、島津の琉球入り、ペリー来琉から琉球処分、そして沖縄戦までを対象としており、全23章。

 通史ではなく、テーマごとに史実や過去の歴史家等の記述などをもとに、現代の沖縄を生きる視点から、自分なりに興味を持って物語調にまとめていった、というような仕上がりです。
 自分の推測などを加えつつ、時には大胆に歴史的事象を一刀両断にするあたり、こういう書き方は学者センセイにはできないだろうなと思わせる部分もないわけではありません。
 しかし、全体としてみれば、沖縄史の核心的な部分や各時代のクライマックスを詳細かつ的確に論じていると言ってよく、あちこちの歴史書を苦労して読むよりも、この1冊をじっくり読んだほうが沖縄史のダイナミズムを端的に理解できるのではないかなぁと思いながら読みました。

 ペリー来琉時に琉球側の通事として活躍した板良敷親雲上(いたらしきぺーちん)に関する記述は特に圧巻。
 板良敷が通事の手腕を買われて薩摩藩主の島津斉彬に取り立てられ、平士の家柄でありながら上級職である「表十五人衆」にまで登りつめ、牧志朝忠(まきしちょうちゅう)を名乗る出世話。そしてその後の琉球王国側保守派の反動勢力による拷問、投獄、果ては薩摩へと向かう船上からの投身自殺という悲話もしくは秘話には感動を覚えました。

 よくぞこれほどの書をものしたり、仲村清司。あっぱれ!!としか言いようがありません。
 そしてこれが1,400円という格安で、これを発行した新潮社もあっぱれ!(張本氏風)でしょう。


 民俗学者・宮本常一のフィールドワークに徹した追及手法に興味を抱いていたところ、2011年、氏の没後30周年記念出版として「あるくみるきく双書」全25巻の配本がスタートしました。
 その第1巻が「奄美沖縄」だったので、2,940円と自分にとっては値の張る本でしたが、さっそく購入。

 カバーの返しにある記載を引用。
「高度経済成長に沸く昭和40~50年代の日本、急速に姿を変えてゆく農山漁村の風景や暮らしの中に秘められた豊かさや知恵を探し求めて、ひたすらに歩きつづけていた若者たちがいた。民俗学者宮本常一と彼が率いた近畿日本ツーリスト株式会社・日本観光文化研究所に参じた若者たちである。この双書は同研究所が発行した幻の月刊誌『あるくみるきく』を地域別、テーマ別に編んだ昭和日本の風土記集である」

 掲載されている文章もさることながら、なんと言っても秀逸なのは、当時撮影された写真の数々。
 白黒、カラーのそれぞれは、今から45~35年ほど前に撮られたものであり、当時の人々やその生活、習俗、文化などをなによりも雄弁に語っています。
 昭和というのはああいう時代だったのだなあと懐かしく思うと同時に、当時の沖縄・奄美の置かれていた状況がもののみごとに垣間見ることができ、今となっては失ったものの大きさに衝撃を覚え、ちょっとウルウルときたりして。

 それらはたとえば、古くからの祭りを多く伝え残す国頭村安波集落のたたずまいであったり、十分な整備が進んでいない頃の今帰仁城の平郎門であったり、蓑をまとって野良仕事へと向かう与論島の男性だったり、西表島・星立の節祭に登場した踊るオホホだったり、加計呂麻島のカミンチュたちの祈りであったり・・・。

 きっと当時は今よりもずっと離島苦(しまちゃび)がきつかったはずですが、人々の表情はとても明るく、また、若い人々がたくさんいて今よりもにぎやかさがあったようです。
 過疎化が進み、地域文化の担い手の減少が危機的状態となり、街並みがどこも似たような表情になってしまった日本。これから日本の人々や風景はますますのっぺりとしたものになっていってしまうのでしょうか。
 人間にとって「豊穣」とは、いったい何なのだろうかと考えさせられた1冊でした。


 この3月に公演活動からの引退を表明した知名定男のDVD「唄魂LIVE」を鑑賞しました。
 もったいないことに、昨年(2011年)の3月に購入して以来、初めて鑑賞。こういうことって実はけっこうあって、大切だったり貴重なものなどは特に、読んだり見たり聴いたりするのが惜しいというので、買ったまま封を切らずに大事にとっておいたりするのだな。
 こういうものはなんつったって、ファーストインプレッションが重要だからね。

 2009年末に、民謡101曲を録音した「島唄百景」で、第51回日本レコード大賞企画賞を受賞。これに先立ちそのいいトコ取りをしたようなCD「唄魂」が発売されますが、さらにそのちょっと前の7月12日、日暮里サニーホールで行ったライブを収録したものです。

 知名の引退を報じる新聞記事には、2006年ごろから喉に不調を感じていたことが記されていましたが、このときはそのようなこともなく、いつものとおりいい声でうたっています。
 ただ、ずっと椅子に座ったままでの唄三線で、周りにいる吉田康子や鳩間可奈子、ひがけいこなどがスタンディングなので、なんだか一人だけ老けこんでしまったような印象がありました。
 たしか昭和20年生まれ。なので、若いと思っていた知名も今年67歳になるのだな。
 知名定照の奏でる琉琴が入ると、知名定男の唄はぐっと引き締まり、映えますね。

 ところで、2006年の喉の不調については、彼が著した「うたまーい」(2006年2月、岩波書店刊)のあとがきで、次のように記しています。

『 昨年(註 2005年)の琉球フェスティバル(11回目)の福岡会場で、僕は初めて声が出ないという事態に直面しました。唄えなかったのです。変声期の時でも唄うことは出来ました。それがほとんど声が出なかったのです。半世紀にわたる音楽生活で、これは初めての経験でした。とてもくやしかったし、反省もしてます。
 僕は体力には自信を持ってます。現在でも週に1、2回はあの新芸会の仲間たちとゴルフに行ってます。さすがにお酒の量は減りましたが、まだまだ健全です。作曲活動も頑張ってますし、プロデュース業も忙しくこなしています。
 声の調子はほぼ戻りましたが、「まえがき」でも触れましたように、あの天才少年も今年で還暦を迎えました。60歳です。もうオジイの年齢に到達してしまいました。事実、僕には四人の孫がいます。でも、気持ちは昔と同じく、青年の積もりでいるのです。しかし、声が出なかったというあの初めての経験によって、やはり自分も確実に年老いていってるなあ、ということを認識せざるを得ませんでした。 』

 知名はいつも、「琉球フェスティバル」を「琉球ヘスチバル」と発音していたよね。(笑)

 さて、上記とは全く関係ありませんが、おれ、このDVDのジャケットに写る知名の着ているかりゆしウェアがサイコーにカッコイイと思う。
 こりゃぁええねぇ・・・。おんなじもんがほしいんだがや。
 ブランド名や、売っているトコなどの情報、知っとったら、ぜひ教せーてやってちょーでぇ。

 ・・・さらにはずれるが、名古屋のうみゃあもんをい~ろいろ食べ歩いてみたゃあもんだがや。


 沖縄に行くたびに感じていた、沖縄大衆食堂の危機。
 沖縄の若者たちの食に対する嗜好の変化や、全国チェーンの飲食店の沖縄進出などにより、インディペンデント系の老舗大衆食堂がどんどん閉店、廃業していくのを目の当たりにして自分なりに危惧していたことを、この本はズバリとついてやってくれましたですな。

 沖縄らしいコンクリート食堂にふらりと入ると、そこにはいかにも昔からここで働いているサーと言わんばかりのオバァがいて、独特のリズムと雰囲気で客さばきをしていたりするのが、沖縄の大衆食堂。
 目に入るのは壁にズラリと貼り出された手書きのメニュー。てびち、煮付け、トーフチャンプルー、ナーベラーンブシー、沖縄そばに中身汁、Aランチ、Cランチ・・・。よくぞこれだけのメニューをこの少人数のオバァたちでさばききるものだと感心したりして。

 ところがそのオバァたち、今やすっかり高齢化して、オバァ食堂は絶滅危惧種化している!という由々しき事態に陥っているというのです。
 そんな、いまや貴重になってしまった沖縄オバー食堂の数々を、たっぷりの写真とともに1軒1軒紹介しようというのが、この本。

 いやぁ、スゴイ!! よくぞこれまで頑張ってこられましたねというオバァたちが、つくったばかりのごちそうを手ににっこり笑顔で迎えてくださいまする。
 77歳、72歳、69歳、65歳、82歳、82歳、77歳、74歳、68歳、88歳。
 登場するオバァの年齢を列挙してみました。どうですか、くらくらっときませんか・・・。

 そしてまた、各店のたたずまいも立派すぎ! 年季入っていますからね。フツーの人ならなかなか入る勇気すら湧かないような、ディープ感ただよう店もあったりして。

 この本で紹介されている店は41店。うち2軒は取材後半年の間に廃業。
 残る39店のうち、おれが入って食べたことがあるのは、高良食堂、丸安そば、嶺吉食堂(以上、那覇)、お食事処チューリップ(金武)、きしもと食堂(本部)、中山そば(名護)の6店。う~む、まだまだデアルな。
 この本を見て、特に行ってみたいなぁと思ったのは、味のある店構えが前から気になっていた宜野湾の三角食堂、那覇から移転して営業している本部の紀乃川、カベルナリア吉田をあっと言わせた名物オバァがいる本部のみなと食堂、薬缶スープで有名な名護の八重食堂、てんこ盛り肉そばの大宜味の前田食堂、あたりでしょうか。


 沖縄が本土に復帰して、今日で丸40年が経過しました。

 「核抜き・本土並み」での復帰でしたが、当時はいずれ基地もなくなるだろうという楽観論もあったことでしょう。
 そして1995年。少女暴行事件に端を発して、当時の橋本龍太郎首相は「今後5年から7年の間に基地は普天間から撤退する」旨の発言をしましたが、現実は、沖縄の基地面積のうち復帰当時の20%しか返還されていません。
 この遅々とした変化に唖然とするほかありません。

 自分は今から20年ほど前に沖縄に目覚めましたが、当時と比較しても、基地のありようや、日米地位協定に基づく沖縄県民の位置づけなどは、ほとんど改善されていないなというのが率直な印象です。

 それと好対照をなすのが沖縄の文化。これは、少しずつではあるけれど、確実に変わった。
 民俗祭祀の衰退、そして沖縄芝居、沖縄民謡、沖縄地域語などの独特の文化の衰退は、目を覆わんばかりです。それはもう、崩壊と言ってもいいのではないか。
 街並みも、住居の形態も大きく変わったなぁ。

 でもおれは、まだまだ沖縄を追いかけたい。
 どう変わっていくのかを見届けたい。
 変わりようが、いいとか悪いとかのレベルを超越して、第三者の目でじっくりと見つめていく。
 それが、体よく言えば、沖縄からいろいろなものを得た者のひとつの責任の取り方であり、自虐的に言えば、いまさら態度を変えることすらできなくなってしまった沖縄病患者のたどる末路なのである。

 1972年5月15日。
 1944年10月10日、1945年3月26日、同年6月23日、1970年12月20日などとともに心に刻まれた、自分にとって節目の記念日である。

 ああ、そうだ。2000年ごろにブレイクしたNHK朝ドラ「ちゅらさん」の主人公古波蔵恵里の誕生日は1972年5月15日なのだった。
 小学生の頃の約束どおり文也君と結婚したえりぃも、40歳になったのだね。
 国仲涼子ががわいかったねぇ。

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