mickey 201204

 行ちぶさむん見いぶさむんのカテゴリーに入れてしまいますが、これは噛みぶさむんの話。

 なんだか急に沖縄のちゃんぽんが食べたくなってしまったのダ。
 ご存知ですか、沖縄のちゃんぽん。わかりやすく言うと、ご飯の上に野菜炒めの卵とじをかけたもの、とでもいいましょうか。
 これを大ぶりのスプーンでもってわしわしと喰らいつくものなのです。

 ある程度本土に知れわたっている沖縄B級グルメですが、その中でもこれはレア。沖縄そばとかタコライスなどとちがって、自分が住んでいる地域ではまずお目にかかりません。

 じゃあ自分でつくればいいじゃないのと言う方もおられましょうが、これがなぜか、あの味を再現するのは簡単なように見えてなかなか難しいのですな。

 で、ウェブで沖縄のちゃんぽんの画像をあちこち眺めたところ、これがいちばん美味そう!ということで、沖縄コザは中央パークアヴェニューにある「大衆食堂ミッキー」のちゃんぽんの画像を引用させていただきました。

 どうですか、この圧倒的ボリューム。ご飯が見えません。
 たっぷりの野菜。定番のポーク缶が入って具だくさんですねぇ。惚れぼれします。
 これがなんと、500円! すごいよなぁ。

 あぁ、食べたいなぁ・・・。

 登川誠仁がうたう「軍歌たべたいなぁ」を思い出したりして。
 ♪ 勝って かまぶく 食べたいなぁ 
   誓って ちんぬく 食べたいなぁ 
   手柄  天ぷら  食べたいなぁ ・・・ 
 (「露営の歌」の節でうたってみてね。(笑))
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 「黒」が発売されたのが2006年。その後「白」が2008年で、その3冊目「金」が2011年に発行されました。
 1998年ごろから運営されているウェブページのほうもブログスタイルになって、今では1日あたりのページビューが25万件にもなる大化けサイトになっているとのこと。

 そのサイトからカテゴリー別に投稿をピックアップして収録されたのがこの本。
 誰が読んでも、どこから読んでも面白い「沖縄のうわさ話」が満載。
 今回は「沖縄の笑い話」、「ウチナーの特徴」、「ゆーれいスポット」、「働くウチナーンチュ」、「ちょっとイイ話」の5章立てになっています。

 「ゆーれいスポット」は昔からの人気コーナー。かつてはあそこはヤバイ、そこでは○○が出るなどスポット紹介的な内容が主でしたが、今回は怖い話が中心で、場所の特定ができなくなっているのが少々残念。

 また、「沖縄の笑い話」は、またか――というようなほのぼの系が多いですが、いかにも沖縄ならではというものもあってマニアックに笑えました。
 うちの母はジャスコのことを「座安」と言っていました――なんてのは、こりゃ一般の内地の人にはそのおかしみはよくワカラナイのだろうなぁ。

 3冊目ともなるとさすがにマンネリ感が漂うのは否めないことですが、テキスト好きにとっては軽く読み流すにはもってこい。4冊目が出たらきっと買ってしまうでしょうね。
 そのときはぜひ、ウチナーンチュでなければ理解できないような沖縄のディープでコアな情報をピックアップしてつくってほしいと願います。


 戦中・戦後の混乱期における沖縄・奄美の状況について書かれたノンフィクションやドキュメンタリーを読み漁ることが、自分にとっての至福の時間となっている今日この頃ですが、いい本をめっけましたですよ。

 奄美諸島は戦後の8年間、本土から切り離され、沖縄とともに米軍政下に置かれていました。
 この時期奄美では、本土で始められた戦後の教育制度改革を取り入れようにも手掛かりは皆無なために、教育団体によって若い教師たちが密航により本土に派遣されたり、また高校を卒業してもその上の教育機関が奄美にはなく、上級学校への進学を切望する多くの若者もまた密航により本土の大学等を目指したといいます。

 このような密航が集中したのは1949年から51年まで。
 5、6トンからせいぜい2、30トン焼玉エンジンのポンポン船に身を託し、まかり間違えば生命の危険さえある黒潮渦巻く七島灘を突っ切って、軍政下の閉塞状況から脱出し、進学していったのだそうです。

 その証言集としてまとめられたのがこの1冊。
 「帝都名月弥清し――密航で東大復学」、「現金輸送密航便」、「北緯三十度線を越えて」、「闘ってこそ青春――軍政に追われて」などをはじめ、生々しくも辛苦極まりない密航体験が21編。
 現地奄美の若い人たちの間でさえ、そんな時代があったことを知る人は少なくなりつつある状況の中で、いわゆる後期高齢者となった当事者が綴る証言はたいへんに貴重なものとなっています。

 振り返ってみると、戦後の一時期奄美経済を支えた「密貿易」については、これまでにいくつかの体験記録を読むことができましたが、上級学校進学のための密航体験集を手にしたのは初めてのこと。
 そういう意味からも貴重な1冊だといえるでしょう。

 大学全入時代といわれる現代ですが、今の進学適齢者たちの学業に傾ける熱意はどの程度なのでしょう。
 彼らは、熱い想いをもって学業を目指していた当時の奄美の若者たちを嗤うのでしょうか。


 ベストセラー「テンペスト」のスピンアウト・シリーズとして書かれた「トロイメライ」の第2弾。
 19世紀、琉球時代の那覇を舞台に、新米岡っ引きになった武太が主人公です。
 水不足の村の貧窮に直面したり、盗みを働いた幽霊のような貴婦人の真相に迫ったり、謎の風水師によって清泉が湧き出る現場に立ち会ったりと、幾多の事件を経験します。
 1冊目ではただのチンピラだった少年が、苦しみもがく庶民のために尽くそうと一人前の役人になっていくさまが見て取れます。

 「間切倒」、「職人の意地」、「雨後の子守唄」、「那覇ヌ市」、「琉球の風水師」、「芭蕉布に織られた恋」の6編。それぞれが難事件の解決に結びつくという短編連作です。
 キャスティングは前回同様で、読み続けていくうちにそれぞれのキャラがますます鮮明になっていくので、読めば読むほど楽しみが増していく感じがあります。

 池上永一の初期作品って、「バガージマヌパナス(わが島のはなし)」あたりがそうだったけれど、若さ丸出しでけっこう破天荒な作風があったと思うのですが、あれから十数年、文体にもある程度の落ち着きが出てきて、オジサンとしては安心して読めるようになって、ちょっとウレシイ。

 ともあれ「テンペスト」、「トロイメライ」の世界は、その舞台となる首里・那覇の当時の様子を読者なりにどう想像するか、想像できるかによって、楽しみかたやその度合いが決まっていくのでしょう。
 そのためにはある程度、地理や位置関係、歴史、文化、時代背景などをわかって読んだほうが楽しいはず。
 その意味では、沖縄偏愛者の自分なんかはこの本のかっこうの読者なのだと思うなぁ。
 まあねぇ、だからなんだと言われても困るのだけれども…。


 「沖縄ブームの落とし前をつけなきゃいけないんじゃないですか」
 著者の一人である下川裕治に対して、島で生まれ育った知人がそう口にしたのだそうです。

 共著者の下川裕治と仲村清司は、沖縄にまつわる様々な事象を従来にない角度から捉え、それを本土の我々にも新鮮な形で紹介してくれました。
 ぼくらはそれらを読み耽り、沖縄の持つ特異性、オリジナリティ、日本としてのひとつの形などを学び、沖縄に深く傾倒していったものです。
 しかし一方で、それが「癒し」とか「楽園」といったいわば本土から見たステレオタイプな沖縄像の形成を助長する一面もあったようで、そのような角度から沖縄についての一種のムーブメントが起こった時期がありました。

 その過熱感が薄らいだ今、ブームの功罪を前にして、二人の著者が自戒の中で葛藤を抱えながらまとめたのがこの本です。

 沖縄の各地に残る「社交街」を訪ね、夜の沖縄を改めて泳いでみるという企画、コザの老舗・京都観光ホテルはなぜ廃業したのかについてのルポ、中城村で廃墟をさらけ出したままとなっている中城高原ホテルの謎の追求、迷走する沖縄独立論について、アメリカが辺野古移設にこだわる真の理由とは何か――など、興味深い項目が21も。

 ブームの時代にはあまり目の向かなかった負の部分、右肩下がりの部分などについて、これまでどちらかというとノリノリかつ脱力感でヘナヘナという感じで数々の著書をものしてきた二人が、一風異なった姿勢で臨んでいます。

 自分はもしかしたら、こういう書物を望んでいたのかもしれません。
 本土では沖縄の皮相的なことだけが喧伝されるきらいがあります。たとえば普天間問題。沖縄の新聞が1面で大々的に取り上げていることが、本土では政治欄の小さな1段記事として扱われる――などということを実際に経験して、ああ、本土の人には正しい沖縄が伝わっていないのだなと思ったものです。

 正も負も、清濁併せて沖縄を知ること。
 それがなければ、本土と沖縄との間の心の距離感はつかめないし、真の意味で互いにわかりあうこともできないのでしょう。
 下川裕治はあとがきで、「沖縄は本土に歩み寄りすぎたのかもしれない。本土は沖縄にかかわりすぎたのかもしれない。」と書いています。
 そのとおりだと思いますが、自分としては、誤解を恐れずにさらに言えば、「沖縄は本土に求めすぎたのかもしれない。本土は沖縄を知らなすぎたのかもしれない。」と考えています。


 現代版組踊「肝高の阿麻和利」をご存知でしょうか?
 沖縄県うるま市の中高生たちによって演じられるこの公演は、その回数200回を超え、観客動員数12万人を超す驚異的ロングランを達成しています。

 その舞台を生で観たことがありますが、若人たちが生き生きと舞い踊り、歌い、躍動する姿に涙が出るほどの感動を覚えたものです。
 それはもう、完成度からすると子供たちのレベルを超えており、全体としてみると日々の練習に裏打ちされた自信に満ち溢れた分厚い表現体と言っていいのですが、その一方で、一人一人の表情は純真な喜びと高揚感、達成感できらきらと輝いているのです。この二律背反するカオスを目の当たりにし、大人たちはたじろぎ、驚き、何かを気づき、思いだし、涙するのですな。

 さてその「肝高の阿麻和利」は、どのようなことが端緒となって始められたのでしょうか。
 そこには地域の子供たちの持ち味を精一杯引き出していこうとする、熱き心を持った教育者がいたのです。
 その人の名は、当時勝連町の教育長の職にあった上江洲安吉(うえずあんきち)。

 この本は、上江洲氏とその理解者によって進められた前例のない教育の成果を活字と写真で綴り、あわせてそのもとで活動した子供たちや保護者、関係者の寄稿をまとめたもの、という体裁になっています。
 「肝高の阿麻和利」がいかにして形づくられ、歩み、育っていったか、またその悲喜こもごもなどがよくわかり、舞台の感動の裏側を詳細に知ることができます。

 上江洲氏を中心にものごとが整理されているために、上江洲氏賛美の様相を呈していることが多少気になりますが、「肝高の阿麻和利」のドキュメントとして価値のある1冊になっていると思います。

 「「肝高の阿麻和利」の歩み~舞台づくりの背景」、「「肝高の阿麻和利~学び、育った人の声」の教育力」、「きむたかの星「上江洲安吉」の人間力~人柄と功績を関係者が語る」の3章立て。
 第1章などは、読んでいてあのステージの感動を想起させる場面が多くありました。


 「自分探しの旅に出たい貴方に贈るスペシャルBOOK」とのサブタイトルが付いたムック。
 テーマは「泣ける石垣島。」

 「石垣島人情物語」では、仲田鮮魚店の治子おばあ、電灯潜り漁を受け継ぐ海人砂川幸徳さん一家、マンゴー農園Patioの小村義信・智子さん夫妻、「彩風」の唄者・仲田かおりを紹介し、まずはありのままで生きる島人や島ナイチャーの人情に触れます。

 「石垣島絶景物語」では、人生の儚さを感じる場所として名蔵湾を、また、神から与えられた生命の尊さを感じる海として御神崎を、そして、霊峰の不思議な力に包まれた山として於茂登岳を、それぞれご紹介。

 そして、「石垣島こだわりの食い所・買い物所案内」では、比嘉どうふ店、anジェラート、メンガテー、金城かまぼこ、いしなぎ屋、みね屋工房、糸洌三線屋などを紹介しています。

 このほかの記事としては、完食!八重山そば、レンタルバイク日帰りの旅、おいしい島ごはんを作ってみよう!、水中写真の世界へようこそ! など、読みどころいっぱい。

 石垣島の宝物とは、本当は、島に集う人たちの気持ちであり、目に見えないものなんだということに気づいてしまった人たちが、きれいな写真と文章でていねいに108ページをまとめあげたのだなと感じられる1冊。
 これを読んでしまえばますます石垣島が好きになってしまい、のめり込みがきつくなってしまうこと請け合いです。(笑)
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 3月~4月に買った沖縄本は、次の10冊です。

1 奄美離島連続殺人事件          田中 啓         宝島社文庫      619
2 海の王国・琉球               上里隆史        洋泉社歴史新書    935
3 誰も知らなかった石垣島物語                    ネコ・パブリッシング  990
4 琉球の時代                  高良倉吉        ちくま学芸文庫    1365
5 完本毒蛇                   小林照幸        文春文庫      700(25)
6 神を描いた男・田中一村          小林照幸        中公文庫     760(410)
7 琉球古道                   上里隆史        河出書房新社     2310
8 琉球怪談(七つ橋を渡って)        小原 隆         ボーダーインク    1575
9 南方写真師タルケンおじぃの沖縄島旅案内 垂水おじい健吾 文芸春秋        1418
10 沖縄オバー食堂              円山正文・平岩モトイ 双葉社         1575

 あれ? 小林照幸は意図したものの、上里隆史も2冊になっているな。
 小林照幸の5、6は古書店から( )内の価格で購入。実数は発売時の税込み価格です。
 1、4、5、6は文庫本、2は新書、3、10はグラフィックなムック、9は観光案内書、7、8はテキスト中心の単行本です。

 このうち3は読了済みですが、最近読んだ本についていつ頃買ったものかを振り返ってみると、これが1年近く前のものもあった。
 ということは、これらの本の一部も1年近くたってからようやく読むことになるのだろうか。

 現在パソコンのわきの本棚に横たわっている沖縄関係未読本を数えてみたところ、34冊でアッタ。
 おやまあ、案外少ないのね。一時50冊ほどはあったものなのだけれど。
 この事実を前に、どう思えばいいのだろうか。
 フツーなら積ん読が減ってよしよしと考えるものなのでしょうが、自分の場合、この調子で在庫が減っていったならば近いうちに読むべき沖縄本が尽きてしまうのではないかと不安になったりして。バカだねぇ…。
 これは、沖縄に関する出版物が減少している、ということが背景にあってのことなので、なおさら脅威に感じるのですけどね。

 でもまぁ、四の五の言っていないで、まずは目の前の書物を読むべきなのでしょう。
 少しずつでも着実に…。