年度末の仕事が進退窮まってなかなか記事を追加できずにいましたが、先週末でなんとか一段落。あ~あ、なんだか精神的に疲れたな。

 そんな中、沖縄本の読書もあまり読み進まず、買った本も少なめです。
 この3か月に買った本は以下の5冊にとどまりました。

 1 カクテル・パーティー        大城立裕         岩波現代文庫   1092
 2 誰も語れなかった沖縄の真実  惠隆之介         WAC        1470
 3 沖縄県謎解き散歩         下川裕治・仲村清司  新人物文庫     1000
 4 弥勒世(上)             馳星周           角川文庫       940
 5 弥勒世(下)             馳星周           角川文庫       940

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 2以外はすべて文庫サイズ。かつて文庫本と言えば、自分のようなビンボー人には重宝したものですが、いまや文庫本でも千円前後のものが多くなったのですね。
 でもまぁ、一昔前なら出版にこぎつけられなかったようなものでも、ネット販売が一般化していわゆる書籍販売のロングテール現象が生じてからは、比較的容易に出版され、手に入れられるようになったことはウレシイ限り。

 1は、以前から読みたくても品切れ状態が続いていたもの。岩波書店がやってくれた!と感謝。
 3は、沖縄マニアの間ではよく知られている下川裕治、仲村清司の二大ライターによるもの。こういう本が文庫化されるあたりに出版界の時代の流れを感じざるを得ません。
 4、5は単行本として発行された数年前から、文庫になったら買おうと思っていたもので、予約にてゲット。しかし、ずっと我慢していたわりにはそう安くなっていないのですね。

 ということで、今年も沖縄本年間50冊読破をめざしてガンバリマス。



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 「闇と癒しの百物語」との副題がついた、100の怪談を集めた作品。
 怪談が「癒し」である、との考え方が新鮮だなと思いつつ読み始めました。

 この本の神髄は、「はじめに」に記されている次のような文章に集約されているように思われます。
 『今まで、沖縄では「怪談」について書かれた本は数多くあった。だが沖縄をひとくくりとした「百物語」は、今まで語られたことがなかった。
 「逆立ちユーレイ」や「真玉橋の幽霊」「識名坂の遺念火」などの怪談話は、すでに古典と化し沖縄芝居になったり、民間伝承として語り継がれている。沖縄での怪談の本といえば、ほとんどがこうした琉球王朝時代の、いわば昔話の時代の「怪談」であって、「現代」の怪談を集めた本ではなかった。
 しかし現代の沖縄にも、さまざまな“怪”が潜んでいることは、明白な事実なのだ。
 この本は、できうる限りの取材を通して、私個人が実際に体験したり直接本人に聞いた話で構成されている。――』

 一話一話興味深く読ませてもらいましたが、“怪”とは、定義できないこと、理解を超えたところから生まれ出る、人間の恐怖という感情に基づいた、一種の自己防衛本能の表れなのだな、そして、つきつめれば“怪”とは、人間の感情そのものなのだなということが、じわじわとわかってきます。
 そしてゆるやかに、かつ着実に、表題にある「癒し」の意味が理解できていく――という仕掛けになっているように思います。

 この本が発売されておおむね1年後となる今年1月、同一著者による「琉球怪談 七つ橋を渡って 闇と癒しの百物語」が同じ出版社から発売されています。きっと第1作が思いのほか好評だったのだろうと推測できます。
 2作目も期待できそうなので、近いうちに購入したいと思っています。


 琉球舞踊を、専門的な見地から少し真面目に追及してみたいんだよなぁ…などと考えていたところ、すごくタイムリーな形で発売されたのがこの本。2,520円と、自分にとっては少々値の張るものではありましたが、躊躇せずに入手しました。

 読んでみるとこれがなかなかにスバラシイ1冊でありました。
 まず、収録されている舞踊の数々はお見事!
 古典舞踊では「かぎやで風」(かじゃでふう、と読んでね。以下同じ)、「特牛節」(くてぃぶし)、「麾」(ぜい)、「作田」(つぃくてん)など29種。
 雑踊(ぞううどぅい)では「花風」(はなふう)、「収納奉行」(すぬぶじょう)、「汀間当」(てぃまとぅ)、「金細工」(かんぜーくー)など17種。
 創作舞踊では「糸満乙女」「パーランクー」など10種。

 これだけの数のメジャーな舞踊が、それぞれを十八番とする師範たちの舞う写真入りで掲載されているのですからたまりません。
 テキストは、各舞踊でうたわれる節々の歌詞及び歌意に加えて、内容と見どころがズバリ!といった感じで解説されています。
 そしてファンを泣かせるのは、それぞれの項に添えられている「師匠のひと言」というワンポイントコラム。名人たちの踊り方の極意やツボが、当人の語るままに記されています。いやぁ、すごいなあ。

 さらに、驚くべきことですが、巻末に「舞踊家名簿(2009年10月現在)」というのが付いていて、500人近くの舞踊家の名前、流派、住所、電話番号が記載されています。
 その気になれば名だたる舞踊家に直接連絡が取れてしまうわけで、これって個人情報保護上大丈夫なのか?と心配になってしまいます。
 かく言う自分も、新垣○○子サンとか、お気に入りの数人の舞踊家の住所をチェック!! でももちろん、そこまでにとどめます。(笑)
 今朝、琉球新報のホームページを見てびっくり! 知名定男が公演活動を引退するのだという。
 以下、琉球新報のページから引用。

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○知名定男さん引退 「若い人に受け継ぎたい」 2012年3月26日
 民謡歌手の知名定男さん(66)が25日、公演活動を引退することを発表した。
 同日、沖縄市民会館で開かれた芸能生活55周年記念公演で知名さんが来場者に、「この公演を最後に引退したいと思っている。考えに考えた結果。理解してほしい」と語った。
 知名さんは2006年ごろからのどに不調を感じていたといい、今後はプロデュース業や後進の育成に努める考え。

 知名さんは父・知名定繁さんの下で芝居の子役として民謡に親しみ、登川誠仁さんに師事。1956年に「スーキカンナー」でデビュー。「うんじゅが情どぅ頼まりる」などのヒット曲を生み、民謡にレゲエをミックスさせた「バイバイ沖縄」など独自路線も切り開いた。
 東京、大阪での琉球フェスティバルやネーネーズのプロデュースも手掛けた。
 2009年には伝統曲から新唄まで民謡101曲を録音した「島唄百景」で第51回日本レコード大賞企画賞を受賞した。

 知名さんは25日の公演で声が出ず、悔し涙を流しながら徳原清文さんや次男の知名定人さんらの歌に三線を合わせた。
 「助けられ、ありがたい。お客さんは納得しないだろう。悔しい」と語り、「先輩方から受けついできた島唄の根元にある大切な部分を若い人たちに伝えたい。それがこれからの自分の役目だと思っている」などと語った。

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画像:芸能生活55周年記念公演で、活動を締めくくる演奏を聞かせる知名定男さん=25日、沖縄市民会館

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 3月26日に55周年の記念公演があることは、知っていました。
 自分は10年前、具志川市民芸術劇場響ホールで行われた「知名定男芸能生活45周年記念リサイタル」を生で体験しており、記念すべき節目として今回も行くべきなのだろうなとは思っていましたが、都合がつかず断念していたのです。

 しかし、こういうことになるとは考えてもみませんでした。
 万難を排して赴くべきでした。

 “公演で声が出ず、悔し涙を流しながら”うたった知名定男の心境はいかばかりだったでしょう。
 沖縄民謡の先駆者たちを若い頃から支え、その道の正統を未来に引き継ぐべき立場を自他共に認めてうたい続けてきた人物が、皮肉なことに喉に病を抱えることになるのですから…。

 自分も長い間沖縄民謡を聴き続けてきましたが、これほどのショックは1998年に嘉手苅林昌が逝去したとき以来であり、愛聴していたうたうたたちが自分から遠ざかっていくような哀しい気持ちになりました。

 知名定男のステージが観られなくなることは、残念などという言葉では表現しきれません。
 痛恨の極みです。
 知名定男の公演活動引退の報に触れ、すっかり気持ちがしょぼくれてしまっている自分がいる。
 ぼんやりしながら押し黙っている自分に気づく。

 どうもこのごろは、友人が突然の病に伏せった、親しくしていた知人の親が亡くなった、自分にとって大事なものを突然失ってしまった、などの、悲しい、もしくは残念な、はたまた苦しい…といったようなことがらが多く、いったんそれらに触れてしまうと、そのことについてついついあれこれと考え込んでしまい、以前のようにそこからにわかに立ち直っていけなくなってしまっている。

 考えても詮無きことは深く考えないようにして、多少の時間をかければ心の傷は着実に癒えていくものだと自分に言い聞かせているのだが、なかなか理屈通りにいかないのが人生というものなワケで。

 なぜ容易に立ち直れないかの理由を、実は自分はよく知っている。
 そういう悲しい、残念な、苦しいことは、おれこそが、おれの感受性でもって、いつまでも忘れずに、ひっそりと自分の心に刻み込んでおく必要がある――と考えるからなのだ。
 大切なのだ。かけがえのないものなのだ。
 そのことは自分自身が一番よく知っていたりする。

 齢を重ねるということは、そうやって辛いことを自分の奥底にどんどんため込んでいく作業なのかもしれない。

 そんなくよくよ中年が、自分の傷に塩を塗るような思いで読んだ沖縄タイムスの記事を引用。
 おれはこれからも知名定男のうたを、密かに自分に対して、声に出さずに歌いかけ続けていく。

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□知名定男、歌声・拍手に送られ芸歴に幕  (沖縄タイムス 2012年3月27日)

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画像:涙をこらえながら「別れの煙」を演奏する知名定男(中央)と定人(左)。右は徳原清文=25日、沖縄市民会館

 「一曲も歌い切れない。こんな不作法なステージになってしまい、すみません」。知名定男が泣いた。
 25日、沖縄市民会館で開かれた芸歴55周年記念リサイタル「島唄百景」。好きな酒も断って臨んだ、歌い手として最後の舞台だった。「最後の舞台だというのに、神様は冷たかったなあ」。本番終了後の楽屋、じっと中空を見詰め、悔しさをにじませながらつぶやいた。

 冒頭の口上で引退を発表した後、ゲスト演目を挟んで再登場した知名。客の注目を浴びた1曲目は「南洋小唄」。いったん歌いだすが、後が続かない。
 「ぬーが、あんすかやんでぃとーるやー(どうして、こんなに変かなあ)」とユーモアたっぷりに中断する。
 「55年はあっという間。何かこう『やみんなよー(やめるなよ)』とか『やーから歌とぅいねー、ぬーぬぬくいが(お前から歌を取ったら何が残るんだ)』と、先輩方が言っているみたいだ」

 だが休憩を挟んでも、歌声は戻らなかった。ゲストの宮沢和史や大城美佐子の歌、舞踊などを挟んでのフィナーレ。知名の伴奏で松田須之吉、徳原清文、吉田康子らが次々と歌う。息子の定人が公演最後の曲「別れの煙」を歌っている途中で、知名の目に涙があふれ始めた。
 「リサイタルといいながら、お客さんを満足させられなかった。歌えない自分が悔しくて、情けなくて…」
 島唄の魅力に目覚めた30代からこだわり続けた情け歌を、「今日は後のことを考えず思う存分歌うつもりだった。最高の舞台にするはずだったのに」。

 それでも客席は温かかった。親子そろって涙で声が出なくなると、自然と会場から歌声が聞こえてきた。
 「お客さんは本当は納得してないですよ。それでも優しく自分を送ってくれた。その気持ちに甘えず、今後は新しい曲作りや後輩の育成に力を尽くしたい」
 今日歌えなかった分、また歌いませんか。そう尋ねた。だが答えははっきりしていた。「二度と歌うことはない。皆の前であんなにはっきり宣言したんだから」

 知名の55年は、島唄の新しい世界を切り開いた55年だった。幕が下りた後、いつまでも拍手は続いた。
(玉城淳)

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 琉球フェスティバル2012(東京開催)の先行予約受付がはじまりました。
 今年の東京開催は、例年から比べると期日がずいぶん繰り上がり、7月22日(日)。いつものとおり日比谷野音での開催だそうです。

 気になる出演者は現在のところ、
  大御所・登川誠仁
  絹糸声(いーちゅぐい)・大城美佐子
  沖縄の元気の発信源・ディアマンテス
  ウチナーミュージックシーンには不可欠の雄・パーシャクラブ
  八重山のひばり・大島保克
  沖縄民謡を歌い継ぐ若き正統・よなは徹

 そして司会はガレッジセール。これもすっかり定着した感があります。

 こういう唄者たちの組み合わせは90年代後半、2000年代初頭の琉フェスを髣髴とさせるものがあり、非常に好ましく思う。
 これにりんけんバンドかネーネーズが加わり、長年プロデューサーとして活躍してきた知名定男が元気に顔を出せれば、ほぼ文句なしというところなのだけどなぁ。

 大阪では長年主催してきたH・I・P大阪が倒産し、去年あたりは開催すら危ぶまれていた琉フェスだけど、しっかりした志を抱き、血統を受け継ぐ後継者たちがその18回目の開催を担っているということは、とても心強いものがあります。

 エイサーの演舞で華を添える団体はないのかな。
 また、当日のサプライズ出演がきっとあるだろうと思っているけど、それは誰になるのだろうか。
 …なんて、いろいろと憶測しながら期待しているところ。

 去年は仕事がかぶったために涙を呑みましたが、今年こそは参加して溜飲を下げたいと思っています。