心の底から湧いてくる歌があるものだ。
 嬉しいとき、やけになったとき、打ちひしがれたとき・・・とシチュエーションはさまざまですが、父を彼岸へと送ったばかりの今、心からしみじみと湧いてくるのは、知名定男の「山河、今は遠く」でした。

 ☆山河、今は遠く     作詞:岡本おさみ  作曲:知名定男

  乾いた街を潤した雨も どうやらあがったようだね
  花屋の角を曲がった店で 友よ今夜も飲もうか
     尽きぬ喜びやりきれぬ思い 切ない別れもあったな
     花束を抱いて照れていた 友の笑顔を思い出す
  澄み切った川の街 退屈だよと出てきたが
  帰るのも悪くはないと なんど思ったことだろう
     故郷が遠ざかる 想い出は近くなる
     口になど出さないが がんばれよ がんばれよ

  妻がひとり娘がひとり さざなみのように平凡で
  10人並の娘にはどうも 好きな男がいるらしい
     祭ばやしが聞こえてくると おやじのことなど思い出す
     浴衣姿にねじり鉢巻で 幼い俺を肩にのせ
  山脈の見える街 老いた母がひとりで
  陽のあたる縁側で 眠りこけてはいないか
     故郷が遠ざかる 想い出は近くなる
     口になど出さないが がんばれよ がんばれよ

 はじめにネーネーズの「愁」(2004年)に収録され、これはアップテンポのものでしたが、同じくネーネーズの「贈りもの」(2010年)収録のものはしっとりとした歌い口で、いい感じで仕上がっています。
 しかしこの歌曲の白眉は作曲者である知名定男によるもので、2007年の琉フェス大阪で聴いたそれには心底泣けました。



 そのときのインプレッションを書き留めていましたので、ご紹介します。

**********
 his favorite の2曲目(1曲目は「ウムカジ(面影)」)は、特に団塊の世代の人々に捧げたいと語って、今のネーネーズもよくうたっている「山河、今は遠く」を。
 スローテンポでしっかりと、表情から察するに万感の想いを込めてうたっているようです。
 岡本おさみの詞に知名が曲をつけたもの。
 人間ある程度齢を重ねてくると、小さい頃には何においても踏み台にしてきた父や母がいとおしく感じられてたまらなくなったりする――ということは、我が身にも覚えがないではない。
 ♪ 故郷が遠ざかる 想い出は近くなる
       口になど出さないが がんばれよ、がんばれよ ・・・
 「がんばれよ――」は、同世代へのエールなのか、それとも自分自身に言い聞かせるものか。
 このフレーズをうたいながら知名は、右手で握りこぶしをつくり、それを振り上げてみせました。
 内なる感動をこぶしで表現してみせた知名に、聴いているオジサンとしても静かに感動。
 そして思うのは、かつて嘉手苅林昌、照屋林助、登川誠仁といった戦後の沖縄民謡界を長く牽引してきた大物たちが担ってきた琉フェスにおける特別な立ち位置が、とうとう戦後世代の知名や大工哲弘へと回ってきたしまったという時間の流れ。
 1974年に産声を上げた琉フェスも、また沖縄音楽そのものも、遥か遠くへと来てしまった――ということなのでしょう。
**********

 本人も気に入っているようで、ライブでは盛り下がることを承知で(笑)愛唱しているようです。
 ごとうゆうぞうが「がんばれよ」という曲名でカバーしている、ということを知りました。

 しかしつくづく、知名のうたはいいよなぁ。
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2011.11.13 真昼御麺
 先に沖縄に赴いた際、ウッドベーシスト・真境名陽一氏が経営する「Music Cafe Kumoji」(at 那覇市久茂地)に、西平和代(vo)、松本靖(key)、真境名陽一によるジャズライブを聴きに行った。
 その際、ステージの合間にカウンターで彼らといろいろ話しているうちに、松本氏の師匠が沖縄ジャズ界きってのピアニスト、仲本正國であることを知った。
 ちなみにネーネーズのひとり仲本真紀は、正國の愛娘なのだ。
 
 興味津々で聞いていると、その隣から西平サンが面白いことを言い始めた。
 なんでも、仲本正國は大道バス停近くで沖縄そばの店をやっており、その名も真昼御麺(まっぴらごめん)というのだそうだ。
 これは行ってみたくなるではないか。

 そば定食

mappira-yasai.jpg 野菜そば

 帰ってからネットで調べてみると、激安メニューやユニークメニューが豊富らしく、B級グルメにとってはたまらないような店のようなのだな。
 メニュー一覧がウェブに載っていたので掲載すると・・・素そば150円、学生そば200円、沖縄そば350円、豆腐そば350円、三枚肉そば420円、四枚肉そば440円、五枚肉そば460円、ポーク卵そば450円、ベーコン卵そば450円、ジャンボそば500円、野菜そば500円、真昼御麺(超極太)500円、竜宮そば(超極細)500円、JAZZ麺500円、那由多そば800円(600gそば/普通のそばの3倍、目玉焼き丼200円、ポーク目玉焼き丼250円、三枚肉丼500円、豆腐チャンプルー420円 ――とのこと。
 うぅ、ジャンク! メニューを見ているだけでも楽しそう。

 なかでもJAZZ麺というのはユニーク。細めん・太麺・豆腐を練りこんだ自家製麺の3種類のジャムセッション!とのことで、それぞれの食感の違いが面白そう。(今もあるのか?)
 また、超極太麺の真昼御麺は、限定で数食分しかないというこの店の目玉(?)。

 食事は安い、はやい、旨いだけではなく、それらに楽しさが加わらなければウソなのだ。

mappira-jazzmen.jpg JAZZ麺

 営業時間は11:30~18:00、21:00~25:00。日曜が定休日だそう。
 仲本正國を拝顔しがてら、これは行ってみるしかありませんね。

mappira-map.jpg
 “がじゃんびら”という地名を初めて目にしたのは、たしか田村洋三が著した「特攻に殉ず 地方気象台の沖縄戦」という本の中でのことだったと記憶しています。
 それは、那覇市小禄鏡水(おろくかがんじ。現在の那覇空港付近)の蚊坂(がじゃんびら)にあったという沖縄地方気象台を舞台としていました。
 インパクトのある地名なのでそれ以来ずっと気になっていて、その跡地になっているがじゃんびら公園を一度車で目指したことがありましたが、どこから入ればいいのかわからず到達できないでいました。
 なので、この次は入念な下調べをして・・・。

gajanbira-map.jpg

 公園の位置取りはこんな感じ。公園の西沿いの小道に何箇所か入り口があるということのようなので、車で行くなら国道331号から那覇そばのある金城交差点から東に入って行くのがよさそうです。

omonogusuku.jpg 御物城

 ビューポイントは、まずは公園の西端にある眺望広場。広場からは那覇港一帯が一望でき、三重城(みーぐしく)を海側から見たり、米軍用地となって立ち入ることができない御物城(おものぐすく)が那覇港内に浮かんでいるのを見たりすることができるのだそう。
 また、眺望広場の一画には美空ひばり「花風の港」の歌碑があり、歌碑の前に立つとスピーカーから美空ひばりの曲が流れるのだそう。

 歌碑

 ついでに近くにある那覇西高校、那覇軍用地等地主会館なんかのたたずまいも見てみようか。
2011.11.17 崎山御嶽
 首里城の南、アカマルソウ通り沿いにある崎山公園にはまだ行ったことがなかった。
 瑞泉酒造の西側に位置し、公園内にはさまざまな遺構があるようです。

 崎山御嶽。巨木に囲まれた崎山御嶽は、察度王の子・崎山子の屋敷跡だといわれているとのこと。御嶽の門(拝殿)は、1865年に木造瓦葺きから石造のアーチ門に改造されたが、沖縄戦で破壊され、現在のコンクリート造りになったのだそうです。

 崎山御嶽

 崎山樋川。崎山御嶽の横にあり、首里大阿母志良礼(高級女神官)が、年中行事の際に崎山御嶽と崎山樋川を参詣したとのこと。元旦には、王様へ献上する若水がここで汲まれたのだそうです。

 「東姓拝所」という、岩の上に石碑が立てられて拝所。崎山公園の首里城側入口近くにあるよう。

 崎山遺跡。崎山公園の首里城側入口、右奥の岩のあたり。旧石器時代の遺跡で、ここで鹿の角や骨などが発見されたのだそうです。

 地図上の楕円は瑞泉酒造。
 ついでに瑞泉酒造も見てこようっと♪

sakiyama-park.jpg
 来月12月の沖縄行きのフライトを確保しました。
 父が病気入院していたため不安定な生活が続き、なかなか遠出とはいかずにいたのですが、今月中には四十九日も終え、仕事のほうも年末近くには一段落するので、それじゃあ久々に行こうかと。

 今年1月以来、5泊6日の訪沖。琉球弧方面への旅は43回目となります。
 今回の芸能三昧は、
 1 琉球新報ホールで行われる琉球大学八重山芸能研究会の本島公演
 2 国立劇場おきなわで行われる組踊公演「花売の縁」
 3 沖縄市民会館で行われる普久原恒勇作曲活動50周年記念特別公演
 4 那覇市民会館で行われる現代版組踊琉球浪漫シアターシリーズの「玉城朝薫伝~組踊誕生」
 5 リウボウホールで行われる新良幸人ライブ「年末だよ、おっ母さん」
などを狙っており、また、
 6 ミハマのカラハーイでのりんけんバンドスペシャルライブ
 7 国際通りのライブハウス島唄でのネーネーズのライブ
なども楽しんでこようと考えています。
 おお~♪ いいぞいいぞぉ。

 さらには、「いちぶさむんみいぶさむん」のカテゴリーで紹介している「がじゃんびら公園」や首里崎山地域をほっつき歩くほか、しばらく行っていなかった間に国際通りにできたという「さいおんスクエア」や、本を読んでぜひともと思っていた「南風原文化センター」などにも行ってみよう。

 もちろん食べ物もこの際十分に堪能しないと。
 ジャズマン仲本正國の店「真昼御麺」や行きつけの首里の「あやぐ食堂」、それから八重瀬町の沖縄そば店「やぎや」もマークだな。
 お土産は、ここはあえて「ジミー」ではなく「なつのや」のアップルパイかな。
 沖縄本や民謡CDなどのチェックも忘れないぞ。
 さーて、宿はどこにしようか。

 ということで、これからおいおいと詳細日程を楽しみながら詰めていこうと思っています。
 いやぁ、ウレシイなぁ! た~のしみだなぁ!

 かつて富盛の大獅子(シーサー)を見に行ったことがある。米軍による弾痕が刻まれた、戦跡としても貴重なシーサーだなと思って見た記憶があります。
 ところがそういう古い石造獅子が首里崎山の御茶屋御殿跡にもあると知って、見に行ってみたくなりました。

 まずは御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)。
 ウィキペディアによると、次のとおり。

 沖縄県那覇市首里崎山町にかつてあった琉球王府の迎賓館でかつ文化の殿堂。
 識名の御殿(しちなぬうどぅん)とも呼ばれた識名園が、首里城の風水上の南(方位の西)に位置していることから南苑(なんえん)とも呼ばれたのに対し、御茶屋御殿は首里城の風水上の東(方位の南)に位置していたことから東苑(とうえん)とも呼ばれた。
 建設・造園は尚貞王代の1677(康熙16)年~1682(康熙21)年の間とされる。
 1683(康煕22)年に琉球を訪れた冊封使一行の接待の一部が御殿で執り行われた。正使の汪楫(おうしゅう)は著書『使琉球雑録』の中で、この付近を景勝の地と讃え、御殿を東苑(とうえん)と名付けている。
 第二次世界大戦で園内の建造物は全て破壊された。現在、跡地には、カトリック教会及び付属幼稚園が建っている。

uchaya-shiisaa.jpg 石造獅子

 獅子は、その「御茶屋御殿」にあった石造りの獅子で、火難をもたらすと考えられていた東風平町富盛の八重瀬岳に向けられていたと言うから、その役割は富盛の石獅子と同じだったようです。大きさも全長1.6mと、富盛の石獅子ほどではないにしろかなりの大きさなのだ。
 18世紀の文人として名高い程順則(ていじゅんそく)が御茶屋御殿を詠んだ漢詩「東苑八景」に「石洞獅蹲(せきどうしそん)」と記され、御殿を火災やその他の災厄から守る獅子が称えられています。
 もとは、現在の首里カトリック教会の敷地にあったが、崖崩れの恐れが生じたので、現在地の移されているとのこと。

amagoiutaki.jpg 雨乞嶽

 この地ではもうひとつの見いぶさむんは、雨乞嶽(あまごいたき)。
 御茶屋御殿石造獅子の場所から、西側に5mほどのところにあり、コンクリートで作られた小さな拝所の回りにブロックが置かれ、可愛いシーサーが並べられているとのこと。
 那覇市教育委員会の説明文によると――。

 雨乞いの行われた御嶽は沖縄各地にありますが、ここは俗にアマグイヌウラキと呼ばれ、干ばつの打ち続く時に王様が親(みずか)ら家臣たちを率いて、この御嶽で雨乞いの祈願をされました。マーニ(クロツグ)の生えた小さな丘を、低い石垣で丸く囲んで聖域とし、石敷きの壇に香炉が設けられていました。
 また、ここから南西方向への眺望の広がりがみごとで、首里八景の一つとして「雲壇春晴(うだんしゅうせい)」(春雨の合間に雨乞いの丘からの眺望が素晴らしい)うたわれています。

 ――とのことです。

 沖縄でアップルパイといえばジミーだと思っていました。
 そのジミーのアップルパイとは、「アメリカのパイを買って帰ろう」を著した駒沢敏器氏のインプレッションから引用すると――。

 蓋を開けると予想どおりの濃厚な香りが放たれ、ナイフを入れた表面はしっとりとしていた。崩れあふれそうになるアップルをナイフで支えつつ、2枚の皿に、切り分けたパイを1片ずつ置いた。僕たちは黙ってパイを食べた。
 最初のひと口から美味しかった。洗練の度合いを上げた日本のアップルパイにはないような、アメリカの家庭の甘さだった。しっとりとした皮はフォークを入れてもぼろぼろと崩れはせず、リキュールを含んだアップルを口のなかで力強く包みこんだ。甘いのに飽きることはなく、さらにもうひと口を食べたくなり、やがてその甘さに慣れてくると、なぜだか懐かしく心が平和になってきた。これなら定番になってしまうはずだ。毎日のように食べようとまでは思わないけれど、ふと目にしたらついつい買ってしまうだろう。
 いい意味での凡庸さを残した甘みと香りに、初めてこれを口にした沖縄の人は何を感じただろう。やはりそれは羨望だろうか、それとも憎悪と紙一重の共感なのか。フェンスで隔てられた向こう側とこちら側が、たとえばこのようなパイを通して接点をじかに持つとき、そこにはどんな交流があったのか。僕はこのアップルパイの生誕を知りたくなった。それくらいに、ジミーのパイは日本のパイとは決定的にどこかが違っていた。

 ジミーのアップルパイ

 Ummm・・・涎が出そうだ。自分が食べたときにも、上記のような感慨を持ったものです。
 しかしなのだ。
 コザ出身の人は「ジミーなんかよりも、コザにある“なつのや”のパイの方が上だ」と言うのだそうですよ。
 まぁ、食べ慣れたものが美味しいということなのだろうけど、そのなつのやのアップルパイにも興味が湧いた。

 なつのやは、昔はゴヤのピラミッドの隣にあったそうですが、今は移転して、高原交差点からライカム交差点に抜ける道沿いにあり、職人も代替わりしているとの情報があります。

 食べログに寄せられた利用者の声によれば、1ホール630円と格安で、しかもおいしい、味が値段以上にしっかりしていてパイ生地はサクサクふわふわ、りんごの味も甘すぎずしつこくなく、フワッと口に広がり、ほっこりする味、とのこと。

 これは食してみなければなるまい。一人旅だと1ホールというのはなかなか辛いのだけれどもな。
 お土産にするにも、あまり日持ちしない代物であるだけに、おれとしては悩むところだ。

 沖縄市高原4-12-23 営業時間:10:00~20:00 定休日:日曜 だそうです。

natsunoya-apple.jpg
上:なつのやのアップルパイ

 ふと思い出したのだけれど、1970年代初頭に、ドン・マクリーンという人が歌って大ヒットした「アメリカン・パイ」という歌があった。
 フルバージョンだと9分くらいあって、はじめは静かに、そして途中からアップテンポになる独白のような歌で大好きだったのだが、この歌詞って、なにをどう歌っているのだろうか?
 含蓄が深すぎていまだに謎なのだが、この場合のアメリカン・パイは、ミス・アメリカン・パイであって、実在の誰かをパイか何かに投影しているのかもしれません。

natsunoya-map.jpg


 先に読んだ「沖縄陸軍病院南風原壕」(吉浜忍ほか著)は、なかなか参考になる図書でした。
 戦争遺跡として沖縄陸軍病院南風原壕を保存、公開、活用していくための、南風原町の関係者の平坦ではなかった取り組みについての報告書で、著者たちは南風原壕の文化財指定や調査に実質的に関わってきた人たちですので、壕に対する熱い思いが伝わってきます。

 その豪を管理している南風原文化センターでは沖縄戦、移民、むかしの暮らしなどについての展示があるそうで、それらもなかなか興味深そう。
 2009年11月、新しくなってオープン。

 ということで、まずはそれらを見て、それから、予約制のようなのでチャンスがあればということですが、豪にも入ってみたいと考えています。

haebaru-map.gif
 現代版組踊「肝高の阿麻和利」でかっちん(勝連)の青年たちを燃え上がらせたタオファクトリーが、新たな目標に向かってReStart!
 新たな観光のモデルケースとして、現代版組踊を通して琉球の歴史・芸能・文化を知ってもらおうと、年12回、現代版組踊公演をシリーズとして行う、というのがこの「琉球浪漫シアター」。
 そのシリーズⅡが11月からスタートしています。

amawari2.jpg

 この年末に沖縄を訪れる予定ですが、その際には那覇市民会館で開催される「玉城朝薫伝~組踊誕生」はゼッタイに観たいと思っています。
 12月25日、18時30分開演。料金はたったの千円だそう。

 以前一度、「肝高の阿麻和利」を生で観たことがあります。ステージのみならず観客席全部を使って躍動する若者たちを見ながら、文化ってスバラシイ!などとしみじみ感動しましたが、あの感激をもう一度味わってみたい。
 そして、彼らのその後の進む道が観光客におもねることなく正常に進化しているかについても、考察しながら確認してみたいと思っています。

 しかし、この集団の指導者だった平田大一は今や県の文化振興部長だものなぁ。沖縄県も思い切ったことをやるものだ。


上:これこれ。このシーン、生で観たんですよね~♪


 「アメリカー達(たー)の泳いで来るん(ういじちゅん)ど」――
 終戦直後、浜辺で遊んでいた女の子たちの前に現れ、そのうちの一人、小夜子を弄んだアメリカ兵たち。
 そのアメリカ兵達に復習するべく一人銛(もり)を手に立ち向かったのは、知恵が総身に回りかねる盛治。
 小夜子は気がふれてしまい誰とも会わずに家に篭る日が続き、盛治は当局に捕らえられて厳しい尋問の日が続きました。

 そんな一生を棒に振った二人のその後の物語は感動的。
 60年の時空を超え、晩節を介護施設で送る小夜子が海を見つめたままふっと発した
「聞こえるよ(ちかりんどー)、セイジ」
の言葉には鳥肌が。
 世の中にこのような不幸があっていいものか。
 静かであっても、愛はかくも強いものなのか。

 盛治の心情をウチナーグチの独白で表現している箇所が随所に出てきますが、それは圧倒的な内向と他を寄せ付けない孤立感が実にうまく表現されていて秀逸。
 読んでいる環境はそれぞれでも読者たちはこれを読んで、目取真ワールドの陥穽へとどっぷりはまりこんでいくことでしょう。

 純文学の持つ力は偉大だ、ということを再認識。2007年発表。いい作品だと思います。


 米沢の上杉藩は、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主として名を馳せましたが、その後朝敵となり、けっして順風満帆ではない末路をたどっていくことになります。
 その米沢藩の最後の藩主が、この本の主人公、上杉茂憲です。
 茂憲は、当時としては僻遠の地であった沖縄県の県令を命じられます。
 当時の沖縄は、日清両属であった琉球王国の古い制度や慣習がそのまま残っており、人々は貧窮の底に喘いでいました。
 茂憲は、持てる力のすべてを投じて全県をくまなく回ってその実態を調べ上げ、中央政府に対して何度も窮状を訴える上申書を提出します。
 また、教育にも力を注ぎ、優秀な青年たちを留学生として本土に送り、沖縄の近代化の種を播きました。
 沖縄では本土から送られてくる官選県令は総じて評判がよろしくありませんが、そのなかで上杉茂憲は、善政を施したとして、敬愛される数少ない一人となっています。
 そのことは、私も山形の人間の一人として、非常に嬉しく思っているところです。
 その茂憲の生涯を、童門冬二がものするというので、発売後直ちに入手し、勇んで読みました。

 茂憲は上杉鷹山公の精神を体現し、沖縄の実態をしっかり把握して中央に正しく伝えることを旨としたようですが、それが結局は政府の旧慣温存策に背くこととなり、志半ばにして県令不適格のレッテルを貼られ更迭されるという残念な結末になります。
 しかし、正義、大義は貫かなければなりません。その時代には認められずに不遇の日々を送ることになろうとも、彼の沖縄における評価が証明するように、その志は必ずや認められるときが来るはずです。
 茂憲の生き方は現代においても見習うべきものが多いなと感じながら読みました。


 八重山毎日新聞の常設コラム「不連続線」に、2002年7月から2009年10月までに掲載された283篇のうちから、211篇を抜粋して収録したもの。

 「不連続線」は八重山毎日新聞のホームページでときどき読んでいたのでなじみのあるものでしたが、これが1969年から連綿として続いているものであったことは知りませんでした。

 著者は、八重山の自然風土・伝説・歌謡・歴史などの文化の魅力を読者に伝えたい、そしてなるたけ八重山の先人の言葉を紹介したいと心がけながら執筆したようです。
 また、どのような話題であっても、絶えず八重山の現在の状況の問題点と将来の課題を念頭におきながら、読者と共に考えようと心がけたそうです。
 そしてこのあたりが美しいのですが、「そういう私の心の中でBGMのように流れていたのは「ゆーばなうれ」という村共同体の豊饒=ミルク世果報=を祈る言葉であった」と。いいではないですか。

 「八重山の豊年祭(プーリィ)」、「八重山出身ミュージシャンの活躍」、「人頭税シンポジウム」、「うるずん」、「「赤馬節」300年」、「山之口獏と八重山」、「民謡歌手・宮良高林の再評価」、「とぅばらーまと月」、「キジバトの鳴き声」、「島クトゥバで語り継ぐ戦世」など。
 1項目が1ページ程度。そんなに短い中で端的によくまとめられるものだと思う反面、いずれも言葉足らずの印象がどうしても残りますね。
 文章というものは奥が深いな。


 沖縄本島北部突端に、カミと交感し、死後の世界と隣接する場所がある。フクギの緑豊かな美しい聖域、備瀬である。
 ――ということなので、買ってみました。

 「むすびにかえて」で、著者は次のように記しています。
 『わたしがはじめて備瀬を訪れたとき、なぜか遠い昔を想わせる懐かしい心持ちにさせられたことを思い出します。一言には表せませんが、フクギから注ぐ木漏れ日、ジリジリ照りつける太陽、心地よい潮風、樹木や草花の匂い、枝葉のざわめき、鳥のさえずり、セミの鳴き声、何もかもが自然と一体化していた幼少の時代がよみがえってきます。
 あなたにも、経験があることでしょう。訪れてもいないのに夢で見たことがあるかのような既視感がある景色を目の当たりにした瞬間(デジャヴ)。あるいは隣町をいよいよ越え“知らない街”に踏み出したときの新鮮さや、もう帰れないかも知れないという多少の恐怖感。あやまって里山の森深くに入り込んでしまったときの何ともいえない非日常性。あなたにしか見えなかった不思議な何かや異次元へのトンネルなど…。』

 このことはまったく同感であり、自分が「沖縄」に感じていたナニモノかをずばり言い当てているようです。

 とまあ、ここまではいいのですが、実際に読んでみると、著者が備瀬をフィールドに聴き集めたことを、「聖空間」といういわば一面的な見地から詳細にまとめてみました、というつくりになっており、学術的でない読者の一人としてはやや消化不良のまま読み終えてしまいました。

 第1章でまず備瀬の聖域と空間世界について概括し、第2章では備瀬の葬制、備瀬のウチとソトをめぐる境界性、他界観と再生感などを詳述しています。
 これって、フツーの人にとってはそう興味の向く事柄ではないし、それよりもまず備瀬って、多少は独特であっても、他の集落とそんなに大きくは変わらないんじゃないの、という疑問。
 まあ、そんなことを考え始めてしまったから、真摯な姿勢で読むことができなくなった、ということなのでしょうけど。


 早くから沖縄の本土復帰に疑問を呈し、沖縄の自立を模索してきた沖縄のイデオローグ・川満信一。沖縄に生を享けた者として、内側から激しく、鋭角的に突き進んでいく実践的思想家として、故・岡本恵徳、新川明とともに「魔のトライアングル」として並び称された方です。
 当書は著者の時々の論考を集成した新書です。

 復帰運動を振り返る(1998)、転換期に立つ沖縄論争(1969)、琉球の自治と憲法(2007)、琉球共和社会憲法C私(試)案(1981)、往復書簡 沖縄をめぐる対話(2008)、反復帰の社会資源と「琉球共和社会/共和国憲法〈私・試案〉」の意義(2008)、「在日」「差別」「祖国」を超えて(2001)、済州島の海風-四・三済州島虐殺事件60周年集会に参加して(2008)、意場の思想とは何か(2004)。《カッコ内は発表年》

 中でも印象的だったのは、琉球独立を論じるときに不可欠な「琉球共和社会憲法C私(試)案」を中心とした論考と、佐藤優との間で「沖縄の国体」をめぐって議論が交差していく「往復書簡 沖縄をめぐる対話」を含む第2章でした。

 著者の沖縄自立論を知る上でその真髄と思われる記述がありましたので、引用しておきます。

 『私の沖縄自立論は経済問題でもなく、「その方が心理的に楽になる」という地理的なエゴイズムに基づくものでもありません。沖縄は21世紀に向けて、世界に対しどのような役割が果たせるのかという問題を考えるのが沖縄の自立なのです。日米新ガイドラインによって、沖縄の基地が東アジアをはじめ中近東から世界全域をにらむ形で軍事機能を果たしていくというのは、生きていく上で許しがたい現実なのです。沖縄の基地から出撃した米軍がベトナム戦でくりひろげた人間の無残さは、身近な体験として、いまでも生々しく残っています。そのような歴史的体験から世界の人々に対して、特にアジアの人々に対してどのような役割が果たせるのかということを一生懸命考え、そのスタンスから外れないのが沖縄の自立なのです』
  sunano.gif  oki-kara.gif

 この3ヶ月の間に買った沖縄本は、先に紹介した古書7冊のほかは、次の9冊でした。

1 石垣島唐人墓の研究        田島信洋    郁朋社              1575
2 沖縄のうわさ話(金)         tommy     ボーダーインク          1575
3 上杉茂憲 ―沖縄県令になった最後の米沢藩主 童門冬二  祥伝社新書    798
4 沖縄から撃つ!            岡留安則    集英社インターナショナル  1365
5 南沙織がいたころ          永井良和     朝日新書             819
6 砂の剣                 比嘉 慂     青林工藝社           1260
7 マブイ                  比嘉 慂     青林工藝社           1260
8 風音                   目取真俊     リトル・モア           1365
9 不屈(第3部 日本復帰への道)  琉球新報社編                    2480

 3ヶ月間に16冊も購入ってことだよな。う~む・・・読むペースをやや上回っているかなぁ。
 読んでも尽きない程度に沖縄本は発行されているということであり、マニアとしては喜ばしいことと思わなければならないのだろうな。

 3はすでに読んでしまいましたが、我が郷土山形と沖縄をつなぐキーマンの一人を扱ったもの。
 6、7はマンガ。筆者には「美童物語」という秀作があり、なかなか哀愁のある筆致なのだ。
 8は、最近読んだ「眼の奥の森」が秀作だったので、同じ著者の未読モノをということで購入。
 連作の9は、2009年春以来の続刊。ずいぶん間が開きました。
 異色なのは5。小さかった頃の超人気アイドルとその時代をどう腑分けしてくれるか興味のあるところです。

 さあ、本腰を入れて読まなければ!