八重山地方は昔から、もともと住んでいた人たち以外の人々を受け入れ、八重山らしさを損なうことなくうまく調和しあって社会をつくりあげてきた歴史があり、そういう意味からよく「八重山は合衆国だ」といわれるそうです。

 その昔には、「島分け」といって、税収の確保や人口調整のために王国の一存による強制移住が行われ、「つぃんだら節」や「まざかい節」などの悲しい民謡や民話が生まれました。

 また、明治の廃藩置県以後には大和寄留民といわれる人々が入ってきて、製糖業や商業、カツオ漁業などを興し、沖縄本島からも廃藩で禄を失った首里や那覇の士族がやってきて、泡盛製造業などの諸業をもたらしました。

 明治中期頃からは、糸満を中心とする漁民もやってきて、漁の仮住まいから次第に定住するようになり、さらに昭和に入ると、台湾が日本の植民地になったことから、台湾人がパインや水牛による農法をたずさえて農業移民として入植してきました。

 さらに戦時中には、沖縄県の振興計画に基づき本島から開拓移民が行われ、戦後においても食糧難や米軍基地建設などと関連して開拓移民が多数流入してきました。

 当書は、このような「八重山合衆国」について、公的な領域と、著者の私的な領域の2方向からまとめられています。
 公的領域としての第1部は、近世以来の伝統的八重山社会が、その外側からどのようなインパクトを受け、今日に至ったのかについて、八重山移民の歴史を検証したものとなっています。
 また、第2部では、著者の祖父であり自身が寄留民であった三木専太郎を中心に、四国で生まれた専太郎が台湾を経由して八重山に定着していく軌跡を描いています。

 1部、2部ともに読み応えたっぷりで、そこに記されている一人ひとりのさまざまな奮闘努力は、八重山の正史にはなりえないにしろ、歴史の荒波にもまれながら各自の生を精一杯生きている姿が垣間見られ、感銘を受けました。
 やはり歴史というものは、ミクロの立場から見たほうが数段迫力があるし、身にしみるものとして理解できるものなのですね。
 強く推薦できる1冊です。
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 「沖縄のおさんぽ」というフォトエッセーをめくっていて、その背表紙にあった写真を見て「あっ、こういうところで暮らしたい!」と思ったので、その画像をスキャンしてみました。

 なんにもない、フツーの沖縄の集落です。
 電気が通っていて、道があって、まばらに集落が形成されていて、街まではクルマで20分、という感じでしょうか。
 陽がさんさんと降り注いで、日中はブチクンして部屋で午睡。いつでも行けるイノーには夕刻から缶ビールを手に散歩に出て、海を見ながらゴクリと・・・。

 太陽の向きから察して、向こう側の海は東海岸。石垣島の白保あたりなのかなぁと想像します。


 これまたうまそうな沖縄そばにじゅうしいですね。これ、首里末吉町にあるお店「しむじょう」のものです。あぁ、沖縄そばが食べたくなったぞっ!(笑)

 きれいなきれいなフォトエッセー集。
 著者のねらいはどこにあるのかというと、それは「まえがき」にヒントがありそう。
『沖縄へ来て、青い空、きれいな海を見て、おしゃれな場所で美味しいものを食べる……。そんなありふれたロケーションは、切り取られたセピア色のフレームのような思い出にしかならない。
 日本であって日本でない沖縄という地は、歴史的に見ても暗黒に彩られた時期がある。でも、彼らは逞しく陽気に生きてきた。いまでもそうだ。
 そんな人たちと少しでも触れ合うことで、青い空がもっと青く見え、きれいな海がよりきれいに見えてくる。そこに住む人たちの動向を知ることで、景色も食べ物の味も違ってくるのだ。』
 ――イエス。表面だけを見ない。深く掘る。旅の基本ですなぁ。

 工房やギャラリーやカフェなどを訪れ、オーナーなどの話を聴きながら、その生活の瞬間、瞬間を風景とともにきれいな写真で切り取っていく、という手法。
 行き先はさらに市場のアンマーター、大工テッチーの島唄教室、御嶽やバーなどにも及んでいきます。

 写真も著者自身が撮影。それらを眺めながら、今沖縄で、沖縄らしい風情や風景が着実に減ってきていることを痛感。この写真にあるような沖縄らしいほっこりとしたたたずまいや表情は、今後も着実に本土のものとそう変わらないものにとってかわっていくのだろうと思うと、暗澹たる気持ちになります。
 そうだ。だから、今のうちにこういうものは買っておかないとな。振り返ることさえできなくなってしまわないように・・・。

 当書読了にて、沖縄本500冊読破となりました。
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 沖縄関連の本を読み始めて、とうとう500冊に到達しました。
 思い起こせば1993年、沖縄旅行に行くというのでその下準備にと、高良倉吉著の「琉球王国」(岩波新書刊)という本を皮切りに、読みも読んだり。

 その中でもとりわけ印象深いものとして、「沖縄文化論―忘れられた日本」(岡本太郎著、中公文庫)、「てるりん自伝」(照屋林助著、北中正和編、みすず書房)、「沖縄~その危機と神々」(谷川健一著、講談社学術文庫)、「死と再生の原郷信仰~海を渡る神々」(外間守善著、角川選書)、「音の力<沖縄>コザ沸騰編」(DeMusik Inter編、インパクト出版会)、「パイヌカジ―沖縄・鳩間島から―」(羽根田治著、山と渓谷社)などが挙げられますが、そのほかにもたくさん、感銘を受けたり新たな知識を注いでくれたりしたものがありました。

 つくづく読書とは人生を豊かにするものであるなぁと思うし、またその一方で、いくら読んでも興味は尽きないし、読む本もまた尽きないものなのだなぁと。

 そして、それらの1冊1冊についてずっと読後の感想を書いてこれたことにはただおどろくばかりです。
 それというのも、一人だけの作業にはならないホームページやブログというツールがあってのことであり、ウェブの力と、その作業を遠くから見守ってくれている自分の知らない人々の静かな支援に感謝しなければなりません。

 18年で500冊。けっして速いペースとは言えませんが、べつに無理をして義務的に読むものでもないし、これからも楽しく、興味の赴くままに沖縄のあれこれについて読み漁っていきたいと思います。



 七つのマブイ(生魂)の話を知っていますか?
 もしもマブイを落としていたら大変! マブイを大切にし、神さまや霊のメッセージに耳を傾けてみてください。
 ――と、自信たっぷりに語りかける霊能者が自ら記す、スピリチュアルメッセージです。

 この上間司という人は、今帰仁村に生まれ、お告げにしたがって1988年頃から神に仕える身となり、沖縄を中心に国内、海外を問わずマブイ込みやヌジファ(神や霊の救い上げ)を行っている人――と、著者略歴にありますが・・・。

 著者が実際に解決した事例を紹介しながら、マブヤー、ヌジファの大切さ、そして、霊症に振り回されて通らない拝みを何度となく繰り返すことの無意味さについて滔々と語られていきます。

 私は「見えない」ほうなので、「見える」著者が語る内容の全容がよくわからないところがありますが、この世の中に、著者が言うようなヌジファが必要な事例がこんなにたくさんあるものなのでしょうか? というよりも、取り憑かれることって本当にあるのでしょうか??
 自分も実はこのところなにかとうまくいかないことが多いので、一度「見える」人に診てもらったほうがいいのかも・・・などと、読みながら弱気になってしまうのですけどね。

 自分の身によくないことが起きるといけないので、この領域については多くを語らないことにしたいと思います。
 ここに至ってもはや完全に弱気。(笑)


 「21世紀のひめゆり」(2002年11月、毎日新聞社刊)を再編集、加筆・修正し、改題して文庫化されたものです。

 1945年3月26日からおよそ90日間、非戦闘員であるはずの「ひめゆり学園」の320余名は日米両軍が激突する戦場へと動員され、13歳から19歳までの無辜の227名が死亡。
 ガマの内部では「学生さーん、水をくれー」と叫ぶ負傷兵を看病し、寝静まった夜のガマにはウジが患部を食う音が密かに響く。最終局面では、降伏しようとする日本兵の背を日本兵が撃ち、美ら海が血の色に赤く染まり、ともに従軍した女学生たちが銃弾で、手榴弾で、次々に息を引き取っていく。
 そんな“人間が人間でなくなっていく”戦場を体験して生き残り、戦場体験を語り継ぐ語り部となった宮城喜久子。
 その先輩で、1フィートの会で記録映像を通じて沖縄戦の実相を伝える活動をつている中村文子。
 本書はこの二人に焦点を当てつつ、戦後の日本と沖縄の実態に迫っていく――というつくりになっています。

 戦時中の実相を詳細に記すというものではなく、二人の戦争体験の記憶やまなざしを通してその後の沖縄をめぐる情勢を追っていくものになっていて、文庫版ながら全540ページ強の重厚なもの。
 活字が小さくびっしりと書かれています。文字が多く値段が安いのがコストパフォーマンスだとしたら、この本は満点以上でしょうね。(笑)

 全6章で、「沖縄戦と9.11を生き抜く」、「建立「ひめゆりの塔」」、「星条旗への反乱」、「日本(本土)への愛と憎しみ」、「映像の中の沖縄戦、証言の中の沖縄戦」、「語り継ぐ戦争」。
 「文庫版あとがき」で2002年以降の“それからのひめゆり”について20ページにわたって追加して記述されているほか、「解説」は外務省のラスプーチンといわれた佐藤優が12ページ書いています。

 ひめゆり関連の書物を読んでいつも思うのは、幸いに命を失わずに済んだ人たちが、幾多の友人を失いながらもなお、生きていかなければならないことの重責やしんどさについて。
 このたびの東日本大震災で生き残った震災地の人はもちろん、広い意味ではわれわれも同じであり、亡くなった人々のためにもわれわれは「生きること」にこれまで以上に真摯に取り組まなければならないのでしょう。


 「百年の思想」という表題がカッコよく、その表題の脇に河上肇、伊波普猷、瀬長亀次郎、沖縄イニシアティブ、小林よしのり―とあるので、これはきっとそれぞれの論客について詳述したものではあるまいかと考えて購入しました。
 しかし実態はちょっと違っていたようで、名護生まれの西銘圭蔵さんが医師としての日々を終え、大阪大学の大学院で「日本学」を学び、その研究論文「沖縄をめぐる思想を考える―小林よしのり「沖縄論」を中心に」をベースにまとめたのがこの本、ということのよう。

 自分からすれば、小林よしのりがどんなにゴーマンかまそうとも、そんなくだらない物言いにはいまさら耳を貸すつもりはないので、どうでもいいんじゃないの、という思いでしたが、著者はそんなに甘くはないようです。
 小林による沖縄褒め殺しが沖縄住民に一定の影響を与えていることを憂え、その稚拙な歴史解釈を糺す必要性を感じたことが執筆の動機のひとつだ、と語っています。
 フムフム、確かに彼の歴史解釈は稚拙だよね。

 その意図が有効に働いたかどうかについては読者それぞれが判断することになるのでしょうが、自分としては、あまりにレベルの違う議論に小林のような珍説をもちこんで比較してもなあという印象。
 また、著者にも失礼になってしまいますが、どちらも理屈っぽくてよくわからんなぁというのが、正直な庶民感覚ではないでしょうか。
 論文は、多くの人に読んでもらいたいならば、もっと平易に記述すべきです。これは真理。

 それから、あまりにも引用部分が多く、全体のまとまりが不足。それに、全180ページ中、付録が60ページというのもいただけません。これでは「引用集」ではないでしょうか。

 ということで、消化不良気味の1冊。それぞれの論客をきちんと扱った本が読みたいですねぇ。


 2年ほど前に、「或るクニンダンチュ(久米村人)の95年、心の軌跡」という副題につられて購入した本。
 400ページ超、1,905円、琉球新報社発行という体裁等を鑑み、コレハきっと、95歳を超えた老クニンダンチュが、帰化人としてのこれまでの生き様を、ある種の矜持を持って一代記風に訥々と語っていく――というものであろう想像して、勇んで購入しました。

 しかしですな、世の中には勘違いというものは多いもので、その表現方法はいろいろとある、ということなどについては思いが至りませんでしたよ。
 それというのも、全編の大部分が短歌。短歌でないと思えば、それは詩。非常に稀に散文、という構成だったのですな。

 申し訳ないのですが、おれ、短歌や詩についてはその味わい方を知らず、詠んだり書いたりする人の深い思いや感動をその人の身になって味わえるほどの想像力や時間的余裕などを持ち合わせていません。
 短歌や詩はいずれリタイアしてからでもゆっくりと読ませてもらうことにして、ほぼスルー。

 文章形式の部分については一通り読ませてもらいましたが、小渡有得というタンメーが書きしたためた様々な文章を、その子孫たちが集まって取りまとめたという形式なので、なんだかピンからキリまでごった煮のようになって載せてあるような印象。
 またその文章は、その時代時代の様相や事象等を表現している部分は多くなく、著者としての考えや思索、深い懊悩などの表現も多くないため、著者の人生の背景を知りながら読むような体裁にはなっていません。
 まぁ、著者の人となりなどをよく知っている人が読むのであればこれでもいいのでしょうが、あの副題を期待して読む人にはうまく伝わるかどうか、疑問です。

 巻末にあった「旧那覇の歴史・民俗地図」(那覇市歴史博物館提供)は、これは価値がありました。


 米軍占領下の沖縄で沖縄人民党を組織し、圧制に対する抵抗運動を行った瀬長亀次郎をご存知ですか? その長女の瞳さんが初めて綴ったエッセー集です。

 カメジローは、2001年10月5日、94歳で死亡。脳梗塞で倒れた後の最晩年は、長い間の病院生活となっていたようです。
 その妻・フミは、自らも那覇市議を4期務めるなど政治面でも活躍しましたが、著者たちにとっては忍耐強くて躾の厳しい、超倹約家のやさしい母親だったようで、この本を出版するべく準備を進めていた2010年6月に101歳で逝去。

 カメジローの時代は終わりましたが、彼が解決しようとした沖縄特有の様々な課題の多くは未解決のまま現代につながっているように思えます。
 そして、彼らが気骨を持って目指していた理想もまた、今もなお正しいものだろうと思います。
 我々は、彼のような政治家がいたこと、彼らが目指したもの、あの気概を忘れず、彼らの活躍を後世に伝えていく必要があると考えます。

 その一助となる1冊がこの本です。
 家族に向ける娘の視点から書かれていますので、優しさや愛情がたっぷり。加えて、家族しか知りえないような亀次郎とフミのエピソードも豊富で、読んでいて微笑ましかったりする部分も。

 第1章「やさしく、つつましく」では、母・フミの思い出を、第2章の「信念をもって、不屈に」では父・亀次郎のエピソードを、第3章「今、思うこと」では、カナダのトロントに住む著者の、32歳で逝った息子や平和に対する想いなどを、そして第4章は、亀次郎らの次女の内村千尋が筆を取って「最晩年の父母とその後」について、記しています。

 表題の「生きてさえいれば」は、著者が遠いカナダへと一人旅立つときに、那覇空港に見送りに来た母が、目にいっぱいに涙を浮かべてたった一言、発した言葉だったそうです。
 やさしいお母さんだったのですね。感動しますね。


 1950年代から70年代にかけて、日本本土が高度経済成長へ向けて走り始めていた頃、沖縄はまだ、アメリカの支配下にありました。
 いわば本土にとって沖縄は、日本の歴史年表上の空白になっているわけですが、そのことを埋めるように、数々の貴重な写真と、1956年以降ずっと沖縄を見守ってきた著者の書く文章が織り重なり、魂の静かな怒りがうまく表現されています。

 Ⅰ部は「写真が語る米軍占領下の沖縄」。
 嘉手納基地のゲート付近を車から帽子を振りながら嬉しそうに行くアイゼンハワー、「私達は日本人です」の横断幕とともに那覇の又吉通りを行進する中高生たち、竹馬で海を渡って通学する奥武島の男子中学生など、見ていてその時代をしみじみと感じることのできる写真がずらり。
 とりわけ衝撃的だと感じたのは、ハンセン病ゆえに村はずれで27年も一人で暮らす老女とその粗末な茅葺の小屋を撮った写真。いくら無知や偏見によるものだったとはいえ、それはないだろうとこちらまでくやしい思いがします。

 Ⅱ部の「つなぎとめる記憶のために」は、著者の手による折々の記が中心。
 印象深かったのは、「記憶の中に生きる人々」として書かれた、何らかの形で知己を得ながらもすでに亡くなってしまった人たちへの追想。
 近田洋一、比嘉康雄、金城哲夫、岡部伊都子、緒形拳ら10人が掲載されています。
 近田氏の項では、友人の通勤途上にずっと付きまとった蝶をもとにしてつくった剥製の話から。著者から「沖縄では死者は蝶になってこの世によみがえる」という話を聞かされていたその友人は、この蝶こそ今は亡きジャーナリスト近田洋一の化身だと確信した――という話から、物語は始まります。

 著者が発する沖縄をめぐっての考えは、長年の取材経験としっかりした底辺思想に支えられているためか、一言一言が実に重く、ゆるぎがありません。最近読んできたものとはすでに質感が違う感じがするのですね。
 論評というものはこうありたいもの。まずは書く者の心の本音というものがよく見えなければねぇ。
 難しい言葉をこねくりまわして、さあどうだ!と粋がって出すものではない、ということですな。