どけどけっ、事件だ! 俺の出番だ!
 琉球王国を題材にした、あの孫寧温が大活躍した超大作歴史絵巻「テンペスト」の上梓から2年。今度は舞台を首里から那覇の街にうつして、見習い岡っ引きが捕り物を繰り広げます。

 時代は19世紀、日本で言えば幕末時代の琉球王朝。崇元寺付近から、当時は干瀬を隔てて島になっていた浮島に向かって美しい長虹堤(ちょうこうてい)が伸びていた時代です。
 無職の三線弾きだった武太(むた)は、街のかけこみ寺の長老住職の口利きもあって、新米岡っ引きに任命されます。
 意気揚々と正義に燃える武太でしたが、世の中そうそううまくは運ばず空回りするばかり。
 毎夜どこかで起こる事件に携わりながら、世の出来事に振り回されて一喜一憂する庶民の人情に触れ、少しずつ大人へと成長していく青年の姿が生き生きと描かれています。

 時代背景で若干不整合な部分などがありますが、そこはエンターテインメント小説。すべて許して読み進めましょう。
 表紙のイラストは長虹堤。この絵に描かれている人たちが登場人物です。こんなに広々とした長虹堤のはずはないのですが、商都那覇の猥雑な雰囲気がよく出ていていい感じですね。

 当時はこうだったであろうと思わせる那覇の街の美しい風景描写、現在の美栄橋近くにあった料理屋とそこで働く幼馴染の三姉妹の様子、武太たちが小さい頃から見守ってくれていた不遇なオバァの生活、花街である辻遊郭の風情とそこで生きるジュリや抱親の様子、ところどころに挿入される古い民謡の歌詞、登場人物が話す心地よいウチナーグチ(ウチナーヤマトグチだけれど)など、どこをとってもわくわくしてしまう、沖縄フリークにはたまらない一作です。

 全6話。一話に一人、「テンペスト」のキャラクターが登場します。
 なので、「トロイメライ」だけでも十分楽しめますが、まずは「テンペスト」から読み進めるとよいと思います。

 池上永一の次の作品「統ばる島」が、2011年3月に発売されています。こっちも読まなければ。
スポンサーサイト


 戦争遺跡としての文化財指定第1号である沖縄陸軍病院南風原壕を保存、公開、活用していくための、南風原町の関係者の平坦ではなかった取り組みについての報告書。

 南風原町が沖縄陸軍病院南風原壕を全国で初めて、太平洋戦争の戦跡として町の文化財に指定したのは1990年。
 当時は戦跡を文化財として指定する基準がなく、県は文化財指定する法的根拠がないとして受け付けなかったそうです。
 そのためまず町が町としての指定基準を改正し、その後国の基準も1995年に改正されたとのことです。

 南風原町は、字別の戦災悉皆調査、南風原壕の徹底調査を実施し、その成果等を踏まえて壕を保存活用するという目標を掲げ、2007年6月からの公開にこぎつけました。

 全7章からなっており、「沖縄戦と南風原」、「沖縄戦と沖縄陸軍病院南風原壕」を概説した後、「「記録し、伝える」取り組み」、「病院壕の文化財指定と保存活用の取り組み」で取り組み状況を述べ、とりわけ整備の進んでいる20号壕について「20号壕の整備はどのように行われたのか」、「20号壕の公開、活用」として説明し、最後に「戦争遺跡の調査と保存運動の歩み」を、沖縄の状況を中心に概説します。

 著者は、公開当時の町文化財保護委員会委員長の吉浜忍氏をはじめ、南風原文化センター館長(当時)、同センター学芸員、町史編集室職員など、実質的に南風原壕の文化財指定や調査に関わってきた人たちが名を連ねています。
 そのためか、壕に対する熱い思い入れが感じられたりするところもあって、やはり書くべき人が書かなければいい本はできないのだなという思いを強くします。
 一方、専門家が書くとどうしても枝葉末節に力が入ったりすることがあるものですが、この本はそういうことは感じられませんでした。

 今度沖縄に行くときには、南風原文化センターと南風原壕にはぜひ行ってみたいと思います。


 2009年に「人物列伝 戦後沖縄の政治家たち」を琉球新報社から上梓した沖縄の元革新政治家仲本安一が、こんどは自分の半生記を綴りました。

 「はじめに」で氏は、「私の半生を一口で語るならば、戦前―戦中―戦後、そして復帰運動などの激動期をただひたすらに走り続けた日々であったように思う。(中略)後ろを振り向かず、前に向かって進むだけであった」と述べています。

 内容を読んでみると、本当にそのとおりで、弁護士を目指して上京し、沖縄の軍用地強制接収問題で政治運動に参加して以来、青年運動、労働運動、大衆運動などに身を捧げ、アメリカの軍事支配からの脱却と一日も早い祖国復帰を目標にして戦ってきた様子がよくうかがわれます。

 そして苦節27年、施政権返還は実現したものの、その後さらに37年たっても(2010年現在)米軍基地による被害と忍従は続いており、著者は、何のための祖国復帰だったのか、自問自答が続く昨今だと嘆いています。
 祖国よ、冷たい母になるなかれ!と叫ばずにはいられません。

 第一部私の回顧録、第二部評論と随筆、第三部関連資料というように分類されていますが、何といっても圧巻は第一部。
 幼少期、小学・中学・高校・大学生の時代、青年運動時代、労働運動時代、市議会議員時代、県議会議員時代、党務活動の時代、会社役員時代の各時代を詳述。
 特に政治活動以降の、多くの沖縄の政治家たちとの丁々発止の交流は、みどころたっぷりです。

 世の中が熱かった時代の政治は、生き生きとしていて実におもしろいですね。
 中村瑞希が好きだ。
 奄美の唄者。シマウタを歌わせたら天下一品! 他の大物唄者のセカンダリーまたは前座で登場したにもかかわらず、その大物を喰って主役になってしまう場面を何度か目にしてきました。

 すごい美人というわけではないと思うのですが、うたう姿や表情には華があり、不思議な色気があり、奄美の情念のようなものが漂います。

 その中村瑞希がうたう「TSUMUGI」は、シマウタではありませんが、これもまたすごくステキ。
 浜辺に打ち寄せるたおやかな波のたゆたいのようなメロディが彼女の持ち味を引き立てています。

 2009年の曲ですが、東日本大震災で平常の生活を失い、こてんぱんに打ち砕かれた心にじ~~~~~んときます。

 改めて聴いてみてください。感動します。



「TSUMUGI」
  古いアルバムの中の写真を 眺めては
  小さい頃からの思い出が あふれ出す
  ありがとう いつも私を見守って
  包んでくれてた家族
 
  うららかな日が 揺らす波の唄 聴きながら 空は青く
  やりきれぬ日も 満ちる月を思い 母の手の やさしいぬくもりを
  こころにともして

  生まれてから今日までの間 この家で
  ずっと長く暮らしてきたけど この街を
  明日には離れて あなたと二人で帰れる
  大事な家をつくってゆく

  ありがとう いつも私を見守って
  包んでくれてる大切な人

  やわらかな陽が 照らす木々のうた 聴きながら 花は開く
  やるせない日も 凪の海を想い 父の眼の やさしいまなざしを
  こころにともして

  名もない星が つなぐ愛のうた 聴きながら 雲は高く
  見えない糸が けして切れないように ひとつひとつ あなたとつむいでゆく
  織り重ねてゆく

  この手を放さないで


 けっしてどもっているわけではないのでしょうが、おもしろい表題ですね。(笑)

 沖縄における民放のはじまりは、1954年9月の琉球放送で、ラジオ沖縄は1960年7月に2つめの民放として営業を開始、2010年で開局50周年です。
 その記念本という位置づけで発行されたのがこの本です。

 「ローカルに徹せよ!」を社是として日々活動しているすばらしい会社、ラジオ沖縄の今、昔を、現在の社員やパーソナリティーをはじめとして、歴代アナウンサー、ディレクター、スタッフ、番組聴取者の声などを織り交ぜて構成されています。

 「今、ラジオ沖縄が面白い!」では、現在放送されているティサージ・パラダイス、チャットステーションL、アイモコの音楽農園、民謡の花束、暁でーびるなどについて、パーソナリティーやアナウンサーが登場してそのおもしろさや現況などを披露。

 「ラジオ沖縄と私」では、これまでに放送されてきた名物番組のディレクターやアナウンサーなどがエッセーを寄せそれらをリレー風に構成した読み物になっています。

 「ラジオ沖縄50年ものがたり」では、ラジオ沖縄の誕生秘話から始まって、アメリカ世から世がわり以降現在までの折々の歴史が述べられています。

 ひーぷー(真栄平仁)、玉城美香、当銘由亮、新垣小百合、比嘉光龍(バイロン)、故・吉田安盛、盛和子、屋良悦子、前田すえこ、小那覇全人、玉城満、池田卓、普久原恒勇、中沢初絵、備瀬善勝、仲田幸子なども登場しますので、お楽しみに。すげぇなぁ・・・。


 天空企画編の出版物についていつも思うことは、抽象的なテーマを設定し、それに多少なりとも関わることを多様な書き手を登場させて、いわば文集のような体裁でポンと提供してくるので、読み手にとっては結論めいたものが具体的な形で結像させることがむずかしいのだなぁということ。
 今回も同様で、テーマは「沖縄回帰と再生」。どうです? 再生のヒントがあちこちで発見できるというのですが、それにしても抽象的でしょ。
 まあ、それでいて読後感は、なにやら不思議な満足感があるのですけれどもね。

 書き手は14人。内容は、次のとおり。
 第1章「大地の恵みと豊かな自然に種を播く」では、長寿を取り戻す食べ方と生き方、長寿の源 島野菜、「アグー」と「あぐー」の不思議、海人の心意気、マングローブとともに生きる。
 第2章「ウチナーンチュの底力」では、村落共同体の象徴としての共同売店、小さな集落(シマ)の底ヂカラ、ガマフャーのウムイ~沖縄戦遺骨収集ボランティアの活動、食べ物を支援するNPOフードバンク、沖縄歳時記、ウチナーグチ~ことばのプチガイド。
 第3章「先人たちの祈り、そしていま」では、アイデンティティーと独立、郷土月刊誌「青い海」のころ、安田のシヌグと回帰する時間、コミュニティー・オーガナイジングの可能性、ニライカナイ・クロニクル。

 全体としてみれば鮮度の高いというか、ユニークな題材は多くはありませんが、他のバラエティーものよりはグレードが上で、“通”向きであるかのような印象。
 遺骨収集ボランティアの話や、アイデンティティーと独立に登場する画家・大嶺政敏について、郷土月刊誌「青い海」にまつわる秘話、安田のシヌグの進行手順などは、中には初めて聞く話などもあり、新鮮に受け止めることができました。


 元RBCラジオのアナウンサーが書いた古い本。
 上原は、かつて嘉手苅林昌らを起用してラジオによる沖縄民謡の一時代を築いた仕掛け人として知られています。

 ぜひ読んでみたかったので、ネット古書店から購入。
 奥付などに発行日が記載されていませんが、あとがきを記したのが昭和57年5月ですから、1982年の発行と推測されます。当時の定価は1,900円。
 紙がペラペラで、活字の濃淡や改行幅にばらつきがあったり、写植した文字がうまくはまっていなかったりと、当時の印刷事情までよくわかってしまうような体裁ですが、内容がいいので楽しく読ませてもらいました。

 第1章に当たる「島うたの周辺」では、お得意の島うた事情を随筆風に記載。嘉手苅林昌/おきなわ怨み節、しまうた余話/「上い口説」、渡嘉敷ペーク外伝、芸名/北村三郎の由来、名優平良進、長谷川きよしのこと などなど。

 以降、「チコンキーふくばる」として沖縄民謡の父・普久原朝喜を小史風に記述したり、沖縄芝居の名優だった大宜味小太郎と真喜志康忠との対談では沖縄芸能に通じたところを披露したりしています。

 さらに、「春歌ばんざい」では、沖縄の春歌の歌詞をストレートに記載。とは言っても、それがウチナーグチで書かれているので、ヤマトの人間にはそのものすごさがイマイチよくわからないため、まあ、ちょうどよいどぎつさになっています。(笑) 沖縄のうたはおおらかなのですなぁ。

 ほかに著者がつくった芝居やラジオドラマのシナリオ作品6篇や、沖縄芝居で使われる言葉の解説などがついて、2段組の360ページ。

 時代を遡ること30年前の頃のことなので出てくる事象が少々古いですが、その時代は沖縄のしまうたがいちばん盛り上がっていた頃なので、あまり知られていないしまうたの歴史や逸話を発掘しているような気になれて、思わずむさぼり読んでしまいました。
 古い本特有の匂いを感じながら、現代の混沌からただ一人フェードアウトしていく自分を意識してみる、という経験も、悪くありませんでした。
candies 19770718

 スーちゃんこと田中好子が、4月21日、乳がんのため55歳の若さで彼岸へと旅立ってしまいました。
 キャンディーズ時代、「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言した翌日の記者会見の模様。
 当時の3人の表情や雰囲気が放つオーラのようなものを見たり感じたりして再認識するのは、彼女たちはそもそも普通の女の子ではなかったのだなぁということ。

 田中好子といえば、彼女はNHK朝ドラ「ちゅらさん」で国仲涼子扮する“えりぃ”の母親役でした。
 国仲涼子は、番組終了後も田中と親子のような親密な付き合いを続けていたと聞いていますが、「悲報を伝えられ大きなショックを受けており、コメントを出せない状態」とのこと。いつの間にか彼女も31歳になってしまったことをあわせて知りました。

 一方、ある意味でもっと驚いたのが、22日、沖縄芝居役者の當間武三が病気のため亡くなったこと。
 『人懐っこい笑顔と軽妙な語り口、丁寧な演技で沖縄芝居の若手役者として注目され、テレビやラジオでも活躍。現代劇などにも積極的に挑戦し、ミュージカル「大航海」「さらば福州琉球館」「椎の川」「洞窟(ガマ)」などでもユニークな脇役として存在感を発揮した。
 3歳に琉球舞踊の発表会で初舞台。22歳の時、乙姫劇団人気役者の故兼城道子さんの付き人となり修行を積んだ。他の劇団の客演などを経て、1997年から座長公演を主催し、子供から高齢者まで、幅広い年代層から人気を集めた。』 (沖縄タイムスから)

 当初の報道では「病気のため」ということでしたが、脳皮質下出血だったそう。
 まだまだこれからという46歳。
 かつて當間武三劇団による喜劇「亀さんよ」というのを観たことがあったけど、すごい人気で當間が登場すると大喝采!、そして劇の間中観客は大笑いの連続だったことを覚えています。

touma.jpg

 お二人のご冥福をお祈りします。
   furusato.gif

☆「島うたの周辺 ふるさとばんざい」(上原直彦著 沖縄公論社刊)から

 嘉手苅林昌、大正9年旧暦7月4日(新旧対照暦、当間諭編によれば大正9年新暦は8月17日ひつじの日)越来村中原生れ。しまうたをよくする人たちから“やっち-小”と親しまれ、若い人たちには“おとう”としたわれる存在。
 政治を知らず、経済に関わらず、文化などまったく意識せずにひたすら三線と妻と子とふるさとと、そして、ちょっぴりパチンコを愛している自由人。
 ボクはこの人の中に、リトル東京化した沖縄の中で、知らず知らずのうちに平均化されて個性を失っていく己れを発見することがある。世はあげて情報時代。エライ政治屋(「家」ではない。いま政治家が居るかどうか……余談)のメカケの話から、芸能人のすてきなスキャンダルにいたるまで、知識として知っておかなければ取り残されそうな社会生活の中で「やっちー小」だけは仙人の如く生きてきた。それは「ものぐさ」からの発想ではなく、これまで彼が関わってきた社会、軍隊などがそうさせたのである。
 嘉手苅独白。
 貧しい農家だったからねウチは。14オから働きに出されたヨ。学校? ウン、尋常学校3年で卒業した。もっと上の学年もあるにはあったが、先生がお前は学力優秀だから3年まででいい、とウチのおやじにいっていたらしい。オヤジがそういって俺を働きに出したんだからバッペーやねーん(マチガイナイ!)。
 マチヤ(商店)の走り使いで月給3円50銭、それから篤農家の年期奉公、その時には日給40銭だったが、その労働のきついこと! ジントウ血糞マルカやたんやー……。
 アンカンするうち、俺も16才になったもんだから、オヤジが売り買いしていた牛の代金95円を盗んで大阪へにげたんだ。冬だったなあ…。なのに俺ときたらバサー小(芭蕉布)を着けて地下タビだ! 道もまるで知らないから神戸から大阪まで線路沿いに歩いて行ったが、淋しいというか悲しいというか……タケーンビケーのー涙小(なだぐゎ)んすすてィよー(二度程涙をふいた)。
 地理まるで不案内だから話に開いたオバサンの嫁入り先が判るはずもない。オオサカんでィ云しぇー、どぅく広さぬならんさー(大阪は広すぎてダメだね)。
 チャースガヤー(どうしよう)するうち、ある製材所に「人夫採用」と書いてあったもんだから、ひとまずそこに勤めることにしたんだ。仕事は勿論力ワジャ(業)だから、きついにはきついが、しかし、沖縄での年期奉公に比べたら、フィーフィー小(口笛)吹ちょーてィないたんやー。
 そこでよく働いたから貯金も5百円程たまり、これだけあれば牛小代を盗んだ罪も、おやじは許してくれるのではないかと思っているところへ、「ヘイタイケンサはオキナワでやれ」とオヤジから電報が来たんだ、飛んで帰ったヨ、ン? 牛小代事件はどうなったか、だって盗んだのは95円、持って帰ったのは5百円だもの、オヤジの奴、叱るどころか、「わったージルー(次良-彼の童名)や5百円モーキティチェーン(息子が5百円儲けてきた)」と親戚中に自慢したくらいだよ。おかげでシランフーナー(知らんふり)してすまされる借金まで払わなければならなくなるし……、まあ、人手に渡っていた畑を取戻しただけが、俺の唯一の親孝行だった……。
 その両親もいまはいない。
  親になてィ親ぬ 恩知ゆんてィやい 昔ゆしぐとぅや なまどう知ゆる
  (子を持ってはじめて知る親の恩……という諺、実感としていまぞ知る)
 イッターン、ウリカーや、ユー考えーランアイネー(お前たちもその辺、よく考えなければならないよ)と諭すのは、嘉手苅林昌の「やさしさ」である。
 「やさしさ」といえば、彼のうたを一貫して流れるのは、この「やさしさ」であるといえよう。人の悪口を決して言わないこの人、約束を決して忘れず、破らず、そのことを人間が生きていく上の最大の条理とする彼のうたは、「やきしさ」に支えられて、時にその情念はメラメラと燃える「怨歌」にかわるのである。
 沖縄が復帰する3、4カ月前であった。一緒に三絃をつまびいていると、「下千鳥」にのせてこんなうたを歌った。
  下ぬ居てィ上ん 成り立ちゅるたみし 下ぬねん上ぬ ぬ役立ちゅが
  (下人民があってはじめて成り立つお上、下人民を無視したお上にどれ程の意味あいがあろうか)
  あたらわが沖縄 品物ぬたとぅい 取たい取らったい 上にまかち
  (あゝわが生り島オキナワ、まるで売り物買い物の品物のようだ、人民の意志は全く反映されず、アメリカに売り渡したり、買い戻したり、お上まかせだ)
  思みば身ぬ毛だち 戦世ぬ哀り またんく戻ち あらばちゃすが
  (復帰……それもよし、しかしニッポンのイメージは戦争の悲惨さである。ニッポンに帰って、またあの戦争にまきこまれはしまいか、身の毛がよだち不安がよぎる)
  ダーグに丸みらり 大舟ぬ心地 戦世ぬあわり 肝にかかてィ
  (復帰すれば幸せになる。とダンゴのように丸められて、とにもかくにも大舟に乗った心地はするが、何故か! なぜかあの戦争時のあれこれが心にかかる……何故だろう)
 駆使された言葉は決して上品なものではないが、日常語で移りゆく“時”をうたっているだけに、異様なまでの迫力で聞く者を圧倒し、彼のもつ「怨念」いわゆる「怨み節」に慄然としない訳にはいかなかった。


 琉球新報社のはえぬき社員で、代表取締役社長を最後に退任した経歴を持つ方が著者。
 沖縄戦後の沖縄県内新聞界をリードしてきた沖縄タイムスと琉球新報の2社について、40数年の新聞社生活で見聞きしてきた体験をもとに、その現状と課題を探る――というのが本書のねらいです。

 第1章の「実録「協業不発」」は、2社にまつわるいわゆる秘話。
 1998年ごろに行われた、両社間で極秘裡に進められた新聞印刷の協業化についてのドキュメントです。
 沖縄タイムスのメインバンクである琉球銀行が、巨額の費用がかかる印刷工場を共同出資して建設してはどうか、という案を持ちかけたのを端緒に、それぞれの会社が共に生き残るための妥協点を見出すべく、水面下で懸命の調整が行われた様子が生々しく描かれています。

 結局は実現しなかったわけですが、その後両紙は夕刊の発行を断念するなど、苦しい状況が続いているようです。
 両紙には、自由な立場で競争して県民、読者により良質な記事を届けるため、過当競争になるような無駄な出資をやめ、ぜひ「紙面で勝負」してほしいと願うばかりです。

 第2章はぐっとやわらかくなり、著者による「回想「わが人生」」。
 44年間にわたって曲折をたどった“ぶんや稼業”の中での思い出のあれこれについて、琉球新報その他に掲載したその時々のルポをも交えての「がらくた回想記」となっています。
 昭和天皇「崩御」の報を「ご逝去」の見出しにしたことで惹起した賛否両論の顛末や、沖縄海洋博開会式(1975)の皇太子夫妻訪沖の際に発生したひめゆりの塔火炎瓶事件の取材記に加え、北朝鮮やアメリカの訪問記、退職後のオーストラリア遊学のときのことなどについても記されています。

 新聞社の、しかも沖縄の内幕物などというものはそう多く出版されていないので、興味深く読ませていただきました。
  subaru.gif  wareigai.gif

 は、次の14冊。

 松山御殿の日々             知名茂子         ボーダーインク  1575
 新書沖縄読本              下川裕治+仲村清司  講談社現代新書  945
 薩摩藩の奄美琉球侵攻四百年再考 沖縄大学地域研究所  芙蓉書房出版   1260
 沖縄備瀬                 中畑充弘         新典社        1470
 八重山風土記              砂川哲雄         南山舎        1890
 まーちゃんのお笑いニュース道場  小波津正光        琉球新報社     980
 黒うさぎたちのソウル          木村紅美         集英社       1470
 琉球怪談                 小原猛           ボーダーインク   1575
 密航・命がけの進学           芝慶輔           五月書房      2100
 ウチナーンチュの生き方を探る    山城興勝         琉球新報社     1260
 島瓦の考古学              石井龍太         新典社        1890
 至福の本格焼酎極楽の泡盛     山同敦子         ちくま文庫       945
 我以外皆我が師             稲嶺恵一         琉球新報社     2380
 統ばる島                 池上永一         ポプラ社       1575

 いやぁ、たくさん買いましたねぇ。(笑)
 まぁ、この4月から通勤時間が短くなったことなどもあって、我が読書ライフは比較的順調に推移していますので、数ヵ月後には読めることになるでしょう。
 ある程度買った順番を守って読まないと、どうしても気が進まない本が未読になってしまうので、そうだなぁ、今のペースで行けば、うまくいっても5~6ヵ月後くらいになりましょうかね。

 でも、コレハといったもの、たとえば「黒うさぎたちのソウル」とか「統ばる島」、「我以外皆我が師」あたりは早めに読むことになりそうな気がします。

 でもね、沖縄本フリークにとっては、まだ読んでいない何十冊というたくさんの沖縄本が本棚に平積みになっているのを眺める、というのもまた至福の時なのですよ。