1992年に沖縄カルチャーブック「ウチナーポップ」(東京書籍)をプロデュースして以来、沖縄ファンに多くの編著を提供してくれている天空企画が、今回は“ロハス”をテーマに新刊を出版しました。

 全体の通奏低音は、「自然の恵みを生かした暮らしのスタイル」。
 とりあげるのは、沖縄の野菜、農とともに暮らす人々、かりゆしウェアの開発にまつわる人々の血と汗と涙?の物語、マングローブの再生、泡瀬干潟の海アッチャー、沖縄のスローフード、沖縄のごみ問題、沖縄の御嶽など。

 観光アイテムとして、また、沖縄のオリジナリティとして取り上げられてきたテーマが、すこし違った切り口から取り上げられているので、ある意味新鮮な部分があります。
 また、写真が、沖縄のイメージを的確に表現していてなかなかいいです。

 巻頭には企画メンバー中島渉さんのエッセーが掲載されています。
 その中で氏は、沖縄のやちむんは近年とみに甘くなり軟陶に堕してしまっていることをはじめとして、沖縄の食事に砂糖や化学調味料の量が増えていること、癒しの島といわれる沖縄で、自殺率が全国トップクラスとなり、高かったはずの平均寿命が急速に下がってきていることなどを嘆いています。

 自分もこの十数年沖縄を見つめてきて、沖縄民謡や琉舞の世界では後継者が育たず古来の芸能を見ることができる場が減少していたり、あちこちにあった御嶽、井泉、土帝君、スージ小などが着実に消滅したりしており、自分の好きだった沖縄はこれからどこに行ってしまうのだろうかと幻滅を感じることがしばしばあります。

 でも、中島さんは書いています。
 沖縄独特の文化は絶滅の危機に瀕していると言わざるを得ないが、ふたたび沖縄は文化的に花を咲かせることができるのかどうかを、沖縄と出逢い、沖縄を好きになった者は、沖縄を簡単に見捨てることなく、しっかりと見守っていくことが義務であると。

 かつて咲いていた花は本当にすばらしい花だったということを知っている。そういう者たちの義務なのでしょう。
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 このところブログの更新が途絶えていましたが、いやいや、別に沖縄が嫌いになったわけではなく、沖縄の文物に触れていないかというと、そうでもないのです。けっこう読んでいるし、買っているのです。
 ただどうも、「じっくりと書く」という行為をやや苦痛に感じさせるような日々だった、ということはありそう。

 なんだかさえない私生活で、家族のことでいろいろと考えさせられることがあるのです。
 なんてことを書くと、おっ、夫婦間の問題か?!などと勘違いされそうだからはっきりさせると、子どもの問題ですよ。わがまま、勝手、自己中心の息子に悩まされてオルのだ。
 かつては無邪気でかわいかったのに、中学生から高校に上がるあたりから、他の家族にとっては奇行としか見えないような行動形態やものの考え方が目につくようになって、このところそれがあまりにも顕著になっているので、少々心配なのだ。
 まぁ、時間が解決してくれるということもあるだろうから焦ったりはしないのだけれどね。

 さて、そんな状態でも着実に買っている沖縄本は、次の11冊です。

1 海のかなたの甲子園          市田実        双葉社          1600
2 辺海放浪                 日高恒太朗     新人物往来社      1800
3 沖縄戦と民間人収容所        七尾和晃       原書房          2400
4 記憶 ニライカナイより         永嶋恵美       双葉文庫          670
5 沖縄伝統旅ニライカナイを求めて  東雲薫     TOKIMEKIパブリッシング  1470
6 眼の奥の森               目取真俊       影書房          1890
7 ああ、沖縄の結婚式!  玉城愛&にーびちオールスターズ ボーダーインク  1470
8 ニライカナイの語り部         鯨統一郎       中公文庫          740
9 ティーチャ本               ラジオ沖縄編    フォレスト         1680
10 風に舞ったオナリ           田中水絵       凱風社          1890
11 なんで私が?ちゃんとやってきたのに! 鍋山ひとみ  文芸社          1260

 「ニライカナイ」の検索でひっかかった本が4、5、8の3冊。内容は、小説2、フォトエッセー1。
 ほか、6は純文学、1、3はドキュメンタリー、2は紀行ノンフィクション、10は聞き書きによる沖縄の家族の物語、7、9、11は楽しみながら読める本でしょうか。

 着々と未読本がストックされていくさまは、少しワクワクしてうれしかったり、こんなにも読めるのかとヒルんだり。



 沖縄の「食」というジャンルには自分としてもかなりリキが入っているし、それを書くのはあの巨体ライター、カベルナリア吉田とくれば、もう諸手を挙げて大歓迎。
 愛と悶絶の沖縄メシを実食に基づいて綴る――という趣向の渾身ルポです。

 表紙写真からしてすんげぇインパクト。お汁の中から取り出したのは、イラブーのぶつ切り!(南城市馬天のイラブー&海産物料理「浜珍丁」)
 これを食うのか?!とドキドキしつつも口に入れ、・・・ん? あれ?? 美味いじゃないの、コレ! という摩訶不思議な現実を、著者とともに共同体験できます。

 上記のほか、登場する店と内容は、次のとおり。
 豚の丸焼き専門店「金城畜産」(那覇市山下町)、
 ヤギ料理「山海」(同市東町)、
 ステーキ&洋食の老舗「ジョージ・レストラン」(同市辻)、
 カフェ&タコス「Pole Pole」(同市樋川)、
 500円バイキングの台湾精進料理「金壺食堂」(同市壺屋)、
 沖縄家庭料理「アヒル亭」(沖縄市仲宗根)のアヒル汁、
 沖縄で食べられる本格日本そば「せい家」(嘉手納町)、
 シンデレラ城のようなカフェ「喫茶 薔薇園」(うるま市昆布)、
 ヤギみるく・乳製品製造「はごろも牧場」(中城村)、
 チーイリチャー・沖縄家庭料理「久松食堂」(金武町)、
 メガ盛りでとどろくアメリカンレストラン「USレストラン」(うるま市石川)、
 カエルの唐揚げが食べられる「パーラーわかば」(名護市街)、
 イルカやスッポンのメニューもある「琉球料理 名護曲レストラン」(名護市世冨慶)、
 1,000円ポッキリの絶品ランチが食せる「一休」(瀬底島)、
 ボリュームが半端じゃない「みなと食堂」(本部町本部港前)、
 巨大ウナギ蒲焼の「伊豆味ドライブイン」(同町伊豆味)、
 この上なくフレンドリーなおやじのいる「備瀬崎養殖所(海人の店)」(同町備瀬)、
 電車のない沖縄でなぜか「駅弁88番ホーム」(今帰仁村謝名)、
 メニューにパスタがないのに「イタリアンレストラン」(名護市辺野古)、
 パックにギュウ詰めフライライスの「ファミリーストア キヨタ」(同)、
 アニキ居酒屋「銀んや」(名護十字路)、
 冷し物ならなんでもそろう「まるみつ冷し物専門店」(糸満市)、
 糸満ガリガリー民宿「ゆっくい茶処おおしろ」(同市小波蔵)、
 旅人に気前のいい主人がいる「パンとケーキのお店 リッツ」(同市)、
 客たちのカラオケ大会が繰り広げられる「平和食堂」(糸満市場)・・・。

 あぁ、キーを打つのが疲れる。このほか宮古&八重山の5店も紹介されていますが、どの店かは買って調べてくだはれ。

 良くぞ食ったりですが、著者はただ食べているだけでなく、そこで出会った人たちと心を通わせながら旅を楽しんでいます。それこそが旅の醍醐味ですよね。


 大学の若手研究者15人がこぞって書いた“沖縄入門書”。
 入門書とはいっても、沖縄のイロハからわかりやすく解説するといった類のものではなく、さまざまな専門分野から多角的に沖縄を問いただすというスタイルで展開されるものとなっており、生半可な態度や知識で臨むと痛い目に遭うようなシロモノ。
 コシマキには、はじめて学ぶ「沖縄学」テキスト、なんて書いてあるけど、それはよくない冗談だと思います。

 「空腹の作法」というサブタイトルがついていますが、これは、沖縄ブームが繰り返され“癒しの沖縄”というイメージが席巻する中で、沖縄を取り巻くまなざしや語りはまだまだ知的な空腹を補うには十分ではなく、また、沖縄学とは研究者の知の渇きを癒すべく知を追い求める作法である、という考えからつけたものなのだそうです。

 そして、編者がいうには、心がけた視点は4つ。
 沖縄のイメージはどのような文化・社会的背景や要求から生まれてきたのかという「創られる沖縄」の視点、沖縄は一つではないという琉球・沖縄のもつ多様性の視点、周縁から沖縄の近代を相対化する視点、「沖縄とはあなた/わちし自身のこと」とみなして逆照射する視点――だそうです。
 ・・・どうですか、難しそうでしょ? どこが入門書なんだよって感じがしませんか?

 全14章。方言論争、1950年代の基地問題、琉球舞踊の身体技法、沖縄音楽における伝統と革新、沖縄建築にみる機能と表象、沖縄のわらべ歌、山之口獏の「会話」にみる近代沖縄文学の葛藤、オキナワン・コミックスの表象文化学、周縁社会における人の移動と女性の役割、集団自決と沖縄戦などがテーマになっています。

 いやはや、重厚。半端な専門書よりもずっと腹がくちくなりますよ~。


 昇曙夢といえば、単に「大奄美史」の著者デアルと理解していました。
 「大奄美史」は、奄美の先史時代から昭和2年の奄美への「天皇陛下行幸」までを記した歴史、民俗史で、方言、宗教、土俗、風習、歌謡、伝説などが盛り込まれた奄美の百科全書と捉えることもできるでしょう。
 2009年にはその復刻版が南方新社から刊行されましたが、ちょっと高価だったので買うのに躊躇して、残念ながらまだ手元にはありません。

 で、こちらの本を読んでみると、昇が「大奄美史」を世に問うたのは、彼が77歳にになった1955年のことで、いわば人生の晩年にものしたものといってもいいようです。

 昇が生まれたのは、加計呂麻島のはずれの芝という村。中央史観からいえば、東京-奄美本島-加計呂麻-芝、という二重、三重の周縁だった小さな「シマ」から日本の知識人にまで登り詰めた昇は、明治、大正、昭和の激動の時代を生きて、何を得、何を失い、何を発見したのか?!――ということを解き明かすことが、この本のテーマ。
 少年時代から「大奄美史」までの昇の人生を一代記的に追いかけます。

 読み進めていくと、昇の「顔」は、キリスト教徒、新聞社員、ロシア文学者、大学講師、郷土史家、シマウタ愛好者、奄美復帰運動の指導者など、実に多彩であることがわかります。
 また、一時は翻訳の仕事に飽き、奄美の人々に持ち上げられて代議士選挙に打って出ようとし、奥方から「法律もわからない者がロボット代議士になるなど正気の沙汰ではない」と諫められたこともあったという人間的な一面も。

 という具合に、昇の生涯や当時の奄美を知るのに最適の書。
 とても興味深く読ませてもらいました。


 聞き書きを読むのが好きである。
 聞く人が上手に話し手をエンカレッジして、ツボになるものごとを手繰り寄せていくところがいいし、さまざま周辺事情とともに話し手の波乱万丈の人生が見えてくるところもいい。
 それをやるには技術的知見やある程度の経験がなければできないので、自分はまぁ、読むしかないのですな。

 で、この本、島の歴史やさまざまな伝承、暮らしの知恵などの宝物を「聞き書き」の形で次世代に読みやすい形で伝えることを目的に発行されている小冊子で、その3冊目。
 これまで「野山がコンビニ――沖縄島のくらし」、「ソテツは恩人――奄美のくらし」の2冊が発行されており、4冊目の「海と山のめぐみ――沖縄島のくらし2」と同時発刊されたもので、歌と伝承と自然の宝庫である八重山の島々での聞き書きが収録されています。

 「西表島祖納・ヤマネコは神の使い」、「西表島祖納・神司として島をまもる」、「波照間島・天水田と畑」、「竹富島・日本最南端のお寺で」、「鳩間島・海上を通う田仕事」、「石垣市川平・数少ない稲作地」の全6章。

 聞き手は、安渓貴子(植物屋)、安渓遊地(ヒト屋)、蛯原一平(イノシシ屋)、盛口満(博物屋)の4人。カッコ書きの部分は、奥付の「聞き手紹介」にそう書いてあります。(笑)

 読んでいて思うのはつくづく、いろんな人にはいろんな人生があるものなのだなぁ、ということ。どんな人生にも悩みや苦難があり、反対に大きな仕合せもあるのですね。
 自分の場合、今何に悩み、何に地道をあげているのかを振り返らせられ、そんなことどもは本当に取るに足らない小さなものなのかもしれないなというふうに考える余裕ができ、前に進む勇気をもらいました。
○3月11日(金)
 たまたま午後から年休を取って米沢から山形へ。
 午後2時前ごろ山形市の自宅に到着。相談事があったため、ただちに80過ぎの両親が住む山形市内の実家へ。
 実家で、父、母、実家にいた次男で話をしていたところ、地震発生。マグニチュード9.0。異常に長い揺れ。強さもさることながら、これほど長い揺れは体験したことがない。父母はあわて、窓を開けて外に出ようとするのを落ち着けといいながら制止。
 テレビをつけようとするも、この段階で停電。
 家の破損、家具の倒壊等の被害はなし。直後にサイレンを鳴らした緊急車の出動音。(後に市内中心部のホテルで火災が発生したことを知る)
 次男に命じて近所で火災等が発生していないかを確認させる。
 ライフライン中、水道、ガスはOKだが、電気がないため暖房が使えず徐々に部屋が冷え始める。
 その後頻繁に大きな余震。
 トランジスタラジオを持ち出し、情報収集。
 夕刻、暗くなり始め、ロウソクを持ち出して点火。
 職場から、約50キロ先の職場に戻るに及ばない旨連絡あり。
 あちこちに電話をするも、まったく通じず。そのうち電池がなくなり、ようやくつながった妻との会話中にアウトに。以後連絡手段がなくなる。
 若干の食料はあるようなので、とりあえず3人をおいて自宅へ。

 暗くなった中を自宅へ。信号、街灯などすべてが消えていて、光源は車のライトのみというのは異様。交差点のたびに徐行、渋滞。
 家には長男が一人。オール電化のため、完全に機能麻痺状態。蓄熱暖房がまだ暖かいことだけが救い。携帯ラジオ、乾電池等なく、情報とれず。
 二人でそのへんにある菓子などを食べてしのぐが、カセットコンロがあるのを見つけ、湯を沸かしてカップめんを食す。この段階で20時ごろ。
 妻は災害対策のため帰らず。やることもないので、冷たい水で歯を磨いて早めに就寝。
 妻は深夜に戻ったらしい。


○3月12日(土)
 朝になれば電気が復旧しているのではないかとの甘い期待は打ち砕かれ、復旧の見通し立たず。
 カセットコンロでおじやをつくって食べる。
 妻と長男、乾電池、カセットボンベ、食料、飲料など最低限の品物を買って戻る。未曾有の災害であることがわかりはじめる。

 なにもなすすべなく、家で茫然自失の時間を過ごす。
 職場へ赴こうかとも思ったが、信号もつかない道路を行くのも危険と思い自粛。なにもできない焦燥感。窓際で本など読むも、集中できず。少し昼寝。

 徐々に日が傾き17時ごろ、暗くならないうちにと、溶け始めた冷凍うどんで夕食。
 18時前、電気が復旧。歓喜! 明るい! ただちに風呂を沸かす。携帯を充電。
 全員入浴して20時。仙台にある妻の実家にいる両親が心配だったが、連絡がつかないのなら行ってみようかと思いつき、急遽クルマで仙台へ。

 22時近くに仙台の妻の実家着。電気、水道、ガスすべてが途絶えており、ご近所から借りたという石油ストーブ1台をたよりに漆黒の中で睡眠中。
 屋根の瓦が破損していることを気にして逡巡する義父を説き伏せ、義父母を山形へつれていくことに。22時半ごろ出発し、自宅へは0時前到着。仙台は人通りが少なく真っ暗で、ゴーストタウンのよう。
 二人を風呂に入れて、深夜2時ごろ就寝。


○3月13日(日)
 この日は、職場が共催する伝統芸能・民俗芸能フェスティバルの開催日で米沢に行く予定だったが、前日の段階で中止を決定。置賜地域の災害対策支部も活動を停止したとのことで、職場にも行く必要がなくなり、公的な出動はなくなった。

 立派なニッポンの朝ごはんを食べて、長男と街へ。
 まずは父の確定申告をしようと会場に向かうが、臨時休業。災害のために確定申告の受付まで休むのか?
 驚くのはガススタンドの長蛇の列。長時間並んでも10リットルまでとか給油量を制限しているらしい。
 昼食は人気のラーメン屋へ。こんなときにラーメンの食べ歩きをしている不届き者は少ないと見えて、店はめずらしく空いていた。
 実家への差し入れを買おうとスーパーへ。異様な混雑。肉類はほとんどないが、野菜、飲料などはまだあった。

 実家へ。平常をとりもどしたよう。まずは安心して帰路へ。
 問題はガソリン。タンクにはあと10リットル強ほどしかなく、明日の米沢往復でほぼ使い果たす模様。
 また、義父は、仙台の家の屋根が壊れていることを気にして、直すめども立たないのにいったん帰りたいと主張。どうなることやら。

 夜、ドイツ在住の姉から安否確認の電話。話をしていると、どうやら我々よりもずっとリアルタイムで情報が届いているようで、いかに被災地には情報がないかがよくわかる。
 なんだかまだ落ち着かないけれど、明日になればなるようになるのだろう。
 仕事のほうもどうなるのだろうか。それだって、なるようにしかならないのだろうな。

 そんなことで、今日も無事眠りに落ちることができることに感謝しなければならないのだろうな。


 “邪馬台国は沖縄だった!”――とはまたずいぶん衝撃的なテーマの本。ホントかよと思いながらも、この表題となればどうしても買ってしまいますよね。2010年12月の沖縄ではどこの書店でも平積みで売られていました。

 副題は、“卑弥呼と海底遺跡の謎を解く”。
 「魏志倭人伝」の方位と距離を忠実に読むと、邪馬台国の場所は沖縄島になり、その沖縄本島の北谷沖の海底にはどう見ても城跡のような人工的構造物が埋もれており、それは当時急激な地殻変動により水没したもので、どうやらこれは与那国島新川鼻沖の海底神殿となんらかのつながりがあるようだ――との仮説から、著者独自の理論を次々に重ねて、なんだかとても真実性を帯びた展開が繰り広げられます。
 ちょっと読めば読者は、もしかしてそういうこともあるかも・・・と思えてしまうような迫力です。

 しかし、自分のような極めて凡庸で、教育的刷り込みを鵜呑みにしてしまうような者にはなんだか奇抜すぎ、これだけの仮説を立て板に水のように次々と並べ立てられると、逆にかえって胡散臭く感じてしまうことも。

 実は著者もそういうことはわかって書いているようで、「はじめに」で次のように述べています。
『私の専門は地球科学、なかでも海洋地質学という分野である。しかし、その枠を取り払って邪馬台国を考えてみるのもまんざら意味がないわけでもないだろう。なお、・・・もとより本書は、必ずしも従来の説を否定するものではない。限定できる史・試料がまだ少ないと思えるからだ。』

 沖縄の言語や地名についての文献を好んでいくつか読んでいる自分としては、邪馬台国時代にあったとされる国の名前を沖縄本島にある現地名に照らしているくだりにはややうそ臭い部分があると考えるので指摘しておくと、支惟(きゆ)を現在の名護市許田に、また狗奴(くな)を南城市の百名にそれぞれ充てていますが、どうでしょうか。

 ともあれ、ミステリー風の読み物として読めば、なかなか面白いと思います。


 著者は、1927年、与那国島のナンタ浜の近くで生まれ、台湾に渡った後、戦後東京へ。パスポートの制限がなくなった1971年に那覇に戻り永住します。
 その著者は、発行直後の沖縄大百科事典の「与那国島」の項に「与那国島は研究のいちじるしく立ち遅れている地域のひとつである」と書かれているのを見てショックを受け、故郷与那国島関係の資料集めを始めたのだそうです。

 表題は与那国島“史”ではなく“誌”であり、歴史を通史的に解説するものではなく、近代以降のさまざまな出来事に光をあて、資料や古老の話などを丹念に集めて、古い写真とともに真相を明らかにしていくという手法によって書き進められています。
 そして著者の視線は、与那国の農民・百章などの苦労を重ねてきた多くの無辜の民に対して常に優しく注がれているのが手に取るようによくわかります。

 「土地は誰のものだったか」、「与那国島は水と米の島だった」、「土地整理と人頭税廃止・金納地租負荷」、「昭和初期の与那国島改革村政が誕生」、「皇民化と軍国主義が島にやってきた」、「網焼き事件(大正13年)と同志会事件(昭和7、8年)」、「八重山教育民主化事件と与那国島」、「「密貿易」と呼べない戦後与那国島の「自由」交易」、「与那国小唄の作詞者は与那国島農村の娘たち、女子青年団だった」など、興味深い事実が多く収録されています。

 近代の与那国島の実態を知るにはうってつけの書。与那国島についてここまで深く掘り下げられたものはかつてなかったかもしれません。