著者は、戦後女性初の石垣市議会議員となった宮城文の孫で、祖父も桃林寺の住職代理を務めたこともあるという石垣島きっての名家の出で、現在は首里で八重山料理店の“潭亭”を営んでいる人。
 そんなこともあってか、宮城信博の名はいろいろなところで聞いていましたが、この人、「八重山から甲子園に行かす会」なんていう会でもご活躍中なのだそう。
 その宮城サンが、見たり、聞いたりして、思い至ったさまざまなスライス・オブ・ライフを、小話スタイルでまとめたのがこの本。「北木山(ほくぼくさん)」は八重山の異称だそうです。

 裏カバーには「見たり聞いたり思ったり 珍談奇譚や小咄や 冗談漫談混淆の 実録・回想・随筆は 微笑、哄笑、ほろ苦さ 切ない話も織りまぜて “エスプリ八重山(やいま)”と申すべき 四方山の 話は尽きぬマピローマ」とあります。
 わかりますよね。この一文が十分にその中身を語っています。

 短文にて洒脱。ページをめくるたびに、当時の石垣島の様子が断片的にわかり、感心したり、思わず笑ってしまったり。
 また、数々のエピソードには、今でこそ八重山の著名人になっている人たちが、まだやんちゃで、人間的なことをいろいろとやっている様子がたくさん登場します。
 こういうことって、子供の頃からリーダー格をずっとやってきましたという人でなければ書けないと思います。アイツが書くのならしょうがないかという雰囲気を持っている人でなければ。

 読後感は、なんだか古波蔵保好の著書にも相通じるものがありそう。
 これは名本。よくぞ買ったり。手に入れてよかった。
 いつか“潭亭”にも行ってみたいと思います。
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 箆柄日記(2010年11月24日)によると、沖縄の名物長寿テレビ番組「新春民謡紅白歌合戦」(RBC琉球放送)が、とうとうその歴史に幕を下ろしたそうだ。

 毎年年末に公開収録を行い、お正月に放送され、録画されたビデオは地球の裏側の南米に住むウチナーンチュにまで届くというこの番組。
 自分も毎年楽しみにしていて、何度か公開録画の日に合わせて沖縄に赴いたりしたものです。

 しかし、時代の流れと共に徐々に規模が縮小され、昨年はついに公開収録は行われなくなり、歴代民謡紅白の映像とスタジオ収録の演奏で構成されたものが放送されたようです。

 そしてとうとう今年は番組終了。
 箆柄日記に曰く、「みんなあまり気にしていないようだけど、これは沖縄にとっては後々振り返って大きな事件なのだろうと思う。沖縄ローカル的には、NHKの『紅白歌合戦』が終了したに等しい」。
 自分もそう思う。昨年までの開催は48回を数えるこの番組、ということは、1963年ぐらいからやっていたということであり、それって沖縄返還前の米軍統治時代だゾ!

 思えば、近年の沖縄民謡界の凋落は目を覆いたくなるほどだ。
 1999年に嘉手苅林昌が逝ったあたりからその傾向は着実に進んでいて、その後てるりんが逝き、喜納昌永が逝った。誠グヮーや山里勇吉、国吉源次らが老い、女性では大城美佐子ももう危うい。
 かつてのモーアシビ唄の時代のうたをかろうじてうたえるのは知名定男や大工哲弘、松田弘一、徳原清文ぐらいなのではないか。

 まあ、RBCでは別の形での番組を企画中らしいので、それに期待するしかない。
 まさに「こういう番組が、惜しまれもせず消えてゆくことに、危機感を感じないではいられない。・・・後継番組が充実した物になるように、RBCのみなさんのプライドに期待したいです」。(箆柄日記)

 年明け早々の1月7日から5日間、沖縄本島に行ってきます。
 真冬でも南国らしい気温の中に身を置くことが、まずはシアワセの第一です。

 今回は、Music Cafe Kumojiでジャズライブ
     沖縄市民小劇場あしびなーで喜劇の歌舞劇「真夏の夜の夢」
     国立劇場おきなわで琉球舞踊公演新春琉舞名人選
     ライブハウス島唄で新譜を発表したネーネーズのライブ
     首里天楼別邸で劇団隆清群の新春特別公演「愛の雨傘」
を観てきます。

 ほかには、沖縄で最近作られた映画「浦添ようどれ」を観たり、那覇市歴史博物館の展示を見たりしようか。

 また、前回訪沖時に東御廻い(あがりうまーい)の聖地をいくつか見てきましたが、そのときに回りきれなかった場所である御殿山、親川、場天御嶽、佐敷上グスク、ミントングスク、玉城グスクなどにも行ってみようと思っています。

 そして、沖縄のおいしいものもたくさん食べて、きれいな海や新しい都市施設なども訪れて・・・。
 夜な夜な大好きな音楽や芸能を見聞きしながらオリオンビールと泡盛の酔いに堕ちていく日々を堪能してくる予定です。

 飛行機、宿、レンタカー、イベントチケットなどの手配はほぼ完了。あとは体調を整えておくだけです。
 42回目の訪沖です。




 いまや民俗学の第一人者となった谷川健一が、民俗学に関して本格的な調査を始めたときの体験や、旅で本当の話が聴けたと考える基準、戦後の民俗学の動向やこれからの民俗学のあり方などについて語る――というので、勇んで入手。
 収録時間53分余に及ぶCDが一枚ついていて、これには柳田國男が旅とフォークロアの原点について語る肉声なども入っています。

 民俗学からのアプローチ本として買ったのですが、これには沖縄のことがた~くさん載っていましたので、「琉球関連書籍総覧」にも掲げておくことにします。

 その沖縄関係、たとえば第2章の「古代人の世界観」には、次のようなことなどが記されています。
1 太陽は、沈んでから地下をくぐって再び昇ると考えられていたことの例えとして、「おもろさうし」に「太陽(てだ)が穴」という言葉がたくさん出てくること。(宮古島では「てだががま(洞窟)」)
2 古来日本では、外から来る者をマレビトとして歓待したことに触れた部分では、八重山群島の世持神アカマタ・クロマタや石垣島川平のマユンガナシなどを具体的な例として挙げていること
3 ニライカナイ信仰に触れた部分では、浜降り、アブシバレーなどの行事を紹介していること
4 沖縄では死者を葬る場所が「青」であることに触れ、沖縄では戦前まで、古代からの色が青・赤・白・黒の4色しかなかったこと
 このほかにもたくさん沖縄関係が載っていました。

 あとがきもなかなかいいので、その一文を掲げておきましょう。
『私たちが日頃されりなくくりかえしている行司や習俗の中に、思いがけなく深い意味があることを知って、小説では味わえない興味をおぼえる。
 年神を迎える正月、死者と再会する盆をはじめとして、私共の日常を取り巻く森羅万象の中に、日本人の深層心理や意識の謎を解くことのできる事象がある。それはまた名もなき人びとの哀歓を知ることともつながっていくであろう。
 民俗学の愉楽とは、そのような「小さき者」たちの哀歓に共鳴することでもある。
 私が民俗学とつき合って飽きないというのも煎じ詰めれば「小さき者」たちに深い人間的な共感を抱いてきたからであろう。』
 5月5日。いよいよ南大東島へのフライトだ。天候もバッチリ。帰って来れなくなるということもないだろう。
 過去2回ほどチャレンジしたものの、いろいろとあって実現しなかった大東島への渡りもとうとう実現した。

 午前中のフライトで南大東島へと到着して真っ先に向かったのは、宿の向かいの「いさ食堂」。言わずと知れた大東そばの元祖となる店です。
 南大東島に来たならゼッタイここで食べなきゃね。



 平屋で飯場のようなつくりの店に入ると、店の人は不在。昼時にはまだ早い時間だからかもな。
 しばらくたたずんでいると奥から物音がするので声をかけ、出てきたオバチャンに大東寿司とそばの定食(千円)をオーダーし、登場したのが上。
 そばはさすが本場。太く、もちもちしてなかなか美味い。そのうちまた食べたいと思ってもなかなかそうはいかないので、ありがたく食べる。

 オバチャンが言うには、大東そばとバイキングが得だという。大東寿司も食べたかったので今回はその忠告に抗ってはみたが、ナルホド店の奥には何品かのおかずが並んでいて、そっちのほうがお得感は高そう。
 明日の昼はバイキングにしたらいいさー、とのことでした。
 でも、そんなにたくさん食べられないよなぁ・・・。

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