このところ、オキナワで悩んでいる。

 10月7日、8日の竹富島の種子取祭を見たいと思い、7日から11日の4泊5日で八重山行きの旅割チケットを確保してはみたのですが、なんやかやと仕事の日程が入ってしまい、断念! くそ~~!
 長年の宿願だった種子取祭、その2日目をじっくりと見て、西表島の舟浮を初踏破し、石垣島をバイクでスイスイと・・・という計画でしたが、その夢は果たせず。あ~あ、逃した魚は大きいのだ。

 では、とばかりに10月10日は、東京日比谷で開催される琉球フェスティバルを観に行こうと思う。
 琉フェスは、当初発表される参加者にあとで数グループが加わるのが常なので、これに大いに期待していたのですが、しかし。
 古謝美佐子、大工哲弘、ローリー・クック、パーシャクラブ、よなは徹、池田卓という当初発表の面々に加わるのは、宮沢和史、上々颱風、大城クラウディアだというではないか。
 大城クラウディアは比較的許せるにしても、宮沢和史と上々颱風はいただけないと思うのだがなぁ・・・。彼らは「琉球」ではなく、「似非琉球」だものなぁ・・・。

 そして極めつけは、11月7日の琉フェス大阪。
 いろいろ事情があってもしかしたら最後の開催になるかもしれないので、万難を排して参加するつもりであった。
 メンバーも、わかる範囲では、知名定男、大工哲弘、りんけんバンド、新良幸人withサンデーのほか、吉田康子、BEGIN、東風平高根、知名定人、カラビサ、里朋樹&歩寿(奄美島うたの兄妹ユニット)。エイサーは琉響伝、司会は津波信一という布陣。
 いわば、老舗と新進、知名ファミリー全快といった印象があるが、BEGINなども加わって、悪くない。しめしめ。
 がっ!
 この日は日曜日にもかかわらず、仕事が入ってしまったのです。ああっ、くそ~~!!!

 行きたい、見たいがすべて不調。
 まあね。仕事をやらせてもらっているからこそ、いろいろと楽しめることもあるワケで。
 ここはぐっとこらえるしかないのであろうな。

 というわけで、気分はヒジョーにブルーな今日この頃なのだ。


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 現代を写す鑑、17世紀の琉球――との副題がついています。
 1609年、琉球王国は薩摩の侵攻に遭い、占領下となります。琉球王国はこの「危機の時代」に、先行きのまったく見えない状況下で、新たに発生した経済的負担や対外関係の変化などをどのようにして乗り越えてきたのでしょうか――。
 その過程を追うことで、同じく「危機」と「変化」の時代を生きる現代の日本が進むべき道をさぐろう、というのがこの本のテーマです。
 ほほ~、危機の時代である現代の乗り切り方を琉球王国に学ぼうという趣向なワケですね、いいですね~。

 薩摩の支配に全国的な寒冷化が加わって琉球は危機に陥りますが、それを克服するために羽地朝秀が税制改革を行い、王国の建て直しに成功します。
 しかし、中国の政変で明が清になり、日中両大国の狭間で琉球は嵐の中の小舟のよう。そんな状況を絶妙のバランスで国家関係を維持しながらなんとか乗り切り、17世紀には学問などを通して安定体制を確立していきます。

 著者は1980年生まれの若い史学者で、本書は筆者の卒業論文、修士論文をもとに加筆修正したもの。そして、新書上梓については、先に同じ新典社新書で「喜界島・鬼の海域 -キカイガシマ考」を出版した福寛美からの勧めがあってのことなのだそうです。

 大きな字で平易な文体。これが論文だったとはとうてい思えないほどにやさし~く書かれていますので、中学生だって易々と読めそうです。
 こういう文章の書きかたって、いいと思う。難しいことを易しく書くって案外大変なことなのだ。こういうことは参考にしなければならないだろうなぁ。


 この100年余りで最も暑かったとされた猛暑の日々を過ぎて、ようやく涼しくなったのを機に、少しずつ読書量が増えてきました。読書の秋ですなあ。

 1968年夏。フィリピンに生まれ、カデナの空軍に勤務する女性曹長フリーダ・ジェーン。
 サイパンで両親と兄を失い、沖縄で一人戦後を生き抜いてきた嘉手苅朝栄。
 朝栄夫妻にかわいがられ、地元の人気ロックバンドのドラマーとして活躍する青年タカ。
 朝栄のサイパン時代の旧友で、那覇で再会するベトナム人安南さん。
 4人は、カデナの基地から北爆情報を刻々とベトナムに伝えるスパイとなります。
 しかしそれは、フリーダの恋人を裏切る行為でもありました。
 彼女の恋人パトリック・ビーハン大尉は爆撃機B-52の機長で、北爆に行くたびに心を痛めていました。

 重い題材を扱い、そこでダメージを負いながら戦争に向かわなければならない病んだ組織に生きる兵士の実情を鋭く描写する一方で、反戦のため、恋人のため、若い日々のため、ベトナム戦争時代の沖縄の空の下で生きる人々が、なにかとても軽やかに描かいているところが印象的です。

 軽快なウチナーグチ、詳細な地理描写、歴史上のトピックのさりげない描写・・・。いずれも的確で、沖縄で10年間暮らしてきた著者の思索と経験が遺憾なく注がれた傑作長編小説だなぁと思いました。

 あまり戦時色、政治色が強くないので、読んでも気が重くならないで済みますから、安心して読んでみてはいかがでしょうか。
 今年の年頭に「沖縄本年間50冊読破」という目標をたてていましたが、読了数を数えてみたところ今日現在で45冊に達していました。
 そのほかに現在読み進めているものが4冊あり、どうやらこのままいけば目標は達成できるようです。ヤッホ~♪

 このところ思うように沖縄を訪れることができなかったり、好きな沖縄音楽からもやや遠ざかり気味だったりで、それらの鬱憤を本をよむことで晴らしているような傾向があった。
 なので、これは喜ばしいことなのかどうかはよくわからない。
 でもまあ、目標を達成するというのは、気分のいいものではある。

 折しもイチローが昨日、日米通算3,500本安打を達成し、10年連続200本安打もなんとか達成できそうな様子。おれなんかと違って、こっちは大記録だよな。

 ちなみに、50冊以上読破は、2004年から目標にし始めて7年間では、2年連続4回目。過去最高の07年の51冊をも上回りそうだ。
 年末まで3ヶ月以上あるから、これまでは何とかかろうじて達成してきた数字でしたが、今回は設定ハードルを大きく越えてクリアできそうです。ヤッホ~♪♪



 マニアというのはスゴイもので、コレクターとしてのマニアとなると、それに投入するカネは一般のカネではなくなったかのように惜しげなく使うようになるものです。自分も心当たりがないわけではありません。
 しかしこの本の著者は、ただのコレクターの域を脱してしまったようで、沖縄本を4,000冊も買い集めたというのですな。しかも希少本を中心に。うらやましいというか、なんというか。(笑)

 「沖縄が好き」なのか、「沖縄本が好き」なのかわからないという、沖縄本の豊饒なる世界に迷い込んだ稀代の沖縄本コレクターが語る、本と沖縄をめぐる抱腹絶倒のエピソード。

 ふつう、本というのは読むために買うものだとばかり思っていたのですが、著者の場合、当面読まなくても、とにかく買うことに命をかけている模様。いつか読むときがきっと来るだろうから、なくならないうちに買っておくのだ、というのですな。
 いくら沖縄本であっても、値段が手ごろなもので(基本2,000円以下)、厚くて字が小さくなければ(マンガ、画集、写真集、詩集などは基本不可)買わない、というポリシーで買っている私とは大違い。
 ほしいものは値段に糸目をつけずにとにかく買う、というところは極めてうらやましい。

 宜野湾の古書店“BOOKSじのん”の天久店長との出会いによって沖縄本に本格的にのめりこみ、その後は沖縄関連の希少本を求めて沖縄や東京の古書店を文字どおりくまなくめぐり、めぐりめぐってキャンパスレコードのビセカツ氏と出会い、出会いついでに登川誠仁の家を訪問してしまっています。(笑)

 おなじ沖縄本マニアということで、とても興味深く読むことができました。
 あ、でも、別に沖縄本マニアでなくても楽しめそうですよ。なにかに一心に、脇目もふらずにのめりこんでいる人間の姿というものは、若干のペーソスこそ醸し出しつつも、それはそれはとっても美しいものなのですから。

 著者にひとつだけ進言することがあるとすれば、せっかく買ったんだから、少しは腰を入れて読んだほうがいいですよ、そうすればもっと、その「豊饒」の世界が深々と見えてくるはずですから――ということでしょうか。


 DISCの2枚目は、登川誠仁、知名定男、よなは徹、松田弘一、大城美佐子、饒辺愛子がずらりステージに並んでのスタート。
 しょっぱなの「時代の流れ」では5番に至って誠グヮーが歌詞を間違えて、ステージも観客も大笑い。
 うたい終わって言い訳をする誠グヮーがおちゃめ。

 そして知名が、ココだけの話、ということで、嘉手苅林昌と誠グヮーは実は仲が悪く、酒を飲んでけんかした際に誠グヮーがおとうの指を噛んだという話でまた大笑い。

 次の「ハリクヤマク」ではみんながてんでにうたい始めて収拾がつかず、誠グヮーが「エー!エー!!」とストップをかけてまたまた大笑い。いやぁ、漫才以上ですね、この楽しさは。

 ここまでうたわずに黙っていた大城美佐子に知名が水を向け、美佐子は嘉手苅さんはよく歌詞を忘れる人だったと思い出話をして、今回は知名と二人で「十九の春」を。
 映画「ナビィの恋」で、東金城本家の仏間で雨の中嘉手苅と大城がうたっていたこの唄が、映像とともに蘇ります。

 その後嘉手苅林次が真ん中に出てきて、「恋語れー」を。
 おとう直伝の弦のたわんだような不思議な音色で三線を弾きながらうたう姿は、声もまたおとうのようなくぐもった声で、なぜか、ああ、おとうがこの会場のどこかにいるなぁと感じさせます。

 続いては、民謡酒場「なんた浜」で27、8年おとうと一緒にやっていたという饒辺愛子が、やはり「なんた浜」のスター松田弘一とともに思い出の曲「国頭ジントーヨー」を。

 知名が「嘉手苅さんとともに歩んできたことをたどっていくといくら時間があっても足りないが、誠グヮーシンシーも限界に近いようなので・・・」と発言して、カチャーシーに突入です。
 「嘉手久」~「アッチャメー小」~「唐船ドーイ」。途中で誠グヮーが太鼓を叩き始めました! なんと! すごいキレ!! 誠グヮーはまだまだいけるね。(笑)

 アンコールは「ナークニー~山原汀間当」。

 おとうに関する逸話が随所で語られ、それが次の唄に勢いを与えていく、そんな感じがしたステキな公演でした。

 これは沖縄民謡ファンならば絶対に「買い」だと思いますよ。


 先に、知名定男やネーネーズが所属するディグ音楽プロモーションの社長さんからメールを頂戴し、その方のブログ「翼を休めに来ませんか」と相互リンクさせていただきました。
 そのブログには、ネーネーズや知名定男のこと、ライブハウス島唄のことなどいろいろ載っているので、読むのが楽しみです。

 で、そのブログからの情報(の横流し)ですが、ついにネーネーズの新作が発売されるようです!
 待っていたのですよねぇ・・・。(嬉)
 二代目以降のネーネーズのCDは、過去2002年、2004年、2008年ときていて、次はもう少し先のことだろうと思っていたのですが、今年出るとはうれしい誤算。

 ネーネーター、ライブハウス島唄では、「近々新作をつくる」という話を少なくとも今年のGWごろからやっていたのですが、その頃は半信半疑でした。きっとミニアルバムかなんかなのかもなぁと思っていました。
 しかし、この夏には「ジャズあり、ロックあり、島唄ありで、けっこう自信があるんですよ~」とか「もう収録はだいたい終わっているんです」とか「発売は10月ぐらいになるのかなぁ」とか言っていたので、フルCDであることの信憑性がかなり増しました。(笑)

 そのニューCDは、「贈りもの」。
 11月7日(日)発売!だそうです。
 おぉ、この日はといえば、竹富島の種子取祭の日であり、大阪琉フェスの開催日だよな。関係ないけど。

 肝心のジャケット写真がまだ完成していないのだとか。
 いずれブログ「翼を休めに来ませんか」でいちはやく発表されるでしょうから、チェックしてみてはいかがでしょうか。

 ラインナップは次のとおり。みなさん、期待して待っていましょ~ね~。

  1 贈りもの
  2 アイラブ・ソングキング
  3 春のワルツ
  4 初恋
  5 SAKISHIMAのテーマ
  6 白雲ぬ如に
  7 風の道
  8 コザ!
  9 山河、今は遠く
 10 山ばれーゆんた
 11 赤田首里殿内
 12 待ちくたびれて
 13 願い

 個人的には、おそらく嘉手苅林昌のことをうたったものであろう6と、セルフカバーの9のデキはどうだろうか、というあたりに特に期待しています。


 かつて那覇にあったという花街“辻(チージ)”の実態を追求するべく、数ヶ月前、この本と同じ上原栄子の著書「辻の華・戦後篇」(上・下2分冊)を読みました。
 それらはその意図をある程度は満たしてくれたのですが、どちらかというと彼女の戦後の生き様が中心に記録されていたので、やはりこれらが書かれる前に本編として出版された「辻の華―くるわのおんなたち」を読まねばなるまいと、アマゾンで古書を入手したのでした。

 上原栄子という人は、大正4年の生まれで、4歳のときに身売りされ、辻の抱親(アンマー)に育てられたという生粋の尾類(ジュリ)。そして時代的に言えば、彼女が30歳だった1944年のいわゆる十・十空襲で辻は消滅したので、彼女は最後の世代の尾類ということになります。

 尾類というのは、本土風に言えば“女郎”ということになるのでしょうが、読んでいて感じたのはむしろ、沖縄の尾類に当たる概念は日本にはないのではないか、ということでした。

 彼女たちはかいがいしく殿方たちを応接し、会合を引き受け、料理や歌舞音曲を提供し、時には身体を預けたりもしたそうです。
 しかしそれは、誰にでもということではなく、決まった2、3人に対してだけで、二十歳代も中ごろになれば特定の男性に身請けをしてもらい、それが妻子ある人であれば、ずっと日陰の存在のままその人のために一生を捧げたというのです。

 そして、女護が島といわれた女社会の辻では、しきたりや上下関係には非常に厳格で、尾類たちは小さいときから義理・人情・報恩を旨として、一般家庭以上に厳しく躾けられたそうです。

 実際に尾類として、花の島に一生を捧げた人の回顧録なので、思い出しながら書いているとはいえ、泣き、笑い、感じていることが具体的かつ鮮明で、それらのひとつひとつが重く、読んでいて戦慄を覚える場面が多々ありました。

 一般世間とはちがう辻のおんなたちの生活や様子などについて、外側から書かれたものはいくつかあるのでしょうが、辻に売られ、その中で育った内部の者によって書かれたものはおそらく上原栄子の手によるものだけだと思います。
 そういう意味でも貴重な一冊でしょう。古書を探してでも手に入れて、ホントによかった。

 ちょっとした発見。
 日本では女郎を“買う”と言いますが、この時代の沖縄では、尾類を“呼ぶ”と言ったのだそうです。頻繁に辻に出入りする男は“ジュリヨバー”と言ったのだとか。
 そういえば、沖縄民謡の「ヒンスー尾類小」の歌詞に、♪ヒンスー尾類小 呼び習てぃ 呼び習てぃ・・・ とあったよなぁ。
 オレには貧乏女郎のほうが向いてるね、金持ち女はプライドばかり高くてさ、手に及ばんよ――てなところですかね。


☆「辻の華―くるわのおんなたち」(上原栄子著、時事通信社刊)から

 わたくしを育ててくれた辻の抱親(あんまー)様は、随分若い頃から一人の旦那を持ち、詰尾類(チミジュリ)のまま30年間飽きもせず、飽きられもせずに暮らしておりました。30年も日陰の女で暮らしてきた抱親様は、旦那様と一緒にいるというだけで素朴に歓びを感じていたようです。
 暗くて重い自己嫌悪の感情を、辻の姐であれば誰しもが持っているものでしょうが、抱親様は一度もそんな素振りを見せたことがありません。旦那様が家に見えたときは、我が物と思うことになぐさめを感じていたのでしょうか。金を持ってこようがこまいが、お金よりも旦那の心が有り難いと思っておられたようです。
 旦那様が見えたらのどかに楽しく過ごさせるように気遣い、おいしい料理、うまい酒でご自身の存在を示されていたように思われます。

 ところが、殿方の浮き沈みは世の習いで、旦那様が事業に失敗されたときなど、抱親様は、営々と築きあげた自分の財産を身ぐるみ脱いで差し出し、あげくの果てに、わたくしの頼母子講まで貢いだものでした。わたくしも小さいときから旦那様のお陰をこうむってきましたから、報恩のつもりで何も言わず出しました。これもまた抱親様に教え込まれたことでした。
 心労と浮世の義理にさいなまれた旦那様はとうとう病に倒れてしまいました。最後の最後まで抱親様は、旦那様の看病に付きっきりでした。
 危篤になった旦那様を抱親様とわたくしは、車に乗せて本宅に連れて行きました。奥方様と抱親様の両方から、旦那様は死に水を取られて、この世を終えました。
 わたくしは、奥方様と抱親様の間で死んだ旦那様を横目で見ながら、台所の方でお湯を沸かしたり、辺りを片付けておりました。夜の明けるのを待つその間に色々と奥方様と辻の姐のことを考えさせられたものです。

 抱親様の、死んだ旦那様の家族に対する報恩は、戦後までも続いたものでした。死ぬか生きるかの戦争も終わったその後で、人の思いも考えも変わったように思われる世の中になっていましたが、抱親様と奥方様が手を取り合い、肩を抱き、涙を流して、互いの健在を喜び合っていたそうです。敵である者同士、一人の男を愛して苦労してきた女二人は、一方は夫につかえた亡夫の女をいつくしみ、一方は死んだ旦那とはいえ、大恩ある奥方様と思えば、友情以上のなつかしさがあり、一人の男を間に立てて、互いに親類にもまさるように感じていたように思えます。
 在りし日の旦那様の話をしながら、二人は感きわまって泣き合ってもいたそうです。それを人づてに聞いたわたくしは、辻の姐として生き抜いた若き日の抱親様の姿を思い浮かべました。

 とにかく馴れ初めて30年もの旦那様の死後、抱親様には大変な失意と絶望が襲ったに違いありませんが、しばらくして女に男がおらねば我が世も終わりと、心の糧に他に殿方を見つけて、また詰尾類になりました。
 抱親様は生涯の最後になった殿方にも習慣がそうさせるのか、白粉(おしろい)に身をやつしながらも一所懸命尽くしました。
 抱親様はその家族とも近しく行き来して、91歳の長寿で世を終えました。そのときその殿方の長男も葬列の友人代表となり、奥方様や家族の方々も参列されました。「義理、恥失えば人間ではない」というのが抱親様の信条でしたが、本当に辻の詰尾類とは正体のつかみにくいものだったのです。


 114ページ、税込み1,050円の小冊子。
 薩摩の琉球侵攻(1609年)以降の両者間の関係ってどうなっていたんだろう?――という素朴な疑問を少しでも埋めてみたいと思って購入した、のだと思う。(購入したのは昨年6月)

 まぁ、たいしたボリュームでもないので、あっさり読み終えちゃうんだろうなとアナドッテいたのですが、おれって高校生の時代からそうだったのだけれど、漢文というものが苦手なのだな。
 この本、やたらと古文書の引用が多いので、読むのがけっこう大変でした。多少、というか、かなり辟易しました。(笑)

 でもまあ、書いてあることはそう難しいことではなく、同じことを繰り返して何度も解説してくれているので、漢文ダメダメの自分にもなんとか理解することはできました。

 その繰り返しの解説方法というのが徹底しているのがおもしろい。
 まず本全体が「はじめに」と「おわりに」でくくられていて、「はじめに」で何を述べたいかを概説し、「おわりに」で結論を概括しています。
 それは当然としても、その間にはさまれた各章もそれぞれが同じつくりになっていて、「はじめに」と「おわりに」が必ずついています。
 なんかもう、各章の中身なんて読まなくても、その部分だけ読んだとしても十分だったような気が。
 そんな思いで読み進めた最終章は、なんと、それまで記述してきたことについてどこかで講演したらしく、その様子が口語体で書かれています。
 ・・・・・・。おれは、そう、漢語が苦手なおれは、この最終章だけ読めば十分だったのかも。
 ご丁寧に、講演にも「はじめに」と「おわりに」があったりして。(笑)

 「薩摩と琉球―琉球の主体性を考える―」、「徳川家康と尚寧王の対面に関する一史料」、「中山王から琉球国司へ、そして中山王へ」、「薩摩藩の琉球支配と中国情報」、「琉球の慶賀使について」、「北京の琉球使節」、「東アジアのなかの琉球」の全7章。

 薩摩と琉球間の歴史を学問的に追及したい人にはオススメ。
 でも、漢文に弱い方は避けて通ったほうが身のためでしょう。
 昨年の琉フェス大阪のインプレッション、2009年11月23日以降書き進めずにいましたが、10ヶ月ぶりに続きを掲載します。
 まもなく2010年の琉フェスが開かれるってのにねぇ・・・。(苦笑)

 すっかりうろ覚えになってしまいましたが、ご覧ください。
 あと2回で完結です! 

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○オキナワチャンズ

 うたい終えて美佐子は、今着ている紅型衣装は坂本龍一のワールドツアーに参加したときに最初に着用した衣装であることを告白。
 はあー、そうなのか。よく今まで大切に持っていたものだとびっくり。と同時に、そのときの衣装を今の体形できちんと着れていることに、またびっくり。(爆)

 そしてさらにびっくりは、なんと玉城一美と我如古より子も同じ紅型で登場しました~♪
 うわぁ、ゴージャス。これがオキナワチャンズだ!
 1980年代後半、坂本龍一のワールドツアーに参加した3人、その美しいコーラスで世界の聴衆を虜にしたという、あの伝説の沖縄チャンズであります。およそ20年ぶりに復活です。

 3人のそろい踏み(って、千秋楽これより三役揃い踏みみたいだが・・・)は、個人的には1987年のRBC新春民謡紅白歌合戦のビデオで見て以来。こうして3人がそろってステージに立つ、ということ大きな意義があるのだろうな、さすが琉フェス!

 左から一美、美佐子、より子と並んで、アメリカでオキナワチャンズといわれ、ニューヨークではオキナワガールズといわれたよね、なんて話をして、3人がかわるがわるに「赤田首里殿内」、「耳切坊主」、「てぃんさぐぬ花」を連発。
 4曲目の「ちんぬくじゅうしい」では、うたいながら3人が笑顔で顔を見合わす姿がみられてほのぼの。

 せっかくだからもう1曲ということで、坂本とのツアーの際に、ニュージャージーだったかでウチナーグチで歌詞を書いてくれという話があって、その翌日にレコーディングしたという「Romance」を披露。
 フォスターの代表作「金髪のジェニー」をスローにした曲にウチナーグチの歌詞。それぞれがユニゾンスタイルできっちりとうたいます。
 予行演習はしたにしろ、何年ぶりかでともにうたったはずで、不安ながらもなんだかいたわりあってうたっているところは逆に好印象。

 ああ、素敵だなあと思っているうちに時間は19時40分。ということは、美佐子はオキナワチャンズと合わせて40分もやっていたことになる。でも、なんかあっという間だったなぁ・・・。


上画像:大城クラウディアのブログから、貴重な画像を拝借! クラウディアさんヨロシク。
○フィナーレ
 もうそろそろお時間ですかね。
 「このままでは終われないでしょう!」とのガレッジの2人の発言にあおられて、出演者全員がステージに再登場。
 「みなさ~ん、これで最後ですよ~!」とのさらなる煽りに、聴衆たちはステージ前へと大移動し始めます。

 まずは「安里屋ユンタ」を大合唱。
 あれあれ、今回は皆さん、わりと酔っ払っていませんね。今回は新良幸人が参加していないから? それとも誠グヮーがいないから?(笑)
 大工と神谷は後ろのほうで三線を弾いています。おお、苗子さんは着替えての登場ですな。成底さんはミス・オキナワとご歓談。

 「安里屋ユンタ」は大工によって正調かつスローなものに取って代わられ、それが終わるや今度は下地勇のリードで「漲水のクイチャー」だ! ♪ニノヨイサッサイ、ヒーヤサッサ、サッサイ、サッサイ・・・。
 続いては、ジョニーのウクレレが響いて「豊年音頭」。
 さらには、神谷が中心になって始まった「唐船ドーイ」を大工と大島が引き継ぎます。

 いやはや、大騒ぎ。
 ガレッジの「アーティストたちに拍手~! 盛り上がったお客さん自身に拍手~!!」、そして、「2010年に会いましょう!!」ということで、2009年の琉フェスは幕を閉じたのでした。



《琉球新報から》
 15回目を迎えた音楽の祭典「琉球フェスティバル2009」(主催・エフエム大阪、H.I.P.大阪)が17日、大阪市の大阪城音楽堂で催された。
 沖縄や奄美からミュージシャン15組が出演。三線や太鼓、笛、キーボードなどの響きに出演者の味わい深い歌声が重なり、5時間超のステージが秋の大阪を熱く彩った。
 約2500人(主催者発表)の観客は盛んに歓声を送っていた。
 大工哲弘さんなど大御所に交じり、ジョニー宜野湾さんら初出場も7組おり、15回の節目をフレッシュに飾った舞台となった。
 後半では「沖縄チャンズ」として音楽家・坂本龍一さんと共に活動した古謝美佐子さん、我如古より子さん、玉城一美さんの共演が実現。「ロマンス」など当時歌った曲を、3人の張りのある美しいコーラスで聞かせた。
 フィナーレでは出演者全員が登場し「唐船ドーイ」などを熱唱。観客は総立ちでカチャーシーを踊り華やかに締めた。
 司会はお笑いコンビ・ガレッジセール。関西の県出身者らで結成されたエイサーグループ沖縄かりゆし会や琉鼓会、琉ゆう会によるダイナミックな演舞も見せた。