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 年末から1月にかけて買い集めた沖縄本は、次の9冊。

 辻の華―くるわのおんなたち     上原栄子        時事通信社      980
 ニッポン「奇怪島」異聞         諸島文化・民俗研究会   宝島社     933
 王様は島にひとり            池上永一        ポプラ社       1365
 琉球王女百十踏揚           与並岳生        新生出版      3200
 八月十五日の夜会           蓮見圭一        新潮社        1500
 平和通りと名付けられた街を歩いて 目取真俊        影書房       1800
 沖縄カミさん繁盛記           笑築過激団 編    沖縄教販      1429
 チェケラッチョ!!           泰 建日子       講談社文庫      440
 ホテルジューシー           坂本 司         角川書店      1470

 いろいろ興味をそそられるものばかり。
 多くは1月22~25日の沖縄訪問の際に書店で購入またはチェックしたもの。
 いつも利用しているネットショップでは「沖縄」とか「琉球」とかのキーワード検索をもとにするので、上記のような本はなかなかその検索に引っかかってこないといううらみがあります。ところが沖縄の書店では郷土関係本をまとめて展示してくれているので、一目瞭然で便利。

 「沖縄カミさん繁盛記」は、首里りうぼうのTSUTAYAで買ったもの。大城美佐子、与世山澄子、吉田妙子、吉田康子、大工苗子(大工哲弘の妻)、嘉手苅秋子(嘉手苅林昌の妻)、登川茂(登川誠仁の妻)、桃原あい子、北島角子などが登場します。マニア垂涎! これはネット通販に乗らない恐れありと踏んでゲット。

 この「沖縄カミさん…」と「辻の華」、「ニッポン「奇怪島」異聞」以外の5冊はいずれも小説系。
 このうち「琉球王女百十踏揚」(ももとふみあがり、と読む)は、前回の沖縄旅でチェックしてネットで買おうとしたところ、ネットの取り扱いがなかったもの。念願の入手となります。2段組760ページの超大作。コレ、文庫化されて5分冊になったものがあるのですが、その文庫版は各800円。それだったら3,200円のこっち1冊のほうがいいよな。・・・へんなの。

 うむむ・・・明らかに読むペースよりも買うペースのほうが速い。
 でも、未読本が少しずつ入れ替わり、なおかついくら読んでもこれから読める本が手元に豊富にあるというのはシアワセなことだ。
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 このごろちょっと焼きそばづいています。それもあんかけ系の。(笑)
 北海の五目焼きそばとくらべてみたらどうなのだろうと思って、上海厨房へ。



 ココのはレギュラーなあんかけ焼きそば。
 具の数を数えてみたら、12種類入っていました。
 白菜、ほうれん草、筍、タマネギ、キクラゲ、椎茸、ボンレスハム、むき海老、イカ、うずらの卵、ヤングコーン、ナルト。なお、後半の5品目は1コずつ。

 味のほうは、スタンダードな感じでおいしい。麺のキツネ色の焦げ目も適当だし、全体として甘くもなく辛くもなく、極めて常識的な味だと思う。
 だが、なにか物足りない。それが何なのかを考えていて思ったのが、「豚肉」なのではないか。
 前回ココで食べたスーラータンメンの旨みは豚肉が担っていると感じたのだが、コチラにはなぜか入っていないのですよ。
 豚肉というのは偉大で、ちょっと入っただけで平板な味に深いコクが加わるものなのですね。

 まぁ、店にしてみれば、ウチの五目焼きそばは海鮮系の風味がウリなのだから豚肉ナンゾは入れないのだ――ということなのだろうと、だいたいの想像はつく。
 ならば、なのだが、もっと魚介系の具を加えて、その持ち味を鮮明にすべきなのだと思う。

 840円はやや高めか。

 店の詳細は、こちらのページをどうぞ。
 午前中長井に用事があり、終了後の11時半、昼飯にと開店すぐに初訪問。長井では屈指の評判ラーメンのようなので、ぜひ寄ってみたかったのです。



 男煮干しラーメン650+100円。う~ん、写真がピンボケだ・・・。
 口径の小さいドンブリで登場したときはおいおいこれで大盛りかよと思いましたが、けっこう深みがあり、十分な量でした。

 ガツンとくる煮干しスープですが、煮干し系ラーメンにありがちな粉っぽさはなく、なかなか美味い。ドンブリの形状からスープの量自体は多くありませんが、飲み干すのに適量です。
 麺は極太。米沢の麺屋いなせといい勝負。ガッツリとした食感で、ちょっと製麺所製っぽいところはあるけれどこれまたステキ。
 トッピングは、多めのネギ、とろとろのチャーシュー、いい味のメンマ、それに、生の春菊が添えられていました。春菊は苦味があって悪くありませんが、なんだか鍋物を食べているような気になったり・・・。この春菊、どうやら海苔の代わりのようです。

 全体としては、新作系ラーメンとしては十分に評価できますが、「オレは中華そばが好きなんだ」という人は別の店を選んだほうがいいと思います。それぐらい徹底したユニークさがあります。

 店員のオニーサンたちは、あいさつや相槌代わりに「オス」、「押忍」と男らしくかつまたさわやかな声を出し合います。これを聞いているだけでもなかなかおもしろい。(笑)

 きっとつけ麺が美味いのだろうな、こういう店は。ふつうのラーメンもあるし、そのうちまた行ってみよう。

 店の詳細は、こちらのページをどうぞ。


 「車を降りて、歩きたい」
 どのきっかけでそう感じたか、はっきりと覚えてはいない。どこか大通りを通過中、隙間に延びる路地の突き当たりに商店か何かが見えて、行ってみたいとふと思ったのだろう。
 まだ見ぬ沖縄が、大通りの裏側にある。沖縄について訳知り顔に文章を書く前に、路地裏をもっと歩くのが礼儀だと思っていた。そこには開発のうねりが届かない、昔ながらの沖縄があるかもしれない。あってほしい。沖縄と初めて出合った頃のワクワク感を、もう一度感じたい――。

 プロローグで、本書を著すきっかけとなった著者の心境が記されているくだりですが、この心境、わかるなぁ。旅は、歩いてこそ見えてくるものがあるものな。

 また、こんなことを書くとおれもトシだなあとつくづく思うのだけど、おれも今から17年前に初めて沖縄の土を踏んでそのニッポンではないようなエキゾチシズムと、本来のニッポンの風情と思われる景色や情緒とのアンビバレンスにいたく感動したものですが、ここにきておれの愛する沖縄は、その表情を内地のそれと同じようなものに急激に変貌させつつある、と思う。

 国際通りで歩行者天国が始まり、新しい道が次々とでき、見上げるようなホテルが続々と建った。アジアンテイストの居酒屋やカフェがたくさんできた。と思ったら、すぐに閉じられ残骸だけをさらしている。沖縄は今、凄まじい速さで変貌しているのです。

 道端に残る沖縄本来の風景を探して吉田さんの足は、那覇の街はもちろん、北谷の謝苅坂(じゃーがるびら、と読みます)や旧嘉手納ロータリー周辺、普天間のスージグヮー、名護十字路界隈などへと向いていきます。
 行き先では、そこの人たちとの出会いやゆんたくの成り行きなどから、居酒屋で飲むことになったり、必要以上に食べものを摂取したり、なぜかしょっちゅう床屋で散髪したり。(笑)

 吉田さんはそうとうに人懐っこい人のようで、おそるおそる入った店などでもすぐにその場に溶け込んでしまう様子が印象的。その溶け込み方はとても謙虚そうで、地元の人たちがいやな思いや負担感をまったく感じずにいる様子も見えてきます。
 おれの場合ここまで地元に合わせて馴染んでいくことはちょっとできそうにないので、これからも吉田さんの沖縄旅行記を読んで疑似体験していこうと思います。肩の凝らない筆致もなかなかいいですよ。


 沖縄県には人が生活を営んでいる島が45あるのだそう。このうち行ったことのある島はいくつかなとふと思って数えてみたら、35でした。あと10島。沖縄有人島全島制覇はまだ遠い道のりだなぁ・・・。

 沖縄の食と言えば、一般的にはゴーヤーやラフテー、沖縄そば、泡盛などが全国的に知られていますが、実際沖縄に来てあちこち見聞きし、食べるにしたがって、そのようなものはほんの氷山の一角で、もっともっと生活に密着した奥の深~い食べ物がたくさんあるのだなと思い知らされることになります。

 本書では、45の島の人々がいつも食卓に並べているようなよそいきでない食べ物を、島ごとにきれいな写真入りでピックアップしています。
 久高島のイラブー汁とアセロラ、伊計島のパパイア、古宇利島のウニ、渡名喜島のモチキビ、粟国島のソテツ料理と塩、南大東島のラム酒・インガンダルマ・大東そば・大東寿司、石垣島の重箱料理・島味噌・ガザミ、小浜島のモズク、竹富島の島醤油とピパーチ、伊良部島のカツオ、多良間島のパナパンピン・・・などなど。
 島はそれぞれに、実にバラエティに富む食文化をもっているのですね。

 著者は放送作家を経て沖縄移住を果たした1964年生まれの女性。かなりのガチマヤー(食いしん坊)のようで、取材を申し込んだ島の人の家に行ってはなんでもおいしそうに食べています。(笑)
 そうそう、なんでも自分で食べて確かめてみないとね。


 2010年1月に行った沖縄旅の際、首里りうぼうのTSUTAYAで買ったもの。
 表紙を見た瞬間に「これは買いっ!」と思いましたね。で、ページをめくってみると・・・スゴイ! 沖縄の文化や芸能を担ってきた女性はもちろん、男たちを陰で支えた女性たちもたくさん載っていて、それらもあの人の奥さんでしたか、というものがほとんど。

 登場人物の全部を紹介しますと・・・
 チアキ(しゃかりのボーカリスト)、のんちゃん(コミックバンドとぅるるんてんのメンバー)、石坂美砂(シャンソン歌手)、山城ルミ(ジャズシンガー)、知花加代子(オペラ歌手知花賢招の妻)、平仲敏子(ボクシング元チャンプ平仲信明の母)、みや里京子(カラーコーディネータースクール主宰)、亀井利栄子(ミュージシャン日出克の妻)、大工苗子(唄者大工哲弘の妻)、吉田康子(初代ネーネーズメンバーの民謡歌手)、福田加奈子(乙姫劇団出身の女優)、桃原あい子(民謡歌手)、大城美佐子(沖縄民謡唄者)、与世山澄子(ジャズヴォーカリスト)、宮城愛子(陶芸家宮城秀雄の妻)、桑江純子(人形劇団かじまやぁ主宰)、斎藤美土(ロック歌手宮永英一の妻)、普久原カロリーナ(沖縄芝居俳優普久原明の妻)、吉田妙子(役者)、富田由美子(日本舞踊西川流師範の妻)、島袋君子(国指定重要無形文化財「組踊」総合指定立方保持者島袋光尋の妻)、嘉手苅秋子(唄者故・嘉手苅林昌の妻)、登川茂(唄者登川誠仁の妻)、北島角子(女優)、大宜見静子(沖縄芝居大宜見小太郎の妻)。

 ・・・どうです、すごいでしょ。スゴイんです。知っている人ならわかります。これは読まなければナランでしょう。

 写真入りでインタビューが載っていますが、みんなそれぞれ齢を重ねても表情は美しく、真摯な眼差しの中にも、日々をしっかりと積み重ねてきた自身や安堵感のようなものが見てとれます。
 監修の椎名誠が冒頭に「沖縄のカミさんたちのファンである」との一文を寄せています。

 思い入れたっぷりの文章が一部日本語的でなかったり難解になっていたりする点があったのと、巻末の読み物「沖縄コザ ビンカラ屋チルーの生涯」が本書のテーマと大きく食い違っていて、なんでここに載せるの?と異質感たっぷりだった点以外は、100点!
 いい本にめぐりあいました。
 前日は米沢市で大酒呑んで泊まり。翌10日の昼は、米沢ラーメンといきたい。・・・いきたい。無性にいきたい。
 で、これまでに行ったことのない店を攻めてみようと決めて、中心部からやや離れた万世町金谷にある味処京佳に行ってみました。



 ランチタイム限定のラーメンとミニ天丼セット890円。
 上等でしたねぇ。値段はやや高めの設定ですが、つくりはとても上品。
 ラーメンは、麺は定番のほろほろとした米沢ラーメンでよろし。で、特筆すべきはスープ。鶏がらと煮干しのスープの芳しいこと。運ばれてきたときの香りが秀逸。まぁこれも、鶏がらの「ダシの素」みたいなものを用いているのかもしれませんが、啜ってみても実に美味い! なにか独特の甘みが備わっているようです。コレ独特。
 天丼も適量で、いい味の丼つゆも多くなく少なくなく・・・。キス、ナス、かぼちゃ、オクラ、さつま芋の5種。
 ドレッシングつきサラダとおひたしの小鉢、漬物が付いてこの値段なら合格です。

 国道からそれているところにあるためか、混雑するような店ではありません。
 また、工業団地の近くに立地しているため、その関係者同士で仕事の話をしながらパワーランチをとっている様子が何組か見られました。
 客の多くない中にゆったりした配置の席。奥まったボックスを一人で占領して至福の時間を味わいました。

 店の詳細は、こちらのページをどうぞ。


 沖縄音楽界のパイオニア普久原恒勇がようやく語ってくれました。こういう本、待っていたんですよ。(嬉)

 普久原恒勇といえば、「芭蕉布」や「肝がなさ節」をはじめとする沖縄スタンダードソングの作詞者として沖縄では有名。養父は、現代沖縄民謡の父、チコンキーこと普久原朝喜というサラブレッドです。
 それほどの“大人”なのですが、裏方に徹するという考えをもっているようで、これまでまとまった著作などは発表されてきませんでした。
 それだけに、インタビュー形式でまとめられたものではあるものの、当書によってようやく人間・普久原恒勇の実像が俯瞰的にイメージできることとなり、沖縄音楽ファンにとってはたいへんに貴重なものだと思います。

 第1章は「録るひと」。プロデューサー、作曲家としての普久原恒勇の半生について。
 少年時代を過ごした大阪から沖縄に戻った恒勇が、どう音楽に目覚め、どのようにして音楽の制作活動に入っていったかが描かれています。
 圧巻は、マルフクレコードを復興させるに当たってどのような協力者がいたのかについて語る場面。脂の乗った全盛期の喜納昌永をはじめ、小浜守栄、嘉手苅林昌、上原直彦、小那覇全人(小那覇舞天の子で、現ラジオ沖縄の方言ニュースのキャスター)、山内昌徳などが登場します。

 第2章は「撮るひと」。音楽家よりも写真家になりたかったというほどに想い入れた写真について。

 第3章は「音楽とひと」。どんなうたい手やバンドマンやアレンジャーがいたか、という問いに、具体的に誰々は・・・と語る場面です。
 嘉手苅林昌、小浜守栄、喜納昌永、山里勇吉、知名定男、ホップトーンズ、フォーシスターズ・・・と、きら星の如く輝いていたかつての人気シンガーが名を連ねており、これは必見。
 特に嘉手苅林昌については、10ページを割いて詳述しています。逸話の多いヒトだったようですからねぇ、おとうは。

 第4章は「音楽を語る」。自作の20曲について、作曲者自らがコメントする、という趣向。
 「芭蕉布」、「肝がなさ節」のほか、「遊び仲風」、「豊年音頭」、「島々美しゃ」、「ヘイ!二才達」、「芋の時代」など。こうしてみただけでも、現在の沖縄スタンダードに恒勇の曲がいかに多く含まれているかがわかります。

 いやはや、スゴイ! とても感動。
 だがしかし、その普久原恒勇も77歳(2010年現在)。こういう話もなかなか聞けなくなる時代が近々やってくるのかもしれないなぁ。
 新たに「琉球関連名文」というカテゴリーを設けてみました。
 読んでいてコレハ!と思うものがあったときに、その一部を抜粋して掲載してみたいと思います。
 出典を明確にして、宣伝させていただきますので、お許しのほどヨロシクです。

 さて、その1回目は、「マルフクレコード復興」。「芭蕉布」(ボーダーインク刊)からです。
 


―― マルフクレコードの第二期始動前夜といいますか、帰沖後本格的にレコード制作を開始されるまでに協力者の方の動きなどもあったのではないかと想像します。
普久原恒勇  当時、沖縄で一番隆盛を極めていたのがマルタカレコードさん。マルフクレコードの得意先だったのですが勢力を広げていったんですね。マルタカさんは非常に繁盛していたのですが、そこで録音できないで落ちこぼれた人たちがいたわけです。その人たちが私の協力者です。
 マルタカさんは頑張ってらっしゃるから、われわれも頑張ろうじゃないかと名乗りを上げてくれたのが、喜納昌永、小浜守栄、嘉手苅林昌、兼村憲孝、多和田真正といった方々。主に喜納さんが中心になってやっていただきました。ギャラはなしでもいい、協力するからマルフクをぜひ盛り上げてくれと、喜納昌永さんがことのほか一生懸命私に協力してくださいました。金のない私が制作できたのも、こういう方々のおかげですね。
 それから放送関係には琉球放送に上原直彦がいたし、ラジオ沖縄には小那覇全人(現ラジオ沖縄「方言ニュース」キャスター。父親は小郡覇舞天)という課長が、極東放送には津覇実がいましたね。この人は民謡専門のパーソナリティで人気がありましたよ。
 当時はレコーディングスタジオといえば放送局しかありません。今日のようにみなそれぞれがホームレコーディングするような時代じゃないし。機材もものすごく高価な時代でしたから。放送局のスタジオは沖縄で3か所ありました。琉球放送、ラジオ沖縄、極東放送。この3か所で録りましたよ。機材はかなりいいものを入れていましたね。もちろんステレオなどという時代じゃありません。全てモノラルです。
 当時は放送局側も放送する音源が不足していまして、面白いことに「スタジオを無料で貸すから、その代わりこの音源を無料で放送させてくれ」と言われましたよ。こんなありがたい申し出はなかったですね。渡りに船というんですか。
 それで制作しまして、爆発的な売れ行きをした。ちょうどジュークボックスが普及していたころで、それに民謡が入りだしたわけですよ。歌謡曲やアメリカのカントリーミュージックが多かったんだけども、民謡が入りだしたもんだから、これで飛ぶように売れましたね。
 みなさんにも喜んでいただいたと思います。こちらはこちらで、放送局でしか録音はできないわけですし。ヒットした《ちぶみ》はラジオ沖縄で録りました。そのあとはほとんどラジオ沖縄でしょうか。ラジオ沖縄さんのスタジオは非常にいいスタジオでした。マイクロフォンは全てリボンマイク、RCA77DXだったかと思います。

―― 歌い手の方々とはすでにお知り合いだったのでしょうか。
普久原  1956年ごろですか、大阪時代に沖縄に帰って、デモ録音を録ったことがあるんです。沖縄に嘉手苅とか山内とか小浜とかいろいろな若者たちが居るから、ぜひこの人たちに会ってこいと朝喜に言われまして。
 それで小浜守栄、嘉手苅林昌、喜納昌永、あと山内昌徳といった方々にお会いし、マルフクレコードをよろしくお願いしますというあいさつも兼ねて、わたしがデモを録った。その当時の彼ら若手の歌がたまらなく魅力的でしたね。わたしが朝喜、京子のものしか歌のレコーディングを見てなかったというのもあるのかも知れませんが。
 このデモ録音は、朝喜の弟の朝康というのがおりまして、そのうちに皆さんお呼びして録りました。大阪からソニーが出した初めての携帯用オープンデッキを持ってきて、それでデモテープを作りましたよ。皆さん、朝喜の長男が来たということで非常に緊張しておられましたけれども。
 デモは録ったのですが、あとでマルタカさんと他社に録音できないという契約をされた方もあり、レコーディングできなかった。皆さん朝喜のところで録音できると喜んで頂いたのですが、マルタカさんが私が来たことを知って、「朝喜の長男が来ているそうだ、そら急げ」と、契約を交わしたみたいなんです。それで出せなくなった。
 デモテープ録っただけなのに、テープを消せとまで言われましたよ。ああ、凄いねえ。

―― 皆さん契約がおありになったのでしょうか。
普久原  ええと、山内さんと嘉手苅さんかな。マルタカさんと契約したのは。

―― でも、嘉手苅さんは第二期マルフクの最初期に録音されていますね? 契約は大丈夫だったのですか?
普久原  それはまあ、嘉手苅さんだから(爆笑)。あっちに入れたんだからこっちにも入れなきゃいかんだろうって。嘉手苅さんだから録音できたわけですねえ、ほんとに(笑)。


 マイサブダイニングの国味。(メインはあすなろ食堂だろうな)
 ここではいつもは定食モノで攻めることにしていますが、先日の訪問時、フト気が変わって焼きそば500円を試してみました。

 この店ではラーメンと並んで最安メニュー。
 量は普通。それは、とりもなおさずこの店としては少ない、ということ。でも、けっして不足感はありません。
 味は、極めて普通。よくはないと言いたいのではなく、普通の焼きそばこそ、うまい焼きそばである、と言いたいのです。
 炒めた油のテカリも、湯気とともに湧き立つソースの刺激的な香りも、青海苔の緑も、紅ショウガの赤も、シャキシャキのモヤシも、どれをとってもフツー。その組み合わせの妙がスバラシイのですな。

 満足、満足。
 ・・・でもやっぱり、となりの席の2人が食べているチキンカツカレーと鶏の唐揚定食のほうがもっとうまそうに見えました。
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★音楽とひと「嘉手苅林昌」(「芭蕉布」(ボーダーインク刊)から)

普久原恒勇 これはもう話が多すぎて話す気にもならない人ですね。とんでもない男です。理不尽だし、ちゃらんぽらんといえばちゃらんぽらんだし、歌が一番しっかりしているといえばそれもあっているし。
 まあ波乱万丈な男です。長らく付き合いましたよ、この人とは。凄いですよ嘉手苅は。あれは特別でしょうねえ。
 時おり声をかけられまして、伴奏してくれというのが何度かありました。そのときはいやだったけれど、今にして思えばとてもいい思い出になりましたね。恒勇が弾いてくれればやるよ、なんて言ってくれたことも懐かしい、ありがたい思い出です。
 レコーディングも、私と二人でやったものもありますよ。あの人は三味線が非常に荒いわけです。少々合わせにくい人ではある。早いテンポのものでは、こっちがぎゅっと引き立ててあげると大変喜んでおりました。基本的には彼の三線は私の演奏とはちょっと違うんですが、彼を乗せることはできると思っていましたね。
 平成の嘉手苅として磯田(健一郎、当書の編者)がプロデュースしたものも共演してはいますけれども(CD『The LAST SESSION』1996年)、充分三線が活かされてはいませんし……。あのころはちょっと枯れてしまっていて、耳も聞こえなくなっていた。右の耳が全く聞こえないと言ってましたよ。ですから調弦もできない。録るべきだったかどうか。
 うちの事務所で録った『七月エイサー』、あるいは『嘉手苅林昌特集』というCDがありますが、これらにも私と共演しているトラックがあります。
 私はあまり自分の名前をクレジットしないんです。自分の名前をいちいち書いたら、マルフクのものに全部名前が入ることになってしまいますから、何だかいやらしい気がして入れないようにしたわけです。聴けばこれは私が弾いているということはすぐわかりますが。今思えば名前を入れておけばよかったかなと少し後悔はしていますね。
 録音ということではこんな思い出もあります。コロムビアで録った時、オペレーターが「録音を録る時に非常に怖いのは、ひばりと嘉手苅、この二人だ」と言っていた。テレコを2台同時に回すんだそうです。彼らを録るのは非常に怖い、テイク2を録ろうなどと言っても聞かない。ミスがあると大変だからこの二人の時は2台同時に回してますと言っていました。この話には非常に感動しましたね。

―― ライブといいますか、演奏会もお二人でおやりになっていたかと存じますが。
普久原 踊りを一緒に舞わせたことがありました。踊り手がいて私と嘉手苅がいて、ではと二人でイントロを弾いた。なに口説でしたか、一生懸命イントロは弾いたんだけれど歌詞が出てこない。私もわからない。ハイ嘉手苅さんどうぞと首で合図したんだけど、彼も出ないんです。舞踊家はこっちを見て早く歌を出せとせかすんだけれども、歌が出なかった。そのまま帰りましたよ、それは (笑)。そういう恐ろしい体験がありますね。
 そんな面白い経験もあるし、それから嘉手苅の独演会というのがありました。そのときに私は客席から呼び出されましたね。上原直彦だったかなあ、司会は。普久原がいるから呼べっていうことで呼び出されて、そのときも一緒に演奏しました。

―― プロデューサーとして、林昌さんのもっとも素晴らしいところ、レパートリーをお話ください。
普久原 嘉手苅の最たる魅力というのは、歌詞を、何を歌いだすかわからないというところです。ほとんど即興に近いような、素晴らしい歌詞が出てきますね。
 特に《ナークニー》とか、《ヒンスー尾類小》、《手間当》。これらは見事な歌唱です。私どものCDに残っておりますが、抜群のフィーリングですね。
 《ナークニー》などはどんな歌詞を歌ってもいい。録音の前に彼は鉛筆を持って紙に歌詞を書こうとしていたんですが、何を歌っていいかわからず結局書けなかったんです。十分ぐらい考えていたけれど、歌詞が出ない。やはり三線を弾いて歌わないと出てこない人なんですよ。
 実に不思議ですね、書かないほうが歌いやすいなんて。普通は忘れるからカンニングペーパーを置いて歌うものなんです。彼は逆。何もないほうが歌いやすい。
 さらに注目すべきなのは、彼の声の質。図太い声ですね。美声ではありません。どちらかといえば悪声のほうに入る、かさついたような、ぬけない声ですけれども。彼の豪快なファルセットと力強いフィーリング、群を抜いていますよ。
 こうした部分に私は惚れまして、これは絶対に残すべき人だと思ったんです。戦後の筆頭でしょう、嘉手苅という人は。ほかの人が持ってないものを持ってる人ですね。

―― マルフクの数ある名作CDの中でも『嘉手苅林昌特集』はぼくの愛聴盤のひとつで、他の方にもお勧めしています。
普久原 素晴らしいものですね。一番最初のLPと、CDならこれが代表作と考えていただいていいでしょう。CDになった音源の制作は30年ほど前、嘉手苅絶頂期のころですから、これを愛聴盤にすることは正解ですよ。ぜひ推薦してください。抜群の歌唱です。
 三味線の荒っぽさもいいですけれども、嘉手苅独特のもので。あの荒さというのは野蛮な弾き方でよくないともいえますが、歌の素晴らしさで充分にカバーしていますね。
 私自身、名盤だと思っています。

―― クレジットはありませんが、この『嘉手苅林昌特集』でも三線を弾かれたのですね?
普久原 聴きなおしてみましたが、私と林次君が交互に伴奏していました。まずトラック1番の《ナークニー》、4番の《白雲節》、6の《南洋小唄》、7の《ヨー加那よー》、10番《下千鳥》、11番《廃藩ぬさむれー》。この6曲は私が弾いております。



―― 林昌さんとの個人的なエピソードを差し支えない範囲でお話しくださいませんか。
普久原 大した思い出はありませんよ。よくうちへ来て酒を飲んでいたわけですが、私にできることはといえば、酒をあまり濃くせず、水を多めにして薄めることでした。彼は水を多く入れるとこれはまずいという感じで置いてしまう。それであまり進まない。濃くするとがんがん飲むんですが、薄めるとあまり飲まないという特徴がありました。それで私は薄める役。酔っ払うと歌もよくありませんし、くせも非常に多い人ですから。人をつかまえてどつくとか、面白いくせを持っていて、みんなから怖がられました。
 三線が好きでね、あれほど三線が好きな人はいません。料亭へ行っても三線を離さないんです。もうしょっちゅう歌っている。たまにはみんなで話しながら楽しもうじゃないかと言っても、それもしない。ひたすら歌っていて、飲みに行ってるのか三線弾きに行ってるのかわからないくらい。あれぐらいのレベルの人がひたすら歌い続けていたからこそ、素晴らしい歌を歌えたんでしょうね。
 料亭では女たちから非常に嫌われていましたよ。ちょっと三線を離して、お酒でもいかがですかと言われても歌っていた。嫌われるというところがいいねえ(笑)。嫌われるほど弾いた人でした。
 いみじくもね、私に言いましたよ。三線というものが世の中になかったら、おれは何をしていたんだろうねと。ほんとに、三線がなかったらあの人は何をしていたんでしょう。何もしていなかったかも知れませんねえ。
 酒に関してはとにかく飲みます。まず飲む。飲んだら飯は食わん。絡んできたやつと必ずけんかする。大変ですよ、止めるほうが。それで一人でほっつき歩くもんだから、悪いやつにとっつかまってぶん殴られて、傷の絶え間がなかった。コーラの瓶で頭割られて、3針4針縫ったという話ばかりでしたよ。
 傷だらけの人生でした。身も心も。素晴らしい人です。ああいう人は、ほかに二人と知らないですね。落語界でいえば古今亭志ん生ぐらい面白い人でしょう。
 それから嘉手苅さんは編み物が上手なんです。非常にうまい、名人級ですよ。小間物なども器用に作っていました。朝早くみんなまだ寝ているのに石川のフォーシスターズの家に行って、蛇の皮だとかをハサミで切って縫い合わせて財布を作ったこともあるし、わたしの事務所へ来て、誰もいないのに一人でコーヒー沸かして飲んで、自分の好きなものをあれこれと作ったりしていました。とにかく作るのが好きでしたね。
 奇妙な人です。面白かったですね。
 嘉手苅さんはゴムゾーリ、シマゾーリとも言いますが、これを履いていました。これがね、右は黄色のシマゾーリ、左は赤いシマゾーリ。必ずちぐはぐ。みな履いてるもんですから、よく履き違える。特に酒が入ってたら何履いているかわからない。左右逆だったり、色がちぐはぐだったり。それで、嘉手苅さんあなたのゾーリは右と左、色が違うよと言うと、「もう一人おんなじやつがいるからいい」と言ってました(笑)。間違ったやつがもう一人いると。その通りですね、もう一人色違いのものを履いてる人がいるわけだ。おれ一人じゃないよと言ってました。そういうしゃれた男でしたね。


 2回目の訪店。日替わり定食787円です。
 どうです、充実しているでしょ~♪
 この日のメインは、何だったか、あっさり白身の煮魚と鶏の唐揚。
 ほかに揚げ出し豆腐と切り干し大根、いぶりがっこに茶碗蒸し。
 ちなみに茶碗蒸しは、左上の位置に鎮座するはずですが、蒸し上がりを後で持ってきてくれるとのことで、食べ始めの写真には写っていません。
 さらに、食後にコーヒーがつきます。

 評価すべきところはたくさんあって、唐揚が揚げたてアツアツで、添えられた生野菜がたっぷりなこと、魚に添えられた生姜がいいアクセントになっていること、ほどよい塩味の漬物にも手を抜いていないこと、揚げ出しの上の大根おろしに柑橘系の味付けが施されていること、おいしいごはんがたっぷりなこと、味噌汁のダシ加減が秀逸なこと、など。

 我が社の本社屋(山形市)で開かれた午前中の会議が長引き、米沢に戻る途中の13時40分頃入店。ランチタイムと昼の営業は14時まで。店の雰囲気がよいためについ寛いでしまい、昼時最後の客になってしまったようでした。

 ここは案外オススメです。
 場所は、上山市軽井沢1‐7‐6。国道458のスリーエー(自動車販売)の向かい側です。


 米沢市北部にあるわこう食堂はうまいゾ!という話をかなり前から聞きつけていて、行ってみたいものだと思っていましたが、その機会がようやく巡ってきました。

 中華そば大盛り500+100円、安いなぁ!
 あっさり味のスープがなかなかいいですねぇ。凝り過ぎていないというか、朴訥というか。
 刻んだばかりと思われる白ネギの辛味が引き立っていてグー。なんか、おふくろのつくってくれるラーメンみたい。もうひとひねり、若干のコクが加われば鬼に金棒だと思う。

 極細の米沢ラーメンは、美味い範疇ですが、ひらまやこやなぎのような米沢ラーメンらしいあの独特の味がしません。色も黒っぽくありません。どうなのだろうな、製麺所に対するオリジナリティの要求だとしたら、それはしないほうがいいと思うのですが・・・。

 いろいろあるけど、あぁ、美味かった! 念願が叶ったぜぃ。

 正午に15分ほど満たない時間帯の入店でしたが、12時過ぎに店を出るまでの間、自分のほかに客1人。近くには企業がいくつか張りついているので、出前が中心なのだろうな。

 店の詳細は、こちらのページをどうぞ。
2010.02.21 泉と歩
 当ブログにお寄りいただいている方の中には与那覇歩のファンが多くいられるようです。
 そこで、秘蔵の画像を公開!



 これ、金城泉ネーネーからもらったもの。
 「TOBI’s琉球弧探訪」というホームページに掲載しているネーネーズCDのインプレッションに関して、記述に誤りがあるよと、泉ネーネーが教えてくれたのですが、そのときに添付してくれたものです。
 2008~09年あたりのものでしょうか。泉ネーネー、どうもありがと。

 歩は、琉装もいいけれど、服装も髪型も今風のほうが似合いますね。(笑)


 沖縄には今も、「まれびと」たちを大切にもてなす風土があります。かつて、「まれびと」は海の向こうからやってきた神々からの使者であるという思想めいたものがあり、島人に果報や豊穣をもたらすものとして大切にされたらしいのです。

 当書は、近世から戦前にかけて沖縄を訪れたさまざまな「まれびと」たちと、その出会いが生んだ「ゆたかな実り」が紹介されています。

 内容は4篇。
 「沖縄学」の父といわれる伊波普猷に影響を与えた、新潟出身の国語教師・田島利三郎の生涯。ユニークな人生だったようです。
 戦に敗れて伊豆大島に島流しにされた武将源為朝が、沖縄にたどり着き、島の女との間に生まれた子が後の琉球の王になったという伝説は、どのようにして形づくられたのか。
 幕末、沖縄に8年間滞在して宣教を試みた“犬眼鏡(いんがんちょう)”ベッテルハイムについて。
 昭和14年、琉球ブームに乗り、日劇ダンシングチームによって琉球がレヴュウになった話。

 いずれも興味深い歴史の一こま。とりわけ田島利三郎と日劇ダンシングチームに関する記述については自分にとっては初めて触れるものなので、ほほ~と思いながら読みました。

 なにか読みにくい文章だなあと思いながら読みましたが、それはきっと、漢字で書くべきところをひらがなで書いているところが多いのが原因なのだろうと思いますが、いかがでしょう。

 いずれにせよ、こういうどちらかというとマイナーな書物が新書で、千円以下で読めてしまう世の中になったことがスバラシイ!
 今日も天気がいい。春も近いようだ。
 昼休み、陽気に誘われてふらふらと街なかへ。
 松川の橋のたもとにあるまつかわやに初訪店。この店、駐車スペースが1.5台分ぐらいしかないのでなかなか行けなかったのですが、今はマイカーを車検に出していて、その代車として軽自動車があてがわれているので、行くなら今しかあるめいということで。(笑)



 名前もずばり米沢ラーメンの大盛り550+100円を。
 店内も狭く、デコラ張りの小さなテーブルが3つだけ。それも一部のテーブルの長辺は壁にべたっと張り付いています。
 水をもらおうと思えど給水セットがありません。どうやら水はラーメンといっしょにおばちゃんが運んできてくれるシステムのよう。

 で、ラーメン。
 ココのラーメンの特徴は、ずばり、スープです。濃厚でもあっさりでもないけれど、不思議な甘みを湛えた醤油の味が独特。うまいなぁ、ほかにない味・・・。
 もひとつ挙げるなら、メンマ。太くやや長めのメンマは、今しがた竹林から採ってきたのではないかと思われるようない~い竹の香り。噛み応えもしっかりしていて、うんまっ!
 麺は、まぁ、米沢にしては標準的なレベルでしょうかね。
 チャーシューはぼそぼそっとしたものが2枚。これもそれなりに美味いです。

 店の詳細は、こちらのページをどうぞ。
 ふくりゅうけん。米沢市内の老舗、なのかな?
 夜の酒席があるときなどによく利用するホテルのすぐそばにあるので、そのうち食べる機会があるだろうと思っていたのですが、それがなかなかめぐってこなくて。
 というのも、飲んでホテルに戻る時間がいつも遅くなり、その時間帯にはラーメン屋は既に閉店しているのですな。
 で、このたび午前中に市内中心部で関係者と会う機会があったので、そのあとに寄ってみた次第。



 ココで食べるならワンタンメンである、と地元の人間から聞いていたので、そのとおりにワンタンメン680円を。
 ご覧のとおり見た目は実に素朴。鄙に咲く一輪の可憐な花という感じ。
 さらりとしていて美味い。米沢のラーメンに特有の生姜のいい香り。

 噂どおりワンタンはトロプルでいい舌ざわり。薄々のワンタンの皮がスープの表面より高いところで風船のように膨らんだかたちで登場したときはナンジャコリャと思いましたが、味は確か。
 ワンタンの下にはワカメが入っているのですね。してまた、チャーシューもしっかり。
 麺は、まぁ、普通かなぁ。純正米ラーよりやや太く、あの独特の味はしません。

 総合的に見て、合格です。

 店の詳細は、こちらのページをどうぞ。