“因襲・古代祭祀・祟り・謎・タブー”と、おどろおどろしい副題がついた、別冊宝島シリーズの1636冊目。
 前作の「ニッポン『不思議島』異聞」(これは後に「潜入!ニッポン不思議島」として宝島社文庫から改訂発刊された)の発行から3年、14の新たな調査報告をまとめて上梓した――というものです。

 インパクトという面からすれば、さすがに1冊目からはスケールダウンした感が否めませんが、島をこういう角度から徹底追及するという視点はなかなかおもしろいと思います。そこに住んでいる人からすれば迷惑なのかもしれないですけど・・・。
 まぁ、かなりデフォルメして書かれていますね。キャッチタイトルや写真は仰々しいものが掲げられていますが、中身を読めば、ああ、そういうことなのですか、という程度のことだったりして。(笑)

 14のうち、琉球弧関係は4つ。
 1 「霊能力者“ユタ神様”の真実 奄美大島・加計呂麻島」、2 「究極の古代祭祀“仮面神ボゼ”の「いま」 トカラ列島悪石島」、3 「“泥仮面”追跡ドキュメント 宮古島」、4 「“秘祭の島”に残る不気味な廃墟ホテル 沖縄県P島」。
 3は島尻のパーントゥプナカを、4は新城島(パナリ)を扱ったものです。

 このほか、対馬の美女ばかりが生まれる集落を扱った「美女村とオソロシドコロ」、太平洋戦争の激戦地硫黄島に勤務した自衛隊員から聞いた「硫黄島勤務の恐怖」、奥尻島の「大津波の翌日に起きた怪奇現象」など、怖いもの見たさ的な興味をそそるレポートがあります。

 けっこう楽しめたとみえて、あっという間に読了。もっと過激なものがほしい?!
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 著者は、関西時計業界の雄として著名で、ラグジュアリービジネスでは国際社会の第一線で活躍し続けている会社「カミネ」の会長さん。
 しかし、会長さんがここまで来るには、沖縄戦の死線にて「生きて必ず故郷へ帰る」のだという強い決意をした経験があったのです。

 太平洋戦争下、小禄飛行場に派遣された航空局職員・上根は、那覇の十・十空襲後には本業とはちがう壕の掘削作業に従事するなどしながら、海軍司令部壕に移って仕事をしていました。
 その後は他の兵士、軍属、沖縄県民と同様の経緯をたどり・・・。集団自決を目の当たりにし、日本軍の組織的抵抗がやんだあとも身体に傷を負いながら本島内を食うや食わずで放浪し、1年以上にも及ぶ収容所での生活をしたということです。
 その様子は、第1章「戦場からの帰還」として、全体の半分以上のページを割いて、当時の思いとともに克明に記しています。自分にとってはこの章がいちばんの読みどころでした。

 焼け野原となった故郷神戸・三宮に戻り、家業の時計屋を継いで現在の基礎を築いた時代を綴った第2章「経済復興とともに一歩ずつ」、阪神大震災によって大ダメージを受け、その苦難から必死に立ち上がる第3章「戦後最大の災害からの復興」と続いて、その後は実業界で活躍中に見たり感じたりしたことを記した第4章「国家の品格は歴史が育む」、第5章「戦争は、今もどこかで続いている」で完結。

 しかしこの著者、華麗なのし上がりぶりの陰で、様々な災難に遭っているようです。
 宝石泥棒に阪神大震災。震災復興後1ヵ月後、やっと完成した新店舗にトラックが突っ込み・・・。
 気の毒としか言いようがありませんが、なにくそ!という、宮古島で言うところのアララガマ精神が、その都度、道を開かせたようです。
 戦争というハードな時代を生き抜いてきたヒトって、やっぱり強いのですね。おれならメゲてしまいそうだがなぁ。

 いずれにせよ、この人に限らず、ある人間の一生というものはおもしろい。
 やや書き手の手前味噌になってしまうところもあるのでしょうが、おれは今後もこういう本は好んで読んでいきたいと思います。


 2009年末から10年元日にかけて読みました。いや、いい本でした。

 曇り空の沖縄、フェンス越しに眺めた基地内の芝生や外人住宅の様子。それらをモノクロで切り抜いた表紙写真が、この本の内容を的確に表現しているようです。
 舞台は、島から日本兵たちがいなくなり、その代わりに白い肌をした異民族が統治にやって来た頃の沖縄。アメリカの文化を沖縄が受け止めたらどうなるかを追い求めた興味深いルポルタージュです。

 今ではもうわずかしか残されていない痕跡を端緒に書かれた、日本に復帰する以前の沖縄の姿がたくさん登場します。
 沖縄で最初にアップルパイを焼いたのは誰だったのか。アメリカグチと呼ばれた沖縄風の英語を、彼や彼女たちはどのように使いこなしていたのか。命さえ救った戦後のホーク缶詰は、その後いかにしてお弁当の主役の座を奪うまでになったのか。
 このようなことの周辺にあった悲喜交々のエピソードをひとつずつ重ねていくと、沖縄とアメリカが互いに手を取り合って生きた一時期が、やがて逸話の地平線上に浮き上がってきた、と、著者は述べています。

 全9章。第1章に置かれた「アメリカのパイを買って帰ろう」は秀作。空港の売店でアップルパイをまとめ買いするウチナーンチュと思われる男。そのJimmy’sのアップルパイは、洗練こそされていないものの、アメリカ統治時代の味がしたのでした。
 最終章の「幻のラジオステーションKSBK」もまた秀作。RBCの社屋内にあった英語放送局で、米軍のと闘ったロックンロールバリバリの放送局を支えた男と、そのことを現在ウェブ上で詳細に紹介している男の話です。
 ほかに、アメリカグチについて書かれた「きみは小さいのでショーリーと呼ばれたんだよ」、米軍になぜか人気のCoco壱番屋についての「嘉手納軍人のソウルフード」、スラブヤーについての「石の箱でおうちをつくる」、「今宵はポーク缶詰のバラッド」、「最後の京都ホテル」、米軍のキリスト教会と戦った牧師の話の「教会を捨てて戦争にNOと云う」、「芝生のある外人住宅」。
 コザの京都観光ホテルって、2007年10月をもって廃業していたのですね。ちょっとショックです。

 アメリカと共にあったあのひととき、確実に輝いていたと、取材を受けた人たちは口を揃えたそうです。
 それまでは耳にしなかった音楽や、初めて食べてみた味。憧れと怖れと、敵意と好奇心がないまぜになった交流のなかから、奇跡としか思えないような文化や人間の関係が生まれたことでしょう。
 そんな、アメリカを相手に必死で生きた時代は、その時期を過ごしたウチナーンチュにとって、かけがえのない記憶となったのではないでしょうか。

 コンクリート・ブロックの建物、基地の脇に立つホテル、ドライブインのような構えを残すハンバーガーの店・・・。58号線沿いに並ぶ店舗や家屋は未だにアメリカ時代の空気を残していますが、その多くは老朽化を隠せなくなっており、やがて消えゆく運命に晒されています。
 そういえば、自分が沖縄にはまり込んだ15年ほど前を思い起こすと、今ではすっかり失われてしまったものが沖縄にはいかに多いことか。
 あと10年もしないうちに、それらが新しいものに変わっていってしまうのかと思うと、なんともやりきれない、ノスタルジックな気分になりますね。


 沖縄戦が激化する1943年7月、新たに沖縄県の第二十六代知事が勅任されました。
 この泉知事というのがとんでもないヤツで、間もなく米軍が上陸してくるのが怖くて、退任する45年1月までずっと、こんな沖縄なんかとはおさらばだとか、はやく別の県の知事に栄転しないかとか、ぐだらぐだらと言いながらほとんど仕事をしなかったらしい。
 だってサ、2年に満たない在任期間中、地方長官会議があるからとかなんとか言って長期間上京したり福岡に行ったりで、都合6ヶ月間も沖縄を不在にしていたというのですから、オドロキでしょ。今の地方自治体では到底考えられませんよね。
 本土出身者は沖縄を脱出すればそれですむでしょうが、沖縄県民はそうはいかないんだゾ! お前は沖縄県知事だろ。

 そ奴をいつか読書で糾弾するべく(笑)、関連本を探していたのですが、あったのですよ、すげー本が。1993年発行のこの本を、古書店から買いました。

 読んでみてわかるのは、まずは彼が典型的なお坊ちゃま官選知事だったこと。世間を知らず、自己中心的で、ポスト、地位が歩いているような人だなと思いましたね。日記の書きぶりなんて笑わせますよ。自分のことを「泉君」なんて書いているんだから。

 着任の知事訓示では滅私奉公を職員に説いておいて、我が身かわいさに自分の人事異動を画策したり、十・十空襲にビビッて知事官舎を後にして落着いた普天間にとどまり、陣頭指揮すら放棄する始末。これってもう、弁明のしようがないと思いますよ。
 さらには、転任先の香川県では、あれほど空襲に慌てふためいていた男が「空襲恐れるに足らず」などと、ラジオで語ったりしています。もう、アホやんか。

 著者の論調は、泉知事が決戦直前に異動したのは、軍との折り合いが悪い知事が軍と対立を深めたため、このままでは戦争ができないと大本営や内務省が判断したとみるのが妥当で、逃げ出したのではない――というものですが、そんなことは結果であって、日頃からいやいや知事をやっていたことは明らかであり、彼としてはたまたまあった異動がいわば渡りに船だったということ。

 著者も最初は、ひどい知事がいたものだと憤り、知事はなぜ沖縄から逃げ出したのかを聞き出すために、義憤に突き動かされて元知事を探したそうです。
 ですが、1983年、探した先で会った泉君はボケが始まった病気の老人。結局のところ、時間はすべてのことを風化させていた・・・という、肩の力が抜けるようなエピローグが待っていたのでした。

 それにしても腹立つなぁ、当時の官選知事って。どっちを向いて仕事をしているのやら。偉いだけ偉くて、こういう輩ではねぇ・・・。


 戦後篇の後編。
 その前半は、戦前のジュリから身を立て、辻を再建しようと料亭「松の下」を辻に開店させ、結婚もし、子供も生まれ・・・と、順風満帆の日々。
 しかし、後半になるにしたがって、なんだかかわいそうな人生が待っていました。
 料亭の家宅捜査、ガンの宣告、脱税容疑の裁判と判決、ジュリ仲間たちとの確執、そして、最愛の夫からの離婚申し出とその夫の死・・・という具合。
 主人公のみならず、人間の一生とは何なのかを考えさせられる書でした。

 この「戦後篇」、辻の実態迫るという目的は十分に達成できなかったという意味ではやや不満。しかし一方では、戦後のどさくさや占領時代の支配者の横暴の実態などを読み取ることができ、そちらの面では参考になりました。

 「戦後篇」とはべつに、同じ人の著による「辻の華―くるわのおんなたち」というのがあり、先にこれも手に入れることができたので、辻の実態にはそちらの本で迫ることにしましょう。
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 このところブログを書く時間がなかなか取れなくて書き込みが減っていましたが、この1月22日(金)から25日(月)まで、3泊4日で沖縄本島に行ってきました。

 今回は、国立劇場おきなわで行われた組踊公演「大川敵討」と玉城流翔節会の琉球舞踊を観て、ネーネーズと十行のライブを観て、石川多目的ドームで「闘牛・エイサー夢のコラボ」というイベントを見て、さらに宜野湾市民会館で野村流音楽協会創立85周年記念公演を聴いてきました。

 ドライブをしながら見てきたのは、糸満の白銀堂、山巓毛、嘉手志川、南山城跡、西原町の『梅の香り』の歌碑と内間御殿、宜野湾市の新造佐阿天橋碑、野嵩石畳道、野嵩クシヌカー、沖縄市の知花グスク、北中城村の仲順流れの碑、嘉手納町の道の駅かでな、安保の丘など。
 さらに、何回か行って見つけられなかった浦添市の前田高地にある平和の碑の攻略(?)に、とうとう成功しました。

 「食」のほうの楽しみ、沖縄大衆食堂めぐりは、那覇のハイウェイ食堂、いちぎん食堂、あやぐ食堂、沖縄市のハイウェイドライブインなど。もう、腹いっぱい。
 また、「アメリカのパイを買って帰ろう」を読んで食べたいと思っていたジミーのアップルパイにも首尾よくありつくことができました。

 わずか4日の間によくこれだけ行動したものだなと、我がことながら思いますね。普段からこのぐらい活動的だったならどれだけ立派なことか・・・。

 印象に残ったことなどをこれから少しずつブログにも書いていきたいと思います。