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 10月以降に買い漁った沖縄本は、次の13冊。

 原始の神社をもとめて            岡谷公二     平凡社新書       924
 沖縄・久米島から日本国家を読み解く  佐藤 優      小学館         1680
 「危機の時代」の沖縄            伊藤陽寿      新典社新書      840
 沖縄・宮城島の十二ケ月          川上 宏       林檎プロモーション 1500
 昭和天皇の艦長               恵隆之介      産経新聞出版    1890
 日本一長い村トカラ             長嶋俊介ほか   梓書院         2000
 南島旅行見聞記               柳田国男      森話社         3045
 ゆんたく・パーリィー             当間泰子      文芸社         1365
 ゆんたく                    ガレッジセール   幻冬社よしもと文庫  520
 南島雑話(1)                 名越左源太     平凡社         2100
 南島雑話(2)                 名越左源太     平凡社         2100
 イリオモテのターザン            水田耕平       南山舎         1995
 島唄レコード百花繚乱           小浜 司       ボーダー新書     945

 トーゼンながらすべて未読。
 本棚を眺めれば、沖縄関係だけでざっと40冊超の“積ん読”本が山となっています。

 本って、買うタイミングを逃すと絶版になったりするから、どうしても買えるときに買っておかないといけません。
 しかし一方で、ちょっと油断すると、たくさんの在庫を抱えてどこから手を出していいのか困惑することになったり。

 ま、それもまたマニアにとっては楽しいことと思って、少しずつ読みましょう。

 ところで、年間沖縄本50冊読破を目標にしていましたが、現在46冊。
 あと20数日で4冊というのは、到達できるかどうかなかなかビミョーなところですな。
 さあ、どうなることやら。

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 沖縄の芸能に関するさまざまな文献に触れていて、「辻遊郭」の存在が沖縄の諸芸の発展に与えた影響がとても大きかったことがわかってきました。
 辻遊郭とは、戦前まで那覇市の東側、波乃上宮に隣接する地帯にあった一大遊郭街で、当時は女性たちが町のすべてを仕切っていたのだそうです。

 遊郭というと、私たちヤマトの現代人は、春をひさぐ淫猥な女性たちや非合法な雰囲気、男尊女卑的な男女間の力関係などを連想してしまいますが、どうも沖縄の辻の場合、実態はそうばかりでもなかったようです。
 辻に売られていく農村の女たち、という経済的背景こそあったものの、辻でジュリ(尾類)となって芸を磨き、美貌を身につけ、働き、生活する女性たちは、ある種の誇りを感じていたとも言われています。

 そんな辻の様子をもっと知りたい、実態に迫りたい、というので、古書店(アマゾン)から「辻の華・戦後篇」の上下巻を入手しました。1989年の発刊。まだ買えて、よかった!

 著者は、1915年沖縄生まれ、4歳のとき辻遊郭に売られ、1944年までそこで暮らし、戦後料亭「松乃下」を経営。抱親(アンマー)からジュリとしての真髄をたたき込まれた最後の世代の姐(おんな)であることを自負しています。

 とりあえず上巻を読んでみましたが、辻の実態に迫るには、この本ではなく、戦前のことを書いたと思われる「辻の華――くるわのおんなたち」を読むべきだったようです。
 こちらの本は、鉄の暴風から逃げ惑うところから始まって、捕虜収容所での生活や、その後アメリカ兵のハウスメイドとして働く様子などが中心で、いつかきっと辻の再興をしようと誓いながらもなかなか順調に進まない頃のことが書かれています。

 下巻はきっとその後の意欲的展開が書かれていることでしょう。期待しましょう。


 沖縄本09年の47冊目。目標の50冊まで、あとわずか。
 “創世神話から琉球王国の崩壊まで知られざる歴史の跡を写真で辿る”――という趣向の本です。
 表紙から察するに、グスクなどの世界遺産を中心とした写真集なのだろうなと考えて読み始めましたが、これがけっこう奥行きのある内容。

 琉球開闢神話と御嶽の関係や、「世の主」の登場から各王統の成立と維持に関しての考察、尚円・金丸の周到なクーデタの状況などについての記述が、とても興味深いものになっています。単なるムックだろうとアナドッていた私が悪うございましたと大反省。

 「琉球王国のあけぼの」、「神の国から人の国へ」、「琉球最初の統一王統」、「強大な王国の誕生」、「琉球王国のおわり」と、章立てもしっかりと歴史を意識したものになっています。

 青空に白い雲、陽の光たっぷりのきれいな写真とともに紹介される歴史ゆかりの地は、ありきたりなものばかりではなく、たとえば浜川御嶽、金剛石林山、今帰仁の金比屋武、藪薩の浦原、和解名森、義本王の墓、西威王生家・・・など、一般書ではなかなか紹介されていないところまで。

 ふむふむ、確かにこれは、歴史に思いを馳せながら沖縄をぶらぶらっと散歩するときにとてもよい案内書になりそうですよ。


 ふふ・・・、沖縄でこういう本を出す出版社といえばココ、むぎ社ですよね。(笑)
 むぎ社の本には「沖縄その不思議な世界」というシリーズがあって、「丸ごとわかる!ユタ」とか「沖縄の魔よけとまじない」とか「琉球の死後の世界」とか・・・。徹底してやってるなって感じでしょ。

 そのひとつである本書を読んでみました。沖縄を知るには沖縄のしきたりとそれらのやり方、仕切り方も知っておく必要があるだろうということで。なにもそこまで知ろうとしなくてもいいじゃないかという声をよそに。(笑)

 ホントに沖縄では便利帳として使われそうな詳しい内容。
 まずは、出産から誕生祝いまで。川下り(カーウリー)~ウバギー(産飯)とイヤワレー(包衣笑い)~ナージキ(名付け)~ジールシンチ(地炉退き)~マンサン(満散)~ボージナディ(頭撫で)~ハチアッチー(初歩き)~ククヌカン(生後9ヶ月と9日目の儀礼)~タンカーユーエー(誕生祝い)と続くのだそうで、それぞれイラスト入りで、なぜ、どんな料理で、どんな手順で行うのかをわかりやすく解説しています。

 このようなことが、トゥシビー(生年祝い。十三祝いからカジマヤーまで)、ニービチ(結婚)、家づくり、墓づくりについても深々と書かれています。

 残念ながら実際にこの本で得た知識が役に立つことは、ヤマトの人間の私にはおそらくないだろうとは思いますが、このようなしきたりを知ることで、ウチナーンチュの精神性にほんのちょっとだけ近づくことができたような気がしました。

 なお、著者は、むぎ社の主宰者です。自分で書いて、自分で出版しています。
 表紙・装幀も、名前から判断するに、ご親族のようです。(笑)


 「パイカジ・ウミカジに・・・」と読みます。
 南島詩人で演出家・平田大一の手によるエッセー集です。
 月刊「情報やいま」(南山舎発行)に、1996年4月号(著者27歳)から07年7月号(同38歳)まで連載された「大一がゆく」に加筆して書籍化されたものです。

 著者を改めて紹介すると、1968年小浜島生まれで、実家は民宿「うふだき荘」。大学時代に東京で自作詩の朗読活動を開始。卒業後は沖縄でアーティストに楽曲や詩を提供したり、小浜島で「キビ刈り援農隊」の組織化を手がけたりします。
 その後、勝連町・きむたかホールの館長となり、子どもたちによる「現代版組踊 肝高の阿麻和利」の演出・脚本を手がけ、現在は、文化で地域産業を興す社会起業家を目指し、中間法人TAO Factoryの代表。行動する詩人、若き演出家として絶大な支持を集めています。

 「根っこさがしと心の皮むき」、「語る人でなく、行動する人になろう」、「風を待つのではなく、風を起こす」、「文化のカタチを考える」、「生き様そのものがメッセージ」、「地域おこしはノー補助金を目指せ」、「心の錆の落とし方」、「道の向こうに伊波南哲がいる」、「小さき島なれど心は大海にあり」など、全87編。

 全体として、1編1編が短いなどのために、彼の思想が大河のようになって伝わってくるような迫力こそありません。しかし、彼のまっすぐな眼差しと、高校生やキビ刈り参加者などとの交流で得られる深い感動は十分に伝わってきます。
 読んでいるオジサンとしては、想いが強すぎる部分があってちょっと気負いすぎているかな、がんばり過ぎてつぶれやしないかな、と心配な面もありますが、これも若さ故の特権。悩んだ分だけ厚みのある人生になるという見本のような生き方だ、とも言えるでしょう。

 平田大一のまっすぐな生き方、挑戦する人生には大いに共感します。
 若かった彼も、不惑の40歳に到達したのですね。でも、本番はこれから! これからもがんばってほしい現代の南島の逸材ですよ、彼は。


 やったぁ! 沖縄本、年間50冊読破達成~♪

 さて、こちらの本、
『戦後の混乱期から日本復帰までの8年間余り、奄美民衆はアメリカ軍政下におかれ、孤立した状況を余儀なくされてきた。それでも軍政府の監視をくぐり、人々は波濤を越えて日本本土を目指した。命を賭して彼らが求めたものは何か。多くの体験者、遺族の証言から、当時の情景が鮮やかに甦る。』
――という趣向の本です。
 いやぁ、こういうドキュメントものって、好きなんですよねぇ…。

 第1章は、1946年、密航船の「宝栄丸」が中之島沿岸で遭難し、多くの犠牲者が出た事件に関する証言集。
 第2章は、1948年、奄美の子どもたちの教育のため、教科書を本土から運ぼうと、「金十丸」に乗って密航を図った二人の教師のことに関する証言集。
 そのほか、「「日本復帰」密航陳情団」、「密航体験記、波濤を越えて」、さらには密貿易時代についての座談会の模様や証言集によって構成されています。

 そもそもこの本、著者が結成した奄美女性史のサークルで発行していた雑誌「さねんばな」(1993~96)に掲載されたものを再収録したようなもの。なので、時間は90年代のままだし、スクープ、新たな真実!!というようなものもありません。淡々としたもの。
 だけど、だからこそ、と言えばいいのか、あの頃の真実はここにある、みたいな証言の迫力はひたひたと伝わってきます。

 この本に登場した証言者はなんと77人。
 その中には名瀬でセントラル楽器という楽器店を開いている指宿良彦氏や、その弟の健七が登場していたのにはびっくり。当時はスリリングな密貿易に従事していたようで、ギター好きの良彦氏のところには、「音の出るやつは良彦んとこへ持ってけ」ということで、ギターの弦とかレコードとか蓄音機などは自然に彼の元に集ってきたそうです。
 名瀬のアーケード街にある店はもともと本土資本が多かったそうですが、分割統治時代には本土の人間が戻っていったため、この間に番頭などをしていた地元大島の人間のもとに経営権が移ったという、いい面もあったとのことです。

 島料理の店を経営している唄者の西和美も、証言者として登場します。
 沖縄民謡隆盛期の担い手の一人だった喜納昌永が、逝去。
 沖縄タイムスによると、
『琉球民謡の歌い手として第一線で活躍し、正調民謡工工四の作成など、民謡の普及に尽力した喜納昌永(きな・しょうえい)氏が、12月24日午前2時59分、梨状陥凹癌(りじょうかんおうがん)のため、入院中の西原町内の病院で死去した。88歳。北中城村島袋出身。告別式は27日午後2時から4時、浦添市伊奈武瀬1の7の1のいなんせ会館。喪主は妻・千代(ちよ)さん。ミュージシャンで、民主党県連代表の喜納昌吉参院議員は4男。』――とのこと。

 喜納昌永と言えば、持ち歌の「通い船」が有名ですが、おれとしてはモーアシビ頭、的な存在の喜納昌永の印象が強い。
 カチャーシー・ソングの「天川」をうたう昌永。CD「三線王」(ユニバーサルミュージック、2006 UICZ-8008)に収録されているこの曲は、スゴイの一言。民謡という言葉から連想される叙情、伝統、格調などといったイメージから完全に離脱した、“踊り狂う熱狂”のみが伝わってきます。これこそがウチナーンチュの魂の叫びでしょう。


2000年の琉球フェスティバルにて

 また昌永は晩年、息子の喜納昌吉とよくセッションしたもの。
 おれは1999年と2000年に、それぞれ奥武山公園と日比谷野音(琉フェス東京)でそれを観た。
 当時すでに齢80を過ぎていたが、この年齢にしてこれだけやれるというのは、やはり本物なのだなと感じたものだった。

 大工哲弘によれば、いち早く民謡のステージに三板(サンバ)を取り入れたのは昌永であり、盛んな頃にはこんな琉歌が生まれたという。
  誠ぐゎ、三線に  山内、歌ぬしてぃ  三板、昌永に  太鼓、嘉手苅
(登川誠仁の三線をバックに山内昌徳の歌をのせて、三板は喜納昌永、打ち太鼓は嘉手苅林昌が叩く)

 沖縄民謡歌手4大スター夢の共演ユニットを歌った有名な琉歌なのだそうだ。

 しかし、嘉手苅林昌が逝き(1999)、照屋林助が逝き(2005)、喜納昌永までが逝ってしまった。
 沖縄民謡界の多くのシージャ方(先人達)が鬼籍の人となってしまうことには、寂しい思いでいっぱいである。