「かつて、東京・中野に伝説の沖縄飲み屋があった。泡盛をふるまい三線を弾いたウチナーンチュの店主新里愛蔵――。沖縄ブームをつくった男は、いま、タイのチェンマイでガジュマルを育てている。」

「愛蔵が15年近く続けた山原船は、濃密なほどの沖縄を発進し続けていた。ここを拠りどころにした沖縄フリークたちにしたら、まさにここはアジトだった。東京のなかにある唯一の沖縄だったのだ。」
――いずれも本文より。

 行ったことはないけれど、中野に「山原船」という沖縄料理店があることは、風のうわさで知っていました。しかしそこの店主が、こんなにユニークな人生を歩んでいる愛蔵というオジイだということは知りませんでした。

 子供の頃から貧乏で、大病にも見舞われたにもかかわらず、ようやくなんとか東京に店を持って細々とながら生活が維持できるようになったと思ったら、何を思ったかその店を閉め、タイでなぜか左肩が上がった僧侶の絵を描きながらガジュマルを育てる生活を始めます。
 年金が受給できず、タイでも月2万円という切り詰めた生活を送っているうちに脳梗塞が彼を襲い・・・。

 そんな愛蔵のことを書ける人、書くべき人は、タイと沖縄に精通した下川裕治しかいないでしょう。
 著者がチェンマイの「三軒茶屋」という店で愛蔵と出会ったのが物語の始まりでした。

 表紙写真のどこかスッコーンとした屈託のない笑顔が、愛蔵の人となりや性格を見事に表わしています。
 その気のいいオジイも、寄る年波には逆らうことができず、半身がよく動かないまま孤独な生活を送っている様子が、最後のほうに出てきます。

 人生とは何なのか。どんな人生が、その人にとっていい人生だったといえるのか。
 著者自身の内面的な葛藤をも織り交ぜた冷静で淡々とした文章を読んで、そんなことを考えさせられました。
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 鹿児島の出版社「あさんてさーな」の発行。布張りのていねいな装丁で、340ページ余りもあるのに、たった1,500円というのには拍手を送りたくなります。

 江戸末期から明治時代あたりの奄美を題材とした19の物語。
 それぞれが文学的な個性を放っているというよりも、むしろ、それら全体から漂ってくる雰囲気や匂いが、古きよき奄美の一端を奏でている、とでも言えるようなつくりの本です。

 生まれながらにして悲しい立場におかれている娘が成長してめらべ(美童)となり、何の因果か支配的立場にある男性との間にさらに不幸な出来事が起こり・・・といった筋書きのものから、海を舞台に力強く生きる奄美の男が薩摩の暴虐に対して堂々とわたり合う姿を描くものまで、多様な物語が展開されます。

 そのような筋書きには目新しいものは感じられませんが、そこには「奄美」に対する温かい眼差しのようなものが一貫して流れていて、とても好感が持てます。
 そのためか、読んでいて物語の世界に時空を越えてナチュラルにシンクロしていくことができました。

 調べてみると作者は、「唐芋レアケーキ」などの製造・販売を手がける会社の社長で、その会社では各種文化事業も展開しているようです。


 第一部の「獄中」に続く第2弾。
 表紙は1958年1月4日、那覇のハーバービュー広場で開かれた那覇市長選挙の立会演説会で熱弁をふるうカメジロー。こんなにたくさんの市民が演説会に駆けつけていたのですね。当時の沖縄は政治の季節の真っ只中だったのだろうなぁ。

 今回は、1956年11月から58年1月までの日記をベースに、若干の解説が加えられたものとなっています。

 読んでいて印象的だった部分を抜粋してみましょう。

 1957年1月7日、市長に当選して初登庁、全職員を前にしての訓示。
「私は600の市職員の団結を信ずる。打ち出された敵の砲撃の破片が彼らの砲列に飛び散り、乱れ飛ぶようにするためには、市民の利益と県民の利益を増すためには、諸君の団結の力が必要である。市長はそれを確信している。一切のデマを粉砕して、くめどもつきぬ民族愛をもって、凍結した外壁を打ち破りとかしてみましょう。雪どけはやがて現れる。だが、手をこまねいて居眠りをしていては現れない。太陽より強い愛情がいる。その愛情は知性と勇気によって支えられるであろう。祖国の同胞はわれわれを支持している。国際即ち反戦平和の勢力もこちらの味方である。前進しよう。ゆっくりと、だが断固として。」

 那覇市長選挙に関する解説文の一部。
「瀬長の主張が最も効果的に語られた場は、深夜に及んだ立会演説会だ。有権者は瀬長派や反瀬長派の主張を直接聞き、投票に臨んだ。演説会会場が民主主義の実践の場であったともいえよう。瀬長派は人々の共感を集め、幅広い支持を取りつけることに成功した。」

 1957年8月13日、市議会議員選挙で市政再建同盟派勝利の祝賀会における市長あいさつ。
「12(議席。市長不信任を阻止できる3分の1を上回る議席数)の、市民を嵐から守るガジマルをあなた方は植えつけた。植えつけたばっかりだ。だがその根は市民の台所にしっかりとだきついている。ガジマルのうっそうとしてしげってつくりだしている木陰は、こよなきいこいの場所である。17名の同盟議員(反瀬長派)が闘い疲れて休ましてくれと頼み込んだら、否、頼まんでも疲れているなと見てとったら、誘い入れて休養させなさい。水でも飲ませてください。そして説得するのですよ、ガジマルになれと。そうすればこれまでの非を覚り、やがて30(全議席数)のガジマルが11万市民の生活と民主主義を嵐の中で守り抜く態勢をとれるのだ。」

 50年前、沖縄にはこういう気骨のあるすばらしい政治家がいたのですよ。

 第1巻発売から1年半後の出版。今から第3巻の発売が待ち遠しいナイスな企画です。
 毎年恒例の琉フェス大阪詣で、今年で6年連続~♪
 少し間が空きましたが、今年の琉フェス大阪の模様を数回にわたってレポートしていきます。乞う、ご期待!

 琉フェス2009大阪公式プログラム(表紙)

○はじめに
 今年の大阪琉フェスは、昨年同様2年連続で大阪城野音での開催。
 開催発表時の出演者は、神谷幸一、大工哲弘、古謝美佐子、我如古より子、玉城一美、ジョニー宜野湾、大島保克、下地勇、中村瑞希、吉原まりか、いなむぬスリー、成底ゆう子。それにいつものとおり在阪の沖縄かりゆし会、琉鼓会、琉ゆう会のエイサー団体――となっていました。

 おぉ、今回のメインは神谷だな、きっと。玉城一美とのコンビでコザの民謡酒場「花ぬ島」を大阪で再現するという趣向でしょうか。
 大工、古謝、我如古は東京とのダブル出場。
 古謝、我如古、玉城が揃い踏みする、というのが今回のひとつの目玉でしょう。昔々、世界を席巻したYMO(イエローマジックオーケストラ)のメンバーである坂本龍一のワールドツアーで、この3人がバックコーラスを担当して注目を集めた、という歴史があるのです。それが時空を超えて、大阪で再現されるワケだ。

 奄美からはマリカ&ミズキ。期待度高し。
 成底ゆう子は、石垣島出身のシンガー。ピアノを弾きながらうたう「真っ赤なデイゴの咲く小径」にはヤラレタ経験がある。
 おなじみ、大島、下地も出場。
 いなむぬスリーってナンダ? DA PUMPの宮良忍なんかも参加しているらしいぞ。

 そして、その後のエントリーがあるようで、入場後すぐにゲットした公式プログラムには大城クラウディア、村吉茜、ノーズウォーターズの名も。大阪琉フェスは毎年こういうサプライズもあるからやめられないのです。
 司会も当初は未定のようでしたが、大阪もガレッジセールがやるようです。

 パーシャクラブやチナサダオ・バンドなど重厚な音を出すグループは少ないですが、いろんなセッションが楽しめそうな今回の琉フェス大阪。楽しみですなぁ。
 主催はFM OSAKA & H.I.P.大阪。

 雨も心配されましたが、開演直前は曇天。なんとかもってくれればいいのですが。
 自席はどうやら前から5列目のステージに向かって左側。なんか椅子が狭い。ところが、後方を振り返ってみると、後ろのほうの席は概ね5、6列が全体的にスカスカ。左の隅からナナメに見るよりも、後方から全体を俯瞰してみたほうが楽しそうだしゆっくりできるので、係員にその旨を告げて移動。隣の席に荷物を置いて、足を組んでふんぞり返って、こりゃあいいや。

 周りのお客さんたちは、東京と比べると、さあ、聴くぞ、飲むぞ、暴れるぞ~というような変な気負いがないようで、どちらかというと、毎年恒例だから今年も来ただけよ、みたいな自然体。服装も普段着っぽい人が多く、持ち込んでいる飲み物なども少なめのよう。こういうのもいいですね。
○琉鼓会
 まずはオリオンと泡盛を手に入れるべく売店の列に並んでいると、時間どおりに始まりました! 開演は、去年より30分早い午後2時です。

 オープニングは、去年と同様尼崎市の琉鼓会。
 おぉ~、この団体、結構人数が多い。演舞の完成度も高く、東京で観た東京沖縄県人会のものとは雲泥の差があります。踊りながら繰り出すエイサー隊の“スイヤ!スイヤ!”の掛け声がホンモノを感じさせます。

 髷を高々と立てたチョンダラーがクバの扇をパタパタさせながら場内をめぐって観客を煽ります。太鼓軍団は撥さばきもいいし、散開のしかたなど堂に入ったもの。

 諸見里エイサーの型を継承するダイナミックな踊りが特徴で、今年は本場の全島エイサーまつりで県外唯一のグループとして道じゅねーに参加したのだそうだ。

 仲順流り~クーダーカー~トゥータンカーニー~テンヨー節~スーリー東~海ヤカラー~固み節~いちゅび小~唐船ドーイの演舞曲は毎年不動。



 大きな拍手に送られて琉鼓会が退くと、ステージにガレッジの二人がクリーム色のTシャツ姿で登場。
 まず、雨かと思ったが、晴れたことに拍手~♪ ということで、やんややんや。

 そして、東京琉フェスで川田が、観客が差し入れる濃~い泡盛をMCのたびに飲んでダウンした状況を、ゴリが説明。
 トイレでズボンを下げたまま動けなくなった川田を、鍵がかかったドアを乗り越えてゴリが救出、狭い個室の中でズボンをはかせたのはかりゆし58の前川で、彼の目の前には川田のゴーヤーがぶら下がっていたという話で盛り上がります。

 そうしている間にも観客からビールが差し入れられ・・・。(笑)
 今回は飲むのをちょこっと控えて後半から飲もうか・・・などと言いつつも、まずはビールで「カンパーイ!!」。「5時間盛り上がっていきましょう!!」とのことでした。
○大工哲弘



 さあ、始まります。トップバッターは大工哲弘。
 掲げた画像と同じような、薄いピンク色のかりゆしウエアにベージュのチノパン、頭に紫のサージを巻いて登場です。

 サポートするのは苗子夫人。あでやかなピンクの着物。右肩はその着物を片肌脱いだようにし、内側には純白の着物がのぞいています。頭にはきりりと絞った真っ赤な鉢巻。八重山民謡に欠かせない笛は、いつもの屋嘉比充です。

 1曲目は、大島、成底、いなむぬスリーといった八重山出身のメンバーがサポート軍団となって、佐原一哉のシンセにのせて、宮良長包の名作「えんどうの花」を。
 沖縄の人間なら誰もが知っている唱歌なので、早くも場内は大合唱。あちこちからやさしげな歌声が聞こえてきます。

 その2番は苗子が独唱。
 いつもは合いの手や琴、踊りなどで夫をバックアップしているので、ひょっとしたらこの人の歌声を「とぅばらーま」の返し以外にじっくり聴いたのは初めてかもしれない。
 しっかりした音程に情感たっぷりで伸びのある美しい声。立派。いつの間にか苗子をテッチーが三線でサポート・・・なんてことになってしまう日が来るかも。(笑)

 2曲目は、ボクのオリジナルで、とのことで「命どぅ宝」。
 テッチーの三線に屋嘉部の笛と佐原のシンセのみで。最近はこれをいつもうたいますね。

 ここで語り。大阪の琉フェスも今回で15回目、かつてはやめようかという話にもなったが、みんなの後押しで続けることができた、H.I.Pの社長に感謝したい、という話。やはりそういう時代もあったのか。

 また、今年は去年のトリから一気にトップバッターになった、まるで阪神タイガースみたいだと。テッチーはいつもこの話。順番にこだわりがあるかな?

 3曲目は、八重山の「川良山節」。得意の1曲という感じですね。
 ♪サー ンゾサリ カヌサリ ヨーオーォー・・・と大工がうたえば、ハイッ、ハイッ・・・と苗子が踊る。それらを佐原がシンセで低通部分を支えるという見事なパフォーマンスでした。

 最後は、ここで踊ったら最後まで持たないかな・・・と言いながら、よく聞き取れなかったけど、「ティーラヌマイ唄」とかなんとか。(後日「けーらぬ巻唄」というのだと判明)
 踊る人が主役だという意味だと説明して、にぎやかに、元気よく。
 苗子の踊りは ♪サッサイ、サッサイ・・・という調子の、そう、「マミドーマ」の振り付けとよく似ていました。観客の一部に踊り出す物あり。でもまだ、本当ではアリマセン。
○村吉茜



 次は初出場の村吉茜。
 彼女については3年前、高校3年生のときに、あるステージで見て以来。
 ラジオ沖縄主催の「新唄(ミーウタ)大賞」で、「美童ぬ花」をうたってグランプリに輝いた、久米島育ちの21歳。山里ゆきが目標と言いますから、立派です。

 プログラムを見ると、祖父は著名な沖縄芝居役者の新垣則夫、母は元民謡歌手の新垣さゆり(現歌手の新垣小百合とは別人ですので念のため)なのだそう。やはりDNAというのが効いているのでしょうか。

 きりりとした琉球カラジにあでやかな赤の琉装。その着物は、左肩から前にかけて白い紅型模様があしらわれており、帯は紫。オペラグラスを持参したので、このあたり、緻密なのです。(笑)

 しかし、あぁ、なんということか、ここで雨。茜ちゃんのおべべも濡れるけど、我々観客たちも、すわっ!と色めき立ちます。
 おれも、こういうこともあろうと100円ショップで買ってきた使い捨てカッパを取り出します。スタンバイしておいてもう少しひどくなったら着ようかな。

 1曲目は「ジントーヨー」という曲だと紹介して、おじさんに当たる新垣良美の三線サポートを受けてうたいだしました。
 これは「かいされー」をスローにしたものですな。嘉手苅林昌が得意としたようなかいされーのうたいかた。かいされーって、もともとはモーアシビ唄なのですけどね。

 こんなに多くの人たちの前で歌えて、気持ちいい~、という話をして、2曲目は「ふるさと音頭」という曲。茜のオジィがつくった久米島の民謡らしい。
 ♪ アネ ふるさと音頭に 手拍子を~ ・・・
   サー 久米島は 見渡す限り 青々と~ ユイヤサー ・・・

 最後はミーウタ大賞受賞曲の「美童ぬ花」。
 ♪ 美童ぬ美らさ 春の花じゃかい 花とぅ戯れてぃ 咲かちたぼり 美童ぬ花ゆ ・・・
 また呼んでもらえるよう、もっと練習しますから、ヨロシクと言ってステージをあとに。

 うたう姿はなかなか堂々としており、あれよあれよという間に大きく成長していった内里美香を髣髴とさせるものがありました。
 しかし、三線2本とそのはかなげな声だけという古典的なステージングでは、今後はどうなのだろうか。がんばってほしい逸材です。

 さて、雨のほう。あれれ、村吉のステージが終わると同時に上がったみたい。
 はて、村吉、雨を呼ぶ女なのか?!