5月1日から7日までの7日間、沖縄本島・渡名喜島・南大東島を巡ってきました。
 沖縄を訪れるのは、ナント、1年3ヶ月ぶり。これほど間隔が空いたのはあまり記憶がない。身体も、心も、乾いた砂漠の砂のように「オキナワ」を求めていたのだろうな、きっと。

 今回の旅は、いつものように沖縄本島でのライブを楽しんだほか、未踏の島である渡名喜・南大東の2島に渡ってみました。
 もちろん、あちこちで沖縄フードも堪能。喰って、呑んで、大満足でした。

 南の島は連日快晴。かといって気温は、上がってもせいぜい25度程度。海洋性の湿った涼しい風がずっと吹いていて、とても気持ちのいい日々でした。

 旅の間中カラビサ(裸足)でいましたので、足の甲には島ゾーリの鼻緒の跡がくっきり。(笑) 久々に出勤した8日(金)に履いた革靴は妙に窮屈で、歩き始めると足をとられそう。自分のものでないような違和感がありました。だいたい歩の進め方自体が、島でのそれと違うんだものナ。

 また、ビジネスシャツを羽織ったときのゴワゴワ感といったらもう・・・。日焼けした肌にチクチクした刺激がありました。
 前日までは南の孤島にいたのだなと思うと、スーツを着、ブリーフケースを提げて歩いている自分が滑稽でもあり、孤島からその日のうちに東北の1都市に帰って来れてしまう公共交通機関の輸送力のすごさを改めて実感したのでした。

 その模様を何回かにわたって写真とともに紹介していきます。

 PHOTO:渡名喜港
スポンサーサイト


 5月1日。
 那覇空港の家庭料理食堂「空港食堂」で本日の1食目としてカツカレー600円を食べ、午後3時過ぎ、美栄橋近くのホテルに到着。荷物を置いて、まずは久々に壺屋を散策だ。

 このあたりは那覇では戦火を逃れた数少ない場所のひとつようで、アップダウンのあるスージグヮーがあちこちにうまい具合に残っている。
 でも、国際通りの「てんぶす那覇」脇から伸びてくる都市計画道路がいずれこの界隈の風景を一変させることになるのだろう。だから今のうちに壺屋の風情を充分に味わっておかなければと、細い路地があれば臆することなく進入してみた。

 で、見つけたのがここ、通称「天ぷら坂」。
 かつて、天ぷら屋が軒を連ねていたことからそう呼ばれるようになったというこの坂、「みなみのしまで。」というホームページに登場するのを読んで地名だけは知っていたのだが、ほほ~、こういうところなのかと感慨に耽る。ページの管理人は、この坂のこのあたりのアパートを借りて暮らしていたはずだ。

 そしてなんと、ホントに天ぷら屋があったではないか!
 希望ヶ丘公園の崖下にへばりつくような建物の中からは、揚げたての天ぷらの匂いが。ああいいなぁ、この匂い。オキナワだなぁ・・・。
 やちむん街の象徴として残る登り窯である南窯(ふぇーぬかま)を見たあと、次は、ひめゆり通りを横切って、与儀公園の裏手にある「知事公舎」へと向かう。どうだ、かなりマニアックだろ?(笑)

 1998年に落成した琉球王朝風の建物だというのでわざわざ見に行ったのだが、入口には守衛さんが。
 訊けば、知事は滞在中だそうで、中に入ることはできないとのこと。そりゃまあそうだろうね、私邸でもあるわけだから。

 しょうがないので、沖縄県のホームページに載っていた画像を拝借して掲載しましょう。
 どうです、すごいでしょ、見てみたくなる気持ちもわからないではないでしょ?



 その後は、知事公舎のすぐ近くにある閉館時間が目前の県立図書館に入ってみたり、市場本通りをぶ~らぶ~らしたりして、美栄橋の旧ダイエー那覇店のビルに新装開店したジュンク堂書店に行く。
 今年4月オープン、沖縄県では最大の売り場面積、在庫数なのだそう。夜遅くまで営業しているので、郷土本をじっくりと楽しみたいおれなんぞには最適だ。

 ここで沖縄関係本をチェック。なんとまぁ、並んでいる書物の半分くらいはすでに読んでしまっているものであることに気づく。
 買うと荷物になるので、とりあえず欲しい本をメモる。まぁ、それだけでは店に気の毒という気もしたので、1冊だけ「ASIAN JAPANESE 3」(小林紀晴著、新潮文庫)を購入したけどね。

 実はこの1冊が後々重宝することになる。山形から持っていった本3冊をあっさり読み切ってしまい、離島の長い夜をこの本がなぐさめてくれたのだった。


 沖縄ライブ三昧、初日の夜は国際通りの「ライブハウス島唄」へ。いつものコースですな。
 ネーネーズはこの4月からメンバーが二人、入れ替わりました。
 左から与那覇歩、上原渚の2人は継続、そして次の比嘉真優子、仲本真紀の2人が新メンバーです。
 比嘉は、八重山高校3年の07年に、とぅばらーま大会優秀賞、そして八重山古典民謡コンクールの最優秀賞を最年少で受賞した実力派。
 仲本は、和太鼓集団「残波大獅子太鼓」からネーネーズへ。渚とは高校時代の同級生なのだそう。

 19時からの3ステージは以下のとおり。

1stステージ 紅型の琉装で
 あけもどろ~アメリカ通り~千鳥ブルース~他所の人~パラダイスうるま島~豊年音頭。
 あけもどろのサビであるソロパート部分は真優子が。もう、まったく違和感なし。さすがです。
 最後の2曲は生演奏で。歩と真優子の八重山・与那国コンビが三線、同級生同士の渚は三板、真紀は自慢の太鼓だ。カラオケなしで十分やっていけるいいタレントがそろったなぁという印象です。
 初代ネーネーズのCDに収録されていた千鳥ブルースが聴けたのは特によかった。
 ♪ チューイチューイーナー アーラ チューイチューイーナー ・・・

2ndステージ おそろいのピンクのウシンチーで
 国頭サバクイ~タボラレ~安里屋ユンタ~糸満姉小~ヒヤミカチ節~手紙~黄金の花。
 渚のうたう国頭サバクイはいつ聴いてもスカッとするし、娘4人でうたう糸満姉小もとても華やか。
 2ステージでの印象曲はタボラレ。
 ♪ 赤い花タボラレ ・・・
 ソロパートは真紀だっただろうか。絶頂期のネーネーズが脳裏によみがえってきました。
 また、太鼓を叩きながらの真紀のフェーシは最高! 甲高い声で、何よりも元気がいい。

3rdステージ 赤、黄、橙、紺の絣姿で
 沖縄ベイ・ブルース~ヨーアフィ小~肝心(チムグクル)~ノーウーマン・ノークライ~春の唄~黒島口説~豊年音頭・唐船ドーイ
 沖縄ベイ・ブルースのソロパートは比嘉綾乃が官能的にうたっていたものだが、新メンバーでは真優子が。これが、こぶしが効き過ぎて演歌調になってしまったのはご愛嬌。
 また、ノーウーマン・ノークライの高音部は歩の聴かせどころだったのに、これも真優子。
 歩はまだ24になったばかりなのに、グループ最年長。もう親分風を吹かせているのか?(笑)
 春の唄と黒島口説は生演奏。うまい!
 それにしても、ネーネーズはいいうたをたくさん先輩ネーネーから引き継いでいるのですね。それがグループの強みの基礎になっている。うーむ、やはり知名定男は偉大だなぁ。

 ステージが終わって客を見送りに出てきたネーネーズ。渚と歩から「あら、お久しぶりです」と声をかけられる。お、覚えているのか? さすがプロだねぇと頬が緩む。
 写真撮ろうねーとカメラを向けると、はじけるような明るさでピースサインを。(下の画像)
 おまえたち、無条件に、カワイイ!

20090505.jpg  上原渚と与那覇歩。イェ~イ!!

 その後、新メンバーの2人にエールを送ったり、メンバーから直接、卒業した綾乃や泉ネーネーのその後の様子などについて情報収集をしたりして(笑)、23時近くにい~い気持ちで店を出たのでした。
 いやはや、4時間も島唄に入り浸ってしまった。
 ライブハウス島唄では、突き出しのモズクと豆腐チャンプルーを肴に、オリオンの瓶ビール、泡盛のシークヮーサーハイ、さらには泡盛残波の黒と飲み続けたので(会計はチャージ込みで5,600円ほどだったかな)、本日の2食目はラーメンなどをさらりといきたい気分。

 で、行ってみたのが沖映通りにいつの間にかできていた「暖暮(DANBO)」という博多ラーメンの店。
 入店し、さっそくベーシックなラーメン650円を注文。
 辛味だれの量はふつうか、麺は固目かふつうか、などと訊かれ、普通、固目でとお願いしたところ、間髪なくサーブされたラーメンがこれ。



 どうです?
 これ、どんぶり、小さめです。博多ラーメンのドンブリって、小さいの?
 麺は、ソーメン並みの細さです。注文してすぐにでてくるのも道理です。
 麺の量は、箸で3回も掬えばあらかたなくなってしまう量です。
 チャーシューは、ヒラヒラです。
 ネギは、入れなくてもいいという人がいるのか、注文の際に「入れてもいいですか?」と問われますが、そんなの当然です。

 はっきり言いましょう。これは「バカヤロ様」な店でした。
 まぁ、呑んだあとだからちょうどいいボリューム・・・というのが癪なのですが、こんなものをわが山形県で、しかも650円などという途方もない値段で出したら、リピーターはおそらくゼロでしょう。
 自分の感覚に偽らずに言えば、いくら高くても380円ぐらいが妥当な内容でしょう。
 だって、見てのとおり、食べていてなにも楽しくないんだもん。

 なんだかよくわからないけれどこの店、福岡の筑紫野市に本店を構えていて、「九州ラーメン総選挙」というので1位になったのだそう。けっ、ホントかよ。

 そもそも東北のエミシなんぞに博多ラーメンの味がわかるはずあるめい、と言われれば、はい、おっしゃるとおり、わかりません・・・ということなのですが。
 でも、ラーメンって、食べながらとてもワクワクする食べものですよ。いくら美味しくても、箸で3回掬ったらなくなるようじゃあ、楽し・・・

 やめませう。やはり、沖縄に来たなら沖縄のものを食べなければならない、そのほうが身のためだ、ということがよくわかりました、はい。

 ラーメン大好きなおれは、やっぱり沖縄には住めないのだろうな。だって、沖縄には、東日本的な美味しいラーメン屋さんが少なそうなんだもの。
 沖縄でガツンとした太縮れ麺を食べさせるところがあったら、どなたか教えてくれませんか?


 1950年に創刊され、8年間にわたって発刊され続けた「岩波写真文庫」というのがあったそうな。
 そしてこのたび、それらのなかから、山田洋次が5冊を厳選し、山田洋次セレクションとして復刻されたもののひとつがコレです。

 「沖縄 -新風土記-」は1958年刊行といいますから、今から50年ほど前。半世紀以上も前の沖縄の風景や表情が次々に登場します。初版が忠実に再現されていますので、当時のそのままの雰囲気がよく伝わってきます。

 選者の山田洋次は、当時の沖縄は「OKINAWA」であり、掲載されているある小ぶりなスナップは、OKINAWAが米軍支配下から今日に至る歴史を象徴しているようで、ひと目見たら忘れられないと述べています。

 かつて沖縄一の美田地帯だったという宜野湾村が、スマートな米軍住宅と飛行場に豹変してしまった様子や、住宅の芝を刈ったり、米軍家族の洗濯をしたり、軍用車両の運転手をして暮らさざるを得なかった沖縄の人たちの姿が、さりげなく写されています。
 これらの背景音楽は「屋嘉節」がぴったりですね~♪

 自分にとっては、最初の写真が印象的。
 古い茅葺きの屋根を持つ家屋の前で、何人かの子供たちが遊んでいる。衣服は粗末なもので、小さい子は丸裸だ。木造の家の壁には、造林の実施に関する「公告」が、江戸時代の高札のように掲げられている。
 そして家や子どもたちの前には、家より大きいようなペプシコーラの看板が鎮座。また、「CAUTION」という英語の交通標識も・・・。

 ページをめくると、仲島の大石(現那覇バスターミナル)周辺の広々とした造成地や、人が様々なものを持ち歩き、人いきれでいっぱいの平和通りの様子なども。

 全64ページで700円。ハンディでありながら極めて秀逸な1冊。
 しかし復刻とは、岩波書店も味なことをやってくれるよね。
 翌2日。「本日も晴れ、異常なし」、ってか。

 9時30分、連泊となるホテルのサービス朝食をあっさり放棄して、向かうは首里のあやぐ食堂だ。
 ココは、自分の中では沖縄大衆食堂の最高峰。何を食べても早いし、安いし、うまいし、熱いし、多いし、楽しい。

 さて、前日は呑みすぎてしまったため、今回もまた胃にやさしそうな味噌汁定食570円をいただく。



 どうだどうだ、暖暮とやら(まだ言ってる)、「食」というものはこうあらねばならないのだ。安くて、旨くて、多くて、楽しくなければならないのだぞ。
 あやぐ食堂は、このボリュームでたったの570円だぞ。原材料高騰の波をモロに喰らった昨年だったが、値段は据え置きだぞ、コノヤロウ!(A.猪木風)

 ・・・一人いらだっていてもしょうがないし見苦しいのでやめるが、この味噌汁、本土のものとは味が大きく違います。
 入っているものは、ホウレンソウ、ワカメ、モヤシ、タマネギ、ニンジン、白ネギ・・・このあたりまではそう大きな違和感ないのですが、これにベーコン、ポークランチョンミート、豚肉などがこれでもかと入って、最後に分葱がパラパラと。
 ですがこれって、けっこうバタくさい感じでイケル。味噌の発酵の度合いも独特で、なかなか美味です。

 これに刺身と目玉焼き、和風ドレッシングがかかった野菜サラダとマカロニサラダ、御新香がついてこの値段。
 いつも感心するのは、真っ白に美味しく炊き上がったごはん。沖縄の場合、店によってライスのデキにかなりのバラツキがあるので要注意なのだが、ココはいつ行っても問題なし。

 4人掛けのテーブル席で食べていると、もっさりとしたオジイが一人やってきて、まわりの席がまだ空いているのになぜかおれの前に掛けてウインナー定食を食べていた。
 精算時に店のオバサンから「びっくりしたでしょう、別に悪い人ではないから・・・」とかなんとか。
 は? まったく気にしてないですよ、きっといつもの席に座りたかったのでしょう。おれもそういう時があったりするから、よくわかりますよ。むしろ、ウインナー定食とはどんなものなのかをよく観察することができたので、よかったです。
 ・・・ほらね、ちゃんと店のもつ楽しさのようなものがオマケでついてきただろ?
 あやぐ食堂を後にし、今日の最初の目的地である弁ヶ岳へと向かう。まだ行ったことがなかったので。
 こういうところに行くというのもまたヨイでしょ。

 いったん首里汀良の交差点まで戻り、そこからモノレール首里駅と反対の方向へと進み、最初の信号から右に折れて住宅地へ。登り気味に歩いていくと、ほどなく緑の生い茂る小高い丘が見えてきた。丘の緑の周縁沿いをてくてく歩いて弁ヶ岳公園に到着。ここが沖縄中南部では最も高いところとなる。

 弁ヶ岳は、首里城の東の抑えとして信仰された王国時代の聖地。ビンヌウタキと呼ばれ、大嶽と小嶽の2つの峰があり、参詣道をはさんで東側が久高島を遥拝する大嶽、西側が斎場御嶽を遥拝する小嶽だ。



 写真は、東側の大嶽の石門。現在の石門はハワイ在住の沖縄移民や首里鳥堀町民によってつくられたコンクリート製ですが、戦前の石門は1519年に園比屋武御嶽の石門とともに築かれたものだったそうです。

20090508.jpg

 両御嶽の周辺には写真のような拝所がいくつかあり、そこにはウガミに来る人が後を絶ちませんでした。
 しばらく見ていましたが、オトーサンが車を運転してやってきて、その妻と年老いた母の女性軍がともに拝む、というのが多いようです。
 祠の前に座り込んで、手を合わせながら、長時間。
 これは日本風の「神頼み」というようなものを超越しているようで、むしろ神様と親しくなにやらお話をしているような感じですな。沖縄における人と神のあいだの距離感のなさを改めて感じました。

 そうそう、てっぺんに「沖縄神社」なんてものもありました。祖先崇拝や地元信仰と神道って、あまり境目なく受け入れられているのでしょうかね。
 その後、首里鳥堀町の「首里そば」前を正午前に通過して、首里城公園へ。「首里そば」は相変わらずの人気店。行列ができていたぞ。

 首里城を訪れるのは何年ぶりかになるので、その変貌に少し驚く。
 今回は東側から入る遊歩道から城を目指したのですが、かつてはこの散策道はなかったぞ。
 前に来たときは、正殿の後ろ側(東側)はまったくの未整備で、いつになったら手が付けられることになるのやらと思ったものだ。

 京の内なんかも、整備中だったものがすっかりきれいになっちゃって。
 西のアザナも、かつては展望台なんかなかったような気がするが・・・。

 ちょっと残念なのは、歓会門、園比屋武御嶽石門周辺から龍譚や円鑑池方面に行ける道が閉ざされたか、あるいは目立たなくなってしまったこと。
 かつては一体的だった首里城と龍譚池周辺が別個のものになってしまうということであり、整備に当たってどうしてそういうことをするのか、よくわからないのですがね。

 いずれにしても首里城は、沖縄が世界に勇躍した琉球王国時代の象徴。沖縄県の誇りだと思う。
 整備に関しては賛否両論あるのだろうが、モノレールから、町のあちこちから、高いところに見える首里城を仰げば、ウチナーンチュとしてのプライドを実感できるのではないか。
 少なくともおれは、そんなシンボルのような場所を持っている沖縄県民は羨ましいと思ったもの。



 今回は、龍樋や日影台(写真)などのパーツ的な設えもじっくりと見させてもらいました。
   miyarabi2.gif   kafuo.gif

 最近、読書のペースが落ちている。その原因は、クルマによる長距離通勤だ。
 平日の毎日の2時間半以上をこれにもっていかれるのは痛い。
 沖縄関連本を年間50冊以上読破するという計画に黄信号が灯る。

 しかし、読みたい本はある。
 そして、読みたい本は、容易に手に入る時代である。

 今回の沖縄旅の途中、現地の書店でチェックしてきた本をネット通販で大量買いしました。
 その品々は、以下のとおり。

 サウスバウンド(上)          奥田英朗      角川文庫       580
 サウスバウンド(下)          奥田英朗      角川文庫       540
 ニライカナイから届いた言葉    我部政美      講談社       1470
 美童物語(2)              比嘉 慂       講談社        670
 しまうたGTS(ゴーイング・トゥ・サウス) 山田あかね     小学館        1575
 なんくるない              よしもとばなな   新潮文庫       460
 お笑い沖縄ガイド          小波津正光     NHK出版生活人新書 735
 鯨岩                  又吉栄喜       光文社文庫      480
 愛蔵と泡盛酒場『山原船』物語  下川裕治       双葉社        1680
 キムタカ!               平田大一      アスペクト      1575
 カフーを待ちわびて          原田マハ      宝島社文庫      480
 沖縄力の時代              野里 洋      ソフトバンク新書   767
 大島紬誕生秘史           重村斗志乃利    南方新社      2100
 外国人来琉記             山口栄鉄       琉球新報社    2100
 軍政下奄美の密航・密貿易    佐竹京子       南方新社      2100

 うひゃあ、15冊! こんなに買って大丈夫かって?
 いやいや、こんなもんじゃありません。
 上記のほかにも、あと2口の注文を入れています。
 一部販売元からの取り寄せが必要なものがあるので、まだ届いていませんが、それらはというと沖縄関連だけで12冊、関連以外を入れれば18冊。
 ぷぷっ、やり過ぎだよな。だが、心のサティスファクションの度合いは高い。

 さあ、読書すべき“もの”はこれでカンペキに整った。今回購入したものはストーリー性の高いものが多いな。
 う~む、あとはどう読むか。要はやる気の問題だ。まぁ、おれの場合、なにをするにしても課題、隘路、ネックはいつもこれなのだけれど。
 首里からバスに乗って県庁前まで戻り、パレットくもじのCDショップに寄ったりしながら次に向かったのは、市内楚辺にある城岳(じょうがく)公園だ。

 なんだか公園ばかりを巡っているようでおかしいのだが、なぜここを見てみようと思ったかというと、そのきっかけは花村萬月の「沖縄を撃つ!」(集英社新書)を読んだからなのですね。

 県警本部近くのビジネスホテルに投宿した著者は、このホテルがチェックアウトの時刻になると悪びれることなく冷房を切ってしまうことに失笑しつつ、近所の城岳公園へと向かうのだ。(第25章「ゆっくりしましょう」)
 そして著者は、このホテルに悪感情を抱いていないのは、ホテルの近くに城岳公園というすばらしい場所があったからだと書いています。

「ここ(城岳公園)には観光と無関係な沖縄の姿がある。訪れるときは・・・あえてうまく道に迷って、地図には載っていない人ひとりの幅しかないマンション脇の抜け道を通ってほしい。・・・公園は平らで、私の歩幅で反対側、つまり那覇高校側に降りる階段まで百十歩ほどだ。・・・東側にトイレや水飲み場があり・・・西側にはステージだろうか、段が組んである。県庁や県警の建物が望見でき、どんぐり保育園からは幼児の泣き声がとどいたりもする。その先に二中健児の塔がある。・・・風がよく抜ける。木陰のベンチに横たわれば、ほんとうに涼しい。・・・」
 ほほう、ならば行ってみるべきではないか、ということで。



 公園のたたずまいは、ご覧のとおり。
 おれが行ったときは入口の左(西)側の段々のところで自転車に乗ってきた二人の少年がなにかコソコソやっており、右側のベンチには、花村萬月がしていたように、ゴロリと昼寝を決め込んでいるオッサンが一人いた。むう、静かだ。
 ずずいっと奥(北側)に進めば、そこにはパーゴラと砂場があって、花村の言うとおり、那覇の官庁街や東シナ海が見渡せた。那覇高校では体育館と思われる建物が取り壊しの真っ最中のところが見える。
 上の写真は、パーゴラから南側の入口方向を撮影したもの。時計は沖縄らしく、まったく違った時間を指し示していますね。(笑)

 砂場の西側には、このような「二中健児の塔」があった。まわりの石組みは学帽のように見えてしまうが、どういう意図でつくったものなのだろう。

20090511.jpg  二中健児の塔

 風がびょうと心地よく吹き抜ける中、ベンチに腰掛けて煙草を一服。
 時間は14時になろうとしている。どーれ、そろそろたらたらとホテルに戻って一休みしようか。べつにあれこれ見なければならないというわけでもないし。

 ということで、公園を後にする。「那覇高校側に降りる階段」を使って国際通り方面へ。
 ここにいた数十分の間、公園利用者は、先に紹介した3人のほかには犬を散歩させる人一人のみ。街中にこそあるが、どんづまりの公園なので、利用者も少なくてとてもゆったりできました。

 しかし、こういうところばかり攻めるおれというのも、いかがなものなのだろうな・・・。


 水無月慧子「琉球処分」三部作――と副題がつく、沖縄タイムス社刊の文庫本です。

 表題作「海の階調」では、首里の下級侍である区場朝伸が、琉球処分前後の琉球・沖縄にあって、世の中を少しでもよくしていこうと日本政府の探訪人(密偵)となる決意をします。
 首里城明け渡しとそれに続く廃藩置県、本土から送られた官僚や警官の画策、対して権勢復活を目論む頑固党の暗躍などを背景として、激動の時代に生きる志し高い若者たちの生きざまがみずみずしく描かれています。
 表題作のほか、「闇のかなたは」、「密告の構図」。

 著者は、1962年北海道生まれ。中学時代、父の転勤に伴い沖縄に移り住み、以降23年間沖縄で生活したとのこと。
 もともと明治ものを読むのが好きで、大城立裕の長編「琉球処分」などを読んで沖縄の歴史小説に耽溺していったそうです。
 そして2作目の「出航前夜祭」で新沖縄文学賞の佳作を受賞。その後20年間にわたり「沖縄とヤマト」の物語をライフワークとして書き続けてきた中から3編を選んで、このたび全面改稿して出版したのがこの本なのだそうです。

 小説なので、楽しみながら読めるようさまざまな虚構や誇張などが含まれているのでしょうが、凡人(ワタシですね)がフムフムと読み進めていくにはちょうどよい柔らかさの文章です。
 そして、その中には当時の琉球が偲ばれる情景描写や人々の生活の様子などが描かれていて面白い。先ごろ読んだ「誰も見たことのない琉球」(上里隆史著)で知った、一般的な琉球王国のイメージと違う、ぐっとヤマト風の琉球をイメージしながら読みました。
 また、認識を新たにしたのが、頑固党。そういう勢力もあった、程度にしか考えていなかったのですが、当書には、頑固党の暗躍を恐れ、なるべく改革は控え急速に旧慣温存政策に傾いていく沖縄県庁の様子が描かれていました。

 久々の沖縄への旅のさなか、渡名喜島の空き家を改造した赤瓦の一戸建ての民宿で。帰りのフェリーの中で読了しました。
 ホテルに戻って、アイスクリームを食べてクールダウンし、1時間ほど昼寝をしてリフレッシュ。おれも、旅のさなかにこういう休息を求めるような年齢になったのかもしれない。
 これまでは昼寝なんて、明るい時間を無駄にしているようなものだと思っていたものなのだがなぁ。昼下がりの眠りがとても心地よく感じられる。

 さて、17時を過ぎた。ふたたびホテルを出て、メシを食べて、夜のライブへと出動だ。

 何を食べるかでちょっと思案。どうしても沖縄そばが食べたい。
 ならば、大盛りの肉そばを食べようかと、まずは歩いて通堂(とんどう)町の波布食堂へと向かう。
 しかし、「本日休業」。ふむ、やっぱりね。いつもの土曜日はやっているはずなのに、連休のためということか。まぁ、沖縄の食堂なんてこんなもの、腹も立たない。
 では、ふたたびあやぐ食堂に行って、あやぐそばを食べよう。波布食堂近く、てびちがおいしい嶺吉食堂が開いているのを横目に見て少しぐらついたが、今はどうしても沖縄そばなのだ。

 またモノレールに乗って今日2回目、首里のあやぐ食堂へ。(笑)
 18時を過ぎて、夕食時のあやぐ食堂は大盛況。テーブル席は埋まっていて空くのを待つ客が数人いたが、こちらは一人なので、すぐにカウンター席を割り当てられる。
 おぉ、あこがれのカウンター。比較的空いているときはココはシングルの常連さんの特等席となっていて、ちょっと座り難かったのだな。

 ほんの数席のカウンターからは、厨房で働くアンマーたちの様子がよく見えて楽しい。注文される何種類ものメニューを手際よくこさえている。
 注文は店内からだけでなく、持ち帰りの弁当の注文もたーくさん。すごいなぁ、この発注量、この手際。この活気。

 で、ほどなくやってきたのがコレ。ひゃあ、紅生姜が鮮やか、美味そうだ!



 あやぐ食堂のホームページによれば、コレが一番のお奨めメニュー。
 食べてみると、麺は歯ごたえのある太めに、スープは秘伝のタレから作った味わい深い逸品。これに、肉の旨みが最大に引き出せる豚バラ肉とたっぷりの野菜を炒めた具が乗って、これでたったの470円!
 炒めたときの汁が加わって醸し出す甘やかで濃厚な味わいは、至福感高し。
 スープに関しては沖縄そばというよりはラーメンのそれにふさわしいという印象で、ヤマトンチュの味覚にもぴったりだと思った。

 いやぁ、満足だなぁ・・・。わざわざ来た甲斐があるというものだ。
 午前中の店員さんはすっかり入れ替わっていて、朝に話したオバサンにあいさつすることは残念ながら叶いませんでした。
 さて、今晩のライブは、おもろまちのTop Noteでの太陽風オーケストラだ。
 太陽風オーケストラとは縁があって、沖縄に行くと、不思議と年に1、2回しかやらない彼らのライブの日程と重なることが多い。彼らのライブは04、05、06年に観ていて、今回は4回目となる。
 その後07年12月に「ホライズン」という3枚目のアルバムを発売してがんばっているようだ。

 昨夜「島唄」から電話を入れておいたので、前売り料金の2,500円を支払って、19時30分頃入場。あとで知ったけど、前売りは完売、それに伴って当日券はなかったそう。ラッキーだなぁ、おれって♪

 今回のハコであるTop Noteは、普段はスイングジャズやカントリー、オールディーズ・ロカビリーなどが楽しめるレストランなのだが、貸しホールもやっていて、様々なアーティストのライブが行われるトコロらしい。

 120人が定員だという広めのホールはすでに満員まぢかで、テーブル席がほぼ埋まっている。
 フロア担当に、一人なのだがどこかいい場所がないか尋ねると、こちらへということで、かなりステージ寄り、単独行動者が集う壁際の一角に案内してくれた。なかなかいい店員ではないか。

 ジンソーダを現金と引き換えでゲットして聴きの態勢を整える。ドリンクの追加は自らカウンターまで赴いて手に入れるシステムだが、この混雑ではお代わりはあまり望めないな。
 おぉ、あれよあれよという間に後ろのほうは立ち見がぎっしりだ。なんでも定員の1.5倍の180人は入ったそうですよ。

 さあ、ステージ。あいにく写真撮影はご法度なので、06年の那覇ハーリーでのステージのときの写真を1枚ご紹介しておきます。また、当日の演奏の模様は、太陽風のブログから4枚。



 メンバーは、まずは和太鼓の仲宗根達也。彼、いつの間にかベーシストの上間勝吉(かつよし)に代わってリーダーだと紹介されていた。
 この2人のほか、キーボードの松元靖、ギターの伊集タツヤ、ドラムの伊波厚、各種パーカッションの宮良和明の6人。

200905121.jpg   200905122.jpg

 上間は相変わらずクール。メロディに酔ったような表情で、上半身をスイングさせながらベースの弦を弾く。その振動は、寄りかかっている壁を伝ってギンギンに身体へと伝わってくる。これは効くなぁ。
 メンバーの中では最年長で、かつては伝説のロックバンド紫でベースを弾いていたこともある上間。宮良のMCでは上間はナナサンマルのとき(1978年)にはすでに運転していたとか(これ、ホント)、コザ暴動(1970年)では米軍のクルマをひっくり返していたとか(これは冗談)言われて、困ったような顔をしていた。

 また、今回はこれまでの松元に変わって、ギターの伊集が中央に。エレキからアコギから、ギターテクを遺憾なく発揮してくれた。
 伊集はメンバー紹介のときに宮良和明を「宮良ヤスアキ~!」と紹介してしまい、これに憤懣やるかたない宮良カズアキ。(笑)
 伊集はたくさんの沖縄の唄者のライブのサポートをしていてけっこう忙しい。他のメンバーもソロやサポート活動が忙しく、なかなかこのメンバーでの活動が思うように行かないというのが実情らしい。

200905123.jpg   200905124.jpg

 メロディ創作担当でもある松元は、キーボードプレイがますます冴える。ノーマルなシンセサイザーのほかに、写真のようなギター風キーボードを駆使。これがスゴイ! そして、その両方を行ったり来たりと忙しい。にも関わらず、演奏ぶりは極めてステディだ。
 彼は音楽的なセンスも含めて、沖縄だけにとどめておくのは惜しい逸材だと思う。

 仲宗根は、そう大柄な体躯ではないのに、太鼓を叩けば迫力は満点。リズムを刻むだけではない何か和太鼓に宿る精神性のようなものを、大真面目な表情と無言の中で導き出している感じ。
 そのくせ案外ひょうきんで、アンコールで再登場した際にはキーボードの前に座り、華奢な体形の松元に「お前が太鼓を叩け」とジェスチャー。これは笑えた。

 などなど、すばらしい演奏と楽しい時間がアンコールを含めて22時40分頃まで。納得のライブでした。
 演奏曲は、「国境」、「空神」、「セブン・スピリッツ」、「火の鳥」、「Dejavu」、「斉天大聖」などでした。
 5月3日は渡名喜島へ。いよいよ離島だ!

 渡名喜島は初めての渡島。久米行きのフェリーが1日1便だけこの島を経由。なので、日帰りができない。本島から近いのに、なかなか行けない島だなぁと思っていた。

 ところが旅の日程を考える中で渡名喜島を調べていたら、島内に赤瓦の民家を使った宿泊施設があることを知る。で、電話して1人でも利用できるのか尋ねたところ、1泊3食付きで9千円でOKだと言うではないか。

 その値段で、しかもメシが3回も付いているのならば、けっして高くはない。もう、決定。
 その電話でその「ふくぎ屋」に世話になることを即決して予約し、渡名喜島行きを最優先に今回の旅のスケジュールを組んだのだった。

 朝、那覇のホテルのサービス朝食で腹の虫を軽く抑えて、荷物の多くをフロントに預け、デイパックひとつで8時30分のフェリーに乗るべく泊港へ。
 いざ乗船券を買おうとすると、朝の1便は満席でキャンセル待ちだという。
 ぬわぁにぃ、渡れないのかっ!?

 そりゃぁないだろうと色めきたつが、窓口のネーサンに渡名喜島に行きたいのだと伝えると、「渡名喜島でしたら乗船できます」とのこと。
 ・・・だろうよ。渡名喜経由は朝の便だけだものな、そうこなくっちゃ、よしよし。
 でもな、乗れるのだから文句はないが、満席なんだろ? どういうことなの??

 というハラハラ体験があって、ホントに満席の客席の一つを何とか確保してフネに乗ること140分、島に着くと、横腹に米軍ナントカ対策事業と書かれたワンボックスが待っていて、「ふくぎ屋」にお泊りの方はドウゾと。
 そしてそのワンボックスは、島の村落内に点在する再生民家ごとに何人かの乗客を降ろし、簡単な説明をして、次の民家に向かうのでした。

  今日の宿。

 おれが降ろされたのは5~6組中の4番目。今日の庵となる家の佇まいはこんな感じの小さな再生民家でした。
 4畳半が2間。向かって右側にはテレビと小さな卓袱台があって、窓の反対の壁側は沖縄の仏壇を置くはずの台が棚代わりになっている。
 左側の部屋は寝室として使うようになっていて、押入に寝具が入れてある。
 たった2間とはいえ、一人きりの旅の者にはこの広さはやや持て余し気味だ。
 キッチン、シャワー室、トイレは、これらがひとつになって、母屋の左側に別棟となっている。
 窓はすべて網戸つき。使わなかったがクーラーも完備され、なに不自由ない生活ができる。

200905132.jpg  入口。いいでしょ~。

 庭も、西に向かって広々としたものがあり、砂地はきれいに箒で整えられている。敷地面積はざっと100坪もあるだろうか。
 敷地の周りにぐるりと回された石垣があり、渡名喜島らしく、庭は道路より数十センチ低く、道路から2段ほどの石造りの階段を降りなければならない。

 サッシを開け、腰をかけてたたずんでみる。
 鳥の鳴き声が聴こえる。そのほかは、時々人が砂の上を歩く足音、遠くからは小さな子どものはしゃぐ声と車かバイクのエンジン音。
 閑静であり、かと言って寂しくならない程度の人の気配。なかなかいい按配だ。

 この建物の屋号は「ウチヌマテーシ」と言う。後に渡名喜村歴史民俗資料館の裏手にある看板を見て、それを知った。
 渡名喜島重要伝統的建造物群保存地区――というそうで(ろれつがまわらなくなりそう(笑))、看板にはなお100軒以上の保存建造物があることが示されていた。

 今晩はここで静かに、読書でもしながらゆったりと夜を送ろうか。


 著者は石垣島の離島桟橋で考えていた。
『僕は、生ぬるく甘い缶コーヒーをただすする。
 目的地だけはある。それは九州の鹿児島港で、それまでの距離を船でできるかぎり多くの島に寄りながら北上するということだ。かつて、作家・島尾敏雄が琉球弧と名付けた島々を黒潮の流れに従い、海の道を北上することだ。
 弓なりに点在する島々を北上することは、東南アジアからのグラデーションの中にあるはずだ。そのグラデーションを僕はゆっくりと北上したい――』

 アジアを中心に旅を続けてきた著者が、「何か」を求めるのでも、「夢」を追うでもない、「帰る場所」を探す旅に向かいます。
 その行く先は、「パスポートもビザもいらないアジアの国がある」と旅の途中で誰かが呟いた言葉にひかれて向かった沖縄。そして、故郷の諏訪。

 旅の「構え」は、だらだらと流れる時間をだらだらとぼんやりと旅すること。
 そのような旅をして著者は、日常を生きることと旅の中に身を置いて生きることが、島では同時に存在するのだということに気がつきます。

『生きることに目的があること、その逆に目的がないことなどは切実な問題ではないのではないか――』
 東京という街が目的を持たないと多くのことを許さない残酷さを秘めているのと対照的に、島は、場というものが本来持っているはずの「力」を有しているのではないか。つまり、
『場の力が人間の力を上回っているとき、人は何もせずにその場にいることをただ許されるのだと思う。』
 ・・・というふうに、著者の思考はめぐっていきます。

 記述の中に登場する南の島々での様々な出会いや発見とともに、著者の“心の漂泊”のようなものを共同体験することができる秀逸な紀行本です。

 著者は、1968年生まれ。新聞社のカメラマンを退き、でアジアをめぐる旅の途上で出会った日本の若者たちの姿を鮮烈な写真と文章でとらえた「ASIAN JAPANESE」でデビュー。

 登場する琉球弧の島々は、石垣島、竹富島、西表島、宮古島、沖縄本島、座間味島、与論島、沖永良部島、奄美大島。トカラが含まれていないのはちょっと残念。
 それぞれの地で出会った、そこで生活している“旅の途中にいる”人たちと話をし、考えを聞いて、それをもとに著者自身が考えを深めていく――という表現形態。
 それがインタビューや紹介にとどまらない深みを伴って伝わってくるのは、その出会いを通して著者自身が「旅」をしているからなのだろうな。

 おれ自身南大東島を旅する中でこの本を読んだので、感慨ひとしおだったのかもしれません。


 貸し民家「赤瓦の宿 ふくぎ屋」の食事は、村道1号線沿いにある「ふくぎ食堂」でとることになる。
 なぁに、村道1号などと書くとさも車でも走っていそうな感じだが、未舗装の、幅の狭いただの通り道です。
 さて、その食堂にまっすぐに行くことすらままならず、迷子になり地図と首っ引きになってようよう到着。島の道々は、知らない者にとっては迷路のようだ。

 食堂は貸し民家の事務室にもなっている。
 まず宿泊代の支払いを先に済ませ、宿泊者向けの今日の昼食は、沖縄そばとおにぎりだ。
 他の宿泊者はあらかた食べ終えたらしく、自分ひとりでゆっくりと。

 そばのほうは標準的で、可もなく不可もなく。まぁ、離島にあってはある意味立派と言っていいかもしれない。三枚肉はレトルトパック風。なので味もノーマル。
 おにぎりは、存在感のあるデカさ。せめておかかなど何か具を入れてほしいものデス。

 食べていると、まだ小さな子どもを連れた夫婦が食事にやってきた。きっとどこかの民家に泊まっているのだろう。
 子どもは隣の座敷からオジサンの顔を見に時々顔をのぞかせる。その仕草がなかなかかわいい。
 小さい子を連れて親は大変だなあと思うのと、おれにもそういう時代があったのだなあと思うのと。

 さぁ、食後はさっそく島内散策をしよう。
 とてもいい天気。まずは村道1号線から攻めてみよう。
 村道1号ってこんな感じ。ずーっとあっちまで、クルマはもちろん、人だって歩いていない。
 まあ、真っ昼間に紫外線対策もせずに無防備な恰好で歩いているのは観光客ぐらいなものなのだろうが、ゴールデンウィーク真っ只中だというのにその観光客の影すら、ないのだね。



 離島もここまで来てしまうと、GWすらも関係ないみたい。高速どこまで乗っても千円なんて言って長時間渋滞にハマってあえいでいるオトーサン、ご苦労サマという感じですかね。う~む、おれはいいトコロに来たのだなあ。

 歩いていると、入口に「大和食品」と書かれた、映画にでも登場しそうな建物が。
 離島にありながら洒落た入口や壁のつくり。中は?と思ってそっと覗いてみるが、どうも使われているような気配は感じられなかった。改装して食堂や居酒屋にでもすれば、観光客は来るぞ。

20090516.jpg

 島の大動脈(!)の1号線をはずれると、四方八方にこのような道が。
 風景が大きく変わらないし、道自体がくねくねと曲がっているので、注意していないとすぐに迷子になってしまいます。
 渡名喜島は沖縄戦の戦火を奇跡的に免れた島。なので、昔のままの街並みがこのようになんとか残っているのだ。

 そしてそれらの道は、とにかくフクギの並木が見事! フクギといったら波照間島か本島の備瀬だろうと思っていたけど、渡名喜島もいいなあ。

 ビーサンを引きずりながらたらたらと歩き、役場の前を通って、フェリーが発着する島の西側、渡名喜港に出る。
 左側には日本海でよく見るような岩山が。しかし、それを照らす太陽の光はまったく日本海のものとは別物だ。
 1号線よりも少し南側の裏通り(というの?)を通って、こんどは東側にある島一番の景勝地、東(あがり)浜に行ってみる。



 ほぉーれ、いいでしょー。こんなにスカッ!としたところに自分ばかりやってきて、どうもすみませんね。
 きれいな海、きれいな砂浜、同じ方向から間断なく吹き続けるそよ風。そんなロケーションの木陰に腰掛けて一服だ。あぁ、おれは今、サイコーにシャーワセだ。

 あがり浜でしばらくぼぉ~っとしたあとは、浜沿いの道を南下してアンジェーラの浜を目指す。いったいココはどこの国なんだ?というような名称だね。(笑)

 途中、シュンザと呼ばれる、長さ200メートルにも及ぶ海崖が屏風のようにそそり立っているところがある。なんとまあ、沖縄らしくない断崖。間近にあるそれは、見上げると首が痛くなり、眩暈を覚えてしまうほどの巨大な岩。
 そしてその下には、満潮時でも通行できるよう先人たちが石を積み上げてつくったアマンジャキという旧道の遺構を見ることができた。

 こんなところをポコポコ歩いているのは自分ぐらいだろうと思ったら、はるかむこうのほうから3人の親子連れの観光客が歩いてくるではないか。
 ちょうどアマンジャキの案内板があるところでコンニチハ。お互いに「よう歩きまんなぁ」と思ってあいさつをしていたことは容易に想像できる。(笑)

 アンジェーラの浜ではアーサの養殖が行われており、無人なのだが、思ったほどステキではない。その先にも道は続いているが、山道になるのでこのあたりで戻ることに。少し雲も出てきたことだし。

200905171.jpg

 戻り道からは、あがり浜の波打ち際で遊ぶ人たちが見えたので、望遠でパチリ。
 うーん、よく見ると観光客ばかりですね。まあ、渡名喜島に2泊もして見るところを見てしまえば、最後は一番のスポットであるこの浜で、こうやって波と戯れるしかなくなるのだろうな、きっと。
 夕暮れまでまだまだ時間がたっぷりあるので、次はあがり浜の北に位置する里遺跡を目指して山に登ってみた。
 これだってけっこう距離がある。しかも階段だ。まあ、急ぐ旅でもない。ゆっくりと、あちこち眺めながら登ることに。



 中腹まで登ったところに上ノ手展望台というところがあって、そこから眺めるあがり浜はごらんのとおり絶景! 太陽が出ていればもっときれいなのになぁ・・・。

 おれが渡名喜島を最初に意識したのは、この構図と同じ、浜のカーブと向こう側の緑の山の写真を見たときだった。そうか、その写真はここから撮ったのだな。そしておれは今、それと同じ場所に立って、同じ構図の写真を撮っているのだなぁ。

 展望台からは、あがり浜の反対側にある集落や港も一望でき、こちらもいい眺め。夕焼けのときはことさらに美しいのだろう。
 また、その海の先には米軍の射爆撃場になっている入砂(いりすな)島が遠望できた。

20090519.jpg

 そしてさらに階段を登ること数分。遊歩道が草木で覆われてしまいそうになった頃、ようやく里遺跡の拝殿が見えてきた。

 ここには里殿とヌル殿内の拝殿があり、島内随一の信仰地になっているという。1978年の発掘調査の結果、14~15世紀のグスク時代の遺跡であることが判明したのだそうだ。
 また、当時の人々の生活の足跡として、遺跡内の平場では掘立柱建物の遺構があり、その近くに貝塚があったという。

 でもなあ。島随一と言っても、信仰心の厚い高齢者は長い階段を登ってここまで来ることができるのだろうか。来られないからなのかどうか、2つの拝殿の周辺はけっこう荒れ気味だったぞ。

 どーれ、汗もかいたし、まだ陽は高いが、けえるか、赤瓦の家に。
 山を下って集落へ。
 途中、渡名喜島で撮影されたという映画「群青 愛が沈んだ海の色」で居酒屋「南風原」として登場する場所を偶然通りかかって、眺める。
 長澤まさみほか出演。この6月から全国ロードショーだそうなので、観てみようっと。