奄美大島名瀬にあるセントラル楽器の創設者のブログ「大人青年(ふっちゅねせ)」を読んで、小川学夫(ひさお)なる人物を知り、その人による著書を読みたくなって購入したもの。

 セントラル楽器は奄美のシマウタの振興にひとかたならぬ貢献をしている、今となってはいわばシマウタの総本山的性格を有する情報発信源。
 たくさんのシマウタの音源を世に送り出していますが、かつてそこに東京からやってきて、数々のシマウタに関する企画をしたのが、小川学夫だったのです。

 読んでみると、そこには彼の持つ豊富なシマウタに関する知識がたーくさん。もう、ウキウキしてしまいます。
 内容は、「奄美の歌文化―まえがきに代えて―」に始まって、「歌と踊りのある風景」、「折節の歌」、「日々の暮らしの歌」、「恋心を歌う」、「歌半学の世界」、「歌われた神話・伝説・うわさ話」と続いて、最後には「奄美シマウタ曲目小事典」という秀逸な曲目紹介がついています。

 「歌われた神話・伝説・うわさ話」では「上がれ日のはる加那節」に登場する“はる加那”について紹介し、このほかにも「うらとみ節」の“うらとみ”、「むちゃ加那節」の“むちゃ加那”、「やちゃ坊節」の“やちゃ坊”、「嘉徳なべ加那節」の“なべ加那”、「ちょうきく女節」の“ちょうきく”とその男“活国(かちくん)”、「かんつめ節」の“かんつめ”などなどについてのエピソードが次々と紹介されていて、歌詞の深い意味を知るのにとても参考になります。

 こういうのを読んでいると、シマウタのもつ歴史や厚みがよくわかって、シマウタは独特の曲調だけでは語れないものなのだなぁ、これまでシマウタを聴いてきた姿勢を今後は改めなければならないなぁと、大きくうなずき、また反省したのでした。

 シマウタに関する歌詞からのアプローチは、この1冊でほぼ完璧にトレースできるのではないでしょうか。そう思えるほどに秀逸で、簡素でありながらここまでシマウタの歌意を深く表現している書物を、私は知りません。
 一方で、音楽的な面からシマウタを網羅的に説いた書物については、私はまだ読んだことがありません。ぜひそういう本を読んでみたいと思うのですが、どなたかそんな本を知りませんか?

 知れば知るほど、さらに知りたくなり、興味は尽きるところを知りません。これはある意味、生きていることのヨロコビすら感じてしまうほどの素晴しい本に出会った――ということなのかもしれません。
 手に入れることができてシアワセです。シマウタファンの方は、絶版にならないうちに買っておいたほうがいいですよ。
スポンサーサイト


 来るゴールデンウィークに、渡名喜島に行くことにした。

 沖縄本島に近いのに、時間的にやたらと遠い島。沖縄戦の戦火を免れたために、古きよき沖縄の民家群が残っているという。

 そして、渡名喜島行きを決定付けたのが、民宿「ふくぎ屋」。
 古民家を改造して、4棟のコンドミニアムに仕立てたというのだ。
 おお~、これは、泊ってみたい!

 で、さっそく電話。GWにも関わらずまだ空いているという。よ~し!
 ヨロコビ勇んで即予約。一人なので9千円と割高だが、1軒まるまま借りることに。
 今どき都会の狭々としたホテルだってそのくらいはする。なのにこちらは、3食付きでこの値段なのだから、やむを得ない範囲と言えるだろう。

 わずか1泊だが、なにもない島で、民家でゆっくりすることにしよう。

 今回の旅では南大東島にも行く予定。
 離島づくしとなりそうですな。


 石垣市長の大浜長照サンの画像を見つけた。あれま、少し年を取りましたかね。(笑)
 このヒト、もう何期市長を務めているのだろう・・・と思ったら、もう15年。61歳におなりになったそうです。

 かれこれ10年近く前になりますが、とぅばらーま大会を観に行ったとき、夜中の開催にもかかわらずあいさつに登場し、ついでに一緒に民謡をうたったり踊ったりしていたのでした。
 彼の趣味は郷土芸能鑑賞で、三線も演奏するのです。
 してまた、がっしりした体躯と濃いめのお顔にかりゆしウエアがよく似合う。

 その後、石垣島に行くたびに実際にお目にかかること数回。イベントには必ず顔を出していたようで、フットワークの軽い人という印象強し。こうでなければ島の選挙を勝ち抜くのはたいへんなのかも。

 なんでも県立八重山病院長から市長への転進なのだそう。へぇ~、医師なのか。知らなかった。
 また、石垣市の財政は、扶助費(生活保護費)などの伸びが顕著で、それを人件費の削減などでカバーしているのだそうだ。
 さらに、いずこも同じようで、県立八重山病院の独立行政法人化の議論が湧き上がっているという。

 そういえば石垣島にも久しく行っていないなぁ。
 島旅の醍醐味は、八重山諸島でもっとも堪能することができる、と思う。
 竹富島の種子取祭あたりが次のターゲットですかね。


 「戦記モノ」が好きなのかもしれない。
 人と人との殺戮合戦のような場面に身をおいたことはありませんが、生きるか死ぬかのぎりぎりの状況で感じるであろう「生きること」の意味やすばらしさなどについては、多少は理解することができるような気がするのです。

 これは、ハードボイルド小説などでの格闘場面を読んだときも同様で、相手の持つ匕首が鈍く輝く様子に身体が反応してサーッと鳥肌が立ったり、深く切創を負ったときの痺れるような感覚が蘇ってきたりします。
 そういう状況を目の当たりにして感じることは、死ぬことが怖いというよりも、むしろ生きていることそのものが強く実感できて、なぜか嬉しくなってしまったりするのです。
 こんなおれって、変なのでしょうか?

 さて、この「ペリリュー・沖縄戦記」。アメリカ第一海兵師団第五連隊第三大隊K中隊の一員として、中部太平洋にあるパラオ諸島のペリリュー島と、沖縄の攻略戦に参加した著者、ニックネーム「スレッジハンマー」が、その訓練期間と戦場における体験を記したものです。
 20世紀最大の殺戮戦の中で体験した凄絶な様子を読み、ただただボーゼン。前線で悩み、奮闘した一兵士の体験談なので、その生々しさがストレートに伝わってきます。

 戦場にあっては、政治的な正当性とか国際法上の人道的配慮などは、あるにはあるものの取るに足らないものであることが実態のようで、腐臭ただよう泥濘の中で地を這った者でなければわからない戦場の真実ががしがしと読む者の心を掻き砕いていきます。
 このうち沖縄戦では、アメリカ軍が被った人的被害のうち、神経を病んだいわゆる戦闘外の事故兵は2万6千余名に及んだということです。

 沖縄戦については、これまで戦跡を歩いたりして当時の戦線展開上の地理的状況がよくわかるので、わずか数百メートルを前進するのにかくも多くの血が流されたこととか、現在平和的な都市施設が次々につくられている地がかつては目を背けたくなるような凄惨な戦場だったことなどが体感的に理解でき、身を震わせながら読みました。

 こういうことは知らなければそれで済むことなのでしょうが、思うに、そういう出来事をベースにして我々は今、平和を享受しているのだということを心に刻むこともまた、生きるためには重要な作業なのではないか。
 きれいごとの中だけで一生を終えたいと思っている人にはオススメできない本ですが、生きることの意義については確実に深められる1冊であると思います。
 花粉症の季節がやってきたようで、このごろは朝起きるとまっ先にくしゃみの出る日があったりする。
 ひえっくしょい!!

 新型インフルエンザの蔓延を防ぐための咳エチケットが膾炙した今日、くしゃみについても唾液などが飛び散らないようにと、鼻がむずむずし始めたらある程度肺内の呼気を出して、ケションと小さくやるようにしている。
 しかし、思い切りくしゃみをするのはある意味とても気分爽快であり、朝ばかりは誰にも遠慮することなくハーックショイ!と派手にやっているのだな。

 くしゃみで思い出すのが沖縄の風習だ。
 沖縄では、くしゃみをしたらすぐそのあとに「クスクェー!」と唱える。このごろはやや廃れかかってはいるようだが・・・。

 これ、かつては日本本土でも行われていたもののようで、その由来はというと、
1 「休息万命(くそくまんみょう) 急急如律令」という呪文が縮まったもの、という説と、
2 「糞食(くそは)め」、すなわち「糞食らえ!」という罵倒が訛ったもの、という説
の2つがあるという。

 個人的には第1の説を信じたいところだが、これが沖縄に残っており、子供がくしゃみをしたら側にいる大人が、もしくは大人の場合は本人が、「クスクェー」または「クシィケー」、「クスタックェー」などと唱えるのですよ。おもしろいでしょ。
 この呪文を唱えずにいると「後生(あの世)の人に連れ去られる」とか、「豚の化け物が竹で鼻をつつく」などと言われているのだそうだ。

 沖縄でこの風習を目の当たりにしたのはもう10年ほど前のこと。
 石垣島のホテルでバイキングスタイルの食事をしようと料理をとるために皿を持って食べ物の品定めをしていたところ、まだ4、5歳だった次男が顔をゆがめてハクション!とやった。すると、たまたま側に立っていたおばぁというにはまだ早いぐらいの年齢の女性従業員が、おやおやといった表情で「クスケェー」と言い、笑顔で頭をなでてくれたのだった。

 その女性の表情や仕草にはあたかも自分の子を慈しむようなたおやかな風情があって、こちらまでうれしくなってしまったものだった。
 子は天から授かった社会全体の宝物であるという沖縄の考え方が身に沁みた経験であり、ますます沖縄が好きになった瞬間だった。

 その小さかった次男も、はやこの4月から高校生。今日公立高校の合格発表があって、第一志望に合格することができ、晴れ晴れした表情である。おめでとうな。

 ・・・ところで10年前のそのくしゃみ。
 飛沫が目の前にあった数々のご馳走に飛び散らなかったかどうか、今頃になって心配になっている。




 主人公・金子達也は横浜の戸塚駅周辺で働く40歳のタクシー運転手。
 不況下で収入減にあえぎ、運転手仲間2人とともに人生の一発逆転をかけて身代金目的の誘拐を計画します。
 狙うのは、バブル期の土地ころがしによって成金丸出しの豪邸を建て、そこに住む喜屋武朝光という人物。
 計画は順調に実行され、ついに完結すると思われた最後の段階で、ストーリーは思わぬ方向に急展開します。

 姓が物語るとおり喜屋武はウチナーンチュで、計画の完遂を阻止したのは、南米ボロビア国にある「ボロビアうちなあんちゅ会」なる組織。
 金子はこの組織によって一人ボロビアに連れ去られ、各国のうちなあんちゅによって開催される水泳大会でボロビア代表を3位以内に導くことを条件に我が身の解放を約束されます。
 弱小チームのボロビアは、やたらと泳ぎが得意でアマゾンの森林地帯にひっそりと住んでいるというウチナーンチュの末裔をチームに引き入れて・・・。

 う~む、なんか、展開がハチャメチャだなぁ。読んでいて楽しめこそするが、導入部と結末を並べて考えると、なんかこう、まとまりというものが感じられない。
 ま、沖縄に関することだから、おれはいいのだけど。

 著者は、1964年横浜市生まれ。非沖縄人ですが、沖縄国際大学で学び、在学中に沖縄タイムスの「新沖縄文学賞」を最年少受賞し、30歳のときに沖縄村の広報紙記者として南米ボリビアにも赴いた経験があり、現在は横浜でタクシー運転手の傍ら小説を書いているとのことです。
 ナルホドね、著者の経験や日常がそのまま作品のモチーフになっているのですね。
 新沖縄文学賞受賞から21年。河野多恵子をして「尋常ならぬ才能」と言わしめた青年が分別ざかりとなり、いまここに「尋常ならぬエンターテインメント小説」を世に送り出した――ということなのですね。

 コシマキには本書のクライマックスが書かれていますので、引用しておきましょう。
  諧謔(かいぎゃく)か? 挑発か? 『沖縄県民に問う!』
  ―― おい、日本人。そこに手をついて詫びてみろ。知らぬことは罪でございました、そう
      言って土下座しろ!
  ―― 日本政府や日本国民が本当にうちなあんちゅを同等の日本人と思っているのであれば
      憲法を改め、日米安保を解消し、自ら国防を担うことによってうちなあの軍事基地を少な
      くとも半減させるだろう。
 八重山民謡に「高那節」、別名「ざんざぶろう」という民謡がある。
 竹富島の高那村に伝わる民謡で、歌意をとるのが難しい民謡とされています。

 冬に村人達が漁のために遠出し、その中で帰って来なかった子がいた。心配していると、ざんざ(漁場)にいるという知らせが入り、村人は大喜び。さあお祝いだ、料理をつくろう、味見をしよう、今日は誇らしい、晴々しい――というような意味らしい。
 当時の農漁村の豊かな生活が感じられますね。
 その難解な歌詞は、次のような感じです。

  ♪ 雨が降るとしゃ ヤーはんね   サー北から曇やいすり
    ゆみばするとぅし あーかめ   くんがやーり うかしたエー
    キジンキザキザザー ザンザブルニ   ウザザー ザンザブルーニ
    ムージュルカージル ジンジンドー
    ムンサ ムージュルカージル ジンジンドー
    今日ぬ誇らしゃ ハーリャーリャー ・・・

 さて、ここでなぜ「ざんざぶろう」の歌詞を引用したかというと。
 歌詞の中で繰り返し連呼される“ジンジンドー”の部分が、3月のこの季節に聴くと、どうしても“人事異動”に聴こえてしまうのですな、ハハハ・・・。
 この曲、大工哲弘の「誇(ふくい)~八重山の祝(よい)のうた 」(1997)新良幸人withサンデーの「春夏秋ちょっと酔ing」(1995)などで聴くことができます。

   daiku-fukui.gif      ara-chottoswing.gif

 ワタクシメもこのたびの人事異動内示で本庁を離れ4月から地方の出先機関に赴くことになりました。
 サラリーマンは辞令という紙切れ1枚でどこにでも赴任しなければなりませぬ。これも定めと自分に言い聞かせ、往復100キロ、2時間半近くの通勤を楽しんでしまうことにしましょう。
 く~っ、早起きが辛そうだな。
 赴任地はラーメンが美味いところなので、あちこち食べ歩きをしようかな。

 1987年発売のカセットの大工哲弘です。若いね~!


 青い空の下、それよりもっと青いような海に向かって2人の少年が何かを見ている。それは、神の住むというニライカナイか、それともこれから歩んでいくであろう自分の未来か。
 彼らを照らす日差しは高く、まぶしい。奄美に関するいろんなことを思い出させるいい表紙です。

 著者は、山口県下関と奄美大島で絵画を制作する50代半ばの画家。毎日新聞九州版に毎月1回のペースで連載された「奄美だより」をまとめ、書下ろしを加えたものです。

 「奄美からの手紙」といった感じの体裁で、奄美に関するあれこれについて各項目あたり3ページほどの分量で語られていきます。
 「蛇口から出てくるモノ」、「デートがこける理由」、「夕暮れは浜の縁側で」、「エレベーターはオトロシイ」、「玉ハチゴールデン軟膏」、「いわんやダノウをや」、「めくるめくマタワリの夜」、「加計呂麻リターンマッチ」、「ヨメのイトコのツレアイの」、「ヒマジンとタツジンの一日」、「弁当屋の勝負どころ」などなど、全49項目。

 感心するのは、どの文章もきわめて洒脱なこと。南の島のゆったり感が文章にそのまま表れているようで、読んでいて自分の心がホッとしているのがよくわかる。
 目は本の文字を追っているのだけれど、心の中の目線というものがあるとしたら、それはもうすっかり奄美の風景や自分の幼かった頃の心象風景などへと向かっていく、という不思議。

 奄美の「シマグチ」も随所にでてきて文章全体をやさしいものにしているし、区切り区切りに挿入される奄美の子どもや老人、風景、自然に関するモノクロ写真もいい味を出しています。
 とてもホノボノとした感じの良書。からっと笑えて、きりっと哀しい。ぴぃんと気高くて、もじっと控えめ。よれっとおかしくて、しっとり切ない。
 多忙等で自分を見失いそうになったときには、こんな本が、読むのにぴったりかもしれません。
 いやはや、もう2日前のことになってしまったか。
 職場の同期でブログ仲間でもあるMITSU氏と、山形駅前で痛飲。
 仕事上の上下関係の中での飲み会と違ってこういうのはとても楽しく、4月からは共に新しい職場へと進むことになったこともあって、大いに盛り上がったのだった。

 飲んだところはというと、まず1軒目は、よく行く居酒屋「北野水産」。いつものカウンター席で。ここにはとてもかわいいアルバイターがいて、彼女と会うのも少し楽しみだったのだが、この春に短大を卒業するようで、会うことができなかった。明るい笑顔にはきっと幸せが宿る。幸多かれと、オジサンは願っているゾ。

 2軒目は、これまたよく行くショットバー「RISE」。日頃はわりと落ち着いた店の雰囲気なのだが、この時期とあって超満員。賑やかなのもまた良し。カナディアン・ウィスキーを呷る。

 いつもならこのあたりでぼちぼち退散、となるのだが、この日はその後、最近できたというすずらん街の立ち飲み屋で殻付き南京豆をつまみにホッピーをぐびぐび。値段が安い! 気に入った!

 で、最後は、初めて入る「天天」というラーメン屋で、ビールと餃子、ラーメンを。店に入るとブシ系の香りがプ~ンとして、いい感じ。
 香り高いスープ、細割きのメンマ、そしてラーメン自体もなんと手打ち麺で、なかなかウマかった。テーブル席でゆったりと。今後時々お世話になることにしよう。



 3月中旬以降、もう外で何回酒を飲んだのだろう。(すでに数えられない状態(笑))
 4月も、さっそく1日から予定が入っており、酒浸りの日々はしばらく続くのかもなぁ。
 今後クルマ通勤となるので、飲んだ翌日は要注意。4月1日の夜は、新任地のホテルを確保した。
 先に読んだ堀晃著の「今夜も眠れないこの島で」(新日本教育図書)から、一文を引用します。
 なんか、とてもよく南島の雰囲気が出ていたものですから。

---以下、引用---

「いわんやダノゥをや」

 仕事もせずにぶらぶらしてる連中のことを、島人たちは「ダノゥ」と呼ぶ。なまけものという意味だ。その中でも最高(最低)の人間は「ダノゥキリ」。ダノゥたちが寄り集まる木かげは「ダノゥ木」 だ。

 ガジユマルの木かげで、おじさんがビールをのんでいる。
 どう見てもダノゥ集団だけれど、昼間はまじめな働きものたちだ。仕事を終えて日が暮れると、ダレが言うでもなくダノゥ木の下に集まってくる。一日の充実をかみしめんと、しばし「夕ぐれダノゥ」 に身をやつす。

 ある日、おじさんたちは巨大な雲形テーブルを作りあげた。
 ぶ厚い板を何枚も組み合わせた、ステージのような広さだ。数人が昼寝するベッドとしても使えそうだ。
 アトリエにしている廃校にそびえるアカギの大樹の下だ。

 ボランティアだと彼らはうそぶくけれど、ダノゥならではの仕わざだとぼくは思う。ボランティアには日常につながる社会的意義があって、大多数が感謝する。ダノゥの仕わざには社会的意義はない。唐突な非日常の出現に大多数がア然とする。なんとまぁヒマな男たちだ、あきれたねぇと言われる。

 しかし、ア然とすることは脳の活性化に良いことだ。
 ヤル時はヤルのだ、ダノゥの右脳と左脳の可能。

 古今東西、老若男女、ダノゥは存在する。むかし話の三年寝太郎も、なまけ者とさげすまれた一人だ。「三年ダノゥ」の底力とメリハリの話だ。
 インドの山奥で座りつづける、長い白ひげのオジさんだって、「修行風ダノゥキリ」と言えなくもない。

 そんなことを考えていると、役場のKがやってきた。
 アカギの新芽から降ってくる木もれ日を見上げながら、ステージにごろんところがって、彼はぷほおうと大きな息を吐いた。
 世間に少し遠慮するような、少しつっぱねるような、ふがいない自分に対するため息のような、イイ感じのダノゥ呼吸法だ。

 ぼくはこの空間をダノゥ舞台と呼ぶことにした。
 きび酢工場で働く青年がやってきて、ネコのように背のびして大の字になった。「夕ぐれダノゥ」が用意した舞台の上で、「午後のひとときダノゥ」たちが幸せな明日をゆめ見ている。

 広辞苑を引いてみておどろいた。「惰農、なまけ百姓のこと」とある。使われなくなった日本語が、島ではビミョーに形を変えて生きている。

 繁華街のナントカ族は尽きてもダノゥは尽きない。
 石油資源が尽き、会社が尽き、経済が尽き、アレやコレやは尽きる。
 しかし、沈む夕陽のせつなさとかすむ水平線のいとしさがつづく限り、ダノゥと木もれ日は尽きない。
 黒潮のどまん中で千年の風を浴びながら、善良な島人は尚以て木かげに抱かれる。いわんやダノゥをや。

---引用ここまで---


Photo:今帰仁村の一風景