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 沖縄のイメージといえば、青い空、透きとおった海、強い日差しと真っ白な砂浜、心地よく吹く風、穏やかに聴こえてくる三線の爪弾き、赤瓦の屋根の家々、赤いハイビスカス、ゴーヤーチャンプルーと泡盛を味わって、島唄を聴いては癒される――といったところでしょうか。
 しかしこれらは、主として本土から見た「沖縄の見られ方」のようなものであって、同時にここが、基地と戦争の現実を色濃く残した島でもあるということを見過ごしてはいけません。

 当書は、戦前に沖縄を研究した柳田國男から、今日のNHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」や移住ブームに至るまでの100年に及ぶ沖縄イメージの流れをたどる、という非常に興味深いテーマを扱ったもの。
 著者曰く、『日本における「沖縄の見られ方」をさぐっていくことで、沖縄と日本の濃密な歴史が浮き彫りになり、より深く沖縄を味わうことができるはずである。そんな歴史の厚みを感じられる、ガイドブックと研究書のあいだのような本を書いてみたいと思った』――とのことです。

 著者は社会学分野を研究する学者であり、これまでにツーリストとして何年か沖縄通いをしたことがあることに加えて、沖縄の大学に赴任していわば沖縄移住をも経験したこともあるため、それら3つのそれぞれの視点から論説することができるという能力を有しています。なので、文章の論点も結構多角的にできています。

 「戦前の沖縄観光1879-1940」に始まって、「大正・昭和初期の南島ブーム」、「戦跡観光と沖縄病1954-1971」、「万博がつくった沖縄イメージ 沖縄海洋博1975」と続き、「キャンペーン的リアリティの浸透1972-1979」、「ツーリスト目線の逆用1980-2000」、そして最後に「大田昌秀の「沖縄の心」からモンパチの「琉球の心」へ2000-現在」。

 全体としてよくできている論説だと思います。でも、著者の思い入れや独自の解釈があちこちに盛り込まれているなと感じられるところがあり、一部には多少こじつけと思われるような論理展開もあるようです。
 十数年間にわたって沖縄を外から見続けていると、そうではないだろうと明確に否定できる部分もないわけではありませんでした。

 結局のところ、自分をも含めて、数年程度の、ウチナーンチュから見れば上っ面をなでただけのような沖縄経験で、沖縄全体を俯瞰するような論陣を張ることは、そうそう容易なことではないのだな、ということでしょうか。
 まあ、これは研究書というものではないので、こういう考えもあるのかもなと思いながら楽しく読ませていただきました。

 それにしてもこのテーマは興味深い。このことについて、しかるべき誰かからしっかりとした論文をものしてもらえないものだろうか。
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 ネットの古書店で手に入れた古波蔵保好の4冊も、これが最後。
 いずれも楽しい内容で、ある種の感動を持って読ませてもらいましたが、その中でも「沖縄物語」は特に優れていたし、昔の沖縄を知る上でとても参考になったと思います。

 著者(1910年生まれ)の子供の頃や中学時代のことですから、大正時代から昭和初期の頃の、首里・那覇の町や人々の様子が詳しく述べられています。
 それらはというと、
・安里から大道を過ぎた首里への登り道にさしかかるあたりの坂下で人力車の加勢をして生活していた男たちの話
・人力車の車曳きに馴染み客への手紙を託す辻のジュリの話
・学校に来なくなった貧しい家に住む友達の様子を見に行って、「芋もうかしい」という粗末な芋がゆを馳走になり、そのことを聞いた「あやあ」(母)が困った顔をする話
・町に「うゎあ、ちきやびら」と言いながら雄豚を引き連れてやってくる種つけ屋と、雄豚のふぐりをとる「ふぐい取やあ」の話(去勢するとよく太って売値が高くなる)
・家々をめぐる鍋の修繕屋と、穴のあいた鍋を持って集まってくる「あんまあ」たちの会話と、楽しい修繕仕事の様子
・いつも木登りをして遊ぶ家の裏手の崇元寺の境内。石門をくぐると、当時はまだ本堂をはじめとした見事な建物の配置が残っていて、いろんな樹になるさまざまな実をなんでも食べてみた話
・質素に生きなければ自分の家のくらしが成り立たないと考える「たんめぇ」(おじいさん)たちは、「口やんてぇならんくとぅ」(口をおごらせてはいけない)と言いながら、日頃口にしない上等品を食べることに対して固く自分を律していた様子 ――等々。

 これらたくさんの逸話が独り語りのような文章で途切れなく続いていきますが、著者の想いのめぐる先が不思議な脈絡をもって続いていくこのような表現も、実際に本人から話を聴いているような錯覚に陥るようで、なかなか新鮮です。

 上に記した挿話は、第1部の「「うちなあ」風貧乏物語」の一部。このほかに「「うちなあ女」の肖像」と「「うちなあぐち」の黄昏時」があり、全体で3部構成となっています。
 昭和52(1977)年3月から琉球新報に「芝居ゆんたく」として掲載された連載エッセーのうち、沖縄芝居とかかわりのない風俗画的な部分をまとめたもので、1981年に単行本化されたものです。

 読んで得られたのは、上質な充実感。久々にいい本に出会ったという満足感。
 本とのめぐり合いというのはなかなか難しいもので、値段で計れるものではもちろんなく、著者と読み手のマッチングが非常に重要。
 また、コレハと思って買った本が必ずしも良書ではなかったり、何気なく買ったものが大当たりだったりします。
 さらに、出会えるタイミングも大切。欲しいと思ったときに買わないと品切れになることもあるので、なかなか油断ができなかったりします。

 ともあれ、書物は人生を豊かにすると言いますが、この本については、内容はもちろんのこと、わずかの出資でこうも素晴らしい本に出合えたことについても、セコ人間にとっては実にウレシイ話。
 この正月、たっぷりと豊かな気持ちになれました。


(1)SUNEI (2)オキナワン・パッション (3)パラダイスうるま島 (4)ワジワジワルツ (5)遠くから (6)黄金の花 (7)ハワイ行進曲 (8)新北風(ミーニシ) (9)根間ぬ主 (10)手紙 (11)アカブーMISA (12)スンガー節 (13)まつりの夜

 ネーネーズが4年ぶりにニューCDをリリースしました。いやぁ、久々のCDなので、うれし。
 2004年11月に発売された前作「愁」の時点では新里奈津子がまだうたっていたので、上原渚にとっては初めてのCDとなりますね。

 チナ・サダオ楽団(五十川清(D)、ゴトウゆうぞう(Per)、山脇正治(Bas)、三好ひろあき(G)、高田弘太郎(G)、嘉手苅聡(Key)、知名定人(三線))が全面的にバックアップ。ゲスト・ミュージシャンには知名定男、ひがけい子、鳩間可奈子、玉城満、松田一利らが名を連ねています。

 (1)は導入。「揃う」という意味だそう。八重山民謡「やりくぬひょう」を引用して、祭りの夜に踊りながら練り歩く風情を醸し出します。これが(13)につながっていき、全体のモチーフをつくり出す・・・という、ネーネーズCD制作上おなじみの手法がとられています。

 (2)は、ライブハウスでもうたっていた彼女たちのオリジナル。メロディはある程度「島唄」の範疇から離れているものの、この歌詞を彼女たちがうたえばすっかり「ウチナー」ですな。
 (3)は、黒島英章の手によるミーウタ。なんでこの曲をここに?というまったりした印象です。彼女たち向けにもう少しテンポを速めてもよかったのではないかな。

 曲調を聴けば初代がうたった「真夜中のドライヴァー」(「コザdabasa」1994所収)に相通じる(4)は、歌詞の内容は我如古より子の「ニーニー」とも似ている。たくさんの現代風ウチナーグチが出てきて面白い1曲。

 (5)は嘉手苅聡のアレンジによる異色曲。4人のうたい口もやさしくお伽話的で、なんか、かつて一世を風靡した遊佐美森のあの独特な世界に相通じるような印象も。與那覇歩のきれいな声が印象的。
 (6)は、言うまでもなくあの名曲の、現メンバーでのセルフカバー。ライブハウスで毎日うたっているので、とても安心して聴けますね。(笑)

 (7)も、(3)同様、なぜここに?との印象。男女の掛け合い唄。男性の部分は知名定男が担当。三線も、これは知名だなと納得できるデキです。作詞者の金城幸盛という人は、劇団新生座の座長だったという金城幸盛と同一人物なのだろうか。

 (8)は、知名定男作詞・作曲による秀作で、奄美島を離れて幾年、でも、奄美の「まんこい節」や「むちゃ加那節」が聴こえてくると母が恋しい・・・といった内容。比嘉綾乃のしっかりした歌唱が効いています。

 (9)は、宮古民謡。「美らうた」や「愁」もそうだったけれど、ネーネーズのCDには必ず宮古の唄が入るのですね。でも、今回のコレは“?”。本人たちは今回のレコーディング中で最も苦戦したそうですが、アコーディオンめいた変わった音から始まって、うたい方はなんか練習曲のような感じ。もうひと工夫ほしいなぁ。

 (10)のような元気で、あまり沖縄チックではないような曲を、彼女たちはきっと得意としているのでしょう。伸び伸びとうたっています。これも知名定男の作詞・作曲? へぇー、意外だなあ。
 (11)は、なんと、大城美佐子のことをうたったもの。知名定男とMISAが、彼女が持ってきたウイスキーやバーボンを、島唄をつまみにボトルキャップを使って飲んでいる――というような風景です。う~ん、セピア色。

 (12)は、沖縄民謡ですが、メロディは沖永良部民謡。いやぁ、スバラシイ! 琉琴の音色がグ~! このCD一番のデキ、と、私は思う。知名の師匠には沖永良部民謡をやっていた人もいたそうですが、知名が今に及んでも沖永良部民謡を多用するのは、彼女たちのCDには沖縄県内でのエキゾチシズムをも存分に盛り込もうとしているからではないかと考えているのですが、どうでしょうか?

 (13)は、「夏~うりずん」(1995)に入っていた「夏との別れ」という曲から伝わる歌い手の精神状態と酷似。この曲を聴いて、まっすぐに「夏との別れ」にイメージが行きました。知名定男がプロデュースする限り、ネーネーズは不滅なのだなぁ・・・。また、與那覇歩のソロパートは耳果報。聴く価値高いです。

 以上、昨年9月に入手後、じっくりと聴き倒してのレポートでした。


 「沖縄のアメリカ人(兵)は、どのように描かれたか。」
 ――これが本書のテーマであり、それぞれの読者に投げかけられたある種のテーゼでもあります。

 著者は、琉球大学法文学部の教授。読書巧者である著者は、沖縄の作家たちの創作に「アメリカ人(兵)」がどのように取り入れられてきたかを丹念に読み解き、それぞれのピースをつなぎ合わせて沖縄のもう一つの「風景」をあぶりだして見せます。
 それは取りも直さず、米軍基地と共に生きてきたウチナーンチュの苦悩や暮らし、社会現象などをも垣間見せてくれるものになっています。

 沖縄における、ペリーの来航の時代から現代までの「アメリカ」を扱っていますが、中でも最もインパクトを伴って描かれているのは、やはり「復帰後の文学」の章。

『戦後の沖縄がアメリカとの関係を抜きにしては語れないように、戦後の沖縄の文学も、またアメリカ人(兵)の影を抜きにしては語れない。そしてその影は、占領下にあった27年間だけでなく、施政権が返還されたあとも、消えることなく揺曳している。占領の終焉が、基地の撤去に繋がらなかったばかりか、ほとんど返還されることもなく、多くのアメリカ人(兵)たちがそのまま居残った以上、それは、当然のことであった。――』

 後半では、アメリカ人(兵)が登場する多くの沖縄の戦後小説の一部が紹介されています。
 これらは、ざっと読み流しただけでもけっこう読み応えがあり、何十冊もの沖縄文学をまとめ読みしたような気分になれますから、音楽で言えばオムニバスを聴いているような感じで、おトク。(笑) 沖縄文学の入門書としても存在意義があるのではないかと思われます。

 読後感としては、沖縄の戦後文学というのは、突き詰めれば「アメリカ」との格闘であったのだなぁということ。
 なかなかユニークな視点に立った面白い評論書でした。
   funakoshi 19971225_3  右:船越義彰氏

 「歌は理屈ではありません。心の波動を感性が言葉にし、声に乗せて伝えるもの、それが歌(詩)です」――
 このような立場から琉歌中の恋歌が取り上げられ、一首一首について船越義彰ならではの熱く深い解説が施されている良書。

 それは、たとえば次のようなものです。
『  干瀬にをる鳥や 満潮恨みゆり 我身や暁の 鳥ど恨む
   (ふぃしにをぅるとぅいや  みちしゅうらみゆい
       わみやあかつぃちぬ  とぅいどぅうらむ)

 干潟に翼を休めている鳥は、満ち潮を恨む。飛び立たなければならないから…。
 私は夜明けを告げる鶏が恨めしい。恋人との語らいをやめて別れなければならないから…。
 恋愛は秘めごと、それゆえに、会って語らう時間は寸刻でも惜しい。この大事な時間と空間が、暁を告げる鶏の声で断ち切られる。満ち潮の干潟から飛び立つ鳥の羽ばたき、鶏鳴で彼女と別れゆく男のこころ、ため息、それが行間からあふれ、聞こえてくるようである。簡潔なだけに切なく、また恋人たちの「時間」の密度の濃さを歌いあげた一首である。
 この歌は「干瀬節」の名曲に乗る。私は、この曲を小夜曲、あるいは夜想曲としても名曲であると思う。』

 読んでいてつくづく思ったのですが、琉歌とはスバラシイ!
 8・8・8・6の句形に乗せた言葉のリズムがよい。余計な言葉がなく、読み返すたびに深い感慨が見えてくる。また、沖縄語が耳や心にやさしい。
 もっと評価されてもいい表現形だと思うが、いかがでしょうか。

 船越義彰といえば、詩人、作家として活躍した沖縄を代表する文化人。しかし、2007年3月に、81歳で逝去。
 当書の「あとがき」で、琉歌・恋歌と対面することは天体観測をするようなものだったが、80年という人生が自分を「眺望の場」に置いてくれた、と書いていますが、それが2007年2月。
 当書が、著者の生前最後の出版物となったのではないでしょうか。
 久々に沖縄本をまとめ買いしました。
 楽天ブックスから13冊を購入し、そのうち11冊が「沖縄」です。(笑) 他の2冊はシーナと民俗学。

 それらは、次のとおり。

 サウス・トゥ・サウス  与那原恵 晶文社 1600
 今夜も眠れないこの島で  堀晃 新日本教育図書 1400
 誰も見たことのない琉球  上里隆史  ボーダーインク 1600
 さまよえる沖縄人  照井裕 文進印刷 1000
 海の階調  水無月慧子 沖縄タイムス社 552
 沖縄―新風土記―   岩波写真文庫 700
 根の国へ  清眞人 海風社 1900
 日琉交易の黎明  谷川健一 森話社 3400
 沖縄ラプソディ  宮城康博 お茶の水書房 1600
 値段でわかる沖縄庶民ライフ  吉田直人 イカロス出版 1600
 揺れる奄美、その光と陰  稲野慎 南方新社 1800

 谷川センセイのものは、ちょっと奮発。

 しかし、読書は愉楽である。あれこれやってみたけれど、本が高いとは言っても、これほどカネのかからない趣味はないのではないか。

 さて、2009年は、沖縄本を50冊は読みたいと考えています。
 これまで2004年34冊、05年50冊、06年35冊、07年51冊、08年49冊の沖縄本を読んできたので、なんとか新記録を、と。

 これらのうち3冊は奄美モノ。
 奄美も久しく行っていないなあ・・・。
 奄美の大浜海浜公園から眺める夕景を、サービス画像としてお届けしましょうね~。

20080921 amami-ohama
 ←濱田耕作

 ネットをウロウロしていたら、濱田耕作という人の著した「沖繩の旅」という文章を発見。
 1932(昭和7)年に書かれた沖縄紀行で、たいへんに貴重。

 内容はというと、那覇の波上宮と護國寺、「ようどれ」の王陵、圓覺寺と崇元寺、糸滿の漁村、眞玉橋・琉球劇、中城々址、今歸仁城と勾玉、恩納の臼太鼓踊、辻遊廓の瞥見、識名園・沖繩の別れなど、全21節。
 古きよき沖縄を垣間見ることができ、ちょっと感動。処々に挿絵が施されていたりして、読み進めるのにまったく苦痛はありません。

 濱田耕作という人物についてWikipediaで調べてみると、浜田青陵(はまだ せいりょう)という別称をもち、1881~1938年の人生、考古学者で京都大学名誉教授。「日本近代考古学の父」と呼ばれたのだそう。
 興味のある方は、「青空文庫」のホームページで読んでみてはいかがでしょうか。

 著作権フリーのようですので、ここにその1節を掲載します。


・・・・・「辻遊廓の瞥見」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 歸途は海沿ひの街道を嘉手納に出で、始めて輕便鐵道の列車の走るのを見た。
 街道筋には廣い道幅のある村落があり、又大きな松の並木が續いて居る中を、時々すれ違ふ自動車のヘッドライトに、假睡に落ちようとする眼を醒させながら、那覇の町へ這入つたのは午後七時過ぎ、二日ぶりに電車の走るのを見るのも、流石に都らしく懷かしい思ひがした。
 南は糸滿から南山城、北に名護運天から北山城をも訪ね得た私は、これで先づ/\琉球一見の目的を達したのを喜んだが、宿まで送り届けて下さつた小竹君は、イヤ未だ一つ重要な見物場處が殘つてゐる。それは即ち有名な辻遊廓である。御疲れでなくば後から御案内致しませうとの事に、如何にも那覇に到著以來、毎々聞かされた此の遊廓を瞥見しなければ、何だか濟まぬ氣がしたので、夕食後○君の同道を煩はすことに決心した。

 辻の遊廓の起原は古く、寛文十二年(康熙十一年)方々に散ばつて居つた尾類(ズリ)、即ち女郎をこゝに集めたのに始まるのであるが、明治四十一年仲島渡地の娼家をも併せてから、益々繁昌して今日に至つたと言ふ事である。
 那覇の他の民家とは違つて、青樓は多く二階屋であるが、固より大した大厦高樓ではない。此一廓では夜の九時頃は未だホンの宵の口であらうが、それでも嫖客の往來で大分賑つてゐる。板敷の廊下に續いた玄關には、どの家にも二三の女が立ち現はれてゐるが、強ひて客を引ぱつてゐるのは餘り見受けなかつた。
 否、初現の客がウカ/\這入つてでも行かうものなら、「あちやめんそーり」(明日御出で候へ)と體よく斷られるとの事で、數年前我がS・K君は哀れ其の運命を負はれたと聞いた。

 私は○君の案内があるので、「竹の家」とか言ふ家に上り、大いに(?)歡迎せられたのは有難い仕合せであつた。
 女連は別々の部屋を持つて居り、内部は美しく飾つてあり、夜具棚の中にあるキレイな蒲團まで善く見える處などは、丁度朝鮮平壤で見た妓生の部屋と同じであつた。
 私達は階上の大きな座敷に請ぜられると、○君舊知の妓鶴(チル)さんが出て來て泡盛の杯を酌み、蜜柑等をむいて呉れる。別に食物等を多く出すのではなく、その代り鶴さんの朋輩の女達が、三四人入れ代り立ち代り這入つて來て接待する。

 私達は鶴さんに踊りを所望すると、他の老妓の蛇皮線に合せて、彼女は例の紺ガスリ、前結びの帶、櫛髮風の姿で、いろ/\の踊を舞ふ。其の手振り足振りの優しさは、此間劇場で見たのとは又違つた御座敷のしめやかさが漂ふ。

 私の短い沖繩の旅も今宵限り、南島の情緒溢れる此の島に、又何時訪ね來ることが出來ようかと思へば、可憐な島の女の舞踊に、しみ/″\と名殘が惜まれるではないか。
 僅かばかりの纏頭にも、彼女達は感謝を捧げて、一時間ばかりの後私達は鶴さんの握手に送られて寶來館へ無事歸り著いた。

 辻の遊廓は所謂遊廓の目的の外に、實はカフエー、レストラン、サロンなどの各種の設備としての意義をも具へてゐる處が面白い。將官教員などの宴會も以前は多く此處で開かれ、甚しきは婦人會さへ催されたことがあると言ふ。蓋し最も輕便安値であり、而かも最も朗かな氣分を與へるからであらう。
 一方から言へば各種の社交機關が、未だ分化しない状態にあると言つても宜いが、同時に又女連は女給であり、藝妓であり、又娼妓である凡ての性質を保存してゐる處に善い點がある。
 從つて此の遊廓に出入することは、必ずしも士君子の排斥を買ふことでないとも聞いたが、歸洛後伊波君の『沖繩女性史』を拜見すると、斯の如きは明治維新後、内地から獨身者の縣官などが來て、自から馴致した惡風であると書いてあつたので恐入つてしまつたが、それにしても彼等は朝鮮の妓生と共に、昔の白拍子的の遺風を傳へてゐる、現代に於ける可憐なる一つの存在である。
 之を呼ぶに尾類(ズリ)の文字を以てするのは、如何にも殘酷な氣持がすると思ふのは私ばかりではあるまい。


 ナンデスカ、このインパクトのある表紙写真は?!
 そしてこの、650ページ超の分厚い体裁! 肉体労働者系の愛好する深底の特大弁当箱、もしくは無骨なレンガブロックそのもののような重厚さ!

 ――ということで、一般的な書籍の優に2倍を超える文章量のあるコイツ、読むのにも結構時間がかかってしまいました。
 だからと言って、内容はつまらなかったかというとまったくそうではなく、ある程度沖縄の細部についても聞きかじっていると思っている自分にとっても新鮮な話題が多く、ふ~む、ナルホドナルホドと思いながら読ませてもらいました。いやはや、読み応え十分。

 『私はこの取材で、これまでまったく耳にしなかった話をおびただしく聞いた。とても信じてもらえそうにない光景を各所で目撃した。本書ではそれをいわばゴーヤチャンプルー風のごった煮状態のまま報告していきたい。』(本文より)

 ――ということですが、上記引用の後段部分はまさにそのとおりで、あまり統一感なく著者の興味、仮説、筋立てに基づいて展開されていきます。そのあたりは重厚で、とても評価できる。スバラシイ。
 しかしまぁ、前段の「あまり耳にしなかった話」や「信じられない光景を各所で目撃した」ことについては、少々大袈裟でしょうか。沖縄に住んでいる人々にとってはおそらく、「あぁ、あのことね…」と感じられるものが多いのではないかな。

 著者の立ち位置が多少アングラ的で、沖縄の暴力団や警察事情、政財界の裏話などからものごとにアプローチしているので、同じ事象を見るにしても、どうしても陰影の濃い部分が強調されてしまっているという印象。
 ものごとには裏と表があり、裏ばかりではないのだということを認識して読む必要があるのでしょう。でないと、それが沖縄の真実だと考えてしまいかねないので…。

 章立ては、前章的位置づけの「天皇・米軍・沖縄県警」、沖縄ヤクザ戦争を書いた「沖縄アンダーグラウンド」、沖縄財界の四天王と言われる人物などを追った「沖縄の怪人・猛女・パワーエリート」、沖縄芸能と大阪のウチナーンチュなどについてのルポ「踊る琉球、歌う沖縄」、それらの総括としての「今日の沖縄・明日の沖縄」の5章。

 たとえば、仲井真・現沖縄県知事にまつわる逸話や知事選の舞台裏などを盛り込んだ「沖縄知事選コンフィデンシャル」などは、とても興味深く読ませてもらいました。

 ところで、著者は「あとがき」で、本誌の表紙カバー等の写真は夥しい数の中から厳選し、青い海、青い空や米軍基地というワンパターン化したものはすべて排除した、そして読者には、これらの写真から、著者が伝えたかった沖縄の息吹を感じ取ってほしい、と述べています。
 しかし、表紙のインパクトある写真は、1975年に本島から遠い多良間島で撮影されたもので、本文とは何の関係もないものでした。いわば、イメージ。ルポルタージュなのにイメージを多用するというこのような本のつくりかたは、はたして正しいルポ本のつくり方と言えるものなのでしょうか。

 「これまでまったくといっていいほど書かれてこなかった沖縄」を発掘する――という著者の意図を否定するものではまったくありませんが、そのために脈絡のないものたちを組み合わせて別の非現実的なイメージを読者に与える、というような愚は、けっして冒さないでほしいと思います。

 なんちゃって。
 とてもミーハー沖縄擁護的な立場から感想をノベてみました。