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 沖縄戦の高級参謀として専守持久戦を主導した八原博通を中心に据えた戦記。1984年刊を文庫化したものです。
 沖縄守備隊首脳部が攻勢一辺倒の戦術を唱える中で、孤立しながらも冷静かつ合理的な判断を下した作戦主任の、人となりや戦術思想を明らかにします。

 陸大に最年少で入校、主に作戦畑を歩き、アメリカに留学して欧米流の戦術を学んだという経歴を持ってる八原は、太平洋の離島の防衛戦の教訓から、本島上陸軍を海へ追い返せる可能性はないことを冷徹に見通します。そして、米軍の猛烈な火力優位をはね返すためには、洞窟地下陣地に拠って耐え、専守持久する作戦しかないと判断します。

 その判断の根幹は、敵の撃滅が不可能ならできるだけの出血を強い、戦意をくじくのが目的であり、その目的を逸脱した無意味な死は、結局は自己満足の弱い死にすぎないとする、合理的な価値観にありました。

 しかし、その合理性こそが、結果として沖縄県民に多くの犠牲を強いることになったのは、皮肉な結果といわざるを得ないでしょう。

 作戦的には理にかなっていても、制空権確保のために飛行場を制圧すべきとする航空関係者などからは、臆病で腰抜けの戦術であるとして最低の評価を受けていたようです。
 そして、軍人として弱腰であることは、彼が沖縄戦から捕虜となりながら生還した(!)ことで、一層強固なものとされてしまいます。

 高い戦術合理性と、行動の矛盾。
 著者は、このような個人の行動と内面の矛盾や、戦いの火ぶたが切って落とされてから加速度的に大きくなっていった軍内部の作戦の齟齬は、結局のところ、われわれ日本人が伝統的に持っている行動・思考様式(エトス)に原因があるのではないかと説いています。

 いずれにしても、彼のような思考をする人間は、この戦いが最初から無謀なものであることは見通していたし、そもそも彼のような人物は、軍隊のような極めて日本的な組織とは水と油だったのではないでしょうか。

 それにしても不幸なのは、そんな将来展望のない戦いの舞台となってしまった沖縄の住民です。
 絶望的な状況の中で足掻く、軍と民。時代がそうだったのだとは思うものの、何とかならなかったのかと悔しくも残念に思いながら読みました。

 先に「沖縄に死す 第三十二軍司令官牛島満の生涯」を読んだときには、当書をあわせ読んでから自分なりの歴史観を持つことにしようと考えていましたが、なかなかどうして、そう簡単に確たる歴史観は持たせてもらえないようです。
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 表題中の[カ]は、「口へんに葛」の文字。

 「トカラ列島」の言葉から連想するのは、深い神秘性。同じ日本でありながら、沖縄よりも、奄美よりも遠いと感じる場所です。
 いつか必ず足を踏み入れてみたいと思っているのですが、仕事を持つ身にとってはそう簡単には行けるところではありません。
 そんなトカラに関する旅モノがあると知って、すぐに購入。

 トカラは、1946年にアメリカの軍政下に置かれるまでは「ジットウソン」と呼ばれ、その後北緯30度以北の3島(黒島、硫黄島、竹島)が三島村となって独立し、1952年の日本復帰以降は「トシマムラ」と呼ばれるようになったのだそう。
 七つの島に住む人々は625人。しかし、わずかこれだけの人たちが保持している伝統文化や民俗、生活の知恵などの多様さは、異様に厚みがあり、感心するほど。そんな様子が本書の随所に見受けられます。

 著者は、1975年というから30年以上前に初めてトカラを訪れ、その佇まいや文化、生活などに衝撃を受け、それ以来の島通いです。なので、過去と現在の島の違いまで語ってくれますから、呼んでいて興味は尽きません。

 なんでも翌2009年の7月には、今世紀最長の皆既日食が観測される見込みで、日本の悪石島で最も長く金環食が見られるのだそうです。
 人口が100前後という島に世界中から人が押し寄せたら収拾がつかなくなると危惧する人も多く、
「日食が悪いとは言わんが、一種の天災みたいなもんやっど」
というのが島人たちの素朴な感想のようです。
 せっかくトカラに行くのなら、おれだったらそんな時期はゼッタイにはずして行くがなぁ。

 悪石島の「ボゼ」や、島々の独特の風景、人々の生活の様子などを垣間見せるカラー写真があり、著者のウィットに富んだコラムがあり、とても楽しめた1冊でした。
 島旅大好き派は必読だと思います。

 それにしても、こういうあまりメジャーでない世界を扱った本が、新書になって全国に出回るのですね。いい世の中になったもんだなぁ。


 歌と三味線の むかし始まりや 犬子音東(いんこねあがり)の 神の御作 ・・・

とうたわれる、琉球の吟遊詩人との誉れが高く、また、歌三線の始祖とされる、「赤犬子」の波乱万丈の人生を、新解釈で描く力作。

 読谷村の楚辺地域はかつて阿嘉・饒波という隣り合った二つの村だったそうで、その浜辺でモーアシビをしている若い赤犬子たちの様子から物語は始まります。
 うた上手の赤犬子に思いを寄せていた村長の娘・チル小と結ばれはしたものの、そのチルに村掟の後添として白羽の矢が当たり・・・という不幸が。

 村掟の嫉妬深い策謀にはまって村にいられなくなってしまった赤犬子は、首里の王朝から許しを得て、鼓を携え歌をうたいながら歩く「お祝付き(おえつき)」として各地を歩くことになります。

 打ちひしがれて放浪を始めたものの、旅回りして歩くうちにいつの間にか水戸黄門のような強い正義の味方となって、たちの悪い村掟や山で盗みを働くフェーレー(山賊)などを次々と退治していきます。
 これって、あまりにできすぎていて、ほとんどが創作だろ?と思えてしまうほど。
 まぁ、どこまでが史実でどこからが創作なのかよくわかりませんが、少なくとも物語として読むならば、なかなか痛快で面白い。

 表題作のほか、琉球版水滸伝のような「日照雨(そばえ)」も収録。読みやすい全287ページ。

 著者は、元琉球新報記者。これまでにも「琉球王女・百十踏揚(ももとふみあがり)」や「思五郎が行く―琉球劇聖・玉城朝薫」などの沖縄に関する歴史・時代小説を著しているそうです。
 それらにも食指が動いてしまうのですが、しかし、ここまでフィクションが強いと、読むのはどうなのだろうなぁ――とも考えてしまいますね。(笑)


 りんけんバンドのホームページによると、上原知子の通算5枚目となるソロ・アルバムが、2009年1月にリリースされることが決定したようです!

 今回のCDは、沖縄に古くから歌い継がれてきた民謡を上原知子自身が選曲し、歌はもちろんのこと三線、太鼓も全て演奏したという、知子ファンにとっては垂涎のスグレモノ。

 そのCD名は、「多幸山(たこうやま)」。
 ジャケットは、「糸満ヤカラーズ」時代の知子の写真がモチーフ。1970年頃のものでしょうか。
 その当時、父の上原長幸からみっちりと仕込まれた民謡と芸風が、さらに磨きをかけられて30数年の時空を越えて、照屋林賢のもとで蘇った――というわけですね。

 収録曲は全11曲で、次のとおり。
  1 多幸山(たこうやま)
  2 前ン田節(めーんたーぶし)
  3 海ヤカラー(うみやからー)
  4 いちゅび小節(いちゅびぐゎぶし)
  5 与加那ヨー(よーかなーよー)
  6 遊びしょんがね(あしびしょんがね)
  7 収納奉行(しゅぬぶじょう)
  8 南洋千鳥節(なんようちぢゅやーぶし)
  9 汀間当(てぃまとぅ)
 10 ハリクヤマク
 11 白雲節(しらくむぶし)

 ん。民謡である。しかも、通好みの。う~~む、待ち遠しい・・・。早く聴きたい。

 これまでの彼女のソロアルバムは、現代の天女の舞いとはこういうものかと思わせた「ZAN」、リラクゼーショナルな「旅 Voyage」、アコースティック感の高い冒険作の「小夏」、成熟した女性として円熟感を増した唄声を披露した「うまち」、の4つ。(「唯我独尊的島唄解説」をご参照ください)
 さて、今度はどんな知子を見せてもらえるのでしょうか?


 古くから沖縄の人々の信仰を集める御嶽(うたき)は、琉球の神話の神が存在あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場所でもあります。
 そんな御嶽に古くから伝わる伝説を知り、沖縄の新しい魅力を発見してみようじゃないか――というのが、本書のねらい。
 フムフム、御嶽解説本だな、なかなかいいねらいではないか・・・と思って読み始めましたが、これが予想以上に楽しめました。

 第1部は、「首里森御嶽にまつわる姫の物語」。なんと、物語から始まったではありませんか。
 この物語が秀逸で、中学校以上ぐらいの方なら誰でもワカル歴史解説になっています。

 姫とは、第一尚氏王統第6代の王・尚泰久(しょうたいきゅう)の娘で、弱冠13歳で勝連城主の阿摩和利(あまわり)に嫁いだ絶世の美女、百十踏揚(ももとふみあがり)のこと。

 このあたり、つまり15世紀中ごろの歴史的逸話については、沖縄では歌劇などの題材になることが多く、かつて私も、護佐丸と阿摩和利の乱を題材とした「熱き日の積乱雲」という琉球史劇を観たことがあります。
 その時にも百十踏揚が登場し、首里の攻撃に遭って戦場と化した勝連城下、覚悟を決めた阿摩和利の前で幽玄な舞を舞うシーンには感動したものでした。

 この第1部では、そんな歴史を現代語で物語風に噛み砕いて書いてくれているので、主要な登場人物の背景や複雑な姻戚関係などがよ~くわかって、とてもためになりました。

 そして第2部では、第1部で登場した人物ゆかりの地20箇所を、写真、地図入りで解説しています。
 つまり、これ1冊を持って沖縄に行けば、百十踏揚をめぐる諸事の「今」が追体験できる、というスバラシイ案内書になっているワケです。

 第3部は、琉球開闢にまつわる7つの御嶽について、地図にエピソードを添えて解説。

 読み終えて、ホントにこの本を携えて沖縄を巡ってみたくなりました。
 嬉(うり)しゃ、誇(ふく)らしゃ、我が書棚にまた新たな沖縄本のストックが。

 それらはこんな感じ。

1 テンペスト 下(花風の巻)  池上永一 角川書店 1600
2 テンペスト 上(若夏(うりずん)の巻)  池上永一 角川書店 1600
3 喜界島・鬼の海域  福寛美 新典社書店 800
4 沖縄芸能の可能性  沖縄国際大学公開講座委員会 東洋企画 1500
5 アメリカのある風景  仲程昌徳 ニライ社 1800
6 おんなひとりの沖縄暮らし  岡田清美 長崎出版 1500
7 奄美のシマウタへの招待  小川学夫 春苑堂出版 1500
8 沖縄だれにも書かれたくなかった戦後史  佐野眞一 集英社インターナショナル 1900

 1、2は、石垣島出身のハチャメチャ・ファンタジスト池上永一の大作。2段組みにも関わらず全800ページを超えるというたいそうなボリューム。これ、彼のこれまでの長編「風車祭」よりずっと長いゾ!

 3は、これまでになかった喜界島の紹介本。1島1書とはスバラシイ。
 4は、沖縄国際大学の公開講座の成果を本にしたもの。島の芸能に深々と溺れてしまおうじゃないの。

 5は、沖縄の作家たちの創作に「アメリカ」がどのように取り入れられてきたかを、沖縄文学論の第一人者が丹念に読み解く、というおもしろそうな趣向のもの。
 6は、元山梨県庁の公務員だった沖縄移住女性の沖縄紹介本。

 7は、シマウタ好きが昂じた本土人が名瀬のセントラル楽器に職を求め、徹底したシマウタ探求に身を捧げた小川学夫というマニアックなヒトによるシマウタガイド本。今じゃ大学の先生になりました。

                

 8は、なんじゃこの分厚さは、してまた、このインパクトたっぷりの表紙!・・・すげぇな。筆者が「内地人をして戦慄せしめよ」との気概で書いたという超重厚ルポルタージュです。

 くふくふ、いずれも期待度高し。これでまた当分の間は至福の余暇が送れるだろうて。
 しかし、今回ストックしたものは分厚いのが多いな・・・。


 行ってはいけない。秘密を知ったらタダでは戻れない。タブー、禁断の秘祭・・・といったオドロオドロしいセンセーショナルなコピーたちに彩られた文庫本。
 2006年発売の別冊宝島「ニッポン『不思議島』異聞」の改訂版です。別冊宝島シリーズって、いつもこんな感じで読者の好奇心を煽るのね。(笑)

 「ここは本当に日本なのか・・・!?」と思わず声をあげてしまうような奇妙で不思議な島に潜入したレポートです。
 現代の日本にもこんな秘境があったのかと、普段わかったつもりでいた「日本」という国がこれほどに奥が深く、多様な文化に富んでいるかということを痛感せずにはいられません。

 で、中身。
 諸島文化・民俗研究会の代表を名乗る匿名氏は、島に行く目的が、島の不思議な習俗や神秘性に裏付けられた禁忌を白日の下に明らかにするためだったとし、時には「よそ者が島の秘密をバラすのか」と警戒され、時には追い返されることもあったと告白します。
 そんなことまでして島の生活を乱してしまって・・・という思いがある一方で、彼はそんなことをするほどに島の持つ神秘に魅了されてしまったのだなということも、自分にはわかりました。
 え? オマエも同じことをするのだろうって? ――いやいや、やりませんよ。というより、やれまへん。だから、せめて読んで、追体験するのです。

 全部で9つの島の体験がドキュメントされています。
 「聖地と人魚神社と禁断の秘祭に潜入 新城島」、「謎の土俗集団“クロ”を追って K島」、「野生島に住む悪魔~海とジャングルの危険 奄美大島」、「“神様だらけ”の島 青ヶ島(東京都)」、「よそ者を警戒する島 大神島」、「風待ち港の遊女たち 大崎下島(広島県)、渡鹿野島(三重県)」、「棄てられた島の叫び 軍艦島(長崎県)」、「絶海、孤島、フィリピンパブ 南大東島」、「“通り池”潜水調査ドキュメント」。

 いずれもかなりの迫力で我が身に迫ってくる“フシギ”がありますが、圧巻は、島の名前さえ明かせなかった「謎の土俗集団“クロ”を追って」。
 調べてみたところ、これは鹿児島県の下甑島のことのようです。地名までもが仮名で書かれるほどに、衝撃スクープ的。その内容は・・・ここでは書けない。ま、読んでみてください。

 このほかにも、八重山の新城島では秘祭とされる豊年祭の様子が多少わかったり、風待ち港で生活していたその昔の遊女の様子の一端を知ることができたり、歴史遺産と言える軍艦島の「今」がイメージできたりと、いろいろ楽しませてもらいました。

 中には興味本位のものもあるけれど、時折覗く民俗学的まなざしがキラリと光ります。そういう意味ではけっこう名書の範疇に入ってくるのではないかな。


 近年沖縄では、癒しのカフェが大流行。レンタカーで島をめぐり、少し疲れたら国道からちょっぴり外れてひっそりとたたずむカフェで一休みする・・・といったスタイルが、沖縄観光のしかたのひとつとして定着しつつあります。

 そんなロケーション・カフェの火付け役になったのが、島尻の南城市玉城の“さちばる”にある「浜辺の茶屋」。
 わざわざ本土から訪れる客が後を絶たず、また、この“浜茶”の周辺には陶芸家、ミュージシャン、演出家、画家などの芸術家が移り住んできているようです。そして、それはなぜなのか?というのがこの本のテーマのようです。

 読んでいて感じるのは、海のすぐそばで観光客が寄り付けないようなこのような場所によくつくったものだなぁということと、喫茶店にとどまらずに「のんびり村」を構想したり海上コンサートを企画したりするこのオーナーはタダモノではないな、ということ。
 おい、その程度の感想かよと言われそうですが、悲しいかな、まぁ、そうなのですよ。

 まず、この「浜辺の茶屋」に行ったことがない、というのが致命的。浜茶の人々やそこで起こる意外な出来事などに、うん、そうそう・・・と同調できないのですね。

 自分の旅のスタイルは、茶店でソフトドリンクを飲むよりもコンビニでボトルジュースを呷るほうが心地よいし、それよかビールのほうがもっとよい。
 そんなおれが一度だけ、「カフェ・くるくま」という有名店に寄ったことがあったのだけど、その時は店のマニュアルチックなバイトから「2時間待ちですが・・・」と言われて鼻白んだ経験をしている。なので。

 それから、これまたおれの勝手な感想なのですが、この本の表現スタイルに“起伏”のようなものがあまり感じられないというか・・・。ルポルタージュ風に淡々と表現するならそれもよいのですが、そうでもない。
 そのためになのかどうか、いつも本を読み終えて感じる、「あぁ、この本はこういうことを、このように、表現したかったのだろうなぁ」ということがうまく脳内結像しなかったのですね。

 まぁ、全体として、たまたまおれにはしっくりこなかった、ということなのでしょう。けっして悪本ではありませんから、念のため。

 いずれにしても、一度は浜茶のリラクゼーションを体験してからものを言うべきなのでしょうね。


 11月24日(祝)に、山形の文翔館で催されたテッチーのコンサートに行ってきました。
 文翔館議場ホールって、旧山形県庁の脇にあった大正建築の県議会議事堂、これ、重要文化財になっているのだけど、ココをホールとして使っているのです。なかなか趣のある場所。

 吉田悠樹クンという若い二胡奏者を従えてのアットホームな唄会でした。
 ココでうたうのは2回目というテッチーも、濃いグレーの開襟シャツにジーンズといったリラックススタイル。フツーのオジサン風ですが、頭に紫のサージを巻きつけるのだけはいつものステージと同じでした。

 曲目は、八重山民謡の「あがろーざ」から始まって、2曲目は♪クイヌパナ(越えの鼻)ぬ・・・で始まる軽快な民謡。歌詞から想像すると新城島の民謡かな。

 続いては、サーカスでおなじみの「美しき天然」をがなって、その後は中山晋平の曲を3曲。
 ♪ 命短し恋せよ乙女・・・ という「ゴンドラの歌」、
 ♪ カチューシャかわいや 別れのつらさ・・・ という「カチューシャの歌」、
 ♪ 煙草のめのめ、空まで煙せ・・・ という、北原白秋作詞の「煙草のめのめ」。
 いやぁ、大正時代の大衆歌謡ですな。

 そして、新曲を、ということで、「千の風」。死んだ私は墓石の下にいるのではなく、風になっていつも貴方のそばにいる・・・といったイミの歌詞。
 で、♪ 粋な黒塀 見越しの松に あだな姿のお富さん・・・ という「お富さん」。

 ここでようやく“沖縄”を思い出し、「芭蕉布」、続いて「十九の春」を替え歌で。
これには、毎日ずへっとしてテレビばっかり観ているとボケるぞ!という「ぼけない小唄」の歌詞が出てきました。

 次は、「沖縄を返せ」のリニューアル版の「沖縄かがやけ」と、同じノリで労働歌の「がんばろう」ときて、最後は「とぅばらーま」~「花笠音頭」。
 アンコールでは「生活の柄」と「安里屋ユンタ」でした。

 相変わらずの大声量と味のある声。
 前から2列目の席で聴いたのですが、さすがの大工青年も還暦を向かえ、髪に白いものが目立つようになったようです。
 お目当ての八重山民謡はあまり聴けませんでしたが、彼自身が大好きな大正・昭和初期の歌謡をたっぷり聴けて、これもまたよかったなと。
 楽しい90分でした。