琉球フェスティバル東京公演の翌日、銀座のわしたショップに寄り、ネーネーズの新譜「彩(Sai)」などとともに購入した、ウチナー・ファンタジスタ池上永一の破格エッセー集。

 台湾で財をなしたものの戦後のどさくさで一敗地にまみれた経歴をもつ不思議な母親のもと、石垣島で暮らしていた子供時代。その頃のことを題材にした逸話の数々はなかなかおもしろく、こういう過去があるからこそ今のハチャメチャな作風のファンタジックノベルがあるのだなぁと、彼の作品群のルーツを垣間見た感じがします。

 小品のあちこちにオキナワやヤイマが顔をのぞかせており、沖縄好きならきっとたまらないはず。

 彼の住む東京の街の駅前にある小奇麗で素敵なラーメン屋さんのことを描いた「愛しの愛人ラーメン」はなかなかファンキー。
 これ、1995年に彼が初めて原稿料をもらって書いたエッセーなのだそうですが、巻末はその12年後のことを書いた「その後の愛人ラーメン」で締めくくられています。

 彼のこれまで歩んできた人生は? そして、この12年の作家人生はいかなるものだったのか?
 そんなことを思いながら、ついつい睡眠時間を減らして読みふけってしまいました。飛び過ぎている傾向のある小説よりも読みやすかったりして。(笑)

 池上永一といえば、最近、新作「テンペスト」を発表したばかり。上下巻にわかれたボリュームたっぷりのもののようです。すでに購入手配済みですが、おれ、疲れを感じずに読めるだろうか?
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 パリで野ウサギ料理の傑作に驚き、台北で類いまれなソバを堪能し、ロンドンでは舞台の幕間にお茶、ニューヨークでは13種の生ガキを味わい、ポンペイの遺跡を眺めながらピッツァを楽しむ――という具合に、世に言う美味なるものの超一流を自分の舌で確かめ、それを洒落た文体で紹介していく名著。

 たとえば、冒頭の「秋にマツタケ、冬はトリュッフ」の中から一例を紹介すれば、
『土から出たばかりのマツタケは、みやびた香りをあたりにただよわせる。気品があって、世俗から離れた風流人のありかたを連想させる匂いだ。色気はなくて、清らかな感じなのである。
 一方、パイの中にあるトリュッフに感じるのは、まさに女の色気だ。色事に通じている女が、そのからだから放つ魅力で迫ってくるような、ナマナマしさがある。そのナマナマしさが洗練されて、優雅を思わせる高さになった年増女の色気にたとえられるのではないか』――という調子。

 「ローマの魚介入り煮込み麺」「アイスクリームをなめる美女」「ローストビーフとハダカ男」「黒焦げの中から最高の肉」「アメリカ南部の豆スープ」「ペキン・ダックの昔風と今様」「江戸っ子が語るソバの食べ方」など、珠玉の34話。

 読みながら、パリッとしたスーツを着て各国の高級レストランで舌鼓を打っている錯覚に陥り、つい唾液の湧き上がるのをこらえきれなくなっている自分を発見します。こういうのも、たまにはいいな。

 でも、どうだろうな。自分の場合はやはり、こういう高級志向よりも、日々食べているもののうちで、新鮮で安くたっぷり楽しめるような方向を追求するのだろうな。

 高級なものが必ずしも自分の嗜好に合うとは限らないし、カネを出せばいいものが供されるに決まっている。むしろ、大枚をはたいて期待を裏切られることほどくやしいことはない。それよりも、同等もしくはより安い料金で得られる、より至高の美味を求める、というのもひとつの美学なのではないか。
 ふん、つくづくおれは「庶民」であるのだなぁ・・・。

 1993~96年に小説新潮に連載されたものをまとめ、97年に発売されたもの。80をとうに過ぎた人がものしたとは思えないしっかりした味覚と食欲が感じられました。


 この週末に、ちゃちゃ~っと読みました。“オキナワ”と名のつくものはなんでも読むのだ、おれは。

 2004年12月に発刊されたカッパ・ノベルズを文庫化したもので、当時運行しはじめたばかりのゆいレールが頻繁に登場したり、基地の街をことさらに強調したりしていて、まぁ、沖縄らしいといえばそう言えなくもない。

 しかし、こういう類いの本って、読んでいるときはよいとしても、読んだ後の充実感が乏しい。
 テンポのよすぎる展開、刑事たちの推測どおりの成り行き、なんで警視庁の刑事がこんなに頻繁に沖縄に出張してくるのかと思わざるを得ない機動的すぎる刑事の行動・・・。
 こういうことがらがあいまって、そう感じてしまうのだろうな。

 つまるところ、心理描写や情景描写などがほとんどないから、登場人物への感情移入ができず、結果として事務的な報告書でも読むかのような姿勢になってしまい、中身はわかったとしても、感動が生まれてこないのだろう。
 振り返れば、主人公の比嘉みどりや十津川警部ってどんな人だった?と訊かれても、うまく説明することができないものな。

 文学にはこういうジャンルもある、ということだけど、言い過ぎかもしれないが、こういう類いの本をたくさん読んでシアワセを感じている人がいるのだということに、多少の驚きを覚えてしまったのだった。


 実際に沖縄に移住してしまった原田ゆふ子さんと黒川祐子さんの共著による移住ハウツー本。
 主に定年退職後、あるいはセミリタイア後に沖縄への移住を果たし、理想のライフスタイルを実現している先輩シニア移住者の体験談をもとに構成されています。

 また、これから移住計画を練ろうとしている人たちのために、具体的なデータやお役立ち情報なども掲載されていて、読み手の沖縄でのセカンドライフへの夢をくすぐってくれます。

 多くの移住本とあまり変わることはないのですが、対象がシニアであることもあってか、勢いに任せた移住を勧めるようなことはなく、比較的冷静に解説してくれているような印象があり、自分としては読んでいてしっくり来るようなところがありました。

 しかし、いまさらながらよくよく認識したけど、沖縄移住って、すごいブームなのですね。
 リタイアして、退職金でマンションを買ったり一戸建てを建てたりして移住してしまうんだな。あとは年金で生活していこうということなのでしょう。

 うーむ・・・おれには真似できないかも。
 そんなに金があるわけでないし、いくらココがいいと思ってマンションを買っても、しばらく住んでみなければホントにいいかどうかはわからない。

 自分はこうするのだろうな、ということを述べれば、退職後すぐの2、3ヶ月は那覇でウィークリーマンションを借りて、芸能やライブを堪能し、その後しばらくは故郷に戻って、また一定期間を沖縄のどこかで暮らし・・・ということを繰り返すのだろうな。
 そして、居心地がよければ、もっとも落ち着く場所で2DKぐらいの賃貸アパートを借りて、悠々自適の日々を送るのだろう。

 基本的には、移住に関して家庭の理解は得られそうにない。なぜならば、家族のヒトビトたちはめっぽう定住的な生活を好むようで、いまさら見知らぬ土地で生活をするなどとは考えてもいないようだから。
 その点、自分はデラシネ的性格。現状維持がキライなのだ。まぁ、一人になって別々に暮らすのも、さほど苦にならないだろうし。

 ――あぁ、また夢を見てしまっているなぁ。
 こんなことができる自由な年齢に早くならないものかと、今から指折り数えて待っているのですな。(笑)


 琉球フェスティバル2008大阪を観るため、明日から大阪に赴きます。
 琉フェス大阪は5年連続の参加。今年のステージはどうなるか、とても楽しみ!

 これまでの4年間、訪阪の際には、大正区のリトルオキナワ、神戸市長田区の沖縄エリア、大阪歴博、国立民俗学博物館、新大阪駅近くのかつて被差別部落とよばれたあたりなどをほっつき歩き、たこ焼き、お好み焼き、うどん、カレーなどのB級グルメを堪能。
 今回は、大阪人権博物館や大阪くらしの今昔館などを見て、またまた大阪ならではのうまいものを食べてこよう。

 去年の琉フェスで印象に残ったシーンは数々あったけど、今思い出すのは、奄美の唄者RIKKIが登場したときにやわらかく呼びかけた「ウガミショーラ、琉フェスぅ~」という言葉。
 そして貴島康男がオトコっぽく、力強く「ウガミショーラ!」と観客に声を掛けて、奄美の歌々を聴かせてくれたのだった。

 今年も、ウガミショーラ、琉フェス。
 大阪行はすっかりおれの秋の恒例行事となりました。


○はじめに
 今年で5年連続の参加となる琉フェス大阪。
 1995年に復活してから14回目の開催となる今回は、大阪ドームから6年ぶりに大阪城野外音楽堂に戻っての開催です。なので、自分的には大阪野音は初めて。

 今年の東京開催でずぶ濡れになって以来ずっと雨を心配していたのですが、今回はまったく心配なくこの日の天気は快晴。
 雨具類はすべて宿に置き、身軽な荷物で会場へと向かいました。東京ではやられたからなぁ・・・。

 ちなみに、大阪ドームでは、オリックスと日本ハムのクライマックスシリーズ第1ステージの第2戦が行われていました。だからこっちになったのか? 結果は、日本ハムが2連勝して、埼玉西武と日本シリーズ出場権を争うことに。

 今回の出場者は、東風、鳩間可奈子、大島保克、前山真吾、牧岡奈美、下地勇、アルベルト城間、大城クラウディア、知名定男、宮沢和史、パーシャクラブ、でいご娘、大工哲弘といった面々。
 例年の状況からすれば少数精鋭。また、野外開催だからなのか、比較的民謡勢が引いた感じで、ポップス系にややシフトした感があります。
 司会はゆうりきやーの2人。これにいつもの琉鼓会、琉ゆう会、かりゆし会の在阪エイサー3団体が彩りを添えます。

 そして会場のつくりはというと。たとえ話にもならないけれど、大阪城公園内にある日比谷野音といった感。日比谷野音と比べると、ステージから客席に向かっての展開角がやや大きく、奥行がやや少ない印象。ということは、席数も日比谷よりやや少ないのではないか。そして、指定席の後ろにある狭い芝生の部分が大阪ドーム開催で言う“アリーナ席”になっています。
 大阪ドームとは比べるべくもない観客数、そして、盛り上がるべき“アリーナ席”が後方にあるという変則。果たしてこれで盛り上がるのか。どうなのだろう?

 さらには、場内ではドリンク類しか販売されず、食べ物はなし。なんか、ドームで培われてきた「飲めや唄えや踊れや遊べ」とのキャッチフレーズは、その真髄を実現できそうにもない感じだなあ。
 飲み物だって、泡盛のロックでもと思って売店を覗いてみたけど、紙コップにジャバリとたっぷりいうのではなくワンカップだし、ビールも缶入りだったので、買うのをやめました。

 しかし、会場が狭くなった分、指定席に空席はなく、場内は超満員。密度的には盛り上がる状況が整っていました。これって3千人くらい?
 売店で公式プログラム(1,000円)と、この秋にリリースされたパーシャクラブの「Papiru」、鳩間可奈子の「太陽ぬ子」の2つのCDを買って指定された席へ。
 席は、ステージから見て最左翼のほぼ中段あたり。ステージまでの距離は、大阪ドームのスタンド席からのそれと比べると4分の1ぐらいだろうか。生で見ているという実感があるなぁ。
 さぁて、どうなるか、何が起こるか、今年の琉フェス。
(つづく)
○オープニング
 開演時間の午後2時半になるや、舞台袖からいつものおじぃとおばぁの恰好をしたゆうりきやーの二人が、「はいはい・・・」と、漫才を始めるときのようになんの趣向もなく登場。
 玉城満のようになにか劇的に唱えるとか、去年のような100人の三線演奏のような工夫は・・・今年はなかったのね。(笑)
 それから、今年はFM大阪のアナウンサーはアシスタントとしてつかないのね。(笑々)

 二人は、玉城満が沖縄県議会のセンセイになったことを話題にし、琉球フェスティバルの司会をするとセンセイになれる、そして、玉城がセンセイになるのだったらもっと彼とうまくつきあっていればよかったと話して笑いをとります。
 ちなみに、ゆうりきやーも玉城の弟子的な位置づけになっているようです。沖縄お笑い界における玉城満の影響力ってゼツダイなのですね。



○琉鼓会
 そんなフツーのノリの会話の後は、まずは琉鼓会のエイサー演舞で景気づけです。イェ~イ!!
 いやぁ、エイサーが近い! 演舞がすぐ目の前で行われています。踊り手の表情がよ~く見える!
 ケバい化粧をしたチョンダラーがクバの団扇を振って目の前を歩いていきます。こりゃあオペラグラスは不要だね。もちろんビッグイベントに用いられる巨大ビジョンも不要。

 おお~♪ 地謡はたった一人だけど、三線もうたもとてもグルービー。いいぞいいぞ! まるでよなは徹みたいだなぁ。
 ・・・ん、待て。これってよなはではないか?!
 地謡は編笠を深く被っているので、その表情はわからないが、これはよなはだよ。彼は今回の琉フェスへのクレジットはなかったはずだが、特別参加というわけか。い~んじゃないっ♪

 琉鼓会のエイサー隊の編成は、大太鼓と締太鼓。締太鼓組には多くの女性の姿も。
 新進のエイサー集団的なものは別として、本場の青年会エイサーでは太鼓に女性というのはあまり見かけないが、一生懸命にやっていることがわかると、こういうのもまたよい。
 このように女性は今後どんどんやりたいことに進出していくのだろう。明るく晴れわたった青空の下でのエイサーは、女性のがんばりとともに、実に見栄えがしていいものであるなぁ。

 曲は、仲順流りに始まって、クーダーカー~トゥータンカーニー~テンヨー節~スーリー東~海ヤカラー~固み節~いちゅび小~唐船ドーイ。
 演奏終了後、拍手の中で地謡が編笠を取って観客席へと投げ入れました。いぇ~い、魅せるじゃあないか、よなは君。
(つづく)
○東風



 さあ、いよいようたい手さんの登場です。(笑)
 トップバッターは、初出場の東風(こち)です。
 事前勉強したところによると東風は、アコギ担当の東風平高根(苗字はこちひら、と読む。こちんだ、ではない)と三線担当の高橋康子(ヤマトの人間)の、ともに1970年生まれの新進ユニット。
 東風平がボイストレーナーとして働いていた東京の音楽スクールにレッスン生として高橋が入学してきたのが二人の出会いなのだそう。

 東風平は茶色の縁つき帽子に赤いTシャツとブルージーンズ、高橋は赤黒白の混じった色のワンピースといった出で立ちで、はじめにメジャーデビュー曲の「想い唄~ウムイウタ~」をうたいます。
 う~む・・・。ユニットの特徴でもあるハモリが不発だ。緊張しているのかな?
 三線の音色も籠り気味だし。これについては、高橋が三線を買って1か月後にレコーディングしたという逸話があることから考えれば、三線を使いこなすところまでいっていないのだろうな。

 2曲目は、同じくデビューアルバムから「春の風」を。
 東京でしんどいなという思いをしながらつくったというこの曲は、うたい出しの高橋の独唱部分がなかなかいい。ボイストレーニングの甲斐あってか(笑)、きれいな声だと思う。
 だけど、三線をあたかも高級楽器を弾くかのように扱う素振りにはちょっと興醒め感も。三線はそんな楽器なのか?って感じ。バイオリンじゃないんだからさぁ。

 最後は、2006年発売のミニアルバムから「琉空高く、琉海深く」を。
 3曲の中ではもっとも沖縄っぽく、歌詞には ♪ ヒーヤーサーサー・・・と掛け声が入るところもありましたが、琉フェスはまだ始まったばかりとゆったり構えている観客のみなさんからは、まだハイッヤ!の合いの手は少ないなぁ。

 個人的にではあるけれど、いずれの曲も、どうもうた全体が説明調で、長い説明を聞かされているような印象があったナ。まぁ、これは、曲づくりの問題なのかな。
 オキナワ・オリエンティッドのワタクシとしては、去年のやなわらばーのようなインパクトは残念ながら感じられなかった。
 一大イベントのトップバッターを受け持つのは大変だっただろうけど、まぁ、次回以降に期待、という感じでしょうか。
(つづく)
○鳩間可奈子、大島保克

    ohshima-y.jpg

 2番手は、八重山から、鳩間可奈子です。おぉ、師匠の知名定男とともに登場だ。
 なんかすっかり大人の女性になって。
 1999年、16歳で鮮烈な琉フェスデビューを飾った可奈子も、すでに大学を卒業して今年は25歳。新譜も発売し、今後どう活動していくのか興味のあるところ。

 可奈子は、鮮やかな緑色のTシャツの上に花柄をあしらった純白の上着を羽織り、下はベルボトムのジーンズ。きっと立つその姿はなかなか清楚で、カジュアルな若さが強調されていて好感が持てます。買ってきたCDを家に戻った今眺めてみると・・・おぉ、この衣裳って、新譜のジャケットと同じじゃん!

kanako-tida.gif (可奈子の新譜「太陽ぬ子」のジャケット)

 定番となった「みなさん、コンニチハー! 鳩間可奈子です。」という脱力感たっぷりのあいさつは、おれ、好きです。
 一方、その脇の椅子に腰をかけた知名センセイは、上下とも地味過ぎのダーク系。Tシャツの中のおなかがとても目立ったりして。(笑) この数年でずいぶん太ったのではないか。

 これに太鼓のサンデーが加わって、1曲目は新CDの表題にもなっている「太陽ぬ子」を。
 知名定男が鳩間島に在住の可奈子の祖母から島の話を聞いて作詞作曲したという、気合の入った作品です。
 八重山の子守唄を思わせるようなやさしいメロディと透明な声に合う音階構成。八重山のメロディと可奈子の特性を知悉した知名ならではの秀逸曲ですな。

 2曲目は、これも新譜から「ばんちゃぬあっぱー」を、手拍子を求めてにぎやかに。
 これも知名の手によるもので、つくった本人が弾く三線はキレがバッチリ。腹は出ても三線はキレ、コクともに脱帽ものです。(笑)

 我が家のおばあちゃんという意味のこの曲、鳩間中森から航海安全や島の世果報を願う元気なおばぁをうたったもの。
 曲中“ばんちゃぬあっぱー”という歌詞が何回も繰り返されるすんごいうたで、さすがに可奈子もうたいながら照れていました。うたい終わって本人曰く、44回繰り返すそうです。

 これにて知名が下がり、可奈子は大島保克と、大島がよくセッションしているアコギの近藤研二の二人を招きいれます。

 大島は、琉フェス最多となる11回目出場の唄者。第1回目にも出場しており、14年前のその時はボクも今の可奈子と同じ年齢だったと語り、「月ぬ美しゃ」をうたいます。

 大島が自慢のビブラートを効かせて1番をていねいにうたいあげれば、2番は可奈子が持ち前のハイトーンで八重山絶唱風に続く、というように、交互にうたいます。いいとこどりって、こういうことなのだろうな。
 月が出ているような錯覚に陥り思わず空を見上げれば、そこには抜けるような青ときれいなうろこ雲。うん、いいなぁ!

 続いては、大島の持ち歌の「赤ゆら」を二人で。
 いつも一緒にうたっているだけあって可奈子との息はぴったりで、これが安定感というものか、といった磐石さ。可奈子の合いの手もよし。サンデーの太鼓もまた、よし。

 大島を見たときから不思議な予兆があって、今日は大好きな「流星」が聴ける、と感じていたのですが、大島の最後はやはり「流星」でした。
 激動の時代の沖縄を飄々と、風のように駆け抜けていった唄者嘉手苅林昌に捧げられたこの曲を、椅子に座った純白のカッターシャツの大島が、いつものように脚をかっぱりと開いて想いを込めてうたいます。
 おとうよ、青い空の彼方で聴いているか。今日もおれはしまうたをうたっているぞ。そんなメッセージがびんびん伝わってきて、ちょっと感動。また、観客が聞き耳を立てている感じもひしひしと伝わってきます。

 名演大島! おれはこの1曲だけでも大島保克が聴けたシアワセに浸ることができたぞ。
○前山真吾、牧岡奈美

    makioka.jpg

 お次は奄美タイム。
 今回は男女1人ずつで、いずれも初参加となる前山真吾と牧岡奈美です。

 前山真吾は23歳。抑揚が深くむずかしいとされるヒギャ唄を若くして身につけた新人。
 2005年に「奄美民謡大賞」新人賞。「上手やぁー」と言われる唄者は多いが、ボクは「懐かしゃ」と言われる唄者になりたい、と語っています。シマウタの真髄とは何かを若くして知るホンモノです。
 ちなみに、懐かしゃ(なちかしゃ)とは、心の琴線に触れる愛しさや悲しさなどの入り組んだ複雑な情景を表す島の言葉。うん、ワカルワカル。

 牧岡は、喜界島出身の25歳。小学3年時から民謡を習い始め、鹿児島放送主催民謡大会で少年の部3連覇、名人位に。そして2002年には18歳で奄美民謡大賞・大賞を受賞するという天才肌です。
 前からその存在は知っていたのですが、あるときから(元ちとせのように)ゲージツ系のほうに走ってしまったという印象があって、彼女のシマウタはコンピレーションアルバム「アマミシマウタ」(2002)に収録された「いそ加那節」以来聴いたことがありませんでした。

 さて、そんな二人は、牧岡は黒のドレス、前山はダークブルーの着物姿で一緒に登場。つくりこそ違うが、これってペア?と思わせる柄。大島紬かな? ・・・なワケないよな。だって高いものナ、若いモンにとっちゃ。

 1曲目は「雨ぐるみ」を牧岡が。
 これは管鈍の話で・・・とか、お暇な方は手拍子なんか・・・とか語りながら三線を弾く牧岡って、なかなかやるではないか。場数はかなり踏んでいるな。
 派手さは感じないけど、その独特の地味さこそきっとかなりの力量に裏打ちされたもの、との確信を持てる歌唱力。子ども時代に通った民謡教室ではいつの間にか全員が牧岡奈美の歌い方に変わってしまったという逸話があるらしく、確かにそのような吸引力を感じます。
 また、声の質はシマウタの大先輩である朝崎郁恵に似ていないこともない。これはいいなぁ。

 2曲目は、前山が「しゅんかね節」を。
 沖縄のションガネ系のうたと関係があることや、歌の意味を解説して、おもむろにうたい始めたそれは、ス・ゴ・イの一言。
 若いのに、ようやるなぁ。声の強弱が実に見事。百年に一人と言われた武下和平を髣髴とさせるような強烈なインパクトで訴える、まさにヒギャ唄。彼は名瀬の生まれだけど、宇検村出身の石原久子に師事したのでヒギャの節回しを身につけたのだそう。
 考えてみると、沖縄民謡ではけっこう県外者、はたまた外国人が修行を積んで師範になったというような話は聞くが、奄美の外の出身者が奄美の民謡で大成したという話はついぞ聞いたことがない。それだけ奄美の民謡は、奄美の血がなければ真髄を理解できない、ということなのかもしれないなぁ。

 最後は、牧岡がチヂンを持って、「一切(ちゅっきゃり)朝花節」を。
 これ、祝の場の始まりなどにうたわれる「朝花節」の元唄で、テンポが速く、とても軽快。
 ♪ ヨハレー 油断すぃんな 羽黒魚  ヨイサヨイサ ヨハレヨイヨイ ・・・
 盛り上がるなぁ、名瀬のシマウタライブハウスのノリでしょうか、いやそれともホンモノの歌垣か?! とうとうここで踊りだす観客が出現! いよいよ琉フェスらしくなってきたぞ。

 とても聴かせてくれた若手二人。評価高し。それを裏付けるかのように、うたい終えての拍手はとても大きかったですよ。
○琉ゆう会
 続いて、司会のつなぎなしで京都の琉ゆう会のエイサー演舞が始まりました。
 今回は幕間の時間が短くなっているようです。したがって、司会の出番も少なく、出ても短いんだね。

 琉ゆう会は、衣裳からメンバー構成から、すべてを園田青年会のそれを手本にしているよう。男たちは白の内着に水色のハッピで勇ましく踊ります。

 また、女性の手踊り部隊もあり、彼女たちは紺色の絣に黄色の帯とサージといった姿でにこやかに手をひらひらと。
 う~む、タマラン。ステキだ。ひらひら、笑顔、ふくらはぎ。
 エイサー鑑賞も、その回数を重ねてくると、太鼓の演舞とともにこの手踊り隊のたおやかさにもだんだんと魅力を感じるようになってくるんだナ。琉ゆう会の特徴はこの手踊り隊だな。

 花笠を被った地謡は3人いるので、しっかりした演奏の継続が十分可能。また、沖縄独特の獅子舞も登場して、口をバクバクさせながら会場のあちこちを練り歩きます。

 南嶽節のイントロから、仲順流り~クーダーカー~トゥータンカーニー~海ヤカラー~テンヨー節~いちゅび小~固み節~花の風車~唐船ドーイという曲の進行は、去年とまったく同じ。安心して聴けますね。

 ところで話は変わるけど、左隣の席のおじさん、始まってからひっきりなしにいろんなものを食べているぞ。しかもタレたっぷりのコテコテ焼鳥とか、なにかの揚げ物とか、ソース焼きソバとかポテトチップとか、油っこいものばかり。
 夫婦で観に来ているようだけど、奥様のほうはあまり食べず、量的には2人分以上をおっさんが一人で食べている。アナタは観に来たの? それとも食べるために来たの??
 ちょっぴり羨ましいがビールもたんまり飲んでいるようだし、これでは最後までは持たないのではないか?

 それから、右隣の一人で観に来ているオネーサン、この場にあって妙に静かですね。伏し目がちで、ふつうなら目が合うタイミングのところでも絶対に目を合わせないのですね。それって、少々キモいですよ。どーでもいいのだけど。



○下地勇
 続いて登場した下地勇は、ショッキングピンクのカッターシャツと長い脚にフィットした黒いパンツ姿。
 ゆうりきやーたちも言っていたけど、こんな色のシャツが似合うのはカッコイイ下地勇ならではなんじゃない。(笑)

 彼のステージをログするときにいつも悩まされるのだけど、あのミャークフツの歌詞に加えて本人が曲名を言わないものだから、なんといううたなのかわからないときがあります。
 今回の1曲目もそう。一人でステージでうたうときはいずれのうたもギター1本で絶叫調、というスタイルなので、よ~く聴いていないとね。

 しかし、おれの場合はこの1曲目の間じゅう、ギターの演奏ぶりがすごいことについ見とれてしまい、結局曲名は判別できずじまい。
 で、このギターの音って実は「オケ」なのではないか、と疑ってしまっていました。でも、じ~~っと手元の動きと音のなり方を観察したところ、これはやはりナマだと。
 ははぁ、勇ってやっぱりすごいんだなぁ。

 演奏を終えて勇は、「晴れてよかった!」と笑顔で発言。ふふ、東京開催時の記憶が生々しいのですね、きっと。
 そして2曲目は、これはわかるゾ、「開拓者」だ。
 サンデーが加わって、 ♪ ホイ ホイ ホイ エッサー! の掛け声を。Umm・・・いいねぇ。

 ここで新良幸人を呼び寄せて、次は波の音をバックに「SAKISHIMAのテーマ」を。
 下地と新良はこのところ二人で「SAKISHIMA meeting」と題したライブを行っているようで、先ごろ同名のCDが発売されているようです。
 そのCDに真っ先に収録されているのがこの曲。付け加えると、2曲目にはなんと、「Tennessee Waltz」が入っています。これ、二人が演るのを去年の夏に聴いたな。あのときは、あまりに自然に二人になじんでいるので、驚いたものでした。三線でもイケるんだもんなぁ。

 CD発売に当たっては、「島を離れて暮らしている人たちに、波の音を届けてあげられるようなイメージで曲を作った」と下地が言えば、「自分たちが生まれ育った先島が、いつまでも胸を熱くしてくれる場所であってほしい」と、新良が想いを語っています。
 先島よ、いつまでも・・・とうたう曲調は、ゆったり、かつ、しみじみ。宮古+八重山イコール、心地よいメロディー、ということなのでしょうね。

 しかし、今回はみんな3曲程度なのですね。いずれの唄者も、もう少しずつ多く聴きたいと感じるのですが、まぁ、そのような思わせぶりをするというのも、イベントプロデューサーのひとつの“手”なのでしょうかね。
○アルベルト城間、大城クラウディア



 ミス・コバルトブルーの沖縄観光PRがあって、次はアルベルト城間と大城クラウディアです。城間は、ディアマンテスとしては4回出場の実績がありますが単独では初出場。大城も、もちろん初の出場です。

 アルベルト城間はみなさんご存知でしょうが、大城クラウディアって、知ってますか?
 おれは知らなかった。で、またまた事前勉強してみたところ・・・。
 大城は、沖縄出身の両親を持つ移民二世で、アルフレッド・カセーロがTHE BOOMの「島唄」を日本語でカバーした時、そのレコーディングにコーラスで参加。これが縁で宮沢和史と出会い、活動拠点を東京へと移し、宮沢和史を中心とした無国籍音楽バンドGANGA ZUMBAのメンバーとして活動しているのだそう。

 そんな大城ですが、沖縄民謡を歌うなら本物に近いものをやりたいと、我如古より子の民謡酒場『姫』で3ヶ月間ステージに立って修行したというからたいしたもの。
 2007年9月に発売された初のソロアルバムでは、大城美佐子のデビュー曲「片思い」や師匠我如古の十八番の「我した琉球」や「恋ぬ花」、さらにはあの名曲「白雲節」までうたっているらしい。・・・スゲ。

 さて、まずは一人でアコギを持って登場した城間は、赤白のアロハシャツと白のパンツ。
 観客に「ラテンで行っちゃっていいですか?」と問い、「イェ~イ!!」の声に対して手拍子を催促して、一気呵成にラテンミュージックの世界へ。
 うわぁ、すごい声だ! ハリがあって、声量があって、これまでの唄者の声とはつくりがベツモノ。ここは琉球フェスティバルの会場なのだけど、彼が登場すると場の雰囲気がまったく変わってしまうんだね。
 だけどそこには違和感はなく、オキナワとラテンがともに立つ世界が生まれています。世界に飛翔しても、異なる民族のうたをうたっても、ウチナーンチュはウチナーンチュだ、ということなのだろうな。

 うたっている曲は、まるっきり畑違いの、ジプシーキングスあたりのラテンミュージック。なので曲目は皆目見当がつかないのですが、おそらく一発目は「ジョビジョバ」、「バンボレオ」あたりから入ったものと思われ、メドレーのフィニッシュは、麒麟淡麗生のCMソングでおなじみの「ヴォラーレ」で締めくくりました。
 振り上げられた観客たちの手が左右に揺れて大盛り上がり。この曲に合わせてカチャーシーを踊り始めるヤツまでいる。さすがだなぁ、アルベルト城間は。

cloudia.jpg

 ここで、虹色のドレスに身を包んだ大城クラウディア登場。おぉ、なかなかきれいだ。
 城間のギターに合わせて、「美しい島(くに)」をうたいます。
 ♪ 二人並んで歩く道 星が奏でる唄を聴く ・・・
といった、故郷沖縄の風景を愛で、忘れずにいたいとうたう、音階的にも純日本的なうた。きれいな声で、きれいな日本語で。
 民謡風の微妙な節回しもしっかり体得しているよう。それに、間にときおり混じる溜め息は、師匠の我如古より子ゆずりなのでしょう。

 二人は次に、八重山が生んだ偉大な作曲家、宮良長包の名曲「えんどうの花」を。
 もっともヤマト風の、古い小学校唱歌のようなこのうたを、外国で生まれた二人のウチナーンチュ2世がうたうフシギな縁(えにし)。

 大城が下がり、城間が一人になると、またもや雰囲気は中南米に飛んで、最後にラテンの曲を1曲。
 ♪ ア~イアイアイアイ カンターノヨーレス ・・・
 これ、合っているかどうかわからないけど、そのようなサビの部分をみんなで歌ってね、ということでにぎやかに。
 立ち上がって身体を動かしている者多し。肩を組んでうたっている列もあるぞ! かつて観た2000年の琉フェス(東京)、ディアマンテスの登場とともに会場を埋め尽くさんばかりのたくさんの旗が打ち振られたあの盛り上がりが蘇ってきたのでした。
○知名定男



 今年の琉フェスもそろそろ佳境に入ったとみえて、次はお待ちかねの知名定男です。さぁて、今回はどんなステージとなるのでしょうか。

 登場した知名は、いつもの濃いグレーの着物を着て椅子に座り、おもむろにうたい始めたのは、「ナークニー」でした。それともこれ、父定繁が得意とした「門(じょう)たんかー」なのかなぁ。ナークニーの周辺には、これから派生したうたがたくさんあるから、少し混乱。

 多少不安定な入り方をしたなぁと思って聴いているうちに、徐々に安定の度を増してきて、知名一流のナークニーに。もしかしたら、これは不安定なのではなく、ひとつのうたい方だったりするのかも、と感じさせるような完成度の高いものでした。
 散らしは、♪ チーユイユイ、イケユイユイ・・・の歌詞が入っていたので、「ハンタ原」。

 うたい終えて知名は、このごろは周囲から長老呼ばわりされて、民謡界の重鎮などといわれるが、私は自分を今も若手のホープだと思っている、と発言し、拍手を浴びます。

 そして2曲目は、照屋林助の名作「ジントヨーワルツ」です。
 会場から湧き上がる手拍子を「手拍子はいりません」と制して、淡々と、思いを込めてうたってくれました。
 知名は誰に、何を伝えたくて、今こうしてうたっているのだろうか、などという感慨が湧き上がってきます。
 知名のうたを聴くにつけ、いつも考えさせられるこのこと。知名と観客の間には、この二者だけでなく、いつもナニモノかの第三者が関わっているように思えてしまうのだけど、きっと彼の周りには、彼が背負ってきた沖縄民謡界の先輩方のたくさんの思いや教えが魂のような形でウヨウヨと存在しているからなのではないかナ。

 しみじみ調でいいなぁと思って感慨にふけりながら聴いていると、あ~あ、とうとう隣のオヤジは眠っちゃったよ。もったいないなぁ、一番いいときに。

 知名は、もう一人のウチナーポップの重鎮である喜納昌吉を話題にします。
 その喜納は今や参議院議員。喜納昌吉が大センセイになるとわかっていれば、もっと親しくしていたのにと、笑いを取ります。
 さらに、喜納昌吉を大嫌いだという人が自分のところに来て、その人から、知名さんのつくった「花」はサイコーですねぇと言われたという話で大爆笑。
 この二人、仲があまりよろしくないらしいのだけど、大センセイになっても重鎮になっても、しばらくの間は平行線をたどっていくのだろうナ・・・。

 そんなMCの後は、クレジット外のよなは徹が再び招き入れられ、うたう前にデジカメで知名をパチリ。知名はテレながらも「徹も林賢に似てきたな」と苦笑い。

 そして、よなはが島太鼓を担当して「ケーヒットゥリ節」を散らしの「汀間当」とともに。
 ♪ さやか照る月に ジントーヨー 誘わりてぃヨー ・・・
のうたい出しに続いて、思わず ♪ ケーヒットゥリヒットゥリ と合いの手を入れてしまうおれ。

 で、今度のMCは、「沖縄民謡歌手になりたい」、「南洋小唄を教えてください」と、知名の弟子になろうとしてやってきたヤマトの青年の話を。
 そのように懇願したのは実はTHE BOOMの宮沢和史で、これから彼と1曲やってみたいとのこと。
 知名の紹介で登場した宮沢に、場内は騒然。知名は「おれのときより拍手が多い気がするが・・・」と拗ねてみせます。お、大城クラウディアも三線を抱えて一緒に出てきたゾ!

 宮沢を何回か琉フェスに招聘してきたが、やっと参加してもらえた、と知名。
 そして、3人でこれからうたうおうというのが、ナント、「ヒンスー尾類小(ジュリグヮー)」だというからぶったまげた。おいおい、大丈夫か? ホントにうたえるのか??

 この3人で、このうた。華やかであり、再び実現することもないであろううたの掛け合わせ。今回のモースト・インプレッシブ・シーンだ。これは見とかなあかんね。おい、喰いすぎオヤジ、起きろ!

 宮沢が1番をうたいます。よく歌詞をマスターしましたね、というくらいにしっかり。
 知名が2番、大城が3番・・・とうたいこの順番で6番までうたったところで、大城が歌詞につまずきます。知名の「もとい」の声で再開。彼女は自分のCDで「ヨーアヒ小」としてこの曲をうたっていますが、歌詞が別のものなのですね。
 そしてとうとう11番までうたいつくし、知名のステージが終わったのでした。
 ・・・スゴかったなぁ。いいものを見せていただきました。ゴッツァンです。
○宮沢和史
 舞台はそのまま宮沢和史に受け継がれ、宮沢は「今日から私はウチナーンチュです」とか「ミヤジャカジフミと名前を変えたい」などと発言し、「今年、琉フェスに出られることになり、心から感謝します」と観客にあいさつ。
 そして、今年はブラジル移民が始まって100周年になるそうで、サンパウロではミス琉球コンテストが行われたりしていたという話を披露していました。

 1曲目は、「沖縄に降る雪」という、映画「ナビィの恋」に触発されてつくったというもの。
 かつて同名の沖縄劇を観たことがあったなぁ、なんてことを思い出しつつ聴く。
 青色のアロハシャツにジーンズ姿の宮沢は、ウチナーグチの混じったうたをアコギ1本でうたいます。

 曲の後半に至り、激しくギターを掻き鳴らすシーンには自然に拍手が湧きあがります。
 でもなぁ、なんか、こうやって必死に演奏してしまうところが、ヤマトンチュとしての限界なのだろうなと思えてしまったおれは、少し鼻白む。
 かつててるりん(照屋林助)が、ウチナーンチュとヤマトンチュの違いを、ゆったりとした三線の奏法と激しさを美とする津軽三味線の違いに例えていたけれど、両者の違いはやはりこのあたりにあるのだろうな。

 そして最後は、おなじみ「島唄」を。
 ここまでで最も大きな拍手が湧きました。このうたの持つ力はすごいものがあるのですね。
 ちょうど会場には夜の闇が徐々に訪れ始めた頃で、いい雰囲気。

 でも、宮沢のうたい方はやはりヤマト的。普通に、シンプルにうたえばいいのに、どうも奇をてらったようなくどめのうたい方をするのには、聴くほうからすればしっくり来ない。あるページの辛辣な評価を借りれば、自意識過剰気味なステージングと爬虫類っぽい歌いぶり。
 ここは琉フェスなのだから、自分をアピールするようなうたい方よりも、むしろ観客の気持ちに合ったうたい方をしてくれたらもっとよかったのになぁと、少々がっかりでした。



○かりゆし会
 続いては大阪府大東市のエイサー団体かりゆし会の演舞です。
 ココは、おれの評価としては、ここ数年琉フェスに参加しているエイサー3団体のうち、いちばんの老舗であるにもかかわらず、最も発展途上の団体(失礼)となっている。
 なにがそうかと言うと、地謡をしている髪モジャのオジサンがまとめ役であろうと想像するのですが、この団体の地謡が彼一人によって仕切られているために、非常に手薄。彼のうた声と三線の演奏力に不満を感じるのですね。

 だってサ、別の団体はよなは徹だぞ。またもう一つの団体では地謡3人だぞ。
 最近になってもう一人、女性の地謡が加わっているようですが、まだまだの感があり、ココの団体の喫緊の課題は、何はさておいても若手地謡の育成だと思う。
 また、会員数は多いようですが、構成はほぼ大太鼓と締太鼓のみ。

 曲目は、拙い三線(再度失礼)の安波節の前奏から始まって、瀧落し~仲順流り~クーダーカー~トゥータンカーニー~スーリー東~繁盛節~固み節~いちゅび小~安里屋ユンタ~豊年音頭。

 しかしながら、「安里屋ユンタ」が始まるときに例の髪モジャおじさんが大きな声で「さぁ、手拍~子!」と叫ぶや、それに呼応して観客は異様な盛り上がりを見せました。
 不満がっていたおれとしては、ナンダナンダ、ドウシタンダ?!ってな感じ。
 そして、「豊年音頭」に至ってとうとう初めて総立ち状態になるという意外な展開。
 う~~ん、そんなにいいか、この団体。

 盛り上がりというものは、うたや演奏のうまい下手などが問題なのではなく、時間帯、曲目、タイミングなどによって、津波のように予測以上に大きな波となるものなのかもしれない。
 音楽というものは、ただ熱心に聴いているだけでは理解できない不思議な力があるものなのだろうな。
○パーシャクラブ
 夜のしじまが会場をすっぽりと覆う時間帯になって、お祭りは最高潮を迎えます。そう、次は、パーシャクラブなのだ!
 ゆうりきやーの「次はパーシャクラブ・・・」の紹介に、会場からは「いよっ、ヨッパラ~イ!」の声がかかります。(笑) うふふ、琉フェスってぇと、幸人はいつも酔っ払っているからなぁ。

 いつものように入場イントロに乗って暗いステージに現れたパーシャの面々。どんなシーンからステージが始まるかと興味津々の聴衆を前に、まずは新良幸人が「月ぬ美しゃ」のさわりの部分を朗々とうたい上げ、すぐに「海の彼方」を。これ、琉フェス東京と同じ。
 ほかの唄者にはなかったドライアイスの噴射がステージ両脇から流れ出し、客たちのノリもバッチリで、曲の始めからほぼ全員がスタンディング状態となりました。おぉ、すごいすごい!

 新良も、今回は雨にもやられず、観客がいい状態なのがすぐにわかったとみえて、うたい方がいつもよりもやや絶叫調な印象。この一体感こそ琉フェス!ですな。さすがの喰いすぎオヤジもようやく起きだしました。(笑)



 曲が終わって新良は、「ヤッホー!! ・・・オーマイブレス。いい感じだね!」と。ほほぅ、今回はさほど酔っていない様子。意外だね。(笑)
 そして、6年前の雨中での大阪野外開催では、観客席のそのあたりに三線を放り出しだら、その三線が見事に4つに分かれて飛び散った――ということを思い出してみんなに披露。
 さらに、新CD「Papiru」を紹介して、「カッコつけてパーシャのTシャツまでつくってしまいました」と。

 続いて、よなは徹と、それに與那覇徹琉球音楽研究所に在籍する比嘉久美子を呼び寄せて、新CD収録曲の中から「七月節」と「東バンタ」を披露しました。
 「七月節」は、エイサー唄「仲順流り」をモチーフにした、エイサー好きにはたまらなくグルーピーな曲。

 ♪ 太鼓かたみてぃ西東 指笛フィーフィー吹ち鳴らち
   我した島ぬ 二才達エイサー 太鼓三線さてぃ見事 ・・・

 指笛や女性の合いの手、さらにはイーヤーサーサーという掛け声が随所に出てきてステキ。
 それに、ステージ上に多くのパフォーマーが登場しているのでとても華やか。どこを注視していいものやら。(笑)

 「東バンタ」は、はじめに三線の早弾きがフィーチャーされていて、曲調はいかにも上地正昭の手によるものらしいデキ。
 これら2曲は、今後のパーシャのステージでもスタンダードなものになっていくのだろうな。

 そして最後は、「五穀豊穣」。
 この曲にはグーの音も出まへん。迫力満点、演奏完璧、もう、最高潮だね、痺れるなぁ。

 演奏プログラムは琉フェス東京と寸分も違わぬものだったけど、けっして見飽きたりしない一流のステージング。
 なにせ東京のときは大雨の中だったから集中できなかったといううらみもあり、結果として今回は、改めてよ~く見、聴かせてもらったということになったようです。
 パーシャはすっかり琉フェスの華となったなぁ。
○でいご娘

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 いやぁ、いかったいかった、パーシャクラブ。
 ステージを片付ける合間にゆうりきやーとともに登場したのは・・・、お、元りんけんバンドのみーちゅう(桑江良美)ではないか。今彼は何をやっているのだろう?

 みーちゅうの音頭でいつもの「イーヤーサーサー!」と「ハーイーヤ!」をやった後、出てきたのは、でいご娘の4人。
 どうやらこの琉フェスのために新調したらしい真っ赤な紅型衣装が目に鮮やか。その下は純白のカカンをまとっています。
 この姿の4人が並ぶと、いやでも場は華やかになりますね。

 でいご娘は、長女艶子、次女綾子、三女千津子、四女けい子(本名は慶子)の四人。
 1975年に結成されたものの、故あって活動を一時中断していましたが、1999年に再結成しました。琉フェスには4年ぶり3回目の出場です。

 1曲目は、♪ トゥルルンテントゥン トゥルルンテン シンカのチャー ・・・ 
というような、おじさんの弾くアコーディオンの音色にあわせたようなうた。
 これ、彼女たちが人気絶頂だった頃の「しんかぬ達」といううたなのでしょうか。
 でいご娘とは別に「ひがけい子とシュビーズ」という太鼓パフォーマンス集団を主宰しているけい子は、お得意の太鼓を叩いていますが、なぁんか叩き方が大袈裟で、このうたにはしっくりこない感じ。

 2曲目は、「移民小唄」。沖縄民謡の父といわれる普久原朝喜の歴史的超名曲ですね。
 ♪ なれし古里 沖縄の  想い出深き 那覇みなと
   泣いて別れた ふた親と  八重の潮路を 押し渡り ・・・
 南米に移民するウチナーンチュの気持ちをうたったもので、彼女たちは慰問先のブラジルでもうたってきたそうです。

 3曲目は、「銭(じん)節」。でいご娘のステージではたいていうたわれるこの曲。
 うたの意味を説明してうたい始めましたが、パーシャクラブの次とあってはもう、何をやっても地味に見えるから、困ってしまいます。
 派手ではなくともこの安定感がいい、とも言うのかもしれませんが、ステージングをもう少し華やかにするにはまず、ある種の物悲しさを醸し出すアコーディオンの伴奏をやめ、いちばん若いけい子をもっとフィーチャーすべきではないのかな。

 そして最後は、彼女たちのオリジナルソングの「豊年音頭」――と思いきやそうではなく、「嘉手久」でした。

 話は飛びますが、先だってテレビで、上原知子がオーケストラの演奏をバックにこの「嘉手久」をうたったのを見ました。これがまた、ミスマッチの極み。
 自由律の最たる曲である「嘉手久」が、音符などという規則性でもってくくられている西洋の管弦楽と合わせようったって、そう簡単にはいかないものなのですよ。
 こんなことをやらせたテレビプロデューサーって、バカだなぁと思って観ていましたけどね。

 その「嘉手久」をでいご娘は、けい子ともう一人のダブル島太鼓で演奏。そうそう、そう来なくちゃ。
 でもまぁ、この太鼓のセット、シュビーズのステージでも見かけたけど、パーランクーをゴム状のものでフレームにくくりつけてあるようなつくりなので、叩いた太鼓が上下にブルブルと揺れ動くのですな。それってなんか、とてもマンガチックです。
 それでも気分は盛り上がり、踊りだす者が多く出現していました。
○大工哲弘



 そして、大トリは、大工哲弘です。
 おそらく14年の歴史上初めてと思われますが、今年の公式プログラムには、登場順がしっかりと掲載されましたので、彼が最後であることがわかります。
 えっ、今までのプログラムには登場順すらも載っていなかったのか?――というツッコミもありましょうが、そういうことなのです。
 彼が大トリを務めるのは、04年の第10回以来2回目となります。

 大工は、鮮やかな朱色のハッピにミンサーの帯、白のパンツ、頭には紫のサージといった出で立ち。彼に寄り添うように立つ奥方の苗子サンは、白い絣に赤い鉢巻をキリリ。

 笛の音とともに演奏が始まり、1曲目は「命どぅ宝」。大工の企画・構成によるCD「沖縄かがやけ」に収録されているもののようですが、初めて聴く曲。

 うたい終えた後は大工サンお得意のMCです。(笑)
 日本列島ノーベル賞の話題で沸いたが、ボクは宮古・八重山のうたをつくった人にノーベル賞をあげたいと思う――と。

 2曲目は、こちらは正真正銘のお得意「与那国ションカネ」を。
 1曲目もそうだったけど、これもまた、笛の音がないと成立しないうただなぁと思いながら聴く。
 ♪ 暇乞いとぅ思てぃ 持ちゃる盃や  涙泡盛らし 飲みぬならぬ ・・・
 与那国の島ちゃびが伝わってくるような、しみじみとしたいいうたであるなぁ。

 次は、これまたお得意の「マミドーマ」。
 苗子が、時折大工より前に出るような勢いで元気に躍り出します。
 うたを聴いていて、西洋音楽のほうから教育されてしまった我々にとっては理解できないような進行が行われる部分があることに気づきます。小節という概念が薄いというか、のってしまえば自由というか。
 八重山のうた、特に労働歌はつくづくいいと思う。ホント、ノーベル賞をあげたいが、これらのほとんどは伝承歌なのであって、創作者は特定できないのが常なのだ。

 続いては、宮沢和史がボクのところに入門することになった、という話を披瀝して宮沢を呼び寄せ、30人程度はいたかなぁ、大工の指導する大阪三線クラブの面々も登場して、「太陽アカラ 波キララ」を。
 このうた、1995年、世界に平和を発信しようということで「天に響め さんしん3000」というイベントが行われ、募集した歌詞の最優秀作に宮沢が曲をつけてできあがったというものらしい。なので、大工と宮沢の共演もこのイベント以来13年ぶりになるという。
 いつしかステージにはアルベルト城間や大城クラウディアなど多くの唄者も登場して、みんなで。
 ペルー、アルゼンチン、奄美、鳩間島・・・というように、今回の出演者は世界の各地から集まってきたのだなと思い、静かに感動。

 続くMCで大工は、リーグ2位でクライマックスシリーズに出場する阪神が優勝するようにと「六甲おろし」のさわりをうたって観客を盛り上げ、さらに、今日の衣装が赤いのは、自分が明日、3回目の成人式を迎えるのを前に苗子サンが見繕ってくれて準備したものだと発言。ははぁ、若いと思っていた大工も還暦なのか。

 そしてうたうは、「とぅばらーま」。
 このうたをうたう人間は多いけど、いつの間にか大工はすっかり、群を抜く「とぅばらーま」の第一人者となった感があります。
 東京のときとは違い、今宵は上空にはぽっかりと十三夜の月が輝き、大工のうたを聴いているかのようにほぼ真上に陣取っています。
 自由にうたわれる歌詞についても大工は工夫しているようで、この月を愛でる歌詞を口ずさんでいました。

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 最後は、東京と同じように「くいちゃ踊り」です。
 まぁ、十何年来のワンパターンと言われるかもしれませんが、大工の場合、「これで、いいのダ!」。
 ほら、聴いているほうだって盛り上がっているもの。(笑)
○フィナーレ
 さあ、ファイナルは近い。ステージには今日の出場者が勢ぞろいです。
 ゆうりきやーとみーちゅうの掛け声で、観客席には大きなウエーブが数回起こりました。

 さぁ、フィナーレですよ~ということで、まずは前山真吾が「ワイド節」を早弾きで披露して聴衆を煽ります。
 奄美からは「六調」だろうと思っていたので、ほう、そう来たか、という感じ。
 ♪ ワイドワイド ワイド 我きゃ牛ワイド 全島一ワイド ・・・
 坪山豊の作によるこのうたもすっかり定着した感がありますね。

 続いて八重山からは、おお~!「鳩間の港」だ!!
 これは新鮮。これまた、こう来たか!
 可奈子が演奏し、うたうものの、スタンドマイクが入っていなかったらしく、知名につっ突かれてこっちのマイク、あっちのマイクと流浪する姿はある意味なかなかいい見ものでありました。
 で、またまた出ました、鳩間島ダンス! たくさんのスタッフがタオルを首に掛けていそいそと一列になってステージ前に登場します。
 ♪ 船は行く行く 鳩間の港 ・・・
 なんか、このダンス、すっかり琉フェスの定番となりそうな雰囲気。

 そして最後は、いつものとおり「豊年音頭」です。
 そうなれば、うたうはでいご娘でしょう。おぉ、比嘉けい子が踊る躍る。いいぞ、北谷栄口区住民!
 場内も騒然。座っていては何も見えまへん。

 で、今回は、ごとうゆうぞうが不在だったので、銅鑼による締めはなし。
 あまり締まらないまま、よもやこれでは終わるまいと思って手拍子を打ちながら待っていたのですが、なんか、これで終わりのよう。およよ、これで終わりでっか??

 ・・・なんだよ~、終わりかよ~。ちょっと物足りない終わり方だったのでは?
 時計を見れば、午後7時30分。今回は、京セラドームよりも1時間短い、5時間のライブでした。

○おわりに


(画像:2007年の琉フェスのフィナーレ)

 いやはや、今年も燃えさせてもらいました、琉フェス。
 あなうれしや、今年は初めて、東京と大阪の両方を観ることができました。
 仕事の関係で勤務地を長く離れることができないため、少なくとも今年度中の沖縄訪問は望むべくもないという事情が、私にはあります。しかし、1泊、2泊程度、しかも地続きのところならば、緊急の呼び出しにも何とか対応できるだろうということで、思い切って大阪は2泊にしてみました。
 で、結果はというと、仕事の呼び出しはナシ。よーし、しめしめ。運賃やチケット代が無駄にならなかったことはなにより。まずはそれをこそ喜ばなければならないでしょう。

 で、今年の琉フェス大阪を概括すると、まずは会場ですが、大阪城野音はステージと観客の間の距離感がなく、出演者の様子が手に取るように見えるというメリットがあります。しかし、もし雨天の場合・・・と考えると、やや難があります。
 会場が狭いので、ビッグイベントにふさわしい多くの集客が望めず、また、ドームのアリーナ席のような宴会風の盛り上がりはあまり期待できません。
 さらに、盛り上がりの話でつくづく思うのは、場内で販売される品々があまりにも少ないということ。沖縄のものを食べたくても、飲みたくても、我慢しなければなりませんでした。

 やはり琉フェスは、一種のお祭りなのですから、広い場所で、多くの人が、耳や目だけでなく、口や鼻でも沖縄を堪能できる場を作り出してほしいものだと思います。
 そしてそれは、時間も長いほうがいいし、出演する唄者も多いほうがいい。となれば必然、大きな器でやるしかないのではないのかな。

 観客の収容力が高くない会場だからだと思いますが、今回は出場する唄者は比較的少数にとどまりました。そして、出演者をまわりから彩るゲストも少なかったように思います。
 一方、出演者のキャラクターも、野外向けというか、元気系の人々が中心で、民謡をしみじみと聴かせるような唄者が心もち少ないように感じました。
 このあたりを一気に解消するためには、やはりドームでの開催がいいのではないかと思いますが、みなさん、いかがでしょうか?

 今年の知名、宮沢、大城クラウディアによる「ヒンスー尾類小」は、きっと後世の語り草になる名シーンだったでしょう。このような琉フェスならではのシーンを今後もつくっていってほしいと思います。
 しかし今回は、ずいぶんと宮沢和史におもねった構成になってしまったのではないでしょうか。
 私はこれに大きな異論を唱えるつもりはありませんが、もし来年も似たようなストーリー性を持たせようとするのならば、ぜひ別の人、しかもウチナーンチュの人を中心に据えてやってほしいものだと思います。

 ヤマトの人間が見てよくわかるのは、ヤマトンチュは結局はヤマトンチュなのです。琉フェスには、沖縄風のうたをうたう人、ではなく、ウチナーンチュのうたい手を出してほしいのです。
 そういう意味では、沖縄色を消して東京でデビューした桑江知子が東京の琉フェスに出場していることも不自然に感じられます。

 さて、来年、15回目を迎える琉フェスはいかに。
 少し冒険した今年とは趣を変え、伝統的な琉フェスを再現する、というのはどうでしょうか。
 知名定男をはじめとした充実の民謡陣、そして、長年琉フェスを支えてきたりんけんバンドなどのウチナーポップユニットに、昔取った杵柄のような人々ではない新進気鋭の若手をかみ合わせて臨んでほしいものです。

 個人的にぜひ招請してほしいのは、ネーネーズはもちろんですが、ディグレコーズ関係では加治工勇や仲田まさえなど、男性唄者としては、よなは徹や松田一利といった実力者、女性唄者では久々に古謝美佐子や内里美香、神谷千尋、そして新たに上間綾乃など、グループでは実力のあるコーニーズや意外性のあるところで太陽風オーケストラなどはいかがでしょう?

 それにしてもがんばってもらわなければならないのは、主催者のFM大阪やHIP大阪。興行的にはいろいろありましょうが、昨年の琉フェスで知名があいさつしていたように、ボクたちファンのために、100回でも、千回でも、1万回でも続けていってほしいと思います。

 ともかくも、琉フェス、今年もたくさんの夢を、本当にありがとう。楽しかったですよ!
 ニフェーデービル、ミーファイユー、たんでぃがーたんでぃ、ありがっさまりょーた、うふくんでーた。