2003年は袋中(たいちゅう)上人が来琉して400周年になるというので、那覇では仏教関係者などによって上人が滞琉中の業績を記念するいくつかのイベントが催されました。
 私もこのうちのひとつで地元テレビ局が主催した「エイサー不思議(フシジ)ウォーク」というものに参加したのですが、いやはやスゴかったのなんの。会場の松山公園は仏衣を身にまとった坊主頭がワンサカで超満員。あの広い松山公園がですよ。
 これを見て、袋中さんと言えば、沖縄に念仏踊りのエイサーを広めた一介の修行僧であるという認識しかしていなかった私は、師の業績の偉大さを改めて痛感したのでした。

 そんな袋中という坊さまの生涯を綴った一代記がこれ。コレハ読まなければならないでしょう。

 改めて紹介すると師は、福島県岩城の出身。琉球の地に初めて浄土教を伝え、現在も踊り歌い継がれる沖縄の盆踊りと念仏歌七月エイサーの原形を形作ったお方。いわき市には「じゃんがら念仏踊り」というエイサーによく似た踊りが伝わっています。

 著者は、袋中上人の末裔で、会社の代表取締役を退いた後、60歳を過ぎてから佛教大学文学部佛教学科に進み、上人を研究をし始めた人です。この書をものするには最適任でしょう。

 章立ては5つ。第1章では、上人の代表的著書である「琉球神道記」を著するに至った滞琉の状況を概括し、第2章ではエイサーが誕生した経過を物語風に表現して見せ、第3章では「琉球神道記」の巻第5の中から当時琉球に7つあったという大社の様子を口語意訳で紹介しています。
 第4章では、江戸時代に世に出ることがなかった上人のもうひとつの著書「琉球往来」について考察し、第5章では、幼年時代から滞琉の時期を経て京都での晩年の日々までの知られざる袋中上人像を模索します。

 非常に興味深いテーマを扱った良書なのですが、なにせ仏教用語があちこちに頻出するので、読んでいて少々辛いところがあり、そのことが現世の悪業にどっぷりと浸かってしまっている凡人(ワタシのことですな)の理解を遠のかせてしまうといううらみも。

 なお、エイサーに関する記述はそう多くなく、袋中すなわちエイサーという観念をもって読むには不向きだと思います。受けを狙って「沖縄エイサー誕生ばなし」という表題にしたのは、少々反則気味ですね。(笑)
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 いいジャケットだなぁ・・・。

 秋の琉球フェスティバルを前にして、パーシャクラブ新譜をリリースする模様!
 その名は「PapiRu(パピル)」。

 「パピル」とは八重山方言で「蝶」のことです。
 『幼虫からサナギを経て美しい羽を持つ蝶へ変身するがごとく、結成15周年の節目に、バタンチから6年間の進化を音で綴ります』――とは、パーシャクラブのホームページから。うふふ、熱いですね~。

 前作「バタンチ」から6年も経ってしまったのですね。待ってましたよん。

 収録曲は、次の15曲。72分超だそうです。
    1 夏ぬ恋
    2 B.T.U.
    3 SHIRAHO
    4 ハベル
    5 浜千鳥
    6 楽園
    7 東バンタ
    8 七月節
    9 北風ぬ真北
   10 フヤワシ
   11 夏ぬ最中
   12 しからさぬ夏
   13 ふたないぬ花
   14 カジマヤー
   15 咲かぬ花

 このうち7、8は、それぞれ07、06年のオリオンビールCMソングだそうです。
 パーシャといえばオリオンビールだもんな。

 今回のコンセプトは「オトナのロックバンド」だそう。ホントか??

 OPMC-0010 2,940円。10月3日発売です。
 期待度高し! おれは買うゾ。


 いやはや、うかつにも今まで知らなんだ。

 あの玉城満が、6月8日に行われた沖縄県議会議員選挙で沖縄市区から立候補し、見事当選したというのですよ。

 毎年彼が担当していた琉球フェスティバル大阪の司会を今年はゆうりきやーが務めるので、どうしたのっかなぁ~♪とは思っていたのですが、こーゆーことだったのですねぇ。

 8,231票を獲得し、6人中の4位で当選(定員は5人)。
 いろいろ調べてみると、無所属ではあるものの、民主党、社会大衆党、そうぞう、国民新党、連合の推薦を得ての立候補。ということは、革新勢力を結集しての当選だったということですね、すごいすごい。

 そのおかげか、当選後にはこれらのいずれかの会派に属するということができなくなって、改革の会という3人の少数会派を構成している模様。
 沖縄県議会ではおそらく5人以上でないと交渉会派になれないから、しばらくの間はいくつかある多数会派の間でキャスティングボードを握る存在となっていくのかもしれない。

 所属委員会は、経済労働常任委員会と米軍基地関係特別委員会。
 県議会もオーバーアクション気味になって、少しは楽しくなるかも。(笑)
 いずれにしても、そうなった以上はその道でぜひがんばってほしいものです。

 このほかに、このたび知りえた情報を蛇足的に付け加えると、

1 玉城満は、元コザ市長として県民に愛された大山朝常氏の孫に当たること

2 玉城満は、数年前準ミスユニバースになった知花くららさんといとこ同士の間柄であること

 はぁ~・・・。シラナカッタ。


 なんだかこのところ沖縄のミュージックシーンも動いてるなって感じだな。
 沖縄民謡界のニューリーダーのよなは徹も、新CDを発売する!
 彼単独のアルバムとしては、2003年発売のセカンドアルバム「三味連りてぃ」以来なのかな。

 そのCD名は、「Roots ~琉球祝歌」
 琉球古典の舞踊曲ばかりを集めた、玄人好みのするアルバムだ。

 ポップなミュージックシーンで活躍していながらこういうコンセプトのCDをじっくり聴かせることができる若手、というのもなかなかいまい。
 こういう曲集をほかの若手が世に問うたとしたら、おれは多分、買わないだろうな。
 よなは徹が満を持して放つからこそ価値があり、どうしても聴いてみたくなる。

 曲目は、次のとおり。どうです、他の若手は真似できないだろ?
 ハリクヤマクでエンディングといのも、なんだか嘉手苅林昌を思い出させて、泣かせるぜっ!

 1 かきやで風節
 2 御縁節
 3 揚作田節
 4 上り口説
 5 四季口説
 6 若衆揚口説
 7 加那ヨー~天川
 8 取納奉行
 9 かせかけ
10 鳩間節
11 ハリクヤマク

 「Roots ~琉球祝歌」は9月24日、沖縄限定発売だそうです。
 MUSISM-002 定価3,000円(税込)


 上原知子を描いたイラスト発見!
 実物よりスレンダーな印象ですな。(笑)
 顎のラインあたりの感じがうまく表現されていますね。

tomoko12.jpg

 次はカラハーイでのワンショット。
 妙にひょうきん!
 じっと見つめると、だんだん可笑しくなって、ひとりくふくふと笑う。


 写真や音声、秘蔵の(?)沖縄アーカイヴスなどが増えて、どうしたらよいものかと思っていたところ、外付けハードディスクが安いという話を聞いたので、ネットショップで調べてみたところ・・・。

 これが安いんだ!
 640GBの容量のものが1万2千円程度で買えるんですね。
 で、ただちに購入~♪

 I・O DATA 外付けハードディスク640GB HDCN-U640。
 税・送料込みでナント11,928円。

 使ってみると、アクセス速度的にもなんら問題なく、排気熱も気にならず、これまで不満だったデータストック対策は一気に解消しました。
 いやぁ、快適快適♪
 沖縄の久高島でかつて12年に一度行われていたイザイホーという秘祭がありました。
 島で生まれ育った30歳から41歳までの女性が、祖母の霊力(セジ)を受け継ぎ、島の祭祀組織に加入するために行う成巫式です。
 しかし、1978年の8名を最後に該当者が出ず、またその後、司祭する神役も世を去るなどして、行われていません。

 仮に今後該当者が出たとしても、もう復活することはないのでしょう。
 かつて久高島を訪れたとき、浜で出会った地元の男性が、「あれはもう復活することはないね・・・」と断定していたことが思い出されます。

 さて、そのイザイホー。
 なんと、ウェブ上で、1978年のイザイホーの克明な記録が100分あまりにわたって見ることができるのです!

 それは、、「映像科学館」のページ(http://kagakueizo.org/movie/geijyutu.html)
 NPO法人の「映像科学館を支える会」が運営しています。

 ビデオファイルは2本立てで、第1部は、イザイホーの1ヶ月間の準備から祭りの第3日目までを、そして第2部は、最も華やかな第4日と祭りの後かたづけから、祭り後の最初の年中行事、フバワクまでを、それぞれ収めています。

 これは必見! どうぞご覧ください。

 また、イザイホーについてより詳しく知りたい向きは、比嘉康雄の「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」(集英社新書)がためになるかと思います。




 ラッシュラッシュ~♪
 先に、近々ネーネーズ、パーシャクラブ、よなは徹の新譜が発売されることを報告しましたが、まだあるのですねぇ、沖縄島唄界の大物のニューリリースが。

 古謝美佐子の8年ぶりとなる新譜は「廻る命」。
 前作の「天架ける橋」は圧巻の名作でしたよね。
 発売は10月25日。
 収録曲は次のとおりです。

 1 天じゃら
 2 ポメロイの山々
 3 太陽ぬ子
 4 黒い雨
 5 黄金ん子
 6 海ぬチンボーラ~赤山
 7 夏ぬサンサナー
 8 秋の踊り
 9 冬の花影
10 アメイジング・グレイス
11 国頭サバクイ
12 廻る命  

 5と10はさんさらのライブで聴いたことがあるけど、なかなかスゴイぞ!
 6や11は沖縄民謡だけど、どんなアレンジが施されているのか興味のあるところ。
 1は、あの世へ旅立ち、今や星となった祖母の死をきっかけとする歌なのだそう。

 楽しみですね~。
 このCD、現時点ではライブ会場に行けば買えるそうです。
 今日は、わりとしっかりと仕事をしたなあと、自己満足の一日。
 午前中から会議を一つこなし、昼はメシもそこそこに当課主催会議に出席するシャチョーをお迎えに。
 午後は調整用務についていくつか指示を出して、3時から関連団体を招いて意見を聴く会の座長を。
 部屋に戻ると、緊急用務で来課していた出先機関の長と打合せ、そしていつものとおり、終業時間前のドタバタ――と続きました。

 で、家に戻ってホッと一息。
 チューハイをやりながら、嘉手苅林昌の「彩なす島の伝説1」を聴いてます♪

 こういう時間があるから、自分を失わずに生きていける、と言ったら少々大袈裟かな。(笑)

 さて、ボクは、ライブハウス島唄HPの「ネーネーズ便り」の読者登録をしているので、このブログの更新があると、「書きましたよ~」とメールが来る。
 今回の新しい記事は、9月6日、7日と山形の鶴岡市『日枝神社』で、ネーネーズがコンサートをしたというものでした。
 え~!そんなのがあったのかっ!?
 知っていたなら見にいったのに・・・。

 で、あわせて、メンバーのなーぎー(上原渚)が9月8日に二十歳になりましたぁということが載っていました。
 さっそくビールを飲んでゴキゲンの画像がよかったので、チト拝借しました。
 若いね~♪ オメデトウ!
 CD「登川誠仁&知名定男」

 ネーネーズの新CDに「スンガー節」が収録されるというので、それを聴く前にとCD「登川誠仁&知名定男」を取り出して、「スンガー節~永良部百合の花」を聴いてみました。

 ルーツは、徳之島の『手々の枕節』などで、沖永良部島の民謡「永良部百合の花」の元唄です。

 ♪ 盆切りに当たてぃ 打ち血なてぃうりばヨー ジント
   タンメ型膏薬 持たちヨーたぼり 盆切りなたれー
   ナーイッチャ スンガースンガー ・・・

 盆切りは、今で言うお盆の時節のこと。これを「棒切れ」に掛けて、棒に当たって痣ができちゃったので・・・と。
 そして、タンメー(おじさん)の形をした湿布薬を持たせてくださいと医者に訴えているのですが。(笑)

 これ、場所を遊郭、湿布薬はお金、医者を夫と読み替えてみれば、唄のもつ深い意味が読み取れようというもの。
 ねぇあなた、いつまでも遊郭に入り浸っていないで、決算期のお盆がやってきてあちこちに買掛金を返さなければなりませんから、早くお金を渡してちょうだいな――というところでしょうか。
 那覇・辻の遊郭に入り浸る粋な男性と、刀自(妻)との金策のやりとりがコミカルな隠語を用いて表現されています。

 比較的メジャーな「永良部百合の花」はアップテンポですが、それをゆったりとしたような曲調。このとぼけた感じをネーネーズはどう歌いこんだのでしょうか。

awachon.jpg (泡瀬のチョンダラー)

 この唄とは関係ないのですが、スンガーと聞くと、寒水川(スンガー)芝居のことも思い出されます。

 明治初期の頃、首里の安仁屋(アンニャ)村(現在の首里久場川町。首里りうぼうあたりらしい)に住みついた京太郎(チョンダラー)集団が、沖縄各地で村落の各戸を訪ね、祝儀として「万歳」を奏し、余興として「鳥刺し舞」や馬頭をつけた踊りを演じて、それらは明治中期には敵討ち物の芝居に仕上げられました。それは「寒水川(スンガー)芝居」とよばれて庶民に親しまれたのだそうです。

 チョンダラー芸は、現在では、沖縄市泡瀬と宜野座村の2ヶ所にのみ残り、県の無形民俗文化材の指定を受けています。


 比嘉春潮(1883~1977)とは、沖縄郷土史家であり歴史学者。
 沖縄県庁の職員を経て、1923年に上京、改造社の編集部に勤めながら、沖縄学の第一人者だった伊波普猷の影響を受けて沖縄研究を始め、また、柳田国男らをメンバーとする南島談話会に加わって民俗研究に取り組んだ人です。
 伊波普猷関連の書物を読むと、この人が頻繁に登場します。東京大空襲後には、自宅を焼け出された伊波が、比嘉の自宅に身を寄せて生活していた時期があったからです。

 そんな比嘉春潮の自伝的回想本。
 あるウェブページによると、氏の人生はこんな感じです。
『父・春良は首里山川の士族であったが、西原間切翁長村の掟加勢に任ぜられ、春潮はそこで次男として生まれた。本名は春朝、また自らを蠹魚(トギョ)と称した。
 沖縄師範を出て教員となり、小学校校長、新聞記者などを務めたのち、改造社に入社(1923)。小山書店に転じ(1944)、戦後退職。その間、柳田国男に師事し、1922年に発足した南島談話会では主宰の柳田国男、新村出、金田一京助、服部四郎という泰斗をはじめ、昇曙夢、宮良当壮らと名を連ねた。
 戦後は顧問に徳田球一を擁し、沖縄人連盟の発起人にもなり、沖縄の復帰運動にも尽力した。
 著書に「沖縄の歴史」「沖縄の歳月」「沖縄の犯科帳」「蠹魚庵漫章」などがある。
 1983年に春潮夫人の比嘉栄子によって、蔵書や書簡、資料ノート等5,900冊余が沖縄県立図書館に寄贈され、現在比嘉春潮文庫として収蔵されている。
 その名は文庫名のみではなく、沖縄学研究者に与えられる沖縄文化協会賞の比嘉春潮賞(歴史、考古、民俗、民族の研究分野が受賞の対象)という名称としても残っている。』

 沖縄の民俗研究については、どうやら人生の後半に始められた模様で、回想の記録は若い頃の小学校長時代、県庁職員時代、改造社員時代のことに多くを費やされています。
 役人時代、県庁の中枢で仕事をし、そこで得た情報をかつて籍を置いていた地元の新聞社に横流したことなどがコミカルに書かれていてなかなか興味深くもおもしろい。
 教育から行政へ、そして在野のジャーナリストへという人生は、今の世となってはなかなか味わえないであろう華麗なる転進です。当時としても教養人の中の教養人だったのでしょう。

 当書は、沖縄タイムスに「年月とともに」と題して連載されたものをもとに、1969年3月に刊行されたものを再発行したものです。
 平易で読みやすく、かといって子ども向けではまったくなく、オトナの知的好奇心を大いにくすぐる良書。
 「人間の記録」というシリーズもので、比嘉氏のほかには柔道家嘉納治五郎、国語学者金田一京助、外交官重光葵、陸上選手織田幹雄、歴史学者家永三郎、アチャラカ芝居の古川ロッパなど60人の渋~い面々が名を連ねています。


(1)雨降い花染 (2)城ぬ前 (3)思い出のロータリー (4)兄小とぅ (5)永良部千鳥 (6)ちむたかぬ島 (7)下千鳥 (8)北浜ぬ区長さん (9)かりゆし平敷屋 (10)忘ららん (11)ぬはる (12)久米阿嘉節 (13)新でんさ節 (14)しゅうらー節

 大好きな唄者の一人である徳原清文が放つ40周年アルバム。
 真っ青な空と海をバックに煙草をくわえて三線のチンダミをしている渋~い表情が、少しわざとらしくてまたイイではないか。

 で、聴いてみると。つくりはどうやら、自分の主宰する唄三線教室の発表会的なもののよう。あれぇ?? 彼は、「野村流音楽協会琉球民謡登川流 琉球音楽清風舎 徳原清文研究所」を開いているのですね。

 アルバムのプロデュースを自ら手がけ、太鼓や三板も自分でこなし、収録曲の多くで三線を弾いています。でも自らうたうのは、全14曲中(1)(3)(6)(13)(14)のみ。
 なぁんだ、ってな第一印象でしたが、それがまあ、聴いてみなはれ、なかなかいいですよ、コレ。一門のお弟子さんたちが実力をいかんなく発揮されています。

 まずは伊江島民謡の(1)。これ、♪ユイシーユイシー…とか、♪ハイユエーハララルラー…というお囃子が入って、「国頭サバクイ」に一脈通じるものがある明るい曲。まずは総帥が自信を持ってお届けします、的な秀曲。琉琴の音色が効いているナ。

 (2)も伊江島民謡で、比嘉憲栄さん、宮里徳信さん、仲間稔さん、新垣盛吉さんの4人による唄三線。琉球弧に広く伝わるションガネ系の曲。琉球民謡の斉唱というのはいつ聴いてもステキだなあ。

 (3)は、嘉手納ロータリーのことを徳原自らが作曲したもの。ロータリーは今や消え果てて影もないと嘆いて見せます。曲調は、屋嘉節がかなり影響しているものと思われるウェッティなもの。

 これも徳原作曲の(4)は、赤平美奈子さんという人の独唱。きれいな声と沖縄民謡らしい節回しは秀逸。一介の素人でおわるのはもったいない。…と思っていたところ、「新唄大賞」に参加したり、恩納村のホテルでうたったりしているのですね。ヤ・ツ・ハ・リ。

 (5)は沖縄民謡の名曲の一つ。仲松正敏さんがうたいます。難しい曲を技巧なくストレートにうたっているようなのですが、訴えるものは深い、という印象。これも味があるなあ。

 (6)も徳原が作詞作曲。唄三線の大城貢、伊禮彰宏両氏は、琉球歌劇の地謡としても活躍しています。

 (8)は、前出の赤平さんに古謝初枝さんが加わって二人で。こういううたが日常的に生まれてくる沖縄って、やっぱりフシギ。

 (9)は、赤平満、新里正幸、恩納裕の3人。舞台の地謡や民謡ショーなどで活動している面々のよう。いやぁ、分厚いなあ、清風舎は。

 (10)(11)は少し年季の入った女性陣。このあたりは本音を言うと少々中だるみの感があります。

 久米島民謡の(12)は、新里正男さんの唄三線。このうた、徳原も「琉球民謡 徳原清文の世界」(ンナルフォン)で「阿嘉から節」としてうたっていました。

 フィニッシュの(13)(14)は総帥の徳原が。登川流の練習曲の(13)は、唄三線を学ぶ者にとっては教訓歌にもなっています。(14)は比嘉真紀さんとの掛け合いで。この人も新唄大賞や全島ナークニー大会に参加しています。

 ――ということで、けっこう充実した1枚でした。
2008.09.17


 この写真は、母とその弟のそれである。

 母の生年から察すれば、これは昭和10年前後に撮影したものと思われます。

 すっかりセピア色になってしまった古い写真を高解像度でパソコンに取り込み、モノクロ風に画像処理したものを拡大してプリントしてあげたら、こんなことが簡単にできるんだねぇとえらく喜んでいました。

 すっかりおばあちゃんになってしまったけど、彼女にもこんな時代があって、その後戦争の時代をくぐり抜け、結婚し、我々兄弟を産み育て、歳月をひとつひとつ積み重ねてきたというわけだ。

 一人ひとりの人生はささやかではあるけれど、きっとどれも大切で、貴重なものなのだろうなぁと、一人しみじみ思うのである。


 1945年3月、連合軍が沖縄攻略のため最初に上陸した慶良間諸島で起きた集団自決の真相を追いかけた良書。

 いったい何が約600名もの人々を死に追いやったのか――というを問いにはさまざまな証言や考え方があって、たとえば曽野綾子著の「沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実」では、軍命令による集団自決についての確かな証拠は見当たらないとしていて、読んでいるほうはナヌ、ホントかよ?!と疑心暗鬼になったものでした。

 そんな折、2007年の文科省の高校歴史教科書検定では、沖縄戦の集団自決の記述に当たって「日本軍の強制」と取られかねない表現を削除されます。
 この事態を受け、同年9月、宜野湾海浜公園で「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれ、実に11万人もの人々がともに立って、検定意見にノーを突きつけたのでした。
 歴史を書き換えようとするこのような動きの中で、凄惨な事件の生存者たちは、60年の時空を超えてようやく、これまで黙して語ることのなかった人を含めて、当時の実相や現在の思いを証言し始めたのです。

 読み進めると、真実はどうだったのかを究明しようという意図はそう強く感じられず、むしろ重い口をようやく開き始めた人々に寄り添うかのように静かに証言を聴いていく――というつくりになっており、それらは心に重低音のように響いてきます。

 政治的に見てどうだとか、どんな意図を持って事実を認識しようか、などという尺度とは別の、自分だけ生き残ってしまった悔いや、死んだ人の命を悼んで苦悩する中で人間として生きていくことの残酷さのようなものが、ずっしりと伝わってきます。

 写真入りで紹介されている証言者はいずれも70歳代後半以上の年齢で、もうすぐ事実を知る人はいなくなるのでしょう。であるとすればなおさら、これらの証言は語りついでいく必要があるのでしょう。

 渡嘉敷、座間味、慶留間、阿嘉の4島にわけて章立てされていますので、それぞれの島の事情により違った状況があったことがよくわかります。
 そして、それぞれの島の状況がわかっていくにつけ、客観的に見て集団自決に関する軍の関与はなかったというのは明らかに大ウソだということがはっきりします。

 だって、軍はたとえ住民に直接死を命じなかったとしても、米軍に対する恐怖心をあおり、米軍の捕虜となることを許さないよう住民を指導した一方で、軍命を優先して住民保護を放棄し、手榴弾まで配ったのですから。これを軍の関与と言わずして、何と言うのでしょうか。

 忠告。
 この本は、気分の優れないときや精神的に不安定なとき、不満やストレスの多い状態のときなどには読まないようにしましょう。それらの症状がさらに悪化してしまう恐れがあります。(笑)


 台風13号も通り過ぎるようなので、急遽、明日の琉フェス東京も観に行くことにしました。
 会場が東京・大阪とも屋外なので、当日の天候はとても重要なのだ。

 で、先ほど近くのファミマに寄って、東京・大阪両方のチケットを入手してきました。
 イベントの正式名称は、東京が「‘08」なのに対して、大阪は「2008」なのですね。
 でまた、東京はテレ朝とM&Iカンパニー、大阪がFM大阪とH.I.P大阪のタッグによる開催です。

 チケットを手にすると、モチベーションはますます高まってきますなぁ、むはは。

 さて、明日。
 宿の予約と、イベント前後の快楽のための情報収集といきましょう。


 2008年9月21日、日比谷野音で催された琉球フェスティバル‘08を観てきました。東京開催に赴くのは2002年以来6年ぶりなのだ。

 台風13号が20日までに関東以東に抜けていくとの予想なので、この日は雨は降るまいとの判断のもとに前々日の19日にチケットを購入しました。
 しかし…。台風は抜けたものの、その後もまた雨なんでやんの。関東はずっとこれなのかっ!

 傘をさして会場に着いたのは、開演時間の4時を15分ほど過ぎた頃。雨はいやなんだよなぁ。正直言って気合のノリが悪いです。
 係員から「傘は閉じて入場してください」と言われ、持参のウインドブレーカーを着こんで後ろのほうのテキトーな場所に着席。
 全席指定なのですが、こういうイベントはステージのみならず観客の様子も併せて見るほうが面白いと考えているので。
 前々日にチケットが入手できるわけで、この悪天候もあいまって、後ろの4~5列は“ご自由にドウゾ”という具合に空席になっています。それでも全体の入りは8割ぐらいにはなっていたかな。

 どうやら最初の池田卓のステージが終わったところのようで、司会のガレッジセールがしゃべっています。
 川田はもう泡盛5杯は飲んでいるとのことで、一目で飲んでいるとわかるほど顔が赤い。すると不意に、観客から泡盛が差し入れられ、これを川田がうれしそうに一気飲み。やんやの喝采です。
 こういうのもまた琉フェスならではかもね。

 次なる登場は桑江知子。
 はじめに「私のハートはストップモーション」といういにしえのヒット曲をうたう。
 東京の琉フェスはこのあたりがしっくりこないところ。沖縄出身の歌手だったら誰でもいいのかよと毒づきたくなったり。
 ギターで笹子重治がサポートし、女性バイオリン奏者も。

 しかし、続く「ジントヨーワルツ」と「うんじゅぬ島」はよかった。
 「うんじゅぬ島」は我如古より子の名曲(と思っている)。ため息まじりのうたいかたが我如古似でなかなかよろし。

 「時は過ぎるから」というサンバ風のうたに続いて、最後に平安隆(ひらやすたかし)が登場して二人で「逢いたいな」という曲をうたいました。

 桑江がうたい始めた頃から雨は一時上がり、桑江は「私、晴れ女なんです」と得意げに。
 ところが、ステージを平安にバトンタッチしようとしたとたんに土砂降りが・・・。
 「私の出番が終わったから」と桑江。
 雨合羽のないおれは、これはタマラヌとばかりにちょっとした屋根のあるトイレの入口付近に避難。
 出たり入ったり、また立ったり座ったりしたものの、結局のところココで観ていた時間が一番長かったなあ。

 (つづく)


 ザンザの雨の中、コンガ奏者を従えて平安はうたいます。
 独特ともいえるうたい方で「ダイサナジャー」、「ヒンスー尾類小」、「あやぐ節」、「アッチャメー小」などを披露。
 こういううたこそ琉フェスだ! 本格派かというとそうではないように思われるのですが、味、といった面から言えばなかなかいい雰囲気がありました。

 雨が小降りになる頃になって長めの彼のステージは終わりましたが、ガレッジセールが言うには、平安は4曲の予定のところをノリに乗って6曲もやっちゃったとのこと。
 平安はMCで「合羽代の分高くついちゃったね」とか言いながら観客をねぎらっていましたが、高くついた分演奏を増やしてくれたということなのでしょうか。

 次は下地勇。
 琉フェス東京には毎年のように出ているように感じるのだけど、彼も6年ぶりなのだそう。こちらのサイクルと合っているということかな。

 またまた演奏を始める段になって雨が強くなります。水も滴るいいオトコだねこりゃ。
 「開拓者」や「狭道小(イバンツガマ)からぴらす舟」など、おなじみの曲目多くあまり目新しいところナシ。3曲しかうたわなかったんじゃないか?
 歌声とはうって変わって、インタビューのときの声はとても小さく、この落差がおもしろい。

 続いては、よなは徹。
 パーシャクラブばりにオープニングメロディに乗って登場です。こういういっぱしの登場スタイルはよなはとパーシャだけだったな。

 1曲目は、国際サンゴ礁年を記念するイベント「Save The Coral 2008」のテーマソングとなった「あんやんてぃんどぅ」。♪あんやんてぃんどうやぁ~・・・照屋林助の名曲を独自のアレンジで。いいねぇ。彼のイメージとてるりんのそれとはずいぶん違うのだが、秀逸なうたはそういうことをものともせず二人をつなげてしまう。
 若手女性唄者が何人かステージ上で合いの手を入れていましたが、これもまたいい。雨の混乱で後ろに下がっていたため、誰なのかは確認できずじまいになったのが残念。

 よなはは、雨が少し小降りになり、「雨も上がって、盛り上がっていこうね!」と語り、「スーリー東」、「サフエン節」、「花の風車」、「スンサーミー」とエイサーソングを連発。これだよコレ、こういうのがあってこそ琉フェスというのだよ。
 最後は、本人曰く初めて披露するなんとかという曲をうたってエンディング。

 だんだん琉フェスらしくなったところで登場した次なる唄者は、山里ゆきと金城実。渋~い顔ぶれが出てきたなあ。

 全体として、今回は山里のデキがよい。しかし、1曲目を山里がうたった頃は真剣そうに聴いていた観客も、3曲目の「軍人節」あたりになるに及んで、場内の話し声がすごくなる。
 どうしても本格民謡はこういう野外のイベントには合わないようだ。たしかに、しみじみ民謡を聴くようなシチュエーションではないものナ。
 さて、10月の琉フェス大阪も野外開催。出場メンバーの若手にシフトしているようだけど、でいご娘や知名定男は十分に聴かせてくれるでしょうか。

 話がそれてしまいましたが、山里、金城の二人はともに芸能生活45年なのだそう。
 ゴリに「芸能生活は何年ぐらいになるんですか?」と尋ねられた山里は、一言「・・・長い。」と答えていたのには笑ってしまいました。
(つづく)
 次に登場したのは、奄美の坪山豊。
 寄る年波からか、最近のうた声からやや迫力が薄れてきた感のある坪山師匠ですが、今回は若手の一人を伴っての登場です。

 「ヨイスラ節」から始まって、お得意の「ワイド節」に至るまで4曲を披露。
 「ワイド節」はかなり盛り上がり、場内総立ち。一同、雨合羽姿で手をひらひらと。これはユーレイたちの宴か?(笑)
 この「ワイド節」、愛弟子の貴島康男がうたってもこうはいかない。坪山のうたう「ワイド節」には何かがあると見た。

 さて、いよいよメーンイベントと目されるパーシャクラブの登場。
 ステージ準備ができるまで坪山を呼び止めて話していたときにはほとんど雨はやんでいたのに、次はパーシャで、去年は大雨の中で演奏したパーシャクラブですが今年は・・・なんて言っているうちにまたまたザーッときたもんだ。この時がいちばん雨がひどかったのではないかな。

 そんな中、コーラルブルーをイメージした「海の彼方」でスタートするものだから、可笑しくなってたまらず、一人エヘラエヘラと嗤ってしまいました。

 MCで新良幸人は、「この雨は、朝のリハーサルで大工さんが雨乞いのクイチャーをうたったからでぇ~す!」と言って笑いを誘います。
 さきほどの女性唄者とよなは徹も加わって、次は「七月節」。「仲順流り」をベースモチーフにしたクルービーな曲調。いいですなぁ、サイコーですなぁ。

 その後、近日発売の新CD「PaPiRu」から1曲、そしてシメを「五穀豊穣」で。
 演奏後新良は、ガレッジの二人に「かなり飲んでるでしょう?」と訊かれ、「仕事の前は飲みません!」とふらふらしながら話す。「参加者やお客さんから進められたものはお神酒としていただきました」だと。ウソつけやい。(笑)

 そしてトリは、予想どおり大工哲弘です。
 「小浜節」、「まるまぶんさん」など八重山の民謡を中心に、少々すっとぼけた感じの独特の音階でうたいます。

 「今日は時間が押しているのでダジャレもやりません」とか、「ボクも35年前は池田卓クンのような、ハンカチ王子のような時代がありました」とか、全体としていつもの意味不明のMCがあって、その後「雨の中でうたうのは初めてのことです」と語りながらお得意の「とぅばらーま」を披露。

 そして最後はにぎやかに「くいちゃ踊り」を。♪マタハーリヌオーヤッサイ・・・。苗子サンの相変わらず元気な踊りとかん高い掛け声にもひたすらシビレますなぁ。

 でもって次は、新良を呼び寄せて「六調」を。これがまた、盛り上がるのですね。大阪ではそれほどではないのに、なぜか東京では盛り上がる。
 そして、あろうことか、この雨の中で二人は「漲水のクイチャー」を。雨乞いのこのうたを、もうどんどん降ってくださいね、いまさら止んでも意味がありませんからねと、もう半ばヤケクソでうたいます。

 その後は、本日の参加者がみんな出てきて「唐船ドーイ」を。金城実が大ハッスルして長い間リードを取り、最後はよなは徹がよく通る大きな声でガンガン行きました。
 天候もあってか、この日のアンコールはナシ。ツマランなあ、東京はいつもこうなのか?
(つづく)


 久々の琉フェス東京でしたが、本音を言うと、いくつかの点で物足りない印象を持ちました。毎年琉フェスのメッカ大阪でこれ以上ないという体験をしているからそう感じるのだとは思うのですが・・・。

 まず、3時間半あまりで終わってしまうということが、納得がいきません。これで“フェスティバル”と言ってしまっていいのだろうか。
 ちなみに大阪は6時間超だぞ。蛇足だが、なのに東京は6800円だ。(大阪は6000円)

 そして、唄者が淡々とうたって次の唄者に進むだけで、進行に工夫がないのはどうなのか。
 大阪ではエイサー団体の演舞あり、100人の三線演奏あり、鳩間島ダンスの創作あり、ミス沖縄や沖縄ゆかりのゲストの登場あり、そして、琉フェス限りの唄者のジョイントがあるんだぞ。

 さらには、首都圏であまり知られていないアーティストを出場させて新しいウエーブを起こそうというような冒険心が感じられない。いつも、すでに駆け登ってしまった人気者ばかりを出場させようとしているように見える。

 よほどお気に入りの唄者が出場するというのなら別だが、ライブならではのその場限りのパフォーマンスが望めないのなら、やはり地方から観に行く者としては二の足を踏むんだよなぁ・・・。
 そうだよ、きっと東京のほうは、知名定男のようなプロデューサーがいないのだろうな、沖縄フリークの心をそれとなくくすぐるような人物が。
 そして、イベントの成否を、観客の満足度よりも収益で判断しているのではないか――と、だんだん悪いほうに考えが行ってしまう。

 まぁ、来月12日はいよいよ自分にとっての秋のメーンイベント、大阪琉フェスが開催される。これに大いに期待することにしよう。頼むぞー、HIP大阪っ!

 まったく雨に祟られてしまい、今回の思い出はきっと、あぁ、あの時はひどい雨の中で聴いたのだったなぁ、というものになってしまっただろう。
 だけど、せめて次の大阪琉フェスは、雨合羽など着ることなく、唄者のパフォーマンスに集中できる環境で共感したいものでアリマス。
(おわり)